シャリーアに帰ってから…アルブレヒトが死んでから、それなりの月日が流れた。
人は生きている限り前へ進む。
進みたくなくても、進まなければならない。
ノルンは、剣術をパウロに習い始めた。
アルブレヒトとの距離が特に近かったノルン。彼女は彼女なりに、自分にできることはないかと考えたのだろう。
…もし自分に少しでも力があったのなら、アルを助けられたのかもしれない、とも思ったのかもしれない。
パウロもまた、真面目にそれへ付き合っていた。
顔の陰りを隠せてはいなかったが、それでも木剣を握る姿だけは、昔と変わらなかった。
娘へ剣を教える時間だけは、余計なことを考えずに済むのかもしれない。
アイシャは、一見普段と変わらない。
家事もこなし、仕事もする。だが時折、些細な失敗をするようになった。
皿を落としたり、頼まれた用事を忘れたり。
本人は誤魔化しているつもりなのだろうが、長く見ていれば分かる。
動揺しているのだ。
ジークフリートがアルブレヒトだった。
その事実を、まだ受け入れきれていない。
ゼニスは相変わらずだった。家の窓辺に座り、ぼんやりと外を見つめ続けている。雪が降る町に飛び出したあの日以外、大きく反応を見せることはなかった。
リーリャは献身的にゼニスの面倒を見ていてくれている。その姿に何度救われたかわからない。そしてパウロもまた、ゼニスを支えていた。
食事を運び、散歩に連れ出し、時には隣に座って何時間も話しかけ続ける。
返事が返ってくることはない。
それでもパウロは諦めなかった。
…アルブレヒトを失った今、せめてゼニスだけは取り戻したい。そんな意地にも似た想いがあるのかもしれない。
アルブレヒトの墓の前に着く。
遺骨はない。中に眠っているものは何もない。
それでも墓はそこにあった。
汚れ一つなく、よく手入れされている。綺麗な花も、添えてあった。
誰かが毎日のように訪れているのだろう。
ノルンか、パウロか、あるいはリーリャか。
もしかすると全員かもしれない。
ルーデウスは墓石の前に腰を下ろした。
しばらく何も言わない。
言葉にしようとすると、喉の奥が痛んだからだ。
冬の風が吹く。
静かな墓地だった。
「よう。久しぶり、アルブレヒト」
ぽつりと呟く。
「俺、父親になったよ」
「女の子だ。ルーシー、って名前にした。かわいいだろ?」
当然、返事はない。
だが、それでも話を続けた。
「パウロ…父さんなんかさ、ルーシーが生まれる時、俺以上にパニックになってたんだぜ?4人も子供がいるのに、おかしな話だよな」
「…アルにも見せたかったな」
その言葉だけは、自然と口から零れ落ちた。
胸の奥が痛む。
ルーシーを抱いた時。
最初に思ったのは幸せだった。
そしてその次に、アルブレヒトにも見せたかった、と思った。
「あの時、アルが助けてくれたおかげで、今ルーシーを抱くことができる。本当にありがとう」
墓石に手を置く。
冷たい。当然だ。
返事もない。笑うこともない。
そこにいるはずの弟は、もうどこにもいない。
しばらく沈黙が続いた。
風が吹く。
雪が舞う。
「あー…それから、ロキシーを妻にしたんだ。奥さんが2人ってことで、父さんと同じだな」
ふと、昔を思い出す。
「…そういえば、リーリャの妊娠がわかった時、アルは絶対ついていく、護衛するって言ってたよな」
実力は当時からかなりのものだったが、まだ小さい、4歳ほどの子供だった。
それなのに、自分よりずっと真剣な顔で。
当然のように家族を守ると言っていた。
「今思えば、あの時からお前は騎士だったんだな」
苦く笑う。
自分はどうだっただろう。
家族を守る覚悟なんて持っていただろうか。
アルブレヒトほど真っ直ぐに誰かを想えていただろうか。
答えは分かっている。
「アル」
声が震えた。
「俺は駄目な兄貴だったよな」
俯く。
「お前を傷つけて、追いやって、向き合おうとしなかった」
言葉にする度に胸が痛む。
謝ろうと思っていた。
いつか。
ちゃんと。
全部、話そうと思っていた。
だがその機会は失われた。
「…………駄目だ」
唇を噛む。
「やっぱり、お前に会いたい」
声が掠れる。
「俺はまだ、お前に謝りたいことがある」
拳を握る。
「してやりたいことだっていっぱいあるんだ」
ルーシーを抱かせたかった。
一緒に酒も飲みたかった。
家族として、兄弟として、もっと話をしたかった。
何も返せていない。
何一つ。
「なのに……」
墓石に額を押し付ける。
「なんでお前だけいないんだよ……」
困った顔をするアルブレヒトを幻視する。
きっと、アルはこんなことを望んでいないだろう。いつまでも引きずって、悲しみ続けていては前に進めない。
そんなことは分かっている。
でも無理だ。無理なんだ。
どうして、アルブレヒトを置いたままで前に進める?どうして、あいつを傷つけた罪を清算せずにいられる?
