この現代ダンジョン世界の日本において、バザーに出品されたポーションの買い占め行為は決して
十全なバックアップ体制を構築できる探索者クランに所属している者ならともかく、ピラミッドの下層を占める一般の探索者がボス戦の最中に切らしたポーションをバザーから仕入れることができなくなればそれだけで生死に直結してしまうからだ。
だからほとんどの探索者は国の決めた相場に合わせて出品するし、バザーの在庫が薄くなればダンジョン庁の職員が逐一補充する仕組みになっていた。
購入履歴の残らないバザー荒らしを行った者を特定することは不可能に近い。
ただ、歴史から見て国に直接喧嘩を売るような大規模なバザー荒らしを行う組織はそのほとんどがマフィアなどの非合法組織であることは常識として知られている。
京子は今回の八王子ダンジョンにおける大規模な買い占めの直後にポーションの高額出品を行っていた者の個人識別IDから四合会の仕業だと断定して、一応の下手人を立てると言ったわけだ。
それを証明するように4月5日未明、チャイナタウンとして有名な横浜中華街にマル暴のガサ入れが入ったというニュースが流れた。
どうやらかなりの抵抗があったようで、四合会の根城と
黒い刀を持った覆面の機動隊員を複数人見掛けたという目撃証言があることを踏まえると、きっと警察に飼われているサイガがチャイニーズマフィアの戦闘員を片っ端から撫で斬りにでもしたのだろう。
当然、このガサ入れで横浜を拠点にしていた四合会の分派は壊滅状態に陥った。
中華街の出入口を完全封鎖する力の入れようだったそうだし、肝入りのダンジョン配信にケチを付けられた望月財閥の会長を怒らせた見せしめとしては十分と言える。
それともう一つ、日を同じくして大清帝国の首都北京で【斉天大聖】の如意棒が発見されたという噂が急速に広まったことも忘れてはならない。
どうも現在の所有者は四合会のトップらしく、現地では様々な勢力が入り乱れた争奪戦が始まって日本にちょっかいを掛けるどころの話ではなくなっているようだ。
なにしろ非課税の1兆MCが貰える引換券、誰だって欲しいに決まっている。
ついでに言うと、ユニークスキルの付与された神器が例外的に所有者の殺害で所有権の移譲が行われる明確な悪意のある仕様なのも醜い争いに拍車を掛けていた。
俺の場合は死亡=強制ロストの紋章ユニーク神器だからギリギリセーフだけどね。
これは間違いなく、ロシア連邦保安庁長官として世界中の裏情報をその手で握っているレンの仕業だ。
清ソ戦争の最中に【斉天大聖】が呪殺されてから長らく行方不明になっていたユニーク神器が急に見つかるなんて都合のいい話があるわけない。
俺一人の為にそこまでやるかと思うものの、警備の隙を突いて身内を人質に取られるようなことがあれば困るのも事実。
なんにしても、平穏な日常を過ごせるよう願いたいものだ。
さて、次はダンジョン配信活動について話そう。
あれから俺達は階層更新目的でフィールド探索を繰り返していたわけだが、流石に平日の真っ昼間となると視聴者数もガクッと落ちている。
少ない時でも1万人は行くので、Dチャームのランキングでは中の上って感じだ。
別にそれは構わないんだけど、うちのロリロリドラ娘がかんちょーぼんばーを披露したせいで案の定、三日月プロダクションにはクレームの電話が殺到してしまった。
ちびっ子が巨大なモンスターをワンパンで仕留める姿が配信映えするのは確かだから、視聴者アンケートの結果を
最近の配信では「かんちょーぼんばーはダンジョンの禁則事項に抵触して烙印を貰う可能性があるので人形以外は絶対に真似しないでね」という注意書きがテロップで流れるのがお約束になっている。
そんな感じで人様に四六時中見られながらダンジョン探索を
