玉葱騎士、六面世界に立つ   作:プラザ合意

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 休載とか言いましたが、なんやかんやあり普通に進められることになりました。お騒がせしてすみません。詳細は活動報告に書いてあるので、今話を読む前にご一読いただけると話がわかりやすくなります。
 見るの面倒くさいよ、という人も34、35、36、38、48、50話に加筆修正をしたので、今話を読む前に読んでいただきたいです…!本当に頑張ったので…!


第51話 ルークの戦場

 

 パーティ会場は落ち着きを取り戻していた。

 会場に残ったのは、アスラ王国に古くから仕える上級貴族のみ。

 アリエルが次代の王となることは決まった。それならば、最後までこの顛末を見届ける。そんな考えから、彼らはアルブレヒトたちが去ってなお逃げ出さず、会場に残り続けた。

 

 また、水神を倒し、その力を見せつけたアルブレヒトがいたこともある。貴族たちにはアルブレヒトがアリエルの配下に見えていた。

 七大列強が協力していることは既にわかっていたが、水神をいとも簡単に打倒できるほどとは思ってはいなかった。

 逆らえば、次はあの力が自分たちに向けられる。その恐れからも、上級貴族たちはアリエルのもとに足を止めていた。

 

 そして、ルークはただ、圧倒されていた。

 アリエルの命の危機でも何もすることができず、ただ立っていた自分とは違う。

 アルブレヒトは血を流し、命を危険に晒してまで守るべきを守った。

 

 あれが騎士。自分の目指すべき姿。

 

 あまりにも遠い。どれほどの鍛錬を積めば、どれほどの戦場をくぐり抜ければ、あの境地に到れるのか。

 ルークがそう考えていると、突然、一人の貴族が動いた。

 その人物は素早くアリエルの前へと移動し、恭しく跪いた。

 

「アリエル様!」

 

 ピレモン・ノトス・グレイラット。ルークの父である。

 彼は媚びた笑みを貼り付けて、周りに誇示するかのように声を張り上げた。

 

「おめでとうございます!このピレモン、この日をどれだけ待ちわびたことか!」

 

 ピレモンはさも嬉しそうにアリエルを見上げた。

 

「グラーヴェル派を油断させるべく、寝返ったふりをして機を伺っておりましたが、いやはや、私が何かをする必要などございませんでしたな。さすがはアリエル様。異国の地で十分すぎるほどに成長なされたようだ!」

 

 聞こえの良い言葉を並び立て、アリエルに擦り寄るピレモン。その姿に顔をしかめる貴族もいた。彼らは知っている。ピレモンがグラーヴェルに取り入るため、アリエルを狙う刺客に兵を送ったことを。

 それは、単に寝返ったというだけではない。かつて仕えていた主を、自らの保身のために殺そうとしたのだ。

 その事実を知る者たちにとって、目の前の男の言葉はあまりにも見苦しいものだった。

 

「ピレモン様……」

 

 アリエルが口を開きかける。

 だが、ピレモンはそれを制するように、さらに言葉を重ねた。

 

「いえいえ、アリエル様、みなまで言う必要はありません。私も味方の少ないなか、他人に後ろ指を指されるような立ち回りをしました。しかしながら、全てはアリエル様を思ってのこと。こうなれば、あとは以前に戻れましょう。私がアリエル様の後ろ盾となり――」

 

 アリエルは、最後まで聞かなかった。

 

「ピレモン・ノトス・グレイラット!」

 

 その一喝は、ピレモンの声をかき消すほどだった。

 咄嗟に口を閉ざしたピレモンを、アリエルは冷ややかに見下ろす。

 

「家の事情もありましょう。立場の事情もありましょう。寝返ったことに関しては、私が弱かったことにも理由がありましょう」

 

 静かな声だった。

 だが、その言葉には明確な怒りが込められていた。

 

「しかし、寝返ったのならば、最後まで矜持を持ちなさい!」

 

 アリエルが一歩、前へ出る。

 

「敗者となった後に、もう一度元の鞘に収まろうなど、恥を知りなさい!」

「あ……う……」

 

 ピレモンは目を白黒とさせ、口を開いたまま固まった。

 やがて、絞り出すように言う。

 

「も、申し訳、ございません……」

 

 周囲の貴族たちから、失笑が漏れた。

 ピレモンは顔を真っ赤にして俯く。

 しかし、アリエルの怒りは収まらなかった。

 

「寝返っただけならば、家を存続させるために仕方がなかったと思うところもありました」

 

