玉葱騎士、六面世界に立つ   作:プラザ合意

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第48話 死闘

 

 翌朝。

 アルブレヒトが宿の外へ出ると、そこにルークが立っていた。

 朝の冷たい空気が、二人の間を静かに流れている。

 

 昨日の戦いで負った傷はすでに治療されている。

 身体に大きな傷は残っていない。

 だが、その表情はどこか硬かった。

 

「……アルブレヒト殿。少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」

「ああ、わかった」

 

 アルブレヒトが頷く。

 二人は宿から少し離れた場所まで歩いた。人の少ない道を選ぶようにして、足を止める。

 すると、ルークは突然、深く頭を下げた。

 

「昨日のことを…いえ、これまでのことを、謝罪させてください」

「……」

 

「私は、アリエル様を疑いました」

 

 声が震えている。

 

「自分の迷いを正当化するために、周囲を疑った」

 

 アルブレヒトは黙って聞いている。

 

「そして……あなたにも、失礼な態度を取りました」

「……ああ」

「申し訳ありませんでした」

 

 頭を下げたまま、ルークは続ける。

 

「私は、騎士として大切なものを見失っていました。主を信じることも、主のために剣を振るうことも、自分自身で決めることすら……できなくなっていた」

 

「アリエル様を守ることよりも、自分が正しいのかどうかばかりを考えていた」

「……」

「アルブレヒト殿やルーデウス…殿を疑って、自分の迷いを、他人のせいにして……」

 

「私は……騎士失格です」

 

 アルブレヒトは静かにルークを見る。

 

「そうだな」

 

 否定しなかった。

 だが、責めるような声でもなかった。

 

「お前は迷い、成すべきことを見失った。だが、主を…大切なものを守れなかったわけではない。多少はマシだ」

「そ、そうですか……」

 

 ルークは、ほんの少しだけ息を吐いた。

 だが、その胸に、ふと不安がよぎる。

 自分はまた迷うかもしれない。

 また間違えるかもしれない。

 その時、自分はアリエルを守り切れるのだろうか。

 

「も、もし、いつか……私が主を守れなかったとき。私は、どうすればいいのでしょうか」

「剣(・)を(・)捨(・)て(・)ろ(・)」

 

 即答だった。

 

「……!」

 

 先ほどまでの、どこか穏やかな声とは違う。

 底冷えするような声だった。

 

「守るべきを守れない騎士に、存在価値はない」

 

 ルークの背筋が伸びる。

 

「守れなかった時点で、騎士をやめろ」

「…………」

 

 厳しい言葉だった。

 アルブレヒトの瞳には、冗談も迷いもない。

 

「…だが、それでも騎士と名乗りたいなら、その時は俺が叩き直してやる」

 

 アルブレヒトの口元が僅かに歪む。

 

「まあ、今度は腕の一本や二本は覚悟してもらうがな」

 

 冗談めかした口調。しかし、目は一切笑っていなかった。

 

「…は、はい!」

 

 ルークは反射的に背筋を伸ばした。

 昨日の戦いを思い出す。

 自分がどれほど無力だったのか。

 だが、それでも、最後まで剣を手放さなかったことを。

 ルークは剣の柄に手を添える。

 

「……分かりました。私は、もう迷いません」

「それは違う」

「え?」

「迷うこと自体は悪くない」

 

 アルブレヒトは静かに言った。

 

「迷ったなら、考えろ。自分が何を守りたいのか、誰のために剣を握るのか」

 

「そして、決めろ」

 

 ルークは黙って聞いている。

 

「決めたのなら、その道を進め」

「……はい」

 

 ルークは深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます、アルブレヒト殿」

「礼はいらない」

「ですが――」

「俺はお前に、騎士として当然のことを言っただけだ」

 

 ルークは顔を上げる。

 その表情には、昨日まであった迷いが僅かに薄れていた。

 

「……私は、アリエル様の騎士です。この先、何度迷うことがあっても。それだけは、忘れません」

 

 ルークは剣の柄を強く握る。

 アルブレヒトは小さく頷いた。

 

「なら、行け」

「はい」

 

