ドールマスターヒロシ   作:我島甲太郎

111 / 125
第86話 出発前夜

 9月24日金曜日、出発を翌日に控えたその日は特に何もない休日になった。

 まずは朝から川崎区健康増進センターまで足を運び、日課の筋トレだ。

 

 相も変わらず加齢臭と湿布とタンスの防虫剤の臭いが入り混じったトレーニングルームで健康志向のジジババや金欠の探索者どもと一緒に玄冬(げんとう)の汗を流し、いつも通りのメニューを熟してから無料のシャワーで身を清める。

 

「あー、めちゃんこ腹減ったぜ。飯だ飯、飯を食え~♪」

「めしだめし、めしをくえー♪」

 

 俺はシャワールームの外で待っていた人形達を引き連れて施設の食堂へ向かう。

 するとどうだろう、普段よりも明らかに人の多い食堂にはまるで誰かの誕生日パーティーでもしているかのような飾り付けがされているではないか。

 

「なんじゃこりゃあ……」

 

 目立つところには「頑張れ! 川崎のヒーロー大木土博士!」などと書かれた大きな横断幕まで張られているようだ。

 

「まるで日本を旅立つマスターを見送る壮行会のようですね」

「まるでではなく、実際にそうなのではないか?」

 

 ちょっと引いている俺達の周りに、やたらと笑顔なジジババどもが集まってくる。

 

「ヒロ坊の為に何かできることはないかと思うてな。みんなで相談して激励会を開くことにしたんじゃ」

「ヒロ坊はわしらの孫みたいなもんじゃからのう!」

 

 俺が無駄に高レベルなスポーツ大好きジジババどもの皺くちゃな手でもみくちゃにされていると、ジジババの代わりに飾り付けをしていたであろう貧乏な若い探索者どもがやってきた。

 

「全部一人で背負おうとしやがって。水くせぇんだよ」

「俺らはお前が暗黒邪竜を倒そうがなーんも得しねぇけどな。妹に自慢してぇから後でサイン寄越せや」

「それ、絶対フリマサイトで売る気だろ」

「野良専のお前らと違って、俺はクランに入って底辺脱出したからもう金には困ってねぇ。妹にやるんだよ、妹に」

「このシスコン野郎め……」

 

 モブの探索者どもに手を引っ張られて、中央のテーブル席に座らされる。

 俺の目の前には100人前はありそうなデカいケーキと、合計1kgはありそうな五段積みのハンバーグ定食がでーんと鎮座していた。

 

「今日はヒロシさんの大好きなハンバーグ定食ですよ。いつも通り五段積んでおきましたからね、たんと食べて精を付けてください」

「今日の骨密度の状態はどうかな? 【診察】……うん、何も異常はないようだ」

 

 顔見知りの【調理師】のおばちゃんにジムトレーナー、医務室の医療スタッフまで揃っている。

 なんというか、ここまでされちゃうと逆に困っちゃうね。

 

「まったく、ちゃちなサプライズを用意しやがって。……お前ら、あんがとよ」

「ツンデレ頂きましたー!」

 

 お調子者の探索者が囃(はや)し立てると、ドッと笑いの声が広がる。

 俺は照れ隠しをするかのように、箸を取って両手を合わせた。

 

「今日も元気に頂きマンモス!」

 

―――――

 

 健康増進センターでの激励会が終わった後、俺は高野の自宅まで顔を出していた。

 

「――ってことがあってさ。恥ずかしいったらありゃしないぜ」

 

 新築の香りが漂う広いリビングを半分くらい利用した作業部屋で、いつものソファに座ってスマホ片手に参号と一緒に教育テレビを見ながら高野へ先ほどの話をする。

 

「いいじゃないですか、楽しそうで。僕もその場に混ぜて欲しかったくらいですね」

 

 猫背で作業机に向かっている頬のこけた深い緑髪の男は、迷いのないGペン捌きで原稿のペン入れ作業を進めていた。

 

「そこまで言うなら、お前も俺と一緒に健康増進センターへ通えばよかったんだよ」

「このマンションの共用部にはフィットネスルームがありますから、僕も最近は運動していますよ」

 

 ここは高野がこれまで住んでいた何の変哲もないマンションではなく、伊古田製作所の近所に建てられた新築タワーマンションの一室だ。

 高野は経費節約を兼ねて、5月の初めにここへ引っ越している。

 

 やっぱり俺の関係者が普通のマンションに住んだままだとセキュリティ的にも問題があるから、DLSOCみたいな大手の警備保障会社としっかり契約しているところがいいだろうという話になったのだ。

