玉葱騎士、六面世界に立つ   作:プラザ合意

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第37話 神級

 

 今日、新たな剣王が決まる。

 エリス・グレイラット。

 ニナ・ファリオン。

 ジノ・ブリッツ。

 三人のうちの誰かが、ギレーヌ・デドルディアに次ぐ二人目の剣王になる。

 

 門下生たちは朝からどこか落ち着かなかった。

 誰が剣王となるのか。

 期待と緊張が、剣の聖地全体を包んでいた。

 そんな熱気から離れるように、『剣聖』カーク・ソーンズは、当座の間から遠く離れた道場の隅で剣を振っていた。

 

「ふっ…ふっ…ふっ……」

 

 木剣が風を裂く。

 悔しい。悔しい。悔しい。

 いずれ剣王になれる、などと思い上がっていた自分が恥ずかしかった。

 だが現実は違った。自分よりも年若い子供が3人も剣王候補に選ばれた。自分はかすりもしなかった。

 悔しい。悔しい悔しい悔しい悔しい!!!!

 

(俺は…何をやってた……!)

 

 胸を焼く劣等感。

 悔しさを振り払うように、剣を振る。

 

「ふっ…!ふっ…!ふッ…!!」

 

 しかし、荒ぶる内面とは対照的に、その剣は鋭く研ぎ澄まされていた。

 むしろ、怒りを糧にするように、一太刀ごとに鋭さを増していく。

 その姿を見たアルブレヒトは、小さく頷き、静かに踵を返した。

 

「声は掛けなくてよろしいので?」

 

 背後から声が掛かる。

 

「オーベール殿」

 

 柱の陰から、いつの間にかオーベール・コルベットが姿を現していた。

 アルブレヒトは再びカークへ目を向ける。

 

「必要ありません。カークは、自分が今やるべきことを理解しています」

 

 一振り。

 一振り。

 遠くで木剣の音だけが響く。

 

「今回は届かなかったとしても、彼はいずれ剣王になります」

「それはそれは。ずいぶん彼を高く見積もっているのですな」

「ええ」

 

 アルブレヒトは即答する。

 

「オーベール殿も、そう思っているのでしょう?」

「……さて、どうでしょうな」

 

 口元だけが笑う。

 それ以上は何も答えない。

 しばらく二人で剣を振るうカークを眺めていた。

 やがてオーベールがふと思い出したように尋ねる。

 

「そういえば、今回、剣王になるのは誰だと思われますかな?」

 

 アルブレヒトは当然のように答えた。

 

「エリスです。剣王になるのはエリスですよ」

 

 迷いは一切なかった。

 

「ほう。それはなぜ?」

「強いからです。エリスが、剣聖の中で一番」

 

「それ以上の理由がいりますか?」

 

 オーベールは一瞬だけ目を丸くし、それから愉快そうに笑う。

 

「…はは。そうですな。しかし、ずいぶん剣神流らしい返答ですな」

「む…少し、影響されたのかもしれません」

 

 そんなことを話していると、当座の間がざわつき始める。どうやら、剣王が決まったようだ。

 

「行きますか」

「ああ」

 

 二人はゆっくりと当座の間へ向かう。

 扉が開く。当座の間から出てきたのは、一人の赤髪の少女、エリス・グレイラット。

 その隣には、腕を組んだ剣神、ガル・ファリオン。

 アルブレヒトは静かに頷いた。

 

(当然だ)

 

 驚きはなかった。

 エリスが勝つ。

 最初から、そう思っていた。

 

 その時だった。

 ガルがこちらを見る。

 その視線は、獲物を見据える猛獣のように鋭かった。

 アルブレヒトもまた、その視線を受け止める。

 

 ガルは頭を掻き、小さく呟く。

 

「あー……ま、ちょうどいいか」

 

 そのまま、大きく息を吸い込む。

 

「おい、アルブレヒト!」

「………?」

 

 歩み寄ることもなく。

 ただ、その場から言葉だけを投げる。

 

「――――今日だ」

 

「今日、決めるぞ」

 

 短い一言。

 だが、それだけで十分だった。

 アルブレヒトの瞳が細くなる。

 胸の奥で、何かが静かに燃え上がる。

 剣神流へ来てからの数年間。

 幾度となく斬られ。

 幾度となく死に。

 それでも立ち上がり続けた。

 

 その全てが、この一日に繋がっている。

 ゆっくりと。

 だが、迷いなく頷いた。

 

「はい」

 

 その返事を聞いたガルは、口元を僅かに吊り上げた。

 獰猛な笑みだった。

 

 今日決まるのは、剣王だけではない。

 

 剣神が、動く。

 

 そして――。

 神級への扉が、開かれる。

 

 

 

 

 剣の聖地で、アルブレヒトは死に続けた。

 

