玉葱騎士、六面世界に立つ   作:プラザ合意

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第3章 シャリーア編
第18話 到着


 

 雪だった。

 

 空から落ちる白は静かで、音を呑み込むように街を覆っている。

 石畳の隙間には雪が積もり、吐く息は白い。

 

 だが、不思議と寒々しさはなかった。

 

 道行く人々は分厚い外套を羽織りながらも穏やかに笑い、露店からは温かな湯気が立ち昇る。パンを焼く香り、肉の煮える匂い。子どもたちの笑い声。

 

 平和な街だ。

 

「うわぁ……雪すごっ」

 

 アイシャが目を輝かせながら辺りを見回す。

 

「転ぶなよ」

「子どもじゃないんだから平気ですー」

 

 そう言った直後、石畳で足を滑らせかける。

 

「きゃっ――」

「ほら」

 

 転ぶ寸前で肩を支えると、アイシャはむっと頬を膨らませた。

 

「今のはノーカンです!」

「何がだ」

「とにかくノーカンなの!」

 

 そう言って子供らしく笑うアイシャ。

 王竜王国を出てから1ヶ月ほど、ようやくラノア王国の北端に位置する大都市、シャリーアに到着した。ようやくとは言っても、もともとは2、3ヶ月ほどかかると思っていたので、かなり早く着いたことになる。

 

「だから言ったじゃん。走ると危ないって」

「ノルン姉だってさっき道間違えたでしょ!」

「アイシャだって『絶対こっちです!』って言ってたし!」

 

 言い争いを始める2人。

 ルイジェルドは腕を組んだまま黙ってそれを見下ろしている。

 

 まず、ルーデウスに会うためにラノア魔法大学に向かったが不在で、住所を聞いてルーデウスの家に向かうことになった。

 入れ違いを防ぐためにジンジャー、シャンドル師匠とは大学で別れ、残りの面々でルーデウスの家を探したのだが、慣れない街並みで迷ってしまった。

ルイジェルドがルーデウスの気配を探り(額の宝石の力でわかるらしい)、なんとか家にたどり着いたがすっかり日は落ちてしまった。

 しかし、ルーデウスは家にもおらず、私たちは屋敷の前で立ち往生していた。

 

「2人とも喧嘩はやめろ。ここまで遅れたのは私たち全員のせいだ」

 

 そう言って二人を諌める。とは言ってもこのまま夜を明かすわけにはいかない。一度、宿を取りに戻ったほうがいいかもしれない。

 

 そう考えていると、人の気配を感じる。

 視線を向ける。

 

「ノルン、アイシャ…?」

 

 すると、物陰から亜麻色の髪の青年と、白髪の女性が出てきた。

 

「お兄ちゃん!」

 

 アイシャが真っ先に青年…ルーデウスに飛びつく。しっかりと抱きついてルーデウスに頬擦りまでしている。

 

「ルーデウス、久しぶりだな」

「はい、お久しぶりです、ルイジェルドさん。それに…」

 

 視線がこちらへ向く。

 わずかに目を見開くルーデウス。

 

「大きくなったな、ルーデウス」

「ジークさん!」

 

 少しの間、3人の間に沈黙が流れる。話したいことは無数にあるが、いざ対面してみると何から話せばいいのかわからなくなる。

 

「あの、ルディ。とりあえず入ってもらったら?」

「ああ、そうだな。入ってくれ」

 

 白髪の女性に促され、ルーデウスが皆を家に招き入れる。

 アイシャやルイジェルドが家に入る中、ノルンだけが玄関の前で立ったままで入ろうとしない。

 

「……」

 

 扉を見つめたまま、動かない。

 

「ノルン、どうした?」

「…別に、なんでもないです」

「そうか。…そういえば、地面が凍っていて歩きにくいな。玄関に入るまでに転んでしまいそうだ。良ければ一緒に手を繋いでくれないか?」

 

 そっと手を差し出す。

 

「なんですか、それ。そんなことされなくても普通に入りますよ」

「はは。子ども扱いは嫌いだったな」

 