 ルークは振り返る。

 そして、今度こそ自分の意思で。

 主のもとへ歩いていった。

 

 

■

 

 

 その後、街を出発して数日。

 一行はついに王都へとたどり着いた。

 

 王都アルス。

 アスラ王国の中心にして、世界最大級の都市。

 小高い丘からその姿を見た時、ルーデウスとエリスは、あんぐりと口を開けた。

 

「でっか………」

 

 思わず、そんな言葉が漏れる。

 まず目に入るのは、遥か彼方まで続く巨大な都市だった。

 

 建物がある。道がある。人がいる。

 その全てが、どこまでも続いている。

 

 そして、その中心。丘の上にそびえ立っているのが、王城だった。

 銀色の外壁、幾つもの尖塔、幾重にも連なる巨大な建物。遠目に見ても、その威容は圧倒的だった。

 

 シルバーパレス。

 アスラ王国の王が住まう城。

 

 王城を取り囲んでいるものはそれだけではない。王城の周囲には、巨大な城壁が築かれていた。まるで一つの要塞そのものだ。

 高く、分厚い石壁。いくつもの塔が突き出し、その上には見張り台まで設けられている。

 王城そのものを守るために築かれた巨大な防衛線。あれを正面から突破するのは、軍でも容易ではないだろう。

 

 そして、その城壁の外側。そこを取り囲むように、巨大な邸宅が並んでいる。

 上級貴族たちの住む区画だ。

 屋敷という言葉では収まらない。城と呼んだ方が相応しいものまである。

 広大な庭園、複数の建物、高い塀。

 それぞれが一つの領地のような規模を誇っていた。

 そんな貴族街を、さらに外側の城壁が取り囲んでいる。

 

 王城。それを守る城壁。上級貴族街。

 そして、それらを守るさらに大きな城壁。

 幾重にも重なった防衛線が、王都の中心を形作っていた。

 

「……これ、全部が王都なの?」

 

 エリスが驚いて呟く。

 

 だが、王都はそれでもまだ終わらない。

 貴族街の外側から、ようやく一般の町並みが始まる。

 石造りの建物、木造の家々、大通りを行き交う人々。

 商店。宿。工房。

 それらが隙間なく並んでいる。

 そして街の中には、王都の巨大さを象徴するような建造物がいくつも存在していた。

 遠くからでも目立つ巨大な闘技場。

 騎士たちが鍛錬を行う広大な訓練場。

 聖ミリス教団の神殿。

 街の中を繋ぐ水道橋。

 劇場が集まる一角。

 商人たちが行き交う市場。

 

 どこを見ても、人がいる。

 どこを見ても、建物がある。

 王都そのものが、一つの巨大な生き物であるかのようだった。

 街を囲う城壁も、一つではない。中心部を守る巨大な城壁、その外側にも城壁があり、さらにその外側にも、壁が建てられている。

 

 長い年月をかけて、街が広がるたびに、人が増えるたびに、新たな区画が作られ、それを守るために新たな城壁が築かれていったのだろう。

 

「すげー……」

「そうですか?ペルギウス様の城のほうが立派だと思いますが…」

「いや、ケイオスブレイカーもすごかったけど、これは都だし、また違う良さがあるっていうか…」

 

 感動するルーデウスに、ペルギウスの城のほうがすごい、と言うアルブレヒト。空中城塞がすっかり気に入ったらしい。

 

「こほん。お二人とも、まずは私の別宅に移動しましょう。お話はその後で」

「ん、すまん。兄さん、まずは移動しましょう」

「ああ、そうだな」

 

 そんな二人にアリエルが口を挟み、一行は王都へと入った。

 

 

■

 

 

 王都の中は近づくと一般的な街並みをしており、一行は上級貴族の区画へと向かった。

 ルークとシルフィを先頭に、アリエルが乗った馬車が続き、それをアルブレヒトたちが守る形だ。

 

「あれ……もしかしてルーク様とフィッツ様じゃないか……?」

「ホントだ……てことは、もしかしてあの馬車は……!?」

「アリエル様か!?」

「国王陛下のご病気を聞いて、戻ってらしたんだ!」

 

