高い太陽が、女たちの短い影を地面に映していた。アトリと、彼女に同行する若い女が三人。長の邸の前だった。カモンは彼らを壁にもたれて眺めていた。
「どうだ、カモン!」
アトリはマントを翻し、快活に笑った。
赤、青、緑。鮮やかな糸を用いた煌びやかな衣装。頭の上の冠は大きな羽飾りがつけられており、彼女の背を頭ひとつ分は高く見せていた。確かに基本こそいつもの貫頭衣ではあるが、派手で優美なその衣装は、彼女たちの、いや、火の国の民の、火祭りにかける情熱の証だった。
アトリの屈託のない笑顔は、カモンにとっては新鮮だった。
「……いいんじゃないか?」
素っ気なくカモンが言うと、アトリの横の女たちが顔を見合わせて笑った。
「なんだ」
「ハンターさんって、素直じゃないんですね」
「よさぬか。国を守っておるカモンに無礼であろう」
言葉に詰まったカモンを助けるように、アトリが少女たちを咎めた。その中で一番年少の娘が言い返す。
「でも、ハンターがいるせいで火の山の神はお怒りなんでしょ?」
「本当にそうかは、まだわからぬ」
そう言うと、アトリは顎に手を当てて考え込んでしまった。カモンはそれが気になった。
「どうした?」
「あの、何か?」
年少の娘も、そこまで深い意図があって言ったわけではない。アトリの様子を伺いながら、気まずそうに尋ねる。
「ん、いや……今年は、火の山の神のお怒りが激しいのだ」
「やはりですか……」
娘の声が沈んでいる。しかしカモンにしてみれば、くだらない迷信の話だった。彼はまた、壁に身を預ける。
「おはようございます!」
娘たちが一斉に挨拶をした。邸からジャカが出てきたのだ。
「知っての通り、『篭り』は火祭りに必要な行事だ。決して、気を抜かぬようにな」
ジャカの言葉に、アトリの顔に真剣味が宿る。彼女は、責任感の強い女だ。
「心得ております」
ジャカは火の国の長である。今日から始まる「篭り」の準備のため、彼の家へ参加者を集めたのだ。
同行する娘たちも普段着ではない。「篭り」のため、代々受け継がれてきた髪飾りと肩布、ブレスレットを身につけている。彼女たちも緊張と興奮の中にいる。
「うむ……では、フラカン。輝竜石を」
ジャカの隣には、顔の上半分を覆う仮面をつけたフラカンが立っていた。磨き上げられた金属の仮面は、艶めかしい光を放っている。
彼女は手を、顎の高さへ持っていった。その手のひらには、緑色の粉が載せられていた。
ドラグライト鉱石の粉末だ。加工、精製の際に捨てられる部分を砕き、こうして儀式に利用している。
膝を折り、アトリは頭を低くした姿勢をとった。フラカンは口を窄めて勢いよく息を吐き、その粉を吹き飛ばす。
火の山の神の祝福であるドラグライト鉱石の粉末を振り掛けて、身を清める。篭りの前の儀式であった。
フラカンは、自分の面を外し、アトリの肩に手を置いた。
「アトリ。気をつけるんだよ。火の山の神のお怒りは、お前にも聞こえているだろう?」
「心得ております」
アトリはちらりとカモンに目をやった。フラカンはそれを見逃さない。だが、彼女の声は優しかった。
「あいつが心配かい?」
「はい。……叔母様、カモンとの諍いは避けていただきたいのです」
フラカンは少し掠れた笑い声を上げた。
「あのハンターだってあんたがいなけりゃモンスターを狩ったりしないだろう? ギルドが禁止してるんだから」
彼女はそのまま、アトリに顔を寄せる。やや激しい気性の彼女だが、火祭りの時はいつも機嫌がいい。
「それに、あたしだってこの火の国に住んでるんだよ。火祭りの前に、馬鹿げた喧嘩なんかしないさ」
アトリは、この時期の叔母のことが好きだった。
「……そうですね。申し訳ありません」
「いいんだよ、今、火の山の神はお怒りだからね。気をつけて行っといで」
「はい」
アトリは叔母を抱きしめた。フラカンは、早くに母を亡くした彼女の母親代わりでもあった。
フラカンの肩越しに、彼女はカモンと目があった。小さく手を振ると、カモンは視線を逸らした。
自信を胸に、「篭り」の参加者たちは山道を降り、大通りへ向かう。行き先は、火の山の火口。
