火の国なんて滅んでしまえ!!   作:中津戸バズ

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鎮三竜(後編)

 

 長の邸はすでに持ち主を失い、アトリとフラカンが住んでいるだけだ。その離れである小屋に、エデッタはいた。

 縛られた両手を天井の梁から吊るされ、彼女はほとんど身動きが取れない。その腹が、棒で打ち据えられた。

 

「がふっ」

 

 身を丸めるエデッタ。彼女の目の前で、女が口元を緩めた。

 

「どうだい? 少しは自分の立場がわかったかい?」

 

 フラカンは、髪をかきあげながら、エデッタの顔を覗き込む。彼女の顔に、液体がかかった。

 赤っぽいその液体は、血の混じったエデッタの唾だった。顔にもあざができ、鼻血を垂らしながら、彼女は挑発的に笑う。

 

「てめえエデッタ! いい加減にしやがれ!」

 

 彼女の胸ぐらが掴まれ、強引に顔を上に向けられる。クレイだ。エデッタは笑った。

 

「いい加減にしないと、どうするつもり?」

「俺はなぁ、お前が気に入らなかったんだよ。周り見下して、『私はバカじゃありません』って面しやがって。いつからだ? ああ? いつからそんなやつになった!」

 

 耳元で怒鳴りつけられ、エデッタは思わず顔をしかめた。だが、彼女の態度は変わらない。

 

「へへっ……お前らに、お母さん殺された時から、かな」

「殺したんじゃねえよ! 生贄に捧げたんだ!」

「じゃあなんでお父さんが死んだの? お母さんが生贄になったのに、モンスターは収まらなかった」

 

 クレイが口ごもる。

 

「それはっ……それだけ火の山の神がお怒りだったんだよ!」

 

 エデッタは鼻で笑った。クレイの言い訳は、彼女にとっては滑稽だった。

 

「バーカ。神なんか嘘っぱちってことだよ」

「てめえ!」

「およし。あたしにはあんたの気持ちがわかるよ、エデッタ」

 

 フラカンだ。唾を拭った彼女は、余裕たっぷりに笑っていた。

 

「何? ババアの人生相談?」

「火の山の神を認めたら、あんたの人生は無意味だもんねぇ」

 

 胸ぐらを掴むクレイの後ろから、彼女はエデッタに近づいていく。

 

「火の国への復讐? あははっ、ぜーんぶあんたの逆恨みってことになっちまう。だから、そんなに必死になって否定してんだろう?」

「もう一回言ってくれる? こいつの息が臭すぎて聞いてなかった」

「背中の傷を増やしてやってもいいんだよ。あの時は素直な子だったのにねえ。『ごめんなさい、私が間違ってました』って、鼻垂らしながら謝れたのに」

「ごめんね、クレイ。臭いのはあんたじゃなくてあのババアだったみたい」

 

 へらず口を叩き続けるエデッタ。だが、その言葉はフラカンの発言の否定にはなっていなかった。

 フラカンは笑みを深くし、ゆったりと、挑発するように言葉を並べる。

 

「生贄を否定するなら、ヴァーナもトーヒルも無駄死にってことになるんだよ」

 

 拳を握りしめ、エデッタはフラカンを睨みつける。

 

「お前がっ! お前らがお母さんをっ!!」

「てめえっ、大人しくしろ!」

 

 縄が揺れ、軋む。フラカンに襲い掛かろうとする彼女に、クレイの手が伸びた。エデッタはまだ止まらない。クレイは舌打ちし、棒を手に取った。

 どすん。腹への強力な突きが、エデッタの呼吸を止める。苦悶の表情を浮かべるエデッタ。フラカンはそれを悠然と見下ろし、踵を返す。

 

「クレイ。やりすぎちゃダメだよ。大事な生贄なんだから。ほどほどに、ね」

「まっ……待てっ!」

 

 エデッタのその声は、クレイの棒の一撃に阻まれた。

 

 

───────────────

 

「お母さん! お母さーん!!」

 

 記憶の中で、エデッタは火の山の中腹にいた。黒い地面。煙に覆われた空。幼い彼女は、ただ母親の名前を呼び、火の山を彷徨っている。全身を汗が伝い、一歩ごとに体力を奪われる。身体中を焼くような空気は、乾いていた。

 切り立った岩場。足元には、点々とわずかな溶岩の光が見えた。

 

「エデッタ!!」

 

