玉葱騎士、六面世界に立つ   作:プラザ合意

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第17話 王竜王国その4

 

 遠く、遠く。

 

 奴が、遠くなっていく。

 

 初めてだった。去っていく背中を見送る、などという経験は。

 

 遠ざかっていく馬車を見つめながら、ヘルカイトは今までに感じたことがない感情を感じていた。

 

 あの人間が、ジークフリートが、いなくなる。

 

 最初はただの獲物だった。

 邪魔だったから、退かそうとした。しかし、奴は殺したはずなのに何度でも復活し、立ち向かってきた。

 

 面白い、と思った。

 

 殺しても蘇る生き物は初めて見た。

 興味が湧き、側に置くことにした。

 

 ただの気まぐれ。

 自分は単体で充足している。他者など踏みつけ、薙ぎ払うだけの存在。根まで焼き尽くしてもまた生えてくる奇妙な雑草がいたから、興味が湧いただけ。

 

 だが意外にも、それからの日々は刺激的なものだった。

 

 共に戦うことが、これほどまでに心を躍らせるとは思ってもいなかった。

 

 共に狩り。共に暴れる。

 

 吹雪の夜。 騎士は、焚き火を焚いて黙って座っていた。

 最初は、眠らないのは何か企んでいるのではないかと思った。背を向ければ斬りかかってくるのではないかと。眠れば喉を裂かれるのではないかと。

 だとしても、負けない自信はあったが。

 

 だが、そんなことは一度もなかった。

 騎士は、妙な生き物だった。

 戦いを恐れない。死を恐れない。

 

 理解できない。

 だが、嫌いではなかった。

 むしろ――。

 

 気づけば、探していた。

 吹雪の中でも。赤竜の群れの中でも。

 あの白銀の鎧を。

 

 その姿が、遠くなっていく。

 

 馬車が遠ざかっていく。

 

 ヘルカイトは、その場で待っていた。

 数日もすれば戻ると思っていた。

 

 騎士は、時折ふらりと姿を消すことがあった。だが、必ず戻ってきた。

 

 だから今回も同じだと思っていた。

 

 だが、数日経っても。 数十日経っても。

 あの騎士は戻らなかった。

 

 いつものように餌の竜を狩り、寝床に戻る。一匹で。

 そして、いつものように餌を"二つに裂く"。

 

 裂いてから、ジークフリートがいないことを思い出した。

 

 前に戻っただけ。自分は孤高だ。一匹で十分生きていける。しかし、得体の知れない感情が胸の中にあった。

 

 怪我もしていないのに、胸がじくじくと痛む。

 

 あの騎士はまともに食事を取ろうとせず、自分が狩った獲物の分もほとんどこちらに寄こしてきたが、いつも無理矢理食わせてきた。施しは受けない。自分で狩った獲物は自分で食すべきだ。

 

 押し付けるような形にはなったが、迷惑そうにはしていなかった、と思う。

 

 騎士が兜を外し、竜の肉を食らうのを見るのは面白かった。

 

 理由は分からなかったが、とにかく面白かった。多分、戦っているのを見る以上に。

 やつが獲物を食べるのを見ながら、自分も獲物を食べるのは、なぜだか楽しかった。

 

 二つに裂かれた肉を見る。

 

 食らう。

 

 大して美味くは、なかった。

 

 ヘルカイトは鼻を鳴らし、残った肉を焼き払った。

 

 気に入らない。

 

 何が気に入らないのか、自分でもわからなかった。

 

 狩りは変わらない。縄張りも変わらない。赤竜たちは変わらず自分を恐れている。

 

 なのに、満たされない。

 

 吹雪の中で眠る。

 だが、妙に浅かった。

 

 僅かな物音で目が覚める。 無意識に周囲を見回す。

 白銀の鎧は、どこにもない。

 

「……グルル」

 

 苛立ちが喉を鳴る。

 それからも、何度も同じことを繰り返した。

 

 狩る。眠る。目を覚ます。探す。

 

 いない。

 どこにも。

 

 渡された橙色の蝋石を使い、連絡を取ることも考えた。

 だがありえない。誇り高き竜である自分が、人の言葉を使うなど考えられない。

 

 ある時、若い赤竜が寝床へ近づいてきた。

 縄張りを狙ったのだろう。

 普段なら、追い払って終わりだった。

 

 だが、その時のヘルカイトは違った。

 

 叩き潰した。

 骨を砕き。 炎で焼き。 原形が消えるまで。

 八つ当たりだった。

 自分でも、それは理解していた。

 

 低く唸る。

 その時、ふと、思い出す。

 

 騎士が時折見ていた方角。 山脈の外。 遥か遠く。

 

