火の国なんて滅んでしまえ!!   作:中津戸バズ

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火の山の神

 

 

 細い木切れを、紅蓮石に押しつけた。木切れの先に、明るい火が灯る。女はその火を、咥えた煙管へと移そうとする。

 しばらくしてようやく、中の葉に火が着いた。彼女は口から煙を吐き出しながら、その火を育てていく。息を吸うことで煙管の中に風を起こし、火を大きくしていった。

 安定した火が生み出す煙で、彼女はゆったりと肺を満たす。

 

 開いた窓からは、弱い光が差し込んでいる。火の山の煙が、今日は分厚かった。

 ジャカの邸は、静かだった。召使いのアイルーが、フラカンが座る居間に顔を出した。

 

「朝食の準備をなさいますかニャ?」

「ああ……。アトリは、まだ寝てるのかい?」

「いえ、存じませんニャ。確かめて来ますニャ」

「ありがとう」

 

 いつものように、彼女は食事の席に座る。隣に座るはずのジャカは、もういない。

 

「フラカン様! フラカン様!」

 

 邸の外からクレイの声がする。木戸を激しく叩く音。

 

「入りな、クレイ」

 

 フラカンがそう声を上げると、木戸を蹴破らんばかりの勢いで、クレイが邸に飛び込んできた。

 

「どうしたんだい、朝から」

「エデッタがいません!」

「何だって?」

「朝飯を持っていったんですが、もぬけの空で……」

 

 フラカンは座ったまま考え込む。視界の端に、召使いのアイルーの姿が映った。彼女はアイルーに聞く。

 

「アトリは?」

「……いませんニャ」

 

 おずおずとアイルーは答えた。フラカンは、額に手を当てため息をついた。

 

「どういうことですか、これは。あいつどうやって……」

「アトリが逃がしたんだよ。一緒に逃げたんだ」

「そんな……それじゃあ生贄は」

「人を集めな。それから、カモンとエデッタの家も見ておいで」

 

 彼女の意図を図りかねて、クレイはまごついた。

 

「ええと……」

「装備が無くなってるはずだよ。……あいつら、火の山に行ったんだ」

「火の山に!?」

 

 クレイが目を見開いた。火祭りの間、火の山は立ち入り禁止だ。

 

「ああ、そうさ。だから日暮れまでに、エデッタを連れ帰る。それで儀式は進められるさ」

 

 安心させるように、フラカンは微笑んだ。

 

「はいっ! わかりました!」

 

 クレイも笑顔で駆け出していく。木戸が閉まった。クレイが駆け込んでくる前の静寂が戻る。

 フラカンは立ち上がった。乱暴に頭を掻き、不愉快そうに吐き捨てる。

 

「どいつもこいつもっ……!」

 

 彼女は怒りを抑えようと煙管を吸った。その煙は、火の国を覆う火の山の噴煙と同じように、邸の天井に溜まっていった。

 

 

───────────────

 

 

 顎を伝った汗を、アトリは手の甲で拭った。汗は手に浮いた汗と混じって、指先の方へ垂れていく。

 

「大丈夫?」

「ああ……」

 

 エデッタの問いかけに、彼女は虚ろな様子で答える。歩き慣れたハンターたちと違い、彼女は素人だ。エデッタは彼女を心配そうに見つめている。

 

「休もうか? 今日、特に熱いしさ」

 

 空気が熱い。火の山の溶岩は、今日は訪問者を拒むような熱を持っている。アトリは答えずに、足を進めようとする。

 尾根の上で、カモンが立ち止まっていた。風通しがよく、いくらか涼しい。

 

「休憩だ」

「大丈夫だ、私はまだ……」

 

 アトリはそう首を振った。しかしエデッタは、尾根の上に腰を下ろす。

 

「ああ〜〜っ、疲れた!」

 

 怪訝そうなアトリの視線に、エデッタは気づかないふりをした。

 

「ありがと、カモン。装備も重いし、アグナコトルにやられたとこも痛いし。きゅーけーい」

 

 背中のヘビィボウガンも地面に置いて、大きく伸びをした彼女は、そのまま仰向けに寝そべった。

 アトリも、少し遅れて腰を下ろす。眼下には、赤黒い山肌が広がっている。

 

