北センチネル島のジャングルを抜けて西の浜までやってきた俺は、砂浜で体育座りをして夜の海を見つめていた。
この島の原住民では複数体の炎精霊と人形達に囲まれた俺は殺せない。
だから既に赤峰空将との【情報共有】も打ち切ってある。
向こうは無事に保護されるまでモニタリングを続けたいと言っていたが、華族と同等の特権を持つ上級国民の俺がそこまで付き合ってやる義理はない。
『ピピピ、萌様より【情報共有】のコールが届いております。応答いたしますか?』
「誰からコールが届いても、出なくていい」
ふと冷静になってみると、自分の存在が恐ろしくなった。
あんな簡単に人を殺して、殺されて。
これまでだって、何度も命のやり取りをするような場面はあった。
借金の取り立てにきた金田の野郎とか、俺の人形達に手を出そうとした兄とかな。
でも、本当に人殺しに手を染めてしまったのは今回が初めてなんだ。
「マスター……」
膝を抱いて顔を
本当は今すぐにでも壱号に
目の前の何もかもを放り出して、ただ愛欲に溺れたい。
俺はつい2年前まで、平和な日本で暮らしていた一般人だったんだよ。
それなのに、どうしてこんなにも苦しまなきゃいけないんだ。
クソったれの世界、クソったれの俺、クソったれのレプティリアンどもめ。
「……肆号、フレンド欄を開け」
空中に浮かんだ乳白色のプレート。
そこにはフレンド名の横に付いた未読のメールアイコンがずらずらと並んでいる。
開いて内容を確認することもせず、黙々と指先で下にスクロールしていく。
フレンドリストの一番底に赤く沈んだ、
ダンジョンの外で死んだ者を蘇生する手段はこの世界には未だ存在していない。
【治癒士】の覚える第三覚醒スキルは範囲自動回復ができるだけの結界だ。
もっと先に進めば、本当の死者蘇生を実現する手段が手に入るのだろうか。
「……俺は馬鹿だ。意味のないことを考えるな」
例えあったとしても、職業を代償に一人蘇生させるのが精一杯だろう。
この
俺はフレンドリストを上にスクロールし、
肆号が反応して【情報共有】のコールをすると、僅か数秒で画面が切り替わる。
「久しぶりだな、伊佐那美」
「ヒロシはん、随分とみすぼらしい格好になって。えらい可哀想やわぁ」
PCモニターの明かりで照らされた薄暗い和室。
寝間着姿の伊佐那美の背後の壁にはコルクボードがいくつも設置されており、そこには俺の配信から切り抜いたであろう顔写真が無数に貼り付けられていた。
「いまのあるじはそのへやとおなじくらい、ひどいありさまなのだ」
参号が俺の背後から首に両手を回し、身を乗り出すように画面を覗く。
ガチのメンヘラストーカーの自室を見て、俺は少しだけ冷静になった。
「お嫁はんよりも先にウチへ連絡してくれて、ホンマに嬉しおす。北海道で会うた時にウチがしたお願い、ちゃんと覚えていてくれたんどすなぁ」
「残念ながら、壱号に優しく慰めて貰えるような状況じゃなくてな。仕方ねぇさ」
伊佐那美は薄暗い部屋で座椅子に背を預け、京美人らしい笑みを浮かべている。
すっぴんでもこんなに美人なんだから、化粧なんて要らないんじゃないか。
「ほな、何があったか言うてみい。もう防衛省の記者会見を見たさかい、事情はおおよそ知っておるけどな。ウチはあんさんの口から直接聞きたいんやわ」
俺は事のあらましを伊佐那美に話した。
原住民の魔鳥を使ってコックピットから輸送機に乗り込んできた闇を纏ったファウストの人骨、スカイダイブと
「レプティリアン相手で慣れていたせいか、アドレナリンのせいか……人殺しにも大して忌避感は覚えなかった。でも、俺はそれが怖いんだ。いつか本当に、取り返しのつかないことをしてしまいそうで……」
俺は片手で頭を押さえて、胸の内からとめどなく溢れてくるドロドロとした感情を吐き出すように心中を吐露した。
「それは辛かったなぁ、ヒロシはん。そやけどな、そうやって悩めるのはまだまだまともな人として生きている証拠や。例え【ナチスの悪魔】を倒した英雄やとしても人殺しは人殺し……しばらくは家族とギクシャクするかもしれへんけど、きっと最後は分かってくれる。ウチはそう思うで」
甘い毒のような慰めの言葉を貰っても、俺の傷ついた心は癒されなかった。
俺は伊佐那美のことがこの世で四番目くらいに嫌いなんだから、それも当然か。
ちなみに三番が兄で二番がファウスト、堂々の第一位が星崎聖夜だ。
「話を聞いて貰えて助かったよ。おかげで少しだけ、気分も落ち着いた」
「ウチもヒロシはんの弱った姿が見れてえらい嬉しかったわぁ」
「……やっぱりブロックしていい?」
「この動画をネットに流して欲しいんならそうしはったらええ」
「めんへらおんなのほんりょうはっきなのだ」
「大した脅しにはならん。お前が自分のお宝を他人に分け与えたりするわけがない」
その時、伊佐那美の視線が横に流れた。
パソコンのモニターを見ている……?
