玉葱騎士、六面世界に立つ   作:プラザ合意

34 / 43
第33話 剣神

 

 剣の聖地。

 中央大陸北部、最西端の岬にある剣神流の本拠地。初代剣神が流派を起こし、晩年には弟子たちに剣を教えた場所。

 

 一見すれば普通の町だが、住民のほぼ全てが剣神流の剣士であり、まさに剣術を極めるならうってつけの場所である。

 

 力を求めるアルブレヒトにとって、そこは好都合すぎる場所だった。

 闇霊問題は人の像を使って解決する。それにあってはならないことだが、もし何かしらの問題が起き、闇霊が溢れ出ることになっても、ほぼ全ての住民が剣士のこの町なら被害も大きくならないだろうという見込みもあった。

 

 ヘルカイトが剣の聖地近くの岩場へ降り立つ。

 翼が畳まれ、風が止む。

 目の前には海。岬の先には剣の聖地が見えていた。

 

 アルブレヒトは背から降りる。

 剣の聖地。剣を極める者たちの集う場所。今の自分に必要な場所だった。

 だが、流石にヘルカイトを町へ連れていくわけにはいかない。

 

「ありがとう」

 

 首筋を軽く叩く。

 

「このあたりで待っていてくれるか?」

 

 ヘルカイトは答えない。

 ただ赤い瞳でじっと見つめてくる。

 まるで、また一人で行くのか。そう言われている気がした。

 

「大丈夫だ」

 

 自然と苦笑が漏れる。

 

「今度は帰ってくる」

 

 ヘルカイトは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「……そんな顔をするなよ」

 

 硬い鱗を撫でる。

 ヘルカイトは嫌そうに首を振ったが、振り払おうとはしなかった。

 

「少しだけだ。強くなったら戻る」

 

 アルブレヒトは剣の聖地へ視線を向ける。

 その言葉に、ヘルカイトはゆっくりと顔を背けた。

 信用していないらしい。

 思わず小さく笑う。

 家族と別れてから、こんな風に笑ったのは久しぶりだった。

 

「……本当に、お前だけだな」

 

 ぽつりと漏らす。

 何も聞かず。何も責めず。ただ側にいてくれる。

 家族にすら言えなかった弱音が、喉元まで込み上げた。

 だが結局、口にはしない。

 代わりに額を鱗へ預ける。

 

「行ってくる」

 

 短く告げる。

 ヘルカイトは返事の代わりに、尾で地面を一度叩いた。

 それはどこか、「さっさと行け」と言っているようにも、「必ず戻ってこい」と言っているようにも見えた。

 アルブレヒトは背を向ける。

 そして剣の聖地へ向かって歩き出した。

 

 後ろは振り返らない。

 振り返れば、行けなくなりそうだったからだ。

 

 

 

 

 剣の聖地へ足を踏み入れる。

 石畳の道。木造の家々。一見すれば、どこにでもある小さな町だった。

 

 だが違う。聞こえてくるのは子供たちの遊び声ではなく、木剣の打ち合う音。広場では老人が素振りをしている。路地では少年たちが木剣を振るっている。店先で談笑している男たちでさえ、腰には剣があった。

 

 この町では剣が日常だ。

 剣を学び。剣で競い。剣で生きる。

 剣神流のためだけに存在する町。それが剣の聖地だった。

 アルブレヒトが歩く。

 すると周囲の視線が集まり始める。

 物珍しいものを見るような視線、値踏みするような視線、警戒する視線。

 それも当然と言えば当然だろう。玉葱のようなカタリナメイルに、そして立ち昇る凄まじい闘気。

 剣の聖地の住民だからこそ、アルブレヒトがかなりの実力者であることがわかる。

 

 やがて町の中心に、巨大な道場が見えてきた。

 剣神流総本山。剣神ガル・ファリオンの居城。

 

