玉葱騎士、六面世界に立つ   作:プラザ合意

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第48話 死闘

 

 翌朝。

 アルブレヒトが宿の外へ出ると、そこにルークが立っていた。

 朝の冷たい空気が、二人の間を静かに流れている。

 

 昨日の戦いで負った傷は、すでに治療されている。

 身体に大きな傷は残っていない。

 だが、その表情はどこか硬かった。

 

「……アルブレヒト殿。少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」

「ああ、わかった」

 

 アルブレヒトが頷く。

 二人は宿から少し離れた場所まで歩いた。人の少ない道を選ぶようにして、足を止める。

 すると、ルークは突然、深く頭を下げた。

 

「昨日のことを…いえ、これまでのことを、謝罪させてください」

「……」

 

「私は、アリエル様を疑いました」

 

 声が震えている。

 

「自分の迷いを正当化するために、周囲を疑った」

 

 アルブレヒトは黙って聞いている。

 

「そして……あなたにも、失礼な態度を取りました」

「……ああ」

「申し訳ありませんでした」

 

 頭を下げたまま、ルークは続ける。

 

「私は、騎士として大切なものを見失っていました。主を信じることも、主のために剣を振るうことも、自分自身で決めることすら……できなくなっていた」

 

「アリエル様を守ることよりも、自分が正しいのかどうかばかりを考えていた」

「……」

「アルブレヒト殿やルーデウス…殿を疑って、自分の迷いを、他人のせいにして……」

 

「私は……騎士失格です」

 

 アルブレヒトは静かにルークを見る。

 

「そうだな」

 

 否定しなかった。

 だが、責めるような声でもなかった。

 

「お前は迷い、成すべきことを見失った。だが、主を…大切なものを守れなかったわけではない。多少はマシだ」

「そ、そうですか……」

 

 ルークは、ほんの少しだけ息を吐いた。

 だが、その胸に、ふと不安がよぎる。

 自分はまた迷うかもしれない。

 また間違えるかもしれない。

 その時、自分はアリエルを守り切れるのだろうか。

 

「も、もし、いつか……私が主を守れなかったとき。私は、どうすればいいのでしょうか」

「剣(・)を(・)捨(・)て(・)ろ(・)」

 

 即答だった。

 

「……!」

 

 先ほどまでの、どこか穏やかな声とは違う。

 底冷えするような声だった。

 

「守るべきを守れない騎士に、存在価値はない」

 

 ルークの背筋が伸びる。

 

「守れなかった時点で、騎士をやめろ」

「…………」

 

 厳しい言葉だった。

 アルブレヒトの瞳には、冗談も迷いもない。

 

「…だが、それでも騎士と名乗りたいなら、その時は俺が叩き直してやる」

 

 アルブレヒトの口元が僅かに歪む。

 

「まあ、今度は腕の一本や二本は覚悟してもらうがな」

 

 冗談めかした口調。しかし、目は一切笑っていなかった。

 

「…は、はい!」

 

 ルークは反射的に背筋を伸ばした。

 昨日の戦いを思い出す。

 自分がどれほど無力だったのか。

 だが、それでも、最後まで剣を手放さなかったことを。

 ルークは剣の柄に手を添える。

 

「……分かりました。私は、もう迷いません」

「それは違う」

「え?」

「迷うこと自体は悪くない」

 

 アルブレヒトは静かに言った。

 

「迷ったなら、考えろ。自分が何を守りたいのか、誰のために剣を握るのか」

 

「そして、決めろ」

 

 ルークは黙って聞いている。

 

「決めたのなら、その道を進め」

「……はい」

 

 ルークは深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます、アルブレヒト殿」

「礼はいらない」

「ですが――」

「俺はお前に、騎士として当然のことを言っただけだ」

 

 ルークは顔を上げる。

 その表情には、昨日まであった迷いが僅かに薄れていた。

 

「……私は、アリエル様の騎士です。この先、何度迷うことがあっても。それだけは、忘れません」

 

 ルークは剣の柄を強く握る。

 アルブレヒトは小さく頷いた。

 

「なら、行け」

「はい」

 

 ルークは振り返る。

 そして、今度こそ自分の意思で。

 主のもとへ歩いていった。

 

 

■

 

 

 その後、街を出発して数日。

 一行はついに王都へとたどり着いた。

 

