龍神オルステッドは、約束を違えなかった。
瀕死だったルーデウスの傷を治癒し、斬られた腕も完全に回復する。そして、ルーデウスに龍神の腕輪を手渡した。
これより先、二人は龍神の配下として動くことになる。そう告げられても、ルーデウスにはまだ実感が湧かなかった。
だが、ただ、生きている。
家族も、生きている。
それだけで十分だった。
だが―――
「……兄さん」
アルブレヒトが静かに口を開く。
その声を聞いた瞬間、ルーデウスは嫌な予感を覚えた。
「俺は、行きます」
「……え?」
「闇霊の問題は何一つ解決していない。今まで通り、誰かを巻き込む危険がある」
淡々と告げる。
まるで、それが当然であるかのように。
「だから、皆のそばにはいられません」
「待てよ」
ルーデウスは掠れた声を絞り出す。
「何言ってるんだ……やっと帰ってきたんだぞ」
「帰れません」
その一言は、あまりにも静かだった。
「俺は、帰ってはいけない」
「そんなわけあるか!」
思わず叫ぶ。
だが、体は動かない。
治療は終わっても、魔力は空っぽ。
立ち上がることすらままならなかった。
「アル!」
パウロも駆け寄ろうとする。
「待て……!まだ話は終わってねえ!」
だが、その手は届かない。
「父様」
アルブレヒトは、兜の奥で小さく笑った。
泣きそうな、優しい笑みだった。
「ごめんなさい」
その謝罪だけを残して、踵を返す。
「アル!行くな、戻れ!!」
返事はない。
嵐がアルブレヒトの身体にまとわりつき、弾かれるように高速で飛んでいった。あっという間に彼は見えなくなり、誰も止められなかった。
止める力が、もう残っていなかった。
静寂だけが残る。
「……くそっ」
拳を地面へ叩きつける。
悔しかった。
ようやく見つけた弟を。
ようやく取り戻した家族を。
また、自分は守れなかった。
パウロは俯いたまま、震える拳を握り締めていた。
「また…行かせちまった」
絞り出すような声だった。
親である自分が、兄であるルーデウスが、誰一人、アルブレヒトを引き止められなかった。
その事実だけが、胸に重くのしかかっていた。
戦場に残されたのは、傷ついた家族だけだった。
■
そして数日後。
まるで、あの日の戦いなど最初から存在しなかったかのように、グレイラット家には穏やかな日常が戻ってきた。
朝、まだ空気の冷たさが残るうちに起きる。
パウロとノルンと並んで街の外を走り、木剣を振るう。
汗を流して家へ戻れば、ルーシーを抱いたシルフィが柔らかく笑う。
その笑顔に抱きつけば、ルーシーがきゃっきゃと笑った。
リビングへ行けば、朝食の支度をするリーリャとアイシャ。
寝癖をつけたまま眠そうに降りてくるロキシーの髪を整え、器用に三つ編みにしてやる。
庭ではゼニスが、今日もビートと向かい合っていた。
「母さん、ご飯ですよ」
そう声をかけると、ゆっくりこちらを向いて歩いてくる。
皆で食卓を囲む。
笑い声がある。
温かな食事がある。
家族がいる。
――だが。
一つだけ。
どうしても埋まらない席があった。
アルブレヒトはいない。
たった一人いないだけなのに。
食卓は妙に広く見えた。
誰もその席には触れない。
けれど、誰もが無意識にそこへ視線を向けてしまう。
笑顔のあとに訪れる一瞬の沈黙が、それを物語っていた。
幸せなはずなのに、どこか空虚な感じがする。
当たり前だ。大切な人がいないのだから。
アルブレヒトが生きていたことは、家族はもちろん、友人全員に伝えた。
反応は様々だった。
ノルンとアイシャは泣き出し、リーリャは信じられない、というような顔をした。ゼニスは…相変わらずぼーっとしているように見えたが、どこか落ち着きがなかった。
誰もがアルブレヒトに会いたかった。
帰ってきてほしかった。
また家族みんなで笑いたかった。
だが、その願いだけは、どうしても叶わない。
どれだけ待っても。どれだけ探しても。
アルブレヒトだけは、帰ってこない。
食卓に一つ空いた席が、嫌というほど現実を突きつけていた。
――そんな時だった。
バァンッ!と家の扉が乱暴に開かれる。
家中がびくりと震えた。
「な、なんだ?」
ルーデウスが立ち上がる。
パウロも椅子を蹴るように腰を上げた。
廊下へ駆ける。
そこに立っていたのは、得意げに胸を張るエリス。
そして、エリスに首根っこをつかまれている男。
灰色の髪、青い瞳、何度夢に見たかわからないその顔。
