細い木切れを、紅蓮石に押しつけた。木切れの先に、明るい火が灯る。女はその火を、咥えた煙管へと移そうとする。
しばらくしてようやく、中の葉に火が着いた。彼女は口から煙を吐き出しながら、その火を育てていく。息を吸うことで煙管の中に風を起こし、火を大きくしていった。
安定した火が生み出す煙で、彼女はゆったりと肺を満たす。
開いた窓からは、弱い光が差し込んでいる。火の山の煙が、今日は分厚かった。
ジャカの邸は、静かだった。召使いのアイルーが、フラカンが座る居間に顔を出した。
「朝食の準備をなさいますかニャ?」
「ああ……。アトリは、まだ寝てるのかい?」
「いえ、存じませんニャ。確かめて来ますニャ」
「ありがとう」
いつものように、彼女は食事の席に座る。隣に座るはずのジャカは、もういない。
「フラカン様! フラカン様!」
邸の外からクレイの声がする。木戸を激しく叩く音。
「入りな、クレイ」
フラカンがそう声を上げると、木戸を蹴破らんばかりの勢いで、クレイが邸に飛び込んできた。
「どうしたんだい、朝から」
「エデッタがいません!」
「何だって?」
「朝飯を持っていったんですが、もぬけの空で……」
フラカンは座ったまま考え込む。視界の端に、召使いのアイルーの姿が映った。彼女はアイルーに聞く。
「アトリは?」
「……いませんニャ」
おずおずとアイルーは答えた。フラカンは、額に手を当てため息をついた。
「どういうことですか、これは。あいつどうやって……」
「アトリが逃がしたんだよ。一緒に逃げたんだ」
「そんな……それじゃあ生贄は」
「人を集めな。それから、カモンとエデッタの家も見ておいで」
彼女の意図を図りかねて、クレイはまごついた。
「ええと……」
「装備が無くなってるはずだよ。……あいつら、火の山に行ったんだ」
「火の山に!?」
クレイが目を見開いた。火祭りの間、火の山は立ち入り禁止だ。
「ああ、そうさ。だから日暮れまでに、エデッタを連れ帰る。それで儀式は進められるさ」
安心させるように、フラカンは微笑んだ。
「はいっ! わかりました!」
クレイも笑顔で駆け出していく。木戸が閉まった。クレイが駆け込んでくる前の静寂が戻る。
フラカンは立ち上がった。乱暴に頭を掻き、不愉快そうに吐き捨てる。
「どいつもこいつもっ……!」
彼女は怒りを抑えようと煙管を吸った。その煙は、火の国を覆う火の山の噴煙と同じように、邸の天井に溜まっていった。
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顎を伝った汗を、アトリは手の甲で拭った。汗は手に浮いた汗と混じって、指先の方へ垂れていく。
「大丈夫?」
「ああ……」
エデッタの問いかけに、彼女は虚ろな様子で答える。歩き慣れたハンターたちと違い、彼女は素人だ。エデッタは彼女を心配そうに見つめている。
「休もうか? 今日、特に熱いしさ」
空気が熱い。火の山の溶岩は、今日は訪問者を拒むような熱を持っている。アトリは答えずに、足を進めようとする。
尾根の上で、カモンが立ち止まっていた。風通しがよく、いくらか涼しい。
「休憩だ」
「大丈夫だ、私はまだ……」
アトリはそう首を振った。しかしエデッタは、尾根の上に腰を下ろす。
「ああ〜〜っ、疲れた!」
怪訝そうなアトリの視線に、エデッタは気づかないふりをした。
「ありがと、カモン。装備も重いし、アグナコトルにやられたとこも痛いし。きゅーけーい」
背中のヘビィボウガンも地面に置いて、大きく伸びをした彼女は、そのまま仰向けに寝そべった。
アトリも、少し遅れて腰を下ろす。眼下には、赤黒い山肌が広がっている。
