玉葱騎士、六面世界に立つ   作:プラザ合意

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第14話 王竜王国その1

 

 ノルン、アイシャを護衛しつつ、ルーデウスのいるシャリーアを目指して中央大陸を旅するジークフリート一行。

 辿り着いたのは、王竜王国。

 

 中央大陸でも有数の規模を誇るその国は、山脈と共に在る国だった。

 背後に連なる王竜山脈は、まるで国そのものを守護する壁のようにそびえ立っている。

 

 だが今、その壁は牙を剥いていた。

 

「……通れない、か」

 

 街道の入口には封鎖の札。

 簡素な木板に刻まれたその文字は、軽いものではない。

 兵士たちが往来を止め、緊張を隠そうともしない。

 

「王竜山脈で王竜と、"赤災"と呼ばれるはぐれ竜の縄張り争いが起きているらしい。今は近づけないそうだ」

 

 ルイジェルドの言葉に、ノルンが不安そうに眉を寄せた。

 

「じゃあ、どうするんですか?」

「迂回路はあるが……密林を抜けることになる。視界が利かず、魔物も多い。お前たちを連れて行くには危険だ」

「……ですよね」

 

 アイシャも素直に頷く。

 無理を言えば通るかもしれないが、それが最善ではないことは理解している。

 

 少しの沈黙。

 風が、封鎖札を揺らした。

 

「……なら、終わらせるか」

 

 ジークフリートが小さく呟いた。

 

「え?」

「王竜を間引けばいい。原因がそれなら、それを取り除く」

 

 あまりにも単純で、あまりにも現実離れした結論だった。

 

「そんな簡単に言うことじゃないでしょう……」

 

 ノルンが呆れたように言う。

 だがジークフリートは気にしない。

 “できること”を言っただけだ。

 

「誰でも募集しているらしい。参加する」

「俺も行こう」

 

 横から低い声。ルイジェルドが同意する。

 迷いはない。

 

「任せた」

 

 短く頷くジークフリート。

 

「師匠はどうしますか?」

「んー、私は遠慮しておきますかねぇ」

 

 軽い調子でシャンドルが肩をすくめる。

 

「ちょっと顔が知られすぎてまして。面倒事は避けたいんですよ。それに、護衛は必要でしょう? ノルンちゃんとアイシャちゃんを頼まれましたし。ジンジャーさんと一緒に二人を守りますよ」

 

 笑みを浮かべるシャンドル。

 その笑みは飄々としているが、どこか底の見えない色を含んでいた。

 建前と本音が、半ば溶け合っているような笑みだ。

 

「そうですか。ではよろしくお願いします」

「はい。ま、王竜相手でも今の君とルイジェルドくんなら余裕でしょう」

 

 軽い調子。

 まるで散歩の行き先でも語るかのような気安さだった。

 その言葉に、わずかに眉を寄せたのはジンジャーだった。

 

「……失礼ですが、王竜はそこまで容易い相手ではありません」

 

 声音は穏やかだが、はっきりと釘を刺す響きがある。

 

「体躯は巨大。外皮は並の武器では通らず、加えて重力魔術を操る強敵です。いかにジークフリート殿とルイジェルド殿が強くとも、油断してよい相手では……」

 

 言葉の裏には、護衛対象を預かる者としての責任が滲んでいた。

 シャンドルはその様子を見て、小さく笑う。

 

「そうですか?どうです、二人とも」

 

 視線が向けられる。

 ジークフリートは、ほんの一拍置いてから答えた。

 

「竜の相手は慣れています」

 

 その声に揺らぎはない。

 

「問題ありません」

 

 誇示でも虚勢でもない。事実を述べているだけの響きだった。

 続けて、ルイジェルドが低く口を開く。

 

「ジークと同じだ。戦士に油断はない」

 

 短い言葉。

 だが、その一言で十分だった。

 

「勝てる戦いを落とすこともない」

 

 瞳が静かに細められる。

 場に、わずかな沈黙が落ちた。

 ジンジャーは二人を見つめ――やがて、静かに息を吐く。

 

「……承知しました。お二人の実力、疑うつもりはありません」

 

 だが、と続ける。

 

「それでもなお、護衛対象を預かる以上、私は最悪を想定して動きます」

「それでいい」

 

