ラノア魔法大学。その一角にあるザノバの工房には、今日も大量の人形が並んでいた。
木彫り。石像。粘土細工。精巧なものから奇怪なものまで、所狭しと飾られている。
「おお……」
ザノバとルーデウスに工房に招かれたジークフリートは、感心したように周囲を見渡した。
「どれも素晴らしいな。どうやって作っているんだ?」
「土魔術を使っています。余は魔術が不得手ゆえ、主に粘土を削り出して作っておりますが」
「なるほど。器用なものだな」
「ああ、いえいえ、余などまだまだです。デッサン人形を作るので精一杯ですぞ」
横ではルーデウスが苦笑していた。
「いや、十分成長したと思いますけどね」
ジークフリートは棚に並ぶ人形を眺める。
芸術そのものへの造詣が深いわけではない。だが、精密に作られたものの美しさは理解できた。
均整。精度。積み重ねられた技術。
それらは武具にも通じる。
「もしよかったら、ジークさんも作ってみませんか?」
ルーデウスが粘土と木製ナイフを差し出した。
「私が?」
「ええ。せっかくですし」
ジークフリートは少し考え、頷いた。
「……やってみよう」
その様子を見ながら、ザノバは内心で心配していた。
(大丈夫でしょうかな……)
以前、握手した時に理解している。
ジークフリートは、自分と同じだ。
常人離れした怪力。まともな加減を知らぬ力を秘めている。
だからこそ思った。繊細な作業など、苦手なはずだと。
「……む」
ジークフリートは静かに粘土へ触れる。
押し込む指先は驚くほど丁寧だった。余計な力が一切入っていない。
削り。撫で。整える。
その手つきは、まるで刀身を研ぐ鍛冶師のようでもあり、剣を扱う剣士のようでもあった。
「……おお」
ルーデウスが感心した声を漏らす。
粘土は少しずつ形を変え、やがて――。
「できた」
机の上に置かれたのは、美しい丸みを帯びた玉葱。
否。
カタリナヘルムだった。
「おお……!」
ルーデウスが思わず声を上げる。
「やったことあったんですか? すごい上手い……」
「いや、初めてだ」
ジークフリートは平然と答えた。
「だが、手先の使い方は刀の使い方と同じだな。気をつければなんということはない」
「なんということあると思うんですが……」
ルーデウスが引きつった笑みを浮かべる。
一方。
ザノバは絶句していた。
「…………」
理解できない。
自分は力が強すぎる。だから壊してしまう。
繊細な作業などできない。それゆえ、人形制作では常に苦悩してきた。
だが目の前の男はどうだ。
自分と同じ怪力を持ちながら、精密な作業を平然とこなしている。
「……ジークフリート殿」
ザノバが、ゆっくりと立ち上がる。
「む?」
「どうか」
次の瞬間。
ザノバは勢いよく頭を下げた。
「余の師となってくださいませ!!」
「…………は?」
ジークフリートが固まる。
ルーデウスはまた始まった、とでも言いたげな顔をしていた。
「いや待て。私は別に人形作りが上手いわけでは――」
「しかし余には到底できぬ技術ですぞ!!」
「いや、これは単に力の使い方の問題で……」
「ならばなおさらです!!」
ぐいっと迫るザノバ。
「余は長年、この怪力に悩まされてきました!どうかご教授を!!」
ジークフリートは少し困ったように黙り込む。
“師匠”。
その言葉で、不意にシャンドルの顔が脳裏をよぎった。あの胡散臭い笑顔。常に軽い態度。だが、自分を導いてくれた男。
「……」
少しだけ考え、ジークフリートは息を吐いた。
「人形作りを教えられるほどではない」
「しかし!」
「だが、力の制御くらいなら教えられるかもしれん」
「おおっ!」
ザノバの顔が輝く。
「では、なんとお呼びすれば!?」
「普通にジークでいい」
「いえっ!」
ザノバは即座に首を横へ振った。
「師匠の恩人であり、余が教えを乞う立場で、そのような呼び方はできません!」
「いや別に気にしないが」
「せめて、先生と!」
「……」
ジークフリートは少しだけ遠い目をした。
「……もう、それでいい」
「ありがとうございます、先生!!」
満面の笑みのザノバ。
その様子を、少し離れた場所からジュリが見ていた。
