火の国の規模は、せいぜいが集落や村といったところだ。ギルドの集会所があるような大きな街には大きく劣る。
他民族の襲来で平地を追われた彼らは山の裾野に居を構え、周囲を開拓しながら集落を成長させていった。
火の国の長であるジャカは、一帯を一望できる高地に居を構えている。これは、外敵の侵略に備えるだけでなく、火の山の神と近い場所に住むことで、より神の声が聞こえやすくなるという考えである。集落につながるなだらかな下り坂の他、周囲は崖と呼べるほど急な上り坂に囲まれてており、地盤も強固なためモンスターもそうそう手が出せない。
その一方で、交通の便はよくない。長の家の近所には何軒か彼の親戚の家が建っているが、小さな痩せた畑があるばかりだ。
長の家から坂を下っていくと、火の国最大の市場がある。大きな井戸があり、人の往来も多い。靴屋、仕立て屋、鍛冶屋、薬屋など、職人が多く住む地域だ。
そしてここに、アトリは小さな屋根を作った。たくさんの本とそれを保護できる本棚。長時間座っても疲れにくい椅子。小さな掲示板も立っている。ハンターにはお馴染みのクエストカウンターだ。
人の往来が多いからこそ、モンスターを発見した民からの情報もすぐに集まる。
「姫様! またモンスターたちが……」
背中に靴を背負った男が、クエストカウンターのアトリに呼びかけた。鉱夫だ。
「ああ、今度はどうした」
「はい。ウロコトルがね、俺たちをいじめるんですよ。このままじゃ、鉱石だって掘れませんよ」
アトリは、泣き言を聞くことも姫の務めだと考えている。ゆっくりと頷き、その先を促す。
「わかっている。ハンターがすぐに退治してくれるだろう。場所は?」
「ああ、はい。ええと、この地図で言うとですね……」
アトリの前で緊張しているのだろうか。男は疲れた顔を困らせて、地図に顔を近づける。
「おっ、あんたが新しく来たハンターさんかい?」
遠くに聞こえる声に、アトリは顔を上げた。見れば、武具の加工屋にカモンが呼び止められている。細身の、髭面の男だ。
「俺、ここで加工屋やってるもんだ。あんたがハンターだろ?」
「ああ。カモンだ」
「おい、お前ら! 俺ちょっと話してるから! なんかあったら言えよ!」
彼はそう家の中に声をかけた。
「ここにゃハンターはエデッタしかいなかったからよ、結構大変だったんだぜ?」
「あんた……ここの人間じゃないのか?」
「おお、よくわかってるじゃねえか。ロックラックで姫様にスカウトされてよ」
彼は火の国にはない高度な加工技術と知識を持ち、ギルドと契約を結んでいる。そのため、モンスターの素材を用いて武器や防具が作れるのだ。
「結構大変なんだぜ。ここの連中、結構マジで信じちゃってるだろ?」
「火の山の神か」
「ま、俺もさ。『郷に入っては郷に従え』でやってっけど、初めのうちはすげー大変でさ」
カモンは昨日のことを思い出した。この国には、排他的な人間も少なくない。
「迫害されたのか?」
「いや、そこまでじゃねえよ? でもハンターもエデッタ一人でさ、姫様に助けてもらって、あっちこっち頭下げて、いろんなもんの作り方とか教えてさ……」
そこまで話して、加工屋はアトリの方に目をやった。こちらに気づいているようだ。
「あ、そうか。姫様に用があんのか」
加工屋は笑って、カモンの肩を叩く。
「行ってこいよ、待たせちゃ悪いだろ」
「ああ、すまん」
カモンはアトリの方へ近づいていった。アトリの顔が明るくなるが、声は平静を保っている。
「待っていたぞ、カモン。体調はどうだ」
「問題ない」
「ならよかった。昨夜はすまなかったな」
アトリは少し目を伏せ、そう詫びた。
