最深部に到着するジークフリート。
台座に乗った3つの青い転移魔法陣を見つめ、少し考える。
おそらく、ここが最深部だ。
このどれかの魔法陣に乗れば、真の迷宮最深部に跳び、
…悩んでいても仕方ない。一番近い魔法陣に向かって歩き出す。
こつ、こつ、こつ。
迷宮の石畳と具足がぶつかり合い、音を立てる。
こつ、こつ、かーん。
転移魔法陣へ入る直前、何か違和感を感じる。
足音が違った。何かがおかしい。床を見つめる。
これみよがしに置かれた3つの魔法陣を再度見つめる。
少し、違和感がある。
ここまで来て、また分かれ道なのか?
もう一度床を見つめる。
大槌を具現化し、軽く地面を叩く。
かーん、かーん。
――これでわかった。
大槌を振るい、床を叩き割る。
大きな衝撃音。床が崩れ落ち、大きな穴が空く。
そこには、下へと続く階段と、赤い転移魔法陣があった。
これが正解だ。
確信するジークフリート。
ゆっくりと階段を降り、赤い魔法陣へ向かう。
気負いなく、当然のように。
どんな相手だろうと、やることは変わらない。
剣を振るい、殺す。
ゼニスを救う。
それだけだ。
赤い転移魔法陣に乗る。すぐに赤い光と共に転送が始まる。
戦いが、始まる。
■
転送された先は、凄まじく広く、荘厳な空間だった。
天井はかなり高く、奥に向けて等間隔に並んだ大きな柱が立ち並ぶ。
各所には複雑な文様をしたレリーフが刻まれており、高貴な雰囲気を醸し出している。
奥には、巨大な魔物がいた。
翠緑の鱗。見上げるほどの巨大な体躯。そこから生える、大木と見紛う9本の首。強い敵意の込められた赤い目。体中に水色の魔石が生えていた。
転移の迷宮の最後の敵。ガーディアン。
しかし、ジークフリートの視線はヒュドラにはなかった。
最奥。ヒュドラの後方。
そこに、大きな水色の魔力結晶があった。
その中に、彼女がいた。
幼い自分を育て、守ってくれた女性。
ゼニスが、魔力結晶の中に、閉じ込められていた。
「母様…!」
ジークフリート――いや、アルブレヒトが万感の思いを込め、口を開く。
会いたい。今すぐにでも助け出したい。
だが、すべては後回しだ。
ヒュドラを、殺してからだ。
右手に竜狩りの大斧、左手にグレートソードを具現化し、構える。
「……?」
「ギャギッ…ギッ、ギギギ…!」
何か、ヒュドラの様子がおかしい。
口から黒いよだれを垂れ流し、赤い目をギョロギョロと蠢かせる。うつろな声を上げながら、しかし敵意ははっきりとしている。
よく見ると、体に備えた水色の魔石に混じり、黒い魔石があった。
疑念はある。
だがそんなこと関係ない。
殺す。そしてゼニスを救う。
それだけでいい。
走り出すジークフリート。
ヒュドラが首を振るい、ジークフリートを狙う。
少し左にずれ、ヒュドラの首を右の竜狩りの大斧で受け流す。異音を立てながら、鱗と大斧が削りあって火花が散る。
ジークフリートは受け流し切ると、左のグレートソードでヒュドラの首を叩き切る。
「グギャアアア!!!」
だがヒュドラは怯まない。
いくつもある首をまた振るい、押しつぶそうとする。
「ふっ……!」
それを巧みに避けるジークフリート。避けた首を踏み台にし、上へと駆け上る。高い位置にある首へと、大きく跳躍。
最高度まで達すると、グレートソードを振るい、強烈な斬撃を浴びせる。しかし浅い。血が噴き出るが、切断までには至らない。
「オオオオオッッ!!!」
だが、身体を大きく捻り、竜狩りの大斧を回転しながら振るう。雷を纏った大斧は、甲高い電撃音を鳴らしながら首を断ち切った。
「グオオオンッ!!!」
しかし、これでもヒュドラは怯まない。ジークフリートの着地を狙い、首を突撃させる。
「チッ…!」
空中で大斧とグレートソードを交差して前に構え、受け止める姿勢をとるジークフリート。
直撃。
大きく弾き飛ばされる。
だが態勢は崩れていない。防御したことによって、大きく勢いは削がれていた。
間髪入れずヒュドラの首がまた迫る。後方に跳び、避けるジークフリート。
そんな中、異変が起こる。
「……!!」
最初に断ち切ったヒュドラの首が、蠢き始める。ぐぶり、ぐぶり、という肉の音と共に、新たな首が生え出てきた。
「再生するのか…!」
厄介だ。これでは埒が明かない。
そんな時、また状況が動く。
「ジークさん!!!」
部屋に、大きな声が響く。
思わず後ろを振り向く。
そこには、6人の冒険者がいた。
パウロ、エリナリーゼ、ギース、タルハンド、ロキシー。――そして、ルーデウス。
「あれは……!」
パウロの目が、最奥のゼニスを捉える。表情を一変させ、突撃するパウロ。
「おおおおっ!!!」
「馬鹿野郎!早まるな!!」
エリナリーゼとタルハンドが、独断行動に舌打ちしながらパウロを追う。
「援護します!静かなる氷人の拳、『
「『
ロキシーの氷塊とルーデウスの岩石弾がジークフリートとパウロを追い越し、ヒュドラへ向かう。だが着弾する直前、甲高い音と共にかき消される。
(魔術の無効化か…!)