 

 大清帝国の刺客は第二次横浜中華街浄化作戦で取っ捕まえた工作員から吐かせた密入国ルートを塞いだおかげでもうそれほど気にする必要はないらしいけど、一応ね。

 

「その細腕で?」

「……軽いランニングはしています」

「そんなことだろうと思った」

 

 ダイニングキッチンの方から小麦の焼けるいい香りがしてきたので目を向ける。

 エプロン姿でお菓子作りに励んでいた彩芽(あやめ)が電子レンジを開けると、壱号がミトンを手にオーブンの天板を取り出した。

 

「レモンマドレーヌに三種のフィナンシェ完成です。叔父さん、ハカセさん、おやつにしますよー」

 

 彩芽に呼ばれた俺と高野はキッチン横の食卓に移動して、壱号が淹れた紅茶片手にティータイムを始める。

 

「彩芽、貴女にはいつも助けられていますね。大学に進学して色々と入り用でしょうし、もう少しお駄賃を増やしましょうか?」

 

 高野は砂糖をたっぷりと入れたミルクティーで糖分補給しながら彩芽をねぎらう。

 

「いえ、このままで大丈夫です。叔父さんにはもう十分と言っていいほどに貰っていますし、これ以上は母に怒られてしまいます」

「貰えるなら貰っておけばいいのに」

「兄弟が多いと色々あるんですよ、ハカセさん。元々はパワーレベリング代を貰う為にお手伝いしていたわけですから、もっと減らしてもいいくらいです」

 

 困った顔をした彩芽はそう言って、ショコラフィナンシェを啄(ついば)んだ。

 余った分は後で包んで自分の家族や春奈に分けるつもりらしい。

 

「確か、彩芽は夏休み中にパワーレベリングしたんだよな?」

「萌さんに紹介して貰った横浜の名軍師さんにお願いしました」

「ああ、うちの妹がこっそり世話になった人ね」

 

 彩芽の就いている【療法師】の覚醒スキルは無菌室が作れる【霊神の結界】だ。

 病院で看護師として働く場合は必須スキルなので、彼女が通っている看護大学で実習が始まる前にLv50まで上げて取得しておく必要がある。

 もしもそれまでにレベル上げが間に合わなければ、留年決定だ。

 

「ハカセさんは明日の朝には日本を発(た)つんですよね。準備もあるのに、こんなところで遊んでいて大丈夫なんですか?」

「焦ったところで何もメリットはないわけだし。仮に負けても村正一族が蘇生してくれる手筈になっているから、そこまで心配する必要はないんだよ」

 

 一世一代の大勝負だってのに周囲の緊張感が薄いのは、ひとえに【霊神の願い】の保険があると思われているからだ。

 暗黒邪竜の第三形態に入った者が蘇生できなくなるというのは、一部の関係者しか知らされていない機密事項である。

 

「でも、死ぬ気はないんでしょう?」

「そりゃ当然だろ」

「黄金大蛇の時と同じですよ、彩芽様。マスターが負けるはずがありません」

「世界最強の魔法アタッカーと最新鋭の【機械騎士(マシンナイツ)】を駆る【騎士】、そして【魔神の手品】にロシア連邦の秘密兵器を抱えたレン殿。これだけの面子が揃っているのだから、勝って当然だ!」

「あんこくじゃりゅうのかわにきがえるのがいまからたのしみなのだ」

 

 高野はじとりとした目で参号を見つめた。

 

「そう都合よく装備結晶を引けますかね……」

「ひくったらひくのだ!」

「ユニーク神器、引けたらいいなぁ……」

 

 こんな時こそ神頼みをするべきなのかもしれない。

 とはいえ正月に稲毛(いなげ)神社でお願いした分があるから、できればそっちを優先して叶えて貰いたいところだ。

 

 一人も欠けることなく、無事に暗黒邪竜を倒せますように。

 

 大丈夫、俺はちゃんと覚えているぜ。

 だから神様、頼んだよ。

 

―――――

 

 その日の晩、寝る支度を終えた俺が自室のベッドに腰掛けてスマホを弄っていると、ガチャリと音を立てて扉が開いた。

 そこから顔を覗かせたのはパジャマ姿の萌だ。

 

「ヒロくん、ちょっといい?」

「萌、もう寝るんじゃなかったのか?」

「そうしようと思ったんだけど、眠れなくて。一緒に寝よ?」

「仕方ないな……」

 