 ドシドシと凍った地面を踏みしめながら玄関に入ろうとするノルン。しかし力を入れすぎて、滑ってしまう。

 

「きゃっ!」

 

 間髪入れずノルンを受け止める。

 

「…手、今からでも繋ぐか?」

「……!結構です!!」

 

 顔を真っ赤にして家に入るノルン。

 やはり、まだまだ子どもだ。

 玄関の扉が乱暴に閉まる音が、やけに愛らしく聞こえた。

 

 

 

 

 パチパチと鳴る焚き火に照らされながら、ルーデウス、ルイジェルドと卓を囲む。

 アイシャとノルンは、白髪の女性――シルフィさんがお風呂に入れることになったので、ここでは3人きりだ。

 

「久しぶりですね、本当に」

「ああ」

 

 短くルイジェルドが返す。あまり表情が変わらない彼だが、今回ばかりは喜びが顔に出ている。

 

「お二人とも、妹たちを護衛してくださってありがとうございます」

「大したことではない。騎士として当然のことだ」

「ふふ、相変わらずですね」

 

 それから、近況を3人で話し合う。

 どこを通ったのか。どんな街を見たのか。どんな敵と戦ったのか。

 

「え?竜の群れと一人で戦ったんですか!?」

「成り行きでな」

「成り行きでそんなことなります!?」

 

 思わず身を乗り出すルーデウス。

 

「とはいっても、俺とジークが再会したときは低級の魔物にいいようにされていたがな」

「…それは、忘れてくれ」

「え?本当なんですか?」

「………むう」

 

 わずかに視線をそらすジークフリート。

 

「あはは!なんか、意外です」

 

 ルーデウスが吹き出す。

 

「ふふ……なんか安心しました。ジークさんって、ずっと完璧な騎士って感じだったので」

「完璧ではない」

 

 即答だった。

 

「失敗もする。負けもする」

 

 淡々とした口調。 その言葉には重みがあった。

 

「でも、ジークさんはすごく強いし…」

「まだ足りない」

 

 オルステッドの姿が脳裏を過ぎる。あの圧倒的な存在感。勝てる未来など、未だに見えない。

 

 暖炉の火が揺れる。

 笑い声。柔らかい雰囲気。温かな食事の匂い。

 この家の空気は、戦場にはない空気だった。

 

 黙って火を見つめる。

 暖かい。

 それが、少しだけ落ち着かなかった。

 

「……ジークさん?」

 

 気づけば、ルーデウスがこちらを見ていた。

 

「いや。いい家だと思ってな」

 

 その言葉に、ルーデウスが少し照れたように笑う。

 

「そうですか?ありがとうございます」

 

 帰る場所。

 そういうものを、この家は持っていた。

 眩しい、と。

 ほんの少しだけ思った。

 

 

「……では、私はそろそろ戻る」

 

 ジークフリートが立ち上がる。

 

「え? もうですか?」

 

 ルーデウスが驚いた顔をする。

 

「師匠が宿で待っている。それに、用は済んだ」

「でも、久しぶりなんですし……」

「明日にはまた発つ。長居をするつもりはない」

 

 静かな口調だった。

 だが、その言葉にルーデウスは寂しそうな顔をする。

 

「……ルイジェルドさんもですか?」

「ああ。まだ探すべき仲間がいる」

 

 暖炉の火が揺れる。

 温かな空気。

 笑い声。

 家族の匂い。

 

 ジークフリートは一瞬だけ視線を巡らせ――そして静かに目を伏せた。

 自分はまた旅に戻る。

 それでいい。そういう生き方しか知らない。

 

「……なら、せめて明日、門までは送らせてください」

 

 ルーデウスがそう言った。

 ジークフリートは少しだけ目を細める。

 

「ああ」

 

 短く、それだけ答えた。

 

 

 

 

 宿へ戻ると、シャンドルが椅子に座ったまま茶を飲んでいた。

 

「おや、お帰りなさい。…ルイジェルドくんは?」

 

 ちらりとこちらを見る。

 

「ルイジェルドはルーデウスの家に泊まるそうです」

「そうですか。三人で宿を取ったのに無駄でしたねえ」

 

