その美食屋、転生者につき   作:苦笑いの妖精

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解毒フグ鯨

 

 持ち込み厨房の客層は明らかに変わっていた。

 最初の頃は新人美食屋や市場の商人が中心だった。今は町の外から来た料理人、食材ブローカー、腕利きの採取屋、名前だけは聞いたことのある美食屋まで並ぶ。持ち込まれる食材も、捕獲レベル一桁の野菜や小型獣から、捕獲レベル二十前後の危険食材へ変わりつつあった。切れ端や訳アリ品ではない完品が、だ。

 

 岩蜜牛、捕獲レベル18。

 

 背中に蜂の巣状の脂肪層を持つ牛型食材で、肉の内部に琥珀色の蜜脂が走っている。火を入れすぎると蜜脂が焦げ、逆に浅すぎると獣臭さが残る。絶妙な火加減を要求する食材を自動料理は肉を厚く切り、表面だけを香ばしく焼き、内部の蜜脂を肉汁へ溶かした。噛むと牛肉の旨味と花蜜の甘さが同時に広がり、後味にわずかな草の香りが残る。

 

 波塩サーモン、捕獲レベル22。

 

 身の中に塩の層を持つ川魚で、切り身にすると断面が波模様になる。塩気が部位ごとに違うため、普通に焼くと一口ごとの味が乱れる。自動料理は塩分の強い筋を薄く抜き、残った身を低温で蒸した。皿の上に置かれた身は淡い桃色で、箸を入れると層ごとにほぐれ、脂と塩が舌の上で自然に混ざった。

 

 月光鹿、捕獲レベル27。

 

 角に青白い光を宿す鹿型食材で、肉は赤身中心。血抜きが悪いと鉄臭さが強くなるが、適切に処理すれば香草に似た爽やかな香りが立つ。自動料理は肉を薄く叩き、香草と果実酢で軽く締め、冷製の前菜にした。見た目は濃い紅色。口に入れると、赤身の力強さの奥から夜風のような香りが抜けた。

 

 食材の格が上がれば、客の目も変わる。

 

 料理を食べに来る者より、技術を確かめに来る者が増えた。危険な食材をあえて持ち込み、処理できるか探る者もいた。試されていることはわかっていたが、自分はそれを悪いことだとは思わなかった。難しい食材が来るほど、手間賃として得られる素材も良くなる。

 

 ある日、得意客の一人が小さな保冷箱を持ち込んだ。

 その人物は以前にも何度か珍しい食材を持ち込んでいた。好奇心が強く、珍味への執着があり、調理所の限界を見たいという子供じみた癖もあった。今回も、その延長のつもりだったのだろう。

 

 保冷箱の蓋が開いた瞬間、空気が変わった。

 中に入っていたのは、一匹のフグ鯨だった。

 ただし、普通のフグ鯨ではない。

 毒化していた。

 

 半透明の白い身には、紫に近い黒い筋が蜘蛛の巣のように走っている。表面には水滴が浮いているが、その水滴の一つ一つが薄い毒膜を作っていた。身の中心には淡い銀色の輝きが残っている。食材としての価値は失われていない。むしろ、毒に侵されたことで旨味が異常な密度へ変化しているように見えた。死んでも食べたい一品…だったか?

 

 毒化した個体は、可食部である全身に猛毒が回る。毒抜きは可能だが、一緒に味、食感、旨いとされる要素が抜け落ちる。美食人間国宝たちでさえ、公式に毒抜きを成功させた実績がないとされている。

 

 得意客の態度には、冗談めいた軽さがあった。

 本気で食べたいというより、さすがに無理だろうという空気だった。周囲の客は半分は面白がり、もう半分は恐れていた。店先の空気は静かになり、鍋の湯気すら遠く感じられた。

 

 目の前の食材はあまりにも魅力的だった。

 

 毒化とはいえフグ鯨、捕獲レベル29の超高級食材。

 

 自動料理が反応していた。

 拒絶ではない。

 調理が可能の時の感覚。

 

 保冷箱を預かり、四次元マンション内の調理場へ移した。表の客には待たせる形になるが、もともと作業は見せない約束だ。

 白い調理場の中央に、毒化フグ鯨の身を置く。

 まず、食材全体を隔離する。円と周の要領でオーラによる薄い膜を張り、毒気が外へ漏れないようにする。さらに、解毒系の呪文をいつでも発動できるように心構えをする。ここで直接解毒をかけると旨味まで壊す可能性──他の毒化食材で試したら食べれなくなった──があるため、呪文は周囲の安全確保に使うだけにする。

 

 自動料理が始まった。

 

 最初に身の表面から毒膜が剥がれた。薄紫の膜は紙のように浮き上がり、空中で細い糸へ分かれる。糸はすぐに黒い雫となり、専用の器へ落ちた。器の内側では毒が泡立ち、白い煙を出す。

 

 次に黒紫の筋が動いた。

 

