今日、新たな剣王が決まる。
エリス・グレイラット。
ニナ・ファリオン。
ジノ・ブリッツ。
三人のうちの誰かが、ギレーヌ・デドルディアに次ぐ二人目の剣王になる。
門下生たちは朝からどこか落ち着かなかった。
誰が剣王となるのか。
期待と緊張が、剣の聖地全体を包んでいた。
そんな熱気から離れるように、『剣聖』カーク・ソーンズは、当座の間から遠く離れた道場の隅で剣を振っていた。
「ふっ…ふっ…ふっ……」
木剣が風を裂く。
悔しい。悔しい。悔しい。
いずれ剣王になれる、などと思い上がっていた自分が恥ずかしかった。
だが現実は違った。自分よりも年若い子供が3人も剣王候補に選ばれた。自分はかすりもしなかった。
悔しい。悔しい悔しい悔しい悔しい!!!!
(俺は…何をやってた……!)
胸を焼く劣等感。
悔しさを振り払うように、剣を振る。
「ふっ…!ふっ…!ふッ…!!」
しかし、荒ぶる内面とは対照的に、その剣は鋭く研ぎ澄まされていた。
むしろ、怒りを糧にするように、一太刀ごとに鋭さを増していく。
その姿を見たアルブレヒトは、小さく頷き、静かに踵を返した。
「声は掛けなくてよろしいので?」
背後から声が掛かる。
「オーベール殿」
柱の陰から、いつの間にかオーベール・コルベットが姿を現していた。
アルブレヒトは再びカークへ目を向ける。
「必要ありません。カークは、自分が今やるべきことを理解しています」
一振り。
一振り。
遠くで木剣の音だけが響く。
「今回は届かなかったとしても、彼はいずれ剣王になります」
「それはそれは。ずいぶん彼を高く見積もっているのですな」
「ええ」
アルブレヒトは即答する。
「オーベール殿も、そう思っているのでしょう?」
「……さて、どうでしょうな」
口元だけが笑う。
それ以上は何も答えない。
しばらく二人で剣を振るうカークを眺めていた。
やがてオーベールがふと思い出したように尋ねる。
「そういえば、今回、剣王になるのは誰だと思われますかな?」
アルブレヒトは当然のように答えた。
「エリスです。剣王になるのはエリスですよ」
迷いは一切なかった。
「ほう。それはなぜ?」
「強いからです。エリスが、剣聖の中で一番」
「それ以上の理由がいりますか?」
オーベールは一瞬だけ目を丸くし、それから愉快そうに笑う。
「…はは。そうですな。しかし、ずいぶん剣神流らしい返答ですな」
「む…少し、影響されたのかもしれません」
そんなことを話していると、当座の間がざわつき始める。どうやら、剣王が決まったようだ。
「行きますか」
「ああ」
二人はゆっくりと当座の間へ向かう。
扉が開く。当座の間から出てきたのは、一人の赤髪の少女、エリス・グレイラット。
その隣には、腕を組んだ剣神、ガル・ファリオン。
アルブレヒトは静かに頷いた。
(当然だ)
驚きはなかった。
エリスが勝つ。
最初から、そう思っていた。
その時だった。
ガルがこちらを見る。
その視線は、獲物を見据える猛獣のように鋭かった。
アルブレヒトもまた、その視線を受け止める。
ガルは頭を掻き、小さく呟く。
「あー……ま、ちょうどいいか」
そのまま、大きく息を吸い込む。
「おい、アルブレヒト!」
「………?」
歩み寄ることもなく。
ただ、その場から言葉だけを投げる。
「――――今日だ」
「今日、決めるぞ」
短い一言。
だが、それだけで十分だった。
アルブレヒトの瞳が細くなる。
胸の奥で、何かが静かに燃え上がる。
剣神流へ来てからの数年間。
幾度となく斬られ。
幾度となく死に。
それでも立ち上がり続けた。
その全てが、この一日に繋がっている。
ゆっくりと。
だが、迷いなく頷いた。
「はい」
その返事を聞いたガルは、口元を僅かに吊り上げた。
獰猛な笑みだった。
今日決まるのは、剣王だけではない。
剣神が、動く。
そして――。
神級への扉が、開かれる。
■
剣の聖地で、アルブレヒトは死に続けた。
何十回、何百回、何千回。
