夕日に染まった空は血のように赤い。テントは、決戦場となる低地に長い影を伸ばしている。
「今夜から明日の朝にかけて……か」
そのテントは、モンスターを撃退するための指揮所だ。背もたれのない椅子に腰掛けたアトリがそう聞くと、フラカンも続ける。
「間違いないのかい?」
「うん。山の反対側で大型モンスターが動き出してる。一頭や二頭じゃなさそうだけどね」
エデッタはそう言って肩をすくめた。カモンも彼女の後ろで頷いている。
一頭や二頭ではない、モンスターの大移動。火の国を襲う未曾有の脅威に、立ち向かう準備はできている。
アトリは立ち上がった。
「叔母様。皆をこのテントの前に集めてください」
「はいよ」
フラカンは短く答え、テントの横幕に手をかける。彼女の動きが、不意に止まった。彼女は振り返って、アトリを見た。
アトリの表情には決意がある。フラカンはそれを感じた。アトリは人のために因習も恥も捨てられる。フラカンにはできなかったことだ。これからのアトリの発言も、フラカンには予想できた。
いつの間にか、フラカンは笑っていた。いつもの勝気な笑みではない、温かい微笑みが浮かんでいる。
「叔母様? 何か……?」
「あんた、ホントにあたしの姪っ子かい?」
「え……?」
きょとんとしたアトリを見て、フラカンはからからと笑い声を上げた。
「あたしに似なくてよかったよ。それじゃあ」
フラカンは颯爽と歩き去っていく。幕が閉じたテントの中には、沈黙があった。
いつもならばエデッタが口を開くはずだが、アトリの表情が、そうさせなかった。
「すまぬ、二人とも。こんな時に言うべきではないかもしれぬが……」
「何? またなんかあんの?」
エデッタはアトリの言葉を待った。カモンも、腕組みをしたまま黙っている。だが彼の目は、アトリをじっと見つめていた。
「カモン、お主は気づいておるようだな」
そう言われて、カモンは小さく頷いた。アトリも頷き返し、エデッタを見る。
「私は、火の国にハンターズギルドを作る」
「……ええっ!?」
目を丸くして、エデッタは声を上げた。
知っていたのか、という意味を込めて、カモンとアトリの顔を交互に見やる。
「卸先も、父上の名を出せば集められるだろう。ギルドの業務も回せるはずだ。私も、密猟の参加者もいるからな」
「……いいの? そんなことして」
密猟者としての過去は、エデッタにとって、まだ割り切れたものではない。ジャカを陥れ火の国を混乱に追いやった罪として、彼女の内に深く残っている。
カモンが口を開いた。
「確かに、ここの猟区は、あくまで統治者である火の国から許可を得て、ロックラックのハンターズギルドが動いていただけだ」
「ギルドが手を切ったのなら、この猟区は我らのものだ。文句は言わせぬ」
アトリは毅然として答える。カモンは、彼女の正面に進み出た。
「やれるのか?」
「加工屋もこちらに着く。あとは……腕のいいハンターが必要だ」
突然告げられた大きな計画に目を白黒させていたエデッタも、ようやく平静を取り戻す。アトリの言葉の意味を理解し、彼女は笑った。
「……なーるほど。あたしらに、死んでほしくないってわけだ」
「うむ。……二人とも、必要な存在なのだ。これからの、火の国のために」
「ごめんね、姫様」
アトリの言葉を、エデッタが遮った。彼女は笑顔のままだ。
「もう大丈夫だよ。死のうと思ったりなんかしない。絶対、生き残るから」
力強く、エデッタはそう言った。火の山で命を捨てたがったあの時とは違う。
「エデッタ……!」
アトリに名を呼ばれ、照れくさそうにエデッタは視線を逸らす。
「だから姫様も、火の国のこと、頑張ってよ? あたし、またいじめられちゃうかも」
おどけてみせたエデッタに、アトリも微笑む。
「ああ……カモンは、どうだ?」
少し遠慮がちに、アトリは聞いた。カモンは腕組みをしたまま、目をつぶっている。