 フグ鯨の身を傷つけず、筋だけが抜けていく。まるで白い布から黒い縫い糸を解くように。筋の一部は旨味の通り道でもあるらしく、引き抜きすぎると身が痩せる。自動料理は毒だけを細く削り、旨味を含む透明な脂を残す。

 身の色が変わっていく。

 紫に濁った白から、真珠のような白へ。

 紫が完全に消えた瞬間、身が金色に変わり、更に白金へと変わる。光輝くそれは旨味の結晶のようだった。通常のフグ鯨にはない変化。毒化によって一度侵された身が、危険な熟成を経て別物になっている。

 最後に、薄造りが始まった。

 刃は見えない。だが、身は一枚ずつ剥がれ、皿の上へ重なっていく。厚みは紙よりわずかに厚い程度。それなのに破れない。透き通った白身の中に、金色の線が細く走り、光の角度で波のように揺れる。

 

 完成した皿は、芸術と言っても過言ではなかった。

 

 毒化フグ鯨の白金薄造り。

 横には、抜き取った毒を完全に無害化し、香りだけを残した少量の煮切り。通常なら絶対に使えない毒の名残を、風味の影だけに変えたものだった。舌に乗せれば、フグ鯨の澄んだ旨味へ、危険だった頃の鋭い香りが一瞬だけ重なるはずだった。

 

 気が付けば一切れを口に運んでいた。

 

 安全確認という建前を思う前に、体が動いていた。

 

 味は、静かに来た。

 最初は水のように澄んでいる。次に、舌の表面で甘みが広がる。噛む必要はほとんどない。白身が体温でほどけ、旨味が喉の奥へ落ちる。遅れて、海の香りに似た深い余韻が胸の内側まで届いた。毒化していた名残は、刺激ではなく緊張感として残っていた。命を削るような鋭さが、完全に安全な味へ変換されている。

 

 食べ終えた瞬間、これ以上ない成功を確信した。

 

 表へ戻ると、待っていた者たちの視線が皿へ集中した。毒化していたはずの身が、透明な白金と金色の薄造りになっている。毒の匂いはない。むしろ、清らかな香りが周囲へ広がり、客たちの緊張を別のものへ変えていった。

 

 得意客は冗談で済まなくなったことを理解していた。

 

 最初の一切れが口へ運ばれた後、その人物の顔から余裕が消えた。恐怖ではない。驚きでも足りない。常識が壊れた者の顔だった。毒化フグ鯨が食べられる。しかも、普通のフグ鯨より深い味で成立している。その事実を、舌が証明してしまった。

 

 周囲の者たちは、しばらく料理を見ていた。

 

 それを見かねた得意客がほんの少量ずつだが試食を勧めた。

 

 莫大な歓声が上がったのも束の間。

 

 口に含んだ者は黙り、二口目を求める前に自分で手を止めた。欲はある。だがそれ以上に自分が今とんでもないものを食べたという理解があったのだろう。

 

 噂はその日のうちに町を出た。

 

 翌日には周辺の町へ広がり、数日後には大きな市場の食材商が確認に来た。さらに、IGO関係者を名乗る人物たちが現れた。彼らは強引ではなかったが、目は真剣だった。毒化フグ鯨の毒抜き成功。それは小さな調理所の珍事件では済まない。

 

 美食の世界では、食材を捕る者だけが偉いわけではない。

 食材を食べられる形へ変える者にも、同じか、それ以上の価値がある。特に、誰も成功させていない危険食材を料理に変えたとなれば、扱いは一気に変わる。

 

 自分の名声は跳ね上がった。

 

 それを狙っている面はあったがいささか目立ち過ぎだ。

 自分の持つ調理能力の異常性は隠せなくなったと見ていい。

 あの皿を見た者、食べた者、噂を聞いた者は、必ず次の食材を持ち込む。もっと難しいものを、もっと危険なものを、もっと価値のあるものを、と。

 

 実に面倒だが、悪いことばかりでもなかった。

 

 食材のグレードが、目に見えて数段上がった。

 毒化フグ鯨の件から一週間後、持ち込まれる素材は別物になった。

 

 宝玉ニワトリの卵、捕獲レベル36。

 

 殻が鉱石のように硬く、内部の黄身が宝石のように輝く卵。割り方を間違えると殻の破片が中へ入り、色や輝きがくすむだけでなく味や食感も台無しになる。黄身は濃厚で、熱を入れすぎると固まり方が粗くなる。自動料理は殻を音もなく外し、黄身を低温で固め、白身を淡い泡へ変えた。完成した卵料理は、黄身の甘みがクリームのように広がり、白身の泡が舌の上で消えた。

 

 グレイシアスマンゴー、捕獲レベル41。

 

 常温でも凍ったままの果実で、皮の下に薄い氷の層を持つ。普通に切ると果汁が凍結したまま砕け、香りが飛ぶ。自動料理は皮を極薄に剥き、果肉の温度を一部分だけ緩め、氷の食感を残したままシャーベット状に整えた。甘みは鋭く、酸味は短い。飲み込んだ後に、南国果実の濃い香りが鼻へ戻った。

