茹だるような熱気は、刻一刻とハンターの体力を奪う。先ほど飲み干したクーラードリンクがなければ、彼は鎧の中で蒸し焼きになっていただろう。ところどころに黒い棘を生やした赤い鎧が、がちゃりがちゃりと足音を鳴らしていた。
「はあ……はあ……くそっ」
兜の下で、彼は悪態をついた。汗を拭う余裕もない。次の攻撃が、すぐに来る。
地面を蹴り、跳んだ。転がって受け身を取った直後、先ほどまで立っていた足元が消えた。
代わりに地面を突き破って飛び出す嘴と、赤い体。赤熱した溶岩を体中に貼り付けたモンスターは、その大きな上体をもたげた。
武器を出したままハンターはもう一度地面を転がる。のしかかるモンスターの体を辛うじてかわした彼は、両手の双剣を、モンスターの脇腹へと叩き込んだ。
モンスターはその場で素早く方向を変え、正面にそのハンターを捉えた。傷ついている様子はまるでない。嘴同士がぶつかり合う音が響く。冷たいものがハンターの背筋を走った。
来る。ハンターはそう呟いていた。モンスターの嘴の間から噴き出されたその溶岩は、重力の中でも細い直線の筋になって、火山洞窟の壁にぶつかった。壁の岩は溶岩の高温のために、自身も同じく溶岩と化そうとしている。
炎戈竜アグナコトル。二十メートルを越す、ギルドでも最も危険度の高い星六つに値する大型海竜種だ。
今の攻撃に当たっていれば、ひとたまりもなかった。ハンターの呼吸が荒くなる。溶岩の余波を受けない限界を見切って、彼はアグナコトルの顔面を双剣で切りつけた。
アグナコトルが、少し怯んだ様子を見せた。鬼人化と呼ばれる特殊な肉体操作術によって、ハンターの攻撃は激しい乱舞へと突入する。
固い。彼は舌打ちした。アグナコトルの体表を覆う溶岩が冷えて固まり、攻撃を阻んでいる。彼の水属性の双剣では、その溶岩を破壊することは難しい。
咆哮が響き、ハンターは思わず耳を覆った。アグナコトルが激しく息を吐き、その目に宿った爛々とした殺意の煌めきがハンターを見据えている。
アグナコトルは自身の足元へ溶岩を吐きかけた。地面を熱で溶かしたアグナコトルは、地中へと潜っていく。
武器を背にしまったハンターは、そのまま駆け出した。自分の位置をアグナコトルに悟られては、地中からの奇襲のいい的だ。
まるで海面を跳ねるイルカのように、アグナコトルは優雅に姿を現し、逃れたハンターを追って、着地と同時に再び地面を溶かして潜る。
目で追う余裕もない。全力で走り続けたハンターだが、アグナコトルの攻撃がぴたりと止むと、その歩調を緩める。
どこだ。どこから来る。
「上!!」
突然響いた女の声。ハンターは素早く顔を上げた。
地面に潜れるのなら、洞窟の天井に潜ることができるのは当然だ。アグナコトルが、天井から舞い落ちる。
女の声がなければかわせなかっただろう。再び地上に降り立ったアグナコトルは、ハンターめがけてその嘴を振り下ろす。またしても間一髪かわしたハンターは、先ほどの声の主を見た。
「こっち!」
女のハンターだ。着ているのはリオレイアの装備。言われるままに、ハンターは彼女の元へ走った。アグナコトルもその体をくねらせ、二人へと突進する。
その直後、アグナコトルの表情が引き攣った。冷えて固まった溶岩を貼り付けた身体を痙攣させ、歩みを止める。
シビレ罠だ。雷光虫を利用して大型モンスターの動きを止める、ハンターのお家芸。
痺れる体に鞭打って、そのアグナコトルは周囲に目を配る。真ん中あたりだけが膨らんだ、見慣れない円柱状の何か。大きなものが二つと、小さいものが一つ。
小タル爆弾が、導火線から火を噴いていた。
「伏せて!」
女のハンターはヘビィボウガンを構えて叫ぶ。双剣のハンターはその言葉に構わず駆け出した。
直後、衝撃と煙がアグナコトルを覆う。小タル爆弾に誘爆した、大タル爆弾G二つの爆発。その煙が晴れるよりも早く、双剣がアグナコトルの顔面へと叩きつけられた。
衝撃を受けてなお、シビレ罠の筋肉の硬直で倒れることもできないアグナコトル。冷えて固まった溶岩は、爆発によって吹き飛ばされている。丸裸のその顔に、次々に刃と弾丸が突き刺さった。