 ジークフリートは即答した。

 

「守るべきものがあるなら、臆病であることは恥ではない」

 

 その言葉に、ジンジャーはわずかに目を見開き、やがて小さく頷いた。

 

「……心強いお言葉です」

 

 一方で、シャンドルはくすりと笑う。

 

「いやぁ、真面目な人たちですねぇ」

 

 だがその目は、どこか楽しげだった。

 

 

 

 

 当日。

 

 王竜山脈の麓は、人で埋め尽くされていた。

 

 立場も実力も違う者たちが、同じ目的で集まっている。

 誰もが武装し、緊張を纏っている。

 

 その中に――

 

 ひときわ場違いな存在がいた。

 

 小太りの青年。

 顔色は青く、手は震えている。

 今にも吐き出しそうなほどに怯えている。

 最低限の武装はしているが、まさに着られているといった風体で、全く馴染んでいない。

 

「……あれは」

 

 ジークフリートは足を止めた。

 

 周囲の声が耳に入る。

 

「シーローンの第七王子だとよ」

「かなりの問題児らしいぜ」

「なんでこんなとこに……」

 

 パックス・シーローン。数々の悪事がバレ、シーローン王国からほぼ追放のような形で留学に出された王子。彼は供回りもつけず、一人で立っていた。

 その名は、噂の中で十分すぎるほどに汚れていた。

 

 だが――

 

(逃げない、か)

 

 震えている。

 視線も定まっていない。

 

 それでも、立っている。

 

 

 ジークフリートは少し考えると、パックスへと歩み寄った。

 

 

 

 

 冷えた風が、人々の間を吹き抜ける。

 冒険者たちがざわめきながら、これから始まるであろう戦いへの備えを進めていた。

 

 武器の音。喧騒。鉄の臭い。

 

 その只中で、パックス・シーローンは荒く息を吐いていた。

 

 供回りも、護衛もおらず、故郷であるシーローン王国を遠く離れ、たった一人で戦場に立っている。

 

 どうしてこんなことになったのか。

 

 ロキシーの授業を真面目に受けず、ついには逃げられたせいか?

 ロキシーをおびき出すために、あの下女の親子や、あのいやらしい顔をしたルーデウスとかいうガキを捕らえたせいか?

 ザノバ兄上の怒りを買い、悪事を全てバラされたせいか?

 

 どれも間違っていないが、どれも正確ではない。

 

 わかっている。

 シーローンを追放されたのは、元はと言えば王族としての責務を全うしなかったせいだ。

 

 王子として全うすべき鍛錬を怠り、欲に流されロキシーという優れた魔術師を逃し、果てには見捨てられ人質として王竜王国に送られた。

 

 惨めだ。

 

 とてつもなく、惨めだ。

 

 王子として生まれながら、 今の自分には誇れるものが何一つない。

 

「……っ」

 

 震える指を、無理やり握り込む。

 

 怖い。

 逃げたい。

 

 それでも、王族として立っていなければならない。

 そうでなければ、自分は本当に“何者でもない”。

 

「貴公」

 

 そこへ、玉葱のような鎧に身を包んだ騎士が声をかけてきた。

 

 自分より二回りほども大きい体躯の騎士を見上げる。

 

 重圧を感じ、喉がひくりと震える。

 この圧には覚えがある。

 ザノバ兄上と同じ、強者特有の圧。

 本人に威圧する意図はないのだろう。だが、その気になれば人など片手で引き裂ける生物がすぐ近くにいる。

 

 それだけで、本能が怯える。

 まるで、巨大な魔物を前にしているようだった。

 

「……な、なんだ、貴様」

 

 なんとか、口を開く。

 だが、声はわずかに掠れていた。

 

「私の名前はジークフリート。カタリナ騎士だ」

「…ふ、ふん、シーローン王国第七王子、パックス・シーローンである」

 

 顎を上げる。

 王族らしく。

 惨めに見えぬよう。

 

「で、名も知らぬ国の騎士が何用だ」

 

 ジークフリートは静かに見下ろす。

 確認するような、心配するような視線。

 

「なぜここにいる」

「……は?」

「場違いだ。このままでは死ぬぞ」

 

 その言葉に、顔が歪む。

 

