玉葱騎士、六面世界に立つ   作:プラザ合意

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第39話 嵐神vs龍神

 

 戦場は、荒廃していた。

 森は薙ぎ払われ、大地は幾度となく魔術に焼かれ、黒く炭化している。

 あちらこちらには巨大な鉄塊が転がっていた。

 砕け散った魔導鎧。

 腕、脚、装甲。

 ルーデウス・グレイラットが最後の切り札として投入した鎧は、もはや原型すら留めていない。

 焦げた金属の臭い。

 血の臭い。

 焼けた土の臭い。

 それらが冷たい風に乗って漂っていた。

 

 中央には男が2人。

 地に伏せ、両腕を切り落とされ、魔力が枯渇し髪が白く染まっている男――ルーデウス。

 体中に傷を負っているが、両の足でしっかりと立ち、ルーデウスに刀を突きつけている男――『龍神』オルステッド。

 

 どう見ても、ルーデウスは満身創痍だ。

 もう勝ち目はない。それでも、彼はオルステッドの足にすがりつき、頭を地面にこすりつけて乞うように言った。

 

「お願いします。世界を滅ぼさないでください」

 

 額が裂けるほど地面へ擦り付ける。

 土と血と涙で顔が汚れても構わない。

 

「俺は殺してもいいです。俺の子供を、未来を、奪わないでください。お願いします。初めてなんです。あんなに幸せに思えたの、初めてなんです」

 

 誇りなど、とっくに捨てた。

 家族が助かるなら、そんなものはいくらでもくれてやる。

 

「お願いします。ヒトガミを、諦めてください。お願いします…」

 

 涙を流して、無力で無様な姿を晒しながら、みっともなく懇願する。

 

「……それは、できん」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ルーデウスはオルステッドの足に噛み付いた。

 

「―――ふぐぅぅぅぁああ!」

 

 噛みついたまま、切り落とされた右手を掲げ、魔術を繰り出そうとする。

 刺し違えてでも、オルステッドを討つ。家族のために、守るべきもののために。

 

乱魔(ディスタブ・マジック)

 

 魔術はあっけなくかき消され、蹴り飛ばされるルーデウス。

 意識が遠のく。本当に限界だ。

 

 オルステッドがゆっくりと近づく。

 

 ルーデウスの頭に、様々な感情が浮かぶ。

 

 負ける。

 殺される。

 殺されたら、どうなる?

 俺の、家族は。

 ルーシーが、シルフィが、ロキシーが…

 

 死ねない。こんなところでは死ねない。

 まだ、まだ生きなければならない。

 

 アルブレヒトに繋いでもらった命を、こんなところで失うわけにはいかない。あいつの帰る場所を、守らなければいけない。

 帰ってこないかもしれないなんて、どうでもいい。俺は守り続けなければいけない、家族を、あいつの帰る居場所を、幸せを。

 

 でも身体は動かない。

 魔力はとうに枯渇した。

 腕から流れる血は止まらない。

 意識は朦朧として、目の前がチカチカする。

 

 オルステッドの手が、視界を覆う。

 

 あ、あ、ああ。

 

 やめて、やめて…

 

 誰か。

 

 誰でもいい。

 

 助けて。

 

 誰か。

 

 誰か―――

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 ()()()()()()

 

 

 

 最初は小さな風だった。

 だが、一瞬で()になる。

 土煙が舞い上がる。木々が唸る。雲が裂ける。戦場すべてが、何かの到来を告げるように震えた。

 

 オルステッドがぴくりと反応し、動きを止める。

 

 遥か彼方から、凄まじい勢いで迫る何かを感じ、飛び退く。

 

 轟音。

 

 大地が爆ぜる。

 白銀が俺とオルステッドの間に割って入る。

 

 衝撃で土煙が舞う。

 

 その中心にいたのは、騎士だった。

 玉葱のような鎧をつけた、白銀の騎士。

 古びた大剣を手に持ち、堂々と立っている。

 後ろ姿だけで、正面は見えない。

 だが、知っている。ルーデウスは、この背中を知っている。幼いころから、何度も守ってもらった。

 

「よく、頑張った」

 