「伏せてろっつったのに……!」
舌打ちしながら、女ハンターはヘビィボウガンに弾帯をセットした。雌火竜リオレイアの素材をもとに作られたこのボウガンは、いまだ動けないアグナコトルの頭から尻尾まで貫くように、貫通弾を連射する。
噴き出す血。痛みに倒れ伏す竜。威嚇していた咆哮は、どこか哀願を誘うような弱々しい声に変わっていった。
双剣が振り下ろされ、アグナコトルの喉から血が溢れ出した。かひゅ、かひゅと空気の抜ける音。
それが致命傷だった。アグナコトルはもがいたものの、二度と立ち上がることはなかった。
物言わぬアグナコトルを、双剣のハンターはじっと見つめていた。
「終わり! お疲れー!」
すでに女ハンターはヘビィボウガンをたたんで背負い直していた。ゴーグルを帽子にかけ、快活に笑う。
「あたし、エデッタ。あんたは?」
エデッタと名乗る女ハンターの言葉に答えず、双剣のハンターの兜はじっと彼女を見つめている。彼の装備は、リオレウスの素材で作った防具のようだ。
「あたし? あたしはちょっと散歩に出たらアグナコトルが見えてさ。別に、手柄の横取りなんかしないよ?」
「装備をつけて散歩か?」
双剣のハンターが言った。
「当たり前でしょ、ここ危ないんだから。あんたは?」
エデッタは帽子を脱いだ。赤毛をひっつめ髪にした二十歳過ぎの女が、柔和な笑みを浮かべていた。
「命の恩人でしょ、あたし。名前くらいさ」
「カモンだ。……散歩と言ったな」
ぶっきらぼうにハンターは答える。やや高い声だ。
「このあたりはギルドの調査員も来ないでしょ? あたしが時々見回ってんの。兜くらい取ったら?」
カモンは兜に手をかける。赤と黒に彩られた火竜の鎧の下が見えた。不機嫌そうな表情だが、エデッタの想像より若い。十代半ばほどの少年だ。
はちみつ色をしたやや長めの髪からは中性的な印象も受ける。近づいてみれば、背丈もエデッタより低かった。
「あんた年いくつ? その年でリオレウス倒したわけ?」
「それがどうした」
「へー、やるじゃん。ま、何はともあれ……」
エデッタは両手を広げ、ぐるりと回ってみせる。焦げたように黒々とした地面。川のように流れる真っ赤な溶岩と、そこから立ち上る白く熱い煙。彼女の背後には、アグナコトルが血まみれで倒れ伏している。
「火の国にようこそ。あんたが新しいハンターでしょ?」
カモンはため息をついて、懐から小さな筒を取り出した。彼は筒を空に向けると、筒の一方の端から伸びている紐を強く引っ張った。筒から空に向かって、煙を伴った信号弾が打ち上げられていく。
アグナコトルの死体は、カモンたちだけでは運べない。ギルドが集めた人手で死体を人里まで運ぶのだ。
「じゃ、解体も始めちゃいますか」
エデッタは剥ぎ取りナイフを取り出した。持ちやすいよう、年季の入った柄には布が巻かれている。短くなった刃の部分からも、何度も繰り返し使われ研ぎ直されたことが窺える。
かがみこんだエデッタは、アグナコトルの死体の表面を撫でた。鱗の凹凸を指で読み取ると、その隙間にナイフを突き立てる。
すでに心臓は止まっている。溢れ出した血が、地面を赤黒い色に染めていく。
「俺の獲物だ」
「解体を手伝うって言ってんの。もう」
ぶつくさ文句を言っているエデッタの後ろで、カモンも剥ぎ取りナイフを手に取った。彼のナイフが、アグナコトルの皮膚を切り裂いていく。戦闘中のような荒々しさはなく、一つ一つの所作がゆったりとしている。どこかモンスターをいたわるような、そんな手つきだ。
ハンターは、狩ったモンスターの死体から素材を剥ぎ取ることが許されている。無論、クエストの報酬として与えられる素材の方が量は多い。だが、これはハンターズギルドのしきたりだった。
ギルドができた当初は解体作業まで全てハンターが行なっていたが、効率化の面から、今ではギルドおよび委任業者の専門者が担っている。この剥ぎ取るという行為は奪った命への敬意でもあり、巨大な怪物を討伐したハンターの名誉を讃えるものでもある。
