アベンジャーズ計画に神代ブリテンの騎士が追加されました 作:アルトリウス(深淵歩きはしない方)
SHIELDの専用訓練施設。
ゴム底のブーツが床を擦る音が、やけに響く。
対テロ制圧や重要施設防衛を担う実働部隊の三十人が、壁際で固まっていた。彼らは事前に、今日着任する教官が素手で武装集団の拠点を単独壊滅させた映像を見せられている。だから誰も舐めてはいない。ただ、未知の生物に対するような不気味な緊張感が漂っていた。
誰もまともに会話をしていない。ヘルメットの顎紐を無意味にいじる奴。弾倉を抜いては入れる奴。列の端で、さっきからずっとブーツの紐を結び直している奴。
「要するに」
静寂を破ったのは、部隊で一番若い狙撃手の男だった。
「今日は俺たちが、古代から来た騎士様に最新の銃の撃ち方を教わるのか?」
「違う」
横にいたベテランの突入要員が、面倒くさそうに首を振る。
「撃っても死なない相手から、どうやって逃げるかを教わるんだよ」
「どっちにしろ、ろくでもないな」
そこへ、足音もなくアルトリウスが現れた。
黒い訓練着。剣はない。
手ぶらの男が一人歩いてきただけだ。だが、三十人の視線が一斉に釘付けになり、何人かが無意識に銃の安全装置に指をかけた。ブーツの紐を結んでいた隊員の動きも止まる。
「楽にしていい。これからかなり疲れる」
若い狙撃手が顔を引き攣らせる。
「教官、もう嫌な予感しかしないんですが」
「良い勘だ」
アルトリウスは訓練用のダミー人形を足で軽く蹴って転がした。
「今日教えるのは、私を倒す方法ではない」
無言。誰も何も言わない。
「倒せない相手を、真正面から倒そうとする兵は真っ先に死ぬ。君たちが今後遭遇する敵は、撃っても死なない。爆薬も効かない。通信を潰し、姿を消す。そういう連中だ」
「じゃあ」と、突入要員が口を開いた。「どうしろと?」
「見る。生きる。仲間を逃がす。情報を持ち帰る」
その言葉に、隊員たちの間に微かな反発の空気が走った。彼らは「いかなる脅威も制圧・確保する」ことを前提に訓練されたエリートだ。「逃げて生き残れ」という要求は、彼らのプライドと戦術の常識を根本から否定するものだった。それでも、映像で見た事実を前に、誰一人として明確な反論を口に出すことはできない。
アルトリウスは、一番近くにいた隊員の防弾ベストをコンコンと指で叩いた。
「軽いな。これで弾を防ぐのか」
「ケブラーとセラミックの複合材です」
「そうか。だが、首は無防備だ」
隊員が少しだけ顔を引く。
「勝てる相手なら勝て。だが、勝てない相手を前にした時、一人でも多く生きて帰ることは敗北じゃない。始めるぞ」
*
第一訓練。
「ルールは一つ。私を無力化することだ」
アルトリウスは丸腰のまま立つ。剣は実体化させない。常人を遥かに超える身体能力も、意識してその出力を深く絞っている。
「最初の六人、前に出ろ。武器は非殺傷の模擬弾とスタングレネード。好きにやれ」
先ほどのベテラン突入要員を含む六人が、無言で定位置についた。
開始のブザー。
隊員たちは手慣れていた。前衛が盾を構え、側面に展開し、後方から制圧射撃の態勢を取る。スタングレネードが床を転がる。
閃光と爆音。
だが、アルトリウスは耳を塞ぐことも目を細めることもしなかった。ただ、一歩斜めにずれた。
それだけで、側面から撃とうとした隊員の射線に、前衛の背中が被る。
通信役が「右だ!」と叫ぶ前に、アルトリウスはその通信役の目の前に立っていた。
指先が顎をかすめる。通信役が膝から崩れ落ちた。
そこから三秒。
殴り飛ばすわけでもなく、ただ隊員たちの足元や重心を軽く払うだけで、六人が床に転がった。
彼らの連携自体は現代の対人制圧術として完成されていた。しかし、その定石のすべてを先読みされ、射線とタイミングを支配された瞬間に、システムは呆気なく手詰まりとなる。それは力の差というより、戦術における理屈の敗北だった。