──────────────
それから数時間後。日が傾いた頃だった。
窓から差し込む光を頼りに、カモンは手紙にペンを走らせていた。
宛先は、『月刊狩りに生きる』編集部プレゼント係事務管理担当者。今月の懸賞は、「回復薬グレート調合セット」、「狩りに生きる編集部特製インナー」、「タンジア商業組合イチオシ砥石セット」と、変わり映えのしないラインナップだ。
本来ならば宛先はプレゼント係までで十分だが、事務管理担当者、とついている点が重要である。
最後に差出人として自分の名を書くと、彼は木製のペンケースから別のペンとインク壺を取り出した。
そのインクは、透明だった。新たなペンで、カモンはその手紙に何かを書き込んでいく。書いた直後は光の反射でわずかにその位置が判別できるが、乾いた後では痕跡に気づくことはできないだろう。
暗号通信だ。ギルドナイトの報告書は、時としてこのような手段を用いる。『月刊狩りに生きる』の懸賞係には、ハンターならば誰が手紙を送ってもおかしくない。事務管理担当者という名目で、ギルドナイトの関係者が編集部に所属しているのである。
見えないインクで文字を書いていたカモンは、不意に視線を上げた。しばらくそのままじっとしていたが、小さく息を吐くと、手紙を片付けてペンとインクをペンケースにしまった。
彼が感じた来客は、ほどなくして、戸を叩いた。
「ジャカだ。カモンはいるか」
声の調子は、少し弾んでいた。カモンは手に本を持ったまま、木戸を開ける。
ジャカの顔には笑顔が浮かんでいた。
「何の用だ?」
素っ気ない態度だったが、怒っているわけではない。短い付き合いではあるものの、ジャカもそれはわかっていた。
「大したことではないんだが……。火祭りの準備の様子を、見てほしいと思ってな」
「火祭りの?」
「ああ。アトリがいなければ、ハンターの仕事もあるまい。どうだ?」
机の方に目をやることもなく、カモンは頷いた。
「行こう」
大通りの方へ向かうにつれて、家の密度が上がっていく。屋根や窓から、ランタンのようなものが吊るされていた。
「カモン、あれが何かわかるか」
「あれは……紅蓮石か?」
「うむ。ここでは明かりにも使っているのだ」
紅蓮石は熱容量が高く、小さなかけらになっても数時間は赤熱し続ける。その特性を活かして、彼らは照明に利用していた。
「上質な物は売った方が良いのだがな」
長の家に続く道からは、火の国の中心部が見下ろせる。色のついた布やガラスを使って、カラフルな照明が通りを照らしていた。橙色の夕日に照らされた道が、一層鮮やかに見えた。
「綺麗じゃないか」
世辞ではなかった。カモンは素直に、思ったことを口にしていた。
「そうだろう、祭りが始まればもっと美しくなる」
満足げに笑ったジャカが、言葉を止めた。周囲には人気はない。
「カモン、この国をどう思う?」
ジャカの声は、真剣だった。外に連れ出した本当の狙いはこのことだろう、とカモンは思った。
「モンスターの襲撃が多い国だ」
「その通りだ。だから、エデッタはこの国のことを嫌っておる」
「聞いた。モンスターに殺されたんだろ」
「……概ねは、その通りだ。だが、彼女の母親は、生贄に使われたのだ」
「生贄……そうか」
カモンは小さく頷いた。ジャカの目は、色とりどりに照らされた街を見下ろしている。
「あの時は、それが最善だと信じていた」
「今は違うのか?」
「……両親を失ったエデッタは、私たちの家に身を寄せていた。あの子が私に言ったのだ。『火の国なんて滅んでしまえ』と」
ジャカの懺悔に、カモンは何を言えばいいのかわからなかった。
「あの時彼女は、十歳にも満たない子供だった。そんな子供に、私はそんな言葉を吐かせてしまったのだ」
「でも、あいつは戻ってきた」
「そうだ。街でハンターになった彼女は、この国へ帰ってきた。……火の山の神を信じず暮らせば、敵を作ると知っていながら」
ジャカの視線は、いつのまにか足元を睨んでいた。
「この国のことは……俺も嫌いじゃない」
「ありがとう。……彼女に力を貸してやってくれ。全て、この国のためなのだ」
「いた!」
突然、女の声がした。