 ルークとシルフィを見て、馬車がアリエルのものであると人々が気づき、声援がかけられる。

 

「キャー、ルーク様ー!」

「フィッツ様!」

「アリエル様ー! お帰りなさいませー!」

 

 ルークは声援を受けるたびに、手を振り替えしている。対してシルフィは耳の後ろをポリポリと掻いており、少し恥ずかしそうだ。

 

「はー…すごい人気だ。追放されたって聞いてたから意外だな」

「兄さん、失礼ですよ。アリエル王女は能力と王気を備えた方。当然の反応です」

「えー、でもアルも仕えはしないんだろ?」

「まあ、それは…そうですが…」

「てことはお前も侮ってたってことじゃん?お前も同じ穴の狢だぞ〜、うりうり〜」

「む、むじな?…言葉の意味はわかりませんが、馬鹿にされてる感じがします」

「どうでもいいわ!声援を受けると気分がいいわね!」

 

 そんなことをアルブレヒトたちが話していると、町民たちが暮らす区画を抜け、貴族街へと入る。

 貴族街では声援は鳴りを潜め、静かな行進が続く。

 整然と並ぶ石造りの屋敷。手入れの行き届いた街路樹。道を歩く人々の服装も、先ほどまでの町民街とは明らかに違っていた。

 

 そんな中、見回りをしていた騎士の一行とすれ違う。

 すると、一人の騎士が部隊長らしき男に何かを告げた。そして、その騎士がこちらへ向かって走り出した。

 

「……!」

 

 突然の接近に、一行の空気が張り詰める。

 ルーデウスが警戒し、アルブレヒトたちもそれぞれ武器に手をかけた。

 

「わわ…!わ、私ですよ!」

 

 驚いた騎士は兜を脱ぎ、顔を晒す。

 

「エリス、アルブレヒトさん、ギレーヌ!お久しぶりです!」

「…イゾルテ!」

 

 騎士はイゾルテだった。

 イゾルテ・クルーエル。剣の聖地で出会った、水神流王級の剣士。水神レイダの弟子だ。

 まさか王都で再会するとは思っていなかったのだろう。イゾルテは嬉しそうに笑いながら、懐かしい顔ぶれを見回した。

 

「久しぶりね。変な鎧着てるから、一瞬誰かと思ったわ」

「変な鎧って……これ、アスラ王国騎士団の正式な甲冑ですよ?かっこいいでしょう?」

「動きにくそうだわ」

「水神流は動かなくてもいいから、これぐらいが丁度いいんですよ」

 

 エリスとイゾルテが、いつもの調子で言い合う。

 久しぶりの再会だというのに、二人のやり取りには妙な気負いがなかった。剣の聖地で過ごした時間が、そのまま続いているかのようだった。

 だが、イゾルテは、エリスとの会話もそこそこに、ふと視線を横へ向けた。

 そこにいたのは灰色の髪の青年、アルブレヒトだった。

 彼の姿を見た瞬間、イゾルテの顔に浮かんでいた笑みが、ほんの少しだけ深くなる。

 久しぶりに会えた。

 エリスやギレーヌと再会できたことも嬉しい。けれど、気づけば彼の姿を目で追っていた。

 最後に会った時のことがふと脳裏をよぎる。

 あの時の彼はどこか思い詰めたような顔をしていた。何かを抱え込んでいるようで、けれど、こちらが尋ねても簡単には話してくれそうになかった。

 だからこそ、今はどうしているのか。

 少しだけ、気になっていた。

 

「…それよりアルブレヒトさん、お久しぶりです!」

 

 イゾルテは彼の方へ向き直り、声をかけた。

 

「久しぶりだな、イゾルテ。元気そうで何よりだ」

 

 アルブレヒトは穏やかに頷いた。

 その声も、表情も、いつも通りに見える。

 イゾルテはどこか安心したように息を吐いた。

 

「はい! アルブレヒトさんこそ、元気そうでよかったです」

 

 それから、少しだけ言いよどむ。

 

「最後に別れた時は、なんだか落ち込んでいるみたいだったので……」

 

 あの時何があったのか。結局、聞けなかった。

 今なら、少しくらい話してくれるだろうか。

 そう思い、イゾルテは彼の顔を見つめた。

 

