玉葱騎士、六面世界に立つ 作:神聖龍 エモーショナル・ハードコア
ルーデウス・グレイラットにとって、アルブレヒト・グレイラットは不気味な弟だった。
赤子の頃から今に至るまでずっと感情が感じられず、子供らしさというものが一切なかった。自分と同じく転生者かと思い日本語で話しかけたこともあったが、真顔で流されるだけだった。そのため少し変なところがあるだけの子供として思っていたのだが、それは違った。
ある日突然魔術を習いたいと言い出したアルブレヒトは見たこともない雷を放った。なんとなくできた、などと言っていたが絶対に嘘だ。あれは練り上げられた技術があり、確信と共に使われたものだ。
おそらく、アルブレヒトは転生者だ。そうでなければ説明がつかない。
今、それを証明するような光景が今目の前に広がっている。
「ぐっ…」
アルブレヒトが、パウロを圧倒している。
三大流派を上級まで納めた熟練の剣士が、幼い子供に押されている。
アルブレヒトはまだ3歳だが、本人の強い希望で剣術の稽古が始まった。素振りなどの基礎的な指導をされているうちは大人しくしていたが、実際に木剣を打ち合う模擬戦が始まってからは豹変した。身長差や筋力差をものともしない、嵐のような剣閃がパウロを襲う。なんとか受け流しているが、段々アルブレヒトの剣は鋭くなっていき、少しずつ追い込まれて行く。
パウロも隙を突こうとするが、すべて動きを読まれて潰される。
明らかに異常だ。
「うおおおおっ!」
パウロが無理やり木剣をかち合わせ、全力で押しつぶそうとする。態勢を崩しながらもなんとか受け止めるアルブレヒト。普通であれば子供相手にやりすぎであったが、追い詰められたパウロの剣士としての本能が本気を出させた。
いくら剣術が優れているとはいえ所詮は子供、大人の筋力には敵わない。このままアルブレヒトは負けるはずだった。
「…マジかよっ!」
ゆっくりと鍔迫り合いが動く。じりじりとアルブレヒトの木剣がせり上がり、パウロの木剣が押し込まれていく。
「ふっ!」
パウロの木剣が弾かれ、宙を舞う。それと同時に子供とは思えない力で足払いを仕掛けられ、尻もちをつくパウロ。その喉元にはアルブレヒトの木剣が突き付けられていた。
「…ま、参った」
大きく打ち上げられた木剣が鈍い音とともに地面に突き刺さる。
(こいつ、やばすぎる。油断してたとはいえ3歳でパウロに勝つとかありえないだろ…隠す気もないのか…)
ルーデウスには、弟がなにか得体の知れない恐ろしい物に見えていた。
アルブレヒトの表情は何も変わらない。荒々しく、苛烈に剣を振るいながらも眉一つ動かさず、殺意も敵意も感じられない機械のような人間。パウロを見下ろす碧眼は、深海を思わせるような底知れない暗闇を湛えていた。
誰も一言も発さず、場が静寂に包まれる。
その沈黙を、突然破ったのはパウロだった。
「すごいじゃないか、アル!流石俺の息子だ!!」
「!?」
満面の笑みでアルブレヒトを抱きしめるパウロ。
「筋はいいと思っていたがここまでとはな!うちの子たちは天才だー!」
「………???」
アルブレヒトを撫でまわすパウロ。ルーデウスは目の前の光景を信じられず、あんぐりと口を開ける。そうはならんやろ。
パウロ自身も子供に負けた悔しさや疑問がないわけではなかったが、息子の才能への喜びがすべてを塗りつぶした。
「アルブレヒトは将来立派な剣士になるぞ~!剣神だって夢じゃないかもな!」
「………はい」
「えぇ……?」
無表情のままパウロに持ち上げられ、メリーゴーラウンドのように回されるアルブレヒトを見ながら、呆然とするルーデウスだった。
■
「汝の求める所に大いなる水の加護あらん、
清涼なるせせらぎの流れを今ここに、ウォーターボール」
空中にそれなりに形が整っている水球が形成されるが、発射されずに地に落ちる。