「気にするな。エデッタとも話せた。……今日はあいつを狩場には出せないな」
彼女の乱れぶりを思えば、おそらく今日も酒は残っているだろう。
「エデッタとは、気が合うのか?」
アトリはまだ、目を伏せたままだった。だが、ただの世間話にしては、ややゆっくりとした、重みのある言葉だった。
カモンはしばしの間沈黙した。昨日、クレイという若者連中に襲われたばかりだ。
「なんでそんなことを聞く?」
「あ、いや……。別に、大したことではないのだが」
アトリの言葉は歯切れが悪かった。
「なんだ」
「……この火の国は、ハンターが根付かぬ土地だ。エデッタのような専属ハンターも、二十年ぶりだという。モンスターに悩まされるたび、街のハンターズギルドに依頼を出して解決を図っていた」
「知っている」
無愛想なカモンの態度にも、アトリは負けなかった。
「だから、お主にはここで長く暮らしてほしいのだ。友人ができれば、少しは居心地もよくなるだろう?」
期待を込めた目で、アトリはカモンを見つめた。どうやら、本当に他意はないらしい、カモンは頷いた。
「エデッタとは、仲良くやれそうだ」
「そうか……」
アトリは安堵の息を漏らす。しかし、カモンの目つきは鋭かった。
「だが……仲良くやれそうにない連中もいる」
彼の視線の先には、煙管をふかす一人の女と、彼女に付き添う従者の姿があった。
「なんだい、あたしのこと睨みつけて」
長く癖のある黒髪。流れる煙。強気そうな吊り目が、カモンの視線とぶつかる。火の国の長ジャカの妹、フラカンだ。
「あ……叔母様。おかえりなさい」
「何がおかえりなさいだい。あたしが『篭り』の支度をしてやったっていうのに、あんたはここで遊び呆けて」
ゆっくりと、しかし隙のない口調でフラカンは話す。
「申し訳ありません。無理を言ってしまったようで……」
「アトリ。あんただって火の山の神の声は聞こえるんだろう? この馬鹿に教えておやりよ。火の山の神に逆らうのは愚かだって」
フラカンは顎をしゃくってカモンを示す。さすがに腹に据えかねて、アトリが言い返した。
「叔母様、そのような言い方は」
「あ。そういえば、あんたもギルドの受付嬢? やってるんだもんねぇ。あたしは忠告したよ、火の山の神のお怒りを買うって」
「忠告が下手だな、あんたは」
ようやくカモンが口を開いた。明らかな嘲りと要領を得ない発言に、フラカンは苛立つ。
「はあ?」
「あんたの手下……クレイって言ったな。手荒な真似をされた」
「……ふうん」
手荒な真似をされたと言う割には、彼の体には傷一つない。返り討ちにしたのだろう。アトリが慌てた。
「カモン、どういうことだ。クレイと何かあったのか?」
「黙りな、アトリ」
フラカンはぴしゃりと彼女を黙らせる。煙を吐き出すと、みずみずしい唇の端を歪めて、彼女はカモンへ一歩詰め寄った。
「あたしは『あんたの監視』を命令したんだけどねぇ」
「あいつらは監視と脅しの違いがわかってないらしい」
彼らの雰囲気を感じ取って、往来の人々も足を止めた。段々と野次馬が集まってくる。
フラカンは女性にしては長身だ。カモンをじろりと見下ろした。
「クレイたちはね、優しい子だよ。あんたたちが好き勝手に火の山を荒らしたらどうなるのか、警告してやってるんだよ」
「荒らしたらどうなる」
「火の山の神が怒って、この国を滅ぼすのさ。だから生贄だって捧げなきゃならない」
「そんなものいやしない」
フラカンの木の煙管が、カモンの頭に叩きつけられた。野次馬たちが小さく声を上げた。中空の筒は、へし折れて地面に落ちる。
同時に、彼女が怒鳴った。
「言ってくれるじゃないか、何も知らない余所者のくせに!」
