転移の迷宮を進む。
薄暗い通路を、ギースを先頭に慎重に歩く。
「次は右だな」
ギースの声に、ルーデウスは反射的に頷いた。
「わかりました」
そう答えた直後だった。
足元の魔法陣を見落とし、そのまま踏みかける。
「ルディ!」
パウロの鋭い声。
咄嗟に飛び退く。
足元で転移魔法陣が淡く光った。
「危ないですわよ」
エリナリーゼが眉をひそめる。
「……すみません」
ルーデウスは額を押さえた。
らしくない失敗だった。
普段なら気づけた。気づかなければならなかった。
だが最近、どうにも集中できない。
頭の片隅に、ずっとあの人がいる。
ジークフリート。
今どこにいるのか。何を考えているのか。ちゃんと食べているのか。眠れているのか。
考えるなと言われても無理だった。
魔物と戦っている最中ですら、ふとした拍子に思い出してしまう。
「ルディ」
今度はロキシーだった。
「大丈夫ですか?」
「え?」
「さっきから上の空ですよ」
ルーデウスは慌てて笑う。
「だ、大丈夫です」
嘘だった。
全然大丈夫ではない。
夜もあまり眠れていない。
ふと、ヒトガミの言葉を思い出す。
『ジークフリートがいる限り、君の家族は危険に晒され続ける』
(…それでも、それでも――俺は、謝らなくちゃいけないんだ)
だが、どう謝ればいいのか。
どうすれば元に戻れるのか。
答えの出ない問いばかりがルーデウスの頭を回り続けていた。
「…よし!少し休憩するか!」
すると、突然パウロがそう言った。
「え?まだ探索を始めたばかりですよ?」
「お前、気が散りすぎ。冒険者の先輩としての気遣いだ。ありがたく受け取っておけ」
「そうですね。ルディ、少し休憩を取ったほうがいいですよ」
ロキシーもパウロに続いて賛成する。
「先輩、疲れてるのはわかるが、このままだと俺たちにも魔術当てちまいそうだぜ?少し休みな」
「そうですわね。無理してもいいことはありませんわ」
「その通りじゃ。若いからといって遠慮することはない」
ギース、エリナリーゼ、タルハンドも同意見のようだ。
「皆さん…すみません」
そして、一行は休息をとることとなり、各々武器や防具の点検を始めた。
そんな中、パウロがルーデウスに近寄り、話しかける。
「よう」
「父さん…」
「あまり元気なさそうだな。で、どうしたんだ?今だけじゃなくて、迷宮の外でも様子がおかしいじゃねえか」
ルーデウスは視線を落とす。
話すべきか。
迷った。
だが、胸の中に溜まったものは、自分だけでは抱えきれそうになかった。
「実は、その……ジークフリートさんと、喧嘩、のようなものをしてしまって」
ルーデウスはぽつりと漏らした。
パウロは黙って聞いている。
「いや……喧嘩とは呼べませんね」
自嘲気味に苦笑した。
「僕が一方的に当たり散らして、傷つけてしまっただけです」
そう言った瞬間、胸の奥がずきりと痛んだ。
あの日の光景が蘇る。
酷く疲れた様子。何度も頭を下げる姿。それでも最後まで自分たちを心配していた声。
そして――
『了解した』
静かに背を向けた姿。
ルーデウスは拳を握り締めた。
「俺、最低なんです」
「そうか」
パウロは短く頷く。
しばらく考え、そして、あっさりと言った。
「じゃあ、謝るしかねえな」
「でも、どうやって? なんて謝れば……」
「わからん!」
「は……?」
あまりにも即答だった。
「わからんが、謝り続けるしかないだろう」
パウロは肩をすくめる。
「父さんもそうしてきた」
「はは……リーリャの時もそうでしたね」
「おい、それは言わない約束だろ?」
苦い顔をするパウロ。
ルーデウスは少しだけ笑った。
だが、その笑みもすぐ消える。
「でも、もし許してもらえなかったら……」
足が止まりそうになる。
ジークフリートは優しい。
だからこそ、余計に怖かった。
もし本当に愛想を尽かされていたら。
もし二度と戻らないと言われたら。
そんな考えが頭から離れない。
「……あのな」
パウロの声が少し低くなる。
「許してもらうために謝るんじゃない」
「……」
「悪かったと思ったなら謝る」