 何十回、何百回、何千回。

 

 何度も、何度も斬られ、死んだ。

 

 最初は、目で追うことすらできなかった。

 しかし、次第に――わずかに、変化が生まれ始める。

 

 最初は勘だった。

 次は、違和感だった。

 やがて、“来る”という確信に変わる。

 

 音は、聞こえない。

 光も、見えない。

 

 それでも――剣が振るわれたという事実だけは、理解できるようになった。

 

 ガルは何も教えなかった。

 

 ただ、一日一回、光の太刀を振るうだけ。

 

 言葉はない。

 理屈もない。

 あるのは、生きるか死ぬか、その一瞬だけ。

 だが、その一太刀には、剣神ガル・ファリオンという剣士のすべてが込められていた。

 アルブレヒトは、その剣を受け、死に、蘇るたびに、少しずつそれを理解していった。

 

 剣神流とは何か。

 "速さ"とは何か。

 "斬る"とは何か。

 そして――神級とは何か。

 アルブレヒトは、死にながら学び続けた。

 

 静かな夜だった。

 

 三日月が縁側の向こうに広がる庭を淡く照らし、雪の残る庭石に白い光を落としている。

 アルブレヒトは縁側へ立つ。

 向かいには、ガル・ファリオン。

 互いの間には十数歩。

 それだけの距離。

 それだけの距離が、今夜だけは果てしなく遠く感じられた。

 

 アルブレヒトの腰には半円の柄頭の古びた大剣――ストームルーラー。

 ガルの腰には剣神七本剣が一つ、魔剣「喉笛」。

 

 言葉はいらない。

 ただ、剣で語り合う。

 

 風が吹く。

 庭木の枝が、かすかに揺れた。

 その音さえ、二人には届かない。

 ほんの一瞬だったのか。

 それとも、永遠にも等しい間だったのか。

 二人の間に、時間が流れる。

 

 二人とも動かない。――いや、動いている。じりじり、じりじりとお互いに間合いを計っている。

 わずか半歩。爪先の向き。肩の高さ。視線。呼吸。

 そのすべてで、お互いの間合いを奪い合っていた。

 ガルは、あと半寸だけ踏み込めば届く位置を保ち続ける。

 アルブレヒトは、その剣を弾ける唯一の角度を崩さない。

 

 どちらも焦らない。

 どちらも誘わない。

 ただ、相手が最も斬りやすい瞬間を待つ。

 そこには殺気すらなかった。

 あるのは剣だけ。

 剣士だけ。

 それ以外のすべてが、世界から消えていた。

 

 ガルが腰の剣に手をかけ、そのまま流れるように抜刀する。いや、抜刀という表現は正しくない。

 

 それは、人が認識できる動作ではなかった。

 並の剣士であれば、いや、帝級であっても、斬られたことにすら気付かない。

 

 剣神流最終奥義――光の太刀。

 

 光速に至る、剣神流の極致。

 

 その一閃は、見る者の認識を置き去りにする。

 

 腰のストームルーラーが、まるで風に揺れる草木のように、何の力みもなく抜き放たれる。

 速さで勝とうとは思わなかった。

 追いつこうとも思わなかった。

 

 ただ、何千回と斬られ続けた果てに辿り着いた答えを、そのまま剣へ乗せる。

 

 構える。

 

 光の太刀は、音よりも速い。

 人の目では捉えられない。

 だが――。

 剣である限り、軌跡はある。

 始まりがあり、終わりがある。

 それを知るためだけに、自分は何千という命を費やしてきた。

 

 今なら、返せる。

 剣と剣が、触れ合う。

 

 世界から、音が消える。

 

 ――静寂。

 金属音だけが、一拍遅れて夜へ響いた。

 

 ガルの身体は微動だにしない。

 だが、魔剣「喉笛」は、その手を離れていた。

 

 くるり、と夜空を舞う。

 月明かりを受けながら弧を描き――。

 どすり、と庭へ深々と突き刺さった。

 

 風が吹く。

 三日月に照らされた庭を、静かな風だけが通り過ぎた。

 アルブレヒトはゆっくりと剣を納める。

 勝ったという実感はなかった。

 

 ただ、長かった修行が終わったのだという安堵だけが、胸に広がっていた。

 

 深く頭を下げる。

 

「ありがとうございました」

 

 ガルは、しばらく庭へ突き刺さった剣を眺めていた。

 やがて、小さく笑う。

 

「…お前の勝ちだ」

 

 それだけだった。

 

 その時、長く、本当に長く変わっていなかった七大列強の序列が変わった。

 

 新たな七大列強の名は、アルブレヒト・グレイラット。

 

 七大列強第六位。『嵐神(らんじん)』。

 アルブレヒト・グレイラット。

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