「会いたい…会いたいよ、アル……」
墓石にしがみついて泣く。
わかっている。全部自分のせいなのは。
わかっている。それでも前に進まなければいけないのは。
わかっている。後悔していても何も始まらないのは。
だが、割り切るには思い出が多すぎた。
ずっと一緒にいた。ずっと助けられた。返しきれないくらいの恩がある。
それを置いて前に進むなんて、俺にはできない。
「うっ、ううっ……ぐっ…ううう……」
嗚咽が漏れる。
「ルーデウス…?」
突然かけられた声に振り返る。
「く、クリフ先輩…」
クリフだった。手元には花を持っている。
「すまん、邪魔するつもりじゃなかったんだが」
「い、いえ。お見苦しいところをお見せしました。すみません…」
慌てて涙を拭う。
だが、クリフは首を横に振った。
「いや、いいんだ。あいつは僕にとっても友達だった」
「そうですか…」
2人の間に沈黙が落ちる。
それを切るように、ルーデウスは話し始めた。
「そういえば、どうしてクリフ先輩はアルと仲良くなったんですか?」
「ああ、ジーク……アルブレヒトには呪いの研究に協力してもらっていたんだ」
「呪いの研究?」
「ああ。ちょっとな」
また沈黙が落ちる。
風だけが吹いた。
クリフは墓石を見つめたまま動かない。
何かを考えているようだった。
いや、迷っているようだった。
「……クリフ先輩?」
「…………」
返事がない。
何度か口を開いては閉じる。
言うべきか、言わないべきか。
そんな葛藤が見て取れた。
やがて、クリフは大きく息を吐いた。
「……ルーデウス」
覚悟を決めた声だった。
「ジークフリートは…アルブレヒトは、生きているかもしれない」
俺は驚いて目を見開くが、すぐに伏せる。
「悪い冗談はやめてください。アルは、俺の目の前で――」
「あいつは」
声を遮り、口を挟むクリフ。
その表情は真剣だった。
「あいつには、不死の呪いがかかっていた」
「不死の、呪い?」
クリフは少しだけ目を伏せる。
約束を破る罪悪感が滲んでいた。
「本当は話すつもりはなかった。アルブレヒトは誰にも言うなと言っていたからな」
「だけど、墓石に縋りついて泣く君を見てしまっては、もう黙ってはいられない」
「アルブレヒトは、死んでも蘇る、らしい」
そんな馬鹿な。
そんな呪いがあるはずがない。
だが、クリフが冗談を言っているようには見えなかった。
「実際に蘇生するところを見たわけじゃないから、本当に生きてるのかどうかはわからない。でも、嘘をついてる様子には見えなかった」
「そんな…そんなこと、なんで知ってるんですか?」
「いろいろ相談されてたんだ。闇霊のことも」
「……! 闇霊のことまで!?」
目を見開く。
アルブレヒトは、自分よりもクリフに多くを打ち明けていたらしい。
「あいつが他人には…特にルーデウスには明かしてほしくないと言っていたから、これまで言えなかった。すまん」
「ど、どうして俺には…」
「アルブレヒトは、不死の呪いをとても忌み嫌っていた」
静かな声だった。
「特に大切な相手には知られたくなかったんだろう」
「…………」
風が吹く。
墓前の花が揺れた。
ルーデウスは墓石を見る。
空っぽの墓。
遺骨もない。
死体もない。
あるのは名前だけだ。
「……じゃあ」
震える声。
「アルは」
言葉が続かない。
言ってしまえば、期待してしまう。
「…生きてるかもしれないって、ことですか」
クリフは即答しなかった。
しばらく考え。
慎重に言葉を選ぶ。
「可能性は、ある」
それだけだった。
だが、それだけで十分だった。
ルーデウスは墓石へ手を置く。
冷たい感触。
だが、さっきまで永遠の別れだったものが、今は違って見えた。