 

 黒雷猪、捕獲レベル48。

 

 体内に微弱な電気を溜める猪型食材。肉の繊維が刺激に強く、普通の火入れでは硬くなりやすい。脂は黒に近い琥珀色で、焦げると苦味が出る。自動料理は肉を厚切りにし、繊維の向きを整え、内部の電気を熱へ変換して焼き上げた。表面は香ばしく、中は赤みを残し、脂は舌の上で燻製香に変わった。

 

 ミーティアサリ、捕獲レベル52。

 

 数年に一度、グルメ彗星が近付いた夜、空から降り注ぐ二枚貝。殻は深い藍色で、内側に銀の点が散っている。砂抜きが難しく、光砂と呼ばれる硬い粒が残りやすい。自動料理は殻を開く前に光砂だけを吸い出し、身を貝汁へ落とした。汁の表面には銀色の油が浮き、飲むと潮の旨味と夜空のような冷たい香りが重なった。

 

 持ち込み厨房の予約が半年待ちになり、今でも予約の組数が延び続けている。

 表の屋台は残したが、更に開店頻度が落ちた。一般客向けには安価な料理を出し、特別な食材は別枠で受ける。

 IGO関係者や有力な食材商が関わる案件は表の店ではなく、借りた調理場を経由する形にした。実際の調理は四次元マンション内で行うが、外からは専用厨房を使っているように見せる。

 

 今さらながら事の重大さを理解していた。

 

 毒化フグ鯨の毒抜きは、ただ料理がうまいという話ではない。未知の毒、食材の変質、調理不可能とされた素材への対応。それらをまとめて突破した実績になる。美食人間国宝たちの領域へ、無名の料理人が横から手を突っ込んだ形でもある。

 

 かなり悪目立ちした形だが、露骨な嫌がらせは想定よりも少なかった。

 理由は単純。潰すよりも料理を依頼した方が得だからだ。希少食材を無駄にせず、危険食材を価値へ変える。食の世界で自分は敵に回すより利用すべき存在へと成れたらしい。

 

 だからと言ってスタンスは変えない。

 

 名声が上がっても、目的は変わらない。

 

 未知なる美味を求め、食べたいものを食べられる様にする。

 

 そのために信用と食材の流れを作ったのだ。

 

 毒化フグ鯨の件はやり過ぎだと思うし反省もする。しかし結果だけ見ればプラスだった。自分の食材庫には、以前なら見られなかった高級素材が増えている。宝玉ニワトリの卵、グレイシアスマンゴー、黒雷猪、ミーティアサリ。さらに、まだ調理待ちの素材もある。

 

 虹羽根孔雀、捕獲レベル56。

 

 羽の色が肉質へ影響する鳥型食材で、七種類の香り、味、食感を持つ。切る角度によって味の組み合わせが変わるため、料理人泣かせとして知られる。肉の断面は淡い桜色で、光を受けると青、緑、金の筋が浮く。焼けば香りが飛び、蒸せば味がぼやける。自動料理は薄い昆布状の香草で包み、香りを閉じ込めたまま低温で火を入れたようだ。

 

 金脈カボチャ、捕獲レベル44。

 

 果肉の中に金色の蜜筋を持つ巨大野菜。甘みがかなり強いため、菓子に向くが、熱を入れすぎると蜜の成分が分離する。皮の強度が非常に高く、斧による一撃でも微かな傷しか付かない。自動料理は皮を器として残し、中身を滑らかなポタージュへ変えられる。甘さの奥に土の香りがあり、肉料理の付け合わせにも使えそうだった。

 

 オクトパイン、捕獲レベル64。

 

 吸盤の中に赤紫の旨味液を持つ蛸型食材。処理が遅れると身が自分の旨味液で発酵し、酸味が強烈になる。鮮度の見極めが難しく、下手に締めると全身が硬化し、食べられなくなる。自動料理は吸盤液をソースへ分離し、身を柔らかく保ったまま炙れるはずだった。香りは濃く、海産物というより熟成肉に近い気配がある。

 

 食材庫の一角に並ぶ高級素材を眺め、自分は息を吐いた。

 

 後悔はまだある。

 面倒も増えた。

 だが、これだけの食材を前にすると、結論は変わる。

 プラマイで言えば、明らかにプラスだった。

 美食の世界で、名声は危険を呼ぶ。だが同時に、名声がなければ届かない皿もある。毒化フグ鯨の一件で、自分はその入口に立った。小さな町の持ち込み厨房は、もうただの便利な店ではない。

 難食材を食卓へ変える場所。

 不可能に近い素材を、料理として成立させる場所。

 そう認識され始めた以上、次に来る食材はさらに厄介になる。

 自分はそれを少しだけ憂鬱に思い、かなり楽しみにも思った。

 

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