シャリーアの朝は冷える。
降り積もった雪が石畳を白く染め、道行く人々は厚手の外套に身を包んでいた。 そんな中、一際目立つ銀色の鎧が街路を歩いていく。
玉葱のような丸みを帯びた鎧兜。無骨な大剣。そして、隠しきれない威圧感。
やがて辿り着いたのは、シャリーア冒険者ギルド。
巨大だった。
石造りの三階建て。分厚い扉の向こうからは、喧騒が漏れ聞こえてくる。ジークフリートが扉を開けた瞬間、熱気が押し寄せた。外は雪景色だというのに、中は別世界のように暖かい。
酒の匂い。焼いた肉の香り。濡れた革鎧と鉄の臭い。無数の話し声と笑い声。広いホールには数え切れないほどの冒険者たちが集まっていた。
剣士。魔術師。獣人。大柄な北方人。軽装の斥候。
壁には無数の依頼書が張られ、奥では受付嬢たちが慌ただしく書類を捌いている。酒場も併設されているらしく、昼間から酔って騒いでいる冒険者までいた。
武器を磨く者。仲間と地図を囲む者。討伐帰りなのか、傷だらけで眠りこける者。
そこにあるのは、戦いと生活が混ざり合った空気だった。
シャリーアはラノア王国最大級の都市だ。魔法大学を中心に人が集まり、その周囲には商人も、研究者も、冒険者も流れ込む。
当然、冒険者ギルドもまた巨大だった。
地方都市の小さな詰所とは違う。ここには本物が集まる。Aランクと思しき冒険者の姿も珍しくない。漂う魔力も、闘気も濃い。
だが――。
ジークフリートが足を踏み入れた瞬間、その空気がわずかに変わった。
ざわ、と。
視線が集まる。
「あの玉葱鎧……」
「まさか、『玉葱騎士』か?」
「王竜王国の『竜狩り』……?」
「例の『北神流玉葱派』がシャリーアに……」
ざわめきが広がっていく。
それは単なる興味ではない。猛獣を前にしたときのような、無意識の緊張だった。
玉葱。玉葱。玉葱。
聞こえてくる単語に、ジークフリートはわずかに眉をひそめた。
(……玉葱では、ない)
未だに納得はしていない。だが、いちいち訂正していても仕方がないことも理解していた。
視線を無視し、受付へ向かう。
「依頼を受けたい」
受付嬢が一瞬びくりと肩を震わせた。
「は、はい!では冒険者カードを……」
「持っていない」
「……はい?」
受付嬢が固まる。
「登録したことはない。今日は冒険者登録に来た」 「あ、そ、そうだったんですね……!」
受付嬢は慌てて書類を取り出した。
「え、ええと……では規則に従い、Fランクからのスタートとなりますが……」
「? もちろん構わない」
「へ?」
「頼む」
あまりにも自然に頷かれ、逆に受付嬢の方が困惑した。
そこへ奥から慌ただしい足音が響く。
「ちょ、ちょっと失礼します!『玉葱騎士』様!ぜひ奥へ!」
「……玉葱ではない」
「す、すみません!でもとにかく奥に…!」
半ば引きずられるように奥の部屋へ通される。
部屋の中では、壮年の男が待っていた。鋭い目つき。だがその奥には歴戦の戦士特有の落ち着きがある。彼はここシャリーアのギルドマスターであった。
「ようこそお越しくださいました、『竜狩り』ジークフリート殿。本日は冒険者登録に来ていただき、誠にありがとうございます」
男は丁寧に頭を下げた。
「ああ。よろしく頼む。……ところで、なぜ私がジークフリートだと分かった?」
「見れば分かりますとも」
ギルドマスターは苦笑した。
「王竜山脈での大立ち回りは、ここシャリーアまで届くほどの勇名です。それに、その特徴的な鎧。そして何より――」
一瞬、視線が鋭くなる。
「強者としての圧は隠せませんよ」
ジークフリートは少しだけ目を細めた。なるほど。この男もかなりの実力者らしい。
「さて、本題ですが」
ギルドマスターが書類を机に置く。
「規則に従えばFランクスタート。しかし、『竜狩り』殿をFランクに置いておくなどありえません。特例として、Aランクから――」
「Fでいい」
「……はい?」
即答だった。
「私だけ一足飛びに高ランクになれば、他の者への示しがつかないだろう」
「ですが、あなたほどの実力者が雑事をする必要は……」
「必要かどうかは私が決める」
静かな声だった。
「私も皆と同じく、Fランクから始めさせてもらいたい」
ギルドマスターはしばらく沈黙し――やがて苦笑した。
「……分かりました。では、そのように」
