その美食屋、転生者につき 作:苦笑いの妖精
毒化フグ鯨の件から、料理処は一気に有名になった。
持ち込まれる食材の質は上がり、客の身分も変わった。IGOの関係者、食材商会の幹部、有名料理人の代理人、腕の立つ美食屋。以前ならこの町に寄りもしなかった連中が、難食材を抱えて順番を待つようになった。
しかし、自分はただの料理処の主人で終わるつもりはなかった。
食材は待っていても来る。だが、自分で見つけ、自分で捕り、自分で食べる喜びは別物だった。持ち込み食材は便利だが、誰かの手を通った時点で楽しみが薄れる。
その食材が生きていた場所、匂い、暴れ方、棲み処の空気。そういうものまで含めて味わうには、自らの手で狩猟するのが一番だ。
四次元マンションの機動力は外での活動と相性が良すぎた。町で屋台を出し、昼の営業を終える。周囲の視線が薄れた頃、屋台ごと念空間へ収納する。次の瞬間には、数十キロ離れた森の入口、湿地帯の岩場、海沿いの断崖、あるいは以前マーキングした市場の裏手へ出る。
客から見れば、営業終了と共に消える料理人。
どこに厨房があるのか分からない。仕入れ先も分からない。高級食材を扱うのに、保管庫も馬車も護衛も見えない。呼ぼうとしても捕まらず、探そうとすれば姿が消える。そんな噂が積み重なり、いつしか二つ名がついた。
透明の料理人。
この二つ名の存在は追えない、盗めない、囲えないという認識が広がるのに都合が良かった。
この世界ではただ腕があるだけでは足りない。面倒を避けるための要素もまた必要だった。
久し振りの美食屋としての活動として、向かったのは町から北の地にある乳白樹林、ミルクフォレストだ。
地面から白い霧が滲み、木の幹は牛乳を固めたような色をしている。葉は厚く、枝の先から甘い樹液が雫になって落ちる。森全体に乳製品の香りがあり、湿った土ですらクリームチーズに似た甘酸っぱい匂いを放っていた。
目的はバターマロン。捕獲レベル32。
殻の内側に天然のバター層を持つ栗で、熟した実は枝から落ちる前に熱を持つ。拾う時期を誤ると強烈な青臭さを放ち、少しでも遅いと中身が瞬時に発酵して傷んでしまう。また殻もかなり硬い上、割り方を間違えると実が見えた瞬間に香りが逃げるため、現地での処理が難しい食材だった。
木の下にはできたての焼き菓子のような匂いが漂っていた。
落ちた実を拾い、自動料理にかける。殻は音もなく割れ、中から淡い黄色の実が出た。表面には溶けかけたバターの膜。中身はほくほくとした栗肉。火を入れると、栗の甘さと乳脂肪の香りが一体化し、小さなタルトのような料理になった。
口に放ると舌の上で脂が薄く広がった。
甘い。だが重くない。栗の粉質がバターを吸い、噛むたびに香りが立つ。菓子にも主食にもなる味だった。食材庫に五十個ほど確保し、数個はその場で調理し食べた。
次に見つけたのは、ミストミルクディア。捕獲レベル40。
乳白樹林の霧を吸い、角の内部に甘い乳液を溜める鹿型食材。肉は淡い桜色で、脂に乳の香りが混じる。角を折ると乳液が流れ出るが、無理に捕るとストレスによって強いえぐみが出るそうだ。
絶で気配を薄め、更にレムオルで姿を消して風下から距離を詰めた。
霧の中に立つ姿は画になる程美しかった。
細い脚、白い毛並み、半透明の角。角の内部には薄いクリーム色の液体がゆっくり巡っている。距離を見誤れば逃げられる。攻撃を受ければストレスによって食べれなくなってしまう。そんな時はいつもの眠りの呪文、ラリホーの出番だ。意識を夢の国へ飛ばし、自動料理を応用して手早く採取を済ませる。
角の先端から取れた乳液は普通の牛乳と比べ、濃密でコクやまろやかさが段違いだった。
自動料理はそれを温め、バターマロンのペーストと合わせた。完成したのは、濃厚な栗ミルクのスープ。表面はシルクのように滑らかで、香りは焼き栗と温かいミルク。口に入れると甘みが先に来て、後から仄かに森の香りが鼻を抜けた。
次の瞬間、身体に変化が起こる。
以前より、味が深く感じ取れる。
舌だけではない。匂い、温度、食感、食材に宿る生命力の流れまで、身体全体で味わえているような、そんな感覚がある。胃の奥から熱が生まれ、臓器に力強さが加わった。
身体そのものが、食材へ反応していた。
こんな現象、この世界において原因はそれしかない。
グルメ細胞。
