玉葱騎士、六面世界に立つ   作:プラザ合意

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第30話 後悔と再起

 

「アル、ブレヒト…?」

 

 パウロが、呆然とした様子で立ち尽くす。

 

「なんで、ここに…?ジークフリートじゃ、なかったのか…?」

 

 混乱するパウロ。ただ、取り返しのつかない喪失感だけが心に去来していた。

 

「ルディ!」

 

 ロキシーがルーデウスに駆け寄る。

 

「治癒を…!」

 

 俯き、絶望するルーデウス。左手から流れ出る血も気にならないようだ。

 ロキシーが治癒魔術を使い、傷口を塞ぐ。

 

「ルディ……?」

 

 返事がない。

 視線だけが。

 灰になった場所を見つめている。

 

 誰も何も言えなかった。

 誰もが言葉を失っていた。

 

 そんな中、ゼニスが囚われていた魔力結晶が砕け、解放された。

 

「…! ゼニス!!」

 

 我を取り戻し、駆け寄るパウロ。

 それは、現実から逃げるような、残された希望に縋るような行為だった。せめて、せめてゼニスだけでも無事でいてほしい。

 

 ゼニスの呼吸を確認する。

 死んではいない。ただ意識を失っているだけだった。

 

「よかった…よかった……」

 

 ゼニスを抱きしめ、涙を流すパウロ。

 

 ゼニスが助かった。

 長年の悲願が叶った、転移災害からずっと捜し続けてきた妻が見つかった。

 だが、喜びきれなかった。

 

 アルブレヒト。最後の家族。大切なもう一人の息子。

 あの子がいない。

 

「そうだ、アル…!アルは!?」

 

 誰に聞くでもなく呟く。

 返事はない。

 

「おい、アルはどこだ」

 

 立ち上がり、辺りを見回す。

 当然いないが、それでも探す。

 

「隠れてるんだろ」

 

 声が震える。

 

「ジークフリートなんて名乗って、父さんに悪戯したかったんだろ?そうなんだろ?」

 

 笑おうとするが、笑えない。

 

「頼む…頼む…!出てきてくれ、頼む!」

 

 悲痛な声が、迷宮に響く。

 

「こんな、こんな終わり方は嫌だ…!」

 

 死んでしまったのか?本当に?

 なぜイーストポートで会った時、息子だと言い出してくれなかったんだ?

 どうして、俺に助けを求めてくれなかったんだ?そんなに頼りない父親だったのか?

 

 あの日、生まれたばかりの小さな身体を抱いた時、絶対に守ると決めた。泣かせないように。傷つけないように。幸せにすると決めた。

 だが現実はどうだ。逆に守られて、ボロボロになるまで見ていることしかできなくて、死に目すら呆然としていて看取れなかった。

 

 なんて、なんて駄目な親父なんだ。

 

「アル!!アル!!!」

 

 息子を探して、部屋を彷徨う。

 いるはずもないのに。

 

 次第に、涙が溢れる。

 

「ごめん、ごめんなぁ、アルブレヒト…」

 

 ただただ涙を流し、アルブレヒトに謝罪を続けるパウロ。

 

「駄目な父さんでごめん。守れなくてごめん…」

 

 だが、どれだけ謝っても。

 どれだけ泣いても。

 もう、その声は届かない。

 

 謝罪は返ってこない。

 

 迷宮は静かだった。

 ただ、アルブレヒトがいた場所だけが、空っぽだった。

 

 

 

 

 天井を見つめながら、ただただ物思いにふける。

 

 アルブレヒトが、死んだ。

 死体は、灰も残らなかった。

 遺品の一つもない。

 

 目を塞ごうとして、左手を動かす。

 だが、一向に目の前は塞がらない。

 

 ああ。そうだった。左手が、ないんだった。

 どうでもよくて、忘れていた。

 

 あの後、どうやって宿に戻ったか記憶があやふやだ。

 迷宮の帰り道では、たくさんミスをした。

 うまく敵が倒せず、魔術も不安定だった。

 パウロも同じだった。動きは精彩を欠き、何度も危ない場面があった。

 

 でも、誰も何も言わなかった。

 なんの文句も、慰めもなかった。

 

 かなりの時間をかけて、迷宮から脱出した。

 宿で出迎えてくれたリーリャに、何と話したのか記憶がない。

 確か、エリナリーゼかギースが説明をしてくれた気がする。

 