「すまぬな、二人とも」

「私の身にもなってくれ、ってね」

 

 そう言ってエデッタは笑った。カモンの口角も、少し上がっている。

 彼らは、決してアトリを急かす事はなかった。だからこそ、アトリも安心して口を開いた。

 

「……声が、大きくなっているのだ」

「ああ、例の、『火の国なんか滅んでしまえ』って」

「うむ。火山活動の活発化も関係しているのかもしれぬが……」

 

 エデッタの返事に頷いたかと思うと、アトリはそのまま顔を俯かせた。カモンが尋ねる。

 

「その声が、お前の体調不良の原因か」

「否定はできぬ。重圧とも言えるだろう。『篭り』の時も、ひどい頭痛があった」

 

 アトリが、顔を覗き込むようにして聞いた。

 

「どうする? 一旦降りる?」

「駄目だ。エデッタ。本来なら、お主は生贄の身だ。叔母様もお主を探しているだろう」

 

 見つかれば、エデッタは殺される。カモンがアトリのすぐそばまで歩いてきた。

 

「……もし、火の山の神が本物だったら、どうする?」

「え?」

「意味があるなら、お前はエデッタを生贄にするつもりか?」

 

 尾根の傾斜の上から、カモンはアトリを見下ろしていた。尾根の下の溶岩の光が、彼の横顔を照らしている。彼女は視線を合わせられず、俯く。

 答えに窮したアトリに代わって、エデッタが立ち上がった。

 

「やめなよ、カモン。別に姫様がどう思ってようが、あたしには関係ない。生贄になったって、一人で逃げ出しちゃうんだから」

 

 肩をすくめて彼女は笑う。だが、それをアトリが手で制した。

 

「いいのだ、エデッタ。カモンは私に聞いている」

「姫様……」

「もし生贄が本当に火の国を救うことになるならば、私は生贄を捧げるだろう」

 

 立ち上がりながらアトリは答えた。その発言は、エデッタを犠牲にしてもいい、という意味にとれた。

 カモンは微動だにせずアトリを見つめている。彼女は怯えることなく、まっすぐに目を合わせた。

 

「だが、生贄もまた火の国の民だ。……私には守る義務がある」

「姫様……」

 

 エデッタの明るい声がした。アトリは彼女に微笑みかける。

 

「私たちは生き残る。たとえ火の山の神が怒ろうと、足掻き続けるのだ」

 

 アトリは、胸の前で拳を握っていた。斜面の上、ごうごうと煙を吐く火口へ向かって、彼女は誓った。

 

 

────────────────

 

 神座を示す、縄と杭。それを、アトリは跨ぎ越す。エデッタとカモンがそれに続いた。

 

「こんなとこだったんだ……」

「ここから東の方に小屋がある。そこは風通しも良くてな。篭りの時もそこを使う」

 

 エデッタは神座に入ったことがなかった。もちろん、カモンもだ。

 黒い岩肌が広がる先に、煙を吐き出し続ける火口が見える。そしてその光は、火口からの光を映してぼんやりと光っている。

 

 火口の近くに、人が一人横になれるほどの祭壇があった。金属製の重々しい祭壇は、火の国らしい民族的な紋様で飾られている。

 エデッタはいつのまにか、その祭壇へ駆け出していた。この火口近くの熱に焼かれたその表面にも、やや黒ずんだ跡がある。エデッタはその表面を、震える指で撫でた。

 血の跡だ。彼女は、拳を握りしめた。

 

「ここには、モンスターは来ないのか?」

 

 カモンが問いかけると、アトリは頷いた。

 

「おそらくは……火の山の神が関わっている」

 

 カモンが尋ねると、アトリは手で火の山の神の方向を示す。彼女が指差した先は、その火口だった。

 すり鉢状というにはあまりに急すぎる傾斜を、激しい溶岩の光が照らしている。煙で空は覆われているが、それでもなお、昼間の太陽のような明るさがそこにあった。

 

「火の山の神は、その火口の中だ。……声が聞こえる、間違いはない」

「え〜〜〜っ!?」

 

 振り返ったエデッタが、驚愕の声を上げた。

 

「これ、行くの無理でしょ!?」

「……俺が行こう」

 