見れば、市場のある通りから、人影が坂を駆け上がってくる。若い女だ。胸元に、空色の石の首飾りが下がっていた。
「エデッタか」
息を切らせながら、彼女はカモンに走り寄る。切羽詰まった様子だ。
「ねえカモン、今、いける!?」
「何の話だ?」
「ラングロトラ! 二頭暴れてるんだって!」
そこまで言って、エデッタは膝に手をついた。息を整える彼女を前に、ジャカは呟く。
「ラングロトラといえば、赤甲獣か……」
「そうだ」
カモンが答えた。
赤甲獣ラングロトラは、火の国と縁があるモンスターだ。成人の儀式の際にはラングロトラの甲殻を用いた衣装を身につける風習がある。
しかし、弱いモンスターではない。ギルドが制定した危険度では、陸の女王の異名を取るリオレイアと並ぶ。
「狩猟せねば危険だな」
腕組みしたジャカに、カモンが振り返る。
「しかし、今はアトリが」
「そうだ。篭りの期間は、誰も神座に近寄ってはならぬ」
今、アトリは神座にいる。受付嬢がいなければ、クエストを出すことも受注することもできない。ギルドを介さずモンスターを狩猟すれば、密猟である。
カモンは迷った。後日の調査で、今火の国を襲うラングロトラの危険性が証明されれば密猟としては扱われないだろう。だが、その分だけ捜査に遅れが出る。
彼のその様子を見かねたのか、ようやく息を整えたエデッタが口を開いた。
「あたし一人でも行くよ。この国のためなんだもん。密猟になってもいい」
「……わかった。俺も行く」
カモンはもう、坂の下へと歩き始めていた。エデッタは彼の後を追って、声を弾ませる。
「本当!?」
「ギルドの支援がなければ、普段の狩りとは違ってくる。お前一人では危険だ」
進行方向だけをカモンの目は見つめていた。エデッタは背中に腕を回す。
「ありがとう! すぐに準備して、ベースキャンプに集合。いい?」
「ああ!」
すでに日は沈みかけている。血のように赤い西の空を、東から黒々とした闇が覆っていた。
──────────
セッチャクロアリの巣穴の中は、文字通り蜂の巣をつついたような有様だった。入り口から侵入してくる粘性の舌が、次々に働きアリを絡めとる。外敵と見做し、巣の入り口から兵隊アリが飛び出した。
彼らの目の前には、大きな赤い山があった。噛みつこうにも、その赤い甲殻を前に、彼らの牙は小さすぎた。
舌で絡め取ったセッチャクロアリを、赤い山は飲み込んでいく。赤甲獣ラングロトラの晩餐は豪華だった。
成虫を平らげながら、その舌はさらに巣穴を進んでいく。舌の先に、少し違った感触があった。ぷるぷると柔らかいその感触に、ラングロトラは喜んだ。幼虫だ。
彼の舌が、幼虫をぐるりと絡め取った。ご馳走を前にして、その警戒心は緩み切っていた。
その顔面を、弾丸の雨が襲った。激痛が走る。
巣穴に突っ込んでいた鼻が、土くれを掘り返しながら外気に触れる。火薬の匂い、人間の匂い。ラングロトラはようやく、自分を襲う二人の人間に気づいた。
自分より小さな生き物が、自分に攻撃を加えている。その場合、ラングロトラの行動は決まっていた。人間に襲われたことはなかったが、所詮は小さな生き物だ。負けるわけがない。
赤い獣は後ろ足だけで立ち上がり、前足を広げて自分を大きく見せた。威嚇。だが、人間たちはまるで意に介さない。
赤い人間はラングロトラの下腹を切りつけ続け、遠くの緑の人間は、奇妙な棒から何かをこちらに飛ばしている。
威嚇が通じなければ、戦うしかない。広げた前足を振りかぶり、目の前の人間めがけて振り下ろした。赤い人間は横に転がり、その攻撃をかわす。
自尊心を刺激されたラングロトラは丸い体をさらに丸め、左右に転がって赤い人間を追い払う。遠くの緑の人間には、口から唾液を吐きかけた。
唾液が当たったはずだが、緑の人間には効いていなかった。奇妙な棒についている板が邪魔しているのだ。
ますます腹を立て、ラングロトラは前足を地面につけた。一瞬の溜めの後、人間めがけて長い舌を伸ばす。緑の人間にようやく通用したようだ。舌を避けて、またもや横に転がった。
赤い人間が、ラングロトラの顔面を斬りつける。痛みに怯み、赤甲獣は後ずさる。彼らの攻撃は、実に息が合っていた。
