玉葱騎士、六面世界に立つ   作:プラザ合意

41 / 45
第40話 ただいま

 

 龍神オルステッドは、約束を違えなかった。

 瀕死だったルーデウスの傷を治癒し、斬られた腕も完全に回復する。そして、ルーデウスに龍神の腕輪を手渡した。

 これより先、二人は龍神の配下として動くことになる。そう告げられても、ルーデウスにはまだ実感が湧かなかった。

 

 だが、ただ、生きている。

 家族も、生きている。

 それだけで十分だった。

 だが―――

 

「……兄さん」

 

 アルブレヒトが静かに口を開く。

 その声を聞いた瞬間、ルーデウスは嫌な予感を覚えた。

 

「俺は、行きます」

「……え?」

「闇霊の問題は何一つ解決していない。今まで通り、誰かを巻き込む危険がある」

 

 淡々と告げる。

 まるで、それが当然であるかのように。

 

「だから、皆のそばにはいられません」

「待てよ」

 

 ルーデウスは掠れた声を絞り出す。

 

「何言ってるんだ……やっと帰ってきたんだぞ」

「帰れません」

 

 その一言は、あまりにも静かだった。

 

「俺は、帰ってはいけない」

「そんなわけあるか!」

 

 思わず叫ぶ。

 だが、体は動かない。

 治療は終わっても、魔力は空っぽ。

 立ち上がることすらままならなかった。

 

「アル!」

 

 パウロも駆け寄ろうとする。

 

「待て……!まだ話は終わってねえ!」

 

 だが、その手は届かない。

 

「父様」

 

 アルブレヒトは、兜の奥で小さく笑った。

 泣きそうな、優しい笑みだった。

 

「ごめんなさい」

 

 その謝罪だけを残して、踵を返す。

 

「アル!行くな、戻れ!!」

 

 返事はない。

 嵐がアルブレヒトの身体にまとわりつき、弾かれるように高速で飛んでいった。あっという間に彼は見えなくなり、誰も止められなかった。

 止める力が、もう残っていなかった。

 静寂だけが残る。

 

「……くそっ」

 

 拳を地面へ叩きつける。

 悔しかった。

 ようやく見つけた弟を。

 ようやく取り戻した家族を。

 また、自分は守れなかった。

 パウロは俯いたまま、震える拳を握り締めていた。

 

「また…行かせちまった」

 

 絞り出すような声だった。

 親である自分が、兄であるルーデウスが、誰一人、アルブレヒトを引き止められなかった。

 その事実だけが、胸に重くのしかかっていた。

 

 戦場に残されたのは、傷ついた家族だけだった。

 

 

 ■

 

 

 そして数日後。

 まるで、あの日の戦いなど最初から存在しなかったかのように、グレイラット家には穏やかな日常が戻ってきた。

 朝、まだ空気の冷たさが残るうちに起きる。

 パウロとノルンと並んで街の外を走り、木剣を振るう。

 汗を流して家へ戻れば、ルーシーを抱いたシルフィが柔らかく笑う。

 その笑顔に抱きつけば、ルーシーがきゃっきゃと笑った。

 リビングへ行けば、朝食の支度をするリーリャとアイシャ。

 寝癖をつけたまま眠そうに降りてくるロキシーの髪を整え、器用に三つ編みにしてやる。

 庭ではゼニスが、今日もビートと向かい合っていた。

 

「母さん、ご飯ですよ」

 

 そう声をかけると、ゆっくりこちらを向いて歩いてくる。

 皆で食卓を囲む。

 笑い声がある。

 温かな食事がある。

 家族がいる。

 ――だが。

 一つだけ。

 どうしても埋まらない席があった。

 

 アルブレヒトはいない。

 たった一人いないだけなのに。

 食卓は妙に広く見えた。

 誰もその席には触れない。

 けれど、誰もが無意識にそこへ視線を向けてしまう。

 笑顔のあとに訪れる一瞬の沈黙が、それを物語っていた。

 

 幸せなはずなのに、どこか空虚な感じがする。

 当たり前だ。大切な人がいないのだから。

 