「明日も仕事やし、ナギくんに怒られる前に切るわ。お元気でな、ヒロシはん」
伊佐那美が布団に飛び込み、PCモニターを遠隔操作で消して部屋が真っ暗になった瞬間、障子が開く音がして【情報共有】が切れた。
「結局、メンヘラストーカーの生態に詳しくなっただけだったな……」
「マスター、少しは気が紛れましたか?」
「まぁな。……萌のやつ、まだしつこく【情報共有】を送ってきやがる。そんな気分じゃねぇってのが分からねぇのか」
俺はフレンド欄を再びスクロールして、萌から届いたメッセージを開いた。
そしてすぐに送った覚えのないメッセージの送信履歴が並んでいることに気付く。
おいおい、嘘だろ……。
「そうおっしゃらずに、出てあげたらよろしいのでは……」
「出征先で無事な姿を見せて奥方様を安心させるのも良き夫の務めだと思うぞ!」
「俺が浮気した時に【情報共有】を使うよう肆号に仕込んでいた女にか?」
どうやら緊急時に状況を逐一連絡するよう秘密裏に設定されていたようだ。
俺は腰に吊るされているこぶし大の金属球ストラップにデコピンをした。
『ピピピ、申し訳ございません』
心配なのは分かるが、だからと言って勝手にこういうことをされるのは困る。
「命令だ、肆号。今後、俺の意思に反した外部連絡を行うことを禁じる」
『イエス、マイマスター』
俺は肆号へ命令し、二度と同じ真似をしないよう厳しく制限を掛けた。
そしてウェストポーチから取り出したスマホの電源を入れ、壱号に写真を撮らせてXDにポストする。
[XDのポスト ドールマスターヒロシ:俺に連絡するんじゃねぇ ブロックすんぞ 【夜の砂浜で参号と並んで体育座りしている薄汚れた大木土博士の画像】]
萌からひっきりなしに届いていた【情報共有】のコールがピタッと止まった。
寝ているのか知らないが、一切連絡してこない高野を見習って欲しいものだ。
これでようやく、ゆっくりと休める。
俺は非常食のエナジーバーで空腹を紛らわせ、夜が明ける時を待ち続けた。
―――――
あれからどれだけの時が経っただろう。
「夜明けだ……」
精神的疲労と睡眠不足で目の下に深いクマを浮かべた俺は、薄っすらと明るくなっていく海岸線を眺めて呟いた。
目を細めると、遥か遠くに米粒のように小さな船影が見える。
【ナイツ・オブ・ラウンズ】のクランメンバーを乗せたアメリカ海兵隊の揚陸艦がこの未開の島で遭難した俺を迎えにきたのだ。
俺は立ち上がり、パンパンとズボンをはたいて砂を落とした。
服が土汚れで悲惨な状態になっている現状では、まるで意味のない行為だ。
「マスター、島民がやってきたようです」
「またかよ……」
夜明けを待つ間、ジャングルの方からは何度もこの島の原住民がやってきていた。
俺はそのたびに三属性耐性を付与してすーぱーどらごーん状態になったロリロリドラ娘をけしかけて追い払っていたのだが……どうやら今回ばかりは違うようだ。
やってきたのは頭にレプティリアンの頭骨を被り、骨杖を突いた老婆だ。
そしてそれに同行しているのは、後ろに一羽の魔鳥を連れている浅黒い肌の男。
身に纏っている生体装備の質を見るに、恐らくレプティリアン信仰を持つこの島の原住民の長だろう。
それからもう一人はファウストの人骨をC-3輸送機のコックピットまで運び、
「動くな! これ以上俺に近付いたら問答無用で殺す!」
【通訳】を乗せた俺の警告に、老婆と【魔鳥使い】はピタリと立ち止まった。
「私達はもうじきこの島を離れます。これ以上の
俺を守るように大鎌を構えて前に出た壱号が淡々と告げる。
すると砂浜に刺した骨杖に寄り掛かるように立っていた老婆は口を開いた。
「悪魔、殺した、【人形使い】、渡す物、ある」
文明社会と距離を取っている未開の地の原住民、語彙が少ないのも当然。
そんな相手でも意思の疎通が取れるのはひとえに【通訳】の力によるものだ。
「
「【地獄耳】、知った」
【通信士】らしき老婆は被っていた頭骨を上げると、自らの右目に皺だらけの指先をねじ込んでぐちゅりと捻じった。
ころりと手のひらの上を転がったのは、虹色の光彩を持つ木製の義眼……?