ロキシーの授業が始まってから結構な日数がたったが、アルブレヒトはいまだ初級魔術のウォーターボールも習得できていなかった。当初に比べれば進歩しているが、同年代の子供の平均的な魔術の習得速度と比べると少し遅れていた。
「そんなに落ち込むことはありませんよ。まだ3歳なのですから、上手くできなくて当たり前です」
「…はい」
「それより、最初の授業で見せてくれたあの雷についてなのですが…」
「それ、は……」
ロキシーも励ましの言葉をかけるが、どちらかと言えば雷の術に興味津々であった。
「あれは素晴らしい才能です。もしかしたら新たな魔術体系に繋がるかもしれません。本当に覚えていないんですか?」
「はい」
なんとなくできた、覚えていない、わからない。適当すぎる言い訳だが、本人はそれ以上のことを一切話そうとしない。子供相手に詰問するわけにもいかず、雷の術については有耶無耶なままだった。
「…それなら仕方ありませんね。まずは初級魔術を使えるようになりましょう」
「はい」
もう一度ウォーターボールを詠唱するが、先ほどと同じ結果に終わる。ロキシーのアドバイスを受けながら、めげずに詠唱を繰り返すが、この様子だと今日も難しいだろう。
「…あれ?」
そんな光景を見ながら、ルーデウスは首を傾げた。
◼︎
その日の夜。夕飯も終わり、ゼニスが食器を洗っている。
「母さま、俺も手伝います」
そこにアルブレヒトが近づき、手伝いを申し出る。
「あらそう?じゃあお願いしちゃおうかしら」
怪我しないようにね、と言って皿の洗い方を手取り足取り教えるゼニス。アルブレヒトは子供用の踏み台に乗り、おぼつかない手つきながらも真面目に皿洗いに取り組む。
ルーデウスはそれを眺めながら、これ俺もした方がいいやつか?とぼんやり思っていた。
すると、突然パリンと皿が割れる音が響く。皿の破片を持ちながら、呆然とするアルブレヒト。力を入れすぎて皿を割ってしまったようだ。
「アル!大丈夫!?」
血相を変えるゼニス。破片をすぐに取り上げて、アルブレヒトの手を見る。
「怪我はないみたいだけど…念のためヒーリングを使っておきましょうか」
治癒魔術を詠唱し、アルブレヒトの手が緑色の光に包まれる。
「申し訳ありません」
「いいのよ、それよりもまだ痛くない?大丈夫?」
「……大丈夫、です」
俯きながら返事をするアルブレヒト。
その顔は無表情のままだが、どこか悔しそうに、あるいは恥ずかしそうに感じた。
「……うん?」
そんな光景を見ながら、ルーデウスはまた首を傾げた。
◼
次の日。剣術の稽古と魔術の勉強の間で空いた時間に、アルブレヒトはリーリャに読み書きを習っていた。黙々と取り組み、途中手を少し止めたりしながらも書き上げ、無表情ながらも自信ありげな雰囲気を纏わせながら答案用紙を差し出す。
「できました」
「ふむふむ…。ここが間違っていますね、それからここも。あと、お名前がアルブレトヒ・グレイラッヒになっています」
全然できてなかった。
「…はい」
無表情のままバツをつけられた答案を受け取り、再度課題に取り組むアルブレヒト。こころなしかその背中は萎れて見えた。
「……ふむふむ?」
そんな光景を見ながら、ルーデウスはまたまた首を傾げた。
◼
深夜。ふとルーデウスは目が覚めた。特にパウロとゼニスが騒がしくしているわけでもなかったが、なんだか目がさえてしまっていた。
こういう日もあるかと思い、厠に行き、用を足した後。
どこかから声と、パシャ、パシャ、という水音が聞こえる。
不気味なものを感じ、息を殺して近づく。
音はアルブレヒトの部屋から聞こえている。恐る恐るそっと覗く。
開けた扉から、ぞくりとした冷気が流れ出る。
「汝の求める所に大いなる水の加護あらん、
清涼なるせせらぎの流れを今ここに、ウォーターボール」