この人間たちは、違う。
生態系の頂点にこそないが、ラングロトラは被食者の立場ではない。自分より強い生き物は、足のある赤い蛇か、火を吹く羽トカゲくらいのものだ。しかしその彼は今、自分より小さな生き物に怯えていた。
弾みをつけ、地面を転がる。ラングロトラの移動方法であり、最強の攻撃のはずだった。しかしそれを、赤い人間は紙一重でかわし、反撃で切り刻む。
ラングロトラは怯え、そして体を丸める。彼は逃げ場を求めて転がっていった。
───────────────
二頭のラングロトラの狩猟は、順調なまま終わった。荷車にくくりつけられた二つの死体の甲殻が、月の光を赤く映していた。
カモンは元気ドリンコを一息に飲み干した。彼は荷車を操る人夫たちの観察を密かに続けている。
二十人ほどいる人夫たちはみな大柄で、力仕事に慣れている風体だ。暗闇の中で目を凝らすうち、カモンは一人の男に目を止めた。ギルドの狩猟クエストの時に、今と同じようにモンスターを運んでくれた男だ。
そうこうするうち、夜の闇に紛れ、二台の荷車は火の国の近くまで到着した。カモンが使っている家まで、あと少しだ。わずかな業務連絡の他は、誰も口を利かなかった。いつもならよく喋るはずのエデッタも無言だ。カモンは、自分の息遣いが大きく聞こえた。
荷車の軋みに、虫の声と、風で草木が擦れる音が混ざった。
南へ曲がってしばらく進むと、崖があった。その崖下には、木や岩もなく滅多にモンスターも寄り付かない平野が広がっていた。その中にに、小さな灯りが見える。
ジャカだ。カモンの目つきが鋭くなった。
「こっちだ」
人夫たちは、ここでの荷車の使い方にも慣れているようだった。崖沿いに進むと、下へ続くなだらかな斜面があった。
いつもなら、モンスターは市場近くの広場で解体している。ギルド受付嬢のアトリの監督のもと、素材単位に解体され、そのほとんどの部位がギルドへ輸送されていく。
だが、今夜は違った。アトリや多くの国民に知られないための、秘密の解体場だ。
暗闇の中、ランタンを持つジャカが片手を上げたように見えた。カモンは、暗闇の中、ジャカのランタンを頼りに素早く地面に目をやった。荷車の轍は、今日のものだけではない。
「じゃ、みんな」
小さな声だった。エデッタの潜めた声を、カモンはあまり聞き慣れていなかった。
「解体始めるよー。あたしの指示通りお願いね」
人夫たちは頷く。
彼らはこの仕事に慣れている。確信を抱きながらも、カモンはジャカに近づいていった。
密猟ビジネスは、解体と販売が鬼門である。ギルドナイトとして、密猟について学んでいるカモンはそう知っていた。
「カモン……大丈夫か?」
ジャカがそう尋ねた。カモンの表情は強張っていた。
「ああ。……この死体はどうするんだ?」
「やはり、ギルドには流せん。私の伝手で、商人を探すさ」
ジャカは密猟という言葉を避けていた。一方のカモンも、この行為に嫌悪感を見せるわけにはいかなかった。
「……案外、いい金になるかもな」
「ああ。お前にも報酬は出す。ほとんどは国のために使うがな」
「国のため?」
「防衛設備を整えたいのだ。バリスタや大砲を我が国も導入せねば、モンスターから身を守れぬ」
「……ふん」
綺麗事を、と心の中でカモンは罵った。
「カモン。わかっているとは思うが、この件は他言無用だ。もし漏れれば、ハンターズギルドは我々と手を切るだろう」
「わかってる」
そう言いながら、すでにカモンは彼らを陥れる算段を進めていた。
─────────────
「いやあ、ごめんね、ホントに」
「いい。珍しい体験だ」
「内緒だからね、絶対」
「ああ」
ラングロトラ二頭の解体を夜のうちに終えることは不可能だった。明るくなってから作業を再開することになり、カモンとエデッタは家路に着いていた。
夜の帷の中、遠くに市場の紅蓮石の灯りが見えた。道に生えた雑草を踏みしめながら、彼らは進む。
「……ねえ、カモン。密猟ってさ。すげー儲かるの。どう? 仲間にならない?」
「考えておく」
「ケチ」