 アルブレヒトは立ち止まらない。

 そのまま扉へ向かう。

 門弟たちが怪訝そうな顔を向ける。

 

「おい、何の用だ。止まれ!」

 

 誰も彼も敵意を隠さない。

 当然だった。

 ここは剣神流の聖域。

 部外者が堂々と乗り込んでいい場所ではない。

 だがアルブレヒトは気にせず扉を押し開いた。

 

「失礼する」

 

 重い音が響く。

 広い道場。

 数十人の門下生。

 そして最奥。

 一人だけ別格の存在がいた。

 一斉に向けられる視線。それには敵意が込められていた。

 

「この道場で一番強い者に、一手指南いただきたい」

 

 だが、全く怯まないアルブレヒト。

 

「無礼な!」

「何者だ!貴様!」

 

 門下生たちがざわめき立つ。

 

「黙れ」

 

 一言。

 最奥に座る男が、一言口を開いただけで、場が静まり返る。

 

 アルブレヒトは直観する。

 彼が、()()()()()()()()()

 七大列強第六位。『剣神』ガル・ファリオン。

 剣神流の極致が、そこにいた。

 

「何者だ?」

「『北帝』アルブレヒト・グレイラット」

 

 その言葉に、一瞥もせず鍛錬を続けていた赤毛の女性が反応する。

 

(グレイラット……)

 

 聞き覚えのある姓だった。

 

「ふーん?おい、相手してやれ」

 

 ガルは適当な剣士に声をかける。

 それに反応したのは、『剣帝』ティモシー・ブリッツだった。

 

「では、私が」

 

 正面から向かい合う。

 

 沈黙。

 

 上段に木剣を構えるティモシー。

 何も構えず、ただ立ち続けるアルブレヒト。

 

 異様だった。

 剣神流と他流の戦いにおいて、他流の一番すべきことは光の太刀を繰り出させないこと、もしくは繰り出しても対応できるようにすること。だが、アルブレヒトは何もしない。

 ティモシーの妨害をするわけでもなく、光の太刀に備えて受け流しの構えを取るわけでもない。

 

 ただ、立ち続ける。

 

 先に動いたのはティモシーだった。

 光速の振り下ろし――光の太刀が迫る。

 

 剣神流剣帝、ティモシー・ブリッツが生涯をかけて磨き上げた一撃。回避も防御もできない。剣神流必勝の形。絶対なる一撃だった。

 速さだけではない。

 踏み込み。間合い。殺気。呼吸。

 全てが噛み合った必殺。

 剣聖以下なら見えもしない。剣王ですら防げる者は少ない。

 

 それが光の太刀。

 剣神流が「必勝」と謳う、絶対の一撃。

 空気が裂ける。

 いや、裂けたという認識すら追いつかない。

 音より早く。

 光より鋭く。

 世界そのものを断ち割るように、その木剣がアルブレヒトの首筋へ走った。

 

 アルブレヒトは動かない。

 避けない。

 構えない。

 迫り来る光の太刀を前にしてなお、その姿勢は微塵も変わらなかった。まるで最初から見えているかのように。

 そして――

 左手が動く。

 いや、動いたように見えた。

 それほどまでに自然だった。

 雪が枝から滑り落ちるように、水面に波紋が広がるように。

 何の力みもない、ただ一度の動き。

 手甲と木剣が触れる。

 

 ――甲高い金属音。

 その瞬間だった。

 ティモシーの木剣が、まるで見えない何かに叩かれたように軌道を変える。

 握力ごと奪われる。

 

 木剣は手を離れ、高々と宙を舞った。

 くるり、くるり。

 誰もがその軌跡を目で追ってしまう。

 

 からん。からん、からん――と、木剣の落ちる乾いた音だけが、静まり返った道場に響き渡った。

 

 静寂。

 誰も声を出せなかった。

 

