玉葱騎士、六面世界に立つ   作:神聖龍 エモーショナル・ハードコア

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第12話 密林地帯

 

 夢を見た。

 

 嵐の音がする。

 

 風が唸り、空が裂け、残り火が地を焼く。

 その只中に、ひとつの背中があった。

 

 風を束ね、嵐を制し、巨躯に立ち向かう影。

 

 あれは騎士だ。

 正しく、在るべき姿。

 

 闇に呑まれた友を討つために、ためらわず剣を振るう。

 

 ――父は、ジークバルトは、騎士だった。

 

 迷いのない背中だった。

 

 俺も、ああ在りたい。

 

 守る者でありたい。

 使命を果たす者でありたい。

 

 嵐がひときわ強く唸る。

 

 いつの間にか景色が変わる。

 

 風は冷え、嵐は遠のき、代わりに囁きが混じる。

 

 "呪われ人"。

 

 その言葉だけが、やけに鮮明だ。

 

 視線。

 

 背中に突き刺さる視線。

 

 恐れ。嫌悪。失望。

 

 理想が、遠くなっていく。

 

 ――お前なんかじゃ。

 

 声は顔を持たない。

 ただ、重い。

 

 オルステッドに負けたお前が。

 呪われ人の、お前が。

 なれるわけがない!

 

 嵐が止む。

 代わりに、闇だけが残った。

 

 

 

 

 目が覚める。

 

 鎧の内側が、やけに湿っている。

 

 呼吸が浅い。

 夢の余韻が、まだ胸に残っている。

 指先に力が入らない。

 それでも、立ち上がる。

 

 シャンドルの師事を受けてから、かなりの年月が経った。

 旅を続けながら修行を重ね、力はついている。

 だが、いくら年月を重ねてもオルステッドに勝てる未来が見えない。

 その感覚が、胸を削る。

 

「………」

 

 薄闇の中、剣を手に持ち、素振りを始める。

 

 型は崩れない。

 動きも鈍くはない。

 

 だが、しっくりこない。

 頭と動きが噛み合わない。

 

 剣を振るうたび、わずかに踏み込みが浅い。

 振り切ったはずの刃が、どこかで止まる。

 

 焦ってなどいない。

 そう言い切れるほど、落ち着いてはいない。

 

 

 

 

 紛争地帯を後にしたジークフリートとシャンドルは、中央大陸を南へ下り、密林地帯を進んでいた。

 乾いた戦火の匂いは遠のき、代わりに湿った土と腐葉の匂いが肺を満たす。空は狭く、木々が重く頭上を覆っていた。

 足元はぬかるみ、根が絡み、歩みをわずかに鈍らせる。

 

「ふと思ったんですが、君の鎧は目立っていいですね。私も何か人の目を引く格好をしてみましょうか…」

 

 シャンドルは顎に手を当て、本気で考え込む仕草をする。

 

「黄金の鎧とかどうですかね?」

「…はあ。まあ、いいと思います」

 

 気のない返答。

 心ここにあらず、といった様子のジークフリート。

 視線は前を向いているが、見ているのは森ではない。

 

「ふむ…」

 

 その様子を横目で見ながら、シャンドルはわずかに目を細め、また考える様子を見せる。

 

 だからだろうか。枝が不自然に揺れたことに、気づかなかったのは。

 

 風ではない。

 揺れが、連なる。

 

「……っ!敵襲っ!」

 

 乾いた破裂音とともに、石礫が飛来する。

 

「!?」

 

 シャンドルは即座に棒を振るい、二つを弾く。

 ジークフリートは一瞬遅れる。

 

 甲高い金属音。

 肩と脇腹に衝撃が走る。

 

「キャッ!キャッ!キャッ!」

 

 森に、嘲笑うような魔猿の鳴き声が反響する。

 

 姿は見えない。ただ、上だ。

 枝から枝へ、影が跳ぶ。

 

「左右から来ます!」

 

 再び礫。今度は角度を変え、挟み込むように。

 

「そう何度も……!」

 

 中央に大きな突起のついた円形盾――ピアスシールドをソウルの業で具現化する。

 鈍い光を放つ盾が展開される。

 

 びしゃり。

 

 重く湿った音。

 鼻を衝く臭気。

 

 投げられたのは石ではない。糞だった。

 盾に着弾し、弾け、飛沫が兜にかかる。

 

 カタリナ騎士の証が、茶色く汚れる。

 

 次の瞬間。

 

「キャキャキャキャッ!」

 

 爆発するような嘲笑。

 ジークの喉が鳴る。

 

「……!この……!」

 

 雷が掌に集束する。

 弓を形作り、矢を番える。

 狙いを定める前に、放った。

 

 雷光が枝葉を裂き、闇へと消える。

 焦げた葉が舞い落ちる。

 

 だが、悲鳴はない。

 外した。

 

「落ち着きなさい!」

 

 シャンドルの声が飛ぶ。

 

「地の利は敵にありますが、冷静になれば勝てます!」

 

 上空で、また枝が鳴る。

 囲まれている。

 