 カモンはそう呟くと、火口に背を向けて歩き出す。

 

「えっ、ちょっと! どうすんの!?」

 

 追いかけてくるエデッタには目もくれず、カモンは神座を囲む杭に手をかけた。杭を脇に挟み、地面を踏み締める。食いしばった歯が軋んだ。

 ぼこり。彼は杭を引き抜いた。意外にも、土やカビの匂いはなかった。彼の狙いは、杭同士を繋ぎ、神座を示す縄だった。

 

「なるほどね」

「エデッタ、お前も手伝え。急ぐぞ」

 

 何本か杭を抜けば、縄は簡単に集まった。見たところ、火口から溶岩までは十メートルにも満たない。

 

「これだけあれば十分だ。やるぞ」

「いいけどさ、あんたこれで降りる気?」

 

 アトリは火口近くで待っている。彼女の元に戻る道中で、カモンはてきぱきと自分の体に命綱となる縄を縛っていく。

 

「何だ?」

「どっかに縛り付けとけとかないと、落ちちゃうでしょ」

「なるほどな、あの縄を使ったのか」

 

 二人はちょうど、アトリの元に戻ってきたところだった。納得して、アトリは頷く。カモンはそれに答えず、アトリとエデッタに縄の端を渡した。

 

「え?」

「頼むぞ」

 

 言うが早いか、カモンは火口の中へ飛び込んだ。

 

「うおおおおおっ!?」

「待っ、待て! 待て!!」

 

 エデッタとアトリは、突然押しつけられた生殺与奪に目を白黒させながら、足を踏ん張り、縄を握りしめる。

 引きずられた足の跡が、真っ直ぐに地面に刻まれていく。汗の滴が、地面に落ちた。それはすぐに蒸気に変わる。

 アトリは疲れ切っている。当然だ。登山ですら彼女には楽ではなかった。ましてや、装備をつけた人間一人を支えるのは楽ではない。

 

「一メートル伸ばせ」

 

 火口に響かせながら、カモンの声が聞こえてくる。

 

「勝手すぎでしょ、あいつ……!」

 

 エデッタはそう愚痴をこぼす。アトリには、それだけの余裕は、もうない。

 不意に、縄が軽くなった。最悪の展開を想像し、エデッタが叫ぶ。

 

「カモン! カモンっ!!」

「生きてる! ……降りてこい!」

 

 カモンの声は、まだ元気だった。だがその指示は、ますますエデッタを苛立たせた。

 

「あのさ、降りてこいって言われても、縄の支えがないんだって!」

 

 言い返しながら、彼女はふと、視界の端の祭壇に気づいた。それから彼女は、小さなため息と、自嘲的な笑いを漏らした。

 しばらくの後、祭壇の根元に縛りつけた縄が、ぎしぎしと音を立てていた。だが、動く様子はない。張り詰めた縄の先は、火口へとつながっている。

 

 火口の傾斜は急だったが、途中に隆起が二段あった。今、カモンたちはその隆起の二段目、下側に立っていた。

 火口の外側からは、一段目の隆起の陰になって、この部分はほとんど見えない。

 

 溶岩から立ち上る熱が刻一刻と体力を奪う今、クーラードリンクすらもほとんど役に立たない。縄を掴み、ふらふらとアトリが火口を下っていく。

 すでに下に降りていたエデッタが、彼女を見上げて声をかける。

 

「姫様、大丈夫ー?」

「う……うむ!」

 

 不安を誘う答えが返ってきた。

 

「あれだよ? あたし、全然そっち行ってもいいからさ……」

 

 握力が緩んだか、それとも汗のせいか、アトリは縄から離れ、傾斜に沿って、ほとんど落下するように滑り落ちてくる。エデッタとカモンが、体を張って彼女を止めた。

 伊達にハンターをやっているわけではない。エデッタもカモンも痛みに顔をしかめているが、すぐにアトリを助け起こした。

 

「もう、別に上で待っててもよかったのに」

「いや……カモンが降りてこいと言ったのだ。何かあるのだろう?」

 

 アトリがそう尋ねると、カモンは小さく頷き、壁面を指差す。

 

「……卵?」

 