 アリエルは、あくまで冷静に言葉を続ける。

 

「ルークに家督を譲り、領地に隠居するのであれば、それ以上の追及をするつもりはありませんでした。あなたがしたことの責任を、家そのものにまで負わせる必要はないと考えていたからです」

 

 そこで、わずかに声が低くなった。

 

「ですが、寝返ったうえで、なお裏切った相手に擦り寄るなど……!」

 

 その目に、怒りが宿る。

 

「恥知らずにもほどがあります。あなたは、自分が誰に仕え、何を裏切ったのかすら理解していないのですか!」

 

 ピレモンの顔から、血の気が引いていく。

 

「そのような者を、王国に置いておくわけにはいきません!死んで詫びなさい!」

 

 ルークはその言葉を聞いて、ぎゅっと口を結んだ。

 これは茶番だ。

 アリエルはこうなることを予測していた。ピレモンは、情勢が覆ればまた容易に立場を翻し、こちらにすり寄ってくると。もしピレモンが大人しくしていたなら、処刑までとはいかなかったかもしれないが、もうすべてが遅い。

 

「ルーク、剣を貸しなさい!せめて、私が直々に引導を渡しましょう!」

 

 その言葉を聞き、ピレモンは本格的に怯えた顔でルークをみた。

 助けを求めるような目。なんとかしてくれ、と縋る目。

 

 その目を受けてルークは、迷った。

 

 

■

 

 

 俺の父は、卑怯で小心者で、愚鈍だ。

 最初からそうだった、というわけではないと思う。長い間兄弟と比べられ、祖父と比べられ、領地を統べることもままならず、家臣にすら陰口を叩かれ。その蓄積が、父を歪めてしまったのだろう。

 

 父は弱い。

 だからといって父のやったことを正当化するつもりはないが、どうしても彼は弱いのだ。弱いから、容易く揺らぎ、甘言に乗り、裏切る。

 自分にはそのことを責める権利はない。ヒトガミの言葉に惑わされ、仲間を疑い、間違いを犯しかけた自分には。

 

 父は弱い。そして、俺も弱かった。

 

 父の顔を見るのは、八年ぶりだった。

 八年ぶりに会った父は、記憶にあるよりもずっと老けていて、小さく見えた。

 

「る、ルーク……」

 

 震え、怯え、助けを求めてこちらを見つめてくる。

 

 きっと、これは俺のあったかもしれない未来だ。

 疑念に惑わされ、アリエル様を守ることをおろそかにし、決定的な間違いをした俺。

 俺にはアルブレヒト殿やアリエル様がいたから、致命的な分岐点の直前で立ち戻れた。だが、父のそばには誰もいなかった。それでも父は一人で必死に考え、家を守るために決死の覚悟で選択したのだろう。

 俺も同じだ。ただ、周りに恵まれただけ。

 

 父を見捨てることは正しいのだろう。

 俺はアリエル様の騎士だ。アリエル様が処刑する、というのならば止める権利はない。

 

 だが、だが、それでも迷う。そして、ある言葉を思い出した。

 

『迷ったなら、考えろ。自分が何を守りたいのか、誰のために剣を握るのか』

 

 アルブレヒト殿の言葉。そのおかげで、自分はアリエル様の騎士であると覚悟を決めることができた。

 

 迷ったなら、考える。

 自分が、何を守りたいのか。

 誰のために、剣を握るのか。

 

 決まっている。アリエル様のためだ。

 だが…

 

「…………」

 

 父を見る。

 怯えきっていて、なんとか迫りくる死から逃れようとするみっともない姿。

 

 でも、それでも。

 父に守られたことも、あったのだ。

 卑屈で、卑怯で、姑息で、無能でも、俺を守って、育ててくれたのだ。

 

 俺は……俺は、父を―――

 

「――アリエル様」

「なんですか、ルーク」

「父を、許してくださらないでしょうか」

 

 アリエル様がこちらを向く。

 その目は冷ややかだ。

 王としての目。裏切った者を断罪する、王として当然の責務を果たそうとしている。

 

「……それはできません」

「ギレーヌの件で?」

「いいえ、寝返りを許すわけにはいかないからです」

 

 当然だ。父はアリエル様を裏切り、あろうことか兵まで刺客として送り込んだ。到底許されることではない。

 

 父は、死ぬべきだ。

 

 それでも。それでも、俺は嫌だった。

 自分を守ってくれた父を仕方ないからと見殺しにして、そのままのうのうと生き続けるのは騎士ではないと思った。

 