 恐怖を。

 焦燥を。

 惨めさを。

 真正面から突きつけられた気がした。

 

「……関係ないだろう。失せろ」

「子どもが来る場所ではないということだ」

「…!何も知らずに……!」

 

 怒声。

 感情が弾ける。

 

「偉そうに言うなっ!!」

 

 王子としてではなく、怯える子供のように叫ぶ。

 

「いいから失せろ!」

「……わかった」

 

 ジークフリートは、怒ることも、呆れることもなく、ただ静かに踵を返した。

 

「くそっ、くそっ!みんな、みんな同じだ……余を、余を馬鹿にしおって……!」

 

 吐き捨てるように呟く。

 

 逃げたい。

 今すぐ、この場から。

 王族も。誇りも。責務も。全部投げ捨ててしまいたい。

 

「……っ」

 

 脳裏に、一人の少女の顔が浮かぶ。ベネディクト・キングドラゴン。

 薄水色の髪の彼女。小柄で、感情が薄く、話しかけてもうまく言葉を返してはくれなかった。

 

 だが、彼女は自分を見てくれた。

 一生懸命、笑いかけてくれた。

 

 王子だからではない。

 パックス・シーローンという人間を見てくれた、数少ない相手。

 

 彼女といる時だけは、穏やかな自分になれた。

 

「……ふざけるな」

 

 震える足を、無理やり止める。

 ここで逃げれば。

 

 彼女にまで、失望されるかもしれない。

 それだけは――嫌だった。

 

 

 

 

 ジークフリートがもとに戻ると、ルイジェルドが口を開く。

 

「どうした?」

「いや、少し気になってな」

 

 遠巻きにパックスを見る。

 

「あの男か。なぜだ?」

「ああ。…理由は分からないが、どこかルーデウスに似ているような気がしてな」

「なに?まったく似ていないだろう」

「見た目はその通りだが…なぜだろうな。どこか、似ている気がするんだ」

「…理解できんな」

 

 顔をしかめるルイジェルド。

 

「ちゅうもーく!!!」

 

 話を遮るように、大声が響き渡る。

 どうやら、討伐隊を指揮する騎士たちが演説を始めるようだ。

 ざわざわとしながら、冒険者や傭兵たちが集まる。

 

「私はレオナルド陛下から竜討伐の人を任命されし――」

 

 騎士が口を開いた、その瞬間。

 

 空気が、歪んだ。

 

 次の瞬間――"複数"の咆哮。

 

 大気が震え、音が質量を持って叩きつけられる。

 

 ぐしゃり、と騎士たちが潰れる。

 鮮血が前にいた冒険者たちの身体を濡らす。

 

 沈黙。

 

 数瞬遅れて、それを割くように、誰かが叫ぶ。

 

「う、うわぁぁあああ!!!」

 

 統制は、一瞬で崩壊した。

 

 逃げ出そうとする冒険者たち。しかし、その動きは鈍い。

 

 空気が――沈む。

 

「……っ?」

 

 足が重い。

 いや、違う。

 

 地面に押し付けられている。

 

「重力……か!」

 

 視界の奥に、金色の竜が映る。

 

 空を覆う影。

 

 地を這う巨躯。

 

 一体だけではない。

 二体、三体――数十体の王竜がそこにいた。

 単体での強さなら赤竜を超えると言われる王竜が、群れをなしている。

 

 その中で一回り大きい個体が、ゆっくりと前に出る。

 

 一歩。

 

 それだけで、大地が沈む。

 

 一軒家ほどの巨体。

 外皮は甲羅のように分厚く、光を鈍く弾く。

 生半可な攻撃では、傷一つつかないことだろう。

 

「散開しろ!近づくな!」

 

 誰かの叫びは正しい。

 

 だが――遅い。

 

 王竜が跳んだ。

 その巨体で。

 

 あり得ない速度で。

 

「は――?」

 

 落下。

 

 衝撃。

 

 数人の冒険者がまとめて地面に叩き潰される。

 悲鳴すら、上がらない。

 潰れた地面から、王竜の体躯に追いすがるように血が浮かび上がる。

 重力に押し潰されながらも、なお上に引きずられるように。

 

「く、くそったれが!!」

「ひ、怯むな!王竜を包囲しろ!」

 