 血に濡れたルーデウスの前に、影が落ちる。

 騎士が少しだけ振り向き、スリットの奥から、懐かしい青い瞳と目が合う。

 

「あとは任せろ」

 

 アルブレヒト・グレイラットが、立っていた。

 嵐を背負って。

 

 

 

 

 アルブレヒトはストームルーラーを抜き、オルステッドと相対した。

 それから数瞬遅れて、五人の人影がルーデウスのもとへと駆けつける。

 

「ルーデウス!」

 

 先頭を駆けるエリス。

 その後ろにはロキシー、シルフィ、ギレーヌ。

 そして――。

 

「ア、アル……?」

 

 掠れた声だった。

 

「アルなのか……!?」

 

 パウロだった。

 まるで亡霊でも見たかのように目を見開き、その場で足を止める。

 父の目に宿るのは困惑と、信じ難いものを見る色。

 

「父様」

 

 一瞬だけ、視線を向ける。

 懐かしい顔。

 白髪の増えた父。

 その姿を、確かに見る。

 

「……今は、後にしましょう」

 

 それだけ言って、前を向く。

 振り返らない。

 振り返れば、揺らぐと分かっているから。

 

「エリス、一生の頼みだ。ここは譲ってくれ」

「――――ッ!!」

 

 激怒しそうになるエリス。

 今ここに至るまで、幾度積み重ねてきたのか。何度鍛錬してきたのか。

 血が滲むまで木剣を握り。骨が軋むまで鍛え。何度倒れ、何度立ち上がってきた。

 全部、この日のためだ。

 ルーデウスを守るため。今度こそ誰にも奪わせないため。

 

 それを、譲れ?

 

 あり得ない。

 

 ―――だが、同時にわかってしまう。

 

 埋まらない力の差。

 神級という隔絶した強さ。

 

 アルブレヒトはそこにいる。

 エリスはそこにいない。

 

「頼む。やっと、答えを見つけられたんだ」

 

 その言葉に、エリスは唇を噛む。

 歯が軋むほど強く。

 

「…………………ふん」

 

 長い沈黙の末、不満そうに鼻を鳴らす。

 

「………貸しよ」

 

 低く、ぶっきらぼうに言う。

 

「大きな、大きな、貸し」

 

 その声音は乱暴だった。

 けれど、それがエリスなりの信頼だった。

 

「…ありがとう」

 

 エリスは拳を握る。

 悔しさで、指先が白くなる。

 それでも背を向けた。

 エリスとギレーヌがルーデウスを抱え、後ろに下がる。

 

「ルディ!」

 

 ロキシーとシルフィ、パウロが駆け寄り、血に濡れたルーデウスを抱き留める。

 

「ルディ、しっかりしてください!」

「大丈夫……もう、大丈夫だから……!」

 

 震える手で傷口を押さえ、必死に治癒魔術を紡ぐ。

 淡い光が傷口を包む。

 だが、失われた腕は戻らない。

 流れ出る血だけでも止めようと、二人は震える指先に魔力を込め続けた。

 

 パウロは息子の肩を支えたまま、目を離せない。

 ギレーヌも剣へ手を添えたまま、一歩も動かなかった。

 エリスは唇を噛み締める。

 飛び出したい。

 自分が戦いたい。

 それでも足は動かない。

 誰もが理解していた。ここから先は、自分たちが踏み込める領域ではないと。

 

 その向こうでは。

 白銀の玉葱騎士と龍神が、静かに向かい合っていた。

 

 風が止む。

 まるで森全体が息を潜め、二人だけを見つめているかのようだった。

 

 やがて、オルステッドが口を開く。

 

「二度目だな。ジークフリート」

「………違う」

 

 アルブレヒトは兜の奥から真っ直ぐ龍神を見据えた。

 

「俺は、アルブレヒト・グレイラット。ルーデウス・グレイラットの、弟だ」

「そうか」

 

 会話が途切れる。これ以上は必要ないと、お互いが思った。

 オルステッドは神刀を左手に持ち、右手を構える。

 

 神刀は、抜かない。

 それでも十分だと言わんばかりに。

 

 龍神の金色の瞳は、一切揺らがない。

 

 対するは、アルブレヒト。

 ストームルーラーをゆっくりと握り直す。

 