 ヘルカイトは空を見上げ、飛び立った。

 初めて自ら縄張りを離れた。

 

 そうして、"彼女"の当てもない旅は始まった。

 

 

 

 

 会議の翌日。

 

 騎士団は予定通り王竜の群れの抑えへ向かい、ジークフリートは単独で赤災――ヘルカイトとの接触へ向かうこととなった。

 ランドルフは後詰めとして後方に待機している。

 

 空は重く曇っていた。 山脈を吹き抜ける風は鋭く、まるで刃のように肌を裂く。

 遠くでは、既に王竜と騎士団が衝突しているのだろう。咆哮と爆音が、微かに響いていた。

 

「何かあれば、即座に割り込みますからね」

 

 ランドルフはいつもの気怠げな口調でそう言った。

 

「あなたが説得したいのは理解しましたが、こちらとしても国が滅ぶのは困りますので」

「……ああ」

 

 ジークフリートは短く頷く。

 

「だが、できれば手を出さないでほしい」

「はあ…本当にあなたは勝手で頑固ですね」

「……すまない」

「もういいですよ……まあ、珍しいお祖父様の頼みですし、仕方ないか……」

 

 最後の部分は小声で、うまく聞き取れなかったジークフリート。

 

「…?」

「なんでもありませんよ。それより急いだほうがいいのでは?」

「あ、ああ」

 

 ジークフリートは山脈を一人進む。

 

 地面には王竜の死骸が転がっていた。 焼け焦げたもの。 爪で裂かれたもの。 頭部ごと砕かれたもの。

 赤災が通った跡だ。

 

 そして、山脈の奥。

 無数の死骸の中央で、一匹の赤竜が静かに佇んでいた。

 

 赫灼たる鱗。山のような巨体。燃えるような瞳。

 ヘルカイト。

 その灼熱の瞳が、ゆっくりとジークフリートを見下ろす。

 

「ヘルカイト……」

 

 低く、喉が鳴る。

 “何をしに来た”

 そう言わんばかりの視線だった。

 

 ジークフリートは、ゆっくりと歩み寄る。

 逃げない。剣も抜かない。

 

「――すまなかった」

 

 ヘルカイトの瞳が僅かに細まる。

 

「あの時……久しぶりに会ったのに、一番にかける言葉ではなかった」

 

 静かな声だった。

 責めるでもない。 言い訳するでもない。

 ただ、悔いている声音。

 風が、二人の間を抜けていく。

 

 ヘルカイトは答えない。

 

 ただ、じっとジークフリートを見ていた。

 

「……お前は、寂しかったのか?」

 

 ぴくり、と。

 ヘルカイトの尾が揺れた。

 その反応だけで十分だった。

 ジークフリートは目を伏せる。

 

「もしそうだとするなら……私は、お前に悪いことを――」

 

 瞬間。

 轟音。

 赤い巨体が爆発的な速度で踏み込んだ。

 

「――ッ!!」

 

 咆哮。

 怒り。

 赫炎。

 巨大な爪が、空間ごと引き裂く勢いで叩き込まれる。

 

 ジークフリートは即座に黒鉄の大盾を具現化し、正面から受け止めた。

 

 大地が砕ける。

 吹雪が弾け飛び、周囲の死骸が宙を舞った。

 

「グルルルルルルルル!!!!」

 

 ヘルカイトが吠える。

 その瞳には激しい怒りが燃えていた。

 

 ――寂しかった?

 ――私が?

 ――矮小な人間風情が。

 

 そんな感情など、自分にあるはずがない。

 孤高の竜。 赤災。 王竜すら焼き払う災厄。

 その自分が、一匹の人間を失った程度で。

 胸を痛めた?

 探し回った?

 眠れなかった?

 

 ふざけるな。

 認めるものか。

 

「ッ……!!」

 

 ジークフリートは歯を食いしばる。

 重い。

 一撃一撃が、あまりにも重い。

 

 力だけではない。

 この攻撃には、感情が乗っていた。

 怒り。 苛立ち。 そして――悲しみ。

 

「……!」

 

 後方でランドルフが目を細める。

 割り込むべきか。

 そう判断しかけた、その時。

 

「頼むッ!!」

 

 ジークフリートが叫んだ。

 

「私に任せてくれ!!」

 

 ヘルカイトの爪を盾で押し返しながら、叫ぶ。

 

「こいつは……話をしているんだ!!」

 

 ランドルフは動きを止めた。

 そして、僅かに目を見開く。

 赤竜の猛攻。それを受け止めながら、ジークフリートは一歩も退かない。

 

 いや。

 退かないのではない。

 退けないのだ。

 ここで逃げれば、ここで誰かに頼れば。

 