 生き残った騎士が必死に指示を出す。

 しかし統制は取れていない。

 竜の群れは一斉に襲いかかり、冒険者や騎士たちを蹂躙している。

 

「……」

 

 ジークフリートは考える。

 重圧はかなりのものだ。

 だが、動けないほどではない。

 

「正面から私が叩く。ルイジェルド、貴公は被害を出さないよう立ち回ってくれ」

「わかった」

 

 重力の影響を受けながらも、冒険者たちのフォローに回るルイジェルド。

 

 それを横目に見ると、ジークフリートは右手に竜狩りの大斧、左手にグレートソードを具現化した。

 

 異形の二刀流。

 本来、両立し得ない重量と間合い。理外の構え。

 しかし、竜相手にはこれが"効く"ということをジークフリートは理解していた。

 

 王竜に向かって一歩踏み込む。

 

 踏み込みで地面が抉れる。

 重力を踏み砕くように。

 

 王竜が反応する。

 巨体が、再び跳ぶ。

 

 今度はジークフリートへ。

 

 正面衝突。

 

 迎え撃つ。

 

 大斧とグレートソードを振り上げ、叩きつける。

 

 轟音。

 

 衝撃波が爆ぜ、周囲の地面が放射状に砕け飛ぶ。

 近くにいた冒険者たちが吹き飛ばされ、悲鳴を上げた。

 

「な――ッ!?」

 

 王竜の巨体が、止まっている。

 本来ならば、人など踏み潰されて終わる。

 だが今。

 人間が、竜を押し返していた。

 

 地に落ちた王竜の巨体と、ジークフリートの大斧とグレートソードが鍔迫り合う。

 

(……硬い)

 

 刃が通らない。

 

 次の瞬間、圧が増す。

 王竜が重力魔術を用いる。

 

 ジークフリートの体が、地面に沈む。

 

「グォォォォォォォ!!」

 

 重力の勢いのまま押し潰そうとする王竜。

 ジークフリートはジリジリと押し込まれ、拮抗が崩れ始める。

 

 ――本来、竜と人との戦いというものは、圧倒的な火力を持つ竜に対し、人間はそれを回避し、小さな攻撃を積み重ねていくものだ。

 

 しかし、竜の群れに対しそんなことをしていればすぐに囲まれ、死ぬ。

 

 だからこそ、ジークフリートは戦い方を歪めた。

 火力を押し付ける。

 正面から、引き裂く。

 常識を捨てた、狂気の戦法。

 

「…"雷の剣"」

 

 奇跡を編む。

 竜狩りの大斧から、火花のように雷が奔る。

 その雷がグレートソードに絡みつき、剣が太陽のような光を帯びる。

 

 重力で軋む筋肉。

 だが止まらない。

 

 動き続ける。

 重力の中で。

 王竜の圧の中で。

 

 人間が動けるはずのない場所で。

 

「オオォオオオッッ!!!」

 

 双雷と化した一刀一斧が、地から逆落ち、王竜を弾き飛ばす。

 

「グギャ――!?」

 

 王竜の巨体が浮く。

 ――ありえない。

 それを成したのは、人だ。

 

 外皮が軋む。

 王竜が怯む。

 

 ジークフリートはグレートソードを天に構える。

 

 狙うは一点。

 

 弾き飛ばした時、傷つけ、鱗を砕いたその場所。

 

 重力魔術の勢いが加えられ、とてつもない勢いで王竜が落下する。

 重力の切り替えは間に合わない。

 

 ずぶり、と肉をかき分け、グレートソードが王竜の体を貫く。

 

「ギャァァァァァッ!!」

 

 王竜の悲鳴が上がる。

 

 そして、電撃がジークフリートから迸り、王竜の肉体を内側から焼く。

 

「グギャァァアアアア!!!」

 

 けたたましい叫び声とともに、王竜が暴れまわる。しかし、ジークフリートは決して剣を抜かせない。のたうち回る王竜の爪やヤスリのような鱗が何度もジークフリートに直撃するが、全く動じない。

 

 やがて、王竜の抵抗はだんだんと小さくなり、最後には動かなくなり、絶命した。

 