 どこか面白そうに笑うシャンドル。

 

「ルイジェルドとルーデウスは長旅を共にした関係です。積もる話もあるでしょう」

「冗談ですよ」

 

 湯気の立つ茶を一口飲む。

 

「……というより、君もルーデウスくんと話したいことがあったのではないですか?」

 

 ジークフリートは少し黙る。

 暖炉の火が小さく揺れた。

 

「少しですが、話せました。それで十分です」

「ほう?」

「長い時間を共にいたわけでもありませんし。ここはルイジェルドに譲りますよ」

 

 シャンドルは返事をせず、しばらく黙っていた。

 やがて、茶器を机に置いて小さく息を吐く。

 

「ま、君がいいならいいんですが。…後悔しませんか?」

「後悔?」

「君は守りたいものがあると強くなる。ですが、今の君はそれを自分から遠ざけているように感じます」

「そんなことは…」

 

 否定しかけて、言葉が止まる。

 脳裏に浮かぶのは、暖炉の火だった。

 ほんの少しだけ。 本当にほんの少しだけ――あそこに居たいと思った。

 

「重ねて言いますけど、君がいいならいいんです」

 

 シャンドルは柔らかい口調のまま続ける。

 

「ですが、その生き方は辛いですよ。守りたいものがあるなら、なるべく側にいてあげなさい」

「……」

 

 ジークフリートの碧眼は、窓の外を見つめる。

 雪が静かに降っている。 白く染まったシャリーアの街。 暖かな灯り。 行き交う人々。

 

 平和な景色だった。

 

 側にいる。

 そんなことが、自分に許されるのだろうか。呪われ人の自分に。

 守ることはできる。 戦うこともできる。 だが、自分は本当に“そこに居ていい存在”なのか。

 

 赤竜山脈で失い続けたものを思い出す。

 名前。記憶。感情。

 そして――きっと、大切だったもの。

 

 だからこそ、自分は戦場にいるべきなのだと思っていた。

 誰かの隣ではなく。 暖炉の前でもなく。 血と死のある場所こそ、自分の居場所なのだと。

 

「……難しいです、師匠」

 

 ようやく絞り出した声に、シャンドルは小さく笑った。

 

「ゆっくり考えなさい。時間はたっぷりあるんですから」

 

 

 

 

 翌朝。

 

 シャリーアの空は白かった。

 

 降り積もった雪が街道を覆い、門の周囲には朝靄が漂っている。

 吐く息は白く、肌を刺すような冷気が鎧の隙間から入り込んできた。

 

 門の前には、ルーデウスたちが揃っていた。

 

「では、ルーデウス。達者でな」

 

 ルイジェルドが別れの言葉を告げる。

 

「もうちょっといてくれてもいいのにー」

「アイシャ」

 

 アイシャが少し不満そうに頬を膨らませ、ルーデウスが小さくたしなめる。 だが、その声音にも寂しさが滲んでいた。

 

「まだ探すべき仲間がいる」

 

 ルイジェルドが短く返す。

 ジークフリートも頷いた。

 

「私も、修行を続ける」

 

 その言葉を聞いたノルンが、一歩前に出る。

 

「……ジークさんも、行っちゃうんですよね」

「ああ」

 

 ノルンは俯く。 雪を踏む靴先が、小さく地面を擦った。

 

「……私も、一緒に行きたいです」

 

 ぽつりと漏れた声に、その場が静かになる。

 

「ノルン?」

 

 ルーデウスが驚いたように妹を見る。

 

「ルイジェルドさんとも、ジークさんとも、もっと一緒にいたい…!」

「…これからは俺たちではなく、ルーデウスを頼れ」

 

 優しくノルンに言葉を返すルイジェルド。

 

「でもあいつはお父さんを…!それに前に見た時と隣にいる女の人が違うし、やっぱり信じられない!」

「そういうこともある。決してお前の兄が不誠実というわけではない」

「でも…!」

 

 どうしても納得できないノルン。

 

「…ジークさんは?」

 

 ノルンの視線が向く。

 ジークフリートは少しだけ考え、静かに答えた。

 