死体から素材を剥ぎ取る間、彼らは無言だった。これは神聖な儀式だった。
素材をポーチに詰めて、彼らは立ち上がった。目の前の死体は、ただだくだくと血を地面に流しているだけだ。
やがて、多数の話し声と足音が近づいてきた。すでにモンスターが排除された安全な火山を、大きな荷車と人夫たちが登ってきた。荷車は、アプトノスという小型モンスターが引いている。この辺りには生息していないが、家畜化されたものが火の国で飼育されているようだ。
個人差こそあれ力仕事に慣れた様子の男たちだったが、その中に、ひとりだけ場違いな女の姿があった。
麻でできた服という点は他の人夫と同じだったが、襟周りと胸元には大きな飾りが付き、頭には派手な羽飾りのついた小さな冠を身につけている。高貴な身分のようだ。
長い黒髪を肩のあたりで切りそろえた彼女は、カモンたちを見るとわずかに顔を綻ばせた。
「お主が、火の国にカモンというハンターだな?」
彼女の年齢は、二十歳に満たないほどだとカモンは聞いていた。しかし、険しい表情と老成した無表情な口ぶりは、彼女をいくらか年嵩に見せていた。
カモンは尋ねる。
「……あんたが、例の」
「この国の長の娘だ。名はアトリ」
「ま、火の国の姫ってわけ」
エデッタが横から付け加えた。
「それじゃあ、受付嬢をやってくれるってのは」
「うむ。私だ。火の国に定住してくれて嬉しいぞ」
ハンターズギルドとは、モンスターを狩猟するハンターたちの互助会である。とはいえ、時として街すらも破壊する脅威であるモンスターに対処するため、情報収集、新たな狩猟道具の開発、武器や防具の作成、モンスターの生態調査、素材の管理、新人の育成等、多岐にわたる業務を遂行するため、直接狩りを行うハンターの数倍の人間がギルドで働いている。
アトリは火の国の姫でありながら、ハンターズギルドで勉強して受付嬢の資格を得た。モンスターの脅威度だけでなく、生態系や人間社会に与える影響などを加味してクエストを作成し、実力のあるハンターに仕事を回すのである。
アトリの視線は、カモンの隣でつまらなそうに空を仰ぐエデッタに向いた。
「エデッタ。お前も狩りに出ていたのだな」
「ん、散歩がてら偶然見つけてさ」
「そうか。カモンよ。今夜、我が家でささやかではあるが歓迎の宴を開くつもりだ。来るか?」
カモンは険しい顔のまま、無言を貫いている。アトリは悲しげに眉を歪めた。
「……お主も、来られぬか?」
「行く」
呟くように言って、カモンは歩き出す。アトリは顔をぱっと明るくした。
「来てくれるか! では、先にお主の家に案内しよう!」
人夫たちはすっかりアグナコトルを荷車に積み終えたようで、今はロープでの固定作業に入っている。
ハンターはモンスターの狩猟の専門家ではあっても超人ではない。このような力仕事では、専門的な技術や経験のない人夫たち数人の方がハンター一人よりもよほど役に立つ。
アトリは、そのアグナコトルを眺めて呟く。
「あの炎戈竜は人の味を覚えてしまったようでな、遊び半分に村を襲い人を殺していた。……お主のおかげで、わが国は救われた」
「ああ」
「別に、あのくらいあたし一人でも倒せたけどね」
エデッタが口を尖らせた。アトリに褒めて貰いたいのだ。アトリが微笑む。
「エデッタ。お主も食事に来るか?」
「あー、いいよ。あたし用事あるから。頼んでたパーツできたらしいし」
エデッタは首を振り、背負ったままのヘビィボウガンを撫でた。
「そうか?」
「途中までは一緒だけどね」
その時、人夫がアトリに駆け寄ってきた。二言ほど会話を交わすと、人夫が手を挙げた。それを合図に、荷車が動き出す。
荷車や人夫たちとともに、カモンたちも歩き出した。
ハンターの仕事には、帰りの荷車の護衛も含まれている。溶岩が流れる火山の奥地から、だんだんと平穏な地域へと景色が変わっていった。ハンター用のベースキャンプを越えると、踏み固められた道らしきものが現れ始める。
道沿いには廃墟があった。石と土で作った、粗末な家の残骸。