「全員死んだ」
アルトリウスが短く言う。
「一発も撃ててないんですが……」
「撃つことしか考えていなかったからだ」
「制圧訓練でしょう」
「君たちは命中させることしか考えていない」
アルトリウスは床のスタングレネードの残骸を拾い上げ、しげしげと眺めた。
「眩しくてうるさい。だが、効かなかった場合の次の手がない。対象ばかり見て、退路を作らず、負傷者を引きずる人間も決めていない」
残骸を放り投げる。
「強い敵だけを見るな。守るもの、逃がすものを見失った時点で負けている」
倒れた六人は、すぐには立ち上がらなかった。悔しいというより、何が起きたか分かっていない顔だ。
チームを組んでいた年嵩の男が、ゆっくりと立ち上がる。
「……教官。もう一回」
「ああ」
*
第二訓練。
アルトリウスは、部屋の隅から重さ七十キロの訓練用ダミーを引きずり出し、床に放り投げた。第一訓練での全滅を踏まえ、彼は隊員たちに「制圧から退避」へ目的をずらした時、連携がどう機能するかを試すことにした。
「こいつは重要人物だ」
鈍い音が響く。
「未知の脅威について知る科学者でも、逃げ遅れた要人でもいい。こいつが死ねば作戦は失敗する」
隊長が手で合図を出し、隊員たちがダミーを取り囲むように陣形を組む。
「ルールは、このダミーをあの安全地帯のラインまで運ぶこと。私はこいつを壊しに行く」
開始のブザー。
アルトリウスがダミーへ向かって走る。速い。
前衛が反射的に引き金を引こうとする。
「撃つな! 足止めろ!」
隊長の怒声。模擬弾がアルトリウスの足元と、進行方向の壁に撃ち込まれる。
煙幕。ダミーが二人に抱えられて下がる。一人がわざと大きく装備を鳴らして右へ走る。
アルトリウスは煙幕の中で立ち止まった。
目を細め、鼻をつまむ。
「……むせるな、これは」
少しだけ苛立ちながら、煙を抜ける。
安全地帯のライン。ダミーが放り込まれていた。ただし、腕が一本もげている。
「腕が落ちた、これは減点対象か?」
アルトリウスが尋ねると、ダミーを運んだ隊員が息を切らしながら答えた。
「一応、止血すれば生きてる設定です」
「現代の医療はすごいな」
「……半分やられましたけどね」
「半分生きて、ダミーを逃がした。相手が悪ければ大勝だ」
隊員たちは顔を見合わせた。
*
第三訓練。
「次は通信障害を想定する」
アルトリウスの声と同時に、アリーナの照明が落とされ、低出力の「認識阻害」が展開された。
完全に姿が消えるわけではない。ただ、ほんの僅かに輪郭がブレる。それは光学迷彩のように物理的に見えなくなるのではなく、人間の意識の死角、わずかな認識の隙間へと滑り込む古典的な魔術。現代のカメラやセンサーには映っても、人間の脳がそれを脅威として処理できなくなるという、現代兵が想定していない種類の脅威だった。
「ルールは先ほどと同じ。ダミーの護送だ。ただし無線は使用不可とする」
開始のブザー。
隊員たちは次の瞬間、アルトリウスを見失った。すぐそこに薄暗い影が見えた気がして銃を構えるが、引き金を引く直前にはもう違う場所にいる。認識の死角に滑り込まれる感覚。
「クソ、見失った!」
「声を張るな! 位置がバレる!」
「無線なしでどうやって組めってんだよ!」
怒号が飛び交う。現代の歩兵戦術は、視界の共有と通信による即座の位置報告を前提に組み立てられている。だからこそ、その前提を断たれ、暗闇の中で仲間の位置すら掴めない状況は、エリートたちの連携をいとも容易く崩壊させた。
言葉を発した奴から順番に、闇の中から伸びてきた手に叩き伏せられていく。連携は完全に崩壊し、ダミーに誰も触れないまま終了のブザーが鳴った。
アリーナに再び明かりが灯った。床に転がった隊員たちを見下ろし、アルトリウスは静かに告げた。
「言葉がなければ動けない兵は、耳を塞がれただけで全滅する。手、肩、ライトの明滅。互いの位置を知らせる手段など、いくらでも床に転がっている」