 きっと、ヘルカイトは二度と本音を見せない。

 だから、受け止めるしかない。

 怒りも。痛みも。寂しさも。

 全部。

 

 ヘルカイトの爪を盾で受け止めながら、ジークフリートが喋る。

 

「私は、お前をわかったつもりになっていた」

 

 炎が盾を焼く。鎧が赤熱する。

 それでも、退かない。

 

「共に戦っていれば十分だと思っていた!言葉などなくても、お前のことを理解しているつもりだった!」

 

 ヘルカイトが吼える。爪撃。

 大盾が砕ける。

 

 それでも、ジークフリートは前へ出る。

 

「だが違った!」

 

 叫ぶ。

 

「私は、お前のことを何も知らなかった!!」

 

 ヘルカイトの動きが、一瞬だけ止まる。

 

「お前が何を考えていたのか!何を感じていたのか!私は何一つ――!」

 

 言葉が詰まる。

 荒い呼吸。

 

「……教えてくれ」

 

 今度は、叫びではなかった。

 

「ヘルカイト。お前のことを」

 

 赫い瞳が揺れる。

 

「今さら遅いのはわかっている」

「それでも……私は、お前と過ごした時間を、なかったことにしたくない」

「だから、頼む」

 

 ジークフリートは砕けた盾を下ろす。

 無防備に。真正面から。

 

「もう一度だけ、私に向き合わせてくれ」

 

 ジークフリートは盾を下ろしたまま、ヘルカイトを見上げていた。

 

 赫い瞳が、じっと騎士を見下ろす。

 

 怒りは、まだ消えていない。裏切られたという感情も。置いていかれたという苛立ちも。

 

 だが、それでも。

 この男は、逃げなかった。

 取り繕うこともしない。言い訳もしない。ただ、不格好に、真正面からぶつかってきた。

 

 沈黙。

 風だけが一人と一匹の間を吹き抜けていく。

 どれほど時間が経ったのか。

 ぼう、と地が橙色に光る。橙色の助言ろう石の力。地面に直接書かずとも、言葉を残すことができる。

 

"今回だけ、許してやる"

 

「ヘルカイト…!」

 

 ヘルカイトは翼を広げる。暴風が巻き起こり、砂煙が吹き荒れた。

 

 背を向け、飛び立とうとする。

 

「待ってくれ!」

 

 ジークフリートが思わず声を上げる。

 ヘルカイトは振り返らない。

 

「……まだ、話したいことがある」

 

 その言葉に、赤い尾が僅かに止まった。

 

「私は、お前のことを知りたい」

「お前が何を考えているのか。何を見てきたのか。何が好きで、何を嫌うのか」

「だから……もしよければ」

 

 少し迷って。

 不器用に。

 

「また、一緒に飯を食わないか」

 

 ヘルカイトは、ゆっくりと振り返った。

 赤い瞳が、ジークフリートを見る。

 

 その口元が、僅かに吊り上がったように見えた。

 嘲笑だったのか、呆れだったのか、それとも――

 

 次の瞬間、轟音と共に赤い巨体が空へ舞い上がった。

 空を裂き。雲を焦がし。災厄の竜は飛び去っていく。

 その姿を見送りながら、ランドルフは小さく息を吐いた。

 

「……本当に説得しましたねえ」

 

 半ば呆れたように呟く。

 

「普通、赤災相手に“また飯を食わないか”で会話締めませんよ」

「そ、そうなのか?」

「そうですよ」

 

 ランドルフは即答した。

 だが、その口元には僅かに笑みが浮かんでいた。

 少なくとも。

 あの赤い怪物は、もうただの“災厄”ではないのだろう。

 

 

 

 

 その後の顛末を語ろう。

 赤災は去り、王竜たちもパックスの指揮のもと、騎士団によって抑え込みが完了。王竜山脈の騒乱は、ひとまずの終息を迎えた。

 

 封鎖されていた街道も再び開かれ、人々は恐る恐るながらも往来を再開していく。

 

 また、突如現れ、王竜を蹂躙し、赤災を退けた“玉葱騎士”については、国内で大きな話題となった。様々な憶測が飛び交い、中には国王自ら謁見を望む声まで上がったらしい。

 だが結局、その話は有耶無耶のまま流されることとなった。

 

 この奇妙な幕引きには、七大列強第五位“死神”ランドルフ・マリーアンと、新任指揮官パックス・シーローンによる執り成しがあったとか、なかったとか。

 

「はー……大変でしたよ、お祖父様……」

 

 深々とため息を吐くランドルフ。

 場所は、王竜王国の外れ。出立前の街道脇だった。

 向かいには、古ぼけた鎧に身を包んだ黒髪の戦士。

 シャンドル・フォン・グランドール。

 

