薄明の空が、少しずつ黄金色に溶け始めていた。
「黄昏の館」の中庭。ツクリは、Lv.2へと昇華したばかりの己の「器」を確かめるように、静かに、けれど鋭く木槍を振るっていた。
(……響きが、違う)
レベル一の限界(S 999)に達していた肉体は、ランクアップによってさらなる「広がり」を得ていた。蓄積されていた潜在経験値が新しい器を瞬時に満たし、以前と同じ動作であっても、そこに乗る質量とマナの密度が桁違いに増している。
軽く踏み込むだけで、石畳を砕かんばかりの圧力が伝わってきた。
「――おっと。これでは、またリヴェリア先生に叱られてしまいますね」
ツクリは苦笑し、暴走しがちな出力を楽器を調律するように抑え込んだ。
その時、中庭の入り口から二つの気配が近づいてきた。
「……随分と、念入りな調整だね。昨日の今日で、もうその身体に馴染み始めているのかい?」
穏やかな声。団長フィン・ディムナと、その隣に並ぶリヴェリアだ。
ツクリは槍を収め、魔法帽のつばを直して一礼した。
「おはようございます、フィンさん。……リヴェリアさんも」
「……その顔つき……昨日までの深層での経験が、良い糧になったようだな」
リヴェリアはどこか誇らしげに目を細め、フィンの脇に抱えられた「布包み」に視線を落とした。フィンがそれを恭しく、ツクリの前に差し出す。
「約束通り、これの解禁許可を出すよ。……君がこの一年半、どれほど自分を律してきたかは、僕たち全員が見てきた。今の君なら、この重圧に呑まれることはないだろう」
ツクリは慎重に、その包みを解いた。
現れたのは、淡い銀の光を放つミスリル製の薙刀――《スティール・オブ・ザ・レジスタンス》。
一年半前、異世界から持ち込み、そのあまりの存在感に「器が追いつくまで」と封印されていた神器だ。
「……お久しぶりですね」
ツクリがその柄を握った瞬間。
キィィィィィン――と、共鳴するような高周波が中庭に響き渡った。
武器が主人の魔力に呼応し、喜びを歌っているかのような震え。ツクリの指先から流れ込む膨大なマナを、神器は何の滞りもなく受け入れ、より純粋な力へと変換していく。
「……いい。素晴らしい音(こえ)だ」
一振り、横に薙ぐ。
ただの素振りだというのに、真空の刃が中庭の空気を切り裂き、遠くの植え込みを揺らした。
「今の君なら、それに見合う『二つ名』を名乗っても恥ずかしくない。……ロキが、神会(デナトゥス)へ向かったよ」
フィンが空を仰ぐ。バベルの最上階では、今まさに気まぐれな神々による命名式が始まろうとしていた。
「――はいはい、注目! ウチの期待の超超超大型新人の二つ名を決めてもらおか!」
ロキは円卓の上で、これ以上ないほど不敵に笑った。
提出されたのは、ツクリの「ルナール(狐人)」としての出自、そして類まれなる演奏と舞の記録。
「……ルナールだと? しかも、その黒髪。超レアな子供だな。」
「なんて美しい旋律……。私の派閥(パルテノン)へ勧誘したいほどだよ」
神々の間で、ツクリの存在は一気に熱を帯びる。神々にとって、彼女の立ち振る舞いはあまりにも魅惑的だった。
「決まったで。……彼女の歌声は、戦場を調律し、絶望の中で勝利を詩(うた)う」
一人の神が、羊皮紙に文字を記した。
【絶唱の巫女(アリア・マギカ)】
ロキはその名を見て、満足げに鼻を鳴らした。
「絶唱、か……ええやんか。アイズの『風』と共に、ウチの派閥を盛り立ててもらうで」
こうして、ツクリ・瀬笈の正体と、その尊き名がオラリオ中に知れ渡ることとなった。
再び、黄昏の館の中庭。