「すまぬな、二人とも」
「私の身にもなってくれ、ってね」
そう言ってエデッタは笑った。カモンの口角も、少し上がっている。
彼らは、決してアトリを急かす事はなかった。だからこそ、アトリも安心して口を開いた。
「……声が、大きくなっているのだ」
「ああ、例の、『火の国なんか滅んでしまえ』って」
「うむ。火山活動の活発化も関係しているのかもしれぬが……」
エデッタの返事に頷いたかと思うと、アトリはそのまま顔を俯かせた。カモンが尋ねる。
「その声が、お前の体調不良の原因か」
「否定はできぬ。重圧とも言えるだろう。『篭り』の時も、ひどい頭痛があった」
アトリが、顔を覗き込むようにして聞いた。
「どうする? 一旦降りる?」
「駄目だ。エデッタ。本来なら、お主は生贄の身だ。叔母様もお主を探しているだろう」
見つかれば、エデッタは殺される。カモンがアトリのすぐそばまで歩いてきた。
「……もし、火の山の神が本物だったら、どうする?」
「え?」
「意味があるなら、お前はエデッタを生贄にするつもりか?」
尾根の傾斜の上から、カモンはアトリを見下ろしていた。尾根の下の溶岩の光が、彼の横顔を照らしている。彼女は視線を合わせられず、俯く。
答えに窮したアトリに代わって、エデッタが立ち上がった。
「やめなよ、カモン。別に姫様がどう思ってようが、あたしには関係ない。生贄になったって、一人で逃げ出しちゃうんだから」
肩をすくめて彼女は笑う。だが、それをアトリが手で制した。
「いいのだ、エデッタ。カモンは私に聞いている」
「姫様……」
「もし生贄が本当に火の国を救うことになるならば、私は生贄を捧げるだろう」
立ち上がりながらアトリは答えた。その発言は、エデッタを犠牲にしてもいい、という意味にとれた。
カモンは微動だにせずアトリを見つめている。彼女は怯えることなく、まっすぐに目を合わせた。
「だが、生贄もまた火の国の民だ。……私には守る義務がある」
「姫様……」
エデッタの明るい声がした。アトリは彼女に微笑みかける。
「私たちは生き残る。たとえ火の山の神が怒ろうと、足掻き続けるのだ」
アトリは、胸の前で拳を握っていた。斜面の上、ごうごうと煙を吐く火口へ向かって、彼女は誓った。
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神座を示す、縄と杭。それを、アトリは跨ぎ越す。エデッタとカモンがそれに続いた。
「こんなとこだったんだ……」
「ここから東の方に小屋がある。そこは風通しも良くてな。篭りの時もそこを使う」
エデッタは神座に入ったことがなかった。もちろん、カモンもだ。
黒い岩肌が広がる先に、煙を吐き出し続ける火口が見える。そしてその光は、火口からの光を映してぼんやりと光っている。
火口の近くに、人が一人横になれるほどの祭壇があった。金属製の重々しい祭壇は、火の国らしい民族的な紋様で飾られている。
エデッタはいつのまにか、その祭壇へ駆け出していた。この火口近くの熱に焼かれたその表面にも、やや黒ずんだ跡がある。エデッタはその表面を、震える指で撫でた。
血の跡だ。彼女は、拳を握りしめた。
「ここには、モンスターは来ないのか?」
カモンが問いかけると、アトリは頷いた。
「おそらくは……火の山の神が関わっている」
カモンが尋ねると、アトリは手で火の山の神の方向を示す。彼女が指差した先は、その火口だった。
すり鉢状というにはあまりに急すぎる傾斜を、激しい溶岩の光が照らしている。煙で空は覆われているが、それでもなお、昼間の太陽のような明るさがそこにあった。
「火の山の神は、その火口の中だ。……声が聞こえる、間違いはない」