誰も声を出さなかった。
*
第四訓練。
アルトリウスが味方になり、彼が未知の脅威を食い止めている間に部隊が動く想定。
ブザーが鳴る。
隊員たちは、無意識にアルトリウスの背後に固まった。
「私の後ろに立つな。邪魔だ」
振り返りもしない、平坦な声。
「盾になってくれるんじゃ……」
「壁じゃない。私が一歩下がったら君たちはまとめて死ぬ。別の場所を見ろ」
アルトリウスは隊員たちを睨んだ。
「私が止めている敵を見るな。私が『見ていない場所』を見ろ。増援、狙撃、逃げ遅れた民間人。強い味方がいると、人は視野を狭くする。それは足を引っ張っているのと同じだ」
「じゃあ、教官が化け物と殴り合ってる間、俺たちの仕事は?」
アルトリウスはすぐには答えなかった。
彼の視線は、若い狙撃手の肩に付けられた無線の短いアンテナに向いていた。先ほどの訓練で、彼らが頼り切り、そして呆気なく奪われた機能の象徴。
「……あの細い棒一本で、遠くの声を拾うのか」
「え? ああ、アンテナですか。そうですけど」
「仕組みは聞いた。だが、慣れない」
アルトリウスは小さく息を吐き、視線を戻した。
「私が殴っている間に、君たちが戦場を終わらせるんだ」
若い狙撃手が、無言でライフルを構え直した。
*
訓練終了。
全員が床にへたり込んでいる。ヘルメットを投げ捨てる者、壁にもたれて動かない者。ブーツの紐を結び直す気力もない奴。
「終わった……」
「終わっていない。今日は入口だ」
「入口でこれかよ」
「生きているだろう」
アルトリウスは、配られたスポーツドリンクのペットボトルを開け、一口飲んだ。
眉間に皺が寄る。
「……これも甘いな。現代の水は全部甘い」
近くにいたコールソンが答える。
彼のスーツの胸ポケットで短いバイブレーションの音が鳴ったが、コールソンは手元のタブレットに目を通したままそれを無視した。
「スポーツドリンクです。電解質を補給する」
「毒かと思った」
コールソンはタブレットの画面をスワイプしながら、小さくため息をついた。
「かなり厳しい訓練でしたね。彼ら、少し不満そうでしたよ」
「死ぬよりはいいだろう」
「まぁ、それは」
「銃も通信も優れている。だが、撃てば倒れる敵に慣れすぎている」
アルトリウスはペットボトルを見つめ、もう一口飲んでから少し顔をしかめた。
「次回までに、俺たちは何を優先して鍛えればいいですか」
先ほどの突入要員が、床から声をかけてきた。
「走れ。担げ。見ろ」
「撃て、じゃないんですね」
「撃つ訓練は足りている。だが、撃てない状況でも兵は死ぬ」
ベテラン隊員は少し考え込み、やがて息を吐いた。
「古代教官、スパルタだけど結構まともだな」
別の隊員の小声。
「聞こえている」
アルトリウスが言うと、隊員が慌てた。
「すみません」
「古代は余計だ」
誰も笑わなかった。ただ、何人かが疲れた顔で小さく息を吐いただけだ。
*
夜。
自室。アルトリウスはノートを開く。
・初回教導。
・目的は倒すことではなく、生きて帰ること。
・射撃は良い。想定が薄い。
・通信が潰れた時の動き。
・強い味方の背後に固まりすぎる。
・強者が見ていない場所を見るべき。
・走る、担ぐ、見る。
ここで一度、アルトリウスはペンを止めた。かつて自分が王の背後で、あるいは王を背にしてどう動いていたか。古い血と泥の匂いが微かに脳裏をよぎり、彼は小さく息を吐いてから次の項目を書いた。
・古代教官と呼ばれた。
少しの間をおいて、アルトリウスは「古代教官と呼ばれた」の行を横線でぐちゃぐちゃと消した。
・現代の兵も、正しく鍛えれば死ににくくなる。
・スポーツドリンクは甘すぎる。
ノートを閉じる。
窓のない部屋。空調の低い音が鳴り続けている。
アルトリウスは、まだ少し甘ったるい口の中の不快感を舌で転がしながら、壁の染みをぼんやりと見つめていた。