白い空間。
足場もなく、空もない。
「……またか」
"二度目"だった。
最初は赤竜山脈。
記憶を失い、己の名すら曖昧だったあの日。
目を閉じた先で出会った男。
「やあ、
穏やかな声。
振り向くと、そこに立っている。
全身に靄がかかっているような白い男。
「いやぁ、大変だったねぇ?久しぶりだね。君、めったに寝ないからこうして話すのも大変なんだよ?」
「……何の用だ、
警戒を隠さず問う。
ヒトガミは肩を竦める。
「助言だよ。前と同じだ」
前回もそうだった。
“生き延びるための道”を示された。
結果、自分は生きている。
「君はルーデウスと共に行くつもりだろう?」
「そのつもりだ」
即答。
だがヒトガミは首を横に振る。
「やめた方がいい」
沈黙が落ちる。
「理由を聞こう」
「君がいると、ルーデウスは成長しない」
ジークフリートの眉が僅かに動く。
「彼は弱くない」
「そうだね。けれど――」
ヒトガミは静かに続ける。
「隣に強い味方がいれば、人は無意識に依存する。判断を委ねる。背中を預ける」
一歩、近づく。
「それは悪いことじゃない。でも、彼は違う」
声がわずかに低くなる。
「彼は、オルステッドを越えなければならない」
その名に、胸が重くなる。
「何…?」
「前にも言っただろ?僕には不確定だけど未来が見える。ルーデウスは高確率でまたオルステッドと戦うよ。…今のままでは、死ぬだけだけどね」
断言。
「そして君も」
視線が刺さる。
「またオルステッドに会えば、今の君では簡単に殺される」
赤竜の下顎。
あの絶望が蘇る。
「君は彼を守れなかった」
「……」
「もう一度同じことが起きたら?」
言葉が、静かに締め付ける。
拳を握る。
「それにさあ。君みたいな不死者が側にいたら、ルーデウスもトラブルに巻き込まれやすくなるよね?」
「……!」
「別にぃ、君を責めるわけじゃないけどさあ、自分が呪われているってことは自覚した方がいいんじゃない?」
心に、どす黒い帳が下りたような感覚を覚える。
呼吸が、うまくできなくなる。
忘れているわけではない。
自分が、呪われ人であることを。…どれだけの不幸を生んできたのかを。
「…わかった」
ヒトガミは微笑む。
「北東の紛争地帯。そこにシャンドルという男がいる。戦場を知り、実戦を知り尽くした男だ」
「……なぜそこまで知っている」
「さっきも言ったろ?僕には未来が分かる。シャンドルに師事すれば、君は確実に強くなる」
あっさりとした返答。
疑念はある。
だが、提示された理屈は通っている。
「君がいなければ、ルーデウスは自分で考える。自分で選ぶ。自分で背負う…それが成長だ」
白が揺らぐ。
「選ぶのは君だよ、ジーク」
■
目が覚める。
本来この身体に睡眠など必要ないはずが、眠ってしまっていたようだ。
立ち上がり、辺りを見回す。
いつのまにか、ベッドに寝かされていた。
ルーデウスの姿はない。
「あ、ジークさん、起きたんですね」
すると、ルーデウスがテントに入ってくる。その姿は荷物や杖を携えており、旅に出ようとしていることが伺えた。
「色々、ありがとうございました。僕は母と弟を探しに北に行こうと思います」
まだ窶れており、隈が目立つが、覚悟を決めた姿だった。使命を果たそうとする、誇り高き覚悟。
「そう、か」
「すいません、いきなり。でもジークさんにはお世話になったので、どうしても話しておきたくて」
正直なことを言えば、ついていきたい。ただ1人にさせるのは不安だ。
彼は強いが、オルステッドのようなずば抜けた強者相手では逃げることもできない。
共にあり、守りたい。
「いや……わかった。私も、強くなるために旅に出ようと思う」
だが、それでは駄目なのだろう。
守られるだけでは、成長できない。
それに、私のような弱い騎士が守る、などお笑い草だ。
「少し心配だが、貴公なら大丈夫だろう」
「はい、ありがとうございます!」
手を差し出す。ルーデウスも差し出し返す。
これは誓いだ。必ず強くなる。今度こそ、どんな脅威からも君を守る。
「貴公の旅路と使命に、太陽あれ」
ルーデウスと固く握手を交わしながら、自分も使命を果たす覚悟を決めた。
■
紛争地帯。中央大陸の南部北に位置する、数多くの小国が終わりのない戦争を続けている地域。
裏では周辺の大国たちが暗躍し、代理戦争の様相を呈しており、争いが止む気配はない。
土地は荒れ果て、人々は疲弊しきっていた。
そんな地域の、ある戦場にジークフリートは立っていた。
周辺にはうめき声をあげながら倒れている戦士たち。