「わかっています……!」

 

 その声はわずかに荒い。

 ジークフリートの視界が狭まる。

 兜の内側で呼吸が荒れ、熱がこもる。

 

 笑われた。

 

 鎧を汚された瞬間、何かが弾けた。

 侮辱されたのは、自分か。

 

 それとも――騎士の名か。

 区別がつかない。

 

 絶え間なく四方八方から石と糞が投げ込まれる。

 全て防ぐが、弾いても飛び散る糞によって2人は汚れていった。

 戦っているうちに、敵の姿も見えてきた。人間の子供ほどの大きさの、暗い緑色の猿の魔物。密林ではその毛皮が迷彩となり、魔猿を見つけにくくさせていた。

 

「ギャーッギャッギャッギャッ!」

「…ちっ!」

 

 時間ばかりが過ぎ、魔猿の嘲笑う声が森に反響する。

 苛立ちが募るジークフリート。

 

(集団だった動き…どこかに親玉がいるはずだ…!)

 

 だが、視界は悪い。

 枝葉が絡み、影が揺れ、猿たちの姿は現れては消える。

 

 一匹を狙えば、別の角度から礫が飛ぶ。

 

 追えば、退く。

 退けば、囲む。

 

 統率のない動きではない。

 

 すると、鳴き声が微妙に変わった。

 甲高い短い声の直後、投擲が止む。

 低く長い声で、猿たちが散る。

 

 そして次の瞬間、別の方向から一斉に飛来する。

 

(合図か……?)

 

 音を追う。

 木々の高所。

 太い枝の上。

 揺れる葉の隙間。

 

 いた。

 

 他の魔猿より一回り大きい個体。

 腕を振り、声を上げ、群れを操っている。

 

 親玉だ。

 

 本来なら、ここで合図を送るべきだった。

 シャンドルと一緒なら、もっと確実に仕留められる。

 

 だが。

 

「……潰す」

 

 誰に聞かせるでもなく、呟く。

 次の瞬間、地を蹴っていた。

 

 幹を蹴り、枝を踏み、上へ上へと駆け上がる。

 

 視界が揺れる。足場は細い。だが構わない。

 親玉の魔猿が、こちらを見る。

 

 そして――笑った。

 

 ぞわり、と背筋を撫でる感覚。

 

 次の瞬間、影が弾けた。

 横合いから一匹の猿が飛び出す。

 

 手には、糞を塗りたくられた短剣。

 刃が黒く濡れている。

 

(伏兵……!)

 

 鎧の継ぎ目、脇の隙間。

 正確に、そこを狙ってくる。

 

(まずい――!)

 

 空中。

 回避は間に合わない。

 

 短剣が迫り――

 

 甲高い金属音。

 白い槍が、割り込んだ。

 

「落ち着け」

 

 低く、揺るがぬ声。

 

 止めたのは、坊主頭に鉢金をつけた戦士――ルイジェルドだった。

 槍が短剣を絡め取り、捻り、弾き飛ばす。

 魔猿の体が宙を舞い、幹に叩きつけられる。

 

 ――速い。

 

 近くの枝に着地したジークフリートが、呆然としながらそう思う。

 

 ルイジェルドは着地と同時に木を蹴る。

 無駄がない。ためらいがない。

 

 そのまま木を蹴り、親玉の魔猿に迫る。

 

「ギイイイッ!!」

 

 親玉が号令を出すと、枝という枝から魔猿が飛び出す。

 

 上下左右、死角を塞ぐ包囲。

 

 だが。ルイジェルドの槍が唸る。

 突き。薙ぎ。払う。

 一閃ごとに猿が落ちる。

 

 動く前に潰す。

 動きを読んでいるのではない。

 戦場そのものを把握している。

 焦りが、ない。

 

 親玉との距離が、一瞬で消える。

 槍が突き立てられる。

 

「ギャァァ!ギャッ、ギイッ……」

 

 苦しみの叫びを上げる魔猿。

 ルイジェルドは槍をさらに突き入れ、心臓を抉る。

 親玉の魔猿の鳴き声は次第に小さくなり、やがて動かなくなった。

 

 それと同時に、魔猿たちに動揺が広がる。

 

「チャンスです!」

 

 叫ぶシャンドル。

 ルイジェルドはその言葉より前に魔猿たちを打ち倒していた。我に戻ったジークフリートがそれに続く。だが、その動きは荒かった。

 

 統制を失った魔猿たちは次々に逃げ出し、すぐにジークフリートたちの周りから魔物はいなくなった。

 

「終わったな」

 

 ルイジェルドは槍を振り、血を払う。

 

「ええ。助太刀、感謝します」

 

 シャンドルが一礼する。

 ジークフリートは数拍遅れて、地に降り立った。

 呼吸が荒い。

 

「……ルイジェルド」

「おや、ジークくん。お知り合いですか?」

「ええ、少し…だがどうしてここに?」

 

「同族の仲間を探し、この密林地帯を探索していた。そんな中、魔物に襲われる人の気配を感じ、助けに入った」

 

 淡々とした口調。

 