「何かあったのか、ずっと気になって――」

「…レイダ殿はどうしている?」

 

 言葉を遮られる。

 

「……え?」

 

 イゾルテは、きょとんと目を瞬かせた。

 アルブレヒトは彼女の問いに答えようともせず、静かにこちらを見ている。

 その表情には再会を喜ぶ様子よりも、確かめなければならないことがあるという焦りが滲んでいた。

 イゾルテは一瞬だけ戸惑ったものの、すぐに答えた。

 

「お師匠ですか?元気ですよ。今は王城の方にいるそうです」

「そう、か……」

 

 アルブレヒトの表情が、わずかに曇った。

 ほんの一瞬の変化だった。だが、イゾルテは見逃さなかった。先ほどまで穏やかだった瞳から、すっと光が引いていく。

 何かを確かめ、それと同時に何かを諦めたような顔だった。

 どうして、そんな顔をするのだろう。イゾルテには分からなかった。

 ただ、レイダの居場所を聞いただけではない。そう思えるほど、アルブレヒトの表情は重かった。

 

「……?それがどうかしましたか?」

 

 思わず尋ねる。

 アルブレヒトは、ほんの僅かに目を伏せた。

 

「いや、なんでもない。悪いが急いでいてな。これで失礼する」

「えっ?」

 

 あまりにも唐突だった。せっかく会えたのに。

 もう少し話したかった。せめて、さっきの続きを聞きたかった。

 けれど、アルブレヒトの声にはこれ以上話すつもりがないという意思が滲んでいた。

 

「あ、そうですか……それは、すみませんでした」

 

 イゾルテは慌てて一歩下がる。

 引き止める理由など、自分にはない。

 そう分かっているのに、胸の奥に小さな寂しさが残った。

 

「悪いな」

 

 アルブレヒトは短く詫びると、仲間たちのもとへ戻った。

 やがて馬車が動き出す。

 石畳を踏む蹄の音が、静かな貴族街に響いた。

 イゾルテは、その場に立ったまま、遠ざかっていく一行を見つめていた。

 アルブレヒトは一度も振り返らなかった。

 

「…………」

 

 何か、あったのだろうか。

 あの時と同じだ。

 彼は何かを抱えている。

 けれど、それを誰にも見せようとはしない。自分が尋ねても、きっと答えてはくれないのだろう。

 イゾルテは、去っていく馬車を見つめながら、そっと唇を結んだ。

 せっかく会えたのに。結局、聞きたかったことは何一つ聞けなかった。そのことが、思いのほか残念だった。

 

 

■

 

 

「…………」

 

 貴族街を歩きながら、考え込むアルブレヒト。

 レイダは王城にいる。つまり、敵であることがほぼ確定した。

 戦うことになる。殺し合うことになる。

 

 自分たちは剣を持つもの。根本ではいつか戦う日が来るかもしれないとわかっていた…つもりだった。

 しかし、いざ本当に戦うとなると、どこか躊躇う自分がいた。

 

 レイダには本当に世話になった。目を曇らせた自分に修行をつけてくれて、共にお茶を飲んで談笑した。脇に置くには、あまりにも温かな記憶。

 今の自分にレイダを斬れるのだろうか。

 オーベールに言われた言葉を思い出す。

 

『そういう甘いところ!嫌いではないですが、直したほうが良いですぞ!』

 

 オーベールに言われた通り、自分は甘いのだろう。…それが、今は鬱陶しい。家族を守るのに邪魔だった。

 

(ルークに騎士としての道を偉そうに指南しておいて、自分も迷っているとは…何たる不覚)

 

 アルブレヒトは考える。

 

(俺は、何を守りたい?誰のために剣を握る?)