「カモン?」
「俺も、この国のことは大事だ。だけど……俺がやらなきゃいけないことは他にもある」
強張った彼の両手は、自分を抱きしめているようにも見えた。
「……そうか」
アトリの声には、落胆の色があった。だが、彼を責めることはない。
エデッタが両手を広げ、肩をすくめる。
「わかってたことじゃん。余所者だし、それにほら、実家とか? いろいろあるみたいだし」
「すまない」
「実家」という言葉にも、カモンは反応しなかった。眉間によった皺は、怒りでも不愉快さでもない。罪悪感だ。
アトリの手が、そっとカモンの肩に触れる。
「謝ることはない。お主が今日戦ってくれるだけで、火の国の民が何人救われることか……」
テントの外の気配がする。大人数だ。どうやら、フラカンが村人たちを集めてきたようだ。
「行くぞ」
目を開けたカモンは、口角を少し上げた。いずれにせよ、彼のやることは一つだ。
「うむ」
アトリがテントの幕を開ける。外には、クレイを先頭に数十人の村人たちが列をなして待っていた。
バリケードを作っていた時よりもはるかに多い、今、火の国は非常事態である。戦えない老人や子供を除き、ほとんどの男がここに集まっていた。それに加えて、ちらほらと女の姿も見える。
「もういいのかい?」
列から外れたところから、フラカンが訊く。アトリは頷いた。
彼女は集まった村人たちの前に進み出た。彼女の影が、村人の足にかかる。緊張した様子の村人たちの顔を順に見回し、ゆっくりと口を開く。
「数々の危機を乗り越え、火の山と共に歩んできた我ら火の国にも、覚悟の時が来た」
重々しい語り口だった。モンスターの大移動を凌げなければ、この国は滅ぶだろう。誰もが理解していたことだった。
「だが、どんな苦難が訪れようとも我々は運命になど屈しない!」
アトリは力強く声を張り上げる。村人たちも、頬を緩めた。
フラカンも小さく頷いている。もう彼女も、敵ではない。アトリはもう一度、村人たちの顔を見回す。
「明日を切り開くために。お主たちの力を貸してほしい」
「おおおおお!」
雄叫びが、堰を切ったような勢いで溢れ出す。
「やるぞ!」
「モンスターなんかに負けるもんかよ!!」
互いを鼓舞し合う村人たちから視線を外し、アトリは振り返った。
「では、ハンターたちよ。頼んだぞ」
「ああ」
「わかってるって。うまいこと誘い込むから」
エデッタが片目をつぶってみせる。
未曾有の脅威との対決が、始まろうとしていた。
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夜空を飛ぶ、一つの影。赤い甲殻の凹凸を、東の空に浮かんだ、右側の欠けた月に照らされている。
眼下に、小さな赤い火が散らばっていた。リオレウスは、高度を下げる。風の中に、煙と肉の匂いが混じる。そして、血。
血の匂いを辿ると、下り坂に死体が一つ。リノプロスだ。
灯は二つに増えていた。正面と、右。右の灯はやや遠い。どちらも、獲物の匂いがぷんぷんする。
獲物も少なくはなさそうだ。この辺りを新しい縄張りにするのも悪くない。
正面の火を追いかけて、リオレウスは飛んだ。
崖の上に、不思議な形の木や岩が並んでいる。リオレウスはそう表現することしかできなかった。
彼は崖下の平野に目をやった。またもや、リノプロスの死体がある。先ほどよりもまるまる太っている。
だが。とリオレウスは考えた。死体をこんな場所に放置する理由。人間どもの匂いはすぐそばだ。
「バリスタ、撃て!」
その瞬間、リオレウスの体に次々に矢が突き刺さった。バリスタ砲。十台近い弩から放たれた矢が、リオレウスに襲いかかる。
引き絞った弦が解放されると同時に、弓の反発力の全てが矢を弾き飛ばす。鋼鉄の鏃は、リオレウスの硬い甲殻を突き破り、鱗を削ぎ落とした。