 剣帝ティモシー・ブリッツ。

 剣神流でも屈指の使い手。

 彼が積み上げてきた絶対必殺。

 光の太刀。

 その一撃が――受け止められたのではない。避けられたのでもない。

 弾かれた。

 しかも剣ですらない。

 左手一本。ただそれだけで。

 

「な……」

 

 ティモシーが言葉を失う。

 理解が追いつかない。

 確かに届いていた。

 間合いも、踏み込みも、太刀筋も、何一つ狂ってはいない。

 あれは間違いなく、自分の放てる最高の光の太刀だった。

 なのに、気づけば剣は宙を舞い、自分だけが、木剣を失って立ち尽くしていた。

 

「ほう」

 

 初めて。

 ガル・ファリオンが興味を示した。

 鋭い目がアルブレヒトへ向けられる。

 

「面白いな」

 

 ガルが立ち上がる。

 それだけで空気が変わった。

 道場中の剣士が息を呑む。

 剣神が相手になる。

 それがどれほど異常なことか、門下生たちは知っている。

 

「さて、俺様ともやるか?」

「ああ―――」

 

 ()()

 

 何も見えない。

 剣を振るう姿も、踏み込む足も。

 風を裂く音すらない。

 

 視界が一瞬だけ揺れた。

 それだけだった。

 

 ぼとり、と何かが床へ落ちる音。

 

 遅れて、アルブレヒトの身体が崩れ落ちる。

 首が転がる。

 胴体はその場へ膝をつき、やがて前へ倒れた。

 

 数瞬遅れて、死体は灰へと崩れ始める。

 風に乗り、静かに散っていった。

 誰も捉えられなかった。

 門弟たちはもちろん、剣帝ティモシーですら。

 

 瞬きをしていないにもかかわらず、その一太刀は誰の目にも映らなかった。

 

「……さ、流石剣神さま!」

「お見事でございます!」

 

 周囲の剣聖たちが口々に称賛する。

 それを気にした様子もなく、ガルは道場の奥へと戻っていく。

 

 だが、その歩みはすぐに止まった。

 

 灰が、ひとりでに集まりはじめる。

 灰は、次第に人の形を作り出し始める。段々と色を付けていき、最後には白銀の玉葱騎士の姿になった。

 

「―――へえ。本当に、面白いな」

 

 ガルがにやりと笑う。

 

 周囲の剣神流門下生たちが、信じられない、というように目を見開き、驚いた様子を見せる。

 

 そしてアルブレヒトも驚愕していた。

 死んだことすら理解できなかった。

 視界が暗転する前に終わる。

 斬られたという実感すらなかった。

 

「……もう一度。もう一度、お願いしたい」

 

 アルブレヒトはそう言った。

 首を刎ねられた。何も見えなかった。何も感じられなかった。

 圧倒的に、ただ負けた。

 それでも。

 

「もう一度だ」

「嫌だね」

 

 ガルは即座に遮った。

 

「不死身の化け物の相手を四六時中してられるか、バカが」

 

 そうしてまた奥に戻っていく。

 アルブレヒトが引き留めようと、口を開こうとしたとき――

 

「一日一回だ」

 

 ガルが振り返り、そう言った。

 

「明日は、せめて目で追えるようになれよ?」

 

 獰猛な笑み。

 アルブレヒトは拳を握り直した。

 

「……ああ」

 

 それが、修行の始まりだった。

 

 

 

 

 剣の聖地での日々は単純だった。

 

 朝起きる。

 鍛錬をする。

 死ぬ。

 蘇る。

 また鍛錬をする。

 

 それだけだった。

 ガルとの修行に決まった時間はない。

 道場へ顔を出した瞬間に首を飛ばされることもある。あまり食事もとらないが、その僅かな食事の時間も、ようやく身体を休めようと目を閉じたその瞬間も、ガルは決して見逃さず、アルブレヒトの首を狙った。

 

 今のところ、ガルの光の太刀を攻略できる目処はたっていない。

 