NHKのEテレで毎週木曜夜7時スタートの夜アニメなのだが、初回くらいは一緒にリアタイしようという話になったので伊古田家に高野を招くことにする。
「こんばんは、ハカセさん」
「よう、高野。直接会うのは久々だな」
「僕はハカセさんのダンジョン配信を作業用に流し見しているので、久々って感じはしませんけどね」
まずは高野を二階のリビングに案内して、萌と
「どうでしょうか、高野様。中東風の料理は初めてなので少し心配なのですが……」
鶏肉やじゃがいも、なす、カリフラワーなどが入っているスパイスの効いた炊き込ご飯――マックルーベを黙々と食べていた頬のこけた深い緑髪の男に壱号が尋ねる。
漫画の世界観に合わせたパレスチナ料理は彼女がネットで調べて再現したものだ。
「連載開始前に中東へ取材に行った時に何度か食べましたけど、かなり再現できていると思いますよ。むしろ、僕の舌にはこちらの方が合っているかもしれません」
「そうですか、それは良かったです」
それを聞いて安心した様子の壱号を横目に見ながら、俺は
「うまいうまい。たまにはこういうのも悪くないな」
萌は大皿に積まれている丸い形をしたひよこ豆のコロッケ――ファラーフェルが気に入ったのか、結構な頻度で箸を伸ばしている。
俺も早めに食べないと品切れになっちゃいそうだな。
「高野さんって、ヒロくんのいた世界の話を一杯聞いているんだよね。もっと大衆受けする漫画も沢山描けるのに、どうしてこんなに難しい題材を選んだの?」
お忘れではないと思うが「ダンジョンない平和な世界」は美少女が銃を片手に中東の紛争地帯を彷徨う社会派漫画だ。
宗教問題とか人種差別みたいなセンシティブな内容を多分に含むので日朝戦争の影響を受けてお蔵入りになるところだったのだが、海外のファンから大量の署名が届いたので本来の予定通り放映されることになったのである。
「相互理解の大切さを漫画を通じて読者に伝えたいと思ったから、ですかね。二つの世界の歴史を知る僕にしか描けない漫画、だから僕はパレスチナを舞台にすることを選んだんです」
この世界の中東は職業パワーで強引に緑化されたせいか物凄く平和だ。
その中で最も繫栄しているのがユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三大宗教の聖地エルサレムを
ソビエトの共産主義者とナチスの社会主義者があまりにもヤバ過ぎたせいで異教徒同士でも手を組まざるを得ない状況が長く続いた結果、異教への理解が多少なりと深まったことで仲良く聖地を分け合う寛容さが芽生えたというのが、この世界における永世中立国パレスチナが誕生した主な要因だ。
そしてその背景には、天より降り注いだダンジョンモノリスを自らの信ずる神の
実際、覚醒スキルの表記も探索者の言語と信仰によって異なるわけだしな。
日本は多神教だからかどこから持ってきたかも分からない八大神の名を冠しているが、外国では全然違ったスキル名で呼ばれている。
天神 Relativity レラティヴィティ
暗神 Gravity グラビティ
魔神 Element エレメント
霊神 Soul ソウル
創神 Fusion フュージョン
武神 Technique テクニック
地神 Earth アース
森神 Forest フォレスト
英語で表記するとこんな感じ。
おっと、脱線したから話を戻そう。
人間不信を
「へぇー、そうなんだ。伝わってるといいね、高野さん」
「これは僕のエゴでしかないので。読者が楽しんでくれるならそれだけで十分です」
食事を終えたらリビングのソファでくつろぎつつ大きなテレビを前に待機する。
時間になったところで、荘厳なBGMととも薄汚れた格好をしたダウナー系美少女が銃を片手に廃墟を歩く姿がテレビ画面に映し出された。
「ダンジョンのない平和な世界」の大まかなストーリーはこうだ。