甲高い悲鳴を上げて、リオレウスは地面に落ちた。倒れ込んだそこは、そこは防衛兵器の十字砲火の中心地だ。
「大砲、撃て!」
崖の上のアトリが命令すると、彼女の隣の男が角笛を吹いた。
モンスターの咆哮にかき消されないよう、彼らの指示は楽器のリズムで行われる。
平野から見て、南に崖がある。その崖の上に大砲が二門。さらにその下の崖壁沿い、つまり平野の南と、東に二門ずつ。計六門の大砲が火を吹いた。
火薬によって撃ち出される、一抱えほどもある鉄球。その速度は、文字通り矢の如し。さらにその鉄球の中に満載された火薬が、無数の金属片を周囲に撒き散らす。
大砲の弾が、火薬の爆発が、リオレウスの視界を覆った。放たれた約十発の大砲のうち、直撃弾が三発。近くに着弾し、破片を浴びせたものが二発。距離を計算に入れれば、十分な戦果である。
人間であれば、飛び散る破片ですら致命傷。直撃すれば、跡形も残らない。
だが、リオレウスは違った。火を吹き空を飛び回る彼にとって、風と熱は友である。倒れた体を起き上がらせ、二本の足に力を込める。
もちろん、無傷ではなかった。片方の翼は焼け焦げ、翼膜には穴が空いている。片足に食い込んだ金属片が痛々しい。だがそれでも、空の王者は立ち上がる。
自分を痛めつけたのは、どれだ。どれから狙うべきか。リオレウスが周囲を見回そうとしたその時、目の前に赤い人影が躍り出る。
リオレウスの防具に身を包んだハンター、カモンだ。彼は両手の双剣で、踊るようにリオレウスの顔を切りつけた。
バリスタ砲は、先ほどからリオレウスに矢を射掛け続けている。それに交じって、エデッタのヘビィボウガンも通常弾を連射する。
燃え盛る炎のような、アグナコトルの素材を用いたヘビィボウガン。これまでのヘビィボウガンよりも、はるかに高性能だ。
耐えきれない。リオレウスはそう判断し、翼を羽ばたかせた。地面を蹴り、翼で空気を押して上空へと飛び上がる。
バリスタ砲の反応は遅い。リオレウスの目は、すでに崖には向いていなかった。
もう一つの灯。ここに来る前に見つけた、もう一つの人間の集落を狙っている。
「まずい……!」
アトリは呟く。隣の角笛を持つ男に視線を送る。だが、彼女の次の指示は下されなかった。
「慌てるんじゃないよ」
彼女の肩を掴んだのは、フラカンだった。彼女は顎で、崖下を示す。その先では、エデッタがボウガンの弾を装填したところだった。
エデッタのボウガンは、空中を狙っていた。リオレウスの視線の先の虚空へと、その弾丸を発射する。
眩い閃光が夜空に溢れた。閃光弾。夜の闇に目が慣れきったリオレウスは、その光に怯んだ。
わずか一瞬。だが、リオレウスは完全に体勢を崩し、地面へと落下する。
角笛の音色が変わった。それが示すものは、総攻撃。
地面でもがく空の王者に、防衛兵器の弾丸が降り注いだ。バリスタの貫通力と、大砲の破壊力。
カモンも、巻き添えを避けつつ尻尾のあたりを切り付ける。エデッタは、リオレウスの顔面へと、貫通弾を連射していた。
聞こえなくてもいい。アトリは鼓舞するように声を張り上げる。
「立ち上がらせるな! このまま……!」
だが、彼女の言葉は遮られた。山の上から近づいてくる、恐ろしく低い地響き。
彼女は視線を上げた。二頭目の大型モンスターだ。
背中の無数の突起をスパイクにし、火山の斜面を転がり落ちる獣竜種。それは、回転したまま突き進む。
激しい振動が、平地の村人たちを襲った。エデッタやカモンですら、その衝撃にたたらを踏んでいる。
勢いを載せて、そのモンスターは大きな顎をリオレウスへ叩きつけた。その大鎚はリオレウスの首筋を打ち、一撃でその命を奪った。
爆鎚竜ウラガンキン。火の国を悩ませたモンスターが、またしてもこの戦場に現れた。