 後ろからの声に彼女は振り返る。彼女の父親だ。人並みの背丈をエデッタは見上げる。

 

「ダメだ、エデッタ! 早く帰りなさい!」

「でも、お父さん!」

 

 エデッタの反論を無視して、父親は娘を抱き上げた。帰り道を探そうと、彼は周囲を見回す。

 

「トーヒルっ!!」

 

 名前を呼ばれて、父親は身をすくめる。彼の視線の先には、背の高い若い女が立っていた。一人の男とと三人の若い娘が彼女を取り囲んでいる。

 

「あんた、今は火の山に立ち入っちゃいけないって……」

「申し訳ありません、フラカン様! エデッタが、その……」

「お母さんは!? ねえ、お母さんは!?」

 

 エデッタがフラカンに叫ぶ。彼女はわずかに表情を曇らせ、背後の男に目配せした。彼の手には、祭祀用の大斧が握られている。目配せに答え、彼はそれを背中に隠した。

 抱かれたままのエデッタに、フラカンは顔を近づけた。

 

「いいかい、エデッタ。あんたのお母さんは火の山の神に捧げられた。これはとても名誉なことなんだよ」

「返してよ! お母さんを返して!」

「もう無理さ」

「うっ……ううう〜〜〜っ!」

 

 エデッタは泣きじゃくる。元々子供の相手は苦手だ。唇を小さく噛んだフラカンは、視線をエデッタの父親に向ける。

 

「トーヒル。火の山に立ち入ったのは戒律違反だよ。あんたもこの子も、罰を受けなきゃならない」

「わかっています。しかし、この子は母親を……」

「事情はわかるよ。でもね……」

 

 彼らの背後で、轟音が鳴った。地響きと、濁流のような水音。しかしそれは、水ではない。赤く溶けた岩の跳ねる音だ。

 人の背丈の倍近くある影。それはあくまで体高に過ぎず、寝そべった蛇のようなその体長は、人間とは比べ物にならない。

 全身を覆う赤い甲殻。付着した溶岩が、それをますます赤く明るく染め上げる。

 炎戈竜アグナコトル。嘴を打ち鳴らし、光る目で獲物を見下ろしている。

 捕食者は一瞬で距離を詰めると、その嘴を一番大きな獲物に叩きつけた。

 ぐしゃり。貫かれたとも、叩き潰されたともつかない死体が転がる。アグナコトルはその内臓を啄む。その足元に祭祀用の大斧が転がっていた。

 フラカンも呆然とし、エデッタは泣き叫ぶ。若い娘たちが狂乱した悲鳴をあげた。その声を聞いてか、アグナコトルが視線を上げた。感情のない目が、彼らを射すくめる。

 足が動かない。フラカンですら、その恐怖を前に、怯えてしまっていた。

 

「フラカン様! うちの子を!」

「トーヒル!?」

 

 父親が、エデッタをフラカンに押し付ける。驚き、フラカンは彼の顔を見る。

 

「早く!」

 

 急かされたフラカンが、エデッタを抱く。それを見て、トーヒルは駆け出した。転がっている大斧を持ち、アグナコトルの甲殻へ叩きつけた。

 

「こっちだ、化け物!」

 

 彼はそう叫び、左側へ回り込む。だが、巨大な怪物の体当たりが、彼を大きく吹き飛ばした。

 

「みんな、行くよ!」

「はっ……はい!」

 

 フラカンは若い女たちに声をかける。我に返った彼女たちを連れて、火の山の麓へ走り出す。

 

「お父さん! お父さん!」

 

 フラカンの腕に抱かれながら、彼女の肩越しにエデッタは父親の姿を見た。斧を杖代わりに立ち上がる彼に、アグナコトルが近づいていく。

 顔面に向けて斧を振るう。だが、そこに頭はなかった。大きく身をもたげたアグナコトルは、エデッタの目に、果てしなく巨大に映った。

 その上体が、倒れ込んだ。アグナコトルにしてみれば、軽い運動に過ぎないだろう。だが、その下敷きになった父親がどうなったかは、誰の目にも明らかだった。

 エデッタはそこからずっと泣き続けた。彼女の記憶は、次の場面へと飛ぶ。

 離れの小屋だった。逃げ帰ったフラカンは、彼女をそこへ連れて行った。

 

「お前らが悪いんだ!!」

 

 記憶の中でエデッタは声の限りに叫ぶ。

 