 斬られる。

 死ぬ。

 蘇る。

 斬られる。

 また死ぬ。

 また蘇る。

 その繰り返し。

 

 未だにガルの剣を目ですら追えないことは問題だが、同時に好都合でもあった。死と蘇生を繰り返せば、否応なしに人間性は失われていく。そうすれば、闇霊もこの世界に侵入することができなくなる。

 しかし、傍から見れば、ガルとの修行は異常の一言だった。不死の化け物を相手に、嬉々として剣を振るうガル。何度も死んでいるのに、平然としているアルブレヒト。次第に、門下生との距離は開いていった。

 だから話しかけてくる者はほとんどいなかった。

 ――その日までは。

 

「ねえ」

「おい」

 

 鎧姿のアルブレヒトが道場で鍛錬をしていると、二人から声をかけられる。

 同時だった。

 赤毛の女剣士。

 そして見覚えのない髭面の男。

 二人は互いを見て眉をひそめる。

 

「あ?」

「ああ?」

 

 一触即発だった。

 今にも斬り合いが始まりそうな空気。

 アルブレヒトは小さくため息を吐いた。

 

「……何の用だ」

 

 赤毛の剣士――エリスが腕を組む。

 

「あんた、ジークフリートよね。何してるの?」

「…今はアルブレヒトと名乗っている。ここには鍛錬のために来た」

 

 隣の男を見るアルブレヒト。

 

「それと……お前は誰だ?」

 

 男のこめかみに青筋が浮かんだ。

 

「……紛争地帯でお前に負けた剣士だよ。カーク・ソーンズだ」

 

 アルブレヒトは考える。

 考える。思い出そうとする。記憶を探る。

 

「すまん。覚えていない」

「…………」

 

 沈黙。

 カークの顔が引きつる。

 

「まあ当然だろうよ。あの時は鎧も兜も着けていたからな」

「ああ、違う」

 

 アルブレヒトは首を振った。

 

「全く覚えがない」

「………………」

 

 カークの額に血管が浮く。

 

「誰だ」

「………………チッ、クソが」

 

 盛大な舌打ち。

 それを完全に無視し、エリスはアルブレヒトを見る。

 

「あんた、なんで名前を変えてるの?」

「…変えた、というわけではない。本当の名前を忘れていたんだ。いろいろあって、ようやく本当の名前を思い出した」

「ふーん」

 

 エリスはあっさり頷く。

 

「そういえば、ルーデウスもアルブレヒトって弟がいるって話してたわ。あんただったってことね」

「…驚かないのか?」

「なにがよ」

 

 なにか関係あるか?というように腕を組み、口をへの字にするエリス。

 

「…まあ、そうか。…で、用は終わったか?鍛錬に戻らせてくれ」

 

「待てよ。一試合、付き合ってもらう」

 

 カークが木剣を肩へ担ぐ。

 

「私もよ」

 

 エリスも一歩前へ出る。

 

 エリスもカークも、誰かとつるむタイプではなかったが、今回は事情があった。

 エリスは目標である龍神と渡り合った剣士であるアルブレヒトと戦うことで、今オルステッドとどれほど差があるのか確かめたかった。

 カークはリベンジ。紛争地帯で屈辱を味合わされ、鍛え直すために剣の聖地に戻った。何年も鍛錬を積み、以前とは比べものにならないほど成長した。だからこそ、今の自分はアルブレヒトに通用するのかを確かめたかった。

 

「断る。俺に関わるな」

 

 冷え切った声。

 場の空気がわずかに張り詰める。

 

「俺はお前たちと剣を交えるためにここへ来たんじゃない。鍛錬の邪魔だ」

 

 そう言って歩き出す。

 

「待て」

 

 カークが低く呼び止める。

 一歩踏み出す。

 

「お前を倒すために、俺はここまで鍛えてきた」

 

 真っ直ぐアルブレヒトを見つめる。何年も積み重ねてきた執念が、その目には宿っていた。

 