 アリエル様の騎士としては失格かもしれない。今でも父を守ることに迷っている。本当に今していることは正しいのか。俺が今していることはただのわがままなのではないか。

 

 でも、それでも。父を守りたい。

 その気持ちに嘘はなかった。その決意は偽りではなかった。

 

「……それでも、どうか。父の命を助けていただけないでしょうか」

「できません」

 

 アリエル様は揺らがない。俺とは違う、確固たる姿だ。

 彼女はきっと、これからも揺れないのだろう。

 純然たる誇りと、間違いのない決断を持って、王として君臨し続けるのだろう。

 正しい。正しすぎるくらいに、正しい。

 だが、その正しさによって父は死のうとしている。因果応報、当然のことと言えばそうだ。

 それでも、それでも俺は諦めたくなかった。ここで父を見捨てては、自分が自分でなくなるような気がしていた。騎士ではなくなるような気がしていた。

 

「アリエル様―――」

 

 再び口を開こうとした、その時だった。

 

「何があった」

 

 聞き覚えのある声が、張り詰めた空気を切り裂いた。

 

「アルブレヒト殿……」

 

 振り返ると、アルブレヒト殿たちが会場へ戻ってきていた。

 先ほどまで水神と刃を交え、命を懸けて戦っていた男。鎧には戦いの痕跡が残り、その姿を見るだけで、つい先ほどまでの激闘が脳裏に蘇る。

 そんな彼が、何事もなかったかのようにこちらへ歩いてくる。

 アリエル様は一瞬だけそちらに目を向けると、再び父へ視線を戻した。

 

「私を裏切ったピレモンを処刑するところです。お目汚しになるかもしれませんが、ご容赦ください」

「それだけではないだろう。ルークの様子が変だ」

 

 アルブレヒト殿はそう言って、俺に目を向けた。

 まるで、俺の胸中を見透かそうとするかのように。

 

「………私が、アリエル様に父の助命を嘆願したのです」

「なるほど」

 

 アルブレヒト殿は、それだけ言って頷いた。

 責めるでもなく、呆れるでもなく。ただ、俺の言葉を受け止めていた。

 そして、静かに口を開く。

 

「ルーク。お前は騎士だな?」

「はい」

「…騎士として、守りたいと思ったのか?」

「はい」

 

 迷いはなかった。父を助けたい。

 その願いが騎士として正しいのか、今でもわからない。

 アリエル様を裏切った父を庇うことは、主への忠誠に反する行為なのかもしれない。

 それでも、守りたいと思った。

 その気持ちだけは、偽りではなかった。

 

「………そうか」

 

 アルブレヒト殿は短く答えると、少しだけ考え込んだ。

 兜に隠れたその横顔からは、何を考えているのか読み取れない。

 やがて、彼はアリエル様へ視線を向けた。

 

「先ほど、サウロスを亡き者にしたのは自分だとダリウスが言っていた。ピレモンは利用されたに過ぎないのだろう」

「……ダリウスはどうなりました?」

「殺した」

「そうですか……」

 

 俺は思わず息を呑んだ。

 あの男は、もういない。

 サウロスを死に追いやり、アリエル様の命を狙い、王国を混乱に陥れた男。その男が裁かれたことに、安堵がないわけではなかった。

 だが、それで全てが終わったわけではない。目の前には、まだ父がいる。そして、アリエル様の判断を待っている。

 アリエル様は顎に手を当て、考え込んでいた。その表情からは、容易に本心を読み取れない。

 王として、裏切りを許すわけにはいかない。

 ここで父を許せば、アリエル様の決断そのものが揺らいでしまう。王としての威厳を保つためにも、何らかの処罰は必要なのだろう。

 裏切っても、情に訴えれば許される。

 そんな前例を作ってしまえば、これから王となる彼女の足元を揺るがしかねない。

 かといって、父をこの場で処刑することが、必ずしも王国のためになるとも限らない。

 ノトス家の扱い。残された家臣たち。俺という、アリエル様に忠誠を誓う騎士。そして、目の前にいるアルブレヒト殿の功績。

 考えるべきことはいくつもあった。

 

「…アリエル王女。ルークはあなたが王になるために身を粉にして尽くしてきた。その褒美として、ピレモンを助けてやることはできないか」

「だとしても、裏切りを許すことはできません」

 

 アリエル様の返答は早かった。その声に迷いはない。

 アルブレヒト殿は、それを否定しなかった。

 