「お前たちがお母さんを殺した! お前たちが!」

 

 ずっと、そうして叫んでいたような気がする。フラカンの平手打ちが、エデッタを転がした。

 

「……エデッタ。あんたのせいで、トーヒルは死んだんだよ」

 

 床の上から、エデッタはフラカンを睨みつける。じんじんと頬に残る痛みにも負けず、ただ、相手の罪を責め続ける。

 

「じゃあ、なんでお父さんが襲われたの!? 生贄なんて嘘っぱちってことでしょ!」

 

 フラカンは、それが許せなかった。エデッタの背中を踏みつけ、体重を乗せる。

 

「エデッタ! あんた……自分が何を言ってるかわかってるのかい?」

「お母さんをっ……お母さんを返してよ!」

「ヴァーナはあんたを庇って生贄になったんだよ! この国を救うために! それがわからないのかい!」

「やだ! やだやだやだっ!」

 

 顔を床に埋めるように、エデッタは苦しい呼吸で駄々をこねる。

 

「そんなのやだっ!」

「やだじゃないのよっ! トーヒルだって……あんたが勝手に山に来なけりゃ死なずに済んだ!」

「お前ら全員嘘つきだっ! 火の山の神なんてっ全部嘘っ!」

 

 フラカンはついに、腹に据えかねた。ベルトからナイフを取り出し、鞘から抜く。彼女はそれを、エデッタの背中に当てた。

 冷たく固い感覚が、エデッタの肩に触れる。

 

「取り消しなさい、エデッタ」

「やだっ! お母さんっ! お母さんっ!」

 

 フラカンがわずかに腕に力を込めた。エデッタが悲鳴をあげて泣き叫ぶ。赤い血が溢れ、彼女の服を染めていく。

 

「痛いかい? でもねっ、トーヒルはもっと痛かったんだよ! ヴァーナもトーヒルも、火の山の神を信じて死んでいったんだ!」

「いたい……いたいぃいっ……っ!」

 

 まだフラカンはナイフを抜かない。じわじわと縦に肌を引き裂いていく。

 

「自分が間違ってたって認めな」

 

 エデッタの背に、温かい感覚が広がっていく。文字通り身を切るような激痛に彼女は悶える。だが暴れる小さな体を、フラカンはますます体重をかけて押さえ込む。

 

「言いなさい」

「ごめんなさい……」

 

 声は小さかった。フラカンはさらにナイフを動かしていく。

 

「私が間違ってました! ごめんなさいっ!」

 

 その声を聞いて、フラカンはエデッタの上から足をどかした。抜かれたナイフの先から、一滴だけ血が落ちる。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 エデッタはうわごとのようにそう続けている。フラカンは立ち上がって、顎で目の前の棚を指した。

 

「そこに包帯があるから。自分で手当てしな」

 

 フラカンはそのままエデッタを見下ろしていた。

 

「ごめんなさいっ……ごめんなさい……」

 

 まだエデッタは自失している。フラカンは振り返って、小屋を後にした。

 

「ごめんなさい……お父さん……」

 

 床がじっとりと濡れていた。

 お父さんは、私のせいで死んだ。お母さんは帰ってこない。自分は、正しい怒りを持っていたはずなのに、痛みにあっさり屈してしまった。

 小さな体は、そのまま起き上がれなかった。痛みのためではない。もう声を上げる元気もなかった。彼女は暗い小屋の中で、すすり泣き続ける。

 

 どれほど時間が経っただろうか。小屋の戸が開く音がした。エデッタはうつ伏せのまま、顔を上げる。

 

「姫様……?」

 

 火の国の長の娘、アトリ。自分と同じ年頃で、これまで何度も遊んだことがあった。彼女はいつも綺麗な服を着て、綺麗な髪を靡かせている。

 だが、今日は違った。ところどころ土にまみれ、その顔も汚れている。

 

「これを。……神座から、持ってきたのだ」

 

 彼女は、固く握っていた手を差し出した。それを受け取る元気も、エデッタにはない。アトリはわずかに指を緩めて、その中身を、エデッタに見せた。

 

「これ……お母さんの……!」

「そうだ、エデッタ」

 

 エデッタの視界にあったのは、青い石。母親がずっとつけていた首飾りだ。

 その青い石だけが鮮やかなまま、記憶の中のアトリがぼやけていく。顔も体も、縦にも横にも伸びていく。アトリの肩越しに、蜂蜜色の髪の少年が立っているのが見えた。

 

