玉葱騎士、六面世界に立つ 作:神聖龍 エモーショナル・ハードコア
季節は移り変わり、雪が降り積もる冬になった。
母の皿洗いを手伝いながら、窓の外を眺める。桶に張られた水が冷たく、手がかじかむ。
黄金色だった麦畑は白銀に塗り替えられ、風景はすっかり別物になっていた。
あれから、俺は四種の初級魔術をなんとか習得した。
兄はというと、水聖級魔術を会得したらしく、それを理由にロキシーは家庭教師としての役目を終えた。
すっかり家に馴染んだ彼女を家族総出(特に兄)で引き留めたが、彼女は首を縦に振らなかった。
もっと腕を磨くため、魔術修行の旅に出るのだという。
いなくなってしまったのは正直寂しいが、初級魔術を修めた証としてもらった杖は、今も大切にしている。それは魔術の証というより、誰かが自分を見守っていた証のように思えたからだ。
…ロキシーはずっと雷の槍について追及してきたが、結局うまい言い訳が思いつかなかったので「偶然」で押し通した。
最後まで怪しんではいたが、なんとか誤魔化せた…と思う。
ぼんやりしつつも皿洗いが終わる。最近は食器を割ることもほとんどなくなった。
続けて食器を拭いていると、隣で同じく皿を拭いていたゼニスが話しかけてくる。
「アルは本当にいい子に育ったわね。いつも手伝ってくれて、母さん助かってるのよ」
「いや…そんな…」
少し照れくさくて、視線を落とす。
「食器を割ることも減ったし、剣術だけじゃなくて家事も神級になっちゃうかもね!」
「家事にも級位があるんですか」
「あ~もう!純粋でかわいい~!!」
頭を抱えられ、撫でまわされる。危ないのでやめてほしい。
「でもね。純粋だからこそ気を付けてほしいの」
ゼニスは声の調子を落とし、続けた。
「あのね、アルはすごい力を持っているわ。でも……それをあまり人に見せちゃいけないの」
手が止まる。
「怖い人たちに見つかったら……神殿騎士とか…そうしたら、家族みんなとお別れしなきゃいけなくなるかもしれないのよ」
母の、心からの忠告だった。
神殿騎士というのはよくわからないが、力あるものが必ずしも守ってくれるとは限らないという現実はわかる。
ゼニスは、そっと俺の手を握った。
「あなたがいなくなる未来は……母さんは耐えられないの」
その言葉が、胸の奥に静かに沈んだ。
俺は何も言えず、ただ小さく頷いた。
■
大事件が起きた。
ゼニスと、リーリャが、同時に妊娠した。
パウロの手によって。
家族全員で食卓を囲む中、リーリャの告白によってその事実は判明した。
パウロがすぐさまそれを認め、家の空気は凍りつく。
グレイラット邸は、外にも負けないほど冷え込んでいた。
「それで、どうするつもり?」
「奥様のご出産をお手伝いした後……お屋敷をお暇させていただこうかと」
ゼニスとリーリャが向かい合う。
空気は張り詰め、重く沈んでいた。
「子供は?」
「フィットア領内で産んだ後、故郷で育てようかと」
「あなたの故郷は南の方だったわね。…体力の落ちたあなたに、長旅は厳しいわ」
「……かもしれませんが、他に頼れる場所もありませんので」
「あの、母さん、さすがにそれは……」
「あなたは黙っていなさい!」
パウロが口を挟もうとしたが、ゼニスにピシャリと言われ、子供のように縮こまった。
言葉を挟む間もなく、話は進んでいく。
ゼニスの気持ちはわかる。貴族や騎士の世界では側室やお手付きは日常茶飯事だが、納得できるかはまた別の話だ。
しかもリーリャはただのメイド。常識的に考えれば、ある程度の手切れ金を渡して放逐するのが当然だろう。
だが。胸の奥で、何かが強く拒んだ。
それは間違っていると、叫んでいた。
気づけば、俺は一歩前に出ていた。
「俺が護衛します」
沈黙。
全員の視線が、俺に集まる。
「俺がいれば、安全です。父さんにも勝ちましたし」
前世の記憶のことは言えない。
だが、守れると分かっているならば守るべきだ。