 ジークフリートは、剣ごと死骸を振り払う。

 巨体が転がり、血が地を染める。

 

 一瞬、戦場が止まる。

 誰もがジークフリートを見ていた。

 

 あれは、本当に“人間”か。

 

「……勝てる……」

 

 誰かが呟く。

 震えた声。

 だが、それは次の瞬間、叫びへと変わる。

 

「勝てるぞ!!あの玉葱の騎士に続け!!」

 

 空気が変わり、恐怖が押し流される。

 

 その中心で、ジークフリートはもう次へと走り出していた。

 喧騒と咆哮が入り混じる戦場の中で、対照的に彼の意識は静かだった。

 

 視界の端に、ちらりと小太りの青年が映る。

 

 パックス・シーローン。

 

 土煙の向こう、よろめきながら走っている。

 

 逃げている。

 だが、ただ逃げているだけではない。

 

「右だ!そっちは死角になる!」

「そいつは囮に使え!どうせ助からん!」

 

 張り上げられる声は震えている。

 だが、内容は的確だった。

 

 混乱の中でも指示を飛ばしている。

 合理的で、冷酷とも言える。

 

 だが――機能している。

 

 実際に、彼の言葉で何人かが生き延びていた。

 

(……なるほど)

 

 ジークフリートは雷の矢を放つ。

 閃光が走り、おとりに使われた兵士の背後に迫っていた王竜の頭部を撃ち抜いた。

 

 怯む王竜。その隙に兵士は転がるように離脱した。

 

(戦場が見えている)

 

 一人、そう結論づける。

 

 その瞬間。

 

「ふぎゃっ!」

 

 パックスが重力で地面に叩きつけられる。

 うまく立ち回っていたが、限界がある。

 王竜の影が、ゆっくりと覆いかぶさる。

 

「―――あ」

 

 息が止まる。

 動けない。

 

 死。

 

 確定した未来のように、圧が降りてくる。

 

 

 その直前、風が走った。

 

 衝撃。

 

 王竜の頭部が横へ弾き飛ぶ。

 鱗を砕き、巨体が崩れ落ちる。

 

「……下がれ」

 

 低く、短い声。

 ジークフリートだった。

 

「……はぁ、はぁ……っ」

 

 パックスはその場に崩れそうになりながらも、必死に踏みとどまる。

 視界が揺れ、耳鳴りが止まらない。

 

 ジークフリートは淡々と問う。

 

「なぜここにいる」

「……」

 

 答えられない。

 だが、逃げもしない。

 

「力が足りない身であっても、戦おうとしている。理由があるはずだ」

 

 しばしの沈黙。

 やがて、吐き出すように言う。

 

「…………女だ」

「……女?」

 

「余には好きな女がいる。ベネディクト・キングドラゴン」

 

 その名を口にした瞬間、パックスの目に宿る色が変わった。

 

 恐怖ではない。

 

 執着。

 あるいは――覚悟。

 

「余は……あいつを守れる男になりたい」

 

 絞り出すような声。

 

「嘲られる立場のあいつを…見ていられなかった」

 

 陰で囁かれる嘲笑。

 それが自分だけに向けられているものではないと、パックスは知っていた。

 知ってしまった。

 

「シーローンの出来損ないが、王竜王国の出来損ないに近づいているなどと……好き勝手言われている!」

 

 握り締めた拳が震える。

 

「だから、見返してやりたい!」「余が!あいつに相応しい男だと証明したい!」

 

 叫びに近い告白だった。

 

 しばらく、沈黙が落ちる。

 

「……そうか」

 

 ジークフリートは静かに頷く。

 好きな女性のため、という点はあまり理解できなかったが、彼も誰かを守るために戦う男なのだと、理解した。

 

 パックスは小悪党なのかもしれない。

 過去も変わらない。

 だが、今この瞬間だけは違う。

 逃げずに立ち、前に進もうとしている。

 それだけで、十分だった。

 

「事情は分かった。だが、貴公自身が戦うのは何の意味もない」

「なんだと!?」

「わかっているだろう。貴公は戦いには向いていない」

「っ……!」

 

 反射的に顔が歪む。

 その言葉は痛いほど理解していた。

 

 剣も駄目。魔術も凡庸。度胸もない。

 

 だが――

 