リオレウスを屠り、ウラガンキンは勝鬨を上げる。大音量に耐えきれず、両耳を塞ぐ村人たち。また顎を地面に叩きつけて、ウラガンキンは威嚇する。
ここは俺の縄張りにする。そう叫んでいるようだった。
耳を押さえ、村人たちがうずくまる。ウラガンキンは躊躇せず、体ごと尻尾を振り回し、エデッタを吹き飛ばす。
「エデッタ!」
吹き飛ばされたエデッタに、大砲の後ろからクレイが声をかけた。痛みを堪えつつ、エデッタが叫ぶ。
「バカ! 早く!」
「バカはお前だろうが! 一旦退いて……!」
「足元!!」
エデッタの叫びに、クレイたちは足元を見た。大砲のすぐそばに、膝より少し背が高い赤熱した岩が転がっている。
ウラガンキンが顎を地面に叩きつけた。その衝撃で、赤熱した岩が起爆する。
装填された弾すらも誘爆させて、大爆発が大砲を吹き飛ばした。
崖下の砲台は全部で四門。そのうちの二門が今破壊された。一門は砲架が壊れただけだが、もう一門は装填されかけた弾が暴発し、砲身がひしゃげている。
それ以上に悲惨だったのは近くにいた四人の村人たちだった。
一人は至近距離で火薬岩の爆発を浴び、砲弾が撒き散らす破片にも襲われた。体中を無数の金属片に引き裂かれたために、頭や体の一部が弾け飛んでいる。即死だ。
地面に倒れ込んで動かない、生きているか死んでいるかもわからない村人が一人。もう一人も、痙攣こそしているがほとんど同じようなものだ。
クレイの姿も見えない。吹き飛んだ大砲の陰に倒れているようだ。
エデッタが彼らに注意を向けたのは、ほんの一瞬だった。すぐにでも手当をすれば助かるかもしれない。
だが、目の前のこいつを倒さなければ、すぐにまた犠牲者が出る。
「クソアゴがぁ〜〜〜!!」
エデッタがボウガンを構えた。照準の先では、まばらなバリスタの矢を浴びながら、ウラガンキンが山のような体躯を丸めている。
駆け出したカモンがウラガンキンの後ろ足を斬りつける。だがその妨害も役に立たず、ウラガンキンは転がり出した。
バリスタの破壊力は凄まじいものである。相手が人間であれば、腕に当たれば腕が、頭に当たれば頭が吹き飛ぶ高威力。
だが、モンスター相手では、決定打にならない。
回転するウラガンキンの背の突起が、飛来するバリスタの矢を弾いてしまう。
その上、使用する村人は素人だ。動く標的に当てることは難しい。
回転するウラガンキンを追って銃口が動く。通常弾の連射が命中したが、怯む様子はない。ウラガンキンの行く先は、設置されたバリスタ砲台だ。
「逃げろっ!!」
だが、エデッタの声にも村人達は動かなかった。一発でも多く、ウラガンキンに当てる。バリスタ砲台に居座ったまま引き金を引き、そして、砲台ごと轢き潰される。
エデッタは目を逸さなかった。ウラガンキンは顎を地面に叩きつけ、両足で回転を止める。
「死ね!!」
その大きな顎に、徹甲榴弾をぶちかます。遅れて、突き刺さった榴弾が爆発した。外殻の防御力を無視した攻撃に、ウラガンキンは怯んだ。
即座に駆け寄るカモン。両手のギルドナイトセーバーが、ウラガンキンの両足を切り刻む。
たまらず半回転しつつ尻尾を振り回すウラガンキンだが、素早くステップを踏んだカモンには当たらない。
だが、ウラガンキンの狙いは違った。カモンとエデッタを正面に見据え、今度は縦回転。もう一度地面を転がり、敵を轢き殺すつもりだ。
カモンとエデッタは、兜の下で口元を緩めていた。
二人は左右に分かれるように、ウラガンキンの攻撃を躱した。ウラガンキンの転がる先は、先ほど破壊した二門の大砲。そのさらに向こうには、崖壁沿いに大砲の弾が積まれている。
転がるウラガンキンの衝撃が、十数発の大砲の弾を起爆した。
腹の底まで震わすような轟音だった。雷鳴にもも似た重低音。瞬く間に爆煙が広がった。その爆煙に気づく頃には、爆発の衝撃が足元を揺らしていた。
両耳を塞いでその場に伏せたカモンとエデッタですら、その音量に顔をしかめている。