「このあたりもモンスターの被害を受けた。畑も土地も荒れている」
アトリの言葉を聞きながら、カモンはあたりを見回した。歩くに伴って、残骸の中に無事な家が交じり始めた。
家の近くには畑。しかしそれも、畑というより荒地に近い。作業中の農民たちは、姿を見るや否や、アトリに駆け寄った。
「姫様! お怪我はありませんか!」
「おおい、姫様がお戻りになったぞ!」
あっという間に農民たちに囲まれたアトリは、困ったように笑った。
「ははは、怪我はない。安心せよ」
「よかった……心配しておりました、祭りも近いものですから」
「姫様に万一のことがあったらと思うと……」
彼らは薄汚れた顔に希望いっぱいの笑みを浮かべて、アトリに次々と話しかける。カモンはうんざりして、輪の中から抜け出してしまった。
人の輪の外には、エデッタが一人で立っていた。しばらく畑を眺めていた彼女は、独り言のようなひと言をカモンに聞かせた。
「シケてんでしょ、この国」
これまでのような明るさもやかましさも彼女にはなかった。冷たく見下ろすような目だった。
着慣れたシャツに黒いパンツ、そして革靴。装備を脱いだカモンの姿は、年相応のあどけなさすら見える。
カモンが道を歩き誰かとすれ違うたび、その誰かは、監視するようにカモンを見つめていた。服装や顔つきが、彼が異物であることを隠していないためだ。
火の国の中心地から、長い坂道を登っていく。古びた家が何軒か建ち、その真ん中に、他の家よりも二回りほど大きな家があった。さほど変わったところがあるようには見えないが、屋根からは旗が立っていた。
家の前の大きな石に、一人の女が腰掛けている。アトリだ。
「おお、来たか、カモン!」
先ほどの衣装から冠を外しているようだ。アトリは立ち上がると、カモンの手を取って引っ張っていく。
アトリに連れられて、カモンは家の中に入った。一国の長の家としては質素な家だ。廊下には古びた絨毯が敷かれているだけで、壁にも飾りなどはない。
まっすぐ歩いていくと、食堂に突き当たった。部屋の隅の棚の上には、磨き上げられた金属鏡が置いてあった。
アトリが胸を張った。
「歓迎の晩餐だ」
すんすんと、思わずカモンは鼻を鳴らしていた。匂い立つスパイス。食欲をそそる、何かが焼けた時の香ばしい匂いもする。
「オオモロコシは我が国原産の、我々の命の源。火の神からの贈り物だ」
食卓には所狭しと皿が並んでいた。一つの大皿には、オオモロコシを挽いた粉で作った丸く薄い生地が積まれている。他の皿に乗っているのは、ひき肉と豆の煮物、こんがり焼けた肉、みずみずしい青菜などだ。カモンの前にはソースが入った器と小さな匙が置かれた。どうやらこれらを生地に挟んでソースをかけて食べるようだ。
すでに二人がテーブルに着いている。四十がらみの男女の二人組だ。アトリに似た服装だ。白髪混じりの男はカモンを見ると、目を細めて座るように促した。
カモンは目礼して席に着く。
「ハンター……カモンと言ったな」
背筋はしゃんと伸びており、その目には慈愛と厳しさが同居している。
「……ああ」
「来て早々……いや、来る道すがらに炎戈竜を討伐したと」
「はい、父上。彼と我が国のハンター、エデッタが」
アトリが答えた。彼女の父、つまり火の国の長が小さく頷くと同時に、彼の隣の女が口を挟む。
「あのバカ娘がかい? 世も末だねえ」
この火の国では、立場のある女性はほとんど髪をまとめないようだ。前髪を左右に流し、その間から、性格のきつそうな吊り目がじろりとカモンを睨んでいた。
カモンはそれに気がついていながら、じっと食卓の皿を見つめている。豆の煮物が放つ、何重にも重なったスパイスの香り。塩味だけではない、腰の強い味わいだろう。
「全く、ハンター風情が粋がって」
「フラカン様。今日はカモンの歓迎のための宴です」
「火の神に逆らってもお怒りを買うだけさ。だいたいお前は巫女としての自覚が足りないよ。『火祭り』も近いというのに……」
「よせ、フラカン。アトリが正しい。今日は歓迎のための宴だぞ」