「逃げるつもり?」

 

 エリスが腕を組む。

 

「あんた、そんな弱い奴だった?」

 

 アルブレヒトの足が止まる。

 誰とも関わりたくはなかった。

 自分は不幸を呼ぶ。闇霊を呼ぶ。深く関われば、それほど危険が増える。だから、人と接するにしても最小限にするつもりだった。

 

 …これ以上、誰かを傷つけたくなかった。

 

 だが、カークの目には諦める色がない。

 一度追い返したところで、また挑んでくるだろう。

 エリスも同じだ。

 この二人は、一度「嫌だ」と言われた程度で引き下がるような性格ではない。

 

 深く、長いため息が漏れる。

 

「……一度だけだ」

 

 ゆっくりと振り返る。

 

「それで終わりにしてくれ」

 

 

 

 

「…鎧をつけているのは平等ではないな。外そう」

 

 アルブレヒトはそう言うと、胸元へ手を当てた。

 白銀の鎧が淡い光となって崩れていく。

 鱗のような装甲が粒子となり、肩当てが消え、籠手が消え。

 やがて、一人の青年が姿を現した。

 灰色の髪。

 青い瞳。

 整った顔立ち。

 だが、その面影は誰かによく似ていた。

 

「お前、そんな顔してたのか」

「ルーデウスに似てるわね!」

 

 エリスが即座に言う。

 

「………兄弟だからな」

 

 アルブレヒトは、寂しそうにそう言った。

 

「さて。かかってこい」

「ああ」

 

 カークとアルブレヒトが距離を取り、向かい合い、構える。

 カークの構えは居合い。

 アルブレヒトは木剣を持ち、正眼に構える。

 

 カークは理解している。先手を取って光の太刀を打ち込んでも、以前のように軽く払われるだけだ。アルブレヒトは、剣帝の光の太刀をも弾いた。自分が真正面から繰り出して通用するわけがない。

 

 だから、居合で後の先を狙う。先に繰り出させ、その隙をつき、返し技で制する。

 必ず勝つ。

 あの日の屈辱を払拭する。

 

「……………」

 

 沈黙が流れる。

 

 すると、アルブレヒトは突然剣を降ろした。

 

「!?」

 

 驚愕するカーク。構えを解いた。いや、違う。構えなど、最初から必要としていない。

 歩き始めるアルブレヒト。

 一歩。また一歩。

 ただ真っ直ぐ、何の技も使わず、何の駆け引きもなく。

 堂々と、正面から。

 

 隙だらけだ。斬り込めばいい。

 いくら奴が実力者だからといって、あんな無防備に歩いていては何もできない。

 斬れ!

 斬れ!

 斬れ!

 

 今なら斬れる。光の太刀を放てば届く。そう頭では理解している。

 だが、身体が動かない。

 

 斬った瞬間が見える。

 剣が弾かれる。

 喉を裂かれる。

 腕を落とされる。

 敗北する。

 そんな未来だけが鮮明に浮かぶ。

 

(違う、違う……!)

 

 カークは歯を食いしばる。

 何年も鍛えた。血を吐くほど鍛えた。

 それなのに、目の前の男はただ歩いてくるだけで自分から戦う意思を奪っていく。

 

 やがて。

 アルブレヒトが目の前まで来る。

 木剣がゆっくり持ち上がる。

 首筋に触れる。

 

「終わりだ」

 

 カークは動けなかった。

 最後まで、一歩も。

 負けた。また負けた。また完膚なきまでに、負けた。

 

 ぽとり、と木剣を落とす。

 しばらく、呆然とするカーク。

 だが、しばしの沈黙の後、口を開いた。

 

「………よくわかったよ。俺の技はお前には通用しないことがな」

 

 カークは苦笑した。

 悔しさで喉が焼ける。

 だが、不思議と怒りはなかった。

 

「だが」

 

 木剣を拾う。

 