「そうだな。裏切りをなかったことにするべきではない」

 

 その言葉に、アリエル様がわずかに目を細めた。

 

「だが、ルークは自分の立場を危うくしてまで父を救おうとしている。それもまた、あなたに仕えてきた男の一面だろう」

 

 その言葉に、俺は思わず顔を上げる。

 

「ルークだけで足りないなら、俺の功績も使ってくれ。……押し付けがましいが、一応俺はあなたの命を救った」

「……そうですね」

 

 アリエル様は、すぐには答えなかった。

 視線を落とし、静かに考え込む。周囲の貴族たちも、固唾を呑んで成り行きを見守っていた。

 ここで父を処刑すれば、裏切り者を許さないという姿勢を示せる。だが、嘆願を退け、アルブレヒト殿の功績すら顧みずに処刑することが、本当に最善なのか。

 それに、父は確かに裏切ったが、今回の一連の騒動を主導したのはダリウスだ。ピレモン一人を処刑したところで、王国の秩序がそれだけで安定するわけではない。

 むしろ、ここで父を殺せば、忠誠を尽くした騎士に対して、どのような王であると示すことになるのか。アリエル様はそう考えているような気がした。

 

 アリエル様は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……わかりました。ピレモン様の命は助けましょう」

「……!」

 

 思わず、父を見る。

 父は呆然とした顔でアリエル様を見上げていた。

 アリエル様はすぐに続けた。

 

「ただし、誤解しないでください。これは、あなたの裏切りを許したという意味ではありません」

 

 その視線が、ピレモンを射抜く。

 

「あなたがしたことは、王国への明確な背信行為です。私を裏切り、刺客まで差し向けた。その罪がなかったことになるわけではありません」

「は、はい……!」

「今後の処遇については改めて決定します。領地や家督の問題も含め、相応の責任を負ってもらいます」

 

 父の顔が強張った。

 それでも、命が助かるという事実に安堵したのか、何度も頷いている。

 アリエル様は、そんな彼を見下ろしたまま、言葉を続けた。

 

「そして、今回の一件については、ダリウスを主犯として扱います。実際、彼が主導していたことに間違いはないのでしょう?」

「ああ」

 

 アルブレヒトが答えた。

 

「ならば、ダリウスの罪として処理するのが、今回の騒動を収めるうえでも最も現実的でしょう」

 

 アリエル様は、そこで初めてわずかに表情を緩めた。

 

「王として、裏切り者を処断することは必要です。ですが同時に、忠臣や協力者の功労に応えることもまた、王の役目です」

 

 その言葉には、先ほどまでの怒りとは違う重みがあった。

 

「今回だけは、ルークの功績とアルブレヒト様の嘆願に免じて、命を助けましょう」

 

 そして、視線を移す。

 

「ギレーヌも、それでいいですか?」

 

 問いかけられたギレーヌは、父を睨んだまま口を開いた。

 

「あたしは……」

 

 その表情には、明らかな不満があった。

 父を斬りたいのだろうか。

 サウロスを失ったことへの怒りが、まだ収まっていないのだろうか。簡単に納得できる話ではないはずだった。

 と、そこでエリスがギレーヌの尻尾をぎゅっと引っ張った。

 

「っ!?」

 

 ギレーヌの身体がびくりと震え、反射的にエリスへ振り返る。

 エリスは尻尾から手を離すと、腕を組み、くっと顎を上げた。

 

「ギレーヌ!お祖父様の仇は、さっきので我慢しなさい!」

 

 堂々と言い放つ。

 その言葉に、ギレーヌはしばらく黙り込んでいた。

 やがて、諦めたように息を吐く。

 

「…………エリスお嬢様が、そう言うのなら」

 

 その返答を聞いて、アリエル様は満足そうに頷いた。

 

「そういう事です、ピレモン様。沙汰は追って下します」

「ハッ……!」

 

 父は深々と頭を下げた。

 床に這いつくばるように平伏し、ただひたすらに恐縮している。

 お咎めなしとはいかないだろう。

 アリエル様を裏切った罪は重い。今後、何らかの処罰を受けることになるはずだ。

 それでも命は助かった。

 

「ルーク……すまん……」

 

 小さな声が聞こえた。

 父は、まだ床に額をつけたままだった。

 その姿を見つめながら、俺は胸の奥から込み上げる安堵を感じていた。

 助かった。父が、生きている。

 それだけで、張り詰めていたものが少しだけ緩んだ気がした。

 