 リーリャは、ショックを受けた様子だった。だが、それでもパウロと俺を抱きしめ、慰めてくれた。

 

 それから部屋に戻り、今に至る。

 

「どうして、俺なんか庇ったんだ…」

 

 そんなの決まってる。優しいからだ。誰より優しい俺の弟は、どんな相手でも怯まず立ち向かってしまうからだ。

 

「どうして、何も言ってくれなかったんだ」

 

 そんなことわかりきっている。俺が追い出したからだ。何度も、何度も助けられたのに、怖くて遠くへ追いやってしまったからだ。

 

「どうして、どうして…」

 

 答えはわかっている。俺が馬鹿だからだ。アルブレヒトが側にいたことも気づかず、遠ざけ、傷つけてしまったからだ。

 

 アルブレヒトに会いたかった。

 でも、もう二度と、会えない。

 

 

 

 

 翌日。

 目覚めは最悪だった。

 何もしたくなかった。

 だが、なんとかベットを出る。

 

 ゼニスに会わなくては。

 多くのものを失った。だが、ゼニスだけは助けられた。

 今は、それに縋りたい気分だった。

 

 リーリャとゼニスがいる隣室に移動する。

 パウロもそこにいた。

 

「父さん…」

「ルディ……」

 

 考えることは同じらしい。…いや、夫として、純粋にゼニスが心配だったのだろう。自分のことしか考えられなかった俺とは違う。

 

「ルーデウス様、もう大丈夫なのですか?」

 

 リーリャが心配して声をかけてくる。

 

「……ええ。大丈夫です。俺だけが休んでいるわけにもいきませんし」

「休んでくださっていても、誰も何も言いませんよ」

 

 優しい声をかけてくれるリーリャ。

 だが、今は何かをしていたかった。何かをしていないと、気が狂いそうだった。

 

「ここにいさせてください」

「…わかりました。椅子をどうぞ」

 

 結局、3人でゼニスの様子を見ることにした。

 ゼニスは目を覚まさない。迷宮で運んでいるときも、宿に戻ってからも、ずっとそうだった。

 それでも、じっと待つ。

 こうして見る限りは、ただ寝ているだけに見えた。

 

 もしかして、このまま目覚めないのではないか。

 そんな考えが頭によぎる。

 

 アルブレヒトに続いて、ゼニスまでも。

 

 違う。そんなことはない。ゼニスは助けられたんだ。すぐに目覚めるはずだ。きっと、きっと。

 

 時間が経ち、リーリャに促されて食事をとることになった。

 だが、空腹感はなく、ご飯はほとんど喉を通らなかった。

 パウロも、同じ様子だった。

 

 ゼニスに変化があったのは昼下がりだった。

 俺たちが見守る中、小さなうめき声とともに、ゆっくりとまぶたを開いた。

 

「ん…う……」

「ゼニス!」

「奥様!おはようございます、奥様!」

 

 リーリャに助けられ、自分で身体を起こしたゼニス。ぼんやりとした顔で、周囲を見渡す。

 安心した。

 アルブレヒトは死んでしまった。

 けれど、ゼニスは助かった。

 どちらが助かったからいい、というわけではないが、ゼニスを助けようとしていたアルブレヒトの思いは叶った。

 

 アルブレヒトが死んだと聞いて、ゼニスは悲しむだろう。だが、せめて、ゼニスと、リーリャと、パウロと、俺の4人で悲しみを分かち合おう。

 

「母さん…」

「……?」

 

 首をかしげるゼニス。

 成長した俺を見て、困惑しているのかもしれない。説明しようとして、口を開く。

 

「母さん。僕です。ルーデウスです」

「………?」

 

 疑問符を浮かべ続けるゼニス。

 …何かが、おかしい。俺に気づかないのはわかる。でも、パウロやリーリャにも気づかないのはどういうことだ?