短い言葉だった。
だが、不思議と重かった。
「許してもらえなくても続ける。相手が大事ならな」
ルーデウスは黙る。
胸の奥に、その言葉がゆっくり沈んでいく。
許されるためじゃない。
自分が楽になるためでもない。
逃げないために謝る。
向き合うために謝る。
そう考えると、少しだけ道が見えた気がした。
「そうですね……」
小さく息を吐く。
「きっと、それしかないんでしょうね」
「ああ」
パウロは笑う。
「だいたいな。謝り方なんて考えてる時点で、お前はまだ余裕があるんだよ。本当に申し訳ないと思ってるなら、会った瞬間に頭下げてる」
「ははは…そうかもしれませんね」
ルーデウスは思わず苦笑した。
確かにその通りかもしれない。
謝罪の言葉を考えているのは、結局まだ自分を守ろうとしているからだ。
「……会えたら、ですね」
ぽつりと呟く。
ジークフリートは今も迷宮のどこかにいる。
見つかる保証はない。
だが、見つけたい。
謝りたい。
今はそれだけだった。
パウロはそんな息子の横顔を見て、小さく笑った。
■
ラパンから遥か離れた砂漠。
夜風だけが吹いていた。
月明かりの下、一人の騎士が砂の上に座っている。
ジークフリートだった。
何かを持つようにじっと座っている。
どれほどそうしていたのか。
不意に顔を上げた。
《 闇霊 喪失者 に侵入されました 》
淡々とした声が、ジークフリートの頭の中に響く。
ゆっくりと立ち上がり、剣を構える。
敵意の感知が発動する。赤い光が5つ。
5人もの闇霊がジークフリートを囲む。
前衛に3人、後衛に2人。
理想的な包囲。
そして最悪の連携。
それを全く気にせず、無造作に歩むジークフリート。
前衛が飛び出す。
後衛が魔術と奇跡を編む。
3つの刃と、ソウルの槍と雷の槍が迫る。
ジークフリートは中盾――金翼紋章の盾を具現化し、ソウルの槍と雷の槍を弾く。
その隙をすかさず3人の闇霊が突こうとする――
「甘い」
弾いた勢いのまま、闇霊の1人を盾で殴りつける。骨が砕ける音。頭が陥没し、地面に叩きつけられる。
残りの闇霊2人が怯む。
剣閃が走る。
正確に首を断たれ、闇霊2人は瞬く間に消滅した。
後衛の闇霊が慌てて魔術と奇跡を編む。
盾を構え、弾く体勢を取るジークフリート。
だが。
空が赤く染まった。
炎、灼熱。巨大な火炎が闇霊たちを呑み込む。
悲鳴。
絶叫。
そして消滅。
静寂が戻る。
ジークフリートは最後に倒れた闇霊へ剣を突き立てた。
完全に消えたことを確認する。
それから空を見上げた。
赤竜が降下してくる。
ヘルカイトだった。
砂漠へ着地する。
巨体が月明かりを遮る。
「ありがとう」
短い礼。
ヘルカイトは鼻を鳴らす。
ジークフリートは少し笑う。
「これで闇霊たちは片付いた。俺はまた迷宮に戻る」
あと少しだ。
本当にあと少し。
ゼニスを助けられる。
家族を助けられる。
全部終わる。
「…送ってもらえるか?」
ヘルカイトは黙って頭を下げた。
乗れ、と言っているようだった。
ジークフリートは背に飛び乗る。
「ありがとう」
少し間を置く。
「本当にありがとう」
ヘルカイトだけだった。
何も聞かず、何も責めず。
ずっと側にいてくれたのは。
竜が翼を広げる。
砂嵐が舞う。
空へ。
月へ。
ラパンへ。
迷宮の最深部までもう少しだ。
あと少し、あと少しで、ゼニスの元へたどり着ける。
そうしたら。そうしたら――
一瞬だけ、ブエナ村の家が浮かんだ。
食卓。
笑い声。
家族。
全員揃った景色。
パウロ、ゼニス、リーリャ、ノルン、アイシャ、ルーデウス、そして―――
「違う」
ありえない夢想を断ち切る。
そんなもの、俺にはない。あってはならないものだ。
自分は呪われ人だ。
家族の側にいてはいけない。
ゼニスを助けたら終わりだ。
それでいい。それで十分だ。
夜風が吹く。
ヘルカイトは何も言わない。
ただ黙って飛び続けた。
ジークフリートの胸の奥――いや、魂の奥で、風がざわめいた。
ベガリット大陸の夜。月と風だけが、ジークフリートとヘルカイトを見つめていた。