 王都アルス。

 アスラ王国の中心にして、世界最大級の都市。

 小高い丘からその姿を見た時、ルーデウスとエリスは、あんぐりと口を開けた。

 

「でっか………」

 

 思わず、そんな言葉が漏れる。

 まず目に入るのは、遥か彼方まで続く巨大な都市だった。

 

 建物がある。道がある。人がいる。

 その全てが、どこまでも続いている。

 

 そして、その中心。丘の上にそびえ立っているのが、王城だった。

 銀色の外壁、幾つもの尖塔、幾重にも連なる巨大な建物。遠目に見ても、その威容は圧倒的だった。

 

 シルバーパレス。

 アスラ王国の王が住まう城。

 

 王城を取り囲んでいるものは、それだけではない。王城の周囲には、巨大な城壁が築かれていた。まるで一つの要塞そのものだ。

 高く、分厚い石壁。いくつもの塔が突き出し、その上には見張り台まで設けられている。

 王城そのものを守るために築かれた、巨大な防衛線。あれを正面から突破するのは、軍でも容易ではないだろう。

 

 そして、その城壁の外側。そこを取り囲むように、巨大な邸宅が並んでいる。

 上級貴族たちの住む区画だ。

 屋敷という言葉では収まらない。城と呼んだ方が相応しいものまである。

 広大な庭園、複数の建物、高い塀。

 それぞれが一つの領地のような規模を誇っていた。

 そんな貴族街を、さらに外側の城壁が取り囲んでいる。

 

 王城。それを守る城壁。上級貴族街。

 そして、それらを守るさらに大きな城壁。

 幾重にも重なった防衛線が、王都の中心を形作っていた。

 

「……これ、全部が王都なの?」

 

 エリスが驚いて呟く。

 

 だが、王都はそれでもまだ終わらない。

 貴族街の外側から、ようやく一般の町並みが始まる。

 石造りの建物、木造の家々、大通りを行き交う人々。

 商店。宿。工房。

 それらが隙間なく並んでいる。

 そして街の中には、王都の巨大さを象徴するような建造物がいくつも存在していた。

 遠くからでも目立つ巨大な闘技場。

 騎士たちが鍛錬を行う広大な訓練場。

 聖ミリス教団の神殿。

 街の中を繋ぐ水道橋。

 劇場が集まる一角。

 商人たちが行き交う市場。

 

 どこを見ても、人がいる。

 どこを見ても、建物がある。

 王都そのものが、一つの巨大な生き物であるかのようだった。

 街を囲う城壁も、一つではない。中心部を守る巨大な城壁、その外側にも城壁があり、さらにその外側にも、壁が建てられている。

 

 長い年月をかけて、街が広がるたびに、人が増えるたびに、新たな区画が作られ、それを守るために新たな城壁が築かれていったのだろう。

 

「すげー……」

「そうですか?ペルギウス様の城のほうが立派だと思いますが…」

「いや、ケイオスブレイカーもすごかったけど、これは都だし、また違う良さがあるっていうか…」

 

 感動するルーデウスに、ペルギウスの城のほうがすごい、と言うアルブレヒト。空中城塞がすっかり気に入ったらしい。

 

「こほん。お二人とも、まずは私の別宅に移動しましょう。お話はその後で」

「ん、すまん。兄さん、まずは移動しましょう」

「ああ、そうだな」

 

 そんな二人にアリエルが口を挟み、一行は王都へと入った。

 

 

■

 

 

 王都の中は近づくと一般的な街並みをしており、一行は上級貴族の区画へと向かった。

 ルークとシルフィを先頭に、アリエルが乗った馬車が続き、それをアルブレヒトたちが守る形だ。

 

「あれ……もしかしてルーク様とフィッツ様じゃないか……?」

「ホントだ……てことは、もしかしてあの馬車は……!?」

「アリエル様か!?」

「国王陛下のご病気を聞いて、戻ってらしたんだ!」

 

 ルークとシルフィを見て、馬車がアリエルのものであると人々が気づき、声援がかけられる。

 

「キャー、ルーク様ー!」

「フィッツ様!」

「アリエル様ー! お帰りなさいませー!」

 

 ルークは声援を受けるたびに、手を振り替えしている。対してシルフィは耳の後ろをポリポリと掻いており、少し恥ずかしそうだ。

 