カモンの額に、小さく赤い痕が残っている。だが、彼は目を逸らさず、じっとフラカンの目を睨みつけていた。
「気に入らない目をしてるよ、あんた。平気で人を裏切れる目だ」
「別に、あんたに気に入られるつもりはない」
二人を分けたのは、アトリだった。間に割って入ると、二人を無理やり手で押し分ける。
「叔母様、ここは往来ですから。……クレイの件については、後でお話を伺います」
「ふん。カモンって言ったね。覚えておくんだよ」
煙管を片手に、彼女は振り返ることなく去っていった。彼女の従者がそれに続く。
椅子にどっかりと腰を下ろして、アトリはため息をついた。
「カモン。叔母様がすまなかった」
「お前のせいじゃない」
「いや。昨日も、クレイがお主に狼藉を働いたのだろう。この件に関しては、私がきつく話をしておく」
顔を上げたアトリは、真剣そのものの眼差しだ。見た目通り真面目な女だ。責任を感じているのだろう。
「あの女は、エデッタにもあの調子か」
カモンはフラカンが去っていった方を眺めていた。フラカンを避けようとするエデッタの態度にも合点が行った。
「……決して悪い方ではないのだ。だが、火の山の神のこととなると……。先代の巫女として、思うところがあるのだろう」
「巫女?」
カモンはアトリへ視線を戻した。アトリが続ける。
「うむ。私が巫女になるまでは、あの方が火の山の神の声を聞いていた」
「ハンターを嫌ってるようだな」
「火の山の生き物を無闇に狩れば、火の山の神がお怒りになる。私も、火の山の神の声が聞けるのだ」
「無闇に……か」
カモンはもう一度、密猟者の確保という自分の任務を思い出す。
「ああ。火の山の神がお怒りになれば、いつもモンスターが現れる。受付嬢としても巫女としても、モンスターの乱獲は許せぬが……あれではやり過ぎだ」
密猟は、ハンター一人でできるものではない。狩猟した大型モンスターを解体し、売り捌く仲間が必要になる。
だが、火の国の宗教では無闇な狩猟は認められていない。とすれば、密猟に関与できる人間は絞られてくる。信仰心の弱い人間だ。
おそらく、フラカンはシロだろう。そう考える一方で、一人、有力な容疑者が浮かんできた。
「どうした、カモン」
「いや……なんでもない。今出ているクエストは?」
「ああ、そうだな。これと、これと……。一番急を要するのは、このラングロトラの狩猟だな」
クエストを書きつけたノートを広げるアトリ。だがそれをみながら、カモンは考えを巡らせていた。
密猟の頻度から見て、犯人は火の国かその周辺を拠点としている公算は高い。そして火の国のハンターはエデッタだけだ。
だからこそ、カモンは納得がいっていなかった。火の国で密猟をすれば、自分が犯人だと言っているようなものだ。そんな危険を払う必要がどこにあるのだろうか。
もう一つの疑問は、彼女の共犯者についてだ。
ハンター一人では、モンスターを狩ることはできてもその素材を売り捌くことは難しい。死体を運び、解体し、密猟のルートに乗せる。ある程度組織的な犯行だ。
「カモン。何かあったのか?」
無言のカモンに、アトリが声をかけた。心配そうな彼女に、カモンは首を振る。
「……いや。それで、ラングロトラだったな」
「受けてくれるか! ありがとう!」
エデッタには、まだ調査が必要だ。カモンはクエストの資料を受け取りながら、そう考えた。
それから二週間後。カモンももう、すっかりこの国での暮らしに馴染んでいた。
あれから、フラカン派の接触はなかった。時折、家の近くまで様子を見に来ることはあったが、直接のやりとりはない。
進展がないという点では、エデッタも同じだった。いつもどおりの、明るくやかましい女。ただそれだけだった。