(…決まっている。家族のためだ)

 

(……家族のためなら、俺は――)

 

 

■

 

 

 時刻は夕刻を回り、ようやくアリエルの別邸に到着する。

 各々部屋を割り当てられ、水浴びで旅の汚れを落とし、食事を取った後、アリエルがアルブレヒトとルーデウスに声をかけてきた。

 

「少し、よろしいでしょうか?」

「はい」

「ああ」

「ありがとうございます。それでは、こちらへ」

 

 二人が案内された部屋には、すでに準備が整えられていた。

 大きな机には王都の地図が広げられ、いくつもの紙束が置かれている。

 貴族の名簿、王都の各施設に関する資料。

 地図には小さな印がいくつも付けられていた。

 アリエルは二人が席につくのを待ってから、ゆっくりと口を開いた。

 

「私は、明日より動き始めます。ペルギウス様をお出迎えするための、そしてダリウス上級大臣を失脚させるための『場』を用意します。

 私がいない間に寝返った貴族の確認に、情報収集、予め潜伏させておいた味方への連絡、各所への根回し……忙しくなります」

「はい」

 

 ルーデウスが頷く。

 アルブレヒトは黙ってアリエルを見ていた。

 王都に着いたばかりだというのに、すでに次の戦いを見据えている。

 これが王になるということなのだろう。

 

「ダリウスらに手を打たれぬように、早い段階で『場』を展開します。幸いにして、父上が病気という事で主要な貴族は王都に集まっていますので」

「どれほどの時間を使うつもりですか?」

「十日を目処に」

「了解です」

 

 短い返事だが、ルーデウスの表情は真剣だった。

 十日。長いようでいて、短い。

 その間に敵が何を仕掛けてくるのかを考えているのだろう。

 

「既にこちらの手札は揃っています。それ以外にも手は打ちますが、基本的な勝利は疑いようがないものと考えております。また、可能性としては低いと思いますが、『場』において、苦し紛れに戦闘を仕掛けてくる可能性もあります」

 

 敵も、黙って見ているわけではない。

 こちらが準備をしているなら、向こうも準備をする。

 その間に、何かを仕掛けてくる可能性は十分にある。

 

「こちらの戦力も十分にあるとは思いますが、万が一という事もあります。その前に、敵勢力の主要人物を削いでおきたいところです」

 

 アルブレヒトは黙って聞いていた。

 昼間、イゾルテから聞いた言葉が脳裏に残っている。

 レイダは王城にいる。敵として立ちはだかる可能性は高い。

 そして、自分はレイダと戦うことも、オーベールと戦うことも…迷っているのだろう。

 だが、それでも――

 

「アリエル王女。その役目、俺に任せてくれないか」

「…アル?」

 

 ルーデウスが不安そうにアルブレヒトを見る。

 アリエルも僅かに目を見開いた。

 

「どうするおつもりですか?」

「前回の襲撃で、全員が揃っていては敵わないと相手も理解しているはず。そこで俺があえて孤立し、敵をおびき寄せる」

 

 アルブレヒトは静かに答え、机の上の地図に視線を下ろす。

 

「ふむ、ですが、七大列強のアルブレヒト様が囮として使えるかどうか……」

「俺と戦うことは避けられないとオーベール殿は理解しているはず。絶好の好機として、俺を奇抜派の四人で囲む可能性はあるはずだ」

 

 ルーデウスが不安そうに口を挟む。

 

「アル、いくらなんでも危険すぎだ。お前が強いのは分かってるけど、四人相手じゃ…」

「兄さん」

 

 アルブレヒトがルーデウスを見る。

 その瞳は、静かだった。

 

「俺を、信じてくれませんか」

 

 一瞬、辛そうな顔をするルーデウス。そして、しばらく考えると、大きなため息をついた。

 

「……わかったよ。でも、危なくなったらすぐに逃げろ。逃げられなかったら、俺たちを呼ぶんだぞ」

「はい、ありがとうございます」

 

 念を押すように言うルーデウスに、頭を下げるアルブレヒト。

 

「まったく、この頑固弟が」

「すみません」

「謝るくらいなら、もう少し人の言うことを聞いてくれよ」

 

 ルーデウスは呆れたように言う。

 だが、その声音には怒りよりも、心配の色が強く滲んでいた。

 

「でも、これが最善だと思います」

「そうですね、こちらも戦力を分散させることになりますが、敵の主要人物を一人でも削げれば、その後の戦いは大きく楽になります」

 

 アリエルが頷く。

 

