機動戦士ガンダム ギレン、ハマーン、シャアの次なる答え――ジオンの最高頭脳、サナリィの最新ガンダムで宇宙世紀を総決算する 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
地球連邦軍の極東地区司令部。かつて一年戦争の戦火で焦土と化し、今は不毛な寒冷化が進むアジアの一角に置かれた地下資料室で、ジャミトフ・ハイマン派の息がかかったしがない情報将校は、デスクの上で完全に冷めきった、泥水と大差ない合成コーヒーを前に、本気で退職届の書き方を脳内でシミュレーションしていた。
「やってられるか、こんなジャブローの官僚主義……!」
ナカトは、予算を削られまくった旧式の端末ディスプレイに表示された膨大な観測ログを睨みつけながら、自らの薄くなりかけた頭髪をかきむしった。
彼の現在の主要任務は、小惑星アクシズから「なんかコソコソと逃げ出した不審な一団」の動向監視である。一年戦争でボコボコにされたジオンの残党どもが、あろうことか木星帰りのヘリウム輸送船団すら素通りするレベルのド田舎、太陽系第4惑星たる「火星」に向けて、ボロ船を引き連れて集団家出を決め込んだのだ。
情報部はこの一派を「ジオンマーズ」という、絶望的にセンスのないコードネームで捕捉していた。報告書によれば、首謀者はオセアノン・パプとかいう、一年戦争時代には名前すら聞いたことのないような、うだつの上がらない中間管理職のおっさんらしい。
「いいかナカト、これは大スクープだぞ」と、昨日、人事評価だけが生きがいの肥満体型の上司は言った。
「アクシズの主流派、あのピンク髪の摂政ハマーン・カーンとザビ家の幼女を巡って内ゲバを起こし、全財産をパチって夜逃げしたジオンの落ちこぼれどもだ。これを軍の上層部に報告すれば、我々の出世は間違いなしだ!」
「バカ言え、そんなわけあるか!」と、ナカトは心の中で叫んだ。
出世するわけがない。なぜなら、現在の地球連邦軍政府の偉い人々の頭の中は、火星の赤い砂クズのことなど1ミリも入っていないからだ。
現在の地球圏は、それどころではない超弩級のドンチャン騒ぎの真っ最中だった。
デラーズ・フリートという、これまた別の意味で頭のネジが数本ぶっ飛んだジオン残党の禿げ頭エギーユ・デラーズ以下、狂信者集団が「星の屑作戦」なる怪しげなテロ計画を発動中なのである。
「おいおい、冗談じゃないぞ。オーストラリアのトリントン基地から、極秘裏に開発中だった新型ガンダムが強奪されたって? しかも犯人は『ソロモンの悪夢』とかいう、名前からして関わりたくないタイプのエースパイロット、アナベル・ガトーだと?
ふざけるな、こっちは毎日、火星に向かうパプア級補給艦の残骸みたいな移動軌道を計算するだけで、視力が0.1ずつ落ちているんだぞ!」
ナカトの限定的な視界(つまり、この薄暗いデスクの上と、骨董品級の連邦軍メインフレームの中)からすれば、地球圏の連邦軍上層部の対応は、ノーマルスーツのなかに生きたミミズを入れられた時くらいにドタバタで、救いようがないほど「アウト・オブ・コントロール(制御不能)」に陥っていた。
「おい、ナカト! 火星に向かっているジオンマーズの件だが、中央からの指示が降りてきたぞ!」
隣のデスクで、軍から配給されたパサパサの保存食(レーション)の不味さに毒づいていた同僚のワトソン少尉が、脳天気な声を上げた。
「おお、ついに重い腰を上げたか! マゼラン級宇宙戦艦でも派遣して、あの泥棒おっさん艦隊を臨検、あるいは軌道上からソーラ・システムで消し炭にする作戦でも決まったか?」
ナカトは一縷の望みをかけて尋ねる。
ワトソンは、口の中に詰まった合成栄養クッキーを合成炭酸水で強引に流し込んでから、親指を立てた。
「いや、『完全無視』だ! 指示書にはこう書いてあるぞ。『当該の残党一派は、連邦政府の主権が実質的に及ばない超遠距離の不毛組織であり、現時点における地球圏への直接的脅威度は最低ランクと評価する。よって、追撃兵力の割り当てはこれを一切認めず、データログの自動記録のみを継続せよ』だってさ!」
「知ってたーーー!!」
ナカトは椅子の背もたれに激しく背中を打ち付けた。
知っていた。連邦軍の官僚主義というやつは、自分の足元に火がついている時は、隣の家の火事(それも何億キロも離れた火星の火事)なんか絶対に相手にしないのだ。
そもそも、連邦軍の偉い人たちの思考回路は実にシンプルである。
「宇宙世紀の歴史において、白い悪魔(ガンダム)が関わっていない事件は、すべて些事である」
