ダンジョンにネフがいるのは間違っているだろうか   作:黒狐

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薄明が空を縁取り、世界が夜から朝へと移り変わる寸前の静寂。

ツクリは「黄昏の館」の中庭で、《村正》を片手に神楽舞を行っていた。少し離れた場所では、アイズが木槍と木剣を傍らに置き、瞬きも惜しむようにその幻想的な軌跡を見つめている。

一通り舞い終わると、ツクリはアイズから木槍を受け取り、静かに向かい合った。

魔法帽は傍らの岩の上。露わになった濡烏色の髪と、ピンと立った二つの獣耳が、激しい運動の名残で微かに震えている。

 

「……ツクリ。手加減は、いらない。本気で、きて」

 

アイズの黄金色の瞳には、純粋な「武」への渇望が宿っている。ツクリは不敵に、けれど優しく微笑んだ。

 

「ええ、わかりました。……アイズさんの『風』、私に聴かせてください」

 

――開戦。

アイズの踏み込みは、視界を焼き切る閃光の如く。

瞬間的に放たれた一閃を、ツクリは木槍の石突(いしづき)で受け流す。

 

「――ドォォォォン!!」

 

木同士がぶつかり合う音とは思えない、腹に響くような重低音が炸裂した。衝撃波が中庭の木々を激しく揺らし、朝露を四方に散らす。

 

「目覚めよ(テンペスト)――エアリエル!」

「響け(レゾナンス)……矢(アロー)!」

 

 

各々が武器に魔法を付与し、さらに激しくぶつかり合う。

アイズの『風』が吹き荒れ、ツクリの周囲を切り裂こうとするが、ツクリはその風の「リズム」を読み、最小限の回避から鋭い反撃へと繋げる。

 

(……すごい。アイズさんの風は、激しいのにどこか寂しい音がする)

 

圧倒的な剣速のアイズに対し、ツクリは「音の先読み」と「規格外の魔力出力」で対抗する。

二人の戦いは、もはやレベル一とレベル五のそれではない。傍目には、黄金の旋風と濡烏色の激震が激しく火花を散らす、幻想的な二重奏(デュエット)に見えていた。

数十合の打ち合いの末、二人は同時に飛び退き、間合いを取った。アイズは少しだけ肩で息をしながら、どこか嬉しそうに口元を綻ばせる。

 

「……ツクリ。やっぱり、あなたの音、凄いね」

「ふふ、光栄です。アイズさんの剣も、とても真っ直ぐな音がしましたよ」

 

ツクリが槍を収めようとした、その時だった。

訓練場の隅。植え込みの影で、呆然とこちらを見つめる青い瞳と視線がぶつかった。

 

「あ……、ぁ……」

 

練習用の杖を手に、生まれたての小鹿のようにガタガタと震えているレフィーヤだ。

彼女の視線は、ツクリの圧倒的な実力と、そして帽子から覗く、朝日を浴びて輝く「黒い狐耳」に釘付けになっていた。

 

 

 

 

 

「……置いていかれてしまいました」

 

館の自室で、私は何度目かわからない溜息をつきました。

アイズさんたちが中層への遠征から帰還して数日。留守番を言い渡されていた私は、再会を喜ぶと同時に、自分の未熟さを嫌というほど痛感していました。

アイズさんの隣を歩くのは、私のはずだったのに。

いえ、今の私では足手まといになるだけ。それは分かっています。でも――。

 

「アイズさんとツクリさん、あんなに仲が良かったでしょうか……?」

 

帰還したアイズさんが、ツクリさんとだけ通じる「空気」を纏っていたのが、どうしようもなく気になっていました。私が入る隙間のない、穏やかで、けれどどこか深い秘密を共有しているような、あの視線の交わし方。

 

(私も、混ざりたいです……!)

 

悶々とした想いを振り払うように、私は杖を手に取って早朝の中庭へと向かいました。せめて自主練をして、少しでもアイズさんに近づかなければ――。

しかし、中庭に辿り着いた私の足を止めたのは、静寂を切り裂くような重い衝突音でした。

 

「――ドォォォォン!!」

 

空気が震え、植え込みの葉が激しく揺れます。

何事かと駆け寄った私の目に飛び込んできたのは、朝焼けの中で火花を散らす、黄金の旋風と濡烏色の激震。

 

「……アイズ……さん?」

 

そこには、今まで見たこともないような「楽しそうな」顔で剣を振るう、アイズさんの姿がありました。

そして、その剣を真っ向から、たった一本の木槍で受け止めているのは――ツクリさん。

 

「……えっ?」

 

声が漏れたのは、その実力差に驚いたからだけではありませんでした。

激しく舞い踊るツクリさんの頭上。いつもはつばの広い魔法帽に隠されているはずの場所で、ピンと立った黒い獣の耳が、朝日を浴びて艶やかに揺れていたのです。

犬人(シアンスロープ)じゃない……。あの美しく気高い耳の形は、まさか。

(狐人(ルナール)……!?)