 火口の壁面に、奇妙なものが見えた。壁に埋まった、大きな鈍色の卵。エデッタの第一印象はそれだった。

 人間が何人も入れるほどの卵だ。表面が焼かれ煤で汚れていたが、金属のように見えた。何より、取っ手らしきパーツも見える。人工物であることは間違い無いだろう。

 

「アトリ、火の山の神は?」

「……そこだ」

 

 アトリも同じく、その金属の卵を指差した。カモンはその卵に近づいていく。彼はその手を伸ばし触れた。

 リオレウスの素材で作った手甲は、高い耐熱性を持つ。だがそれでも、カモンは熱さに表情を歪めた。

 がちゃん、と音が鳴った。何かの仕掛けがあったのだろうか。金属の卵の蓋が開いていく。

 カモンたちはいっせいに、顔を腕で覆った。中から溢れ出てくる、さらなる熱気。

 

 再び目を開けた時、その卵の中に、彼らはおぞましいものを見た。

 それは、卵の中で輝く卵黄を抱きしめながら眠るトカゲ。二対の脚に、片翼。もう一方の翼は、金属でできていた。

 痩せ細った体に不釣り合いな大きな頭。大きな両目が、時折閉じられたまま蠢く。薄い皮膚からは、四肢や翼の骨が透けて見えた。

 呆然と、彼らはその生物を見つめる。ある言葉が、カモンの口をついて出た。

 

「禁忌のモンスター……!」

「え……禁忌って」

 

 エデッタがおうむ返しした。カモンは視線をそれに注いだまま、矢継ぎ早に答える。

 

「黒き太陽。黒龍伝説。聞いたことがあるだろう」

「あ、あるけど……それって、ほら、御伽話でしょ?」

「おそらく、こいつもそれだ」

「……嘘でしょ……」

 

 エデッタは、開いた口が塞がらなかった。

 古龍種は、ギルドでも数人しかいないエリート中のエリートがようやく討伐できるような存在だ。ましてや、禁忌のモンスターとなれば、彼女が信じられないのも無理はない。

 

「古龍、なの?」

「俺も生きているのを見るのは初めてだ。だが……翼に加えて、二対の脚。古龍種であることは間違いない」

「でも、ほら、あれ」

 

 エデッタは何も分からなかった。彼女は震える指で、片方の翼を指差す。翼を留める金属のビスは、その肌に突き刺さっている。

 

「幼体を……人間が改造したんだ」

 

 カモンは足元に目を落とした。古代文明のことは、彼もある程度だが知識はある。竜騎兵と呼ばれる、モンスターを人為的に改造した兵器の存在も知っていた。

 火の山の神の正体は、モンスターだった。人の手で作り替えられた忌むべき姿。恵みをもたらす慈愛も、裁きを下す厳格さもない。ただ怒りと苦しみを撒き散らすだけの存在だった。

 

「これが……火の山の神か……」

 

 呆然と呟く声がした。アトリだ。彼女の信仰は、全て崩れた。彼女は震える視線で精一杯にその龍を見つめている。

 しばらくの間、彼らは無言だった。汗ばむことすらできない熱気の中で、その暑さすら忘れていた。

 

「どうする?」

 

 ようやく、カモンが口を開いた。エデッタも我に返る。しばし考え込んでいた様子だったが、彼女は笑顔を作った。

 

「……こいつが怒ったら、モンスターが暴れる。だったらやることは一つでしょ」

 

 ヘビィボウガンを両手で持ち、中折れ型の銃身を開く。分かたれていた銃身は一直線の筒となり、彼女の腕の中から龍を狙う。

 

「あたしたち、ハンターなんだから」

 

 レバーを引くと、弾丸が装填される。エデッタはヘビィボウガンを構えた。

「待て」

 

 アトリが、彼女の肩を掴んでいた。エデッタは振り向いた。

 

「放っておけっての? こいつを?」

 

 感情が昂っていく。十年分の憎しみは、いまだ燻り続けている。

 

「あたしは絶対嫌だよ! こいつのせいで、お母さんもお父さんも、ジャカだって!」

 

 だが、アトリの返答は予想外だった。

 