「はー…すごい人気だ。追放されたって聞いてたから、意外だな」

「兄さん、失礼ですよ。アリエル王女は能力と王気を備えた方。当然の反応です」

「えー、でもアルも仕えはしないんだろ?」

「まあ、それは…そうですが…」

「てことはお前も侮ってたってことじゃん?お前も同じ穴の狢だぞ〜、うりうり〜」

「む、むじな?…言葉の意味はわかりませんが、馬鹿にされてる感じがします」

「どうでもいいわ!声援を受けると気分がいいわね!」

 

 そんなことをアルブレヒトたちが話していると、町民たちが暮らす区画を抜け、貴族街へと入る。

 

 貴族街では声援は鳴りを潜め、静かな行進が続く。そんな中、見回りをしていた騎士の一行とすれ違う。

 すると、騎士の一行の内、一人の騎士が部隊長と思しき者に何かを言うと、アルブレヒトたちに走り寄ってくる。

 

「……!」

 

 一行が各々の武器を構える。

 

「わわ…!わ、私ですよ!」

 

 驚いた騎士は兜を脱ぎ、顔を晒す。

 

「エリス、アルブレヒトさん、ギレーヌ!お久しぶりです!」

「…イゾルテ!」

 

 騎士はイゾルテだった。

 イゾルテ・クルーエル。剣の聖地で出会った、水神流王級の剣士。水神レイダの弟子だ。

 

「久しぶりね。変な鎧着てるから、一瞬誰かと思ったわ」

「変な鎧って……これ、アスラ王国騎士団の正式な甲冑ですよ?かっこいいでしょう?」

「動きにくそうだわ」

「水神流は動かなくてもいいから、これぐらいが丁度いいんですよ」

 

 会話を弾ませるエリスとイゾルテの二人。

 突然走り寄ってきた騎士に注意していたシルフィたちも、武器を持ちつつも警戒をある程度解く。

 

「今は、この馬車の方に仕えているのですか? 町中では第二王女様が帰ってきた、という噂が飛び交っていますが、もしかしてこちらの方は……でもどうしてエリスが…あ、確か魔法都市シャリーアに留学しているという話でしたね。そこで知り合って、剣王だから雇われたという感じですか?」

 

 とてもよく喋るイゾルテ。

 エリスは静かだ。雪崩のような言葉を浴びせられ、腕を組んでいつものポーズをとっている。

 

「………………まあ、だいたいそんな感じよ」

 

 どうやら、途中から聞いていなかったらしい。

 きっと、この二人の会話というのはいつもこんな感じなのだろうな、とルーデウスは推察した。

 

「私はお師匠様の推薦で、騎士になる事になりました。正式な騎士の任命と共に、水帝の称号をもらえる予定です」

「そう、良かったわね」

「ええ」

 

 そんな中、アルブレヒトが口を挟む。

 

「久しぶりだな、イゾルテ。元気そうで何よりだ。…レイダ殿はどうしている?」

「お師匠ですか?元気ですよ。今は王城の方にいるそうです」

「そう、か……」

 

 アルブレヒトは、わずかに表情を曇らせる。

 ここにイゾルテがいるということは、レイダもここにいるということ。つまり、敵であることがほぼ確定した。

 

「…?それがどうかしましたか?」

「いや、なんでもない。悪いが急いでいてな。これで失礼する」

「あ、そうでしたか。お忙しい所すみませんでした…エリスもまた!」

「ええ、またね!」

 

 そう言って騎士の一行に戻っていくイゾルテ。

 アルブレヒトたちもアリエルの馬車のもとに戻り、また歩み始める。

 

「…………」

 

 歩きながら、考え込むアルブレヒト。

 石畳を踏む音だけが、妙に耳に残る。

 レイダと戦うことになる。

 自分たちは剣を持つもの。根本ではいつか戦う日が来るかもしれないとわかっていた…つもりだった。

 しかし、いざ本当に戦うとなると、どこか躊躇う自分がいた。

 

 レイダには本当に世話になった。目を曇らせた自分に修行をつけてくれて、共にお茶を飲んで談笑した。脇に置くには、あまりにも温かな記憶。

 今の自分にレイダを斬れるのだろうか。

 オーベールに言われた言葉を思い出す。

 

『そういう甘いところ!嫌いではないですが、直したほうが良いですぞ!』

 

 オーベールに言われた通り、自分は甘いのだろう。…それが、今は鬱陶しい。家族を守るのに邪魔だった。

 

(ルークに騎士としての道を偉そうに指南しておいて、自分も迷っているとは…何たる不覚)

 

 アルブレヒトは考える。

 

(俺は、何を守りたい?誰のために剣を握る?)