 俺はすぐそばにある小さなテーブル――肆号が転がっている――にスマホを置き、萌をベッドへ招き寄せた。

 人形達は別の部屋で暇を潰しているから、今は二人きりだ。

 

 引っ越してきた時に買い替えた大きなダブルベッドで肩を並べて床につく。

 肆号に命令して遠隔操作で電気を消すと、部屋の中は真っ暗になった。

 

「ねえ、ヒロくん」

「なんだ」

「子供、できなかったね」

「欲しかったのか?」

 

 俺達が夜を共にするようになってから、まだ1年も経っていない。

 そこまで熱心に励んでいたわけでもないし、気にする必要はないと思うのだが。

 ぶっちゃけ壱号と弐号が萌の相手をする回数の方が圧倒的に多いからな。

 

「ちょっとだけ。……ヒロくん、わたしに言ってない大事なことあるよね?」

「別に、レンとは何の約束もしてないぞ。現地で二人きりになる機会もない」

「そうじゃなくて、ボスのこと。本当は、死んでも生き返れたりしないんでしょ」

「……誰に聞いたんだ」

 

 人形達には決して口外しないよう命令してあるはずだ。

 俺はデカい枕に預けていた頭を横に向けて、ほんの少しだけ闇に慣れた目で萌の顔を見つめた。

 

「あの子達のせいじゃないよ。でもなんとなく、そんな感じがしたから……」

「萌は俺がいなくなるのが怖いか?」

「怖くないわけない。1年前にヒロくんが探索者になった時から、ずっと怖かった。10年待ってようやく会えたのに、死んじゃったらどうしようって……」

 

 暗がりの中で目を伏せた萌に手を伸ばして、彼女の癖っ毛をさらりと撫でる。

 

「じゃあどうしてあの時、俺に睡眠薬を飲ませたりしたんだ? 今度こそ本当に絶縁されるとは思わなかったのか」

「だってあんなに早く20層に到達するなんて思ってなかったんだもん。このままじゃ人格設定する前にレベル50になっちゃうって考えたら、つい……」

 

 人形が【霊神の神格】で自由意志を獲得する前にその辺りを仕込んでおかないと、後から魔改造しても言葉を喋らない木偶人形のままになることがある。

 宮古紅亜(くれあ)が扱っているマブイストーン――核だけの人形爆弾がいい例だ。

 だからうちの肆号も、レベル上げの前に人工声帯なんかを組み込んだりしている。

 

「ついつい魔が差したってことね。中身が俺でよかったな」

「うん。ダメ元でお泊り提案したら簡単に乗ってくるし、これはもうイケる! って思ったんだけど……全然駄目だったね」

「そんなんだから嫌われたんだぞ」

「反省してます。ハイ」

「ならよし」

 

 重たい話題も流したし、これで萌も落ち着くだろう。

 俺は再びデカいまくらに背を預けて、目を閉じた。

 

「おやすみ」

「おやす……そうじゃなくて。ここは不安な奥さんを慰めてあげるところでしょ!」

 

 隣で萌が起き上がった音がする。

 俺は目を閉じたまま、手探りで引き寄せた布団を深く被った。

 

「旅立ち前の子作りは死亡フラグだぞ」

「そんなの迷信! ねぇいいでしょ、シよ?」

 

 萌は薄い布団越しに俺の上へ乗り、頭に被った布団を引き下げる。

 筋力を上げたおかげか、全然重く感じないのはいいことだ。

 

「昨日もしただろ」

「今日もしたいの。ん~♡」

 

 頭を横に向けて萌の口付け攻撃を頬でガードした俺は、両腕を萌の背中に回して抱き締めた。

 人形とは違う温かみと柔らかな感触が、胸板を通じて伝わってくる。

 

「キスとセックスだけが愛情表現だけじゃない。違うか?」

「違わないけど……」

「帰ってきたらちゃんと相手してやるからさ。今日はもう寝よう」

「もう、ヒロくんの朴念仁(ぼくねんじん)~」

「朴念仁(ぼくねんじん)で結構」

 

 腕の力を緩めて解放すると、萌はのそのそと俺の上から降りて布団を被った。

 そして今度は、隣から俺の右腕に両腕を回して抱き着いてくる。

 

「おやすみ、ヒロくん」

「おやすみ、萌」

 

 再び目を閉じ、睡魔に身を委(ゆだ)ねる。

 胸に挟まれた腕から微かに伝わる心臓の鼓動に不思議と安心感を覚えながら、俺は深い眠りへと落ちていった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。