長に制されて、フラカンと呼ばれた女は鼻を鳴らして口を閉じた。やや重い雰囲気の中で、長が続ける。
「自己紹介が遅れたな、カモンよ。私はこの国を治めているジャカというものだ。隣のこの女が、アトリの前に巫女を務めていたフラカンだ。私の妹でもある」
ますます不機嫌そうに、フラカンはふんぞりかえった。ジャカはそれを目線で咎めるが、彼女には改める様子はない。
「父上、もう良いでしょう。早く食事にしませぬか」
「む、そうだな。ではカモンよ、たんと食すが良い」
言うが早いか、カモンが生地を手で掴む。だがその時、彼を除く三人は手を合わせて祈り始めた。
「我らを守り賜う火の山の神よ、日々のお慈悲とお恵みを感謝いたします」
カモンが驚いて彼らを見ているうちに、一匹のアイルーが彼の背中を軽く叩いた。
「これはこの国の食前の祈りですニャ。火山の奥に住んでいる火の神に感謝を伝えるのニャ」
振り向いたカモンは、疑いの目をアイルーに向けていた。
「ああ、ワタシはここの給仕やら料理やらを任されているしがないアイルーですニャ」
祈りが終わった。アトリが真っ先に生地に手を伸ばし、煮物をその中心に包んで齧った。丁寧でゆっくりとした所作だった。
カモンもそれを真似て、青菜と肉を生地に挟んでかぶりついた。シャキシャキとした野菜の歯応えの中に、下味のついた肉のあふれ出る肉汁。トマトと玉ねぎを刻んだソースの酸味がさらに食欲を煽る。
程なくして、ジャカとフラカンの兄妹も食事に手をつけ始めた。年齢もあってか、豪華な食事に比べると、お世辞にもいい食べっぷりとは言えない。
早くも二つ目の生地を手に取り、カモンは彼にとっての目玉であるひき肉と豆の煮物をその上によそった。がぶり。思った通り、どろどろの煮汁は柔らかく煮詰められたたくさんの材料が溶け込んでおり、それがひき肉のうまみとともに、生地の中から飛び出てくる。
口の中をいっぱいにしながら、カモンは次の生地に手を伸ばす。
「カモンよ、食べながらでも構わん。が、聞いてくれるか」
食べ物で頬を膨らませながら、彼は頷く。
「うむ。長らくこの国には専属のハンターがいない。……アトリ、説明を」
「はい、父上」
アトリは父親であるジャカの言葉に従った。
「この国にも昔はハンターがいた。しかし……およそ五十年ほど前からモンスターの活動が活発になり、次々に引退していったのだ。この国のモンスターの目撃件数は、他の地域と比べても群を抜いている」
全て聞いたことのある話だ。カモンは次の生地を手の上に広げ、次の標的を探す。
「二十年前、この国の若者がハンターの修行をしようと街へ出たのだが……」
そこまで言うと、アトリは小さく手を叩いた。給仕のアイルーは、どこからか取り出したのか小さな太鼓をたたき始める。
そのリズムに乗って、アトリはリズムに乗ってコブシを効かせて歌い出した。
「雑貨屋ない、鍛冶屋もない、ネコタクめったに走ってない。おまもりは、あるけれど、鑑定する人見たことない。護符もない、罠もない。ガンキン毎日ぐーるぐる。
朝起きて、猫連れて、二時間ちょっとのハチミツ探し。装備がない、アイテムない、ドリンク一日一度飲む」
「はァ〜〜っ、よいしょ!」
アイルーの合いの手に応えて、アトリは歌い続ける。
「プーギーない、自宅もない、ルームサービスは何者だ? バリスタない、大砲ない、生まれてこの方見たことない。じいさんと、ばあさんが、生贄捧げて山拝む。養蜂ない、交易ない、たまにくるのはアグナコトル。受付嬢、いるわけない、俺の国にはギルドがない!」
歌い終わり、アトリは小さく息を整えた。
「こんな歌を作られてしまったのだ」
「ひどいな」
ようやく食事を飲み込んだカモンの感想はそれだった。作曲者に対してのものかそれとも当時の火の国に対してのものか、カモン自身にも分からなかった。
「この歌詞のほとんどが事実だった……だが今は! 私がハンターズギルドで受付嬢資格を得て、ここにギルド出張所を作ったのだ」
火の国では、ハンターは生きていけない。そんな認識が、当時のハンターたちの間で広がっていたのだ。