(…決まっている。家族のためだ)

 

(……家族のためなら、俺は――)

 

 

■

 

 

 時刻は夕刻を回り、ようやくアリエルの別邸に到着する。

 各々部屋を割り当てられ、水浴びで旅の汚れを落とし、食事を取った後、アリエルがアルブレヒトとルーデウスに声をかけてきた。

 

「少し、よろしいでしょうか?」

「はい」

「ああ」

「ありがとうございます。それでは、こちらへ」

 

 二人が案内された部屋には、すでに準備が整えられていた。

 大きな机には王都の地図が広げられ、いくつもの紙束が置かれている。

 貴族の名簿、王都の各施設に関する資料。

 地図には小さな印がいくつも付けられていた。

 アリエルは二人が席につくのを待ってから、ゆっくりと口を開いた。

 

「私は、明日より動き始めます。ペルギウス様をお出迎えするための、そしてダリウス上級大臣を失脚させるための『場』を用意します。

 私がいない間に寝返った貴族の確認に、情報収集、予め潜伏させておいた味方への連絡、各所への根回し……忙しくなります」

「はい」

 

 ルーデウスが頷く。

 アルブレヒトは黙ってアリエルを見ていた。

 王都に着いたばかりだというのに、すでに次の戦いを見据えている。

 これが王になるということなのだろう。

 

「ダリウスらに手を打たれぬように、早い段階で『場』を展開します。幸いにして、父上が病気という事で主要な貴族は王都に集まっていますので」

「どれほどの時間を使うつもりですか?」

「十日を目処に」

「了解です」

 

 短い返事だが、ルーデウスの表情は真剣だった。

 十日。長いようでいて、短い。

 その間に敵が何を仕掛けてくるのかを考えているのだろう。

 

「既にこちらの手札は揃っています。それ以外にも手は打ちますが、基本的な勝利は疑いようがないものと考えております。また、可能性としては低いと思いますが、『場』において、苦し紛れに戦闘を仕掛けてくる可能性もあります」

 

 敵も、黙って見ているわけではない。

 こちらが準備をしているなら、向こうも準備をする。

 その間に、何かを仕掛けてくる可能性は十分にある。

 

「こちらの戦力も十分にあるとは思いますが、万が一という事もあります。その前に、敵勢力の主要人物を削いでおきたいところです」

 

 アルブレヒトは黙って聞いていた。

 昼間、イゾルテから聞いた言葉が脳裏に残っている。

 レイダは王城にいる。敵として立ちはだかる可能性は高い。

 そして、自分はレイダと戦うことも、オーベールと戦うことも…迷っているのだろう。

 だが、それでも――

 

「アリエル王女。その役目、俺に任せてくれないか」

「…アル?」

 

 ルーデウスが不安そうにアルブレヒトを見る。

 アリエルも僅かに目を見開いた。

 

「どうするおつもりですか?」

「前回の襲撃で、全員が揃っていては敵わないと相手も理解しているはず。そこで俺があえて孤立し、敵をおびき寄せる」

 

 アルブレヒトは静かに答え、机の上の地図に視線を下ろす。

 

「ふむ、ですが、七大列強のアルブレヒト様が囮として使えるかどうか……」

「俺と戦うことは避けられないとオーベール殿は理解しているはず。絶好の好機として、俺を奇抜派の四人で囲む可能性はあるはずだ」

 

 ルーデウスが不安そうに口を挟む。

 

「アル、いくらなんでも危険すぎだ。お前が強いのは分かってるけど、四人相手じゃ…」

「兄さん」

 

 アルブレヒトがルーデウスを見る。

 その瞳は、静かだった。

 

「俺を、信じてくれませんか」

 

 一瞬、辛そうな顔をするルーデウス。そして、しばらく考えると、大きなため息をついた。

 

「……わかったよ。でも、危なくなったらすぐに逃げろ。逃げられなかったら、俺たちを呼ぶんだぞ」

「はい、ありがとうございます」

 