「私もやる。この国の神を殺すのは、利用してきた我が一族の仕事だ」

「利用って……」

「頼む。私は神の声を聞いてきたのだ」

「……いいよ。ちゃんと持ってね」

 

 アトリは頷いた。ヘビィボウガンの銃身を支え、その引き金にかかったエデッタの人差し指に、自分の指を合わせる。

 

「改造された苦痛が憎しみに変わり、モンスターたちに国を襲わせていた。フェロモンや超音波……あるいは私のような、共鳴。未だ解明されぬ方法で、モンスターが他のモンスターに介入した事例はいくらでもある」

 

 アトリは誰に言うでもなく、呟く。それは、罪悪感を堪えるための儀式だった。ボウガンを構えるエデッタにも、それは伝わっていた。

 卵のような保育器の中で、龍は小さく身をよじらせる。外の空気を感じたのだろうか。この龍は、何年ぶりに外の空気を感じたのだろうか。時折動く眼球が、内側から瞼をひくつかせる。

 その火の山の神は、周りのことを何も知らぬまま、ただ、人間への憎しみをたぎらせてきたのである。

 

「……『火の国なんか滅んでしまえ』、か」

 

 彼女はそう独りごちる。ボウガンの引き金が重かった。

 

「火の山の神よ。許したまわずとも構いませぬ」

 

 エデッタの耳に、澄んだ声が響く。隣で、共にボウガンを支えるアトリの声だ。エデッタは姫君に目をやり、頷く。

 銃声。甲殻もない剥き出しの小さな体に、弾丸が突き刺さる。龍の体の傷口から、溢れた血が垂れていく。エデッタとアトリは、続けて何度も引き金を引いた。

 

 装填された弾を撃ち切った時、二人はどちらからともなく、ボウガンをその場に落とした。

 血まみれの龍は、もう体を動かすことはなかった。一度も、声一つあげることなく、死んだ。

 

「せめて、安らかにお眠りください」

 

 アトリは額の前で両手を組み、目を閉じた。彼女にできる、火の国の神への、最大限の弔いだった。

 その隣で、エデッタは天を仰いだ。噴煙に満ちた空は、変わらずに暗いままだ。溶岩の光に照らされた赤い煙は、高度を上げるに従って、色を失い散っていく。

 

「ダメだなあ、あたし。せっかく、ぶっ殺したってのに……」

 

 彼女はそのまま、手で目元を覆った。

 

「全然、スッキリしないや」

 

 彼女の顔は、カモンからは見えなかった。

 

 

─────────────────

 

 三人は歩いた。無言だった。

 気がつけば景色は変わり、溶岩の光は薄まっていた。切り立った岩場が視界の右側を覆い、足元に広がる黒い岩肌に、転々と溶岩が見えるばかりだ。

 カモンが片手を上げる。エデッタとアトリは、それを見て足を止めた。彼は前方をじっと睨んでいる。

 

「見つけたよ、アトリ」

 

 稜線から、背の高い女が姿を現す。フラカンだ。彼女は後ろに、十人ほどの男たちを連れていた。彼らは皆、手に槍を持っている。

 アトリが声を上げた。

 

「叔母様、お話があります。よろしいですね」

「ああ、いいとも。ただし、その薄汚いハンター二人を引き渡してもらってからね」

 

 いつもの挑発的な笑みはない。彼女の後ろで、クレイが喚いた。

 

「おいエデッタ! てめえ、よくも逃げ出しやがったな!」

 

 怒鳴り声を上げるクレイ。フラカンは、低い声で言った。

 

「……ハンター二人は、殺しても構わない。やっちまいな」

「え……殺すんですか?」

「そうだよ」

 

 フラカンはこともなげにそう言った。男たちから返事はなかった。だが、槍を両手に持ち、木でできた柄を握りしめる。

 

「待て、皆の者!」

「早くやれっ!」

 

 アトリの制止をかき消すように、フラカンは声を張り上げる。男たちは、雄叫びをあげて駆け出した。

 

「エデッタ。アトリを頼む」

 

 カモンは双剣を抜いた。両手に構えた双剣の向こうに、男たちを睨む。

 男たちとカモンは、ちょうどアトリとフラカンの中心でぶつかった。

 