口を尖らせながらも、エデッタの言葉は明るい調子だった。
「よく言われる。それじゃあ」
カモンが足を止めた。彼の家への分かれ道だ。
「あ、そっか。じゃあねー」
手を振りながら、エデッタは帰っていく。彼女が十歩ほど離れてから。カモンは家へとまた歩き出した。
玄関の前に立ち、背中の剣を一本抜いた。空いている手で、木の戸をわずかに開ける。カモンは、暗い家の中に佇む男に声をかけた。
「早いですね」
つばの広い帽子を目深に被った、旅人風の男。カモンの師匠であるギルドナイトだ。今はショウフクを名乗っている。
「胸騒ぎがしてな」
彼はカモンに目をやった。身につけている武器と防具は、彼が狩りに出ていた証拠だ。
「『篭り』の間は、ハンターもクエストが受けられんはずだ。装備をつけてどこへ行っていた?」
「連中は密猟をやってます。今、参加してきました」
「ほう?」
暗闇の中だったが、カモンは帽子の下で師匠の片眉が上がったのがわかった。
「火の国の長のジャカ。それと、ハンターのエデッタ。主犯格はこの二人です」
「証拠は?」
カモンはポーチから一枚の紙切れを差し出した。ショウフクは、窓から差し込むわずかな灯りに紙をかざす。ギルドナイトの中でも特に夜目が効く彼には、この明るさでも十分だった。
書かれているのは、モンスターの解体場のありかだった。
顎を撫でながら目を通すと、彼は口を開いた。
「了解した。六日後に立ち入る。問題はないな?」
「はい」
迷いなくカモンは答える。ショウフクは彼をじっと眺めていた。
「何か?」
「お前の長所は余計なことを考えないことだな」
師からの褒め言葉に、カモンは少しだけ頬を緩めた。
───────────────
火祭りの初日。ジャカの目覚めは爽快だった。窓から差し込む朝日が、彼の気分すら明るくさせた。フラカンとともに簡単な朝食を済ませると、広場の設営を彼女に任せ、ジャカは祭りに使う祭具の手入れと確認に移る。
ラングロトラの解体は滞りなく進んだ。分けられた素材は次々に街へ、火の国の外へ運ばれていった。
何もかもが順調だ。ジャカは、祭りに使う仮面を磨き上げる。柔らかい布で拭うと、金色の輝きがさらに鮮やかになった。
昼前には、アトリも帰ってくるはずだ。そうすれば彼女とフラカンとともに広場に向かい、火祭りの開始を宣言する。
小さく貧しい国だが、彼にはこの国を守る責務がある。
戸が叩かれた。同居人は出払っている。ジャカは立ち上がって、その来訪者を出迎えた。
「どうも〜」
エデッタがそこに立っていた。後ろにはカモンもいる。奇妙な来訪者たちに、ジャカは首を傾げる。
「どうした、二人揃って」
特にエデッタは、この家に住んでいるフラカンとは犬猿の仲だ。わざわざ来ることは滅多にない。
「ん〜、別に。上がっていい?」
「構わぬが……。カモン、お前もか?」
「……ああ」
目的がわからない。しかしジャカは、火の国を守り、密猟にも手を貸してくれたハンターたちに笑顔を向けた。
「上がってくれ。ただ、あまり大したもてなしはできんぞ。火祭りの準備で忙しい」
「いいのに、そんなのやらなくて」
「そうはいかん。フラカンに叱られる」
エデッタの冗談に、ジャカも冗談で返す。彼らを着かせた食卓の上には、手入れ中の仮面が置いてあった。
「それも別にいいじゃん。どうせ、火の国は滅ぶんだから」
椅子に座りながらそう言ったエデッタに、ジャカは思わず視線を向けた。彼の隣のカモンも怪訝な顔で訊く。
「どういう冗談だ」
「説明してあげてよ、カモン」
エデッタは背もたれに体重を預け、椅子を傾けて遊んでいる。傾いたまま、顔をカモンに向けた。
「あんたギルドナイトなんでしょ?」
カモンの椅子が音を立てた。彼は立ち上がり、腰の後ろに手をやっている。
椅子の傾きが戻り、四つの足が床を踏みしめた。
「バレバレだったよ。ごめんね、気づいてないフリして。ま、あたしもあたしでめちゃくちゃ怪しかったでしょ?」
飛び交う二人の会話を聞きながら、ジャカは呆然としていた。カモンがギルドナイトだったという事実が、彼の平静を奪っていた。