 アルブレヒトが生きていたことは、家族はもちろん、友人全員に伝えた。

 反応は様々だった。

 ノルンとアイシャは泣き出し、リーリャは信じられない、というような顔をした。ゼニスは…相変わらずぼーっとしているように見えたが、どこか落ち着きがなかった。

 

 誰もがアルブレヒトに会いたかった。

 帰ってきてほしかった。

 また家族みんなで笑いたかった。

 だが、その願いだけは、どうしても叶わない。

 どれだけ待っても。どれだけ探しても。

 アルブレヒトだけは、帰ってこない。

 食卓に一つ空いた席が、嫌というほど現実を突きつけていた。

 

 ――そんな時だった。

 

 バァンッ!と家の扉が乱暴に開かれる。

 家中がびくりと震えた。

 

「な、なんだ?」

 

 ルーデウスが立ち上がる。

 パウロも椅子を蹴るように腰を上げた。

 廊下へ駆ける。

 そこに立っていたのは、得意げに胸を張るエリス。

 そして、エリスに首根っこをつかまれている男。

 灰色の髪、青い瞳、何度夢に見たかわからないその顔。

 

「ルーデウス!連れてきたわ!」

 

 気まずい顔をする男。

 決して目を合わせようとしない、彼は―――

 

「…………兄さん」

「――――アル!」

 

 アルブレヒトが、そこにはいた。

 

 

 ■

 

 

 家族を危険に晒すわけにはいかない。

 そう言って去ったアルブレヒトだったが、それで家族への想いまで捨てられるわけではなかった。

 オルステッドを完全に信用したわけではない。

 万が一、家族に危険が及ぶかもしれない。

 そんなもっともらしい理由を自分に言い聞かせながら、結局はシャリーア近郊に留まり、グレイラット家の様子を遠くから見守る日々を送っていた。

 

 家族に気づかれず、それでいて、何かあればすぐに駆けつけられる距離。そんな都合のいい森を見つけては、一人剣を振り、夜になると家の明かりを眺める。

 

 傍らにはヘルカイトがいた。

 何も言わない。ただ黙って隣に座り、時折尻尾でアルブレヒトの肩を軽く叩く。

 慰めているつもりなのだろう。

 本人――本竜は絶対に認めないだろうが。

 

 アルブレヒトも、それ以上は何も言わなかった。

 そんな、どこか空っぽな日々が続いていた。

 

 ある日、不意に背後から聞き覚えのある足音が近づいてくる。

 振り返る。

 そこに立っていたのは、真っ赤な髪を揺らす一人の女性。エリス・グレイラット。

 

 驚くアルブレヒト。この場所は誰にも教えていないはずだった。

 

「どうして、ここを…」

「勘よ!」

 

 勘だった。

 あまりにもエリスらしい答えに、アルブレヒトは一瞬だけ言葉を失う。

 その横でヘルカイトが低く唸り、エリスを睨みつける。

 アルブレヒトは片手を軽く上げ、その巨体を制した。

 

「……何の用だ」

「ルーデウスのところに行くわよ。一緒に」

「嫌だ」

 

 即答だった。

 

「関係ないわ。連れて行く」

「……お前が、俺に勝てると思うのか」

「…………」

 

 エリスの額に、ぴきり、と青筋が浮かぶ。

 しかし怒鳴り返すことはしなかった。

 一度、大きく息を吸う。ゆっくり吐く。

 気持ちを押し殺してから、真っ直ぐアルブレヒトを見た。

 

「……勝てないかもね」

 

 悔しそうに、それでも認める。

 

「でも、あんたは連れて行く」

 

 一歩踏み出す。

 

「あんたがいないせいで、ルーデウスが悲しんでる。家族の元へ帰れたっていうのに、ずっと落ち込んでる。全部、あんたのせいよ」

「それは……」

 

 その言葉だけは、胸に刺さる。

 アルブレヒトは視線を落とした。

 

「だが、俺が兄さんのもとへ行くことはできない。……お前は知らないだろうが、俺は――」

「うるさいわね!!」

 

 怒声が森に響く。

 鳥たちが一斉に飛び立った。

 

「いいから来なさい!」

 