 先ほどから、ずっとゼニスは虚ろな表情を浮かべている。おかしい。何かがおかしい。

 

「うう、ああー」

 

 うめき声をあげるゼニス。

 

 拙い声。

 虚ろな目。

 発せない言葉。

 

「ゼニス…お前……」

「もしかして、奥様…?」

 

 何度も話しかけた。

 名前を呼んだ。昔話をした。ブエナ村のことを話した。ノルンのことを。アイシャのことを。アルブレヒトのことを。

 だが、ゼニスは言葉には反応するが、決して言葉を発することはなかった。こちらの言葉を、理解することもなかった。

 

「ルーデウス様、パウロ様…奥様は、失っておられます」

 

 ゼニスは全てを失っていた。

 記憶を、知識を、人格を。

 人として構成される知恵を、全て。

 

「あ…………」

 

 つまり、アルブレヒトの死を、悲しむこともできない。分かち合うことができない。

 

 そんな事実を突きつけられて。

 

 ぽっきりと、俺の心は折れた。

 

 

 

 

 部屋でじっと、天井を見つめる。

 何度も、何度も、朝と夜を繰り返した。

 

 眠っても、眠らなくても、目を閉じれば、アルブレヒトが死ぬ光景を思い出した。

 

 黒い膿から俺を守り、嵐と共に戦い、そして死んだあの光景を。

 俺の腕の中で、息絶える瞬間を。

 

『俺は、立派な……騎士に、なれましたか?』

 

 どうして、答えてやれなかったんだろう。

 アルブレヒトの、最期の言葉。

 

 何度も思い出す。その度に胸が締め付けられる。

 あんなにも簡単なことだったのに。

 あいつは誰よりも騎士だった。誰よりも誰かを守ろうとしていた。

 誰よりも傷つきながら。誰よりも苦しみながら。

 最後まで、自分より他人を優先した、立派な騎士だった。

 そんなこと、ずっと前から分かっていたはずなのに。

 なのに俺は、何も言えなかった。

 

 弟なのに。守ってやらなければならなかったのに。

 逆に俺は守られ、アルブレヒトは死んでしまった。

 

 答えは今でも心の中にある。

 けれど、それを伝える相手は、もうどこにもいなかった。

 

 

 

 

 こんこん、と部屋をノックする音。

 返事をするのも億劫だった。

 

 無視していると、誰かが部屋に入ってくる。

 

「ルディ、いいですか?」

「…師匠」

 

 ロキシーだった。ネグリジェを着ていた。

 

「気分転換に、私と出かけませんか?」

「…え?」

「ほら、この街にはまだまだ面白そうなものがありますし、先日のようにまた一緒に見て回りませんか?」

「……いえ」

 

 首を横に振る。

 

「そんな気分では」

「そ、そうですか」

「……すみません」

 

 ロキシーは少し寂しそうにしていた。そして扉を閉め、鍵をかける。

 

「失礼します」

 

 ロキシーはベッドに腰掛けると、そのまま俺の隣へ座った。

 沈黙。

 部屋には時計の音だけが響いていた。

 

「ゼニスさんとアルブレヒトのことは、残念でした」

 

 静かな声だった。

 

「私も、ブエナ村で過ごした日々はよく覚えています」

 

 ロキシーは少し目を細める。

 

「私にとって、あれはとても幸せな時間でした」

 

 そっと、俺の右手にロキシーの手が重なる。

 温かい。

 

「冒険者をしていると、身近な人が死ぬことは珍しくありません。だから、辛い気持ちは少しはわかるつもりです」

 

 その言葉に。

 胸の奥で何かが引っ掛かった。

 

「…嘘つかないでくださいよ。師匠のご両親は健在で、兄弟はそもそもいないじゃないですか」

「そう、ですね。最後に会ったのは数年前ですが、どちらも元気に――」

 

「じゃあわかんないですよ!軽々しくわかるなんて言うなよ!!」

 

 叫ぶ。みっともなく叫ぶ。

 息が荒れる。

 止まらない。

 

「アルは死んだんだぞ!」

 

 拳を握る。

 

「俺の目の前で!俺を庇って!俺のために!」

 

 声が震える。

 

「なのに俺は何もできなかった!」

 

 喉が焼ける。

 

「何も、何一つ……!」

 

 子どもみたいに、泣く。

 

「俺は、アルブレヒトを追い詰めてしまった。怖くて、遠ざけて、それでもアルは助けに来てくれて……!」

 

 声が震える。

 涙が止まらない。

 

「俺はそれに甘えて…アルを死なせてしまった……!」

 

 ロキシーは何も言わなかった。

 ただ抱きしめる。

 子どもをあやすように、震える背中を撫でる。

 

「都合の悪いことから目を逸らして…また取り返しのつかない失敗をして……結局、俺は、何も……」

 

 変われたと思っていた。

 でも違った。

 結局俺は何も変われていなかった。

 

「ルディ」

 

 静かな声だった。

 責めない声。否定しない声。ただそこにある声。

 

「アルブレヒトは、あなたを助けたかったんだと思います」

「それは……」

「だって、最後まであなたを守っていましたから」

 