しばし目を丸くしてエデッタの顔を見つめていたが、やがて、ジャカはゆっくりと立ち上がった。机の上に身を乗り出し、エデッタを睨みつける。怒りではなく、困惑がその顔には滲んでいた。
「エデッタ。私を騙したのか」
「おあいこだよ。あんただって、ギルド騙して密猟してさ」
ジャカは言葉を失った。エデッタは勝ち誇るような笑みを浮かべると、今度は横目にカモンを捉えた。
「ねえカモン、今日でしょ? ギルドの人があたしたち捕まえに来るの」
カモンは答えなかった。腰のナイフの柄を握りながらも、彼はそれを抜かなかった。殺そうと思えば、殺せる。しかし、カモンにはまだその覚悟がなかった。
「今日さ、あたしのこと、朝からつけ回してたよね? それって、今日だけはあたしの居場所掴んでおきたいってことでしょ?」
カモンはついにナイフをエデッタに突きつけた。モンスターを狩る武器とは違い、刃渡りは短い。しかしその刃は、カモンの放つ殺気と同じく鋭かった。
「なぜ俺を密猟に引き込んだ? 全てをギルドナイトに知られれば、お前だって」
「密猟をバラすのが目的だったからね。国ぐるみで密猟をやってたら、ギルドはもう火の国の依頼は受けなくなる」
エデッタの声が冷たくなった。だがそれも一瞬で、すぐに元の明るい調子に戻る。
「そしたらさ、こんな国、あっという間に滅ぶでしょ。モンスターのおかげでさ。アグナコトル一頭にあの有様だもん」
彼女はそう嘲笑う。面食らっているジャカの目を、彼女は正面から見つめた。
「言ったでしょ。『火の国なんて滅んでしまえ』って」
火の国を滅ぼす。語られた彼女の真意は、ジャカにとって理解できないものだった。
「エデッタ! お前はっ……この国のために私と……」
「ふざけんな!」
エデッタの手がテーブルを強く叩いた。鬼気迫る表情で、呼吸も荒くジャカを睨みつけている。
「何が火の国だよ、何が火の山の神だよ! あたしのっ……お父さんとお母さんを殺しておいて!」
彼女は机の上の仮面をジャカへ投げつけた。老人に当たった仮面はわずかに跳ねて、床に転がる。
「あたしのお父さんは、お前らが役立たずなばっかりに死んだ! お母さんはっ……お前らのくだらない祭りの生贄になって死んだんだ!」
テーブルを蹴り倒し、エデッタはジャカに飛びかかろうとする。
「よせ!」
ナイフを手放して、カモンがエデッタを取り押さえた。首に手を回そうとしたその瞬間、彼は彼女の頬に、雫が伝っていることに気づいた。
「許せるもんか! お前らっ……! お前ら火の国なんて!」
このままでは、火の国が滅ぶ。カモンにとって、完全に想定外の展開だ。どうすればいいのかもわからないまま、とにかく彼はエデッタを引き戻す。
「死ねばいいんだ! お前らは全員っ!」
その言葉の続きは、息が抜ける弱々しい音に取って代わられた。カモンの拳が、彼女の鳩尾にめり込んでいる。
暴れる相手の鎮圧方法は、カモンの体に染み付いている。今彼は、ほとんど反射的にその技術を用いてしまった。
膝をつくエデッタ。彼女を支えようとするカモン。佇むジャカ。
その時だった。派手な音とともに、入り口の戸が破られた。驚いて、カモンとジャカは二人ともその音の方へ目をやる。
ターバンの男が四人。先頭に立つのは、恰幅のいい男だった。
慇懃な態度で、彼は頭を下げる。
「どうも。私どもはロックラックのハンターズギルドのものです。お返事がありませんでしたので、失礼ながら上がらせて頂きました」
その男には、有無を言わさぬ迫力があった。ほとんど動けないエデッタを一瞥し、言葉を続ける。
「ジャカさんと、エデッタさん。それから、カモンさんですね? お伺いしたいことがございます。数日ほど身柄を頂戴いたしますが、よろしいですね」
断るという選択肢はなかった。男たちには、いざとなれば荒事も辞さないという雰囲気がある。
「……わかった。いいだろう」
ジャカがそう言った。ターバンの男の一人が、エデッタを軽々と担ぐ。カモンとジャカがターバンの男たちに従って外に出ると、屋敷から市場へ続く道の先に、人だかりができていた。
「待て! ジャカ様をどうする気だ!」