 突き出された槍をひらりとかわし、その腕を切り付ける。横薙ぎに振るわれた槍の穂先は、カモンの体を捉えることなく柄ごと切り落とされた。その顎めがけて、強烈な回し蹴り。

 

 飛び込みざま、もう一人の腕を切り付ける。カモンは、彼を襲う男たちの列の中心に躍り出た。男たちはカモンを突き殺そうとして、躊躇する。この距離では、味方にも当たる。

 跳び上がったカモンは、両足を開いた。左右に立つ二人の男の顔面を、それぞれの足で蹴り上げる。

 

「野郎っ!」

 

 クレイが叫び、空中のカモンを槍で突き刺そうと突進した。

 だが、カモンはその槍を剣でいなして抱え込んだかと思うと、足をその柄に巻きつける。カモンが身を捩った次の瞬間、槍はカモンの左足に奪い取られていた。

 

 一瞬の早技。クレイが驚いたその次の瞬間には、足で振るわれた槍の石突が、男たちを三人吹き飛ばす。

 すでに距離はない。男たちが槍を短く持ち替えようとする隙に、カモンは素早く体を回転させる。

 赤い竜巻を、男たちは幻視する。槍を持つ腕から、いつの間にか血が吹き出している。それに気づいた直後に、ようやく激痛がやってくる。

 

 悲鳴を上げる男たち。だが、丸腰のクレイだけは、恐れることなくカモンに飛びかかった。

 胴体へ組み付き、押し倒そうと両足を踏ん張る。だが、無駄だった。自分より遥かに軽いはずのカモンの体が、地に根でも生やしたように動かない。

 だが、動けなければ逃げることもできない。クレイは声を張り上げた。

 

「今だ、やれ!」

 

 動きを封じたカモンを、仲間たちが攻撃する。そのはずだった。だが、いつまで待っても仲間たちの援護はなかった。

 すでに、フラカンが連れてきた男たちは、クレイ以外の全てが無力化されていたのだ。それに気づき、クレイは顔を歪めてさらに力を込めた。

 

 次の瞬間、彼の背中に鈍痛が走る。カモンは剣の柄で、背中を打ち据えたのだ。

 思わず膝をついたクレイの胸に膝蹴りを打ち込み、カモンは距離を取る。だが、クレイはまだ諦めていなかった。

 地面に転がる槍を掴み、さらにカモンに突進する。これまで積み上げてきた全てが破壊される恐怖から逃げるように、地面を蹴って走り出す。

 

 カモンは右手の剣を納めた。

 クレイは勢いのまま、地面に突っ伏していた。槍の柄を握るカモンの手が、クレイの勢いを逸らしたのだ。その穂先は、カモンの胸に触れてすらいない。

 槍の柄が蹴り飛ばされた。てこの原理で、クレイの手から槍が離れる。カモンは一歩跳び退き、左手の剣をクレイに突きつけた。

 

「なめんなっ、俺は!」

 

 彼は剣にも怯えなかった。立ちあがろうとする彼の肩に、一撃。カモンが奪った槍の石突が叩きつけられた。

 クレイが倒れた今、もう戦力はなかった。腕を押さえているもの、胸を押さえているもの。彼らにはもう、戦意はない。だが、命に関わる怪我はないように見えた。

 

「な……!」

 

 フラカンが目を見張る。これだけの数の敵を相手に、カモンはあっさりと制圧してみせた。

 思わず後ずさった彼女に、エデッタが声をかける。

 

「おおーっと、ダメだよフラカン。あたしのボウガン、当たると痛いじゃ済まないんだから。大人しくしな」

 

 エデッタの銃口は、フラカンに向いている。カモンの規格外の強さとこの状況に、彼女は言葉を失った。

 アトリが一歩進み出た。彼女は眉を寄せ、しっかりとフラカンを見据えている。

 

「叔母様。まだ火の山の神の声は聞こえますか」

「……聞こえるねえ」

 

 強がるフラカンに、アトリは真実を告げた。

 

「火の山の神は、死にました。私が殺したのです」

 

 フラカンは目を見開いた。地に伏せる男たちの間に衝撃が走る。火の山の神を殺した。それも、あの信心深い姫様が。

 うめき声と共に、ざわめきが広がる。アトリに注がれた彼らの目を、フラカンの声が引き戻す。

 

