玉葱騎士、六面世界に立つ   作:プラザ合意

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第8話 郷愁と喪失

 

 赤い鱗、長い尾、鋭い牙と爪、堂々たる翼。

 赤竜。

 魔物の頂に座す捕食者。

 

 その巨体が、ジークフリートと静かに向き合っていた。

 

「ヘルカイト」

 

 竜がわずかに首を下ろす。大人が子どもの声を聞くときのように。

 

「これまでありがとう。私はもう行く」

 

 そう言ってジークフリートはネックレスのようにした橙色のろう石を差し出し、ヘルカイトと呼ばれた竜の首につける。

 

「ソウルの業で少し改造しておいた。遠方にいても連絡できる。何かあれば使え」

 

 ヘルカイトは爪先でろう石を砕かぬよう、そっと撫で、小さく頷いた。

 

 そんな光景を、ルーデウス、エリス、ルイジェルドの3人は圧倒されつつ見ていた。

 

「あの凶暴なレッドドラゴンをここまで手懐けられる人間がいるとはな…」

「ただの協力関係だ。やつも赤竜には珍しくはぐれで、利用するのにちょうどよかったんだろう」

 

 軽く言う。だが、竜はまだジークフリートから目を離さない。

 

「それより、先を急ごう。故郷に帰るのだろう?」

 

 馬車が動き出す。

 ヘルカイトは、遠ざかっていく馬車の姿が完全に見えなくなっても、そこにいた。

 

 まるで、何かを見送るように。

 

 

 

 

 馬車の中。ルイジェルドが御者台に座り、馬を引いている。

 エリスは俺の側にピッタリとくっつき、ジークフリートは外を警戒している。フルフェイスの玉葱のような鎧兜をずっと外していないから、もしかしたら用心深い人物なのかもしれない。

 

 俺はというと、オルステッドが使っていた術――乱魔(ディスタブ・マジック)?とやらを練習しつつ、目の前の騎士、ジークフリートについて考えていた。

 

 オルステッドに殺されかけた時、颯爽と駆けつけ助けてくれた騎士。彼が語った身の上は、どこまでも曖昧だった。

 

 曰く、カタリナという国で暮らしていたが、とある理由で旅を始めた。多くの地を巡ったが、記憶があやふやではっきりとしたことは思い出せない。いつのまにか赤竜山脈にいて、竜を狩ったりダンジョンに潜ったりして過ごしていた。

 

 あの日は朝から竜たちが怯える素振りを見せていたので、何かが起きていると思い竜に乗りながら巡回していたら、死にかけている俺たちを見つけ、助けに入ったそうだ。

 

 焚き火の向こう側で、彼は淡々と語った。

 嘘をついている様子はない。だが、どこか決定的な部分だけを伏せている。

 

 国を出て、多くの地を巡った。

 都合よくピンチに駆けつけ、人々を守りきる。

 竜を狩る者が、竜にまたがって空を飛ぶ。

 

 どれもこれも、物語じみている。

 

 それに記憶があやふや、なんて怪しい言い分。

 正直に言えば、胡散臭い。

 

 だが、声の調子、視線の揺れ方、言葉を選ぶ間。

 嘘をつく人間のそれではなかった。

 

「どうした、ルーデウス」

 

 不意に名を呼ばれ、はっとする。

 

「あ、いえ……なんでもないです」

「傷が痛むのか」

「大丈夫ですよ。本当になんでもないんです。ちょっと考え事をしてただけで」

「そうか。……何かあったら言ってくれ」

 

 短い言葉。だがその声音は真摯だった。つい、信じてしまいそうになるくらいに。

 

 命の恩人とはいえ、こんなに簡単に人を信じる性格だっただろうか、俺は。

 

「着いたぞ」

 

 ルイジェルドの声。

 馬車から弾かれるように外へ出る。

 

 そこには――何もなかった。

 

 かつて稲穂が揺れていたはずの境界線の先。

 そこから先は、世界が削ぎ落とされたように、空白だった。

 

 荒れ地。

 

 黒ずんだ土。

 

 風が吹いた。

 

 何もない大地を撫でるだけの、虚しい風だった。

 

 ここにあったはずのすべてが、ない。

 パンを焼く匂い、家畜の獣臭、人々の生活の熱。

 

「………」

 

 言葉が出ない。

 ブエナ村。

 俺の、帰る場所。

 ジークフリートも黙っていた。

 関係ないはずなのに、兜越しのはずなのに、彼の横顔はどこか沈んで見えた。

 

 

 やがて、廃墟と化したグレイラット邸に辿り着く。

 

 崩れた壁。

 

 傾いた柱。

 

 庭は雑草に埋もれ、かつての面影はどこにもない。

 

 思い出が、押し寄せる。

 

 父と剣を振った日。

 母の優しい笑顔。

 シルフィと過ごした時間。

 

 その全てが、瓦礫の下に埋もれている。

 

 ジークフリートは何も言わず、ただその光景を見つめていた。兜のスリットから見えるその赤い瞳には、言葉にできない色が宿っている。

 まるで、自分の故郷でも失ったかのように。

 

 シルフィと過ごした大木の場所へ向かう。

 そこにも――何もない。

 

『ルディ!』

 

 夕日のなかで笑うシルフィの声が、どこからか聞こえた気がした。

 

 だが、そこにあるのは荒れ地だけだった。

 

「ここが、お前の故郷か」

 

 ルイジェルドが話す。

 

「ええ、本当はもっときれいな場所だったんですけどね」

「そうか。…見てみたかったな」

 

 沈黙が流れる。

 

「……もう、お守りは必要ないな」

 