 風が集まり始める。嵐が低く唸る。

 まるで主の闘志に応えるように。

 枯葉が舞い上がり、空中で粉々に裂ける。

 森の空気が、鉛のように沈む。

 

 一瞬の沈黙。

 

 そしてオルステッドは、光を置き去りにした。

 

 剣神流奥義『光の太刀』。

 

 踏み込みは知覚できない。

 振り抜く様も、迫る様も、何もかも。

 

 結果だけが現れる。

 

 光が走る。

 空間が裂ける。

 

 本来、誰であっても防御不能。回避不能。

 龍神の技巧が極限まで研ぎ澄まされた必殺。

 

 しかし。

 

(それは、もう見た)

 

 嵐が吼える。

 ストームルーラーが歓喜するように唸る。

 

 光が到達する、その刹那。

 

 風が()()()()()

 

 手刀と嵐が触れ合う。

 衝突ではない。

 分解。圧縮された斬撃を、風が繊維のようにほどいていく。

 

 光が、裂けた。

 一筋だった閃光が無数の風に食い千切られ、霧散する。軌道を失う。

 

 

 必殺の太刀が、弾かれた。

 

 

 大きく体勢を崩すオルステッド。

 

 驚愕。

 ほんの僅か。

 だが確かに、表情が揺らいだ。

 その一瞬を、アルブレヒトは逃さない。

 

 受け流した力を、逆流させる。

 

 嵐が牙を剥く。雷が、呼応する。

 ストームルーラーを中心に、暴風が渦を巻き、空に至る。

 雲が引き裂かれ、雷光が引きずり出される。

 

 一瞬で、雷光が嵐の中心へ収束する。

 

 圧縮。凝縮。限界まで。

 

「ぜあああぁッッッ!!!!」

 

 父、ジークバルトにはない、ジークフリート――アルブレヒトだけが到達した、ストームルーラーの新たな境地。

 

 風と雷を融合させた、破壊の奔流。

 雷を喰らった暴風が、白く輝く。

 

 空気が焦げる。

 地面が割れる。

 木々を粉砕し、森が一直線に消し飛ぶ。

 

 雷嵐が、龍神へと迫る。

 

 轟音。

 閃光。

 衝撃。

 

 森が放射状に薙ぎ払われ、地層がむき出しになる。

 

 龍聖闘気が軋む。

 大気が震える。

 

「ぐ……っ!」

 

 オルステッドは、渾身の力を込めて踏みしめる。

 足元の地面が陥没する。

 

 雷を呑み込み。

 嵐を押し返す。

 衝突点が爆発する。

 

 二人の間の地面が消し飛び、巨大なクレーターが生まれる。

 衝撃波が森を走る。

 

 数百メートル先の木々がまとめて薙ぎ倒される。

 アルブレヒトの身体が後方へ弾かれる。

 

 しかし着地。

 嵐は消えていない。

 

 即座に敵を見据えるアルブレヒト。

 オルステッドの腹部が、裂けている。

 ルーデウスが刻んだ傷口が再び開き、そこへ嵐の刃が抉り込まれた。皮膜が剥離し、深い傷跡から血が流れ出ている。

 雷が体内で暴れ、神経を焼く。

 龍聖闘気が、乱れる。

 オルステッドの口元から、血が一筋零れる。

 それでも、膝は折れない。

 

 最強と、最凶。

 

 視線が交差する。

 

 嵐が再び吼える。

 アルブレヒトが踏み込む。

 

 地面が爆ぜる。

 

 森を薙ぎ払った暴威が、再び一点へ収束する。

 オルステッドはゆっくりと、神刀の柄に指をかけた。

 

 構える。

 

 静かに。

 音もなく。

 

 その瞬間、空気が変わった。

 嵐が、わずかに“後退”する。

 龍神の気配が膨れ上がる。

 

 重い。

 世界そのものが、オルステッドの側に傾いたかのような圧。

 

 アルブレヒトは歯を食いしばる。

 踏み込む。

 

「まだだァッ!!」

 

 嵐と雷が奔る。

 神刀が、振られる。

 

 今度も“見えた”。

 

 刀と剣の切っ先が交わる。

 

 先ほどと同じくまた逸らし――

 