「え〜〜〜っ!?」
振り返ったエデッタが、驚愕の声を上げた。
「これ、行くの無理でしょ!?」
「……俺が行こう」
カモンはそう呟くと、火口に背を向けて歩き出す。
「えっ、ちょっと! どうすんの!?」
追いかけてくるエデッタには目もくれず、カモンは神座を囲む杭に手をかけた。杭を脇に挟み、地面を踏み締める。食いしばった歯が軋んだ。
ぼこり。彼は杭を引き抜いた。意外にも、土やカビの匂いはなかった。彼の狙いは、杭同士を繋ぎ、神座を示す縄だった。
「なるほどね」
「エデッタ、お前も手伝え。急ぐぞ」
何本か杭を抜けば、縄は簡単に集まった。見たところ、火口から溶岩までは十メートルにも満たない。
「これだけあれば十分だ。やるぞ」
「いいけどさ、あんたこれで降りる気?」
アトリは火口近くで待っている。彼女の元に戻る道中で、カモンはてきぱきと自分の体に命綱となる縄を縛っていく。
「何だ?」
「どっかに縛り付けとけとかないと、落ちちゃうでしょ」
「なるほどな、あの縄を使ったのか」
二人はちょうど、アトリの元に戻ってきたところだった。納得して、アトリは頷く。カモンはそれに答えず、アトリとエデッタに縄の端を渡した。
「え?」
「頼むぞ」
言うが早いか、カモンは火口の中へ飛び込んだ。
「うおおおおおっ!?」
「待っ、待て! 待て!!」
エデッタとアトリは、突然押しつけられた生殺与奪に目を白黒させながら、足を踏ん張り、縄を握りしめる。
引きずられた足の跡が、真っ直ぐに地面に刻まれていく。汗の滴が、地面に落ちた。それはすぐに蒸気に変わる。
アトリは疲れ切っている。当然だ。登山ですら彼女には楽ではなかった。ましてや、装備をつけた人間一人を支えるのは楽ではない。
「一メートル伸ばせ」
火口に響かせながら、カモンの声が聞こえてくる。
「勝手すぎでしょ、あいつ……!」
エデッタはそう愚痴をこぼす。アトリには、それだけの余裕は、もうない。
不意に、縄が軽くなった。最悪の展開を想像し、エデッタが叫ぶ。
「カモン! カモンっ!!」
「生きてる! ……降りてこい!」
カモンの声は、まだ元気だった。だがその指示は、ますますエデッタを苛立たせた。
「あのさ、降りてこいって言われても、縄の支えがないんだって!」
言い返しながら、彼女はふと、視界の端の祭壇に気づいた。それから彼女は、小さなため息と、自嘲的な笑いを漏らした。
しばらくの後、祭壇の根元に縛りつけた縄が、ぎしぎしと音を立てていた。だが、動く様子はない。張り詰めた縄の先は、火口へとつながっている。
火口の傾斜は急だったが、途中に隆起が二段あった。今、カモンたちはその隆起の二段目、下側に立っていた。
火口の外側からは、一段目の隆起の陰になって、この部分はほとんど見えない。
溶岩から立ち上る熱が刻一刻と体力を奪う今、クーラードリンクすらもほとんど役に立たない。縄を掴み、ふらふらとアトリが火口を下っていく。
すでに下に降りていたエデッタが、彼女を見上げて声をかける。
「姫様、大丈夫ー?」
「う……うむ!」
不安を誘う答えが返ってきた。
「あれだよ? あたし、全然そっち行ってもいいからさ……」
握力が緩んだか、それとも汗のせいか、アトリは縄から離れ、傾斜に沿って、ほとんど落下するように滑り落ちてくる。エデッタとカモンが、体を張って彼女を止めた。
伊達にハンターをやっているわけではない。エデッタもカモンも痛みに顔をしかめているが、すぐにアトリを助け起こした。
「もう、別に上で待っててもよかったのに」
「いや……カモンが降りてこいと言ったのだ。何かあるのだろう?」
アトリがそう尋ねると、カモンは小さく頷き、壁面を指差す。