 ルイジェルドが言った。

 俺たちの顔を順に見て、そしてジークフリートに向き直る。

 

「世話になった」

 

 引き止めたかった。

 

「僕は、何もしてませんよ」

「そんなことはない。お前は愚直な俺に、たくさんのことを教えてくれた。ありがとう、ルーデウス。お前は400年変われなかった俺に一歩をくれた」

「ルイジェルドさん…」

 

「エリス、お前には才能がある。俺なんかより遥かに強くなれる。神の名を冠する者と戦い、その技を受けた。その意味は分かるな?」

「………わかったわ!」

 

「ジークフリート。短い間だったが、不甲斐ない俺に代わりルーデウスを守ってくれて感謝する」

「…ああ」

 

「ではな、ルーデウス、エリス、ジークフリート。また会おう」

 

 言いたいことはたくさんある。

 

 行ってほしくない。

 別れたくない。

 

 でも、また会えばいいのだ。

 

 俺は、ルイジェルドの背中が遠ざかっていくのを、いつまでも見つめていた。

 

 

 

 

 復興キャンプへと向かい、ギレーヌと執事のアルフォンスと再会できた。

 しかし、再会の喜びはすぐに重い現実へと変わった。

 エリスの両親は死亡。

 祖父は責任を取らされ、処刑。

 

 空気が凍る。

 

 アルフォンスは言う。

 エリスはボレアスの血を継ぐ者。復興の象徴となり、ピレモンという貴族の側室になるべきだと。

 

 ギレーヌは言う。

 エリスの幸せを最優先すべきだと。

 

 言葉がぶつかる。

 そして。

 

「うるさい!!!」

 

「……1人に、させて」

 

 エリスの声は、震えていた。

 話は、そこで終わった。

 

 ジークフリートは席を外していた。

 だが戻ってきた時、空気の重さだけは察したらしい。

 事情を説明すると、彼は静かに頷いた。

 

「……そうか」

 

 

 

 

 夜。

 

 エリスが、俺の部屋に来た。

 隣に座る。

 

 強がりな彼女の、震える指先。

 その夜のことを、うまく言葉にはできない。

 

 ただ、失ったものの代わりを求めるように。

 互いの体温を確かめ合った。

 それだけだ。

 

 朝。

 目が覚めると、エリスはいなかった。

 残されたのは、一通の手紙と、切り落とされたエリスの赤髪。

 

『今の私とルーデウスでは釣り合いが取れません』

『旅に出ます』

 

 短い手紙。

 だが、俺にはそれが――

 

「……捨てられた?」

 

 そう思えてしまった。

 胸が締め付けられる。

 昨夜の温もりが、逆に残酷だった。

 

 

 

 

 ぼんやりと外を見つめるが、陽の光が目障りで、すぐに寝返りを打ち、目をつぶる。

 アルフォンスが来たが、どうでもよかった。

 放っておいてほしかった。

 

 辛いのはあなただけではない、とかなんとか言っていたが、俺の何がわかるっていうんだ。

 

 どうすりゃよかったんだ。どうしろっていうんだ。俺の何が悪かったんだ。

 そんな思考ばかりがぐるぐると巡る。

 

 ああ、嫌な気分だ。

 

 好きでこんなことをしているわけじゃない。できることなら、俺だってもとに戻りたい。頭が良くて、強くて、努力家で、誰からも一目置かれて、尊敬されてて、元気なルーデウス・グレイラットに戻りたい。

 

 でも駄目なのだ。どれだけ頑張っても身体に力がはいらない。

 

 昔に戻ったみたいだ。

 

 前世の、何もできない、ずっと逃げ続けてきた自分に。

 

 ああ、嫌だ。

 

 でも、何もできない。

 

 それがただただ、悔しかった。

 

 

 

 

 数日後の朝、外からカチャリ、カチャリ、と鎧が擦れる音がするのが聞こえてきた。

 その音はだんだんと近づいてきて、俺のテントの前で止まった。

 

「入るぞ」

 

 ジークフリートが入ってくる。

 

 一瞬、視線が交わる。

 こんな姿を見られているのが嫌で、すぐにそらした。

 

 ジークフリートはしばらく立ったままだったが、やがて地べたに座り、俺を見つめてきた。

 

 彼は何も言わない。

 

 ただ、側にいた。

 

 俺が話し出すのを待つように。

 

 気づけば夜になっていた。

 ジークフリートは変わらず、そこにいた。

 

 ふと、昔のことを思い出す。

 俺が引きこもった時、兄が俺の部屋に来た。あれこれと正論を言われたが、俺は無視した。

 兄はしばらく喋っていたが、じきにやめ、何か言いたげな目でずっと俺を見ていた。何時間も。

 

 それと、同じだ。

 

 あの時はわからなかった。兄の気持ちが。

 でも、今なら少し、わかる気がする。

 

「ジーク、さん」

「……!どうした?」

 

「………エリスは、僕を捨てたんでしょうか」

 

 

「…いや、エリスは君を捨てたわけではない、と思う」

「……」

 

「君を守れるほど強くなるため、旅立ったんだ」

「……そう、エリスが言っていたんですか?」

 

 その問いに、彼は沈黙した。

 答えられない。

 当然だ。

 エリスは、何も言わずに去ったのだから。

 

 けれど、少しだけ、思う。

 ……もしかして。

 本当に、そうなのかもしれないと。

 完全には立ち直れない。

 だが、底は打った。

 

「……ありがとうございます」

「礼を言われることはしていない」

 

「疲れただろう。寝ろ」

「……はい」

 

 横になる。

 静寂。

 闇。

 意識が、沈んでいく。

 

 ジークフリートは柱に体を預けたまま、動かなかった。

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