「エデッタ、立てるか?」

 

 心配そうにアトリが声をかける。反射的に立ちあがろうとして、全身の痛みに気がついた。クレイに殴られた部分にはあざが出来ている。

 

「……夢?」

「いや、現実だ」

 

 カモンの声がそう告げる。

 

「夢なら悪夢だね。無愛想なツラしてさ」

 

 エデッタは軽口を叩いてみた。舌も回る。意識もはっきりしてきた。片膝を突こうとして、崩れ落ちた。

 

「エデッタ!」

 

 アトリが彼女を抱き止めた。アトリの髪が顔に触れる。エデッタは照れくさそうに笑った。

 

「姫様……また、助けられちゃったね」

「すまぬ、エデッタ。お主の気持ちをわかってやれなかった」

「いいよ、別に。……それで、何? 逃がしてくれるの?」

 

 仰向けの彼女から見て、カモンは頭の方向にいる。抱えられた格好のまま、エデッタは顔をカモンに向けた。上下逆さまの顔は、彼女なりの照れ隠しだった。

 カモンはいつも通りの仏頂面のままだ。彼に代わって、アトリが答えた。

 

「生贄を止め、この国を救うために、火の山の神の正体を暴くのだ」

 

 エデッタは思わず、アトリの顔を見た。冗談など滅多に言わない彼女の言葉だが、エデッタは耳を疑っていた。

 アトリの表情は、真剣だった。

 

「……本気なんだ?」

「ああ。……叔母様も敵に回すことになる」

「ハナっから全部敵だよ、あたしには」

 

 エデッタは自分の顔を叩き、立ち上がった。あの姫様が、味方になってくれた。その喜びを隠すように、彼女は大きく伸びをする。

 カモンが付け加えた。

 

「その前に、密猟をする」

「はいはい。慣れたもんよ」

 

 縄が解かれた手首をさすりながら彼女は答える。

 

「アグナコトル三頭だ」

 

 口をへの字に曲げ、エデッタは毒づいた。

 

「やっぱ悪夢かも」

 

 

─────────────────

 

 

 火の山の吐く煙が、黒々と空を染めている。その山の麓、テントの天幕の下に、人影が三つ動いていた。

 緑色の防具だ。ゴーグルのかかった帽子に、一際大きい左手の籠手。体にかかったベルトは、給弾時に役に立つ。リオレイアの装備を身につけた、エデッタだ。

 

「姫様、これ」

 

 瓶だ。アトリはそれを受け取り、一息に飲み干す。口の端を拭いながら、彼女は礼を言った。

 

「ありがとう。……やはり慣れんな、この味は」

「いや、今じゃなくていいんだけどね、もっと暑い場所の寸前とかで……」

「あ……」

 

 アトリは思わず赤面する。

 

「ま、良いんだけどさ。あんまたくさん持ってきてないから……」

「すまぬ」

「おい」

 

 カモンの声だ。エデッタが振り返ると、彼は彼女に小さな丸薬を手渡した。

 

「うそっ、秘薬? いいの?」

「飯も食えてないだろう。やれるだけやるしかない」

 

 喉を鳴らして、エデッタは秘薬を飲み込んだ。

 

「本当ありがとね。あたしの装備までこっちに運んでくれたし」

「いい。行くぞ」

「それに、ちゃんと弾も揃ってるし。ガンナーやってたことあんの?」

「このくらい当たり前だろう」

 

 鼻を鳴らしてカモンは答える。アトリが口を挟んだ。

 

「いや、カモンの知識はすごいぞ。ハンターは一つの武器種を扱えれば十分だろうに」

 

 感心したように頷く彼女を見て、カモンはすぐさま取り繕う。

 

「別に、偶然だ」

 

 エデッタの口角が上がる。ギルドナイトであることを隠すためのカモンの言動は、見ているだけなら愉快ですらあった。

 

「行くぞ」

 

 カモンはひと足先に歩き出す。

 

「姫様も気をつけてね。ついてくるんでしょ?」

「うむ……」

 

 アトリは祭礼用の衣装のままだ。多少目立つが、仕方ない。何より、火の山の神の正体を暴くためには、神座に行く必要がある。彼女は、神聖なその衣装を脱ぎたくなかった。

 置いてあるヘビィボウガンをエデッタが背負う。その重みが傷に障って、彼女は小さく顔をしかめた。カモンは遠い。アトリが小声で聞いた。

 