舞台は1987年の中東、パレスチナ。
この現代ダンジョン世界で最も平和とされている永世中立国パレスチナに赴任したアメリカ人外交官の娘、ピース・ウォーカー17歳が主人公だ。
一流探索者として名を
少女の幽霊のような姿をした「
そこでピースが見たのは、イスラエルの建国から続いた長い紛争で荒れ果てた愛すべき故郷の姿だった。
ダンジョンのない並行世界の中東は解決が困難な多くの問題を抱えている。
そんな世界にいきなり身一つで放り出されてしまったピースは、出会いと別れを繰り返しながら「
という感じのお話。
舞台が1987年なのは、ピースが元の世界から持ち込んだ【裁判官】の職業と戦闘能力、時々「
アニメ第一期の範囲内だと、ピースが流れ着いた先で巻き込まれたトラブルを【罪の天秤】の力で解決したり、村人を守る為に悪党と派手な銃撃戦を繰り広げたり、アメリカに亡命しようとして「
高野の構想ではここからパレスチナ人の人望を集めて第一次インティファーダに介入、イスラム主義組織ハマスを吸収して勢力を拡大、洗脳……もとい「
本当にこんな大風呂敷を広げて畳めるのかな、と心配しているものの高野の頭の中には最終話までの詳細なプロットが詰まっているそうなのできっと大丈夫だろう。
それくらいの熱意を込めて作品作りができるからこそ、前作で編集から打ち切りを食らった時はかなりのショックを受けていたわけだ。
だからって、落ち込み過ぎて婚約者に愛想を尽かされていたら世話ないけどね。
ちなみに今月から月刊誌のウルトラチャンプで連載を開始したスピンオフ作品「ダンジョンのある平和な世界」はピースが「
「もうおわっちゃったのだ」
「あっという間だったねー」
オクト氏の作曲したしんみりとしたエンディングテーマを最後に「ダンジョンのない平和な世界」初回1時間スペシャルの放送は終了した。
「まさかあの優しいおじさんが盗賊の内通者だったとは……!」
原作の内容は俺を通して全部記憶してあるはずなのに、どうして弐号だけ初見の反応をしているんですかね。
このポンコツ女騎士人形め、ちょっとだけ
「高野、自分の漫画がアニメになった気分はどうだ?」
「製作にはかなり関わっていましたけど……想像以上のクオリティで嬉しいです。もう、今すぐ家に帰ってネームの続きを描きたいくらいですね」
そう語る高野の瞳は、これまでの努力が報われた感動か僅かに
「今日はこのままうちに泊まるって話だったろ。明日にしなよ、明日に」
「ええ、ですが……やっぱり描きたいです! ハカセさん、僕に紙と鉛筆を貸してください!」
急にソファから立ち上がった高野は、リビングをうろうろと歩き出した。
その指先はエアGペンを握り、エア原稿用紙に脳内イメージを書き込んでいる。
「お前マジか……」
「もう、しょうがないなー。イチゴちゃん、事務所の棚から取ってきてー」
「分かりました。少々お待ちください、高野様」
翌日の朝、三階の客室――俺が初めて泊まったカーペットの下に謎の隠し扉がある部屋――には机に向かってひたむきに白紙と戦う高野の姿があった。
「もう朝だぞ、飯食って自分の家に帰れよ」
机の上に乱雑に積まれたネームの山と足元に転がるクシャクシャのボツネーム、目の下に刻まれた深いクマを見れば彼が徹夜をしたことは誰にでも理解できる。
俺が寝る前に壱号に確認させた時は、ちゃんと寝てたはずなんだけど……。
「あと……あと1話分だけ……」
この分だと家に帰ってもまだ続けそうだ。
今日はいつもダンジョン探索をお休みしている金曜日だし、学業で忙しい
「駄目だこりゃ。参号、こいつを机から引っぺがせ」
「とりゃー!」
「や、やめ……ああ~」
俺は参号の蛇腹尻尾でぐるぐる巻きに拘束した高野にしっかり朝飯を食わせた後、零号と弐号を監視に付けて無理矢理にでも睡眠を取らせることにしたのであった。