「前は違った」

 

 ぎり、と握る。

 

「紛争地帯じゃ、俺は負けた理由すらわからなかった」

 

 視線を上げる。

 

()()()()()()()。どれだけ差があるか。どこが届いていないか。何を鍛えるべきか」

 

 口元が歪む。

 悔しい。

 悔しいが。

 だからこそ前に進める。

 

「いつか必ず、お前を越える」

「そうか。もういいか?」

 

 アルブレヒトは平然とした顔で返す。

 

「チッ…そういうところも気に食わねえな」

「そうか。すまないな」

「だから、そういう…もういい」

 

 後ろに下がっていくカーク。

 入れ替わるように、エリスが前に来る。

 

「準備はいいか?」

 

 エリスに声をかけるアルブレヒト。

 エリスは、返事もなしに駆け出した。

 

 高速の踏み込み。アルブレヒトの間合いまで、3歩、2歩、1歩……入った。

 

 それと同時に、エリスは"木剣を投げた"。

 

 少し驚くアルブレヒト。投擲された木剣を弾く。

 

 もう、エリスの間合いだった。

 

「ガアアアァァァァァ!!!」

 

 エリスの拳が迫る。

 木剣を捨て、すかさず受け止めるアルブレヒト。

 間髪入れずもう一方の拳で殴りつけようとするエリス。それも受け止める。

 

「チッ!!」

 

 両拳をつかまれたまま、跳んで腹に蹴りを叩き込もうとするエリス。しかし、それをアルブレヒトは読んでいた。

 

「ふっ―――!」

 

 凄まじい怪力でエリスを地に押し込む。

 肉と骨が軋む音が響く。

 

「まだっ!!!!」

 

 が、エリスも吠える。

 力の勢いを利用し、身体をひねり、くるりと縦に半回転し、アルブレヒトの頭に組み付く。

 そのまま首を絞めつける。

 

「ぐっ……」

 

 後ろに倒れ込むアルブレヒト。エリスの両拳を離し、拘束を解こうとする。

 ――そして、エリスは拳が離された瞬間、弾けるように木剣のもとへと向かった。

 

(…やってくれる――!)

 

 両拳を掴まれた時点で、エリスはかなり不利だった。単純な力の比べ合いでは理外の怪力を誇るアルブレヒト相手には勝てない。首を絞めつけたとしても、すぐにその力で剥がされてしまうだろう。

 だからこそ、絞めを見せ札にした。首を絞めることにより対応を強要させ、アルブレヒトが握った両拳を離す瞬間、唯一拘束から脱出できる時間を作り、まんまと逃げ出した。

 

「シャアアアァァ!!!」

 

 エリスが木剣を掴み、獣のように跳ねながら斬りつける。

 アルブレヒトは木剣を拾う暇がない。

 

 エリスの斬撃が完全に決まる――はずだった。

 アルブレヒトは集中し、斬撃を見つめる。

 その軌道、その速度に、タイミングを合わせる。

 見切る。

 両手を、閉じる。

 

「!?」

 

 ぱんっ、と乾いた音。

 木剣が止まる。

 白刃取り。

 エリスの木剣が、アルブレヒトの両掌の間で完全に挟み込まれていた。

 

「止めた……!?」 

 

 見物していたカークが驚愕する。

 光の太刀すら見切り始めているアルブレヒトに、ただの斬撃が通じないのも当然であった。

 

 だが、エリスは止まらない。

 

 また木剣を手放すと、そのまま前へ。

 頭突き。

 額と額が激突する。

 ごつん、と鈍い音。

 

「……っ」

 

 アルブレヒトが僅かによろめく。

 そこへ拳、肘、膝、蹴り。

 剣神流も何もない。

 ただ獲物に食らいつく獣のように、エリスは攻撃を続ける。

 

 アルブレヒトは防ぐ。

 受ける、流す、弾く。

 そして、拳を受け止める。肘を封じる。肩を掴む。

 完全に動きを止める。

 