その威力は、重く巨大なそのモンスターの体すら、文字通りに吹き飛ばした。
背中の無数の突起はその内側の肉ごと弾け飛び、特徴的な大きな顎を地面に打ちつけたまま、地面に倒れていた。
村人たちは、動けなかった。大砲の弾の爆発は、それだけの驚きを彼らに与えていた。
爆音で麻痺した鼓膜に、銃声が戻ってきた。
エデッタのヘビィボウガンだ。彼女はいち早く我に返り、ウラガンキンへの攻撃に戻っていた。
二発、三発と撃ち込んで、彼女は構えを解いた。銃口を下げ、ボウガンを右手と体で支えて、左手を高く上げる。彼女はアトリの方を見た。
篝火が焚かれた薄明かりの中、エデッタが首を振るのを、アトリは確かに見た。
「ご苦労であった」
アトリはそう告げた。笛吹きの男も頷き、角笛を奏でる。
今、この平野に敵はいない。小休止だ。
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リオレウスとウラガンキンを破った村人たちも、まだ喜びに湧く訳には行かなかった。
まだモンスターの大移動が終わったわけではない。何より、負傷者の手当ても済んでいない。
ウラガンキンに破壊された大砲の残骸の周りに、男たちが集まっている。怪我人を運び出し、応急手当てをするためだ。
彼らから少し離れた崖壁の下で、ハンターたちは座り込んでいる。
カモンの手には、双剣と砥石。やや高い掠れた音が、一定の調子で鳴っている。血糊や脂を落とし、微細な刃こぼれをその輪郭ごと削り取る。
「何とかなったね」
カモンは、その声に小さく眉を上げた。作業を続けたまま、彼は答える。
「ああ」
振り返りもしないカモンの無愛想さにも慣れたものだ。カモンの後ろに立つエデッタは、笑ってしまった。別に彼は、エデッタを軽んじているわけでも嫌っているわけでもない。いつも通りの態度だ。
「俺と喋ってる余裕があるのか?」
「うん、あたしの方は終わってる」
エデッタはそう言ってアイテムポーチをぽんと叩いた。ヘビィボウガンも地面に置かれている。
「最大で何頭だっけ?」
「五頭……俺の読みでは、それ以上はない」
「うへえ、最悪あと三頭? ひー」
エデッタは殊更に顔を顰めた。国家の存亡が懸かった窮地だからこそ、彼女はいつも以上に陽気に振る舞う。
カモンは剣を篝火にかざした。切れ味は十分だろう。
「せーのっ……」
掛け声と共に、大砲の残骸から、二人の男が立ち上がる。彼らの間にあるのは担架だ。かけられた布が、担架の上の存在を隠している。
「……やっぱり出るね、被害って」
エデッタがそう呟いた。
「エデッタ……」
「わかってるよ、今だけの辛抱ってのは。わかってんだけど、ねえ」
彼女は立ったまま、足元のカモンに苦笑いを落とす。カモンは剣の手入れを続けたまま、言葉だけを返す。
「火の国の今後が心配か」
「そりゃね。……そういえばさ、あんた大丈夫なの?」
「何のことだ」
一向にこちらを見ないカモンに業を煮やしたか、エデッタが、彼と視線を合わせるようにかがみ込んだ。
「姫様は気付いてないけどさ、あんたギルドナイトでしょ。商売相手の火の国を勝手に独立させちゃって大丈夫なの?」
「わからん」
無責任な答えに、エデッタは聞き返す。カモンは剣の刀身を撫で、頷いた。
「え?」
「わからんが……。今俺は、これまでのどんなクエストよりも、充実している。だから、これでいい」
砥石をしまい、カモンは立ち上がって双剣も背に収めた。晴々とした顔は、いつもの仏頂面とは違う。
エデッタは、温泉で聞いたカモンの過去を思い出した。
「そりゃ、こっちとしちゃありがたいけどさ。……やっぱり故郷、思い出す?」
「……ハンターの本分を、思い出せた。悔いはない」
カモンは、足元の兜を拾った。兜を被った彼の顔は、もう見えない。