「……卵?」
火口の壁面に、奇妙なものが見えた。壁に埋まった、大きな鈍色の卵。エデッタの第一印象はそれだった。
人間が何人も入れるほどの卵だ。表面が焼かれ煤で汚れていたが、金属のように見えた。何より、取っ手らしきパーツも見える。人工物であることは間違い無いだろう。
「アトリ、火の山の神は?」
「……そこだ」
アトリも同じく、その金属の卵を指差した。カモンはその卵に近づいていく。彼はその手を伸ばし触れた。
リオレウスの素材で作った手甲は、高い耐熱性を持つ。だがそれでも、カモンは熱さに表情を歪めた。
がちゃん、と音が鳴った。何かの仕掛けがあったのだろうか。金属の卵の蓋が開いていく。
カモンたちはいっせいに、顔を腕で覆った。中から溢れ出てくる、さらなる熱気。
再び目を開けた時、その卵の中に、彼らはおぞましいものを見た。
それは、卵の中で輝く卵黄を抱きしめながら眠るトカゲ。二対の脚に、片翼。もう一方の翼は、金属でできていた。
痩せ細った体に不釣り合いな大きな頭。大きな両目が、時折閉じられたまま蠢く。薄い皮膚からは、四肢や翼の骨が透けて見えた。
呆然と、彼らはその生物を見つめる。ある言葉が、カモンの口をついて出た。
「禁忌のモンスター……!」
「え……禁忌って」
エデッタがおうむ返しした。カモンは視線をそれに注いだまま、矢継ぎ早に答える。
「黒き太陽。黒龍伝説。聞いたことがあるだろう」
「あ、あるけど……それって、ほら、御伽話でしょ?」
「おそらく、こいつもそれだ」
「……嘘でしょ……」
エデッタは、開いた口が塞がらなかった。
古龍種は、ギルドでも数人しかいないエリート中のエリートがようやく討伐できるような存在だ。ましてや、禁忌のモンスターとなれば、彼女が信じられないのも無理はない。
「古龍、なの?」
「俺も生きているのを見るのは初めてだ。だが……翼に加えて、二対の脚。古龍種であることは間違いない」
「でも、ほら、あれ」
エデッタは何も分からなかった。彼女は震える指で、片方の翼を指差す。翼を留める金属のビスは、その肌に突き刺さっている。
「幼体を……人間が改造したんだ」
カモンは足元に目を落とした。古代文明のことは、彼もある程度だが知識はある。竜騎兵と呼ばれる、モンスターを人為的に改造した兵器の存在も知っていた。
火の山の神の正体は、モンスターだった。人の手で作り替えられた忌むべき姿。恵みをもたらす慈愛も、裁きを下す厳格さもない。ただ怒りと苦しみを撒き散らすだけの存在だった。
「これが……火の山の神か……」
呆然と呟く声がした。アトリだ。彼女の信仰は、全て崩れた。彼女は震える視線で精一杯にその龍を見つめている。
しばらくの間、彼らは無言だった。汗ばむことすらできない熱気の中で、その暑さすら忘れていた。
「どうする?」
ようやく、カモンが口を開いた。エデッタも我に返る。しばし考え込んでいた様子だったが、彼女は笑顔を作った。
「……こいつが怒ったら、モンスターが暴れる。だったらやることは一つでしょ」
ヘビィボウガンを両手で持ち、中折れ型の銃身を開く。分かたれていた銃身は一直線の筒となり、彼女の腕の中から龍を狙う。
「あたしたち、ハンターなんだから」
レバーを引くと、弾丸が装填される。エデッタはヘビィボウガンを構えた。
「待て」
アトリが、彼女の肩を掴んでいた。エデッタは振り向いた。
「放っておけっての? こいつを?」
感情が昂っていく。十年分の憎しみは、いまだ燻り続けている。
「あたしは絶対嫌だよ! こいつのせいで、お母さんもお父さんも、ジャカだって!」
だが、アトリの返答は予想外だった。
「私もやる。この国の神を殺すのは、利用してきた我が一族の仕事だ」