 ずかずかと歩み寄ると、エリスはアルブレヒトの首根っこをがしりと掴んだ。

 そのまま力任せに引っ張る。

 

「おい、やめろ」

 

 口では拒絶する。だが、抵抗しようとはしない。

 本気なら、その気になれば、エリスの手など一瞬で振り払える。

 

 それでも、しない。

 

 ヘルカイトも不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、止めようとはしなかった。

 その様子を見て、エリスは鼻を鳴らす。

 

「本当に嫌なら、本気で抵抗すればいいじゃない」

「…………」

 

 返事はない。

 俯いたまま、されるがまま引きずられていく。

 その姿に、エリスは小さく笑った。

 

「ま、抵抗したところで無理やり連れて行くけど」

 

 そうして、アルブレヒトは、再び家族のもとへ向かうことになった。

 

 

 ■

 

 

 エリスに引きずられ、家族と対面するアルブレヒト。

 

 ようやく会えた。

 何度夢に見たかわからない光景。

 なのに、彼の身体は強張ったまま動かない。

 近づいてはいけない。抱きしめてはいけない。失えば耐えられない。

 そんな恐怖が、足を地面に縫い付けていた。

 

 だが、家族はそんな迷いなど知らない。

 

「アル兄さん!!」

 

 一番に駆け出したのはノルンだった。

 躊躇など一切ない。勢いのまま飛び込み、小さな身体でアルブレヒトへしがみつく。

 

「ノルン……」

 

 胸元へ伝わる温もり。

 小刻みに震える肩。

 押し殺そうとしても止まらない嗚咽。

 

「兄さん、兄さん!生きてた、本当に生きてた!」

 

 服を掴む力が痛いほど強い。

 もう二度と離さないと言わんばかりだった。

 

「良かった、良かったよぉ……」

「…………ノルン」

「どこ行ってたんですか!バカ!」

「ごめん」

「ごめんじゃないです!バカ、バカ!バカ!」

 

 拳が何度も胸を叩く。

 弱々しい、子供の拳。

 剣神にも。

 龍神にも。

 決して折れなかった騎士の身体が、その小さな痛みにだけ耐えられなかった。

 視界が滲む。

 ゆっくりと。本当にゆっくりと、恐る恐る腕を伸ばす。

 まるで壊れ物に触れるように、ノルンの背へ手を回した。

 

 次に前へ出ようとしたのはアイシャだった。

 だが、一歩踏み出しては止まる。

 伸ばしかけた手が、力なく胸元へ戻る。

 

「アルお兄ちゃん……」

 

 震える声。その瞳は嬉しさよりも、不安と後悔で揺れていた。

 あの日、アイシャは直接追い出したわけではない。それでも、アルブレヒトが家を去るきっかけを作ったのは、自分だ。

 

 あの時の判断は間違っていなかった。

 そう頭では理解している。

 それでも心は、ずっと自分を責め続けていた。

 だから近づけない。

 もし拒まれたら、もし嫌われていたら。

 そう思うだけで足が動かなかった。

 

「アイシャ……」

 

 アルブレヒトは静かに妹を見る。

 幼い頃から誰よりも賢く、いつも悪戯っぽく笑っていた妹。そんな彼女が今は、小さな子供のように怯えている。

 そんな顔はしてほしくなかった。

 笑っていてほしかった。

 いつものように、生意気なことを言っていてほしかった。

 そのために自分ができることは、一つしか思い浮かばなかった。自分にその資格があるのかはわからない。それでも、アイシャに笑っていてほしかった。

 

 ゆっくりと、腕を伸ばす。

 

「おいで」

 

 たった三文字。

 その言葉だけで十分だった。

 

「っ……!」

 

 堪えていたものが、一気に溢れる。

 

「お兄ちゃん……」

 

 一歩。

 また一歩。

 そして駆け出す。

 

「アルお兄ちゃん!!」

 

 勢いよく胸へ飛び込み、小さな身体でしがみつく。

 もう離れまいとするように。

 幼い頃、森で迷子になった自分たちを助けてくれた兄。

 ノルンと自分を分け隔てなく愛してくれた兄。

 誰よりも優しく、誰よりも格好いい、大好きな兄。

 ずっと会いたかった。

 本当は、ずっと謝りたかった。

 