大砲の周辺から、肩を貸されながら、男が一人立ち上がった。エデッタは、それを視界の端で捉える。
「どうした?」
「いや……」
カモンはエデッタの視線を辿る。その先の男に、彼は目を止めた。
「……あいつ……クレイか」
ウラガンキンを倒したあの大爆発の時も、大砲の陰で倒れていたおかげで無事だったのだろう。
鼻血で顔と胸元は真っ赤だが、クレイは何とか立ち上がって、崖の上へ続く坂道へ歩いていく。
「そっか。生きてたんだ」
重い息と共に、エデッタはそう呟いた。知らず知らずのうちに、彼女の口元は綻んでいた。
──────────────────
闇にさえ目が慣れれば、双眼鏡も昼間並に使えるものだ。
大地を踏み締め、荒々しく歩くその飛竜に、気づかないはずもない。
双眼鏡を下ろし、村人が振り返った。アトリもそれに気づく。彼女は、テントのそばに置いた椅子から、少し身を乗り出した。
「姫様」
「うむ。今度は?」
「飛竜です。詳しくはわかりません」
「貸してみよ」
アトリは立ち上がって双眼鏡を受け取った。村人の見ていた方に双眼鏡を向ける。
「あの、尾根の下の」
「わかっておる。見つけた」
頷いたアトリは、フラカンとアイコンタクトを交わす。
彼らを呼ぶべきだろう。
「エデッタ! カモン! おいでー!」
崖の下へ、フラカンが叫んだ。座り込んでいた二人が、こちらに気づいて立ち上がった。
「夜目が効くんだね、あんた」
「若いだけです」
振り返ったフラカンは、アトリとそう話した。
「世代交代かねえ」
そう自虐するフラカンは、疲れている様に見えた。
「そんなことはありません。迎撃の準備ができたのも叔母様のおかげです」
「ジャカのおかげさ。そうだろう?」
「叔母様がいなければできませんでした」
毅然として言い返す姪っ子が、フラカンには愛おしかった。
「お待たせー!」
鎧を身につけた二人組が、坂道を上ってくる。先を行くエデッタが手を振っていた。
「うむ。今、山を下るモンスターを発見した。ティガレックス亜種だ」
そう聞いて、カモンは籠手越しに彼の左腕を触った。その内側に負った傷は、ティガレックス亜種によるものだ。
エデッタが相槌を打った。
「カモンが言ってたやつね」
「ああ。おそらく同一個体だろう」
左手を握って、開く。疲れはあるが、不調はない。
「こちらに来るかはわからぬ。……様子を探って来てくれ。場合によっては、この崖へ誘導を頼む」
「ああ。火の国へ向かっていれば、この崖へ。そういうことだな」
「うむ」
アトリの隣から、フラカンが顔を出した。二人の前ではあまりしなかった、為政者としての顔だ。
「頼んだよ、二人とも」
「言われなくてもやってやるって。行くよ、カモン」
エデッタは踵を返した。自信に満ちた足取りが、坂道を下っていった。
蒼白い月の光が、足元までも照らしていた。
─────────────────
二人の男女は、山を登って行った。足取りはしっかりと地面を踏み締め、油断の色はない。
「てかさあ」
エデッタが口を開いた。
「わざわざあたしたちが崖の上まで登ったのって無駄じゃない?」
「何?」
「ほら、さっき。姫様とフラカンが降りてくればいいじゃん。逆方向だよ?」
「ああ……。あそこから離れるわけにもいかなかったんだろうな」
「あー、あそこで指示とか出すから? それかも」
他愛のない話だ。だが、エデッタの表情が険しくなる。警戒。
場所はわかっている。彼らの今の獲物は、隠れて狩りをするモンスターではない。彼らの五感が、モンスターを感じ取った。
「どっち行くと思う?」
「匂いはある。どっちに行ってもおかしくないが……」
ややなだらかな斜面だ。ここならば、想定外は起こりづらい。ガンナーのエデッタにとってはやや不利だが、それでも、ここで待ち受けるのは正解だろう。