こうして『竜狩り』ジークフリートは、Fランク冒険者となった。
■
「うおおおっ!?兄ちゃん、それ一人で運ぶのか!?」
荷運び依頼。
普通なら数人がかりで持つ木箱を、ジークフリートは一人でいくつも抱えていた。
「問題ない」
しかも歩き方が異様に安定している。雪道だというのに、一切ふらつかない。
依頼主は呆然と口を開け、大量の荷物を運ぶジークフリートを見送った。
「……すげえ」
「Fランクってなんだっけ……」
周囲の冒険者たちが遠い目をしていた。
■
別の日。雪かきの依頼。
「う、嘘……」
住民たちは唖然としていた。
雪が――消えていく。
いや、正確には猛烈な勢いで片付けられている。
巨大な雪山が次々と作られ、道が開通していく。
「終わった。次はどこだ」
「えっ、もう!?」
まだ開始から十分しか経っていなかった。
「つ、次はあちらの通りです」
「わかった」
またとてつもない勢いで退かされていく雪を見ながら、人々は感嘆の声を漏らした。
■
また別の日。猫探しの依頼。
最初は見つからなかった。
路地裏。屋根の上。市場の裏手。
猫が入り込みそうな場所を一つずつ見て回る。
「……いないな」
雪の上には小さな足跡がいくつもあった。だが、途中で消えている。
風が強い。
足跡が埋もれてしまうのだ。
「玉葱さん、何してるのー?」
子どもたちが駆け寄ってくる。
「玉葱ではないが…猫探しだ」
「タマちゃん?」
「知っているのか」
「うん!でも昨日は見てない!」
代わりに別の情報をくれた。
「魚屋のおじさんのとこによくいたよ!」
「あと、パン屋の裏!」
「……そうか。助かる」
頭を下げると、子どもたちは嬉しそうに笑った。
「玉葱さん頑張れー!」
夕方。
魚屋の裏で、ようやく痕跡を見つけた。
雪の上に、小さな白黒の毛。
さらに奥。木箱の隙間。
「……いた」
小さく丸まった猫がいた。
右耳が少し欠けている。依頼主から聞いていた通りの猫だ。
だが、ジークフリートが近づくと、びくりと震えて奥へ逃げ込んでしまう。
「……困ったな」
剣で岩を切ることはできる。竜とも戦える。
だが、怯えた猫の扱いは分からない。
無理に手を伸ばけば、さらに逃げるだろう。
「…………」
少し考える。
それから魚屋で干し魚を買ってきて、少し離れた場所に座る。
雪が降る。寒い。
だが、待った。
じっと待った。
鎧に雪が積もっていく。だがそれでも動かない。
しばらくして。
「……にゃ」
小さな鳴き声。
猫が恐る恐る近づいてくる。
ジークフリートは干し魚を差し出す。
猫が、もう一歩近づく。
「……大丈夫だ」
低い声で、静かに言う。
猫はしばらく警戒していたが、やがて観念したように膝に乗り、干し魚に食いついた。
その後。
「タマちゃん!」
「よかったー!」
依頼主の親子が泣きそうな顔で猫を抱きしめる。
「ありがとうございます、本当に……!」
「無事でよかった」
それだけ言って、ジークフリートは踵を返した。
それを引き止めるように、依頼主の子供がジークフリートの背中を叩く。振り向くと、満面の笑みの子供がそこにいた。
「玉葱さん、ありがとう!」
「…どういたしまして」
その時、ジークフリートは珍しく、玉葱呼びを訂正しなかった。
■
またまた別の日。
「じ、ジークフリートさん!?」
ラノア魔法大学の廊下を歩いていたノルンが、思わず声を上げる。その先には、巨大なモップを持った玉葱鎧がいた。
「何してるんですか……?」
「掃除だ。依頼で来た」
「いやそれは見ればわかりますけど!」
ジークフリートは真面目な顔で床を磨いている。しかも妙に丁寧だ。隅の汚れまでしっかり落としている。
「討伐依頼とかじゃないんですか?」
「Fランクに討伐依頼はほとんどない。今日は清掃しかなかった」
「Fランク!?ジークフリートさんが!?」
「もちろん。新人だからな」
「えぇ……」
あまりにも自然に言うので、逆に説得力があった。
「不満じゃないんですか?」
「そんなことはない」
ジークフリートはモップを動かしながら答える。
「掃除も街の景観を守る立派な仕事だ」
「はぁ…なるほど…」
ノルンは妙に感心してしまった。
「それより、最近はどうだ?」
不意にジークフリートが尋ねる。
「……っ」