「自分で戦う必要はない」

「……なに?」

「私を指揮しろ」

 

 沈黙。

 戦場の喧騒だけが二人を包む。

 

「王子だろう。兵を使え」

「……できるわけが」

「できる」

 

 即答だった。

 迷いも。侮蔑も。嘲笑もない。

 まるで、当然だと言うように。

 

「貴公を見た。その上で、貴公ならできると判断した」

 

 パックスは目を瞬かせる。

 

 理解できなかった。

 今まで、そんなふうに言われたことがなかったからだ。

 

 教師には呆れられた。

 兄たちには見下された。

 家臣たちは陰で嗤った。

 

 誰も、自分に期待などしていなかった。

 

 王族失格。出来損ない。愚王子。

 それがパックス・シーローンだった。

 なのに、この男は。

 まるで当たり前のように、"お前ならできる"と言ってくれた。

 

「粗はあるが、貴公の指揮は的確だった。信頼できる」

「王子として兵を指揮する経験を積んできたのだろう。感嘆に値する」

 

 はじめて、自分なりに重ねてきた努力を、褒めてくれた。

 

「……どうした?彼女を守れる男になるんじゃなかったのか?」

「お前ならやれるだろう。パックス」

 

 王子という肩書は、ずっと嫌いだった。

 重くて。苦しくて。自分を惨めにするだけの名前だった。

 だが今は違う。

 その言葉が、 初めて“役割”として胸に落ちた。

 

 パックスの目に、火が灯った。

 

「――ふん!無礼な!…しかし、今は許そう」

 

 息を吸う。

 震えを押し殺す。

 

「騎士ジークフリート!余の指揮に従い、王竜を殲滅しろ!」

 

 叫ぶ。

 

「承った」

 

 ジークフリートが、即座に動いた。

 迷いなく、疑いなく、当然のように。

 

 自分の命令に従った。

 

「――っ」

 

 息が詰まる。

 王族として命令したことはある。

 だが、こんなことは初めてだった。

 誰かが、本気で自分の言葉に従っている。

 それも、あの化け物じみた騎士が。

 

「左に引け!王竜を中央に寄せろ!」

 

 声が自然と出る。

 頭が回る。

 

 戦場が見える。

 人の流れ、王竜の動き、崩れかけた戦線。

 全部が、手に取るようにわかった。

 

「今だ!右翼を押し込め!」

 

 命令と同時に、ジークフリートが王竜を叩き潰す。

 戦場が、動く。

 自分の言葉で。

 

「……は、はは」

 

 笑みが漏れる。

 恐怖は消えていない。

 だがそれ以上に――

 生まれて初めて、 自分が必要とされている高揚感があった。

 

「今だ、突っ込め!」

 

 ジークフリートは、命令に従い動く。

 王竜の群れを切り裂き、戦線を押し戻す。

 

「あの玉葱騎士、強すぎんだろ!」

「あいつに指示出してる奴は何者だ!?」

 

 動揺が広がる。

 だが同時に――希望も広がる。

 

 王竜に蹂躙されるだけだった戦場が、少しずつ押し返し始めている。

 

「おい冒険者ども!ぼーっとしている暇があるなら戦え!右翼が崩れるぞ、補強しろ!」

 

 パックスの怒号。

 

「なんだあの小太り…偉そうに」

「だけどあの玉葱が従ってるんだ。俺たちも従って損はなさそうだぜ」

 

 徐々に統制が戻っていく。

 崩壊寸前だった陣形が繋がり、 混乱していた兵たちの動きが噛み合い始める。

 

 そして――

 その中心で。

 

 最も危険な場所を、 ただ一人で支えている者がいた。

 

 

 

 

 戦場中央。

 そこには三体の王竜がいた。

 

 巨体が地を踏み鳴らすたび、重力が軋み、周囲の瓦礫が沈み込む。

 

 三方向から、ジークフリートを囲むように陣取っている。

 

 黄金の竜眼が、目の前の騎士を“脅威”として睨み据える。

 

 逃げ場はない。

 敵意をむき出しにし、低く唸りながら襲い来る。

 

 右から尾が。

 左から爪が。

 正面から灼熱の炎が迫る。

 同時。

 だが、見えている。

 