「うおおらあああ!!」
パウロの雄叫びと共に、ヒュドラの首が切り落とされる。
「とうさ……パウロ!奴の首は再生する!切っても意味はない!!」
ジークフリートが叫ぶ。
「ああ!?ならどうしろって言うんだ!!」
「それは…」
考えるジークフリート。なにか異変はないか?無限に再生などできるわけがない。何か限界があるはず。再生限界まで首を切り落とし続けるか?いや、自分はともかく、パウロたちが危険だ。ヒュドラの限界が来る間に、大怪我や死んでしまう可能性が高い。
なら、どうすれば…
その時、一つの事実に気づく。
ヒュドラの、竜狩りの大斧で切った首。それはまだ、再生しきっていなかった。
「…!傷口を焼け!雷で焼いた首は、再生が遅くなっている!!」
「そうか…!でも、魔術が無効化されてしまっていては…!」
「本で読んだことがあります!マナタイトヒュドラの鱗は魔術を無効化しますが、近くで鱗を避けて打ち込めば通用するはずです!」
ロキシーが叫ぶ。
「了解しました!」
ルーデウスがヒュドラに接近し、巧みに鱗を避け、傷口に向けて火炎弾を放つ。
「オオオオォォン!!」
初めてヒュドラが叫び声をあげ、怯む。
ジークフリートも武器を炎をまとった双大剣、輪の騎士の双大剣に持ち替える。
「ハアアアァッ!!」
「うおおおおっ!!!」
ジークフリートとパウロが、咆哮をあげながら首をそれぞれ切断する。
「小さな燻りが巨大なる恵みを焼き尽くさん!『
パウロが切った首をロキシーが首を焼く。
ジークフリートが切った首は、切った最初から炎で焼かれていたため、再生しない。
状況は、ジークフリートたちの優勢だった。
充分な準備時間もなく、ヒュドラという伝説級の怪物と戦っている。戦えてしまっている。
本来ならば撤退するべきだった。しかしジークフリートとパウロが首を切り落とし、ルーデウスとロキシーが首を焼く。細かい隙もエリナリーゼとタルハンドがフォローする。ヒュドラも抵抗するが、ジークとパウロに対応しきれず、どんどん首の数を減らしていく。
敵に深く踏み込みすぎたパウロをフォローするために飛び出したエリナリーゼたちだったが、思った以上に戦況は優勢に見えた。その感覚が歴戦の冒険者である彼らの判断を鈍らせた。
誰も冷静ではなかった。ようやく見つけたゼニスを誰もが取り返したかった。あと少し、もう少しでゼニスを助けられる。その高揚と焦りが、致命的な隙を作った。
「いける!押し込むぞ、ルディ!」
ルーデウスの予見眼に、信じられない光景が広がる。
黒い波が、見えていた。
「!? 逃げて!!」
直前で予知したルーデウスが叫ぶ。
しかし、間に合わない。
「ウオオオォォォオオン!!!!」
残った首で咆哮するヒュドラ。
黒い魔石が、妖しく脈動する。
ひとつ、またひとつ。
水色だった魔石が黒く染まり始める。
焼いたはずの首の断面から、鱗の隙間から、目から、魔石から、ヒュドラのいたるところから、黒い泥のような膿――人の膿があふれ出る。
それは液体だった。だが、生きていた。
獲物を求めるように蠢きながら広がっていく。
「なっ――」
誰かが息を呑む。
次の瞬間、暴威が解き放たれた。
咆哮とともに、全身から黒い膿が無秩序に溢れ出し、全員を襲う。
ジークフリート、パウロ、エリナリーゼは咄嗟に武器を構える。
「ぐっ!」
「チッ!」
衝撃と共に吹き飛ばされる。
ロキシーとタルハンドも後方へ跳び退くが、完全には避けきれず大きく体勢を崩した。
だが、ルーデウスだけが違った。
前衛でも後衛でもない。
中途半端な位置。
最も危険な場所だった。
「―――ぁ」
視界が黒く染まる。
左手が飲み込まれる。
何が起きたのか理解するより早く。
肉が削られた。骨が砕かれた。
「あぐぁぁあああああっ!!!」
絶叫。
血が飛び散る。
叫ぶルーデウス。
「ルーデウス!!」
人の膿が蠢く。
獲物を見つけた肉食獣のように。
最も傷ついた者へ。
最も弱った者へ。
一直線に殺意を向ける。
次は避けきれない。ルーデウスは、死ぬ。
その判断と同時に、ジークフリートは駆け出した。
死なせない。
殺させない。
必ず守る。
絶対に。
家族を守る!