 重い。

 

 疾い。

 

 逸らしきれない。

 

 嵐を引き裂き、神刀が鎧を裂く。

 

 肩口から血が飛ぶ。

 浅い。

 

 まだやれる。

 

 また神刀が迫る。

 

 もう一度。

 

 次は力を込めて、刀身をぶつけ合う。

 雷を孕んだ暴嵐が、神刀と鍔迫り合う。

 

 激しく、けたたましい音を立てるストームルーラーに対して、神刀は静かだった。

 

 嵐が、破壊の具現が、オルステッドの身体を削ろうと迫るが、神刀はただ静かに佇み、嵐を裂き続ける。

 逸らしきれない暴嵐がオルステッドの体を薄く割くが、それだけ。揺るがない。

 

 ゆっくりと、鍔迫り合いが動く。

 ストームルーラーが、押し込まれる。

 

 形勢不利を悟ったアルブレヒトが鍔迫り合いを逸らす。

 だが、逸らしきれずに足を切り裂かれる。

 

 血が弧を描く。

 

 また、浅い。

 

 浅いが、確実に削られていく。

 

 幾度も剣が交わり、嵐と龍が交差する。

 

 ストームルーラーが唸るたび、風が裂ける。

 神刀が振るわれるたび、空間が歪む。

 

 激突。

 

 雷が走る。

 龍聖闘気が爆ぜる。

 

 一合。

 二合。

 三合。

 

 十合。

 二十合。

 三十合。

 数える余裕は、すぐになくなった。

 

 どちらも退かない。

 その度に両者は傷つき、血を流す。

 

 嵐の刃がオルステッドの肩を裂く。

 龍神の一太刀がアルブレヒトの脇腹を抉る。

 

 だが、オルステッドの傷は浅い。

 対してアルブレヒトは、確実に肉を削がれていく。

 

 息が荒くなる。

 血が鎧の隙間から滴る。

 

 それでも剣は止まらない。

 

 少しずつ。だが確実に、アルブレヒトは押し込まれていった。

 

 一歩。

 また一歩。

 

 踏み込みの力が違う。

 剣圧が違う。

 

 オルステッドの剣は、重い。

 技ではなく、力でもなく、ただ純粋な「格」が違う。

 

 オルステッドが負う傷より、アルブレヒトが負う傷の方が深く、多い。

 その差はじっくりとアルブレヒトを追い詰めていく。

 

 血が地面に落ちる。

 呼吸が乱れる。

 視界がわずかに霞む。

 

「ガアアアアァァ!!!」

 

 だが怯まない。

 

 死ぬまで。死んでも。退かない。

 

 ルーデウスを、家族を、今度こそ守る!

 

 ストームルーラーが強く、強く応える。

 大地を引き裂き、雲を断ち、雷が地から空へと迸る。

 

 

 ―――ずるり。

 

 

 嫌な感触。

 確かに叩き込んだはずの衝撃が、空を切る。

 

 水神流。

 ()()()()()

 

 刹那。神刀が、瞬く。

 音がない。

 

 触れた感覚すら曖昧なまま――神刀が、アルブレヒトの左腕を飛ばす。

 

 熱。

 

 遅れて、激痛。

 

 

(だから、なんだ?)

 

 

 そんなものは、無視しろ。

 

 まだやれる。まだ。

 

 この瞬間に全て賭ける。

 自分の全てをここに投じる。

 

 まだ右腕が残っている。

 ストームルーラーは握ったままだ。

 まだだ。

 

 こんなところで、負けられない!

 

「ッッオオオ゛オ゛オオオオ!!!!!」

 

 嵐を編む。

 

 何もかもを吹き飛ばし、切り裂き、打ち倒すための嵐を。

 

 脚に力を込める。

 

 視界の向こう。

 龍神がいる。

 

「……………まだ、やるか」

「無論ッ!!!!!」

 

 守る。

 

 今度こそ!

 

 必ず!!