腰を下ろすまでもない。近づいてくる気配が、彼らを構えさせた。
夜の闇の中、黒と白の縞模様が見えた。爛々と光る目が、彼らに目をとめた。
大きな顎。たくましい翼脚。見る物全てを獲物と定める、捕食者の目。
黒轟竜ティガレックスが、姿を現した。
警戒、威嚇。その段階を踏むより早く、エデッタの貫通弾が顔面を襲う。だが怯むことすらなく、ティガレックスは咆哮した。
空気を震わせる大音声。ハンターたちは思わず耳を塞いだ。
ティガレックスは脚に力を込め、勢いをつけて駆け出した。
絶対的な筋肉量が、移動すらも武器に変える。体をくねらせ、地面を次々に踏み締めるその突進が、地響きを立てて二人に迫る。
「忘れるな、俺たちの目的は!」
「誘導!」
かわした二人だが、ティガレックスは止まらない。地面をかきむしるように強引に反転し、エデッタへと迫る。
翼幕を支える強固な腕。その爪が、エデッタを掠めた。
「がっ……!」
悲鳴すら立てられず、エデッタは吹き飛ばされた。
武器をしまっておけばよかった。そう思いながら、彼女は立ち上がる。すでに、カモンがティガレックスの尻尾に双剣を突き立てていた。
ティガレックスが体を縮めた。痛みによる反応ではない。その全身に力を込め、爪をスパイク代わりに、その場でぐるりと回転した。
間一髪、カモンは飛び退いた。地面に残る、深い爪痕。岩すらも削るその一撃は、まともに喰らえば絶命は免れない。カモンの腕の傷が疼いた。
立ち上がったエデッタは走って距離をとった。横目でそれを見ながら、カモンは息を整える。
ティガレックスが右腕をもたげた。地面に勢いよく叩きつけ、一撃で岩塊を削り出す。
削り出した岩塊が空を舞う。その行き先はエデッタだ。
命中はしなかった。だが、その衝撃は大きい。人間一人分を優に越す大きさの岩塊をこともなげに吹き飛ばす。ティガレックスの恐ろしさに、エデッタは背筋に冷たいものを感じた。
その時、二人は音を聞いた。爆発音。その方向は、間違いなく、火の国の東の崖だ。アトリの顔が浮かんだ。
「何、今の!?」
「わからん!」
カモンはティガレックスの尻尾を狙う。長い尻尾は、全身が兵器であるティガレックスの中では、比較的狙いやすい部位だ。
爆発音はもう一度聞こえた。エデッタの顔が歪む。
「来たんだ、モンスターが!」
恐れていた事態だ。空も陸も警戒していた。だが、モンスターには地中を進む者もいる。エデッタたちと鉢合わせず、東の崖へ向かうことは可能だ。
「行け!」
「えっ?」
エデッタはカモンを見た。兜に隠れて顔は見えない。だが、彼の声は必死だった。
「お前は崖に戻れ! こいつは俺が押さえる!」
「無理でしょ!? ネコタクだって呼べないんだから!」
予感があった。カモンの体は、いつにも増して小さく見えた。エデッタは、父親を思い出す。
「行け!!」
カモンはそう叫んだ。ティガレックスが、カモンに向かって前脚を叩きつける。
地面が落ち窪むほどの一撃。転がってかわしたカモンは、そのがら空きの顔面に双剣を叩き込む。
無表情な兜に隠れた顔は見えない。だが、エデッタは頷いた。
「……わかった!」
これが正解かはわからない。だが、彼女たちは、犠牲者をこれ以上産みたくなかった。
ティガレックスに背を向け、エデッタは走り出す。
すでに、ティガレックスの標的はカモンへと移っている。その獰猛な目が彼を見下ろし、大きく開けた口で、カモンを噛み砕こうとする。
体を捻りつつ、双剣でそれを逸らす。反撃の一撃を、その鼻面に切りつけた。
「いいぞ……こっちだ……!」
荒い呼吸で、カモンはそう言った。兜の内側で、エデッタを安心させるように、彼は笑ってみせていた。
駆け出したエデッタは、口の中で繰り返す。
「ごめん……、ごめんね、カモン」
彼女は駆け出す。東の崖。天に向かって勢いよく吐き出される、一筋の溶岩が見えた。