そこには魔術の練習をするアルブレヒトがいた。何度も窓の外に向かって水弾を打とうとするが、下に置いた大きな桶に落ちる。桶にはかなりの水が貯まっており、長い時間練習を続けていることが伺えた。部屋は窓を開けているせいかすっかり冷え込んでいたが、アルブレヒトは気にする様子もなく真剣に詠唱を続ける。
ルーデウスは想像と違う光景に目を丸くするが、少し笑うと口を開いた。
「寝ないと大きくなれないぞ」
驚いて振り向くアルブレヒト。
「兄さま」
「練習するのは偉いけど、夜は冷え込むんだから、風邪ひかないようほどほどにしないとな」
「………申し訳ありません」
「え?なんで謝るんだ?」
予想外の返答に疑問符を浮かべるルーデウス。
「私のせいで兄さまの授業の邪魔をしています。本来なら兄さまはもっと先に進んだ授業を受けられるはずなのに」
「あー、そういう…」
表情は変わらず鉄のままだが、どこか悲しそうにも思える。ルーデウスはこれまで観察してきたおかげか、なんとなくアルブレヒトの感情を読み取れるようになっていた。
「気にするな。アルが魔術を学びたいと思ったのなら、俺はそれを応援する。迷惑なんてかかってないよ」
「ですが、兄さまの邪魔をするわけには…」
頑ななアルブレヒト。
「…もしかしてお前、俺に遠慮して話しかけてこなかったのか?」
「兄さまは素晴らしい魔術の才能をお持ちです。それなのに弟の私が足を引っ張るわけにはいきません」
アルブレヒトは相変わらず無表情だが、よく見ると目尻が悲しげに垂れ下がっている…ように見えなくもない。
「あー…、なるほど…そういう感じだったのか…。なるほどね…」
なんというか、俺は弟のことを誤解していたのかもしれない。とルーデウスは思った。
「…うん、俺もアルブレヒトの練習に付き合うよ」
「そんな…」
「いいからいいから。兄ちゃんに任せとけって!」
不気味な弟だと思っていたが、そんなことはなかった。彼は彼なりに一生懸命でひたむきだ。
たしかに剣術の腕とか、雷の術とか変なところはある。だがまだまだ子供だ。
それがわかると、途端に親しみが湧いてきた。それに、本気になって頑張ってるやつを嫌いにはなれない。自分と同じだから。
それに、顔に出ないだけでアルブレヒトは感情豊かだ。失敗すれば落ち込むし、恥ずかしがる。得体の知れない化け物ではないのだ。それを知れたのが、なぜかとても嬉しかった。
「あと兄弟なんだから別にそんなにかしこまらなくたっていいよ、様とか敬語とかいらないから」
「ですが…」
「いいからいいから。2歳しか変わらないんだし別にいいよ」
「…では。よろしく、お願い…。いや、よろしく、兄…さん」
「よろしく、アル!」
手を差し出すルーデウス。
アルブレヒトは、遠慮がちにその手を優しく、しかし確かに握った。
■
数日後。
ある昼下がり、庭に建てられた的の前にアルブレヒトは立っていた。いつもと変わらない硬い表情だったが、心なしか緊張で硬くなっているようにも思えた。
見守るのはルーデウスとロキシー。
アルブレヒトが詠唱を始める。
「汝の求める所に大いなる水の加護あらん、
清涼なるせせらぎの流れを今ここに、ウォーターボール!」
空中に十分な大きさの水球が形成され、勢いよく発射される。そしてその勢いのまま、的に綺麗に着弾した。
アルブレヒトはそれを見て、満足そうに小さく息をついた。無表情な瞳の奥に、ほんの少しの誇らしさがちらりと光る。
「よくできましたね、アルブレヒト。はなまるです!」
「―――はい」
ルーデウスは、そんな弟の姿をそっと見守った。
鉄面皮の下に隠れた、ひたむきで純粋な努力の影を、やっと理解できた気がした。
ルーデウスは嬉しそうに親指をたて、サムズアップのポーズを取る。
アルブレヒトにはその意味は分からなかったが、彼もまた、無表情のまま、だがどこか嬉しそうに親指を立てた。