未だ尻尾を出さない調査対象とともに、今日もカモンは狩りに出ていた。
自分の匂いを嗅ぎ、エデッタは顔をしかめる。
「おえっぷ……くっさぁ……」
「我慢しろ。俺だって我慢してる」
カモンのそっけない言い方に、エデッタは言い返す。
「あのね、一応あたし女の子だからさ、臭いとか汚いとか気にするの」
「だがこれで、騒音問題は解決だ。火の国のみんなも眠れる」
「そうだけどさぁ……。あたしがこのままじゃ寝られないって。臭過ぎて」
「そのうち慣れる」
「慣れたくないよぉ……」
そう言う二人の後ろには、アプトノスと、それに曳かれた荷車が二台続く。それから、火の国の民も十人ばかり。荷車の上に横たわるモンスターは一見したところウラガンキンのようだった。だがその青い甲殻は、彼らが一般のウラガンキンと違うことを示している。
ウラガンキン亜種。鋼鎚竜と名付けられているそのモンスターたちは、日夜縄張り争いを続けていた。その地鳴りは火の国中に響き渡り、こうして狩猟要請が出たというわけだ。
彼らはとうとう火山の激戦区を下り、ベースキャンプに差し掛かる。ここから人里まではそう距離もない。それに、モンスターも少なくなってくる。
「あ〜、もうホントくっさい! ……あ、カモン、着替えキャンプに置いてる?」
「着替え……普段着か?」
「そう」
「置いてるが……」
「じゃあちょうどいいじゃん。ごめーん、キャンプから先、あたしらいなくてもいいよねー?」
エデッタが振り返って声をかける。人足たちの中で、いくぶんか年嵩の男が笑った。
「お前ら、あそこに行くのか」
「そう。せっかくだしカモンも連れていってやりたくてさ」
「いいぞ。ここからはモンスターも少ないしな」
朗らかに男が答える。
「ありがとっ!」
エデッタはキャンプへ駆け出すと、積んであるカゴを一つ担ぎ上げた。
「ほら、カモンも自分の着替え持ってよ」
「どこに行くんだ」
「バカ、臭くなったら行くとこなんて一つでしょ」
エデッタに倣って、カモンも自分の着替えが入ったカゴを掴む。
「温泉だよ」
「オンセン……?」
カモンは聞き返した。彼の人生では、温泉という単語に聞き覚えはない。
「あれ、知らない?」
頷くカモン。エデッタは苦笑いした。
「あー、ま、ないとこにはないもんね」
エデッタはそう言って、また火山を登り始めた。狩猟エリアとして指定されている地区とは別方向だ。
ごつごつとした岩が露出しており、モンスターの気配もない。素人が歩くにはつらい地形だが、手すり代わりのロープが岩から岩へ伸びている。地面の熱も届かないし、日当たりも悪い。火山の中では珍しく、やや肌寒いと言っていい気温だ。
片手でカゴを抱え、もう片方の手でロープを掴み、エデッタはひょいひょいと山を登っていく。勾配自体はなだらかだ。
カモンは、彼女を疑っていた。この火の国で密猟を行えるハンターは、彼女しかいないはずだ。探りを入れるためにも、断るわけにはいかない。
負けじとカモンも登っていくと、妙にすがすがしいような、不思議な匂いが鼻についた。エデッタの体に染みついているウラガンキン亜種の匂いとは全く別のものだ。
空気が変わった。火山の熱と、湿気。遠くには、空へ立ち上る湯気が見えた。
「じゃーん、これが温泉です!」
エデッタが笑う。カモンは、その光景に驚いた。
足元の大きな窪みは、人間が何人も入れるほどに大きい。深さはおよそ、腰くらいまでだろうか。そしてそこには、水、いや、湯が溜まっている。カモンは不思議そうに、その湯を指で触ってみた。
熱い。これが温泉か。カモンは感動していた。エデッタが、彼の後ろから解説を加えた。
「ほら、ここって火山活動がすごいじゃん。それで地下水が温められてるってわけ」