この世界の根幹にある力が自分にも宿ったのだろう。
疲労が抜けやすい。傷の治りが早い。食後の身体が軽い。念による身体強化とは違う、肉体そのものの底上げ。味覚も鋭くなり、食材の劣化や毒の気配を、能力とは別に感覚として感じ取れるようになった。
美食屋として上を目指すなら、食材の格に身体が負けるわけにはいかない。自動料理で安全に食べられても、食材の力を受け止める胃袋と肉体は必要になる。グルメ細胞の発現は、その条件を満たす第一歩であった。
遠征はさらに続いた。
南東の赤砂荒野では、火砕メロンを見つけた。捕獲レベル46。
砂の下に埋まる巨大メロンで、果肉の中心に熱を蓄える。表面の皮は黒い岩のように硬く、割ると内部から熱風と甘い蒸気が噴き出す。熟した個体は地面を焦がし、周囲にカラメルの匂いを広げる。
自動料理はまず皮を器として残した。次に果肉を三層に分ける。外側のさっぱりとして歯応えのある果肉、中層は温かいジュレ、中心部は焼けた砂糖のような濃縮蜜。三つを一緒に食べると弾力、温かさ、焦げた甘みが順番に来る。果物なのに焼き菓子に近く、喉を通った後も腹の奥に熱が残った。
近くには香油サソリもいた。捕獲レベル38。
尾に透明な油を溜めるサソリ型食材で、外殻は硬く、脚の身は少ない。だが尾の香油は価値が高い。熱を加えると花椒に似た刺激臭が立ち、強烈な個性のある肉や魚の臭みを一瞬で消す性質がある。
捕獲は慎重に行った。
香油の入った尾には食材となる香油袋と毒腺が隣り合っている。混ざれば食材として使えない。バギで尻尾を切り飛ばし、本体はヒャド系で氷付けにして狩猟は完了だ。
早速自動料理を発動させる。尾を薄く裂き、透明な香油だけを抜いた。残った身は軽く揚げ、殻ごと食べられる煎餅にした。
香油を一滴垂らすだけで、料理の印象が変わる。
白練バター栗の甘さにも、黒雷猪の脂にも合う。刺激は強いが、後に残らず爽快感が抜ける。少量で料理の輪郭を引き締める調味料として優秀な食材だった。
西にある海沿いの断崖では、潮鳴りトマトを採った。捕獲レベル34。
岩肌に根を張る蔓植物で、実の中に小さな海水袋を持つ。噛むと果汁と塩気が同時に弾ける。熟しすぎると生臭くなるため、収穫の見極めが難しい。赤い実の表面には波紋のような筋があり、耳を近づけると微かな潮騒が聞こえる。
自動料理は皮を湯剥きし、果汁を透明なジュレへ変えた。
味は鮮烈だった。甘酸っぱさの直後に、海塩の旨味が来る。魚介料理へ添えれば、レモンも塩も不要になる。流星アサリの潮汁に加えると、夜の海をそのまま飲むような一皿になった。
その近くで空飛び昆布も得た。捕獲レベル29。
海風に乗って波の上を漂う特殊な構造をした昆布で、乾くと羽よりも軽くなり、水分を含むと急激に重くなる。捕獲そのものは難しくないが、乾燥状態を保つのが面倒だった。自動料理は昆布の旨味だけを薄い板状に固め、保存しやすい出汁紙へ変えた。湯に入れると一瞬で溶け、深い旨味だけを残す。
そんな遠征を行う度、屋台は消えた。
朝に町で料理を売っていたはずの屋台が、昼には森の入口にあり夕方には別の市場に出ている。夜には完全に消え翌朝には何食わぬ顔で元の町に戻る。常連たちは驚くのをやめ、外から来た者だけが目を疑う。
透明の二つ名は順調に広がった。
美食屋として食材を探す時は、店の看板を出さない。屋台を出す時だけ、透明の料理処として振る舞う。噂が一人歩きしてくれれば、余計な説明はいらない。どこにでも現れ、どこからでも消え、難食材を料理に変える美食屋兼料理人。少し不気味な評判は、仕事を選ぶ盾になった。
グルメ細胞の発現後、食欲も変わった。
腹が減るというより、身体が食材を求める感じだ。
強い食材を前にすると、胃の奥が熱を持つ。危険な食材ほど、その熱は強くなる。以前なら警戒が勝った場面でも、今は食べたいという欲が並ぶ。自分はその変化を危険だと判断した。
欲に引かれて無理をすれば呆気なく死ねる世界だ。
だから、活動方針は変えない。
安全第一。退路を確保し事前の観察を怠らない。無理な捕獲は行わず、食材の格が上がっても、四次元マンションと呪文による逃走手段を常に残す。グルメ細胞が宿ったからといって調子に乗らない。
そんな自戒をしつつも、挑める範囲は確かに広がっている。
以前なら避けた食材にも手が届く。
たとえば雷鳴羊。捕獲レベル58。