「利用って……」
「頼む。私は神の声を聞いてきたのだ」
「……いいよ。ちゃんと持ってね」
アトリは頷いた。ヘビィボウガンの銃身を支え、その引き金にかかったエデッタの人差し指に、自分の指を合わせる。
「改造された苦痛が憎しみに変わり、モンスターたちに国を襲わせていた。フェロモンや超音波……あるいは私のような、共鳴。未だ解明されぬ方法で、モンスターが他のモンスターに介入した事例はいくらでもある」
アトリは誰に言うでもなく、呟く。それは、罪悪感を堪えるための儀式だった。ボウガンを構えるエデッタにも、それは伝わっていた。
卵のような保育器の中で、龍は小さく身をよじらせる。外の空気を感じたのだろうか。この龍は、何年ぶりに外の空気を感じたのだろうか。時折動く眼球が、内側から瞼をひくつかせる。
その火の山の神は、周りのことを何も知らぬまま、ただ、人間への憎しみをたぎらせてきたのである。
「……『火の国なんか滅んでしまえ』、か」
彼女はそう独りごちる。ボウガンの引き金が重かった。
「火の山の神よ。許したまわずとも構いませぬ」
エデッタの耳に、澄んだ声が響く。隣で、共にボウガンを支えるアトリの声だ。エデッタは姫君に目をやり、頷く。
銃声。甲殻もない剥き出しの小さな体に、弾丸が突き刺さる。龍の体の傷口から、溢れた血が垂れていく。エデッタとアトリは、続けて何度も引き金を引いた。
装填された弾を撃ち切った時、二人はどちらからともなく、ボウガンをその場に落とした。
血まみれの龍は、もう体を動かすことはなかった。一度も、声一つあげることなく、死んだ。
「せめて、安らかにお眠りください」
アトリは額の前で両手を組み、目を閉じた。彼女にできる、火の国の神への、最大限の弔いだった。
その隣で、エデッタは天を仰いだ。噴煙に満ちた空は、変わらずに暗いままだ。溶岩の光に照らされた赤い煙は、高度を上げるに従って、色を失い散っていく。
「ダメだなあ、あたし。せっかく、ぶっ殺したってのに……」
彼女はそのまま、手で目元を覆った。
「全然、スッキリしないや」
彼女の顔は、カモンからは見えなかった。
─────────────────
三人は歩いた。無言だった。
気がつけば景色は変わり、溶岩の光は薄まっていた。切り立った岩場が視界の右側を覆い、足元に広がる黒い岩肌に、転々と溶岩が見えるばかりだ。
カモンが片手を上げる。エデッタとアトリは、それを見て足を止めた。彼は前方をじっと睨んでいる。
「見つけたよ、アトリ」
稜線から、背の高い女が姿を現す。フラカンだ。彼女は後ろに、十人ほどの男たちを連れていた。彼らは皆、手に槍を持っている。
アトリが声を上げた。
「叔母様、お話があります。よろしいですね」
「ああ、いいとも。ただし、その薄汚いハンター二人を引き渡してもらってからね」
いつもの挑発的な笑みはない。彼女の後ろで、クレイが喚いた。
「おいエデッタ! てめえ、よくも逃げ出しやがったな!」
怒鳴り声を上げるクレイ。フラカンは、低い声で言った。
「……ハンター二人は、殺しても構わない。やっちまいな」
「え……殺すんですか?」
「そうだよ」
フラカンはこともなげにそう言った。男たちから返事はなかった。だが、槍を両手に持ち、木でできた柄を握りしめる。
「待て、皆の者!」
「早くやれっ!」
アトリの制止をかき消すように、フラカンは声を張り上げる。男たちは、雄叫びをあげて駆け出した。
「エデッタ。アトリを頼む」
カモンは双剣を抜いた。両手に構えた双剣の向こうに、男たちを睨む。
男たちとカモンは、ちょうどアトリとフラカンの中心でぶつかった。