神器を手にしたツクリの前に、いつの間にかアイズが立っていた。
彼女は言葉を交わす必要さえ感じなかった。ツクリが放つ、今までとは比較にならないほど鋭く、澄み渡った「音」に惹きつけられたのだ。
「……ツクリ。その槍……すごい、音がする」
「ええ。アイズさんの『風』を、今度こそ応えられるかもしれません」
ツクリは魔法帽を脱ぎ、傍らの石段に置いた。
露わになった濡烏色の髪と、ぴんと立った狐の耳。
もう、隠す必要はない。Lv.2、二つ名持ちの冒険者として、彼女はこの街で本当の自分を奏でる決意を固めていた。
「手合わせ……、いい?」
「もちろんです。……全力で、奏でましょう」
アイズの『デスペレート』と、ツクリの《スティール・オブ・ザ・レジスタンス》が、朝日に照らされて銀色の火花を散らす。
ここに、新しき「二つ名」を背負った巫女の、真の冒険が幕を開けるのだった。
ギルドの掲示板には、前日の神会で決定された「新二つ名」が貼り出されていた。
「――【絶唱の巫女(アリア・マギカ)】。……やっぱり、少し派手すぎではありませんか?」
魔法帽を深く被り直したツクリは、隣を歩くレフィーヤに苦笑いを向けた。彼女の隣には、同じくLv.2へと昇華した【千の妖精(サウザンド・エルフ)】が、誇らしげに、けれど少し気恥ずかしそうに胸を張っている。
「そんなことありません! ツクリさんの昨日の舞……中庭で見ていた団員たち、みんな溜息をついていましたよ。……ルナールとしてのあの姿、本当に綺麗でしたから」
「ふふ、ありがとうございます。ですが、名前に負けないように装備も整えないといけませんね」
二人が向かったのは、石造りの重厚な工房が立ち並ぶ区画。
目的の場所は、武具制作の最高峰――『ゴブニュ・ファミリア』の総本山だ。
重い鉄の扉を開けると、熱気と共にリズミカルな金槌の音が響いてきた。
「……リヴェリアから話は聞いておる。新人のレベルアップ祝いだそうだな」
奥から現れたのは、無愛想だが瞳に深い知識を湛えた小人の神――ゴブニュだ。彼はツクリを上から下まで値踏みするように見つめ、その視線を彼女が背負う布包みへと向けた。
「……その獲物、見せてみろ。」
ツクリが神器《スティール・オブ・ザ・レジスタンス》を差し出す。
ゴブニュはそれを手に取ると、軽く爪で弾いた。キィィィン……と、極上の鐘のような余韻が工房を満たす。
「……ミスリルか。だが、ただのミスリルではないな。使い手のマナを喰うのではなく、共鳴して増幅させるよう『調律』されておる。……これを持つのなら、半端な防具では道具が泣くな」
ゴブニュは腕を組み、ツクリの体格をじっくりと観察した。
「リヴェリアからは胸甲と篭手を頼まれておるが……。この槍、両手での旋回と突きを主軸にするはずだ。重い盾は邪魔になるだけだな。……よし、左腕の動きを殺さない『特殊合成盾』もセットで作ってやる」
「盾、ですか? 薙刀の取り回しに影響はありませんか?」
「俺を誰だと思っておる。……アダマンタイトの極小プレートをオリハルコンの糸で繋ぎ、お前の回避動作を邪魔せんよう、腕のラインに沿って展開するワンオフ品だ。これなら、槍を振るう勢いを防護の力に変えられる」
ゴブニュはそう言うと、真っ赤に熱された金属塊を金槌で叩き始めた。
「……ツクリ。武器がいいものなら、防具も生半なものではなるまい。ワシが作ってやる。お前の絶唱を邪魔させん、最高の舞台装置だ」
その言葉に、ツクリはエメラルドの瞳を輝かせ、深く一礼した。
「絶唱の巫女」を支えるための、真の装束。
それは、職人神の魂を乗せて、今まさに形作られようとしていた。