「うわあああああん!!」

「わああああん!!」

 

 張り詰めていたものが切れたように、アイシャとノルンは子供のように泣きじゃくる。

 アルブレヒトは泣きそうな顔のまま、ノルンとアイシャ、二人を抱き寄せた。

 細い肩が、腕の中で震えている。

 その温もりが、確かに教えてくれる。

 ――帰ってきたのだと。

 

 「アル!」

 

 ノルンとアイシャを抱き締めるアルブレヒトへ、パウロが駆け寄る。

 その大きな腕が、三人まとめて包み込んだ。

 強く。壊れてしまいそうなほど強く。

 

「ごめん……ごめんなぁ……!」

 

 震える声だった。

 

「お前を守るって約束したのに…逆に守られて……!」

 

 嗚咽が混じる。

 もう言葉にならない。

 

「よかった…帰ってきてくれて……本当に、よかった……!」

「父様……」

 

 アルブレヒトは戸惑う。

 いつだって父は強かった。

 剣を振るい、笑って酒を飲み、どんな時でも前を向いていた。

 そんな父が、今は子供のように泣いていた。

 

「情けない父さんですまない…弱い父さんで……すまない……!」

 

 パウロは何度も首を振る。

 声が潰れる。

 

「うっ……ぐ、うぅっ……!」

 

 肩が震え続ける。

 堪えていたものが、もう止まらなかった。

 

「父様、泣かないでください」

 

 アルブレヒトはゆっくりとパウロの背へ手を添える。

 幼い頃。

 転べば、こうして父が背中を撫でてくれた。

 今度は逆だった。

 

「父様は悪くありません。全部、俺が勝手にやったことです」

「違う!」

 

 パウロは顔を上げる。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま叫んだ。

 

「違うんだ……お前を守るのは親として当たり前だった!なのに俺は……!」

 

 拳を強く握る。

 

「お前が近くにいたことにも気付けなかった。お前一人に全部背負わせて……!挙げ句の果てには、お前に守られた!」

 

 歯を食いしばるパウロ。

 

「父親失格だ……」

 

 その一言には、何年分もの後悔が詰まっていた。

 転移事件。家族が散り散りになった日。

 そして、転移の迷宮。

 守れなかった。守ると誓った息子を。

 

「……いいんです」

 

 アルブレヒトは首を振る。

 

「父様」

 

 背中を撫で続ける。

 まるで子供をあやすように。

 

「泣かないでください」

 

 その優しい手つきに、パウロはまた涙を溢した。

 

「すまん…すまん、アル……」

 

 何度も何度も謝り続ける父の背中を、アルブレヒトは何も言わず、撫で続けた。

 

「アルブレヒトさま……」

 

 リーリャが一歩前へ出る。

 その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

 それでも彼女は、いつものように背筋を伸ばし、静かに頭を下げる。

 

「よくぞ、お帰りになられました……」

「リーリャ……」

 

 アルブレヒトもまた、小さく頭を下げ返した。

 

「……母様の面倒を、ずっと見てくれていたんですね」

 

 ゼニスへ視線を向ける。

 

「ありがとうございます」

「いいえ」

 

 リーリャは首を横に振った。

 

「当然のことをしたまでです」

 

 短い言葉だった。

 だが、その当然という言葉の裏には、どれほどの日々が積み重なっていたのだろう。

 ゼニスが笑わなくなってからも、言葉を失ってからも、ずっと。毎日。

 変わらず寄り添い続けてきた。

 リーリャは少しだけ視線を伏せる。

 

「それより――」

 

 いつもの落ち着いた声。

 なのに、僅かに震えていた。

 

「無礼かもしれませんが……私も、よろしいでしょうか」

 

 一瞬だけ、アルブレヒトはきょとんとした顔になる。

 だが、すぐに微笑み――

 

「……はい。もちろん」

 

 そう答えた。

 リーリャは静かに歩み寄り、そっとアルブレヒトを抱き寄せた。

 昔よりも広くなった背中。

 逞しくなった肩。

 それでも、その温もりは昔と何も変わらない。

 