突き出された槍をひらりとかわし、その腕を切り付ける。横薙ぎに振るわれた槍の穂先は、カモンの体を捉えることなく柄ごと切り落とされた。その顎めがけて、強烈な回し蹴り。
飛び込みざま、もう一人の腕を切り付ける。カモンは、彼を襲う男たちの列の中心に躍り出た。男たちはカモンを突き殺そうとして、躊躇する。この距離では、味方にも当たる。
跳び上がったカモンは、両足を開いた。左右に立つ二人の男の顔面を、それぞれの足で蹴り上げる。
「野郎っ!」
クレイが叫び、空中のカモンを槍で突き刺そうと突進した。
だが、カモンはその槍を剣でいなして抱え込んだかと思うと、足をその柄に巻きつける。カモンが身を捩った次の瞬間、槍はカモンの左足に奪い取られていた。
一瞬の早技。クレイが驚いたその次の瞬間には、足で振るわれた槍の石突が、男たちを三人吹き飛ばす。
すでに距離はない。男たちが槍を短く持ち替えようとする隙に、カモンは素早く体を回転させる。
赤い竜巻を、男たちは幻視する。槍を持つ腕から、いつの間にか血が吹き出している。それに気づいた直後に、ようやく激痛がやってくる。
悲鳴を上げる男たち。だが、丸腰のクレイだけは、恐れることなくカモンに飛びかかった。
胴体へ組み付き、押し倒そうと両足を踏ん張る。だが、無駄だった。自分より遥かに軽いはずのカモンの体が、地に根でも生やしたように動かない。
だが、動けなければ逃げることもできない。クレイは声を張り上げた。
「今だ、やれ!」
動きを封じたカモンを、仲間たちが攻撃する。そのはずだった。だが、いつまで待っても仲間たちの援護はなかった。
すでに、フラカンが連れてきた男たちは、クレイ以外の全てが無力化されていたのだ。それに気づき、クレイは顔を歪めてさらに力を込めた。
次の瞬間、彼の背中に鈍痛が走る。カモンは剣の柄で、背中を打ち据えたのだ。
思わず膝をついたクレイの胸に膝蹴りを打ち込み、カモンは距離を取る。だが、クレイはまだ諦めていなかった。
地面に転がる槍を掴み、さらにカモンに突進する。これまで積み上げてきた全てが破壊される恐怖から逃げるように、地面を蹴って走り出す。
カモンは右手の剣を納めた。
クレイは勢いのまま、地面に突っ伏していた。槍の柄を握るカモンの手が、クレイの勢いを逸らしたのだ。その穂先は、カモンの胸に触れてすらいない。
槍の柄が蹴り飛ばされた。てこの原理で、クレイの手から槍が離れる。カモンは一歩跳び退き、左手の剣をクレイに突きつけた。
「なめんなっ、俺は!」
彼は剣にも怯えなかった。立ちあがろうとする彼の肩に、一撃。カモンが奪った槍の石突が叩きつけられた。
クレイが倒れた今、もう戦力はなかった。腕を押さえているもの、胸を押さえているもの。彼らにはもう、戦意はない。だが、命に関わる怪我はないように見えた。
「な……!」
フラカンが目を見張る。これだけの数の敵を相手に、カモンはあっさりと制圧してみせた。
思わず後ずさった彼女に、エデッタが声をかける。
「おおーっと、ダメだよフラカン。あたしのボウガン、当たると痛いじゃ済まないんだから。大人しくしな」
エデッタの銃口は、フラカンに向いている。カモンの規格外の強さとこの状況に、彼女は言葉を失った。
アトリが一歩進み出た。彼女は眉を寄せ、しっかりとフラカンを見据えている。
「叔母様。まだ火の山の神の声は聞こえますか」
「……聞こえるねえ」
強がるフラカンに、アトリは真実を告げた。
「火の山の神は、死にました。私が殺したのです」
フラカンは目を見開いた。地に伏せる男たちの間に衝撃が走る。火の山の神を殺した。それも、あの信心深い姫様が。
うめき声と共に、ざわめきが広がる。アトリに注がれた彼らの目を、フラカンの声が引き戻す。