「ルーデウス!連れてきたわ!」
気まずい顔をする男。
決して目を合わせようとしない、彼は―――
「…………兄さん」
「――――アル!」
アルブレヒトが、そこにはいた。
■
家族を危険に晒すわけにはいかない。
そう言って去ったアルブレヒトだったが、それで家族への想いまで捨てられるわけではなかった。
オルステッドを完全に信用したわけではない。
万が一、家族に危険が及ぶかもしれない。
そんなもっともらしい理由を自分に言い聞かせながら、結局はシャリーア近郊に留まり、グレイラット家の様子を遠くから見守る日々を送っていた。
家族に気づかれず、それでいて、何かあればすぐに駆けつけられる距離。そんな都合のいい森を見つけては、一人剣を振り、夜になると家の明かりを眺める。
傍らにはヘルカイトがいた。
何も言わない。ただ黙って隣に座り、時折尻尾でアルブレヒトの肩を軽く叩く。
慰めているつもりなのだろう。
本人――本竜は絶対に認めないだろうが。
アルブレヒトも、それ以上は何も言わなかった。
そんな、どこか空っぽな日々が続いていた。
ある日、不意に背後から聞き覚えのある足音が近づいてくる。
振り返る。
そこに立っていたのは、真っ赤な髪を揺らす一人の女性。エリス・グレイラット。
驚くアルブレヒト。この場所は誰にも教えていないはずだった。
「どうして、ここを…」
「勘よ!」
勘だった。
あまりにもエリスらしい答えに、アルブレヒトは一瞬だけ言葉を失う。
その横でヘルカイトが低く唸り、エリスを睨みつける。
アルブレヒトは片手を軽く上げ、その巨体を制した。
「……何の用だ」
「ルーデウスのところに行くわよ。一緒に」
「嫌だ」
即答だった。
「関係ないわ。連れて行く」
「……お前が、俺に勝てると思うのか」
「…………」
エリスの額に、ぴきり、と青筋が浮かぶ。
しかし怒鳴り返すことはしなかった。
一度、大きく息を吸う。ゆっくり吐く。
気持ちを押し殺してから、真っ直ぐアルブレヒトを見た。
「……勝てないかもね」
悔しそうに、それでも認める。
「でも、あんたは連れて行く」
一歩踏み出す。
「あんたがいないせいで、ルーデウスが悲しんでる。家族の元へ帰れたっていうのに、ずっと落ち込んでる。全部、あんたのせいよ」
「それは……」
その言葉だけは、胸に刺さる。
アルブレヒトは視線を落とした。
「だが、俺が兄さんのもとへ行くことはできない。……お前は知らないだろうが、俺は――」
「うるさいわね!!」
怒声が森に響く。
鳥たちが一斉に飛び立った。
「いいから来なさい!」
ずかずかと歩み寄ると、エリスはアルブレヒトの首根っこをがしりと掴んだ。
そのまま力任せに引っ張る。
「おい、やめろ」
口では拒絶する。だが、抵抗しようとはしない。
本気なら、その気になれば、エリスの手など一瞬で振り払える。
それでも、しない。
ヘルカイトも不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、止めようとはしなかった。
その様子を見て、エリスは鼻を鳴らす。
「本当に嫌なら、本気で抵抗すればいいじゃない」
「…………」
返事はない。
俯いたまま、されるがまま引きずられていく。
その姿に、エリスは小さく笑った。
「ま、抵抗したところで無理やり連れて行くけど」
そうして、アルブレヒトは、再び家族のもとへ向かうことになった。
■
エリスに引きずられ、家族と対面するアルブレヒト。
ようやく会えた。
何度夢に見たかわからない光景。
なのに、彼の身体は強張ったまま動かない。
近づいてはいけない。抱きしめてはいけない。失えば耐えられない。
そんな恐怖が、足を地面に縫い付けていた。
だが、家族はそんな迷いなど知らない。
「アル兄さん!!」
一番に駆け出したのはノルンだった。
躊躇など一切ない。勢いのまま飛び込み、小さな身体でアルブレヒトへしがみつく。
「ノルン……」
胸元へ伝わる温もり。
小刻みに震える肩。
押し殺そうとしても止まらない嗚咽。
「兄さん、兄さん!生きてた、本当に生きてた!」
服を掴む力が痛いほど強い。
もう二度と離さないと言わんばかりだった。
「良かった、良かったよぉ……」
「…………ノルン」
「どこ行ってたんですか!バカ!」
「ごめん」
「ごめんじゃないです!バカ、バカ!バカ!」
拳が何度も胸を叩く。