「本当に、大きくなられましたね……」

 

 頭へ手を伸ばす。

 何度も幼い頃に撫でた髪。

 少し硬くなった灰色の髪を、慈しむように梳いていく。

 

「こんなに立派になられて……」

 

 その言葉の続きを、リーリャは飲み込んだ。

 ――生きていてくださって、本当に良かった。

 言葉にすれば、きっと泣いてしまうから。

 アルブレヒトは少し照れたように目を逸らす。

 だが、振り払おうとはしなかった。

 その手の温もりが懐かしくて、胸の奥が熱くなって。

 ただ静かに、その優しさを受け入れていた。

 

「アル………」

 

 ルーデウスが、一歩近づく。

 

「兄さん…」

 

 ルーデウスは、すぐに跪くと、頭を下げ、土下座の姿勢をとった。

 

「すまない。本当に、すまなかった」

「に、兄さん!?」

 

 慌てるアルブレヒト。

 

「謝って許されるとは思っていない。でも、それでもすまなかった」

「お前を傷つけてしまった、追いやってしまった。何度も守られたのに、ずっと一緒にいたのに」

「本当に、すまない。……ごめんなさい」

 

 アルブレヒトはルーデウスに駆け寄り、顔を上げさせる。

 ルーデウスは抵抗したが、アルブレヒトの怪力の前には無力だった。

 

「兄さん、謝らないで。全て俺が悪いんです。俺のせいでシルフィさんを傷つけてしまった。俺のせいで家族を危険に晒した」

「違う、俺が悪いんだ。お前を信じることができなかった。お前と一緒に、解決策を探そうとすればよかった。それができなかったのは、俺の弱さだ」

「兄さん……」

 

「そうだ…!呪いのこと、なんとかなるかもしれないんだ!」

「え……」

 

「クリフ先輩が、アルの呪いを研究し続けてくれて、最近ようやく成果が出たんだ!まだ試作品らしいけど、それを使えばアルの呪いをなんとかできるかもしれない!」

「…………!」

 

 呪いが、解けるかもしれない。

 なんて、魅力的な。呪いがない人生に、どれほど焦がれただろうか。呪いがなければ、と何度思っただろうか。

 その求め続けた未来が、突然目の前に現れた。

 

 もしかしたら、もしかしたら。

 本当に、家族のもとへ帰れるかもしれない。

 

 ――――だが。

 

「……気持ちは、とても嬉しいです。でも、帰るわけにはいかない。誰かをほんの少しでも傷つける可能性があるのなら、俺はここに居てはいけない」

「アル、そんな!やっと見つかったんだ、お前と一緒にいる方法が!」

「俺は帰りません。心配いりません、人の像はもうほとんどありませんが、闇霊に対処する方法はありま―――」

「そういう話じゃない!もうお前は傷つかなくていい!独りでいる必要はない!お前の居場所はここにあるんだ!!」

「……わかってください。どうしようもない、ことなんです」

 

 不死の呪いは、アルブレヒトの魂に絡みつく――いや、深く、深く根付いた呪縛。

 もし闇霊の問題が完全に解決されても、彼は家族のそばにいようとしないだろう。

 怖いから。自らの呪いが、自らの不死が。

 いつか、誰かを傷つけるかもしれない。

 いつか、誰かが自分を恐れるかもしれない。

 いつか、耐えられなくなるかもしれない。

 

 それが、どうしても、怖い。

 俯くアルブレヒト。

 

 ルーデウスは拳を握る。

 何か言わなければ。

 何か、アルブレヒトを引き止める言葉を。

 必死に探す。だが見つからない。

 

 アルブレヒトは自分よりずっと頑固で、ずっと優しい。

 だから、自分を犠牲にすることを選んでしまう。

 

「アル――」

 

 もう一度、叫ぼうとした。

 その時だった。

 かすかな衣擦れの音が響く。

 誰もが反射的に振り向く。

 

「…………」

 

 ずっと椅子へ腰掛けたまま、一言も発さなかったゼニスが。

 静かに立ち上がっていた。

 

「母様…?」

 