「いいのか?」

「ん?」

「……火の国を滅ぼすつもりだったのだろう?」

 

 彼女の目には疑いがあった。もちろん、それはエデッタへの嫌悪ではない。むしろ、申し訳ないような目だった。

 

「まあね……」

 

 エデッタは空を見上げた。煙が満たす空は暗い。だが、溶岩の光が不気味にあたりを照らしている。ヘビィボウガン越しに彼女は振り返った。

 

「ジャカがさ、あたし庇ってくれたから」

 

 彼女はそう言って、緑の帽子を目深に被り直した。

 

「そんだけ」

「……わかった。すまぬ」

「いいんだって」

 

 エデッタはそう言いながら、そっと自分の胸元に手をやった。青い宝石を握りしめて、彼女は歩き出した。

 

 

────────────────

 

 ヘビィボウガンの弾丸が、黒い岩に阻まれる。すでにアグナコトルの体を覆う溶岩は、冷えて固まっていた。エデッタは舌打ちし、ヘビィボウガンを構え直す。

 

 幸いにも、左前足の溶岩は剥がせている。そこを斬りつけるカモンに業を煮やしたか、アグナコトルが左半身を持ち上げた。

 アグナコトルの四股踏みが、激しい音を伴って地面にめり込んだ。軸足が浮き上がるほどの勢いのそれは、カモンの想定よりも伸びてきた。かわしきれずに、カモンは地面を転がる。

 

「カモン!!」

 

 エデッタと、その後ろにいるアトリが声を張り上げた。

 

「来るな!」

 

 ふらつきながら立ち上がるカモン。しかし、アグナコトルはそのまま続けて、上半身を大きく持ち上げた。体重を込めてのしかかる、ただそれだけだ。だが、人間にとっては必殺の威力だ。エデッタの脳裏に、父親の姿が過ぎる。

 

 直後、カモンはまた吹き飛ばされた。先ほど以上の勢いで地面に叩きつけられ、呼吸すらままならない。

 不意に、アグナコトルが怯んだ。火属性の弾丸が、アグナコトルの頭部の岩を吹き飛ばしたのだ。

 エデッタだ。彼女はカモンを守ろうと、アグナコトルの目の前まで飛び出したのだ。

 

「やめろ、エデッタ……!」

 

 カモンは片膝をついて立ちあがろうとする。攻撃を受ける時、咄嗟に間に挟んだ腕が痛む。吹き飛ばされて強かに打った背中も、鎧の下で悲鳴をあげている。

 

 油断があった。三頭の連続狩猟に、ゆっくり戦う余裕はない。焦りがこの結果を呼んだ。カモンは反省を捨て、次の行動選択へと思考を移す。すぐには武器は使えないが、足は動く。一旦大きく距離を取り、回復薬で立て直す。カモンは冷静に判断した。

 

「来いよぉ! お父さんの仇だ! ぶっ殺してやる!」

 

 弾の装填は済んだ。エデッタはレバーを引き、ボウガンを構える。

 火の海に棲む竜は、視線の先をエデッタに変えた。まずは、こっちの人間から殺す。自分より小さな生き物を殺すことに、何の躊躇も感情もない。

 アグナコトルは嘴を横に振るった。ヘビィボウガンのシールドで防いだものの、激しい衝撃がエデッタを襲う。

 

「こいつっ!」

 

 拡散弾が、剥き出しの頭部へ発射される。だが、アグナコトルの攻撃は終わっていない。

 嘴での攻撃の勢いをそのままに、半回転して尻尾をエデッタに叩きつけた。嘴と尻尾の二段攻撃。わかっていても避けられない、アグナコトルの得意技である。

 

 ガンナーの装備は、剣士よりも遥かに脆弱だ。エデッタは悲鳴もあげられなかったが、それでも、ヘビィボウガンを杖代わりに立ち上がる。激しい呼吸。その目はどこか虚ろだった。

 アグナコトルは、溶岩を吐き出した。溶岩で地面を溶かし、強靭な嘴で穴を掘る。地中からの攻撃を狙っているのだ。

 

「エデッタ!」

 