弱々しい、子供の拳。
剣神にも。
龍神にも。
決して折れなかった騎士の身体が、その小さな痛みにだけ耐えられなかった。
視界が滲む。
ゆっくりと。本当にゆっくりと、恐る恐る腕を伸ばす。
まるで壊れ物に触れるように、ノルンの背へ手を回した。
次に前へ出ようとしたのはアイシャだった。
だが、一歩踏み出しては止まる。
伸ばしかけた手が、力なく胸元へ戻る。
「アルお兄ちゃん……」
震える声。その瞳は嬉しさよりも、不安と後悔で揺れていた。
あの日、アイシャは直接追い出したわけではない。それでも、アルブレヒトが家を去るきっかけを作ったのは、自分だ。
あの時の判断は間違っていなかった。
そう頭では理解している。
それでも心は、ずっと自分を責め続けていた。
だから近づけない。
もし拒まれたら、もし嫌われていたら。
そう思うだけで足が動かなかった。
「アイシャ……」
アルブレヒトは静かに妹を見る。
幼い頃から誰よりも賢く、いつも悪戯っぽく笑っていた妹。そんな彼女が今は、小さな子供のように怯えている。
そんな顔はしてほしくなかった。
笑っていてほしかった。
いつものように、生意気なことを言っていてほしかった。
そのために自分ができることは、一つしか思い浮かばなかった。自分にその資格があるのかはわからない。それでも、アイシャに笑っていてほしかった。
ゆっくりと、腕を伸ばす。
「おいで」
たった三文字。
その言葉だけで十分だった。
「っ……!」
堪えていたものが、一気に溢れる。
「お兄ちゃん……」
一歩。
また一歩。
そして駆け出す。
「アルお兄ちゃん!!」
勢いよく胸へ飛び込み、小さな身体でしがみつく。
もう離れまいとするように。
幼い頃、森で迷子になった自分たちを助けてくれた兄。
ノルンと自分を分け隔てなく愛してくれた兄。
誰よりも優しく、誰よりも格好いい、大好きな兄。
ずっと会いたかった。
本当は、ずっと謝りたかった。
「うわあああああん!!」
「わああああん!!」
張り詰めていたものが切れたように、アイシャとノルンは子供のように泣きじゃくる。
アルブレヒトは泣きそうな顔のまま、ノルンとアイシャ、二人を抱き寄せた。
細い肩が、腕の中で震えている。
その温もりが、確かに教えてくれる。
――帰ってきたのだと。
「アル!」
ノルンとアイシャを抱き締めるアルブレヒトへ、パウロが駆け寄る。
その大きな腕が、三人まとめて包み込んだ。
強く。壊れてしまいそうなほど強く。
「ごめん……ごめんなぁ……!」
震える声だった。
「お前を守るって約束したのに…逆に守られて……!」
嗚咽が混じる。
もう言葉にならない。
「よかった…帰ってきてくれて……本当に、よかった……!」
「父様……」
アルブレヒトは戸惑う。
いつだって父は強かった。
剣を振るい、笑って酒を飲み、どんな時でも前を向いていた。
そんな父が、今は子供のように泣いていた。
「情けない父さんですまない…弱い父さんで……すまない……!」
パウロは何度も首を振る。
声が潰れる。
「うっ……ぐ、うぅっ……!」
肩が震え続ける。
堪えていたものが、もう止まらなかった。
「父様、泣かないでください」
アルブレヒトはゆっくりとパウロの背へ手を添える。
幼い頃。
転べば、こうして父が背中を撫でてくれた。
今度は逆だった。
「父様は悪くありません。全部、俺が勝手にやったことです」
「違う!」
パウロは顔を上げる。
涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま叫んだ。
「違うんだ……お前を守るのは親として当たり前だった!なのに俺は……!」
拳を強く握る。
「お前が近くにいたことにも気付けなかった。お前一人に全部背負わせて……!挙げ句の果てには、お前に守られた!」
歯を食いしばるパウロ。
「父親失格だ……」
その一言には、何年分もの後悔が詰まっていた。
転移事件。家族が散り散りになった日。
そして、転移の迷宮。
守れなかった。守ると誓った息子を。
「……いいんです」
アルブレヒトは首を振る。
「父様」
背中を撫で続ける。
まるで子供をあやすように。
「泣かないでください」
その優しい手つきに、パウロはまた涙を溢した。
「すまん…すまん、アル……」
何度も何度も謝り続ける父の背中を、アルブレヒトは何も言わず、撫で続けた。