 念を押すように言うルーデウスに、頭を下げるアルブレヒト。

 

「まったく、この頑固弟が」

「すみません」

「謝るくらいなら、もう少し人の言うことを聞いてくれよ」

 

 ルーデウスは呆れたように言う。

 だが、その声音には怒りよりも、心配の色が強く滲んでいた。

 

「でも、これが最善だと思います」

「そうですね、こちらも戦力を分散させることになりますが、敵の主要人物を一人でも削げれば、その後の戦いは大きく楽になります」

 

 アリエルが頷く。

 

「分かりました。アルブレヒト様にお願いしましょう」

「ありがとうございます」

 

 そう言うと、アルブレヒトは静かに目を伏せた。

 

 自分は迷っている。それはもう、認めるしかない。

 だが、それでも家族は守る。

 そのためなら、どれほど血で汚れようと構わない。

 

 騎士は、静かに覚悟を決めた。

 

 

■

 

 

 翌日。

 早速アルブレヒトは一人で行動し、鎧姿で王都中を練り歩いた。

 

 アリエルは『場』を整えるための準備を行い、ルーデウスたちはそれを護衛する。

 

 暗殺者の襲撃は何度もあったが、肝心のオーベールたちは一度も襲撃を仕掛けてこなかった。

 アルブレヒトが抜けたとはいえ、護衛には王級剣士が二人、王級魔術師と聖級魔術師が一人ずつ。まともに襲撃を仕掛けても、勝ち目はないと判断したのだろう。

 

 このまま、何も起きないのではないかとルーデウスは思っていた。

 しかし――

 

「いえ、オーベール殿は確実に仕掛けてきます。俺相手か、兄さんたち相手かわかりませんが、警戒はしておいてください」

「お、おう。わかった」

 

 そうして、九日が過ぎた。

 

 

■

 

 

 その夜。

 月のない夜だった。

 雲に覆われた空には、月明かりすらない。

 王都の街路には、まばらな明かりだけが灯っている。

 

 その中を、アルブレヒトは一人で歩いていた。

 

 鎧が、かすかな音を立てる。

 足音が石畳へ落ちる。

 一定の間隔で、それだけが闇の中に響いていた。

 

 ふと、アルブレヒトが立ち止まる。

 

「オーベール殿。奇襲は通用しませんよ」

 

 闇夜に向けて、言葉を投げる。

 返事はない。ただ、静寂だけが夜を満たしている。

 しかし、しばらくして、一人、二人、三人、四人と、どこからか人影が現れ、アルブレヒトを囲むように立つ。

 オーベール、ウィ・ター、ナックルガードの双子だった。

 

「……これはこれは。参りましたな。気づかれておりましたか」

 

 オーベールが口を開く。

 顔色は変わっていない。いつもの飄々とした態度。

 だが、その手はすでに剣へ伸びている。

 

「一騎打ちはやめたのですか?」

 

 アルブレヒトが問う。

 少し、顔を歪めるオーベール。

 

「…奇抜派に正道はあらず。なんとしてでも嵐神の首を取らせていただきます」

 

 そう言って、剣を抜くオーベール。

 ウィ・ター、ナックルガードの双子――ナクル、ガドも剣を抜いた。

 四本の剣が、月のない夜に鈍く光った。

 

「そうですか」

 

 その言葉に感情は全く乗っていなかった。

 アルブレヒトもストームルーラーを抜き、構える。

 

 四人が、一斉に襲いかかった。

 

 四方向。

 四本の剣。

 

 闇夜に紛れた黒い剣に、黒い鎧。視覚することも困難だ。

 

 本来、回避不能、防御不能。

 死は見えている。

 

 しかし、アルブレヒトは一歩下がった。

 

 次の瞬間、爆発的な風が吹き荒れた。

 周囲の空気が、一気に膨れ上がる。

 

「……ッ!」

「くそっ!」

「うわぁ!」

 

 ウィ・ター、ナクル、ガドがまとめて吹き飛ばされた。

 石畳を転がり、壁へ叩きつけられる。

 

「ハァッ!!!」

 

 だが、オーベールだけは違った。

 真正面から嵐を切り裂く。風圧に身体を持っていかれながらも、なお前へ出る。

 アルブレヒトの懐へと潜り込んだ。

 ストームルーラーとオーベールの剣が噛み合う。

 金属音が夜の街に響いた。

 