力あるものが必ずしも守ってくれるとは限らない。しかし、俺には自分が守れると分かっているものを見捨てる理由が、どうしても分からなかった。
リーリャは困ったように眉を下げた。
俺が疎まれていることくらい、分かっている。
無表情で泣きも笑いもしない赤子はさぞ不気味だったろう。
それでも。
彼女は俺を育ててくれた。
疎んでいても、決して雑に扱わなかった。
役目を、最後まで果たした。
――立派なメイドだ。
「ダメ!!!!!」
ゼニスの怒号が響く。
「何言ってるの?自分の子供を危険な目にあわせられないわ!」
「アル…」
パウロが遠慮がちに口を開く。
「お前が強いのはわかってるが、旅となれば話は違う。それにお前はまだ子供だ。口を出す話じゃない」
「父様は黙っていてください。俺より弱いんですから」
「お前な…」
旅の心得はある。前世のことなので説明はできないが。
俺は口がうまくない。両親を納得させることはできないだろう。だが、ここで逃げるわけにはいかない。いくらパウロとゼニスが許さなくても、リーリャが拒絶しようと、必ずついていく。
そう覚悟を決めた、その時。
「母様。一度に二人も兄弟が出来たというのに、なんでこんなに重い雰囲気なのですか?」
兄が場に割って入った。
空気がわずかに緩む。重く張り詰めていた糸を、兄はゆっくりとほどいていった。
「この間、夜中にトイレに行こうと思ってリーリャの部屋の前を通ったら、父様が…何とかを言いふらされたくなかったら大人しくしろって言ってました」
「……リーリャ、今の話は本当?」
そこから兄は口八丁手八丁で話をずらし、ゼニスを説き伏せる。
「いえ、そんな事実は…」
「そうね、あなたの口からあったとは言えないわね…」
「母様、リーリャは悪くないと思います。悪いのは父様です」
パウロが代わりに犠牲になったが、まあ仕方ない。騎士というものは真っ先に犠牲になるものだ。
「……そうね」
「それに母様、僕とアルにとっては両方とも兄弟です」
「……………わかったわよ。もう、あなたたちには敵わないわね」
大きくため息をつき、俺と兄を見つめるゼニス。
「リーリャ、うちにいなさい。あなたはもう家族よ!勝手に出ていったら許さない!」
兄の言葉が、家族の間に「結論」を作り上げていった。
「お、奥様…あ、ありがとう、ございます……」
感極まって泣き出すリーリャ。
それを抱きしめるゼニス。
パウロは疲れ切った、だが安心した表情で椅子に沈み込んでいた。
誰もが兄の結論を受け入れ、これ以上掘り下げることをやめた。
まさに一件落着。
大荒れだった家族会議をたった一人で治めてしまった。
しょうがないな、という顔で腰に手を当てている6歳の子供が、だ。
俺は前世も含めて何年も生きてきたが、このような状況で穏便に収める方法など到底思いつかない。
大人でもさぞ苦労する問題を、兄は容易に解決してみせた。
俺の兄は、本当にすごい。
■
家族会議が終わってから、数日が過ぎた。
屋敷の中は落ち着きを取り戻し、リーリャも以前と変わらず仕事をしている。
そんなある日のことだ。
兄が何気なく話しかけてきた。
「なあ、アル。家族会議の時、どうするつもりだったんだ?」
問いの意図がすぐには理解できず、俺は首を傾げる。
「どうするとは?」
「護衛するって言い出したことだよ。母様をなだめる手段として使ったんだろうけど、本当についていこうとしたわけじゃないんだろ?」
兄にとっては軽い雑談なのだろうが、俺にはいまいち理解できない。
「? いえ、どうなろうとリーリャについていくつもりでしたが」
「え?」
一瞬、兄の表情が止まった。
驚いたというより、言葉の意味を一つずつ噛み砕いている、そんな間だった。
「恩を返すのは、当然だと思います」
他に選びたい、または選ぶべき選択肢はない。
当たり前のことなのだが、兄はどうしてわざわざ聞いてくるのだろうか。
「あ、そう…す、すごいな、いろいろと」