「終わりだ」

 

 静かな声。

 エリスは今にも噛みつきそうな顔で、なお睨みつける。

 数秒睨み合う。

 

「……チッ」

 

 エリスが舌打ちした。

 

「負けよ」

 

 潔かった。

 悔しそうではあるが、言い訳はしない。

 アルブレヒトは拘束を解く。

 

「…ずいぶん強くなったな、エリス」

 

 称賛の言葉が漏れる。関わるまいとしていたが、見違えるような成長に、思わず言葉が口からこぼれてしまった。

 

「まだまだよ。オルステッドにはほど遠い」

 

 その目は真剣だった。

 剣の聖地に来てから、エリスはずっと龍神だけを目指してきた。

 

「そうか」

 

 龍神。超えるべき目標。

 シャンドルと修行し、ストームルーラーの力も手に入れた。だが、未だに確実に勝てる光景は浮かばない。

 エリスも、アルブレヒトも、未だ道の途中だ。

 

 視線を横へ向ける。

 

「カークも、あまり覚えていないが強くなったな」

「…………」

 

 カークの額に青筋が浮いた。

 

「そこは嘘でも覚えてるって言うところじゃねえのか?」

「本当に覚えていない」

「そういうところだぞ、お前」

「すまない」

「謝るな余計腹立つ」

 

 カークは顔をしかめながら笑う。

 

「はっ、クソが」

 

 悪態をつきながらも、その表情はどこか晴れやかだった。

 

 負けたが、前とは違う。

 届かなかった理由が見える。

 越えるべき壁が見える。

 それだけで十分だった。

 

 アルブレヒトは二人を見る。

 羨ましい。眩しい。

 何の迷いもなく、前に進み続ける二人。

 自分もそうなれたらと、心から思う。

 家族との思い出も、友との思い出も、今は邪魔だった。焦がれるほど追い求めても手に入らないなら、思い出はただの後悔だ。

 

「またやるわよ」

 

 エリスが木剣を肩に担ぐ。

 

「次は勝つ」

 

 カークも不機嫌そうに言う。

 

「…一度だけ、と言ったはずだ。次はない」

「勝ち逃げは許さねえ」

 

 カークは口元を歪める。

 

「勝てるようになるまで、挑ませてもらう」

「………」

 

 なんとなく察していたが、エリスはともかく、カークを振り払うのは無理そうだった。

 これ以上言葉を交わしても無駄、とアルブレヒトは判断する。

 

「失礼する」

「おい!」

 

 二人の横を通り過ぎる。

 呼び止める声は無視する。

 振り返らない。

 もう誰とも関わるつもりはなかった。

 

 自分は不幸を呼ぶ存在だ。

 人と近づけば近づくほど、その呪いは誰かへ及ぶ。

 だから必要なのは、剣だけ。

 強くなる。

 それだけでいい。

 そのために、ここまで来たのだから。

 

 道場を出ると、雪が降っていた。

 音もなく、静かに世界を白く染めていく。

 足跡だけが、雪の上に残る。

 だが振り返る者はいない。

 アルブレヒトもまた、振り返らなかった。




■カーク・ソーンズ
剣神流聖級。24歳。
剣の聖地に生まれ、18の頃に剣聖になるが、そこで限界を感じ出奔する。
強者への僻みがあり、弱者を蹂躙することで鬱憤を晴らしていた。強者と戦わなかったのは、負けると無意識でわかっていたから。
敵を一人も逃がすことなく、必ず追い詰めて殺したことからついた異名が「皆殺し」。
しかしジークフリートに紛争地帯で光の太刀を破られ完敗し、剣の聖地に戻り再度修行を始め、そこそこ更生した。あとちょっと強くなった。
元ネタはトゲの騎士カーク。100%忘れられているので説明を入れました。オリキャラ増やしてすみません。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。