「夜は打ち上げやるからなー!忘れんようにー!」
遠征から帰還した翌朝、ホームから出発する面々にロキの大きな声が響き渡った。
ダンジョンから持ち帰った膨大な戦利品の換金、傷ついた武具の整備や買い替え、そして消耗した道具の補充。どれほど深層で偉業を成そうとも、冒険者である以上、この泥臭い事後処理から逃れることはできない。夜の宴という極上の報酬をぶら下げられた団員たちは、朝から戦場のような忙しさに追われていた。
回収した資源の多くはギルドや専門の派閥に買い取ってもらうことになる。ツクリは、ティオネやレフィーヤと共に、【ディアンケヒト・ファミリア】の本拠地へとクエストの報告に向かった。
独特な薬草の匂いが立ち込める応接室。ティオネが今回の依頼報酬である万能薬(エリクサー)十本を冷徹な手付きで受け取り、続いて深層で剥ぎ取った「カドモスの皮膜」の売却交渉に入るのを、ツクリは隣の席でぼんやりと眺めていた。
(……凄い熱量です。団長(フィン)に少しでも良い報告をしたいという想いが、声の端々から刺すような高周波になって響いていますね)
ティオネの容赦のない突き上げの結果、最終的に提示された取引額は、一千二百万ヴァリスという新人冒険者なら一生かかっても拝めないような巨額に達した。
差し出された金貨の山を前に、ツクリは「恋するアマゾネスは、深層の魔物よりも恐ろしい」という、至極真っ当な教訓を深く胸に刻むのだった。
その後、デスペレードの整備とウルガの損失の報告の為に【ゴブニュ・ファミリア】へと向かうアイズとティオナの二人を笑顔で見送り、ツクリたち三人は戦利品を一度ホームへと持ち帰った。
荷物を倉庫へ納め、ようやくすべての事務作業が完了する。ツクリは軽く肩を回し、濡烏色の尻尾を一振りした。
すでに外からは、待ちきれない団員たちの騒がしい足音が聞こえてきている。彼女はレフィーヤたちと顔を見合わせると、今夜の主役たちを温かく迎えてくれるであろう、賑やかな打ち上げの会場へと合流するのだった。
「よっしゃあ!ダンジョン遠征みんなごくろうさん!!今日は宴や!飲めぇ!!」
「「「「「乾杯ーー!!」」」」」
迷宮都市でも一際名高い酒場【豊穣の女主人】の中央を陣取り、主神ロキのけたたましい音頭の元、ワイワイガヤガヤと賑やかな宴会が始まった。
団長のフィンを何とか酔いつぶそうとするティオネや、あろうことか飲み比べの勝者へ『リヴェリアの胸を自由にする権利』を勝手に賭け始めるロキ、そしてそれに対して青筋を立てて呆れ返るリヴェリア。いつも通りの、騒がしくも愛おしい我が家の光景だった。
自身のスキル『万象奏者』が周囲に干渉してしまうため、さすがにこのような公共の場でチェロを奏でるわけにはいかない。ツクリは喧騒から少し離れた席で、静かにウイスキーをちびちびと舐めていた。
だが、周囲の悪ノリで飲まされかけたアイズの身代わりとなり、大量の酒を煽ったベートが、完全に悪酔いした様子で大声を張り上げ始めたことで、満座の空気は一変した。
「そうだアイズ! お前のあの話を皆に聞かせてやれよ!」
「アレだよ、帰る途中で逃がしちまったミノタウロス! 最後の一匹、お前が第五階層で始末しただろ! そんでほれ、あん時いたトマト野郎の話だよ!」
「ミノタウロスって、第十七階層で返り討ちにしたら逃げ出したやつ?」
ティオナがジョッキを片手に首を傾げる。
「それそれ! 奇跡みてぇにどんどん上層に上っていきやがってよ、俺たちが泡食って追いかけて行ったやつ! それでよ、いたんだよ。いかにも駆け出しっていうような、ひょろくせぇガキがさ! 兎みたいに壁際に追い込まれちまってよぉ! 可哀そうなぐらい震え上がっちまってやんの!!」