「……アル」
ぽつりと呟く。
会いたい。
謝りたい。
今度こそ向き合いたい。
「だからって探しに行くなよ」
クリフが言った。
「え?」
「今の君は父親だ」
ルーデウスは黙り込む。
悔しい。
今すぐ探しに行きたい。
北へ。中央大陸へ。世界の果てへ。
どこにだって。
だが――
ルーシーの顔が浮かぶ。
シルフィの笑顔が浮かぶ。
ロキシーだっている。
それに、アルブレヒトをもし見つけられたとして、闇霊はどうする?また家族を危険に晒すのか?…でも、アルを見捨てるわけにはいかない。
俺は、どうすれば…
「…闇霊のことなら心配するな」
クリフは静かに言った。
「最初は仕組みがまるで分からなかった。だが研究を続けていたら、少しずつ見えてきた。要は呪いと同じだ」
「呪い?」
「ああ」
クリフは頷く。
「特定の波長を持った呪いに対して、近い波長をぶつけて干渉させる。理屈の上では相殺できるはずだ」
研究者らしい口調だった。
だが、その声には僅かな熱があった。
「もちろん簡単な話じゃない。まだ仮説の段階だ。まともな実験もできていない」
一度言葉を切る。
それでも。
「それでも、闇霊の問題は必ず解決する」
断言だった。
「クリフ先輩…どうして、そこまで…」
「さっきも言ったが、あいつは僕にとっても友達だ」
クリフは墓石へ視線を向ける。
「…あの時は助けられなかったが、研究は続けていた。もし帰ってきた時、今度こそ助けるために」
少しだけ目を細める。
「それに、研究者としても興味がある」
「死んでも蘇る呪いに、正体不明の闇霊、それに呪いを打ち消す人形。こんな前例、世界中探しても存在しない」
クリフは肩を竦める。
「だから、あいつが帰ってくる頃には、全部解き明かしてやるつもりだ」
その言葉には傲慢さがあった。
だが、クリフ・グリモルらしい傲慢さだった。
ルーデウスは言葉を失った。
自分だけじゃなかった。
アルブレヒトの帰りを待っている人間は。
助けたいと思っている人間は。
自分だけじゃなかったのだ。
「……そう、ですか」
震える声で呟く。
胸の奥で何かが灯る。
それは希望だった。
もしかしたら。
本当に、もしかしたら。
アルブレヒトは生きているのかもしれない。
「だから待ってくれ。アルブレヒトが安心して帰れる場所を作るまで」
クリフは真っ直ぐルーデウスを見た。
「必ず作り上げてみせる」
ルーデウスは唇を噛む。
待つ。
それは探しに行くよりずっと苦しい。
どこにいるのかも分からない。
本当に生きているのかも分からない。
それでも待てと言う。
だが――。
「……俺に、何か手伝えることはありませんか」
ルーデウスは顔を上げた。
「なんでもやります」
拳を握る。
「アルのために、何かしたいんです」
「……大変な道のりになるぞ?」
「構いません」
即答だった。
クリフは小さく息を吐く。
「なら手伝ってくれ。僕一人じゃ限界がある。呪いの研究も、魔道具の開発も、資金も、人手も足りない」
一歩、墓へ近づく。
「もし本当にアルブレヒトが生きているなら」
墓石を見つめる。
「帰ってきた時に助けられるようにしておきたい。…今度こそ」
その言葉には、研究者としてではなく。
友人としての願いが込められていた。
ルーデウスは静かに頷く。
「……はい」
今は探しに行くことはできない。
家族がいる。
守るべきものがある。
それでも、何もしないわけじゃない。
アルブレヒトのためにできることは、まだある。
ルーデウスは墓石へ向き直った。
「アル…」
返事はない。
だが、少しだけ。
本当に少しだけ。
前を向ける気がした。
これから毎日投稿は難しいですが、ちょっとずつ更新していこうと思います。