「分かりました。アルブレヒト様にお願いしましょう」

「ありがとうございます」

 

 そう言うと、アルブレヒトは静かに目を伏せた。

 

 自分は迷っている。それはもう、認めるしかない。

 だが、それでも家族は守る。

 そのためなら、どれほど血で汚れようと構わない。

 

 騎士は、静かに覚悟を決めた。

 

 

■

 

 

 翌日。

 早速アルブレヒトは一人で行動し、鎧姿で王都中を練り歩いた。

 

 アリエルは『場』を整えるための準備を行い、ルーデウスたちはそれを護衛する。

 

 暗殺者の襲撃は何度もあったが、肝心のオーベールたちは一度も襲撃を仕掛けてこなかった。

 アルブレヒトが抜けたとはいえ、護衛には王級剣士が二人、王級魔術師と聖級魔術師が一人ずつ。まともに襲撃を仕掛けても、勝ち目はないと判断したのだろう。

 

 このまま、何も起きないのではないかとルーデウスは思っていた。

 しかし――

 

「いえ、オーベール殿は確実に仕掛けてきます。俺相手か、兄さんたち相手かわかりませんが、警戒はしておいてください」

「お、おう。わかった」

 

 そうして、九日が過ぎた。

 

 

■

 

 

 その夜。

 月のない夜だった。

 雲に覆われた空には、月明かりすらない。

 王都の街路には、まばらな明かりだけが灯っている。

 

 その中を、アルブレヒトは一人で歩いていた。

 

 鎧が、かすかな音を立てる。

 足音が石畳へ落ちる。

 一定の間隔で、それだけが闇の中に響いていた。

 

 ふと、アルブレヒトが立ち止まる。

 

「オーベール殿。奇襲は通用しませんよ」

 

 闇夜に向けて、言葉を投げる。

 返事はない。ただ、静寂だけが夜を満たしている。

 しかし、しばらくして、一人、二人、三人、四人と、どこからか人影が現れ、アルブレヒトを囲むように立つ。

 闇に紛れる黒い装備に身を包んだ、オーベール、ウィ・ター、ナックルガードの双子だった。

 

「……これはこれは。参りましたな。気づかれておりましたか」

 

 オーベールが口を開く。

 顔色は変わっていない。いつもの飄々とした態度。

 だが、その手はすでに剣へ伸びている。

 

「一騎打ちはやめたのですか?」

 

 アルブレヒトが問う。

 少し、顔を歪めるオーベール。

 

「…奇抜派に正道はあらず。なんとしてでも嵐神の首を取らせていただきます」

 

 そう言って、剣を抜くオーベール。

 ウィ・ター、ナックルガードの双子――ナクル、ガドも剣を抜いた。

 四本の剣が、月のない夜に鈍く光った。

 

「そうですか」

 

 その言葉に感情は全く乗っていなかった。

 アルブレヒトもストームルーラーを抜き、構える。

 

 四人が、一斉に襲いかかった。

 

 四方向。

 四本の剣。

 

 闇夜に紛れた黒い剣に、黒い鎧。視覚することも困難だ。

 

 本来、回避不能、防御不能。

 死は見えている。

 

 しかし、アルブレヒトは一歩下がった。

 

 次の瞬間、爆発的な風が吹き荒れた。

 周囲の空気が、一気に膨れ上がる。

 

「……ッ!」

「くそっ!」

「うわぁ!」

 

 ウィ・ター、ナクル、ガドがまとめて吹き飛ばされた。

 石畳を転がり、壁へ叩きつけられる。

 

「ハァッ!!!」

 

 だが、オーベールだけは違った。

 真正面から嵐を切り裂く。風圧に身体を持っていかれながらも、なお前へ出る。

 アルブレヒトの懐へと潜り込んだ。

 ストームルーラーとオーベールの剣が噛み合う。

 金属音が夜の街に響いた。

 

「……!」

 

 重い。

 まるで大木に切りかかっているような光景を、オーベールは幻視した。

 

「……ッッ!」

 

 すぐに押し込まれる。

 スリットの奥から見えるアルブレヒトの瞳には、何の感情もなかった。

 