 

「お、ぉ……ああああァァァァッ!!」

 

 血を吐きながら踏み込む。

 

 龍神が構える。

 神刀が、静かに持ち上がる。

 

 嵐が、再び吠える。

 

 神刀が煌めく。

 嵐の中をくぐり抜け、刀身がアルブレヒトに迫る。

 

 左腕を失ったアルブレヒトでは、それに対応できなかった。

 

「―――――」

 

 神刀が、振り抜かれる。

 遅れて風が鳴る。

 白銀の首が宙を舞った。

 世界が、一瞬だけ静止する。

 

「―――アルッッッ!!!!!」

 

 ルーデウスの悲痛な叫びが木霊する。

 

 ぼとり、とアルブレヒトの頭が落ちる。

 がくん、と力を失い、アルブレヒトの身体が地に伏せる。

 次第に身体は灰となり、消え去っていく。

 

「…………」

 

 しかし、オルステッドは警戒を解かない。

 まるで、戦いが終わっていないかのように。

 

 風が吹く。

 首を失った騎士の亡骸は、静かに崩れていく。

 鎧が、肉が、骨が。

 すべて灰へと変わり、音もなく風に溶けていった。

 やがて、戦場からアルブレヒトという存在そのものが消える。

 残ったのは、風に舞う灰だけだった。

 

 誰もが息を呑む。

 ルーデウスも、ロキシーも、シルフィも、パウロも。

 その終わりを見届けた――その瞬間だった。

 

 灰が、止まる。

 風に流されていたはずの灰が、まるで意思を持つように空中で渦を描いた。

 

 一粒。また一粒。

 灰が騎士の輪郭を描いていく。

 兜。

 鎧。

 肩当て。

 白銀の騎士が、灰の中からゆっくりと形を取り戻していく。

 そして最後に、スリットの奥で、青い瞳だけが静かに灯った。

 

 まるで、最初から死など存在しなかったかのように。

 

 騎士は一歩、踏み出す。

 瞬間、風が爆ぜた。

 

 灰を引き裂きながら、オルステッドの背後へと躍り出る。

 一切の躊躇なく。

 ストームルーラーが龍神の首を薙ぐ。

 

 だが、神刀が、それを受け止めていた。

 金属音が森を裂く。

 オルステッドは振り返らない。

 背後を見ることすらせず、神刀だけで斬撃を止めていた。

 

「チッ!!!!!」

 

 舌打ちとともに、アルブレヒトが大きく飛び退く。

 灰が尾を引く。

 オルステッドもまた追撃しない。

 ゆっくりと向き直る。

 二人の間に再び距離が生まれる。

 白銀の騎士。

 最凶の龍神。

 互いに視線を外さない。

 

「やはり、か」

 

 小さく、息を吐くオルステッド。

 

「一つ聞く」

 

「なぜお前はそこまでして戦う」

 

「死を体験してまで、蘇ってまで」

 

「ヒトガミのためか?」

 

「―――違う。ヒトガミのためのわけがない」

「兄さんのためだ。家族のためだ」

「兄さんたちが、安心して暮らせるように!日々を安寧に過ごせるように!お前を、ここで倒す!!」

 

 嵐が応える。

 雷鳴が低く唸り、大気が震える。

 

「……………そうか」

 

 これ以上の問答は無用。

 ストームルーラーを構えるアルブレヒト。

 オルステッドも神刀を構える。

 

 二つの刃が、再び交差しようとした。

 

 

 

 ―――その瞬間。

 

 

 

「やめろっ!!!アルブレヒト!!!」

 

 一瞬、すべてが止まった。

 ルーデウスの、怒号のような、悲鳴のような、懇願のようなその叫びに。

 

「もう、やめてくれ…!二度も、お前を失いたくない……」

 

 神刀が止まる。

 血が落ちる音だけが、やけに鮮明だった。

 

 ぽたり。

 

 ぽたり。

 

 風が止み、雷鳴が遠ざかる。

 折れた木々が軋む音だけが森に残った。

 

 誰も動かない。

 誰も息をしない。

 

 嵐が消える。

 森を引き裂いていた暴威が、凪いだ。

 

 先ほどまで滾りに滾っていたアルブレヒトの闘気は、ルーデウスの声を聞いてから嘘のように萎びていた。

 

「兄、さん…」

 

 アルブレヒトの手から、ストームルーラーがわずかに傾く。

 握っているが、振らない。

 振れない。

 