 父がやったことが許されたわけではない。

 これまでのことがなかったことになるわけでもない。

 それでも俺は父を失わずに済んだ。

 今は、それでよかった。

 これで長かった王選もようやく終わる。

 そう思い、俺はアルブレヒト殿へ駆け寄った。

 

「アルブレヒト殿、本当にありがとうございます。あなたには何度も助けられた」

 

 何度礼を言っても足りない。

 今回だけではない。

 迷い、間違えかけた俺を正しい道へ引き戻してくれたのも、父を救うために力を貸してくれたのも、アルブレヒト殿だった。

 俺一人では、きっと何もできなかった。

 だからこそ、感謝を伝えたかった。

 

「……大した、ことじゃない」

 

 アルブレヒト殿の返答は、いつもと変わらなかった。

 まるで、本当に大したことではないと言うように。

 しかし、その身体がわずかに傾いた。

 

「……?」

 

 ふらついたように見えた。

 俺は眉をひそめる。

 先ほどの戦いで、相当な傷を負ったはずだ。それでも、今まで平然と立っていた。

 無理をしていたのだろうか。

 

「どうかしましたか?どこか怪我を――」

 

 言い終える前だった。

 がしゃん、と重い音が響いた。

 金属が床に打ちつけられる、耳障りな音。

 目の前で、アルブレヒト殿が崩れ落ちた。

 

 

■

 

 

「アル!?」

「アルブレヒト殿…!」

 

 ルーデウスとルークが、ほとんど同時に駆け寄った。

 ルーデウスは膝をつくと、倒れたアルブレヒトの身体を抱き起こす。

 重い鎧が腕にのしかかった。

 つい先ほどまで、あれほどの戦いを繰り広げていた男だ。傷を負いながらも剣を振るい、レイダを討ち、アリエルを救った。

 それなのに、今は腕の中でぐったりとしている。

 

「に、いさ……」

「どうした!?怪我が治ってないのか!?」

 

 かすかに開いた唇から、弱々しい声が漏れた。

 ルーデウスは慌てて治癒魔術をかける。

 身体の状態を探る。目立った出血はない。レイダに斬られた傷も、すでに塞がっているように見えた。

 

「なんでだ…!」

 

 治らない。

 いや、違う。

 治癒魔術が効いていないわけではない。そもそも、治すべき傷が見当たらないのだ。

 アルブレヒトの顔色は悪く、意識も急速に薄れていく。

 まるで、傷とは別の何かに命を削られているようだった。

 

「クリフのところへ……魔道具、が……」

 

 アルブレヒトが、途切れ途切れに言葉を絞り出した。

 それだけ告げると、張り詰めていた糸が切れたように、首から力が抜ける。

 

「アル!?おい、アル!!」

 

 呼びかけても、返事はない。

 その瞬間、アルブレヒトの身体を覆っていた鎧が、音もなく崩れ始めた。

 金属の輪郭がほどけ、無数の光となって消えていく。やがて、そこに残ったのは一人の青年の身体だった。

 

「…!まさか…!」

 

 アルブレヒトの胸を見る。

 服にはレイダに袈裟懸けに斬られた跡が残っており、傷は直ってはいるが、素肌が見えていた。

 そう、素肌が見えている。つけているはずの、呪いを抑える魔道具が壊れて。

 

「まずい……!」

 

 ルーデウスの背筋に冷たいものが走る。

 魔道具が壊れている。つまり、アルブレヒトを蝕む呪いを抑えられない。今はまだ、目に見える変化はない。だが、それがいつまで続くかはわからなかった。

 ここで呪いの影響が表に出れば、どうなるのか。考えたくもなかった。

 

「急いで運ぶぞ!」

 

 ルーデウスはアルブレヒトの身体を抱え直す。

 一刻も早くクリフのもとへ連れていかなければならない。

 今はそれだけを考えろ。余計なことを考えるな。

 弟を助ける。そのために動け。

 そう自分に言い聞かせた、その時だった。

 

 人の気配がした。

 ルーデウスが顔を上げる。

 そこに、一人の女性が立っていた。

 

「……………あは」

 

 イゾルテ・クルーエル。

 アルブレヒトに祖母を殺され、瞳を濁らせた彼女は、小さく笑いながら、アルブレヒトを見下ろしていた。

 

 周囲に緊張が走る。

 

 イゾルテは、ただ、淀んだ瞳でアルブレヒトを見ていた。

 

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