「温泉か……実物を見るのは初めてだ」
しきりに頷き、カモンは顎に手を当てる。思い返せば、火の国の井戸の水は他の国より温かかった。彼の視界に広がる温泉も、それと同じ仕組みだろう。
ふと、カモンは疑問を口にした。
「そういえば、なんでここに……」
振り返ったカモンは、そのまま首を前に戻す。赤い顔で彼は叫んだ。
「なっ、何をやってるんだお前は!」
「何って……。温泉来たんだから入るでしょ」
「そうだとしても、そうだとしてもだな。いきなり脱ぐないきなり!」
エデッタから顔を逸らしながらカモンは怒鳴り続ける。
インナーに手をかけていたエデッタは、にやりと笑ってカモンへ近づく。
「え〜、どうしたの〜? ひょっとして〜。ふふふっ、女の子の体見るの、初めて?」
「違う、バカ! びっくりしただけだ!」
「ふ〜〜ん」
エデッタの肌は、思っていたよりも白かった。活動的な彼女にぴったりの日に焼けた肌とその地肌の境目が、肩口のあたりで踊っている。
「じゃ、先入ってるね」
カモンが目を閉じているうちに、どぼん、と音がした。見ると、エデッタは温泉に浸かっていた。胸元から下は、湯の水面のゆらめきによってぼかされてしまっていた。
「ほら、入りなよ。別にびっくりすることじゃないでしょ」
カモンはエデッタに背を向けたまま、装備を脱ぎ出した。兜、鎧、手甲。がちゃがちゃと音を立てて、装備を地面に置いていく。インナーまで脱ぎ捨てると、彼は温泉の方へ向かおうとして、立ち止まった。
「どうしたの?」
「別に」
普段着の入ったカゴから布を取り出すと、彼はそれで体を隠しながら温泉に近づいた。おそるおそる片足をつけると、たしかに熱い。
「桶使ってね。体流すの」
「わかってる」
本当は全く知らなかったが、足元に転がっていた桶を掴み、温泉の湯を体にかける。熱い。モンスターの攻撃とは違う、温かみがあった。
「う……ああああ〜〜〜……」
彼は数秒後、温泉の湯の中で、脱力した声をあげていた。湯の中で、小さな気泡が弾けている。炭酸ガスだろうか。カモンはそんなことを思いながら、湯を自分の肩にかけ、深く体を沈める。
ふと後ろを振り返ると、温泉から立ち上る湯気の向こうに、火山の麓が見えた。草木が点々と生えている荒地が、山に近づくにしたがって、畑へと変わっていく。
「こうやって見るとさ」
「ん?」
声の方へ、カモンは振り返った。エデッタは気持ちよさそうに湯の中で体を広げている。カモンなど、まるでいないも同然のような振る舞いだ。胸の膨らみが湯に浮かんでいた。
思わずカモンは目を逸らした。
「あはは、やっぱ子供だね、あんた」
その言葉は、カモンの反応だけに向けられたものではない。色白で、ハンターにしては珍しく傷もほとんどない。
「……十六だ。じろじろ見るな」
不愉快そうに、カモンはそう言い返す。
「は〜い」
エデッタはそう言って、彼に背中を向けた。彼女の視線の先は、ごつごつとした、殺風景な岩場。そしてその遠い向こうには、煙を吐き続ける火口が見えた。
彼女が背中を向けて、ようやくカモンは彼女を見ることができた。引き締まった体には、いくつかの傷跡が浮き出ていた。温まったおかげで、血行が良くなったのだろう。
「でもさあ、全然ないよね、傷」
「俺のことか?」
「そう。天才ハンターってやつ?」
「別に、傷の数は重要じゃない」
カモンは彼女の背中の傷跡を目で追っていた。脇腹のあの傷跡は、モンスターに噛み付かれた傷だろうか。
ふと、彼女の背中を縦に走る細い傷跡が目についた。肩甲骨の辺りから真下の腰まで、まっすぐ長く伸びている。
「……お前、その背中の、肩のあたりの傷はどうした?」
「え?」