 あいつは最後まで俺を守った。

 迷いなく。躊躇なく。

 まるで、それが当たり前であるかのように。

 

「…ブエナ村での生活はとても幸せでした。ルディも、アルブレヒトもとても才能に溢れていましたし、パウロさんやゼニスさんも、優しくしてくれました。グレイラット家が、私に家族の温かみを教えてくれたんです」

 

 そっと、握られた手に力がこもる。

 

「私にとって、ルディたちは第二の家族です」

 

 胸が痛んだ。

 家族。

 その言葉だけで、アルブレヒトの顔が浮かぶ。

 

「だから、あなたと悲しみを分かち合いたいんです」

 

 ロキシーは真っ直ぐ俺を見た。

 

「アルブレヒトのことも、ゼニスさんのことも、全部、一緒に」

 

 優しい言葉だった。

 優しすぎて、胸が苦しくなる。

 

「私は至らない師匠です」

 

 ロキシーは少し笑った。

 

「でも、ルディより少し長く生きています。だから今だけは、私を頼ってください」

「辛いことでも、2人で分ければ、きっと薄くなります」

 

 でも、でも駄目だ。俺にそんな資格はない。

 ロキシーを振り払うように立ち上がる。

 

「ルディ…!」

 

 ロキシーに右手をつかまれ、引っ張られる。

 やつれた身体では堪えきれず、俺はベッドに倒れ込んでしまう。

 

 ロキシーが俺に馬乗りになる。潤んだ瞳が俺を見つめる。

 

「大丈夫。今は、私に任せてください」

 

 ロキシーの顔が迫る。

 駄目だ。振り払え。

 こんなことをされる資格はない。

 

 でも、抵抗できなかった。いや、しなかった。

 

 暖かかった。

 

 唇が重なる。

 

 手が重なる。

 俺は、震える指で握り返した。

 

 その温もりだけが。

 今は、どうしようもなく救いだった。

 

 

 

 

 翌朝。

 目が覚めて最初に飛び込んできたのは、ロキシーの寝顔だった。髪を下ろしたロキシーはいつもより幼く見える。

 

「う……はぁ……」

 

 思わずため息を吐く。…シルフィに顔向けできない。

 また一つ、問題が増えてしまった気がするが、久しぶりに深く眠れた気がする。

 なぜか悪い気分ではない。あれだけ悩んでいたのが嘘のような気分だ。

 

 胸の奥にある痛みは消えていない。

 

 アルブレヒトが死んだ事実も変わらない。

 ゼニスが元に戻らないことも変わらない。

 けれど、押し潰されそうだった苦しさだけは、少しだけ軽くなっていた。

 

「ん…」

 

 そうしていると、ロキシーの目が開いた。

 

「あ、おはようございます、ルディ」

 

 顔を赤らめ、シーツで少し顔を隠しながら、挨拶するロキシー。

 

「おはようございます」

 

 言葉を交わす。

 それだけなのに、不思議と安心した。

 しばらく沈黙が続く。

 気まずくはない。ただ静かな時間だった。

 

「その…少しは気が晴れましたか?」

「あ、はい…」

 

 アルブレヒトのことを思い出す。

 胸が痛む。

 でも、昨日みたいに何もできなくなるほどではない。

 

「師匠、ひとつ変なことを聞いても聞いですか?」

「はい、もちろん」

「僕は、これからどうすればいいでしょうか?」

 

 情けない質問だった。

 もう子供ではない。結婚もしている。父親にもなる。

 それでも聞かずにはいられなかった。

 ロキシーは少しだけ考える。

 そして優しく答えた。

 

「…今、目の前にいる家族を大事にするしかないでしょう。アルブレヒトだって、ルディにそれを望んでいるはずです」

 

 ルーデウスは黙る。

 アルブレヒトの最後の姿が脳裏をよぎった。

 命を懸けて守ったもの。

 それは家族だった。

 

「前を向いてください。皆待っていますから」

「…はい」

 

 ルーデウスはゆっくりとうなずいた。

 まだ前を向ける自信はない。

 アルブレヒトを忘れることもできない。

 きっと一生できない。

 それでも、立ち止まったままではいられない。

 

「師匠、ありがとうございました」

 

 ロキシーは少しだけ照れたように笑った。

 

「はい。どういたしまして」

 

 その笑顔を見て。

 ルーデウスは久しぶりに、本当に少しだけ笑うことができた。

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