ダンジョンにネフがいるのは間違っているだろうか   作:黒狐

1 / 18
01

迷宮都市オラリオ。

昼食を終え、街全体が穏やかな午睡の誘惑に包まれる時分。

いつもは喧騒に満ちたメインストリートへと繋がる広場、その中央にある噴水の縁に、一人の少女――ツクリ・瀬笈は腰掛けていた。

月光のように白い肌を深い紺のケープに包み、つばの広い魔法帽を深く被った彼女は、傍らのケースから重厚な輝きを放つチェロを取り出す。

弓に松脂を馴染ませると、静かに弦へと這わせた。

――独奏が始まる。

濡烏(ぬれがらす)色の髪をわずかに揺らし、地を這うようなチェロの低音が、聴衆の肺腑(はいふ)を震わせる。紡がれる旋律は、数多の吟遊詩人が集うこの街においてさえ異質なほど澄み渡り、それでいて重厚な力強さを秘めていた。

立ち止まる人々が一人、また一人と現れる。観衆の静寂を確認すると、彼女は凛とした、どこまでも透き通った声で詩(うた)を乗せた。

それは、この下界の誰も知らない異世界の英雄譚。

嫉妬深い女神が与えた十二の試練を乗り越え、不屈の意志で神座へと至る男――『ヘラの栄光(ヘラクレス)』の物語。

かつて都市に君臨し、そして去った最恐の女神と同じ名を冠する英雄の名。観衆の間に微かな戦慄と、それ以上の期待が走る。

長い語りが終わり、最後の一音が空気に溶けると、彼女は帽子のつばに手をかけ、深く被り直して優雅に一礼した。

割れんばかりの拍手とともに、チェロケースには次々と硬貨が投げ入れられる。

「っはー! 凄まじい演奏やんか、お嬢ちゃん!」

響いたのは、どこか茶化すような、けれど確かな好奇心が混じった独特な訛り。

都市最大級の派閥を率いる主神ロキだ。その隣には、表情を険しくしたまま少女の纏う「装備」の異常な気配を鋭く値踏みするリヴェリアが立っていた。

「さっきの詩、ちょっとどころやなく興味あるんやけど。少し時間ええかな?」

ロキは細い目を開き、逃がさないと言わんばかりにツクリの肩を掴む。

「……そんなに力を入れなくても、逃げたりしませんよ。ええと――」

「ああ、自己紹介がまだやった。うちはロキ。こっちの堅物はリヴェリアや。キミの名前は?」

そこでやっと、魔法帽の下の瞳と視線がぶつかる。

意志の強さを感じさせる、深いエメラルドの輝き。

「ツクリ・瀬笈と申します。……立ち話も何ですから、場所を移しましょうか」

彼女は肩に置かれた手を優しく退け、手際よく愛器をケースへと収め始めた。

 

 

 

 

 

「すみません、オラリオに来たてで物価がわからないので。今のおひねりで出せるくらいの喫茶店をお願いできますか……?」

 

先程の堂々たる演奏との落差に、申し訳なさそうに小首を傾げるツクリ。その浮世離れした様子に毒気を抜かれつつ、リヴェリアが口を開く。

 

「……近くに私の行きつけがある。店主も気が利く男だ。それに、無理に誘ったのはこちらだからな。代金はロキが持つ。気にする必要はない」

「え? ちょっと、うちはそんなん一言も言うてへんで……?」

「ロキ」

「……へいへい、出せばええんやろ、出せば。男気見せたるわ、うちは女神やけどな!」

 

そんな軽妙なやり取りを挟みつつ、一行は喧騒を離れる。石畳の路地を一本折れた先、蔦の絡まる落ち着いた佇まいの喫茶店へと足を踏み入れた。

 

「いらっしゃい――リヴェリア様、いらっしゃいませ」

「ああ。奥の個室は空いているか?」

「はい、ちょうど清掃が終わったところです。どうぞ」

 

案内された個室は、都会の真ん中とは思えないほど静かだった。どこからか漂う微かな森の香りに、ツクリは不思議そうに鼻を動かしている。

椅子に腰を下ろす際、ツクリがさりげなく置いた大きなケース。それが床を叩く楽器にしては「重い音」に、リヴェリアの眉が微かに動く。中身は楽器だけではない――歴戦の冒険者である彼女の直感が、そう告げていた。

各々が席に着くと、ロキが肘を突き、ニヤリと唇を吊り上げる。先程までの道化の仮面が剥がれ、神特有の底知れぬ圧が室内に満ちた。

 

「さて、早速本題に入らせてもらおか。お嬢ちゃん、さっきの詩やけど……『ヘラの栄光』、ヘラクレスの詩。あれ、えらい完成度やったなあ」

 

ロキの細い目が、射抜くようにツクリを捉える。

 

「けどなあ、ヘラにそんな眷属(こども)は居らんかった。少なくとも、うちの知る『下界の歴史』にはな。……なんでそんな物語を作った? よりによって、この街で今その女神の名を出すんは、少しばかり――いや、相当に不謹慎やと思わへんかったか?」

 

試すような、けれど楽しむような。ロキの問いかけが、ツクリの答えを待たずに静寂を支配した。

 