雷雲の下だけに現れる羊型食材で、毛の一本一本に微弱な電気を帯びる。群れで走ると空気が震え、草原に焦げ跡が残る。肉は淡い灰色で、脂は青白い。普通に解体すると静電気で肉質がダメになる。
捕獲にはいつものラリホーと耐性を付けるバーハ、さらにオーラの膜を併用した。電気を外へ逃がし、筋肉の痙攣を抑える。自動料理は毛を刈り、脂を分離し、肉を厚いローストに変えた。仕上がった肉は、噛むと微かな刺激が舌へ走る。脂は軽く、後味に雨後の草原のような深い緑の匂いが残った。
食後、身体の奥で何かが弾けた。
筋肉に通る力の反応が速くなる。呼吸が深くなる。念の流れも、わずかに滑らかになった。グルメ細胞が食材の力を取り込み、肉体を更新した感覚だった。
次に食べたのは、アンバーメープルスネーク。捕獲レベル61。
樹液を主食にする蛇で、体内に琥珀色の甘い液を溜める。肉は淡白だが、皮の下に蜜の層がある。捕獲後に時間が経つと蜜が固まり、肉から剥がれるため、鮮度が重要な食材だった。
自動料理が選んだ調理法は皮を薄く炙り、蜜の層を肉へ戻す蒲焼き。タレを使っていないのに照りがある。噛むと蛇肉の淡い旨味と樹液の香りが重なり、最後に木の芽のような僅かな苦味が残る。米と合わせるとキロ単位で進む味だった。
これは店でも出した。
透明の料理処の新作として少量。反応は大きかった。高級食材なのに食べやすく甘みと旨味がはっきりしている。客の多くは一皿で満足せず、おかわりを求めた。
美食屋としての活動は店の第二の主軸になっていた。
外で食材を得る。
自分で食べる。
性質を理解する。
料理として組み立てる。
店で少量出す。
評判が上がる。
さらに上の食材が持ち込まれる。
この循環が、ようやく形になった。
IGOからの接触も増えたが、自分は一定の距離を保った。登録や協力はしても所属まではしない。
透明という二つ名は、自由に動けるから意味がある。どこかの専属料理人になれば、食材は集まるだろうが、行き先を縛られる。
それは困る。
食べたいものは、自分で捕りたいし選びたい。
ある夜、四次元マンションの食堂には、遠征で得た料理が並んだ。
バターマロンの焼きタルト。ミストミルクディアの温製ミルクスープ。火砕メロンの三層パフェ。香油サソリのフリッター。潮鳴りトマトの冷製ジュレパスタ。空飛び昆布の出汁を使った流星アサリの吸い物。雷鳴羊のローストシープ。アンバーメープルスネークの蒲焼き。
皿ごとに香りが違う。
乳白樹林の甘い霧、赤砂荒野の熱、海沿いの塩気、雷雲の草原、樹液の森。食材の棲み処が、そのまま食卓へ並んでいるようだった。
自分はゆっくり食べた。
グルメ細胞は反応を続ける。胃が熱を持ち、血が濃くなり、身体の奥で力が育つ。念とも呪文とも違う、この世界の肉体法則。まだ小さな芽にすぎないが、確かに自分の中へ根を下ろしていた。
透明の美食屋。
いつの間にか、そう呼ばれるようになった存在。
料理処の主であり、難食材の調理人であり、屋台ごと消える奇妙な美食屋。
悪くない立場だった。
名声は危険を呼ぶ。だが、危険の向こうには食材がある。食材の向こうには味があり、味の向こうにはさらに強い身体がある。グルメ細胞が宿った以上、ただ食べるだけでは終わらない。
次に狙うべきは、捕獲レベル七十台。
まだ単独で無理をする域ではない。だが四次元マンション、呪文、自動料理、そして芽生えたグルメ細胞がある。準備を重ねれば、届く食材は必ずある。
食堂の皿を空にした後、食材地図を広げた。
いくつかの候補がある。
氷晶牛、捕獲レベル72。極寒地帯に棲む牛型食材で、脂が凍った結晶になっている。
夢見茸、捕獲レベル68。食べた者の記憶にある味を香りとして再現する幻覚性のあるキノコで特殊調理食材。
金剛蓮根、捕獲レベル75。鋼鉄のような繊維を持つが、正しく加熱すれば極上の歯触りに変わる根菜。
星降り鮎、捕獲レベル71。流星群の夜だけ川面へ現れる魚で、身の中に微細な光粒を持ち、それぞれが凄まじい旨味を放つ。
どれも難解な食材だ。
だからこそ、食べる価値がある。
自分は次の遠征予定を決めた。店はしばらく閉める。出店の跡地には看板を置き、大雑把な仕込み期間を書いておくとしよう。
透明の屋台はまた町から消える。
しかしまた戻る時には今より少し上の味を連れて来れるだろう。