「でまかせだよ。あたしにはまだ火の山の神の声が聞こえるんだ」
「火の山の神の正体はモンスターでした。古代文明が生み出した、怪物だったのです」
倒れていた男たちは、フラカンの方へ振り返った。告げられた事実は、とても信じられない。彼らは、指導者の言葉を待った。
「叔母様。火の山の神が怒ればモンスターが暴れる。すなわちそれは、火の山の神がモンスターを操っているということです」
「そんなわけがあるかい! 火の山の神は生きてる! みんな、惑わされるんじゃないよ!」
フラカンは声を荒げた。必死な叫び声が、火の山にこだまする。だが、男たちに立ち上がるそぶりはない。
「あー、なるほどねえ。フラカン、あたし、あんたの気持ちがわかるよ」
エデッタの声だ。見れば、彼女は勝ち誇った笑みを浮かべている。
「火の山の神が嘘っぱちだってわかったら、あんたのやってきたことは、ぜーんぶ無駄だったってことになる。生贄も何もかも」
笑顔の中で、彼女は大きく開いた目でフラカンを見つめた。
「だから、必死になって信じてるんだろ。違う?」
図星だった。フラカンにはもう、火の山の神の怨嗟の声は聞こえなかった。
沈黙が続いた。フラカンの視線は、彼女の足元に落ちている。男たちにも、その動揺は伝わっていた。
「ふ……フラカン様!」
クレイが悲痛な声を上げた。カモンに叩きのめされた痛みではない。信じる神を失いかけた彼は、指導者の言葉を求めている。
だが、フラカンは一言も発さなかった。たった一つの答えが、そこにはあった。
アトリは語りかける。
「叔母様……私は叔母様を責めるつもりはありませぬ。ただ……」
彼女の言葉はそこで止まった。低く聞こえる地響き。その正体が、溶岩と共に地面を突き破る。
たくましい足を地面に叩きつけるように、そのモンスターはアトリたちの後ろに着地した。赤い溶岩が、その体から垂れ落ちる。鋭い嘴、特徴的な背鰭、巨大な体躯。反射的に、エデッタが叫んだ。
「アグナコトル!?」
「炎戈竜か!」
その場にいる誰もが思わず耳を覆ってしまうような、けたたましい咆哮。空気を震わせ、アグナコトルは人間たちを見回した。
縄張りに現れた人間どもは竦み上がっている。倒れ込んでいる人間どもを食い散らかすのは簡単だ。赤や緑の人間たちは手強いだろうが、消耗しているようにも見える。雌の柔らかい肉から食べてやってもいい。
アグナコトルが標的を定めるより早く、カモンの声が響いた。
「目をつぶれっ!」
次の瞬間、激しい光がその場を満たした。閃光玉だ。視界を奪われ、アグナコトルは驚いている。
「走れっ! こっちだ!」
カモンが走り出す。倒れていた男たちもすぐさま立ち上がり、傷の痛みも忘れ、肩を貸し合いながら逃げ出していく。
アトリとエデッタもその後に続く。だが、エデッタは気づいた。
フラカンが両目を覆ったまま立ち尽くしていた。突如現れたアグナコトルに驚いた彼女は目を閉じられなかった。
閃光玉の光に目が眩んだフラカンは、ふらつきながらあとずさる。アグナコトルはすぐに視界を取り戻す。そうなれば、逃げ損なった彼女は、間違いなく殺されるだろう。
エデッタは迷った。それは、時間にして、ごくわずかな間だった。
自分の舌打ちの音を、エデッタは聞いた。フラカンの前を通り過ぎた彼女は、踵を返してフラカンの腕を握る。
「え、あ……」
おそらく、自分の手を握っているのが誰なのかすら、フラカンはわかっていない。エデッタは怒鳴りつけた。
「走って!!」
エデッタに手を引かれながら、フラカンは走り出した。後ろから、アグナコトルが吼える声がする。
彼女たちは、息が続く限り、ただひたすら走り続けた。