 カモンの呼びかけにも彼女は答えない。カモンはアイテムポーチに手を伸ばす。

 アグナコトルが地中へ潜る寸前、強烈な高周波が空気を裂いた。エデッタも思わず我に返る。カモンが投げた音爆弾だ。

 その影響は、アグナコトルに最も大きく表れていた。

 

 モンスターは地中にいる時、地上や周囲の様子をを音で判断している。その聴覚に意識が集中した一瞬に、自然界にほとんど存在しない高周波の音を至近距離で聴かせることで、モンスターは驚き、周囲の様子を判断しきれずに混乱してしまう。

 アグナコトルも例外ではなかった。下半身を地中に埋め、混乱したまま足掻いている。

 

 エデッタも走り出した。その先は、暴れているアグナコトル。

 その嘴の間に、ヘビィボウガンの銃口を押し込んだ。反射的にアグナコトルはヘビィボウガンを咥え、激しく首を振る。

 

「おおおおっ!」

 

 左右に振り回されながら、エデッタはボウガンの引き金を引いた。

 通常弾がアグナコトルの口内で弾ける。一発、二発、三発。目や鼻の穴から血が吹き出す。四発、五発。アグナコトルの体内から、高熱の空気が伝わってくる。溶岩を吐き出そうとしているのだ。六発、七発。アグナコトルの嘴から力が抜けた。

 八発目の引き金を引いた時、すでにアグナコトルは動かなかった。

 

 

───────────────

 

 

「ごめん、もうちょっと横になるわ」

 

 ベッドが軋んだ。全身が痛い。肋骨も、確認するのが怖いくらいだ。

 リオレイアの素材を使った彼女の装備は、腰のパーツを外せばゆったりと寝そべることができる。一頭目のアグナコトルを倒した三人は、一度ベースキャンプに戻っていた。

 エデッタはベッドの上でもぞもぞと体を動かす。安定した姿勢を見つけると、衣擦れや装備の金具の音も聞こえなくなった。

 アトリが立ち上がった。彼女はエデッタに言われた通りに弾の整理を終え、ベッドの横からエデッタを見下ろす。

 

「大丈夫か?」

「大丈夫だって。ちょっと休めばいいだけ」

「そうではない!」

 

 アトリは眉を寄せ、唇を引き締める。

 

「何さ、姫様」

「……お主は、いつもと違う。あんな戦い方では、命がいくつあっても足りぬ」

「はいはい、気をつけまーす」

 

 仰向けだったエデッタは、寝返りを打ってアトリに背を向けた。

 

「エデッタ!」

「あたしハンターなの。姫様には危険に見えても……」

 

 エデッタは、アトリの顔すら見ることなく、上に伸ばした手を振って追い払おうとする。

 

「いや、アトリの言う通りだ」

 

 手入れが終わったのか、アトリの後ろにカモンが立っていた。

 

「山を降りろ。ここから先は二人で行く」

 

 カモンの表情は冷たい。エデッタは体を起こし、カモンを睨む。

 

「俺一人でもあの程度はどうにでもなった。だが、ガンナーのお前のあの行動は異常だ」

「あんたがピンチだから助けてやったんじゃん。何その言い方」

 

 棘のある言い方だった。険悪な雰囲気に、アトリが割り込む。

 

「カモンも私も、お主を責めたいわけではない。しかし……今のやり方では死んでしまう」

 

 エデッタは舌打ちした。アトリは心配そうに彼女を見る。ため息の後、エデッタは答えた。

 

「いいじゃん。それで」

 

 彼女は冷笑した。軽く顎でしゃくるようにして、アトリを示した。

 

「もう嫌なんだよ。あたしのせいで、人が傷つくの」

 

 そう明るく笑う彼女の目は、アトリの腹の辺りを漂っていた。

 カモンが口を開いた。

 

「……俺は、お前のせいで怪我したわけじゃない」

「一緒だよ。あたしの目の前だったら」

 

 そう答えながら、エデッタは自分を惨めに感じていた。理屈ではない。冷めているようで、自分のくだらない感傷で生きている。その自分が、馬鹿馬鹿しいのに止められない。

 

「トーヒルが死んだ時のことは、叔母様から聞いている。お主は責任を感じているのだろう」

「そうかもね」

「それに……父上の、ジャカのことも」

「もういいじゃん。あと二頭、がんばろ」

 

 共感を示すアトリの言葉も、エデッタは突っぱねた。ベッドに両手をついて体を滑らせ、足を地面へ下ろす。だが、次のアトリの言葉は、共感でも、攻撃でもなかった。

 