 オルステッドの金色の瞳が、静かにこちらを見ている。追撃はない。ただ、選択を待っている。

 

 アルブレヒトの喉が震える。

 

(立て)

 

 騎士なら。

 

(抗え)

 

 父なら、そうした。

 脳裏に焼きつく背中。

 

 ジークバルト。

 

 血に塗れ、満身創痍でもなお立ち続けた男。古き友との約束を果たすために、最後の最後まで剣を握り続けた男。

 

 誇りだった。

 

 ああなりたいと、心から思った。

 

 死んでも戦う。亡者になっても剣を振るう。

 それが騎士だと。それが、父だと。

 

 なのに。

 

「一緒に帰ろう、アル…」

 

 その言葉が、刃より深く刺さる。

 兄の顔が見える。

 震える声。歪んだ表情。必死に手を伸ばす姿。

 二度も失いたくない、と。

 

「……もう、いい」

 

 いつも冷静で、計算高くて、頼りがいのある兄。

 そんな兄が、顔をぐしゃぐしゃにして、泣きながら懇願していた。

 

「もう、いいんだ」

「…………………兄さん」

 

(兄さんに、こんな顔をさせているのは…俺だ)

(俺が死ねば、兄さんはまた、あの顔をする)

 

 胸の奥が軋む。

 騎士失格だ、と誰かが囁く。敵に膝を折るなど、誇りを捨てるも同然だ、と。

 だが。

 

(兄さんが泣くのは、耐えられない)

 

 その想いもまた、嘘ではない。

 剣が、重い。

 これまでなら、誰に止められようと振り払った。 例え兄でも。例え家族でも。

 

 死ぬまで。死んでも。

 

 だが今、膝が折れる。

 

 アルブレヒトは、ゆっくりと頭を垂れた。

 戦場を破壊し尽くした嵐は、兄の一言で、止んだ。

 

 

「…ルーデウス・グレイラット!そして、アルブレヒト・グレイラット!」

 

 

 低い声が森を圧した。

 名を呼ばれた瞬間、ルーデウスの肩が跳ねる。

 

「俺は貴様たちがヒトガミに組する限り、逃しはしない! この場にいる全ての人間、町にいる全ての人間を皆殺しにしてでも、お前を追い詰めて殺す!」

 

 脅しではない。

 事実の提示。

 

 ルーデウスの震えが強まる。

 視線が落ちる。

 

 アルブレヒトの指が、再びストームルーラーを握り直す。

 嵐が、微かにざわめく。

 

「ヒトガミの言葉など信用しないが……ヒトガミが本当にお前の言った言葉を吐いたのであれば、お前を殺した上で、お前の子供を拐かす!」

 

 空気が凍った。

 その瞬間。

 

 ルーデウスの震えが、止まる。

 ゆっくりと、顔を上げる。

 

 瞳に宿るのは、恐怖ではない。

 怒りと、殺意だ。

 

 アルブレヒトが一歩前へ出る。

 

 しかし。

 

「だが、お前たちには利用価値がある!」

「ヒトガミを裏切って俺に付け!」

 

「…!?」

 

「そうすれば、俺に奇襲を掛けた件は水に流し、お前たちの怪我も治療しよう!」

 

「……」

 

 ルーデウスは気づく。

 その声音の奥に、硬い何かが混じっていることに。

 

 焦燥。

 わずかな、切迫。

 喉の奥の震え。

 

「俺の……龍神の加護を得れば、ヒトガミもそう安々と貴様たちに手は出せんはずだ」

 

 ルーデウスとアルブレヒトの瞳には、懐疑と迷いの光があった。

 

「今、この会話も、奴には届いていまい!」

「……」

「もし、お前たちが嫌々ヒトガミに従っているのなら、悪い話ではないはずだ!」

「…………」

 

「選べ! ルーデウス・グレイラット!アルブレヒト・グレイラット!

 ヒトガミに付き、俺の手で全てを失うか!