ルーデウスの前へ躍り出る。
大斧とグレートソードを交差させる。
直後、濁流が直撃した。
まるで城門に破城槌が叩き込まれたような衝撃。
「ぐっ……!」
両腕が軋む。足が沈む。押し潰される。
それでも退かない。
だが耐え切れない。武器ごと弾き飛ばされる。
それでも。それでも。
ジークフリートは倒れなかった。
武器がないなら、手で受け止めればいい。
膿へ腕を突っ込む。
手甲が消える。
金属が溶ける。
肉が削れる。
それでも退かない。
「おおおおおおおおおっ!!」
咆哮。
受け止める。押し返す。守る。
受け止め切れなかった膿が鎧を削る。
胸甲が砕ける。
肩当てが吹き飛ぶ。兜が抉れる。顔が露出する。
それでも。それでも。
倒れない。
ルーデウスを守り続けた。
今度こそ、必ず家族を守る。
もう二度と、情けない負け犬にはならない…!
濁流が、流れ去る。
その後には、傷だらけの姿で立つジークフリート。鎧は中破、兜は完全に破壊され、顔が露出していた。
そして、ルーデウスはその背中を見つめていた。
「じ、ジークさん……」
「大丈夫だ。
状況はひっくり返った。ルーデウスの左手は抉り取られ、ジークフリートは大怪我を負っている。他の面々も、多少なりとも傷を負っている。
完全に不利。
だが、だが。しかし。
ここには騎士がいる。
誇り高き、騎士が。
覚悟を決めた、カタリナ騎士が。
「あとは任せろ」
人の膿が再度蠢き、ジークフリートたちを狙う。
そんな中、ジークフリートは、魂の奥底から力を感じていた。
強く、荒々しい、とてつもない"嵐"。
それは、巨人殺しの異名を持つ大剣。
今でも嵐の力を宿す、伝説の剣。
そう、父から受け継いだ、大切な剣。
全て忘れても、全て失っても、これだけは離さなかった。
息を大きく吸う。
父さん――ジークバルト。
力を貸してくれ。
「来い!