「…………」
なんだか少し、もやもやした。
■
最近、ザノバはよくジークフリートと一緒にいる。二人きりで工房に籠もることも増えた。しかも、ザノバは明らかに楽しそうだ。
「…………」
ジュリは工房の隅で人形を磨きながら、一人ぼんやりと考えていた。
ザノバは人形作りが好きだ。
だから、自分が必要だった。
代わりに人形を作らせるために。
だが、ジークフリートが力の加減を教えれば、ザノバは自分で人形を作れるようになるかもしれない。
そうなったら。
自分は、いらなくなるのではないか。
そんな考えが頭をよぎる。
馬鹿げた考えだと分かっている。ザノバは優しい。捨てたりしない。
それでも怖かった。
奴隷だった頃の記憶は、今も胸の奥に残っている。必要がなくなれば捨てられる。売られる。
それが当たり前だった。
「……ますた」
そんなある日。
工房の扉が勢いよく開く。
「ジュリ!!」
ザノバが、やけに誇らしげな顔で現れた。
「見ろ!!」
机の上に置かれたのは、一体の人形。
赤い竜。
細かな鱗。鋭い爪。大きく広げた翼。
今にも動き出しそうなほど精巧だった。
「……!」
ジュリの目が輝く。
「すごい……!」
「ふはは!先生に教わりながら作ったのだ!」
「えっ……?」
ジュリがきょとんとする。
ザノバの後ろから、ひょっこりと玉葱頭――ジークフリートが頭を出し、口を開く。
「随分苦労していたぞ」
「せ、先生!それは言わない約束では!」
「三回ほど翼を折っていたな」
「言っているではないですか!」
慌てるザノバを見て、ジュリは思わず吹き出した。
そんなジュリを見て、ザノバは少し照れ臭そうに咳払いをする。
「……その」
珍しく歯切れが悪い。
「ジュリへの贈り物である」
「……え?」
「いつも世話になっているからな」
ザノバは頭を掻いた。
「余は先生のおかげで少しだけ作れるようになった。だが、それでもジュリの方が上手だ」
「ますた……」
「だから、これからも手伝ってほしい」
ジュリはしばらく固まっていた。
胸の奥にあった不安が、雪が溶けるように消えていく。
捨てられない。
必要なくなったわけじゃない。
ちゃんと、ここにいていいのだ。
そう思えた。
ジュリは赤竜の人形を抱きしめる。
「ありがとうございます……ますた」
その笑顔は、いつもよりずっと明るかった。
ザノバも嬉しそうに笑う。
そして。
「よかったな」
少し離れた場所で見ていたジークフリートもまた、どこか安心したように頷いていた。
■
ある日。
ジークフリートはラノア魔法大学の一角にあるクリフの研究室を訪れていた。
廊下を歩いていると、部屋の奥から妙な音が聞こえる。
ギシ、ギシ、ギシと、何か重いものが揺れているような音だ。
「……?」
首を傾げながら扉をノックする。
すると。
ドタン!
ガタン!
何かが盛大に倒れる音がした。
「……」
少し待つ。
さらに待つ。
また待つ。
ようやく扉が開いた。
「あ、ああジークフリート!どうしたんだ!?」
現れたクリフは妙に慌てていた。
髪は乱れ、服もどこか着崩れている。
そして奥には――。
「…………お、おほほほ」
同じく服装の乱れたエリナリーゼ。
目が合った。
「……出直すか?」
「い、いや!?そんな!?気にする必要はないぞ!?」
クリフがものすごい勢いで否定した。
だが視線が泳ぎまくっている。
「でも、少しだけ時間をくれると助かる…」
「……わかった」
ジークフリートは素直に扉の前で待つことにした。
■
しばらくして。
エリナリーゼが研究室から出ていく。
「それではわたくしはこれで…」
少し気まずそうにして去っていった。
研究室に入る。
本棚には呪術関係の文献がぎっしり並んでいた。
机の上には魔法陣の描かれたスクロール。
呪符。
魔術書。
実験記録。
クリフがどれほど研究に打ち込んでいるかが一目で分かる。
「そ、それで?わざわざ来たということは、何か用事だろう?」
「……ああ」
ジークフリートは黙り込んだ。
本当に言うべきか。
この秘密はずっと抱えてきたものだ。
誰にも話さなかった。話せなかった。