 俺に付き、共にヒトガミと戦うか!」

 

 3人の視線が絡む。

 ルーデウスはゆっくりと息を吐いた。

 

 何かを確かめるように、じっとオルステッドの顔を見た。

 表情の奥にある真実を見ようとした。

 

 何も、見えなかった。

 

 だが、ルーデウスは、よろよろとロキシーの手を離れた。

 倒れそうになりながら、ゆっくりと歩き、ギレーヌの肩にすがり、よろめいてシルフィに支えられ、エリスの脇を抜けて、パウロに手助けされ。

 

 アルブレヒトは動かない。

 

 ただ兄の背を見ている。

 

 そして、ルーデウスはオルステッドの足元へと倒れこんだ。

 両膝をついたまま、オルステッドを見上げる。

 

「……本当に」

 

 声が掠れる。

 

「ヒトガミから、家族を守れる方法があるんですか」

「ある!奴は強大な未来視を持つが、全てが見えるわけでも、全知全能なわけでもない」

「その方法は、絶対に、絶対に、大丈夫なんですか?」

「……絶対ではない。俺も、奴の力を全て把握しているわけではない」

 

 言い切らない。

 約束しない。

 安心も与えない。

 

 それでも嘘はない。

 

 ルーデウスの目に涙が滲む。

 恐怖か。悔しさか。安堵か。

 自分でも分からない。

 だが、決断だけは、揺らがなかった。

 

「……俺は、あなたの下に付きます。助けてください」

 

 その言葉が落ちた瞬間、森が静まり返った。

 風が止む。

 鳥の羽音すら、ない。

 アルブレヒトは兄の背を見た。

 膝をつき、頭を下げるその姿。

 家族のために、膝を折っている。

 胸が、締め付けられる。

 

(これでいいのか)

 

 騎士失格だ、と心のどこかが吠える。

 敵に膝をついた。しかも、自分たちを圧倒し、斬り伏せた男に。

 父ならどうした。ジークバルトなら。

 きっと立ったまま死んだ。

 頭など下げなかった。

 

 ――だが。

 

(父は、帰らなかった)

 

 その事実が、重くのしかかる。

 アルブレヒトの握った拳が軋む。

 誇りのために死ぬことと、守るために生きること。

 

 どちらが正しい。

 どちらが強い。

 

 わからない。

 

 だが、兄は、生きる道を選んだ。

 

 自分を守るために。

 家族を守るために。

 

(なら――――)

 

 アルブレヒトは、ストームルーラーを地に突き立てた。

 

 嵐は起きない。

 

 ただ、深く息を吐く。

 そして、兄の隣へ、歩く。

 

 オルステッドの前に立ち、膝をついた。

 

 頭を垂れる。

 屈辱が、焼けるように熱い。

 

 だが逃げない。

 目を閉じない。

 地面を見つめながら、言う。

 

「……俺もだ」

 

 声が低く震える。

 

「兄さんと、同じだ」

 

 騎士であろうとする自分が、叫ぶ。

 

 それでも。

 アルブレヒトは顔を上げた。

 

「あんたの下につく」

 

 真正面から、龍神を見据える。

 金色の瞳。

 

 底の見えない、深淵。

 怒りも。哀れみも。優しさも。

 何も見えない。

 

 ただ、使命だけが燃えている。

 その異様さに、背筋が冷える。

 

 この男は、世界を殺すことも、本気でやる。

 町ごと、皆殺しにすると言った。あれは脅しではない。

 

 事実だ。だからこそ。

 

(この男は、本当にヒトガミを殺す気だ)

 

 狂気とも言える殺意。

 

 神を殺す。

 それほどの覚悟。

 

 それだけは、本物だと信じられた。

 

 アルブレヒトは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「中途半端はしない」

 

 まるで、騎士の誓いのように。

 

「俺は、あんたの剣になる」

 

 その言葉を口にした瞬間。

 胸の奥で、何かが軋んだ。

 父を裏切った気がした。

 だが同時に、兄の背が、少しだけ軽く見えた。

 オルステッドは二人を見下ろし、わずかに目を細めた。

 

「……いいだろう」

 

 短い言葉。

 

 だがその瞬間、空気が変わる。

 圧が、少しだけ和らいだ。

 

 その日。

 

 森は半壊し、大地は抉れ、空は裂けていた。

 戦いは、選択という形で終わった。

 

 龍神は配下を得た。

 そして一人の騎士は、誇りよりも守るべきものを、選んだ。

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