「アルブレヒトさま……」
リーリャが一歩前へ出る。
その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
それでも彼女は、いつものように背筋を伸ばし、静かに頭を下げる。
「よくぞ、お帰りになられました……」
「リーリャ……」
アルブレヒトもまた、小さく頭を下げ返した。
「……母様の面倒を、ずっと見てくれていたんですね」
ゼニスへ視線を向ける。
「ありがとうございます」
「いいえ」
リーリャは首を横に振った。
「当然のことをしたまでです」
短い言葉だった。
だが、その当然という言葉の裏には、どれほどの日々が積み重なっていたのだろう。
ゼニスが笑わなくなってからも、言葉を失ってからも、ずっと。毎日。
変わらず寄り添い続けてきた。
リーリャは少しだけ視線を伏せる。
「それより――」
いつもの落ち着いた声。
なのに、僅かに震えていた。
「無礼かもしれませんが……私も、よろしいでしょうか」
一瞬だけ、アルブレヒトはきょとんとした顔になる。
だが、すぐに微笑み――
「……はい。もちろん」
そう答えた。
リーリャは静かに歩み寄る。
まるで壊れ物に触れるような手つきで。
そっとアルブレヒトを抱き寄せた。
昔よりも広くなった背中。
逞しくなった肩。
それでも、その温もりは昔と何も変わらない。
「本当に、大きくなられましたね……」
頭へ手を伸ばす。
何度も幼い頃に撫でた髪。
少し硬くなった灰色の髪を、慈しむように梳いていく。
「こんなに立派になられて……」
その言葉の続きを、リーリャは飲み込んだ。
――生きていてくださって、本当に良かった。
言葉にすれば、きっと泣いてしまうから。
アルブレヒトは少し照れたように目を逸らす。
だが、振り払おうとはしなかった。
その手の温もりが懐かしくて、胸の奥が熱くなって。
ただ静かに、その優しさを受け入れていた。
「アル………」
ルーデウスが、一歩近づく。
「兄さん…」
ルーデウスは、すぐに跪くと、頭を下げ、土下座の姿勢をとった。
「すまない。本当に、すまなかった」
「に、兄さん!?」
慌てるアルブレヒト。
「謝って許されるとは思っていない。でも、それでもすまなかった」
「お前を傷つけてしまった、追いやってしまった。何度も守られたのに、ずっと一緒にいたのに」
「本当に、すまない。……ごめんなさい」
アルブレヒトはルーデウスに駆け寄り、顔を上げさせる。
ルーデウスは抵抗したが、アルブレヒトの怪力の前には無力だった。
「兄さん、謝らないで。全て俺が悪いんです。俺のせいでシルフィさんを傷つけてしまった。俺のせいで家族を危険に晒した」
「違う、俺が悪いんだ。お前を信じることができなかった。お前と一緒に、解決策を探そうとすればよかった。それができなかったのは、俺の弱さだ」
「兄さん……」
「そうだ…!呪いのこと、なんとかなるかもしれないんだ!」
「え……」
「クリフ先輩が、アルの呪いを研究し続けてくれて、最近ようやく成果が出たんだ!まだ試作品らしいけど、それを使えばアルの呪いをなんとかできるかもしれない!」
「…………!」
呪いが、解けるかもしれない。
なんて、魅力的な。呪いがない人生に、どれほど焦がれただろうか。呪いがなければ、と何度思っただろうか。
その求め続けた未来が、突然目の前に現れた。
もしかしたら、もしかしたら。
本当に、家族のもとへ帰れるかもしれない。
――――だが。
「……気持ちは、とても嬉しいです。でも、帰るわけにはいかない。誰かをほんの少しでも傷つける可能性があるのなら、俺はここに居てはいけない」
「アル、そんな!やっと見つかったんだ、お前と一緒にいる方法が!」
「俺は帰りません。心配いりません、人の像はもうほとんどありませんが、闇霊に対処する方法はありま―――」
「そういう話じゃない!もうお前は傷つかなくていい!独りでいる必要はない!お前の居場所はここにあるんだ!!」
「……わかってください。どうしようもない、ことなんです」
不死の呪いは、アルブレヒトの魂に絡みつく――いや、深く、深く根付いた呪縛。
もし闇霊の問題が完全に解決されても、彼は家族のそばにいようとしないだろう。
怖いから。自らの呪いが、自らの不死が。
いつか、誰かを傷つけるかもしれない。
いつか、誰かが自分を恐れるかもしれない。