「……!」

 

 重い。

 まるで大木に切りかかっているような光景を、オーベールは幻視した。

 

「……ッッ!」

 

 すぐに押し込まれる。

 スリットの奥から見えるアルブレヒトの瞳には、何の感情もなかった。

 

「オーベール!」

 

 吹き飛ばされたウィ・ターが態勢を立て直し、オーベールを助けようと剣を振るう。

 アルブレヒトは鍔迫り合いをしていたストームルーラーを僅かにずらした。

 

「――ッ!」

 

 そして、オーベールの腹へ蹴りを叩き込む。

 

「がはっ!」

 

 肺の空気をすべて吐き出しながら、オーベールが吹き飛ぶ。

 アルブレヒトは追わない。

 そのまま、ウィ・ターへと振り向いた。

 

「―――」

 

 その時。

 ウィ・ターの脳内に浮かんだ一文字は、死(・)だった。

 

 死ぬ。

 

 このままでは、死ぬ。

 

 振り抜こうとしていた剣を、咄嗟に防御へ回す。

 

 

 その直後、ウィ・ターを暴威が襲った。

 

 

 壁のように迫る嵐。

 渦巻き、うねり、悲鳴のような音を立てたそれは、容易にウィ・ターの剣を砕き、鎧にヒビを入れた。

 

「ぐがっ!!」

 

 そのまま吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。

 

「…………」

 

 オーベールの方に向き直るアルブレヒト。

 それを、二つの刃が阻んだ。

 

 ナクルとガドだ。

 二人は夜闇に隠れ、前後を挟み、アルブレヒトを襲った。

 

 完璧に隙をついた。

 アルブレヒトの間合いの外から斬りかかる。

 二つの剣は高速で、アルブレヒトの首に迫った。

 

 しかし。

 

「遅い」

 

 二人の剣は、風よりは遅かった。

 目にも留まらぬ速さで、回転しながらストームルーラーを振るう。

 

 だが、間合いの外。ナクルとガドの胴に、紙一重届いていない。

 

((獲った!))

 

 二人の思考が、まるで鏡のように重なる。

 奴は間合いを見誤った。この距離なら届かない!

 

 剣を振るう双子。

 

 

 ―――しかし、その剣は誰も捉えることはなかった。

 

 

(あれ?)

(なんで?)

 

 

 どしゃり、と地面に倒れ込む双子。

 …まずい、こんな時に足を滑らせてしまったのか。早く立ち上がらなければ!

 

 そう思い、手をつき、足を立てて、立ち上がろうとする。

 

 だが、立てない。

 

(あれ?)

(あれ?あれ?)

 

 足に力が入らない。

 何度力を込めても、身体を起こそうとしても。

 下半身が、まるで自分のものではないかのように動かなかった。

 

 早く立ち上がらなければ。一刻も早く態勢を立て直さなければ、嵐神に斬られる。

 

 だが、一向に足は言うことを聞かない。

 

(ガド……!)

(ナクル兄ちゃん……!)

 

 二人は互いを求める。

 助け合わなければ。いつもそうしてきた。

 どんな時も、二人なら。

 互いの姿を探す。

 

 そうして、互いの姿を、見つめた。

 

 

「「…………え?」」

 

 

 二人の声が重なった。

 ナクルには、ガドには。下半身がなかった。

 

 上半身のまま、地に伏せていた。

 

 血がどくどくと流れ出る。

 身体の熱が、急速に失われていく。

 

 二人はようやく理解した。

 届かなかったのではない。

 避けたのでもない。

 双子の剣が届くより先に、ナクルとガドはストームルーラーの間合いに入っていた。

 一見届かなかったように見えたストームルーラーは、不可視の風の刃を纏っており、双子の腹を容易に切り裂いたのだ。

 

「ナクル、兄ちゃ……」

「ガ、ド…」

 

 互いに手を伸ばす。ナクルに向けて、ガドに向けて。

 

 アルブレヒトは何の温度もなく、双子の首を斬り落とした。

 ほぼ同時に、ナクルとガドは絶命した。

 

「……ッ!これほど、までとは…!」

 

 なんとか呼吸を取り戻したオーベールが呟いた。

 

 舐めていたわけではなかった。

 むしろ、最大限の警戒をしていたはずだ。

 だから、四人がかりで闇討ちを行った。北帝一人、北王一人、北聖二人。

 いくら神級とはいえ、一人では、と。十分に勝ち目があるはずだった。もし蘇ったとしても、囲んで何度でも殺し続ける策だった。

 

 だが、初手で奇襲を見破られ、四人同時に襲いかかっても簡単に対応され、あっという間に二人殺された。

 

(甘いのは、こちらでしたか…!)