「私の身にもなれ、エデッタ」

「はあ?」

「人に傷ついてほしくないのは私も同じだ」

「あのね、姫様。……お父さんは、私のせいで死んだ。ジャカ様だって、私のせいでギルドにしょっぴかれたんだよ」

「そしてお主は私のせいで死ぬのか! 私にも、お主のように悲しめというのか!」

 

 ベッドの上に身を乗り出し、アトリはエデッタの胸ぐらを掴む。

 

「姫様、ちょっと……」

「……エデッタ。お主にも思うところはあるだろう。だが、死んではならぬ」

 

 アトリはエデッタに顔を近づける。その時初めて、エデッタは、目の前の姫の目が潤んでいることに気づいた。

 

「要らぬ心配をさせるな。……それがお主の罪滅ぼしだ」

 

 そう言って、アトリはエデッタの体を抱きしめる。鎧のせいで、体温もほとんど伝わらない。だがエデッタは、彼女の腕を振り払えなかった。

 

「……わかったよ。ごめんね」

 

 

─────────────

 

 

 エデッタは小さな穴を掘った。細いが、深さはおよそ足が太もも近くまで埋まるくらいだ。穴の中に、起点となるトラップツールを設置する。ネットが展開された。エデッタは、その端についた小さな杭を、円状に打ち込んでいく。

 

「ごめん姫様、手伝える?」

「うむ。これだな?」

 

 事前に、小さなハンマーを渡されていた。アトリはエデッタと背中合わせに、杭を黒い地面に突き刺した。

 

「早いな」

 

 アトリが一本打ち終わる頃には、エデッタはもうネットの反対側にいた。半分近くを打ち込んでいたのだ。

 

「慣れてるからね」

「……すまない」

「いいんだよ。あたしが姫様だったら、今日くらいは、自分でも動きたいもん」

 

 あざだらけの顔でエデッタは笑った。

 杭を全て打ち終わると、トラップツールに内蔵された爆薬が作動した。地中での爆発が地面を弾き飛ばし、大きな穴と、その周囲に小高い土溜まりを形作る。

 落とし穴はシビレ罠と違いセッティングには時間がかかるが、その分拘束時間は長く、相手を選ばずに使用できる。

 

 やや高い遠吠えが聞こえる。二人は声の方に目をやった。赤く大きな体。アグナコトルだ。

 四本の足を振り乱し、アグナコトルが赤い鎧のハンターを追いかけている。エデッタは両腕で大きな丸を作った。赤い鎧のハンターは頷き、こちらに向かって走って来た。

 

「危ない!」

 

 アトリが叫んだ。背後のアグナコトルは、嘴を打ち鳴らす。大技を繰り出す際のアグナコトルの習性である。

 その口から、まっすぐに溶岩が吐き出される。溜め込まれた多量の溶岩は体内の圧力に絞り出されまっすぐに飛んでいく。アグナコトルはその頭と溶岩を、足元から真上へと振り上げた。

 真横に転がったカモンのすぐそばを、熱線が薙ぎ払う。かわしはしたが、地面に残る溶岩の熱が、じわりと彼の肌を伝う。

 

「下がってて、危ないよ」

「うむ!」

 

 エデッタの声は、落ち着いていた。余裕があるからではない。感情すらも、戦闘のために削ぎ落とす。彼女は視線をアグナコトルから逸らさず、ヘビィボウガンを両手でしっかりと構えている。

 アグナコトルは溶岩を吐き出して地面を溶かす。そのまま柔らかくなった足元に嘴を突っ込んで、身を捩って掘り進む。

 

「エデッタ!」

 

 カモンが叫ぶ。ヘビィボウガンを背負い直し、エデッタは走る。彼女は今落とし穴の近くにいる。地中を掘り進むアグナコトルが落とし穴に接触すれば、せっかく掘った穴が崩されてしまうのだ。

 

 アグナコトルの狙いはやはりエデッタだった。地中からの嘴が、エデッタに迫る。

 リオレイアの鎧は強固ではあるが、ガンナー仕様となれば防御力は落ちる。その上、アグナコトルの攻撃は強力だ。

 だが、エデッタは前方に体を投げ出すようにして跳んだ。間一髪、そのつま先を嘴が掠める。立ち上がったエデッタは、油断なくアグナコトルを見据えながらポーチに手を伸ばした。