 一歩踏み出す。相手の攻撃のタイミングをずらす。

 

 尾を、大斧で弾く。

 

 爪を、肩で受け流す。

 鎧が砕け、肩口が裂ける。

 

 血が飛ぶ。

 

 だが、止まらない。

 

 グレートソードを盾のように前に構え、炎を無理やりに突っ込んで抜ける。

 

「一体ずつだ」

 

 剣が走る。

 

 狙うのは急所ではない。

 

 関節。

 腱。

 鱗の噛み合う隙間。

 

 竜を“殺す”ためではなく、“崩す”ための斬撃。

 王竜の動きが鈍る。

 

 そこへ雷を纏った竜狩りの大斧。叩き潰す。

 

 頭蓋が砕け、巨体が地に沈む。

 

 一体目。

 

 間髪入れず、次。

 踏み込み、地面が爆ぜる。

 渾身の蹴りが王竜の顎を打ち抜き、 巨体が浮き上がる。

 

 巨体が浮く。

 あり得ない光景。

 

 空中で体勢を崩し、落下する王竜の首に剣を突き刺す。

 

「グギッ…!!」

 

 グレートソードが喉元から脳天までを貫き、血の混じった悲鳴とともに、王竜が絶命する。

 

 二体目。

 

「次」

 

 冷淡に呟くジークフリート。

 

 残り一匹の王竜が怯む。

 巨体が後ずさる。

 

 竜は退かない。

 竜は恐れない。

 竜は、空の覇者だ。

 

 だが今。

 

 その本能が、確かに告げていた。

 

 勝てない。

 

 死ぬ。

 

 生存本能が、絶対的な拒絶を叩きつけてくる。

 王竜は咆哮も上げず、反転した。

 

 翼を広げ、重力魔術を展開。

 空間が歪み、巨体が弾かれるように加速する。

 

 逃走。

 ただ一つの、生き残るための選択。

 

「逃がさん」

 

 ジークフリートの手元に、雷が収束する。

 黄金の稲妻が渦を巻き、 巨大な槍を形作る。

 逃げ去る王竜の背へ、雷槍を放とうとした――その時だった。

 

 風が、止まる。

 

「……?」

 

 空を見上げる。

 

 王竜たちが、一斉に動きを止めた。

 

 怯えたように空を見ている。

 

 そして――

 

 

 ――空が、割れた。

 

 

 轟音。

 

 赤い影が、雲を割いて突撃し、王竜を地に叩きつける。

 

 大地が陥没し、土煙が舞う。

 

「ギギャァァァ!!!」

 

 王竜の絶叫。

 その喉元に、赤竜が爪を突き立てていた。

 

「グゥルルル……」

 

 低い唸り声。

 血のような赤い鱗。

 灼熱のごとき瞳。

 

 王竜をねじ伏せ、翼を広げた雄大な姿はまるで一つの絵画のようであった。

 

「"赤災"…」

 

 誰かが呟く。

 戦場が、凍りついた。

 

 赤災は、ゆっくりと王竜を見下ろした。

 まるで、出来損ないを見るような目。

 

「ヒギッ……!」

 

 王竜が暴れる。

 だが、 逃げられない。

 赤災の爪が、 巨体を地面へ縫い止めている。

 

「ヒギャッ、ギッ、ギッ…!」

 

 赤災は口を開き、王竜の頭に食らいつく。

 

 ばりばり、ぼきぼき、と鱗が砕ける音が戦場に響く。

 

 生きたまま、食われる。

 

「ギャゴッ、グギッ、ギッ、ギギ…」

 

 王竜の断末魔が、戦場に響く。

 圧倒的な暴威の象徴であった王竜が、いとも簡単に餌に変わる。

 

 誰もが、災害を見る目で赤竜を見ていた。

 恐怖。 戦慄。 絶望。

 王竜すら怯える怪物。

 だが、その中でただ一人、 ジークフリートだけが違った。

 

 警戒でもない。

 

 敵意でもない。

 

 まるで"旧友を見るような目"で赤災を見つめていた。

 "首元に光る、橙色の蝋石"を見つめていた。

 

「……ヘルカイト?」

 

 赤竜山脈で共に戦い、生き抜いた竜。

 赤災は、ヘルカイトだった。





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