だが――もし希望があるなら。もし可能性があるなら。
縋りたかった。
「……呪いについて、相談に来た」
クリフの目が真剣になる。
「誰か知り合いが?」
「……いや」
ジークフリートは拳を握った。
「私自身だ。私には、不死の呪いがかかっている」
クリフが息を呑む。
「不死?」
「言葉通りだ」
ジークフリートは静かに続ける。
「死んでも蘇る。老いない。完全には死ねない」
クリフの表情が固まる。思わず言葉が漏れる。
「それは…ある意味では祝福――」
「違う!!!」
研究室の空気が震えた。
クリフが肩を跳ねさせる。
気づけばジークフリートは立ち上がっていた。
「こんなものが祝福であってたまるか……!」
声が震える。
「死ぬ」
「蘇る」
「死ぬ」
「また蘇る」
まるで悪夢を吐き出すようだった。
「その果てに待っているのは永遠だ。終わりのない苦痛だ!人として死ねなくなることだ!!」
拳が震えている。
思い出したくない。
思い出せないはずの記憶が。
胸の奥で蠢いている。
「……」
クリフは黙って聞いていた。
やがて小さく頭を下げる。
「すまない。僕の認識が甘かった」
「……いや」
ジークフリートも座り直す。
「こちらこそすまない」
しばらく沈黙が続く。
そして。
「頼む」
ジークフリートが言った。
「呪いを解きたい」
その声は弱かった。
普段の彼からは考えられないほど。
「人として死ねるようになりたいんだ」
クリフは腕を組む。
難しい顔をした。
「正直に言う。今の僕には無理だ」
ジークフリートは目を伏せる。
だがクリフは続ける。
「ただし、研究することはできる」
ジークフリートが顔を上げる。
「僕はリーゼの呪いを研究している。呪いに関する文献も集めている。解除方法はまだ分からない。でも調べることはできる」
「本当か……!」
思わず身を乗り出す。
「ああ」
クリフは頷く。
「約束はできない。基本的にリーゼの呪いを優先することになるし、結果も保証できない。それでもいいなら協力する」
ジークフリートはしばらく言葉を失った。
そして。
「ありがとう」
小さく頭を下げた。
それは騎士としてではなく。
一人の人間としての礼だった。
「報酬だが――」
「いらない。ルーデウスの恩人から金なんて取れるか」
クリフは苦笑する。
「だが――」
「それに」
クリフは少しだけ笑った。
「僕自身、興味がある。不死の呪いなんて聞いたこともないからな」
研究者の顔だった。
ジークフリートも少しだけ笑う。
「……もう一つ頼みがある」
「なんだ?」
「この話は誰にもしないでくれ」
「もちろん、守秘義務は守るが…」
「特に――」
一瞬、言葉に詰まる。
「ルーデウスには」
クリフは首を傾げた。
「なぜだ?」
「……」
ジークフリートは答えない。
答えられなかった。
ルーデウスにだけは知られたくない。
理由は分からない。
だが、知られたくなかった。
こんな醜い呪いも。
終わりを望む弱さも。
何もかも。
「……わかった」
クリフはそれ以上聞かなかった。
ジークフリートは小さく頷く。
「助かる」
そう言い残し、研究室を後にした。
廊下を歩く。
窓の外では雪が降っていた。
学生たちの笑い声が聞こえる。
誰かが友人と肩を並べて歩いている。
誰かが家族へ送る手紙を書いている。
そんな何気ない光景を横目に、ジークフリートは静かに歩き続けた。
どうして、ルーデウスに知られたくなかったのだろうか。
分からない。
ただ、一つだけ思うことがあった。
もしルーデウスが知れば、きっと力になろうとする。きっと手を伸ばしてくれる。
家族に向けるような顔で。
友人に向けるような顔で。
当たり前のように。
――それが、少しだけ怖かった。
自分はルーデウスの家族ではない。
友人ですらないのかもしれない。
ただの恩人。
ただの知り合い。
それだけだ。
それなのに、時折、自分でも理解できないほど、その輪の中に入りたいと思ってしまう。
それはきっと、許されない願いだ。
「……馬鹿なことを考える」
そう呟いて首を振る。
雪が降っていた。
冷たいはずなのに、胸の奥だけが妙に痛かった。