首だけで、エデッタは振り返った。カモンは続ける。
「それはモンスターじゃないだろう」
モンスターから受けた傷跡は、大きく分けて三種類。牙か、爪か、あるいは、火傷や凍傷のようなもの。
火や氷による傷は、大雑把に言えば円形に広がる。噛み付かれた傷は、上下の歯の跡が残る。エデッタの傷は、爪のものに近い。
だが、モンスターは基本的に、爪を円運動で振るう。したがって、体に残る傷跡は真ん中辺りほど深く、太くなるはずだ。彼女の体に残るまっすぐ均等な傷跡は、そのどれにも当てはまらない。
「……人か?」
カモンはギルドナイトだ。人と人の間での暴力のプロと言っていい。エデッタの傷跡は、人為的なものに見えた。
エデッタが脅迫されているとすれば、露骨な密猟にも説明がつく。カモンは答えを待った。
「あ〜、これ? アレだよ、岩場に擦っちゃったの」
ちっちゃい頃にね。そう付け加えて、エデッタは頭の先まで湯に潜った。
「どうした?」
「ぷはっ。ほら、髪長いからさ、あたし。臭いが染み付いちゃうの」
彼女の顔はまた、岩場に向かっていた。
「あんたさ、なんでハンターになったの?」
はぐらかされた。カモンはそう思った。
「……昔住んでた村が、モンスターに滅ぼされたんだ」
嘘はいくらでもつけた。だが、カモンはそうしなかった。続きを促すように、エデッタは大きく頷く。
「なるほどね。じゃあ、因縁の大型モンスターとか」
「いや。ジャギィの群れだ」
「へえ?」
エデッタが振り返った。不思議そうな顔だったが、カモンの先ほどの言葉を思い出して、視線をまた、温泉から離れた岩場に戻す。
カモンも、ばつが悪くなって顔を背けた。
「リオレイアが乱獲されたんだ。そのせいでリオレウスもリオレイアも減って、ジャギィやジャギィノスが増えた」
カモンは、湯を手で掬った。指の間からこぼれ落ちる湯が、水面に跳ねた。
「密猟かー。他人事じゃないね、この国じゃ」
言葉とは裏腹に、エデッタはくつろいでいる様子だ。
「ね、カモン、『篭り』ってわかる?」
「……いや」
彼はエデッタの視線を目で追った。火口の方へ、彼女の顔は向いている。
「『火祭り』があるでしょ。その七日前から、巫女が『神座』に篭って火の山の神の声を聞くの」
「ああ、それは覚えてる。前に話したな」
「そうだっけ。アレさ。姫様がやるでしょ」
「アトリが?」
頷きながら、エデッタはカモンに向き直る。
「うん。もしその間にモンスターが来たらさ、クエスト、どうやって受けるんだろうね」
「受付嬢がいない……ってことか」
カモンは腕組みして考え込んだ。あくまで仮定の話だ。エデッタが軽く身を乗り出す。水面に波ができた。
「そうなの。そこでモンスターを狩ったらさ、やっぱり……密猟ってことになっちゃうのかな」
「密猟にはならない。後からでもギルドが調査して、その時に狩猟しなければ大きな被害が出たと判れば、除名ということはない」
見て来たような口ぶりに、エデッタは目を瞬かせている。カモンはようやく、自分の失態に気づいた。
「……と聞いた」
「へ〜」
エデッタの目は、湯気を追っていた。上方の開けた空に、すっかり蒸気は散ってしまっている。
ギルドナイトであることは、まだバレていない。カモンは小さく、ほっと息をついた。
ギルドは決して強い権力を持った存在ではない。本来なら、密猟者を裁く権利も彼らにはない。
密猟者がギルド所属のハンターであれば契約通り莫大な違約金を支払わせ、除名。それに関わった人間たちに対しても、ギルドとの取引を停止する以上の措置は取れない。
密猟者を殺せ。その命令がカモンに下されたことは、今まで一度もなかった。
「なんで、そんなことを聞いた?」