 アルブレヒトは転移の迷宮から、ゼニスと直接会ったことはなかった。だが、遠目に様子を窺っていて、ゼニスが自己を喪失していることには気づいていた。

 だから、今回も話しかけられることはないだろうと、そう思っていた。

 

「……………」

 

 ゼニスは、ずんずんとアルブレヒトに近づく。

 アルブレヒトは、不思議と昔のことを思い出した。ゼニスのお気に入りの庭木を雷の槍で焼いてしまった時、こっぴどく怒られた。

 その時と、同じ雰囲気だった。

 

「…………!」

 

 ぽかり、と頭を叩かれる。

 痛くなかった。全く力の入っていない、優しい怒りだった。

 

「母、様………」

 

 だが、だが。

 ゼニスの拳は、何よりもアルブレヒトに響いた。

 ガルの光の太刀より、オルステッドの神刀より、これまで受けたどんな傷よりも深く、胸をえぐった。

 

 ゼニスは真っ直ぐにアルブレヒトを見る。

 その目は、何かを伝えようとしていた。

 

 それは、『一緒にいて』と。『もうどこにも行かないで』と、そう言っているように感じられた。

 

 勘違いかもしれない。勝手に、そう思いたいだけかもしれない。

 

 それでも。それでも。

 

「…………う」

 

「…………………うう」

 

「……ううっ、うう!うああっ!うああああっ!!」

 

 アルブレヒトは、泣いた。

 久しぶりに、子供のように、みっともなく、泣いた。

 

 ゼニスは、優しくアルブレヒトを抱きしめた。

 昔のように、子供の帰りを喜ぶように。

 

 パウロが、ノルンが、アイシャが、リーリャが、ルーデウスが、次々とアルブレヒトを抱きしめる。

 

「俺、俺は……」

「みんなと、一緒にいたい。家に、帰りたい!」

 

 泣きながら、本音を話すアルブレヒト。

 

「やっと、やっと、言ってくれたな」

 

 ルーデウスも泣きながら呟く。

 

「おかえり、アル」

 

「………!に、いさん…!」

 

「…………ただいま。ただいま!」

 

 その日。ようやく一人の騎士は、鎧を脱ぎ、一人の子供に戻ることができた。

 

 彼は、ようやく家族の元へ帰ることができた。これからは、家族と共に生きるだろう。

 きっと、もう離れることなく、共に歩み続けるだろう。

 

 これにて、騎士の旅路は終わる。

 

 長い旅だった。

 灰と血に塗れた世界から始まった、一人の騎士の旅路。

 ようやくその終着点へ辿り着いた。

 帰る場所は、最初からここにあった。

 

 彼は、その日ようやく、帰る場所へ帰ることができた。

 これから先に待つのは、英雄譚ではない。

 家族と笑い合い。

 時に喧嘩をして。

 誰かの帰りを迎え。

 誰かの帰りを待つ。

 そんな、何よりも尊い日々。

 それこそが、彼が命を懸けて守りたかった未来だった。

 

 こうして、一人の騎士はようやく剣を置いた。

 その手に残ったのは、栄光ではない。家族の温もりだった。

 

――めでたし、めでたし。

 

 

第一部「Homecoming」完








 読んでくださっている皆様のおかげで、なんとか第一部を完結させることができました。ありがとうございます。
 本来、ここで終わる予定だったのですが、書いているうちにアルブレヒトたちに愛着が湧いてしまい、この後も書こうと決心しました。
 とはいっても、この後はなんとなくしか決めておらず、かなりゆっくりとしたペースになると思います。原作を守りつつ、面白い話を書くのは結構難しいです。
 あと番外編かどこかで日記ルートのアルブレヒトの話は必ずしたいです。
 無職転生のアニメが完結するまでには…なんとか…終わらせられると…いいかな……?

 これから、面白いお話を皆様にお届けできるかはわかりません。ですが、最大限努力し、アルブレヒトの物語を完結させたいと思っています。

 どうか、お付き合いいただければ幸いです。

 最後に、ここまで読んでくれてありがとうございました。あなたのお陰で、私は物語を書き続けることができます。本当に、ありがとうございます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。