これだ。サイド7でのアムロ・レイの伝説以来、連邦軍の上層部は「ガンダム」と名のつく兵器が絡んでいないと、予算を出すのを渋る病気にかかっている。現在、地球圏の裏側では、アナハイム・エレクトロニクス社が軍の上層部と組んで、予算を湯水のように使ったコードネーム『ガンダム開発計画』なる最高機密プロジェクトを進行させていた。拠点防衛用だか何だかのバケモノみたいな巨大試作3号機まで建造しているというその超高級モビルスーツ群が、今まさにデラーズ・フリートとコンプライアンス無視の激突を繰り広げているのだ。
そんな大騒ぎの最中に、
「報告します! 火星に向かう旧式のザクやドムの予備パーツを積んだボロ船が、時速数万キロで寂しく移動しています!」
などと空気を読まない報告を上層部に上げたらどうなるか。
「君、ちょっと明日からジャブローの最下層にある、未開拓の鍾乳洞の測量でもしてくれないか?」と、爽やかな笑顔で左遷されるのがオチである。
ナカトは諦めの境地に達し、ジオンマーズの監視データを「後回しフォルダ」へとドラッグ・アンド・ドロップした。このフォルダの別名は「地球連邦軍の歴史的失態・見なかったことにしようコレクション」である。
「いいさ、勝手にしろ。オセアノンだかチェスターだか知らんが、あいつらも今頃、水も空気もない火星への長距離航行で、宇宙放射線に晒されながら『やっぱりアクシズでピンク髪の女の子のパシリをやっておけばよかった』って泣きべそをかいているに決まっているんだ」
ナカトは脳内で、火星にたどり着いたジオン残党が、赤い砂漠の中で錆びついたザクの関節にオイルを注しながら、飢えと寒さで全滅していく光景を都合よく妄想した。そう思わなければ、自分だけが空調の効きが悪い極東地区の地下室で残業している不条理に耐えられなかった。
しかし、彼のその「平和的な現実逃避」は、モニターに飛び込んできた新たな緊急アラートによって無残にも打ち砕かれた。
「おいおいおい、ちょっと待て! ワトソン、このデータを見ろ!」
「んぐっ? なんだよナカト、僕の貴重な夜食の合成肉チップスを狙ってもあげないぞ」
「違う! デラーズ・フリートの連中、強奪したコロニーの軌道を最終変更しやがった! 狙いはサイド3の領地奪還じゃない……地球だ! コロニーが地球に落ちてくるぞ!!」
「うぇぇぇぇーーー!?」
ワトソンが口から合成炭酸水を吹き出した。
資料室内は一瞬にして、ジムの生産ラインが暴走した時のような大パニックに陥った。
地球連邦軍の誇るグリーン・ワイアット大将率いる主力艦隊が、ガトーの乗るガンダム試作2号機のアトミック・バズーカ一発によって、コンペイトウの宙域で文字通りの大爆発、大炎上、大壊滅を遂げたという凶報が、次々と暗号通信で舞い込んでくる。
「終わった……。地球圏の軍事バランスが完全にアウト・オブ・コントロールだ……」
ナカトは頭を抱えた。
観測モニターの端っこでは、ジオンマーズの艦隊が、連邦軍のそんな大パニックを嘲笑うかのように、スイスイと火星への安全な軌道を航行している。彼らにとっては、デラーズ・フリートが地球圏で暴れてくれればくれるほど、連邦の目が自分たちから逸れるため、願ったり叶ったりの状況なのだ。
「あいつら……確信犯だ。地球圏のキチガイどもが歴史的な大花火を打ち上げている隙に、自分たちだけ安全圏へ高飛びしやがったんだ……!」
ナカトは、ジオンマーズの逃亡を「不可抗力による見落とし」として処理するための公文書の改ざん作業に取り掛かった。連邦軍の優秀な将校たるもの、自分の保身のためなら、宇宙世紀の公式記録の1ページや2ページ、綺麗さっぱり消去するくらいのスキルは必須である。のちに彼自身が、このデラーズ紛争の引き金となった「ガンダム開発計画(GP計画)」そのものを、宇宙世紀の正史から丸ごと綺麗に抹消・改ざんするという、歴史的な隠蔽工作の主導者にのし上がることになるのだが、その卓越した「書類書き換えの才能」は、まさにこの瞬間に磨かれていた。
「よし、ジオンマーズの監視ログは、データクリーンアップ中の『偶発的なシステムエラー』により消失したことにしよう。どうせ数年も経てば、誰もあんな赤い星の負け組残党のことなんか覚えちゃいないさ」
ナカトは端末のエンターキーを強く叩いた。
この時、彼が「まぁいいか」で見逃したジオンマーズの生き残りが、火星の地下で独自の軍事技術をスパイラル状に大進化させ、のちにティターンズの極秘兵器計画『TR計画』の成果を吸収してバケモノのような軍隊へと成長し、さらには数十年後に「オールズモビル」を名乗って最新鋭小型モビルスーツのガンダムF90を強奪しに地球圏へ殴り込みをかけてくるなどという未来の特大級のポカを、このしがない情報将校が知る由は、やはりどこにもなかったのである。