ノルンの肩がわずかに揺れる。
「別に。普通です」
「普通、にしては様子がおかしいな」
「……」
図星だった。
最近、何もかも上手くいっていない。周囲との距離感。兄への複雑な感情。思い通りにならない学業。ミリスではアイシャと比較され、シャリーアではルーデウスと比較される。それがとても不愉快だった。
けれど、ノルンはそれらを上手く言葉にできない。
「話しにくいなら、いい」
ジークフリートは追及しなかった。
ただ、静かにモップを立てかける。
「だが、無理はするな」
「……」
「困った時は、私でも、ルーデウスでもいい。いつでも相談してくれ」
その瞬間。
「……っ!あの人に、相談なんて……!」
思わず声が強くなる。
ノルン自身も驚いたように目を見開いた。
「……どうした?」
「別に!なんでもないです!」
吐き捨てるように言って、ノルンは踵を返した。
ぱたぱたと足音が遠ざかっていく。
ジークフリートはその背中を追わなかった。ただ静かに見送る。
「家族というのも、大変なんだな」
小さく呟く。その声は、どこか少しだけ羨ましそうでもあった。
だがジークフリートは、その感情の正体に気づかないまま、再びモップを手に取った。
■
冒険者ギルドへ依頼達成の報告をする帰り道。昼時の商店街は、雪の季節だというのに妙に賑やかだった。
通りの両脇には露店や商店が並び、焼きたてのパンの香りと、肉を煮込む匂いが漂っている。行き交う人々の吐く白い息さえ、どこか温かかった。
そんな中を、玉葱型の奇妙な鎧が歩いていく。
「あ、玉葱さんだ」
「玉葱さんこんにちはー!」
通りすがりの子どもたちが元気よく手を振る。
「……こんにちは」
少し間を置いて、ジークフリートも手を上げた。
最初は不本意だった。玉葱などと呼ばれるのは騎士としてどうかと思っていた。
だが――
「おーい玉葱騎士さん!ちょっと待ってくれ!」
八百屋の店主が大きく手を振る。
「この前運んでもらった樽、助かったよ!今日はリンゴ持ってきな!」
「いや、依頼の報酬は既に受け取っている」
「固いこと言うなって!余りもんだからよ!」
半ば無理やり紙袋を押し付けられる。
「……ありがとう」
そう答えると、店主は豪快に笑った。
「最初は怖えと思ったけど、案外いい兄ちゃんだなあ!」
その少し先では、魚屋の老婆が手招きしていた。
「玉葱さん、玉葱さん」
「……私か」
「他に誰がいるんだい」
老婆は干物を包みながら笑う。
「この前、屋根の雪下ろしありがとねぇ。おかげで潰れずに済んだよ」
「当然のことをしたまでだ」
「その当然をやってくれる人が減ったんだよ」
しわくちゃの手が、ぽんぽんと鎧を叩く。
「無理しすぎるんじゃないよ、若いの」
ジークフリートは少しだけ目を瞬かせた。
「……気をつける」
さらに進む。
「あっ、玉葱さん!」
今度はパン屋の娘だった。
「今日、新作できたんです!食べます!?」
「……またか」
「またです!」
「商売は大丈夫なのか?」
「宣伝です!『玉葱騎士も食べたパン!』って言ったら売れそうですし!」
「…そうでもないと思うが」
真顔で返すと、娘はけらけら笑った。
気づけば、歩くたびに誰かに呼び止められる。
雪かきを手伝った家。荷運びをした商人。迷い猫を探した少女。外壁修理を請け負った店。
どれも大したことではない。騎士として戦うことに比べれば、小さな仕事ばかりだ。
だが。
「玉葱さん、またねー!」
子どもたちが笑う。
その笑顔を見ていると、不思議と悪い気はしなかった。
「……玉葱ではないんだがな」
ぼそりと呟く。
「えー?でも玉葱さんは玉葱さんだよ!」
「どの辺がだ」
「まるい!」
「……そうか」
兜に手を置きながら、子供に返事を返す。納得はできない。だが、まあいいかとも思う。
胸の奥が、少しだけ温かい。
故郷では――前の世界では自分は恐怖の対象だった。呪われ人、亡者、怪物、化け物。
だが、この街では違う。
雪をどかし。荷物を運び。猫を探し。掃除をする。
ただそれだけで、人々は笑ってくれた。
「玉葱さん!今度また遊んでー!」
「ああ」
自然と、そんな返事が口から出た。
シャリーアは、今日も騒がしい。
その喧騒の中を歩きながら、ジークフリートはほんの少しだけ、肩の力を抜いていた。