「でまかせだよ。あたしにはまだ火の山の神の声が聞こえるんだ」

「火の山の神の正体はモンスターでした。古代文明が生み出した、怪物だったのです」

 

 倒れていた男たちは、フラカンの方へ振り返った。告げられた事実は、とても信じられない。彼らは、指導者の言葉を待った。

 

「叔母様。火の山の神が怒ればモンスターが暴れる。すなわちそれは、火の山の神がモンスターを操っているということです」

「そんなわけがあるかい! 火の山の神は生きてる! みんな、惑わされるんじゃないよ!」

 

 フラカンは声を荒げた。必死な叫び声が、火の山にこだまする。だが、男たちに立ち上がるそぶりはない。

 

「あー、なるほどねえ。フラカン、あたし、あんたの気持ちがわかるよ」

 

 エデッタの声だ。見れば、彼女は勝ち誇った笑みを浮かべている。

 

「火の山の神が嘘っぱちだってわかったら、あんたのやってきたことは、ぜーんぶ無駄だったってことになる。生贄も何もかも」

 

 笑顔の中で、彼女は大きく開いた目でフラカンを見つめた。

 

「だから、必死になって信じてるんだろ。違う?」

 

 図星だった。フラカンにはもう、火の山の神の怨嗟の声は聞こえなかった。

 沈黙が続いた。フラカンの視線は、彼女の足元に落ちている。男たちにも、その動揺は伝わっていた。

 

「ふ……フラカン様!」

 

 クレイが悲痛な声を上げた。カモンに叩きのめされた痛みではない。信じる神を失いかけた彼は、指導者の言葉を求めている。

 だが、フラカンは一言も発さなかった。たった一つの答えが、そこにはあった。

 アトリは語りかける。

 

「叔母様……私は叔母様を責めるつもりはありませぬ。ただ……」

 

 彼女の言葉はそこで止まった。低く聞こえる地響き。その正体が、溶岩と共に地面を突き破る。

 たくましい足を地面に叩きつけるように、そのモンスターはアトリたちの後ろに着地した。赤い溶岩が、その体から垂れ落ちる。鋭い嘴、特徴的な背鰭、巨大な体躯。反射的に、エデッタが叫んだ。

 

「アグナコトル!?」

「炎戈竜か!」

 

 その場にいる誰もが思わず耳を覆ってしまうような、けたたましい咆哮。空気を震わせ、アグナコトルは人間たちを見回した。

 

 縄張りに現れた人間どもは竦み上がっている。倒れ込んでいる人間どもを食い散らかすのは簡単だ。赤や緑の人間たちは手強いだろうが、消耗しているようにも見える。雌の柔らかい肉から食べてやってもいい。

 アグナコトルが標的を定めるより早く、カモンの声が響いた。

 

「目をつぶれっ!」

 

 次の瞬間、激しい光がその場を満たした。閃光玉だ。視界を奪われ、アグナコトルは驚いている。

 

「走れっ! こっちだ!」

 

 カモンが走り出す。倒れていた男たちもすぐさま立ち上がり、傷の痛みも忘れ、肩を貸し合いながら逃げ出していく。

 アトリとエデッタもその後に続く。だが、エデッタは気づいた。

 

 フラカンが両目を覆ったまま立ち尽くしていた。突如現れたアグナコトルに驚いた彼女は目を閉じられなかった。

 閃光玉の光に目が眩んだフラカンは、ふらつきながらあとずさる。アグナコトルはすぐに視界を取り戻す。そうなれば、逃げ損なった彼女は、間違いなく殺されるだろう。

 

 エデッタは迷った。それは、時間にして、ごくわずかな間だった。

 自分の舌打ちの音を、エデッタは聞いた。フラカンの前を通り過ぎた彼女は、踵を返してフラカンの腕を握る。

 

「え、あ……」

 

 おそらく、自分の手を握っているのが誰なのかすら、フラカンはわかっていない。エデッタは怒鳴りつけた。

 

「走って!!」

 

 エデッタに手を引かれながら、フラカンは走り出した。後ろから、アグナコトルが吼える声がする。

 彼女たちは、息が続く限り、ただひたすら走り続けた。

 

 

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