滅多にみられない、極東の神秘。

その正体を、そしてアイズさんが自分を差し置いて、そんな特別な人と「手合わせ」をしている。

尊敬、嫉妬、驚愕、そして言いようのない疎外感。

 

「あ……、ぁ……」

 

手にした杖が、ガタガタと震えます。

目の前の光景は、あまりにも美しく、そして残酷なほどに今の私とは別次元の「音」を奏でていました。

不意に、二人の動きが止まりました。

アイズさんの満足げな笑みと、ツクリさんの穏やかな声。

 

「ふふ、光栄です。アイズさんの剣も、とても真っ直ぐな音がしましたよ」

 

そこで、ツクリさんのエメラルドの瞳が、私を射抜きました。

帽子を被っていない、ルナールとしての真の姿。その美しさに、私は呼吸をすることさえ忘れて立ち尽くしてしまいました。

 

 

 

 

 

「あ……、ぁ……」

 

私の声にならない悲鳴に、中庭の空気が止まりました。

振り返ったツクリさんの頭上。ピンと立った濡烏色の耳が、朝日を浴びて、私の瞳に焼き付いています。

 

「……あ」

 

隣にいたアイズさんが、小さく声を漏らしました。

彼女の黄金色の瞳が、ツクリさんの耳と、震える私を交互に見つめています。そして、アイズさんはなぜか、見たこともないような「不満げな」顔をして、ツクリさんの服の袖をぎゅっと掴みました。

 

「……秘密、だったのに。私と、ツクリだけの」

「ええっ!? アイズさん、今なんて……秘密!? お二人だけの秘密だったんですか!?」

 

私の叫びが中庭に木霊します。

置いていかれた疎外感。そして、アイズさんの「私だけの」と言わんばかりの態度。憧れと嫉妬が混ざり合い、私の頭の中は沸騰寸前でした。

 

「ふふ、そんなに怖い顔をしないでください、アイズさん」

 

ツクリさんは困ったように微笑むと、アイズさんの手を優しく解き、ふらふらと腰が抜けそうな私の元へと歩み寄ってきました。

 

「レフィーヤさん。……驚かせてしまいましたね。本当はもう少し、あなたが今の魔力制御に慣れてからお話しするつもりだったのですが」

「ツ、ツクリさん……その、耳……狐人(ルナール)、なんですか?」

「ええ。正確には少し事情がありますが……今は、あなたの『先生』としての顔だけで勘弁してください」

 

ツクリさんはそう言うと、私の目の前で膝をつき、視線を合わせました。

そして、あろうことか、その黒い耳をぴくりと動かし、私の方へと差し出したのです。

 

「口止め料、というわけではありませんが。……少し、触ってみますか? リヴェリアさんに聞くと、エルフの方はルナールに少し特別な感情をお持ちだとか」

「えっ……触っ……いいんですか!?」

 

女性の耳に触れるなんて、そんな破廉恥な……!

……そう思うのに、私の手は勝手に伸びていました。

指先に触れる、シルクのように滑らかで、けれどどこか熱を帯びた毛並み。

 

「ふわぁ……。柔らかい……それに、魔力が、温かいです……」

「レフィーヤ。……ずるい」

 

背後から、アイズさんのジト目が刺さります。

彼女は自分の番を奪われた子供のように、不機嫌そうに頬を膨らませていました。アイズさん自身、なぜ自分がこんなにイライラしているのか分かっていない様子でしたが、私には分かります。

アイズさんは、ツクリさんという「特別な音色」を独り占めしたかった。

そして私は――そんなお二人の間に、どうしても入りたい。

 

「……秘密、守れますか? レフィーヤさん」

 

耳を触らせたまま、ツクリさんがエメラルドの瞳をいたずらっぽく細めました。

 

「は、はいっ! 誰にも……リヴェリア様にも言いません! ですから……これからも、私に魔法を教えてください! あと……その、私も、手合わせに混ぜてください!」

 

なりふり構わぬ私の懇願に、ツクリさんは声を立てて笑いました。

その笑い声さえも、心地よい和音(コード)のように私の心を落ち着かせていきます。

 

「もちろんです。三人で練習すれば、きっともっと良い『合奏』になりますから」

 

ツクリさんは私の頭を優しく撫でると、傍らの岩から魔法帽を取り出し、ゆっくりと被り直しました。

耳が隠れ、いつものミステリアスなツクリさんに戻る。

けれど、私の指先にはまだ、あの温かな「秘密の感触」が残っていました。

 

「……アイズさん。そんなに拗ねないでください。戻ったら、アイズさんの分のお菓子も用意してありますから」

「……。……バター、多いやつ?」

「ええ、とびきり贅沢なのを」

 

現金なもので、アイズさんの眉間の皺が少しだけ緩みます。

アイズさんの隣を歩くツクリさんと、その後ろを必死に追いかける私。

黄金色と濡烏色の背中を見つめながら、私はこの「秘密の同盟」が、壊したくないほど大切なものに思えてくるのでした。

 

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