「ルーデウスの側にいてやれ」

「……っ」

「お前がいると、あいつは嬉しそうだ」

 

 ノルンが俯く。目元が少し赤い。

 まだ小さい彼女には理解できないかもしれない。だが、ここにいるのが最善なのだ。戦場でしか生きられない呪われ人である自分と、長く一緒にいるべきではない。

 

 ジークフリートのそんな考えを、ぱん、と軽い手拍子が割った。

 

「じゃあ、ジークくんはここに残りましょうか」

「……は?」

 

 間の抜けた声が出た。

 シャンドルが飄々と笑っている。

 

「修行ならどこでもできますし。私もしばらくシャリーアに滞在します」

「……師匠?」

「何か問題でも?」

 

 さらりと言って茶化すように肩を竦める。

 ジークフリートは眉をひそめた。

 

「龍神に勝つための修行では」

「ええ、ですから次は“別の修行”です」

 

 シャンドルの目が細くなる。

 

「力は十分磨かれた。ですが今の君に足りないのは、心の在り方でしょう」

「……ですが、もし私のせいで害が及んだら」

「なら君が守ればいいでしょう。それができるように、君には教えたつもりです」

 

 その言葉には、確かな信頼があった。

 

「守りたいものから距離を置く。その変な癖も、どうにかした方がいい」

 

 ジークフリートは答えない。

 いいのか。本当に。

 呪われ人の自分が。争いの中でしか生きられない自分が。こんな温かな場所にいてもいいのだろうか。

 雪が静かに降り続けている。白く染まった街は、まるで別世界のように穏やかだった。

 

「ジークさん…もし、本当にここに残ってくれるなら、僕も嬉しいです」

 

 ルーデウスが、どこか遠慮がちにそう言った。

 

「ボクも、ルディの恩人さんともっとお話してみたいです」

 

 シルフィも柔らかく微笑む。

 その隣では、アイシャが真剣な顔でこちらを見つめていた。

 

「私も!私も嬉しいです!」

 

 いつもの軽い調子ではない。本気で引き止めているのだと分かる声だった。

 

「……っ」

 

 ノルンもまた、泣きそうな顔のままこちらを見上げている。

 

 白い息が空へ溶けていく。

 ジークフリートは黙ったまま、拳を握り締めた。

 ここに残る。誰かの側にいる。思えば、それは無意識にずっと避けてきたことだった。

 守りたいと思えば思うほど、失うのが怖くなる。  自分は呪われ人だ。戦いの中でしか生きられない化け物だ。そんなものが、この温かな場所にいていいはずがない。

 

 だが。

 

 脳裏に、赤竜山脈の光景がよぎる。

 血。炎。死。何度も壊れ、削れ、帰る場所もわからず、それでも帰りたいと願い続けた日々。

 

 ――帰るために。

 その言葉だけを支えに、あの日々を送ってきた。

 

 ならば。帰る場所から、自分から離れる必要があるのか。

 

「……」

 

 視線を上げる。

 ルーデウスがいる。シルフィがいる。ノルンがいる。アイシャがいる。

 

 穏やかな朝だった。雪に包まれたシャリーアは静かで、どこまでも平和に見えた。

 こんな場所に、自分がいていいのか。まだ答えは出ない。

 だが――

 

「……少しの間だけです」

 

 気づけば、そう口にしていた。

 

「龍神への挑戦を諦めたわけではありません。修行が済めば、私はまた旅に出ます」

「ええ、それで十分ですよ」

 

 シャンドルが満足そうに笑う。

 

「やった……!」

 

 ノルンが小さく呟く。その声は、雪に埋もれてしまいそうなほど小さかったが、不思議とはっきり聞こえた。

 ルーデウスもまた、どこか安心したように笑っていた。

 

「よろしくお願いします、ジークさん」

「ああ」

 

 短く返す。

 その瞬間。胸の奥に、小さな熱が灯る。

 

 戦場ではない。殺し合いでもない。

 日常のなかで生まれる温かさ。

 それを、自分はまだ知らない。

 だからこそ――少しだけ、ここにいてみようと思った。





書き溜めが、尽きました。

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