「ん? 気になったから。ほら、前ウラガンキンが見つかんなかった時あったでしょ」
「ああ」
「アレとかもさ、密猟だ! ってギルドの本部から思われてそうじゃん。なんだっけ、あの……」
思い出そうとするように、エデッタは目を閉じて人差し指をこめかみのあたりでくるくる回す。
「ギルドナイト、とかさ」
今度は、しっかりと振り返っていた。開いた目は、まっすぐカモンを見つめていた。
「困っちゃうよね。ホント。悪いことなんてしてないのに」
凍りついた自分の表情を、カモンはようやく認識した。
「そうだな」
自分の声が、まるで自分のものでないように彼には聞こえた。
「どう、温泉」
「ああ。いいな。もっと早く教えてくれてもよかっただろう」
自分の口数が増えていることも自覚している。図星を突かれて、動揺している。だというのに、対策が浮かばない。
「カモン。嘘ついてるでしょ」
その言葉に、思わずカモンは言葉を失った。エデッタは、先ほどから全く目を逸らさない。
答えられるはずもなく、カモンはただその場でうつむいた。
「ごめん。わかっちゃった。カモンが嘘ついてるの。ほんとはさ……」
正面から、波が、水音が近づいてくる。
カモンは唾を飲み込み、拳を握った。心臓の鼓動が、早く、大きくなる。ギルドナイトであることは隠さねばならない。もし知られているのなら。
「女の子の裸見るの初めてでしょ」
「だったら悪いか!!」
無駄に肝を冷やされた怒りに、カモンは思わず怒鳴っていた。
火の国の長、ジャカの屋敷の裏手には小屋がある。『火祭り』を控えたこの時期には、祭具などをしまっているここへの出入りも激しくなる。
とはいえ、彼らのように真夜中に出入りするものは稀だった。
星の明かりと火山の火が、暗闇を照らす。小屋の入り口の簡素な鍵は開いていた。戸を軋ませながら開けると、古びた木の匂いがした。
「遅かったじゃん」
小屋の中、木箱に腰掛けた女が声を潜めてそう言った。火の国の数少ないハンター、エデッタだ。
入ってきた男は後ろ手に戸を閉めた。
「尾行はついていないな?」
「当たり前でしょ。あたし、こういうの上手いんだから」
暗闇の中、そう自慢げに彼女は足を組み替えた。
「それよりごめんね、呼び出しちゃってさ」
「いい。……例の件だな?」
「カモンはイケるよ。密猟、手伝ってくれると思う」
しばし、沈黙があった。男はゆっくりと口を開く。
「ギルドナイトの可能性は?」
「あー、あれ? 大丈夫大丈夫、あたしの勘違いだったから」
「ふむ……」
エデッタのあっけらかんとした答えに、男は再び逡巡する。
「ビビってる訳じゃないでしょ?」
「もちろんだとも」
「じゃあやろうよ。ちょうどほら、既成事実作れる時期だしさ」
男は背後の戸に目をやった。ここを出たいわけではない。ただ、屋敷で眠っている火の国の姫に、引け目を感じているのだ。
「アトリがいないうちに、あいつを密猟に連れ出すか」
「そうそう。姫様が『篭り』入ったら、すぐ。やっちゃおう」
「……わかった」
重々しく男が答えた。その緊張をほぐそうとするように、エデッタは男の名前を呼ぶ。
「じゃあよろしくね、ジャカ様」
火の国の長、ジャカは重々しく頷いた。
「ああ……では」
エデッタが見送る中、ジャカは小屋を後にする。この小屋は、密猟の共犯者たちの密会場所だった。
戸が閉まった。エデッタの顔から、笑みが消える。疲れたようなため息を吐き、がしがしと頭を掻く。
彼女は立ち上がって、大きく伸びをする。一仕事終えた、といった風情だ。
「いける。……計画通りだ」
彼女は一人、そう呟く。
小屋の中には静寂が戻っている。虫の声が、壁の外側からわずかに聞こえていた。