人だかりの先頭で、クレイが叫ぶ。手には槍を持ち、今にも食い付かんという形相だ。後ろの民衆も、敵意を持ってターバンの男たちを睨んでいる。
ターバンの男もよく通る声で答える。
「ジャカさんには、密猟の嫌疑がかかっている。先ほど皆様にはお伝えしましたが」
「どうするんだって聞いてんだよ!」
「お話をお伺いするだけです。手荒な真似はいたしません」
クレイは槍の柄先を地面に打ちつけた。彼の後ろから、次々と同じように槍を構えた男たちが現れる。
「おいおっさんよ。俺たちゃ祭りの直前でな。興奮してんだよ。わかんだろ?」
槍の穂先がターバンの男たちに向けられる。
「ナメた口聞いてっとブッ殺すぞ!」
民衆たちもクレイに同調して声を張り上げる。一触即発。血を見る事態は避けられないように思えた。
彼らの怒号に混じって、鈍い音がした。クレイの頭に痛みが走り、彼はそこを抑えてうずくまる。
「そこまでだよ。あんたたち」
怒りに任せて振り返ったクレイが、目を丸くして後ずさる。足元に、折れた煙管の先が転がっていた。
「ふ……フラカン様!」
火の国の長の妹であり、先代の巫女でもある有力者だ。クレイが叫ぶと、その驚きは集まった群衆たちに広がっていく。
ざわめきの中、彼女はクレイの横を通って群衆の先頭に立った。
「ジャカ。あんた本当に、密猟をやったのかい」
静かだが、重々しい言葉だった。ジャカを見つめるフラカンの目は、まっすぐだった。ざわめきは静まった。群衆は長の次の言葉を待っている。
「ああ、そうだ。……アトリに、よろしく伝えてくれ」
視線を地面に落とし、フラカンは小さく首を振った。
「ホント、バカだよ。昔っから」
手に持った煙管に口をつけて、彼女は小さく口元を緩ませた。折れた煙管を吸えるはずもない。
息を吐くと、フラカンはジャカに背を向けた。
「後のことは任せときな。あたしなりに上手くやるさ」
群衆へと振り返った彼女は、折れた煙管を天へと掲げる。やや掠れた声の演説が始まった。
「聞きな! ジャカは火の山の神に逆らってこの火の国から姿を消す! だからこそ、あたしたちにはやらなきゃいけないことがある!」
そこで、フラカンは言葉を止める。群衆たちは次の言葉を待った。一言一句聞き逃さぬように、誰一人として口を開かない。
フラカンは、豊かな唇の端を吊り上げた。
「火祭りだよ」
群衆の中から、いくつか声が上がった。そうだ。今日は火祭りの日だ。長の事件で頭から抜け落ちていたが、当然ながら、やるべきことは変わらない。
「広場に急ぎな! 火の山の神のご機嫌を取り戻すんだ!」
「おおおーっ!」
群衆は弾けるように駆け出した。火祭りは、火の山の神に捧げる重要な祭りだ。密猟が本当ならば、なおのこと重要だった。
すでに群衆は消え、カモンたちの正面に残っているのは、フラカンと彼女を慕うクレイだけだ。
ジャカは小さく言った。ターバンの男たちにも聞こえないほど、小さな声だ。
「すまない、フラカン」
返事はなかった。その代わりに、彼女は肩越しに右手を振った。先の折れた煙管が、その指の間にあった。
────────────────
ギルドから派遣されたターバンの男たちは、カモンたちを縄で縛り上げて幌馬車の中に押し込むと、あっという間に火の国を出発した。
幌馬車は二台。カモンはジャカと同じ馬車に乗せられていた。荒れた道が、馬車の上の彼らを何度も揺さぶったが、ジャカは一言も喋らず、ただ目を閉じていた。
時折挟まれる休憩の他には足を止めることもなく、馬車は道を走り続けた。荒地から森へ。行き先はロックラック。ハンターズギルドの本部だった。
日が傾き始めた頃、馬車が止まった。ターバンの男に言われるままジャカたちが外に出ると、野営の準備が整っていた。テントが三つ張られ、その中心には火が焚かれている。
「どうぞ、お食事の準備は済んでおります。くれぐれも、逃げようなどとは思わぬよう」
感情の読めない笑顔だ。カモンは、ターバンの男たちに近づくと、一際恰幅のいい男に声をかけた。
「すまん。用を足したい」
「おや、かしこまりました。それではご案内いたします」