いつか、耐えられなくなるかもしれない。
それが、どうしても、怖い。
俯くアルブレヒト。
ルーデウスは拳を握る。
何か言わなければ。
何か、アルブレヒトを引き止める言葉を。
必死に探す。だが見つからない。
アルブレヒトは自分よりずっと頑固で、ずっと優しい。
だから、自分を犠牲にすることを選んでしまう。
「アル――」
もう一度、叫ぼうとした。
その時だった。
かすかな衣擦れの音が響く。
誰もが反射的に振り向く。
「…………」
ずっと椅子へ腰掛けたまま、一言も発さなかったゼニスが。
静かに立ち上がっていた。
「母様…?」
アルブレヒトは転移の迷宮から、ゼニスと直接会ったことはなかった。だが、遠目に様子を窺っていて、ゼニスが自己を喪失していることには気づいていた。
だから、今回も話しかけられることはないだろうと、そう思っていた。
「……………」
ゼニスは、ずんずんとアルブレヒトに近づく。
アルブレヒトは、不思議と昔のことを思い出した。ゼニスのお気に入りの庭木を雷の槍で焼いてしまった時、こっぴどく怒られた。
その時と、同じ雰囲気だった。
「…………!」
ぽかり、と頭を叩かれる。
痛くなかった。全く力の入っていない、優しい怒りだった。
「母、様………」
だが、だが。
ゼニスの拳は、何よりもアルブレヒトに響いた。
ガルの光の太刀より、オルステッドの神刀より、これまで受けたどんな傷よりも深く、胸をえぐった。
ゼニスは真っ直ぐにアルブレヒトを見る。
その目は、何かを伝えようとしていた。
アルブレヒトには、『一緒にいて』と。『もうどこにも行かないで』と、そう言っているように、感じられた。
勘違いかもしれない。勝手に、そう思いたいだけかもしれない。
それでも。それでも。
「…………う」
「…………………うう」
「……ううっ、うう!うああっ!うああああっ!!」
アルブレヒトは、泣いた。
久しぶりに、子供のように、みっともなく、泣いた。
ゼニスは、優しくアルブレヒトを抱きしめた。
昔のように、子供の帰りを喜ぶように。
パウロが、ノルンが、アイシャが、リーリャが、ルーデウスが、次々とアルブレヒトを抱きしめる。
「俺、俺は……」
「みんなと、一緒にいたい。家に、帰りたい!」
泣きながら、本音を話すアルブレヒト。
「やっと、やっと、言ってくれたな」
ルーデウスも泣きながら話す。
「おかえり、アル」
「………!に、いさん…!」
「…………ただいま。ただいま!」
その日。ようやく一人の騎士は、鎧を脱ぎ、一人の子供に戻ることができた。
彼は、ようやく家族の元へ帰ることができた。これからは、家族と共に生きるだろう。
きっと、もう離れることなく、共に歩み続けるだろう。
これにて、騎士の旅路は終わる。
長い旅だった。
灰と血に塗れた世界から始まった、一人の騎士の旅路。
ようやくその終着点へ辿り着いた。
帰る場所は、最初からここにあった。
彼は、その日ようやく、帰る場所へ帰ることができた。
これから先に待つのは、英雄譚ではない。
家族と笑い合い。
時に喧嘩をして。
誰かの帰りを迎え。
誰かの帰りを待つ。
そんな、何よりも尊い日々。
それこそが、彼が命を懸けて守りたかった未来だった。
こうして、一人の騎士はようやく剣を置いた。
その手に残ったのは、栄光ではない。家族の温もりだった。
――めでたし、めでたし。
第一部「Homecoming」完
読んでくださっている皆様のおかげで、なんとか第一部を完結させることができました。ありがとうございます。
本来、ここで終わる予定だったのですが、書いているうちにアルブレヒトたちに愛着が湧いてしまい、この後も書こうと決心しました。
とはいっても、この後はなんとなくしか決めておらず、かなりゆっくりとしたペースになると思います。原作を守りつつ、面白い話を書くのは結構難しいです。
あと番外編かどこかで日記ルートのアルブレヒトの話は必ずしたいです。
無職転生のアニメが完結するまでには…なんとか…終わらせられると…いいかな……?
これから、面白いお話を皆様にお届けできるかはわかりません。ですが、最大限努力し、アルブレヒトの物語を完結させたいと思っています。
どうか、お付き合いいただければ幸いです。
最後に、ここまで読んでくれてありがとうございました。あなたのお陰で、私は物語を書き続けることができます。本当に、ありがとうございます。