「オーベール!」

 

 吹き飛ばされたウィ・ターが態勢を立て直し、オーベールを助けようと剣を振るう。

 アルブレヒトは鍔迫り合いをしていたストームルーラーを僅かにずらした。

 

「――ッ!」

 

 そして、オーベールの腹へ蹴りを叩き込む。

 

「がはっ!」

 

 肺の空気をすべて吐き出しながら、オーベールが吹き飛ぶ。

 アルブレヒトは追わない。

 そのまま、ウィ・ターへと振り向いた。

 

「―――」

 

 その時。

 ウィ・ターの脳内に浮かんだ一文字は、死(・)だった。

 

 死ぬ。

 

 このままでは、死ぬ。

 

 振り抜こうとしていた剣を、咄嗟に防御へ回す。

 

 

 その直後、ウィ・ターを暴威が襲った。

 

 

 壁のように迫る嵐。

 渦巻き、うねり、悲鳴のような音を立てたそれは、容易にウィ・ターの剣を砕き、鎧にヒビを入れた。

 

「ぐがっ!!」

 

 そのまま吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。

 

「…………」

 

 オーベールの方に向き直るアルブレヒト。

 それを、二つの刃が阻んだ。

 

 ナクルとガドだ。

 二人は夜闇に隠れ、前後を挟み、アルブレヒトを襲った。

 

 完璧に隙をついた。

 アルブレヒトの間合いの外から斬りかかる。

 二つの剣は高速で、アルブレヒトの首に迫った。

 

 しかし。

 

「遅い」

 

 二人の剣は、風よりは遅かった。

 目にも留まらぬ速さで、回転しながらストームルーラーを振るう。

 

 だが、間合いの外。ナクルとガドの胴に、紙一重届いていない。

 

((獲った!))

 

 二人の思考が、まるで鏡のように重なる。

 奴は間合いを見誤った。この距離なら届かない!

 

 剣を振るう双子。

 

 

 ―――しかし、その剣は誰も捉えることはなかった。

 

 

(あれ?)

(なんで?)

 

 

 どしゃり、と地面に倒れ込む双子。

 …まずい、こんな時に足を滑らせてしまったのか。早く立ち上がらなければ!

 

 そう思い、手をつき足を立てて、立ち上がろうとする。

 

 だが、立てない。

 

(あれ?)

(あれ?あれ?)

 

 足に力が入らない。

 何度力を込めても、身体を起こそうとしても。

 下半身がまるで自分のものではないかのように動かなかった。

 

 早く立ち上がらなければ。一刻も早く態勢を立て直さなければ、嵐神に斬られる。

 

 だが、一向に足は言うことを聞かない。

 

(ガド……!)

(ナクル兄ちゃん……!)

 

 二人は互いを求める。

 助け合わなければ。いつもそうしてきた。

 どんな時も、二人なら。

 互いの姿を探す。

 

 そうして、互いの姿を、見つめた。

 

 

「「…………え?」」

 

 

 二人の声が重なった。

 ナクルには、ガドには。下半身がなかった。

 

 上半身のまま、地に伏せていた。

 

 血がどくどくと流れ出る。

 身体の熱が急速に失われていく。

 

 二人はようやく理解した。

 届かなかったのではない。

 避けたのでもない。

 双子の剣が届くより先に、ナクルとガドはストームルーラーの間合いに入っていた。

 一見届かなかったように見えたストームルーラーは、不可視の風の刃を纏っており、双子の腹を容易に切り裂いたのだ。

 

「ナクル、兄ちゃ……」

「ガ、ド…」

 

 互いに手を伸ばす。ナクルに向けて、ガドに向けて。

 

 アルブレヒトは何の温度もなく、双子の首を斬り落とした。

 ほぼ同時に、ナクルとガドは絶命した。

 

「……ッ!これほど、までとは…!」

 

 なんとか呼吸を取り戻したオーベールが呟いた。

 

 舐めていたわけではなかった。

 むしろ、最大限の警戒をしていたはずだ。

 だから、四人がかりで闇討ちを行った。北帝一人、北王一人、北聖二人。

 いくら神級とはいえ、一人では、と。十分に勝ち目があるはずだった。もし蘇ったとしても、囲んで何度でも殺し続ける策だった。

 

 だが、初手で奇襲を見破られ、四人同時に襲いかかっても簡単に対応され、あっという間に二人殺された。

 

(甘いのは、こちらでしたか…!)