 上半身だけを地面から出し、アグナコトルは周囲を窺う。カモンは怯えることなく切り掛かった。体表の溶岩を弾き飛ばし、次々と双剣を突き立てる。

 

 圧倒的な体格差は、耐久力の違いとなって現れる。痛みを感じていないのか、アグナコトルはまた嘴を鳴らした。

 カモンはアグナコトルの胸元へ転がる。二度目の溶岩熱線が地面を焼き、周囲を火の海へと変える。

 だが、胸元にいたカモンには当たっていない。彼はアグナコトルのこの攻撃の死角を突いた。幸いにも、アトリやエデッタにも当たっていないようだ。

 

 地中から飛び上がり、四肢で地面に降り立ったアグナコトル。その視線は、遠くで回復薬の瓶を傾けるエデッタに向いていた。

 彼女は両腕を振り上げた。ギルド奨励の回復体操だ。はっきり言えば、こんな体操をしている場合ではない。アグナコトルは足音を鳴らして迫っている。

 

 だが、アグナコトルは足を踏ん張ることもできずもがいていた。地面が急に消えた。彼はそう思っていた。

 エデッタとカモンが視線を交わし、武器を構える。

 ネットは、重量に耐えきれず断ち切られた。その下の落とし穴に体を半分ほどまで埋め、アグナコトルがもがいている。

 

 全身から闘気を漲らせ、カモンは両腕を振るった。一太刀一太刀が甲殻を切り裂き、血を飛び散らせる。

 アグナコトルが、地上に出ることはもうなかった。二発の弾丸が着弾すると、アグナコトルはぐったりと倒れ込む。

 独特の赤い煙に、カモンは鎧越しに鼻を手で覆った。

 

「ごめんね、時間ないから」

「だとしても、だ。……今、こいつを運ぶ余裕はない。」

 

 足でアグナコトルの頭を押し、カモンは双剣を握り直す。彼の視線は、アグナコトルの喉に向いていた。

 アトリは合点が行ったように呟く。

 

「捕獲用麻酔弾か」

「うん、そう。まあ、今は捕獲したって運べないけど」

 

 エデッタはそう答えながら、麻酔が効いて眠り込むアグナコトルに近づいていく。

 血が飛び散った。喉笛と動脈を掻き切られたアグナコトルの傷口から、呼吸音が血を吹き出しながら漏れている。それはやがて弱々しくなっていき、最後には止まった。

 返り血を浴び、カモンの鎧はさらに赤黒く染まっている。

 

「ごめんね、カモン。ヤなことやらせちゃって」

「いい。意識がないだけ、こいつも苦しまずに済んだだろう」

 

 二人は剥ぎ取り用のナイフをポーチから取り出す。それは、ハンターとしての、モンスターへの礼儀だった。

 

「……そうだな。今は、手段を選んではいられぬ」

 

 アトリはそう呟き、二人のハンターに近づいていった。

 

「二人とも、手を止めずともよい。聞いてくれぬか」

「何ー?」

 

 言われた通り、エデッタは振り向かずに応えた。アグナコトルの分厚い鱗は、剥ぎ取るのも一苦労だ。

 

「アグナコトルの狩猟はここまでだ」

 ハンターたちの手が止まった。彼らはアトリに目を向ける。

 

「どういうこと?」

「三頭が暴れているからこその問題だったのだ。一頭だけならば、縄張り争いもない」

「そりゃそうだけどさ、いいの?」

 

 エデッタが心配そうにアトリの顔を覗き込む。密猟者が心配し、受付嬢が決まりを破る。その奇妙な立場に、アトリは頬を緩めた。

 

「これはクエストではないからな。今はそれよりも、火の山の神だ」

 

 彼女の口角が下がる。真剣な面持ちだ。

 

「火の山に登ると、声がはっきりと聞こえてくるのだ。人間なんか、火の国なんか滅んでしまえとな。……急ごう。正体を見極めるのだ」

 

 カモンが剥ぎ取りナイフの血を拭って立ち上がった。

 

「わかった。俺たちも消耗している。今のまま三頭目を相手するよりも、その方がいい」

「じゃあ、え、何。行くの?」

 

 エデッタは二人の顔を交互に見ている。アトリは目を閉じ、ゆっくりと、はっきりと頷いた。

 

「ああ。……神座に向かうぞ」

 

 アトリには、神の声がはっきりと聞こえていた。

 

 

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