 ――否。

 

 “北神二世”と呼ばれる伝説の英雄。本名、アレックス・カールマン・ライバック。

 

「ははは、お手数をおかけしましたね。我が孫よ」

 

 豪快に笑うシャンドルに、ランドルフは頭を抱えた。

 

「本当にですよ。突然押しかけてきたと思えば、“弟子の手助けをしてほしい”などと」

「いやあ、ジークくんは政治とか苦手そうですからね。ずいぶん助かりました」

 

「…そこまで気にかける理由はわかりましたよ。彼は強いが、幼く、危うい。アレクサンダー叔父さんによく似ています」

 

 ランドルフは、遠く山脈の方を見る。

 

「あの歳で、あの強さ。あの精神性。放っておけば、いずれ自分を壊したり、道を間違えてしまうかもしれない」

「ええ。だからこそ、私が教えているんです」

 

 シャンドルは静かに頷いた。

 

「まあ、彼は素直ですし、アレクのようにはならないでしょう」

「素直すぎて、ちょっと馬鹿みたいなところもありますがね」

「はは!そこも可愛いところですよ」

 

 シャンドルは愉快そうに笑う。

 

「さて、そろそろ出発の時間なので失礼します」

「ええ。王竜王国には当分来ないでいただけるとありがたいですねえ…王に言い訳をするのにずいぶん無理をしましたので」

「これは手厳しい」

 

 肩を竦めるシャンドル。

 

「――お祖父様」

 

 不意に、ランドルフが呼び止める。

 

「なんですか?」

「彼を、ジークフリートを。どうするつもりですか?」

 

「彼は力だけを持った子供です。騎士であろうとしているのはわかりますが、あまりにも危うい」

 

 風が吹く。

 しばし沈黙。

 やがてシャンドルは、小さく笑った。

 

「さて」

 

「それは、彼が決めることですよ」

 

 そう言って。

 北神二世は、笑った。

 

 

 

 

「貴様には世話になったな、ジークフリート」

 

 パックスが腕を組み、どこか誇らしげに言った。

 

「大したことはしていない」

「いや、お前のおかげで余は目が覚めた。やっと覚悟ができたのだ」

「そうか」

 

 ジークフリートは小さく頷く。

 

「……そういえば、ベネディクトという女性についてはどうなんだ?」

「ふっ……よくぞ聞いたな」

 

 途端に、パックスの顔に得意げな笑みが浮かぶ。

 

「もちろん、バッチリうまくいっておる。余たちを嘲るものなどもうおらん!」

「それは、本当によかったな」

 

 素直にそう返すジークフリート。

 くくっ、とパックスは笑う。

 

 以前の自分なら、こうして自然に笑うことなどなかっただろう。なにもかもに反発し、腐り、苛立ってなにかに当たり散らすしかなかっただろう。

 

 だが今は違う。

 戦場を越え。命を預け合い。友ができた。大きく成長できた。

 

「……で、お前はこれからどうする?」

 

 パックスが問う。

 

「また旅に戻るのか?」

「ああ。私はまだ未熟だ。学ぶべきことも、鍛えるべきことも多い」

「相変わらず難儀な男だな」

 

 肩を竦めるパックス。

 

「まあよい。余も余で、やるべきことができた」

「と言うと?」

「……王族として果たすべきこと、だ」

 

 少しだけ真面目な顔になる。

 

「余は、シーローンで怠惰な日々を過ごしておった。それゆえ、民からも、宮廷からも、家族からも見放された」

「だが今は違う。大事なものを見つけ、変わることができた」

 

 パックスは自らの胸に手を当てる。

 

「いつかシーローン王国に戻った時、数多くの困難が待つだろう。たが余はくじけん!王竜に比べればどれも大した問題ではない!」

「余はシーローンの王となる!そして、ベネディクトを王妃に迎え、民に誇れる王として君臨し続けるのだ!」

 

 その目には、以前にはなかった強い光が宿っていた。

 ジークフリートは静かに頷く。

 

「お前は、良い王になるのだろうな」

「ふはは!当然だ!」

 

 胸を張るパックス。

 

「次に会う頃には、余の名は世界中に轟いておるぞ!」

「そうか。なら、楽しみにしておこう」

 

 風が吹く。

 王竜山脈の冷たい風だった。 だが、不思議と悪い気はしなかった。

 

「ではな、ジークフリート」

「ああ。達者でな、パックス」

 

 互いに背を向け、歩き出す。

 

 一人は国へ。一人は旅へ。

 

 だがきっと、この出会いは、無意味ではなかったのだろう。

 

 遥か上空。雲の向こうを、赤い影が静かに飛んでいた。

 

 まるで、旅路を見守るように。






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