何度も、何度も斬られ、死んだ。
最初は、目で追うことすらできなかった。
しかし、次第に――わずかに、変化が生まれ始める。
最初は勘だった。
次は、違和感だった。
やがて、“来る”という確信に変わる。
音は、聞こえない。
光も、見えない。
それでも――剣が振るわれたという事実だけは、理解できるようになった。
ガルは何も教えなかった。
ただ、一日一回、光の太刀を振るうだけ。
言葉はない。
理屈もない。
あるのは、生きるか死ぬか、その一瞬だけ。
だが、その一太刀には、剣神ガル・ファリオンという剣士のすべてが込められていた。
アルブレヒトは、その剣を受け、死に、蘇るたびに、少しずつそれを理解していった。
剣神流とは何か。
"速さ"とは何か。
"斬る"とは何か。
そして――神級とは何か。
アルブレヒトは、死にながら学び続けた。
静かな夜だった。
三日月が縁側の向こうに広がる庭を淡く照らし、雪の残る庭石に白い光を落としている。
アルブレヒトは縁側へ立つ。
向かいには、ガル・ファリオン。
互いの間には十数歩。
それだけの距離。
それだけの距離が、今夜だけは果てしなく遠く感じられた。
アルブレヒトの腰には半円の柄頭の古びた大剣――ストームルーラー。
ガルの腰には剣神七本剣が一つ、魔剣「喉笛」。
言葉はいらない。
ただ、剣で語り合う。
風が吹く。
庭木の枝が、かすかに揺れた。
その音さえ、二人には届かない。
ほんの一瞬だったのか。
それとも、永遠にも等しい間だったのか。
二人の間に、時間が流れる。
二人とも動かない。――いや、動いている。じりじり、じりじりとお互いに間合いを計っている。
わずか半歩。爪先の向き。肩の高さ。視線。呼吸。
そのすべてで、お互いの間合いを奪い合っていた。
ガルは、あと半寸だけ踏み込めば届く位置を保ち続ける。
アルブレヒトは、その剣を弾ける唯一の角度を崩さない。
どちらも焦らない。
どちらも誘わない。
ただ、相手が最も斬りやすい瞬間を待つ。
そこには殺気すらなかった。
あるのは剣だけ。
剣士だけ。
それ以外のすべてが、世界から消えていた。
ガルが腰の剣に手をかけ、そのまま流れるように抜刀する。いや、抜刀という表現は正しくない。
それは、人が認識できる動作ではなかった。
並の剣士であれば、いや、帝級であっても、斬られたことにすら気付かない。
剣神流最終奥義――光の太刀。
光速に至る、剣神流の極致。
その一閃は、見る者の認識を置き去りにする。
腰のストームルーラーが、まるで風に揺れる草木のように、何の力みもなく抜き放たれる。
速さで勝とうとは思わなかった。
追いつこうとも思わなかった。
ただ、何千回と斬られ続けた果てに辿り着いた答えを、そのまま剣へ乗せる。
構える。
光の太刀は、音よりも速い。
人の目では捉えられない。
だが――。
剣である限り、軌跡はある。
始まりがあり、終わりがある。
それを知るためだけに、自分は何千という命を費やしてきた。
今なら、返せる。
剣と剣が、触れ合う。
世界から、音が消える。
――静寂。
金属音だけが、一拍遅れて夜へ響いた。
ガルの身体は微動だにしない。
だが、魔剣「喉笛」は、その手を離れていた。
くるり、と夜空を舞う。
月明かりを受けながら弧を描き――。
どすり、と庭へ深々と突き刺さった。
風が吹く。
三日月に照らされた庭を、静かな風だけが通り過ぎた。
アルブレヒトはゆっくりと剣を納める。
勝ったという実感はなかった。
ただ、長かった修行が終わったのだという安堵だけが、胸に広がっていた。
深く頭を下げる。
「ありがとうございました」
ガルは、しばらく庭へ突き刺さった剣を眺めていた。
やがて、小さく笑う。
「…お前の勝ちだ」
それだけだった。
その時、長く、本当に長く変わっていなかった七大列強の序列が変わった。
新たな七大列強の名は、アルブレヒト・グレイラット。
七大列強第六位『
アルブレヒト・グレイラット。