真剣な目で、カモンは食べ物で頬が膨れた顔を頷かせる。
「この国も今なら装備の加工もできる。ハンターが活動できるだけの土壌は整えたつもりだ」
「……そうか」
カモンは、肉と野菜を生地で挟んでかぶりついた。焼きたての生地はほんのり暖かく、野趣にあふれたオオモロコシの香りがわずかに立ち上る。太い葉脈の心地よい歯触り。噛み締めると葉の風味が広がり、瞬間、肉の繊維がぶつぶつと噛み切れる。
ジャカが低い声で言った。
「本題に入るぞ、カモンよ。この数ヶ月、火の山の怒りが収まらぬ。我が国はお前が討伐したアグナコトルのために半壊した」
「火の神がお怒りだからね。それに刃向かうなんて……」
フラカンが口を挟んだ。ジャカが咎める。
「災いにしろ、解決できるものならば解決する。それは私の主義だ」
「このハンターが炎戈竜を倒しても災いは続くんだよ。災いを止めるには、生贄を捧げて火の神のお怒りを鎮めるしかないのさ」
フラカンは、奇妙などろどろした緑色の具を生地に挟んでいる。カモンは疑いの目でそれを見た。
「フラカン様、炎戈竜はカモンが討伐しました。生贄を捧げずとも、この国を守ることはできるはずです」
アトリがそう諌めると、フラカンはやや肉厚の唇を歪めた。
「面白いことを言うじゃないか。それじゃ何かい、あの竜たちも、このハンターが倒すってのかい」
「あの竜?」
カモンは料理を口の中に含んだまま、思わず聞き返した。
フラカンが勝ち誇る。
「ほらごらん、知らないじゃないか」
「まだ彼はこの国に来たばかりだ。説明が行き届いているはずがなかろう」
「昔から言い訳がうまかったね、ジャカ」
「フラカン様、お静かに。私が説明します」
二人の言い争いを、アトリが制した。「カモンよ。この国は、二つの竜に悩まされている。炎戈竜アグナコトルと……爆鎚竜ウラガンキン」
「アグナコトルはさっき討伐した。次はウラガンキンか?」
そう言いながら、カモンは緑色のどろどろが入った皿を見つめている。アトリはそれを、彼の前に差し出した。
「……いや。カモン、お主が討伐した炎戈竜とは別の個体が、この火の国に出没している」
アトリの説明を聞きながら、カモンはその緑色のどろどろを掬って一口食べてみた。濃厚かつクリーミーな味わい。カモンにとっては後から知ったことだが、アボカドという食べ物をつぶしたものらしい。
「今は火山の奥で縄張り争いを続けているが、この二頭が国土へやってくるのも時間の問題だ」
元々、アグナコトルは二頭いた。カモンが倒したのはその片方だけだ。カモンはアボカドのペーストを少し、オオモロコシの生地に載せた。
「……同時狩猟か」
アグナコトルとウラガンキンの同時狩猟。カモンの生地の上には、アボカドのペーストと豆の煮物が載っていた。
どちらも、一筋縄では行かない相手だ。
フラカンが口の端を吊り上げる。嘲笑混じりの声が漏れ出た。
「逃げ出すなら今のうちさ。火の神には逆らえない」
カモンはこの女を無視することに決めた。何事もないかのように、アトリに尋ねる。
「期限は?」
「さしあたり、一週間。火の山に入れなければ、生活が立ち行かぬ」
「わかった」
そう言うと、カモンは二つの具を載せた生地をあっさりと平らげ、立ち上がった。いつの間にか彼の前には、空になった皿が何枚も積み上げられていた。
「世話になったな。家に戻らせてもらう」
「おかえり〜」
与えられた自宅に戻ると、腑抜けた声が返ってきた。すでに日は沈んでいる。カモンは身構えた。
「あたしだよ、あたし。エデッタ」
机に向かっていた女が振り返る。
白地のゆったりとした麻のワンピース姿だ。胸元には、空色の石のネックレスが揺れていた。ハンターの装備を脱いで普段着に着替えていると、ぱっと見たところはそこらの女にしか見えない。
彼女は勝手に布団の上で寝転んでいた。
「何の用だ」
「ん、明日いっしょに狩りに行こうかなって。おおかたアレでしょ? 『ウラガンキンとアグナコトルを狩ってこーい』」
「……よくわかるな」
「まあね、この国に住んでるし。……でさ」