やや低い声で答えると、恰幅のいい男はカモンを縛る縄の端を掴んだ。そのまま縄を引っ張って、彼を林へと連れ出していく。背の高い木が文字通り林立しており、この夜の暗さでは、十歩も歩けば姿は見えなくなるだろう。
カモンの両手首が縄から抜けていた。彼は縄の跡が残る手首をさすっている。だが、恰幅のいい男には驚く様子もなかった。
「何か話があるらしいな」
恰幅のいい男は口を開け、その中に手を突っ込んだ。唾液のついたふくみ綿が取り出された。顔には皺を偽装する化粧がされていたが、カモンはその正体を知っていた。
「師匠、聞きたいことがあります」
彼は、ショウフクと名乗っている男だった。彼は無言で、カモンを一瞥して手招きするように指を曲げた。続けろ、という意味だ。
「火の国の依頼は、今後どうなるんですか」
「この手の事件は、一切の関係者との取引を停止するのが慣習だ。今回の場合、火の国全体がそれに当たる。受付嬢のアトリもそうだ」
ショウフクは淡々と答えた。やはり、とカモンは心の中で呟く。エデッタの狙い通りになってしまう。
「火の国との取引を続けることはできませんか」
「理由を言え」
「火の国を滅ぼしたくないんです」
しばし無言で、ショウフクはカモンの目を見つめた。師弟関係は十年近くにもなるが、その中で、カモンがこのようなわがままを言ったことは一度もなかった。
「火の国は田舎の小国だ。滅んだところで影響は少ない。むしろ、密猟者へのいい見せしめになる」
「見せしめのために国を滅ぼすんですか」
舌打ちの音がした。カモンのわがままも珍しいが、ショウフクが感情を露わにすることも滅多にないことだ。
「本気で火の国を守る気なら、あんな情報は俺に流すな。国家ぐるみで密猟をやればどうなるか、少し考えればわかるだろう」
カモンから答えは返ってこない。彼は唇を噛み、両手をきつく握りしめている。その沈黙とカモンの表情を見て、ショウフクはため息をついた。
「呆れたな。確かにお前の村は滅んだ。だが、それと火の国は別の話だ」
「しかし、師匠!」
「火の国の密猟が、お前の村のような犠牲を産むかもしれないんだぞ」
「でも、火の国を滅ぼすことになります。俺は……!」
「話は終わりだ」
彼は顎をしゃくって、カモンの足元の縄を示した。ターバンの男たちは、ショウフクとカモンがギルドナイトであることすら知らされていない。カモンは再び縄で縛られた格好で野営地に戻る必要がある。
「お願いします。火の国と取引を続けてください」
カモンは師の命令を無視した。その場を動かず、力のこもった目でショウフクを見つめる。
「駄目だ」
「……なら」
ショウフクは自分の目を疑った。カモンは、自分のシャツの背中から武器を取り出した。
その刃は、遠い野営の炎を反射して赤く光っていた。ターバンの男たちの短刀だった。刃渡りは肘から手首ほどまである。殺傷力は十分だ。
ショウフクは自分の腰に手をやった。短刀は奪われていない。三人の仲間の誰かが、あっさり盗まれたのだろう。
カモンは半身になって、右手の短刀を前方に突き出した。惑わすように揺れ、時折踏み込むようなそぶりも見える。
「本気か?」
「はい」
カモンの目に迷いはない。だが、ショウフクも同じだ。彼がベルトに手をやると、腹回りの詰め物がどさりと地面に落ちた。
「無駄だ。一つ目に、俺を殺そうが脅そうが意味はない。俺を殺しても、お前もあの二人も追われる身だ。脅すつもりなら、ここではお前に従ったフリをして、後日お前を殺せばいい」
ショウフクも、腰のベルトから短刀を抜いた。カモンより体の大きい彼が持っているというのに、その短刀は、カモンが構えているものよりも長く見えた。
「そして二つ目」
風圧で、カモンの髪が揺れた。その物体の正体はわかっている。彼は、ショウフクから目を逸らすわけにはいかなかった。
彼の背後の木の幹に、短刀が深々と刺さっている。カモンの物ではない。ショウフクが、カモンの頬を掠めて木の幹に当たるように投げたものだ。
カモンの視線の先で、素手のショウフクが手招きする。
「お前は、俺より弱い」
師の威圧感は、そこらのモンスターを超えている。だが、カモンも負けるわけにはいかなかった。