「ふむぅ? それでその冒険者どうしたん? 助かったん?」
ロキが面白がって身を乗り出す。
「アイズが間一髪でミノを細切れにしてやったんだけどよぉ、そいつ……あのくっせー牛の血を全身に浴びて、真っ赤なトマトになっちまったんだよ!! くくくっ、ひーっ、腹いてぇ……! アイズ、アレ狙ったんだよな? そうだよな? 頼むからそう言ってくれ……」
「……そんなこと、ないです」
アイズは居心地悪そうに視線を落とすが、ベートの暴走は止まらない。
「それにだぜ? そのトマト野郎、情けねぇ悲鳴を上げながら脱兎のごとくどっか行っちまってさぁ! うちのお姫様、助けた相手に恐怖で逃げられてやんの!!」
大爆笑に包まれる酒徒たちのテーブル。ちろちろと琥珀色の液体を口に含みながら、ツクリは昨日、大浴場でアイズが漏らした「私って怖いのかな」という言葉を思い出していた。
(……なるほど。アイズが悩んでいた不協和音の正体は、これでしたか)
俯いてしまったアイズの様子に気づき、リヴェリアが冷徹な声で会場に釘を刺す。
「いい加減そのうるさい口を閉じろ、ベート。ミノタウロスを上層へ逃したのは我々の不手際だ。巻き込んでしまったその少年に謝罪することはあれ、酒の肴にする権利など我々にはない。恥を知れ」
その凛とした叱責に、周囲の団員たちはピタリと笑いを止める。しかし、泥酔しているベートの耳には届かない。彼は挑発的な視線をアイズへと向けた。
「アイズ、お前はどう思うよ? 自分の目の前で震え上がるだけの、そんな情けねぇ野郎をさ」
「……あの状況じゃあ、怯えてしまうのも仕方なかったと思います」
「けっ……じゃあ質問を変えるぜ? あのガキとオレ、ツガイにするならどっちがいい?」
「……私はそんなことを言うベートさんだけはごめんです。」
「無様だな」
リヴェリアが冷ややかに吐き捨てる。
「黙れババァ! じゃあ何か? お前はあのガキに好きだの何だの抜かされたら受け入れるってのか? そんなわけねぇよなぁ! 気持ちだけが空回りしてる軟弱野郎に、お前の隣に立つ資格なんてありはしねぇ! 他ならないお前がそれを一番認めねぇはずだ!」
ベートの咆哮が、木造の酒場にぎらぎらとした殺気を孕んで響き渡る。
「雑魚じゃあアイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねぇ!」
その瞬間、ガタンッ!! と激しく椅子が倒れる大きな音が響き、入り口近くの席から、一つの白い影が【豊穣の女主人】を飛び出していった。
「ベルさん!?」
店員の一人が悲痛な声を上げて後を追おうとするが、白い影は闇夜の雑踏を狂ったように突き進んでいく。ツクリはその少年の横顔を一瞬だけ捉え、エメラルドの瞳を鋭く見開いた。やはり、あの門前で出会った少年だ。
彼の気配を追うように、アイズが弾かれたように店を飛び出す。ツクリもまた、ウイスキーのグラスを置いて即座にその後を追った。
店の外、夜風が吹き抜ける路地で、アイズはすぐに立ちすくんでいた。
「大丈夫ですか?アイズ。」
「……ツクリ。私……」
「何も言わなくて大丈夫です。……私は彼を追います。幸い、あの混じり気のない白い旋律には覚えがありますから。あなたとの対話のために、彼を死なせるわけにはいきません」
「……ツクリ」
「アイズ、あなたは彼にかける言葉(ねいろ)を考えておいてください。それは今日ではない、いつかかもしれませんが」
後ろからロキやリヴェリアが追いついてくる気配を察知し、ツクリは一言残すと、夜のオラリオをバベルの塔へと向かって地を這うような速度で駆け出した。