エデッタはそう言って立ち上がると声を潜め、カモンに近づく。
「あいつ、誰?」
エデッタが示した先には、男が一人、部屋の壁に背を委ねていた。つばの広い羽帽子を被った、旅人風の男だ。背は高く、あごひげを生やしている。
「あいつがあんた探してたから案内したんだけどさ、さすがによそ者を一人で家にあげるってのもどうかなーって」
カモンはうんざりしたように顔を歪める。壁に背を委ねている男は目を開き、満面の笑みを浮かべた。
「ぼっちゃま〜〜! お父上が心配なさっていますよ〜? ぼっちゃまが無事にハンター稼業をやれているかどうか!」
男はカモンに抱きつくと、全身を撫で回す。声をあげて逃れようとするカモンだったが、男の力はそれを許さなかった。
「わかった! わかった! あとで話す! 今はほら、あいつもいるから!」
ぽかんとした顔で、エデッタは二人のやりとりを見つめていた。
「エデッタ! もう、今日は帰れ」
「へー、どこぞのおぼっちゃんってわけ? おもしろっ」
けたけたと笑って、飛び跳ねるようにエデッタはドアに向かった。戸に手をかけて、エデッタは振り返る。
「ああそうそう、明日は来る?」
全てを諦めた様子で、カモンは膝をついていた。男に後ろから抱きしめられ、撫でられつづけている。
「……行く。ベースキャンプで集合だ」
「あはっ、了解。ちゃんとクエスト受けてくるんだよ」
じゃあね、と手を振ってエデッタは出て行く。
しばらくの沈黙の後、男は撫で回す手を止めた。
「修行が足りないな。俺の気配に気づかないとは」
それまでの明るい声とは違う、鋭く冷たい声。笑顔も消え、無表情にカモンを見下ろしている。たたずまいにも隙はない。
「……だからって、あんな真似をする必要はないでしょう」
「弟子へのちょっとしたお仕置きだ。俺たちの仕事はモンスター退治だけじゃないだろう」
男はにやりと笑みを浮かべた。
「それにしてもいい家をもらったな、カモンくん」
カモンという偽名を呼び快活に笑うと、彼は窓に向かった。窓の外では、火山の煙が星明かりに照らされていた。
「見ろ、いい眺めだぞ」
外にも人の気配はない。カモンは業を煮やして、口を開いた。
「本題に入ってください」
「まあいいだろう、お前をいじめるのはここまでだ」
振り向いた男の顔からは、一切の表情が消えていた。
「あの女が、エデッタ。そうだな?」
「はい。狩場でも会いました。奴がこの国唯一のハンターです」
「奴を追えば密猟の流れが掴める。情が移ってはいないだろうな?」
一瞬だけ、彼はエデッタの顔を思い浮かべた。陽気な女で優しい。だが、ギルドナイトとして、彼はその甘い考えをすぐに止めた。
「俺はギルドナイトです」
ギルドナイト。ハンターの間ではお伽話や伝説のように語られる存在だ。
曰く、ハンターズギルドの最終兵器。古龍を片手で片付けられる怪物じみたハンターの集団。受付嬢にしつこく言いよると、ギルドナイトに粛清される。
これらは、尾鰭に塗れた噂話だ。だが、ギルドナイトは実在する。
未確認モンスターの調査や高度な政治的判断が必要なクエストなどを担当する、ギルド直属の部隊である。古龍と戦った経験があるものもいる。
彼らの仕事は、もう一つある。それは、モンスターではなく、人間を狩ることだ。
密猟者を密かに狩り、仕留める。それもまた、ギルドナイトの仕事だ。
「そうだ。密猟者は、ギルドのために断罪する。余計なことは考えるな」
「わかってます」
男は、じっとカモンの顔を見つめた。あまりにも冷たい目だった。
ギルドナイトは秘密主義だ。彼らの顔や身元はギルドでもごく一部しか知らない。
「いいだろう」
マントを翻すと、男は先ほどまでのような軽薄な使用人に戻る。
「ではぼっちゃま! 何か困ったことがあればお家に連絡するのですよ! ぼっちゃまが戻ってくるまで、このショウフクはいつでも見守っておりますゆえ!! はっはっはっはっは!」
それが、今度の任務で使う名前か。カモンは改めて、自身の上司の底知れなさを思い知った。
十話前後のお話になる予定です。
来週から月曜更新です。