 

 見誤っていた。

 神級を。

 嵐神を。

 アルブレヒト・グレイラットを。

 

 ウィ・ターがオーベールのもとへと駆けつける。

 

「撤退するっ!!」

 

 そう言って、懐から玉を取り出し、地面に叩きつける。

 黒い煙が噴き出した。

 

「……!」

 

 視界が黒で塗りつぶされる。

 

 濃い。あまりにも濃い。

 アルブレヒトはすぐさまストームルーラーを振るった。

 

 風が巻き起こる。

 煙を吹き飛ば――せない。

 煙は重く、動かない。

 

「……」

 

 特殊な煙幕。

 視界を遮るためだけではない。

 風でも吹き飛ばされないように作られた、奇抜派特製の煙幕だった。

 

 アルブレヒトは、静かに気配を探る。

 

 右。

 

 いや、違う。

 

 左。

 

 さらに遠く。

 

 逃げている。

 

 アルブレヒトは目を閉じる。

 

 風を起こす。

 煙幕を吹き飛ばすためではない。

 

 風を、感じる。

 空気の流れ。

 建物の間を抜ける風。

 

 そして、その中に混じる、僅かな違和感。

 

「……そこか」

 

 不吉な風が、オーベールの身体を撫でた。

 

 アルブレヒトの手に、雷が集まる。

 

 巨大な雷の弓矢を具現化する。

 "奇跡"雷の大弓。

 弦を引き絞る。

 

「――二度目は、ない」

 

 放つ。

 轟音。

 雷光が闇を裂いた。

 

「なっ――!?」

 

 煙幕の向こうから声が響く。

 オーベールが反応する。

 

 だが、間に合わない。

 

 雷の矢が迫る。

 

 

「オーベェェェル!!!」

 

 

 その前に、ウィ・ターが飛び込んだ。

 雷撃が、その身体を貫く。

 

「――――」

 

 声すら上がらなかった。

 身体が、その場で僅かに跳ねる。

 そして、力を失った。地面へ落ちる。

 ウィ・ターは、絶命した。

 

「―――ッッッ!!!!!」

 

 オーベールは走った。

 止まってはいられない。

 仲間が命を懸けて作った時間を、無駄にはできない。

 

 少し遅れてアルブレヒトが追う。煙幕を抜ける。

 

 オーベールは街路を駆け抜ける。

 そして、川へとたどり着き、飛び込む。そしてそのまま川につながっていた下水道へと逃げた。

 

「……!」

 

 アルブレヒトも続く。

 水面を割って川へ飛び込む。

 鎧のまま器用に泳ぎ、下水道へと潜り込む。

 

「な……」

 

 だが、その先には、いくつもの分岐があった。

 王都の地下に張り巡らされた下水道。

 暗闇、狭い通路、複雑に入り組んだ道。

 

「……くっ!」

 

 アルブレヒトは走る。

 足音を探す。

 気配を探す。

 ストームルーラーで風を巡らす。

 

 だが、もう、どこにもいない。

 

「…………」

 

 静寂だけが残っていた。

 アルブレヒトは立ち止まる。

 握ったストームルーラーから、僅かな風が消えていく。

 

「………くそっ」

 

 結局、オーベールを斬ることはできなかった。

 殺すつもりだった。

 覚悟したつもりだった。

 

 だが、目の前で誰かが誰かを庇った瞬間。

 

 その一瞬だけ、身体が止まった。

 

 アルブレヒトは拳を握る。

 胸の奥に、重いものが残っている。

 

 自分は甘い。

 オーベールの言った通りだ。

 

 だが。それを今さら、どうすればいい。

 答えは出なかった。

 

 ただ、翌日には決着がつく。

 アリエルの『場』は、すでに整っている。

 

 十日。

 長いようで短い時間だった。

 そして、明日。

 

 全てが決まる。

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