 

 見誤っていた。

 神級を。

 嵐神を。

 アルブレヒト・グレイラットを。

 

 ウィ・ターがオーベールのもとへと駆けつける。

 

「撤退するっ!!」

 

 そう言って、懐から玉を取り出し、地面に叩きつける。

 黒い煙が噴き出した。

 

「……!」

 

 視界が黒で塗りつぶされる。

 

 濃い。あまりにも濃い。

 アルブレヒトはすぐさまストームルーラーを振るった。

 

 風が巻き起こる。

 煙を吹き飛ば――せない。

 煙は重く、動かない。

 

「……」

 

 特殊な煙幕。

 視界を遮るためだけではない。

 風でも吹き飛ばされないように作られた、奇抜派特製の煙幕だった。

 

 アルブレヒトは、静かに気配を探る。

 

 右。

 

 いや、違う。

 

 左。

 

 さらに遠く。

 

 逃げている。

 

 アルブレヒトは目を閉じる。

 

 風を起こす。

 煙幕を吹き飛ばすためではない。

 

 風を、感じる。

 空気の流れ。

 建物の間を抜ける風。

 

 そして、その中に混じる、僅かな違和感。

 

「……そこか」

 

 不吉な風が、オーベールの身体を撫でた。

 

 アルブレヒトの手に、雷が集まる。

 

 巨大な雷の弓矢を具現化する。

 "奇跡"雷の大弓。

 弦を引き絞る。

 

「――二度目は、ない」

 

 放つ。

 轟音。

 雷光が闇を裂いた。

 

「なっ――!?」

 

 煙幕の向こうから声が響く。

 オーベールが反応する。

 

 だが、間に合わない。

 

 雷の矢が迫る。

 

 

「オーベェェェル!!!」

 

 

 その前に、ウィ・ターが飛び込んだ。

 雷撃が、その身体を貫く。

 

「――――」

 

 声すら上がらなかった。

 身体が、その場で僅かに跳ねる。

 そして、力を失った。地面へ落ちる。

 ウィ・ターは、絶命した。

 

「―――ッッッ!!!!!」

 

 オーベールは走った。

 止まってはいられない。

 仲間が命を懸けて作った時間を、無駄にはできない。

 

 少し遅れてアルブレヒトが追う。煙幕を抜ける。

 

 オーベールは街路を駆け抜ける。

 そして、川へとたどり着き、飛び込む。そしてそのまま川につながっていた下水道へと逃げた。

 

「……!」

 

 アルブレヒトも続く。

 水面を割って川へ飛び込む。

 鎧のまま器用に泳ぎ、下水道へと潜り込む。

 

「な……」

 

 だが、その先には、いくつもの分岐があった。

 王都の地下に張り巡らされた下水道。

 暗闇、狭い通路、複雑に入り組んだ道。

 

「……くっ!」

 

 アルブレヒトは走る。

 足音を探す。

 気配を探す。

 ストームルーラーで風を巡らす。

 

 だが、もう、どこにもいない。

 

「…………」

 

 静寂だけが残っていた。

 アルブレヒトは立ち止まる。

 握ったストームルーラーから、僅かな風が消えていく。

 

「………くそっ」

 

 結局、オーベールを斬ることはできなかった。

 殺すつもりだった。

 覚悟したつもりだった。

 

 だが、目の前で誰かが誰かを庇った瞬間。

 

 その一瞬だけ、身体が止まった。

 

 アルブレヒトは拳を握る。

 胸の奥に、重いものが残っている。

 

 自分は甘い。

 オーベールの言った通りだ。

 

 だが。それを今さら、どうすればいい。

 答えは出なかった。

 

 ただ、翌日には決着がつく。

 アリエルの『場』は、すでに整っている。

 

 十日。

 長いようで短い時間だった。

 そして、明日。

 

 全てが決まる。

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