剣は、
ソウルの光と、風と共に、大剣が具現化される。
古びた刀身。無数の傷。
それでもなお、それは英雄の剣だった。
ストームルーラー。
嵐を支配した巨人殺しの大剣。
握った瞬間、膨大な力が全身を駆け巡る。
風が唸る。
竜巻が生まれる。
暴風が荒れ狂う。
迷宮そのものが震えていた。
人の膿が迫る。だが届かない。
嵐が切り刻む。削る。砕く。
一滴たりとも近づけさせない。
暴風は止まらない。
剣へと収束する。
風が刃となり。
嵐が刀身となり。
やがて天井へ届くほどの巨大な風の大剣が形成される。
まるで神話の一頁。
誰もが息を呑んだ。
「オ、オオ、オオオオオオッッッ!!!!!」
アルブレヒトが咆哮する。全身から血を流しながら、それでも一歩踏み出す。
そして、嵐を振り下ろした。
世界が裂けた。
轟音。
暴風。
衝撃。
全てが一つになってヒュドラへ叩きつけられる。
「ギャァァアアアァアアア!!!!」
人の膿と化したヒュドラが叫び声をあげる。
嵐は鱗一つ、肉片一つ、雫一つ残さず、ヒュドラと人の膿を削り続ける。
「ハアアァァアアアッ!!!!」
アルブレヒトが咆哮する。
叫びながら、彼は、家族のことを思い出していた。
『お前はきっと、立派な騎士になれる』
最後まで俺を見捨てなかった前世の両親、ジークバルトと、母。
『アルは本当にいい子に育ったわね』
見守り、導いてくれた母、ゼニス。
『騎士ってのは、誰かを守るもんだ』
剣を教えてくれた父、パウロ。
『ありがとう、ございます…』
俺を育ててくれたもう一人の母、リーリャ。
『ありがとうございました。私、一人じゃなかったです』
傷つきながらも、立派に自分の足で立った妹、ノルン。
『私、人を見る目には自信あるので!ジークさんは信頼できる人です!』
聡明で、自分を慕ってくれた妹、アイシャ。
『兄ちゃんに任せとけって!』
『あ、ありがとうございます?』
『誕生日、おめでとうございます!』
そして、魔術を教えてくれて、家族思いで、俺が生まれてきたことを祝福してくれた兄。幸せになっていいと教えてくれた兄。ルーデウス。
(ああ、幸せだな)
こんなにも、幸せになっていいのだろうか。
ルーデウスは生きてる。パウロも生きてる。ゼニスだって助けられる。
そうしたら、また家族がもとに戻る。
ブエナ村の、家に帰ろう。また家族一緒に暮らそう。
きっと、とても幸せになれるだろう。
(だけど、そこに俺は必要ない)
ストームルーラーを強く握る。
今ここで、すべてを出し切る。
ヒュドラを倒し、ゼニスを救う。パウロを守る。ルーデウスを守る。
呪われ人である自分が、家族を守って死ねるなんて。大切な誰かを守れるなんて、思わなかった。
ああ、良かった。
俺は―――
嵐が止む。
ヒュドラはずたずたに引き裂かれ、人の膿は一雫も残っていなかった。
アルブレヒトは、大切なものを守りきった。
ただ――その代償は、大きかった。
「…………」
後ろに倒れるアルブレヒト。
もう、限界だった。
ルーデウスが自然と彼を受け止める。
「え? ジーク、さん…?」
顔を見るルーデウス。その顔には見覚えがあった。優しい青い瞳には、見覚えがあった。
違う。ジークフリートじゃない。
「…………………アルブレヒト?」
そこには、弟がいた。
大切な、たった一人の、弟が。
「に、いさ……ん」
半身は膿にえぐられ、既になくなっている。
顔も、半分が傷つけられ、見るに堪えない状態だ。
それでもわかった。家族だから。
「俺、は……」
待って。待ってくれ。どうして今なんだ。どうして今わかったんだ。
もっと、話したいことが、謝りたいことが、したいことがいっぱいあるのに。
待って。待ってください、神様。
アルを、連れて行かないで。
「俺は、立派な……騎士に、なれましたか?」
不安そうに、でもどこか清々しそうに、アルブレヒトは、口を開いた。
答えようとした。
だが、それより先に、アルブレヒトの瞳は光を失った。
「あ……………」
待って。待って。
「あ……ああ。あああ、あ、ああ゛あ゛あ゛あああ!!!!」
慟哭が、迷宮に響く。
ルーデウスはアルブレヒトを抱きしめる。
だがその身体は崩れ始めていた。
指先から、灰になっていく。
「待ってくれ!」
必死に抱き寄せる。
だが止まらない。
「待ってくれよ!!」
鎧が崩れる。
大剣が消える。
灰が零れ落ちる。
「嫌だ…嫌だ……アル……」
やっと見つけたのに。
やっとわかったのに。
やっと謝れると思ったのに。
「俺はまだ……」
震える手を伸ばす。
指の隙間から灰が零れ落ちる。
「俺はまだ、お前に謝ってない……」
涙が止まらない。
「ありがとうも言ってない」
震える。
「家に帰ろうって、言ってない」
掠れる。
「兄貴らしいこと、一つもしてないだろ……」
灰が舞う。
もう掴めない。
「だから……」
だから。
頼むから。
「置いていかないでくれ……」
最後の灰が風に消えた。
そこには何も残らない。
剣も。
鎧も。
弟も。
何一つ。
ただ、膝をついたままのルーデウスだけが残された。
アルブレヒト・グレイラットは死んだ。
家族を守り。
母を救い。
騎士として戦い抜いて。
そして――幸せなまま、死んだ。