「おーおー、ずいぶん暴れてくれたみてえだな」
すると、表面にびっしりと鋭いトゲが生えている全身鎧を身にまとい、同じく刀身にトゲを生やした直剣を持った剣士が現れる。
「彼らに突然襲い掛かられたため抵抗しただけだ。皆死んではいない」
「そんなこと関係ねえんだよ。ここまでやられて黙って帰しちゃこっちの面子が立たねえ」
ゆっくりと近づくカーク。
「お前、知ってるぜ。最近玉葱みてえなふざけた格好した騎士がうろついてるってな。お優しいことに襲われても絶対殺さないんだってな。はっ、雑魚相手に調子こいてるみてえだが、上には上がいるんだよ」
剣を抜き、突きつける。
「俺は『皆殺し』のカーク・ソーンズ。戦場の厳しさってもんを教えてやるぜ」
ジークフリートは戦闘が避けられそうにないことを察すると、小さくため息をついてゆっくりと口を開く。
「ずいぶんと…おしゃべりなんだな。その剣は飾りか?」
「……舐めやがって。ぜってえ殺す」
殺意をたぎらせ、上段の構えを取るカーク。
ジークフリートはそれを見ても何の構えも取らず、ぼんやりと相手を見ていた。
カークは自分の剣技に絶対の自信があった。
「光の太刀」。剣神流における奥義。光のごとき速さで放たれる、回避困難・防御不能の無敵の剣。
あの珍妙な鎧では光の太刀を止められない。鎧の重さのせいで回避することもできない。
唯一警戒すべきは返し技である「光返し」だが、ジークフリートと部下の戦いを観察していたため剣神流ではないことはわかっている。
ならば相手に対抗手段はない。
カークは勝ちを確信し、ニヤリと笑みを浮かべた。
ゆっくりと間合いに入る。ジークフリートは棒立ちのままだ。
あと三歩、二歩、一歩…
入った。踏み込みとともにすべての闘気を剣につぎ込み光の太刀を放つ。剣がすさまじい速度で迫る。
(……………あれ?)
そして、あっけなく弾かれた。カークの剣は手からすっぽ抜けて地面に落ちる。
渾身の光の太刀は、左手で軽く
「もういいか?」
膝から崩れ落ちるカーク。
光の太刀が敗れた。
剣神流が敗れた。
俺が負けた。
どうして、どうやって、なぜ。言葉が綯い交ぜになって出てこない。
ジークフリートはしばらく様子を見ると、用は終わったとばかりに踵を返して去っていく。
カークは呆然と背中を見つめる。後ろから襲い掛かろうかとも考えたが、それでも勝てるビジョンが浮かばなかった。
そうすると、ふとジークフリートが振り返り、口を開く。
「シャンドルという男を知っているか?探しているんだ」
まるで道を聞くような気軽さのその言葉に、カークは何も言えず、俯いた。
■
焼け焦げた家屋、干からびた畑。
戦争の跡が濃く残る街並みを歩く。
人の気配はまったくしない。住民たちはもう避難したのだろう。
(酷いな)
この紛争地域に入ってからしばらく経ったが、どこも似たような状況だ。…いや、ここは死体が転がっていないだけ、マシかもしれない。
埋葬した死体の数は二桁をとうに超えている。
(どこも、前の世界と変わらないな)
ここが前の世界と違う、ということに気づいたのは赤竜山脈で目覚めてからしばらく経ったことだったが、少なくとも前よりは良い世界のはずだと思っていた。
だが、違った。赤竜山脈を出てから見る景色はどれも悲しみ、憎しみ、争いに満ちていた。
ふと、先ほどの剣士のことを思い出す。あちらから仕掛けられたとはいえ、カークという青年には悪いことをした。自分でも気づかなかったが、オルステッドに負けて少し苛立っているようだ。
彼もなかなかの使い手だった。彼が使っていた剣は、おそらくオルステッドも使っていた高速の剣技だろう。
オルステッドと比べるとずいぶん鈍い剣だったためパリィできたが、もっと上位の使い手相手では通用しないはずだ。
龍神に勝つには何もかもが足りない。
そんなことを考えながら廃墟を歩いていると、突然声をかけられる。
「やあ、君が噂の玉葱騎士くんだね!目立つ鎧をしているからすぐわかったよ!」
「………」
古ぼけた鎧を着て、長い棒を持った男が快活に話しかけてくる。
…どうやって近づいた?気配はしなかったはずだ。
「…これは誇り高きカタリナ騎士の由緒ある鎧。玉葱などではない」
「おっと、それは申し訳ない」
カタリナの鎧はその曲面装甲ゆえに、玉葱と揶揄されることもある。いちいち目くじらを立てるつもりはないが、いい気分もしない。
「ところで君!私の弟子になりませんか?先程の戦いぶりは見事なものでした。未熟な剣聖相手とはいえ光の太刀を弾くとは!君はきっと強くなる!」