「そうか…ありがとう」

「礼には及ばん」

 

 ジークフリートは拳を握る。

 短剣が迫った瞬間を、思い出す。

 もし、あの槍がなければ。

 

「…すみません、シャンドル師匠」

 

 シャンドルは責めるでもなく、穏やかに口を開く。

 

「焦るのは悪いことではありません。君くらいの年にはよくあることです」

「ですが、君が倒れれば、守るべき者は増えるだけだ。それは理解しておきなさい」

 

 守るべき者。

 その言葉が、胸の奥で重く沈む。

 守る側でいたい。

 だが今は、守られた側だ。

 その事実が、何より重い。

 

「……はい」

 

 小さく答える。

 拳は、まだ解けない。

 

 

 

 

 その夜。

 

 三人は焚き火を囲んでいた。

 湿った薪が、ぱちりと爆ぜる。

 

「ルイジェルドさんがスペルド族とは驚きましたよ。話に聞いていた様子とは全然違いましたからね!」

 

 シャンドルは朗らかに笑う。

 

「俺が、怖くないのか?」

 

 炎越しに、ルイジェルドが問う。

 

「弟子を助けてもらったんです。恐ろしいわけないでしょう」

「……そうか」

 

 短い応答。

 それきり、言葉が切れる。

 

「さあさあ、もっと食べて!ジークくんも。私の作った野営食はおいしいですよ〜」

「私は、あとでいただきます」

 

 火の明かりが兜を赤く染める。

 

「…おっと。そうですね」

 

 シャンドルはそれ以上踏み込まない。

 わずかに視線だけを送る。

 

 沈黙が落ちる。

 

 森は夜の声に満ちている。

 遠くで何かが鳴き、葉が擦れる。

 

 やがて、ルイジェルドが口を開いた。

 

「最初は、戦士かと思った」

「なに…?」

「お前のことだ。ジークフリート」

 

「赤竜の下顎で出会ったお前は強い戦士だった。不甲斐ない俺の代わりにルーデウスを助けてくれた、恩人だと思った」

「だが、今日のお前は違う。戦いの中で心を乱し、仲間を危険に晒した」

 

 炎が揺れる。

 

「…まるで、子供だ」

 

 沈黙。

 

 焚き火の爆ぜる音がやけに大きい。

 

「俺は、騎士だ」

 

 低い、押し殺した声。

 

「そうは見えなかったがな」

 

 間髪入れずの返答。

 ルイジェルドは、視線を逸らさない。

 

「お前は何から逃げている」

「逃げてなどいない。俺は守るために――」

 

 言葉が、止まる。

 続かない。

 “守るために”の、その先が見つからない。

 

 ルイジェルドは、視線を外さない。

 

「守る者ほど、自分が弱いと知っている。知らぬまま振るう刃ほど、危ういものはない」

「強さに縋るのは、弱さから目を逸らす者だ」

 

 ジークフリートの喉が鳴る。

 

「子供であることは、罪か?」

 

 わずかに震えた声で返すジークフリート。

 

「罪ではない」

 

 即答だった。

 だが、とルイジェルドが続ける。

 

「自分が子供であることを認めぬ者は、他人を巻き込む。前から違和感はあったが、ようやく気付いた。お前は、子供だな」

「身体は大人だ。だが中身は、子供だ」

 

 ジークフリートは兜を触る。

 外さない。

 

 だが。

 

 留め具を握る。

 緩めない。

 ただ、握る。

 

 焚き火の光が、兜の隙間から差し込む。

 荒い息が、内側で反響する。

 

 ルイジェルドはそれを見る。

 だが、何も言わない。

 

 シャンドルも気づいている。

 それでも。

 誰も、脱げとは言わなかった。

 

 

 

 

 ルイジェルドとシャンドルは、ほどなく寝息を立てはじめた。

 ジークフリートだけが起きている。

 

 兜は外さない。

 

 鉄の留め具に触れる。

 感触を確かめるように、指先でなぞる。

 金属は冷たい温度を返した。

 

 焚き火が揺れる。

 

 赤い火の粉がひとつ、夜へと消えた。

 

 声が、耳の奥で反響する。

 

 ――なれるわけがない。

 

 呼吸が浅くなる。

 鎧の内側で、汗が冷える。

 

 どうして父は揺るがなかったのだろう。

 

 あの嵐の中で。

 あの戦いの中で。

 

 わからない。

 

「眠れないか」

 

 目を閉じたまま、ルイジェルドが言う。

 

 ジークフリートは答えない。

 沈黙は、責めるでもなく、慰めるでもなく、ただそこにあった。

 

 やがて、何かが飛んできて胸に落ちる。

 

 毛布だった。

 

「うーん、今日は冷えますねえ……むにゃむにゃ」

 

 寝ぼけた声。

 それきり、静かになる。

 

 わからない。

 わからないが、毛布の温もりは、焚き火よりも柔らかかった。

 

 いつの間にか、意識が沈む。

 

 鎧は脱がない。

 

 だが、留め具を触る手は、眠りに落ちるまで離れなかった。





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