「……端的に答えから伝えると、ヘラの名を含む物語を詩ったのは意図があってのことです」

 

少し長い話になります、と断り、ツクリは運ばれてきたハーブティーを一口啜った。蒸気と共に広がる香りが、わずかに室内の緊張を和らげる。

 

「私のこれまでの歩みは少々特殊でして。……生半可な御方には、とてもお話しできるものではありません。ですから、あの女神の名に怖じず、その裏にある真意を問いにくるような『力』ある方を探していました」

 

ツクリはそう言って、エメラルドの瞳を真っ直ぐにロキへと向けた。

ロキは一瞬の沈黙の後、肩を揺らして低く笑い始めた。

 

「……ははっ! なるほどなあ。うちはお嬢ちゃんに釣られたわけや。あんな不吉な餌を放り込んで、食いついてくる大物を待ってたっちゅうわけか。えらい度胸やんか」

「ロキ、感心している場合か」

 

リヴェリアが鋭い声でたしなめる。彼女の視線は、ツクリの足元に置かれた重厚な楽器ケース――その奥に隠された「武器」の気配を射抜いていた。

 

「ツクリと言ったか。君の故郷に伝わる物語だと言ったが、神々が関知せぬ『英雄譚』など、この下界にはそうそう存在しない。それに、君が持っているその装備……。ただの旅人が持てる代物ではないな? その質、そして纏う魔力の密度。この街の最高級品(一級武装)と比較しても遜色ない、あるいはそれ以上だ」

 

リヴェリアの指摘は、静かだが逃げ場のない追及だった。

ツクリはティーカップをソーサーに戻し、静かに頷く。

 

「……繋がりはありませんが、この『物語』と、私が持つ『力』は無関係ではありません。私は、私という異端を受け入れ、この力を正しく使える場所を探してここに来ました」

「『力』、か……。お嬢ちゃん、その帽子、脱いで見せてくれるか?」

 

ロキが唐突に、けれど核心を突くように言った。エセ関西弁の軽薄さは消え、観察者の眼光がツクリを捉える。

 

「隠してるとしんどいやろ? うちは隠し事してるガキは嫌いやないけど、家族にするんなら話は別や。……キミの『本当の姿』、見せてもらってもええかな?」

 

暫しの沈黙が流れた。ツクリは運ばれたハーブティーを一口含み、静かにカップをソーサーに戻した。

 

「……わかりました。隠し事をしたままでは、良い演奏もできませんから」

 

魔法帽がゆっくりと持ち上げられる。ふわりと広がった濡烏色の髪の間から、ぴんと立った狐の耳が姿を現した。

 

「狐人(ルナール)、か。確かに珍しいが……」

「はい。私の生まれた集落では、この色は『異端』でした。赤毛こそが誇りである彼らにとって、私は不吉の象徴でしかなかった。……これでも、ロキ様は私を『家族』と呼んでくださいますか?」

「はっ、何を言うかと思えば! そんなん、うちの派閥(ファミリア)におるベートの毛並みよりよっぽど綺麗やんか。個性的で最高やん!」

 

ロキはケラケラと笑い飛ばした。迷宮都市の頂点に立つ神にとって、地上の迷信など路傍の石にも等しい。

 

その言葉に、ツクリの瞳に微かな安堵が宿る。それを見届けたリヴェリアが、視線を足元のケースへと戻した。

 

「……正体については納得した。次は、その『持ち物』だ。楽器ケースに擬態させてはいるが、隠しきれていないぞ。……チェロ以外の、重く鋭い気配がな」

 

リヴェリアの鋭い指摘に、ツクリは静かに頷き、ケースのロックを外した。チェロの傍らに、布で厳重に巻かれた数振りの獲物が収められている。

 

「これらは、故郷から持ち出した『遺産』です」

 

まず現れたのは、美しい輝きを放つミスリル製の薙刀――《スティール・オブ・ザ・レジスタンス》。

 

「ほう……。ミスリル製なのは一目瞭然やが、それだけやない。先端の音叉状の構造に、この得物自体が『意志』を持っとるような魔力の通りや。特定の銘はないようやけど、どこの名工が打ったんや?」

 

ロキが身を乗り出す。だが、ツクリが次に解いた包みを見た瞬間、室内の空気は物理的な質量を持ったかのように重く沈んだ。

一振りは、鞘に収まってなお周囲の魔力を貪欲に吸い上げる、禍々しくも神聖な刀、《村正》。

もう一振りは、鈍い銀の光を放ち、リヴェリアの魔導士としての感性を激しく揺さぶる短剣。

 

「なっ……何やこれ。ゴブニュの爺さんの作でも、ヘファイストスの色でもない……。お嬢ちゃん、これはもう武器の範疇を超えとる。……『神器(アーティファクト)』の類やろ」

「……この力を正しく使える場所を探して、ここに来ました」

「決まりや。そのお宝を使いこなせるだけの力を、うちが刻んだる。――オラリオの『黄昏』を背負う覚悟、あるか?」

 

ツクリは差し出された神の手を、迷いなく握り返した。

 

「……ええ。断られてしまっては、こちらが困るところでしたから。これから、よろしくお願いします」

 

 

差し出した手を握り返すツクリ。ここに誓約は成された。

ここからツクリの物語は始まる。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告