「断る」
踵を返して立ち去る。
普段なら話くらいは聞けたはずだが、誇りあるカタリナを侮辱されたことが足を速くさせていた。
「君は未熟です」
足を止める。
「ああ、もちろんある程度の強さはありますよ。聖級程度なら歯牙にもかけないでしょう。でもそれだけです、至高の域には達していない」
振り返り、男を睨む。
「それに、君からは負けた者特有の匂いがする」
「……!」
「それも完膚なきまでに負けた。悔しい、強くなりたい、そういう思いのこもった姿でした。君ほどの強さを持つ者がそこまでやられたということは…神級にやられましたか?」
図星だった。男の得体のしれなさに警戒を高める。
「私は腕に覚えがありましてね、君を効率よく鍛えられると思いますよ」
「それとも、負けたままで良いのですか?」
深く息を吸い、吐く。頭を落ち着かせ、口を開く。
「…俺が弱いのも、強くなりたいと思っているのも事実だ。お前に師事すれば本当に強くなれるというなら、喜んで弟子になろう」
「だが、そこまで言うのなら、実力を見せてもらう」
腰に携えた剣を抜き、構える。
「いいでしょう」
剣と棒がぶつかり合い、切先に火花が散った。
■
棒と剣では間合いが違う。
自分の間合いに持ち込もうとして踏み込むジークフリートと、自分の間合いで距離を保ったまま戦おうとして引きながら棒を振るう男の戦いが続いていた。
男はジークフリートの猛烈な連撃を受け、逸らし、避ける。そして隙を見てカウンターを叩き込む。ジークフリートもそれに対処しようとするが、受け切れない。鎧のおかげで致命傷こそ受けていないが、少しずつ、しかし確実にダメージが蓄積していた。
「ほらほら、闇雲に攻めるばかりでは勝てませんよ」
戦いは終始男の優勢で進む。
「…ふっ!」
状況を打破するため、ジークフリートが仕掛ける。深く踏み込み、剣を横薙ぎに振るう。
しかし無謀。男は冷静に一歩下がり、剣を紙一重で避けようとする———
「……!」
———が、避けきれない。
剣が白い光と共に長刀へと変わる。突然変化した刃が鎧の隙間を潜り、斬りつける。
予想外のダメージに男の体勢が崩れる。
長刀を大斧に変化させ、雷を収束させる。
体勢は崩れて避けられない。棒で受けようとも守りごと打ち破られる。
獲った。ジークフリートは確信する。
しかし、男は棒を捨て、ジークフリートの右足に向けて強く踏み込んだ。金属がひしゃげる音と、肉が潰れる音が響く。
「……ッ!」
大斧を振り下ろすため前に出ていた右足を踏み砕かれ、痛みで振り下ろすのが一瞬遅れる。
男はその隙を見逃さなかった。
「———はっ!」
掌底を叩き込む。
「がはっ…!」
鎧越しとは思えないほどの衝撃。集中が乱れ、大斧の雷が離散する。
男はジークフリートの肩を掴んで押し倒す。ダメージを続け様に受け、大きな隙ができたジークフリートは抗えず、地面に仰向けに倒れ込む。そして、その首に手刀が添えられる。
「さて、まだやりますか?」
「…………参りました」
手刀が首元から離れる。
土に仰向けに倒れたまま、空を見上げる。
雲ひとつない青。戦場とは思えない静けさ。
鎧の内側で、汗がゆっくりと冷えていく。
——完敗だった。
「これで納得してもらえましたか?」
「……はい」
「すみません、私も熱くなりすぎましたね。治癒魔術のスクロールがあるので、足の治療を…」
「いえ、大丈夫です。自分で治せます」
ジークフリートが白い光と共にタリスマンを持ち出し握ると、黄色い暖かな光が足を包み、みるみるうちに傷を癒す。
「おお、そんなこともできるんですか」
「ええ。手慰み程度ですが」
「…随分しおらしくなりましたね」
男がしゃがみ込み、ジークフリートの目を覗き込んだ。
「敗者に語る権利はありません。あからさまな挑発にまんまと乗って負けたなら尚更です」
「まあ流石に気付きますか。しかし、挑発に乗りやすいのは君の欠点ですね。技に加え、感情を制御する術もこれから学んでいきましょう」
「はい」
よし、と手を叩き、ジークフリートを起き上げさせる男。
嬉しそうに口を開く。
「改めまして、私はシャンドル・フォン・グランドール。今日から君の師匠です」
「……!あなたが…」
「ん?私を知っているのですか?」
「…いえ、どこかで聞いたことがあるというくらいです」
あ、そうですか…と少し残念そうにするシャンドル。
ヒトガミの件について話す必要はないだろう。
「私はカタリナ騎士、ジークフリートです。これからよろしくお願いします」
「はい!よろしくお願いします、我が弟子よ!」