「【守護暗幕】、優れた、【気配遮断】」
「まさか、ユニーク神器か!」
弐号が驚きの声を上げると、老婆はこくりと頷いた。
「災い、呼ぶ。神器、手放す」
ここまで聞いて、ようやく理解が追い付いた。
この老婆は【地獄耳】で俺達とファウストの会話を聞いていたんだな。
それで自分達がユニーク神器を保有していることが外部に知られたと考え、欲深い外の人間が奪いにやってくる前に俺へ押し付けることにしたわけか。
もちろんその中には、報復を恐れての打算も含まれているのだろうけどさ。
「そのユニークスキルの力によって、最新鋭のレーダー装置の目すら欺くステルス能力を得たと……つまりはそういうことですか」
【魔鳥使い】の男は肩に乗るくらいの小さな魔鳥――進化前のものだ――を召喚すると、老婆の持っていた義眼を足で掴んだ小魔鳥を参号に向かって飛ばした。
目の前でぽとりと落ちた義眼を両手で受け取った参号を見て、男は薄く微笑む。
「蜥蜴人、化身。偉大な、戦士」
「サンはとかげじゃなくてどらごんだぞ。がおー!」
外装に爬虫死人皮の足甲を組み込んだ参号の足はレプティリアンそのものだから、蜥蜴人の化身と言えなくもない。
手の甲から取り出したDカードを参号の手のひらの上にある義眼に触れ合わせるとスッと素通りした。
そしてステータスの代わりに浮かび上がった文字列を読み上げる。
「爬虫人信奉者の義眼++【守護暗幕】【千里眼】……ふうん、そういうことか」
俺がそんなことをしている間に、老婆と【魔鳥使い】の男は俺達に背を向けてジャングルの中へと去っていった。
「行ってしまいましたね、マスター」
「このユニーク神器が使えるかどうかはともかくとして、無駄な殺しをせずに済んだことは喜ぶべきだろう。零号、お前が預かっておけ」
しかしワガママなロリロリドラ娘は義眼を隠しながらそっぽを向いて拒絶する。
「これはサンがもらったのだ。サンがつかう!」
「装備枠が埋まるし、そもそもお前に【千里眼】は向いてないだろ。却下だ却下」
「ちぇー」
俺は参号から取り上げた義眼を零号に持たせて送還した。
さっきから遠方より近付いてくるようなモーター音が聞こえている。
ようやく、待ちに待ったお迎えがやってきたのだ。
「おおーい! 生きているかー!」
白波を起こして海上を走る黒いラバーボートに乗っている二人の男のうち、パイロットスーツ姿をした大柄な黒人の男が手を振りながらこちらに呼び掛けてきた。
その向こうには、沖に浮かんだ大きな揚陸艦も見える。
「見ての通りだ! お迎えご苦労、感謝するぜ!」
空元気でそう返すと、黒人の男は白い歯を剥き出しにしてニカッと笑った。
勢いよく砂浜に乗り上げたラバーボートから飛び降りた黒人の男は、嬉しそうに俺の肩をポンポンと叩く。
「【ナイツ・オブ・ラウンズ】クランリーダー、アーサー・ウィリアムズだ。ミスターヒロシ、君のことはリョウスケから聞いている。パラシュートなしで地上まで降下して、あの恐ろしい【ナチスの悪魔】を打ち倒したタフガイと肩を並べて戦えるなんて、こんなにも心強いことはない!」
「そうかい、そいつは光栄だ。俺もあんたの【
俺はアーサーと握手し、ついでラバーボートの操縦をしていた海兵隊員らしき男とも握手をした。
「ところで、先ほどヒロシはこの島の原住民と接触していたように見えたが……何を受け取った?」
「まだ詳しく調べてはいないが、【守護暗幕】と【千里眼】の付与されたユニーク神器だ。なんでも、話を聞いた分には【気配遮断】の上位互換らしい」
「オゥ、それは素晴らしい! 是非とも一緒に検証させて貰いたいものだね!」
「どうせ予定は延期になるんだ。検証する時間は幾らでもあるだろうさ」
ここで壱号が話に割り込んだ。
「アーサー様、マスターは非常にお疲れです。できるだけ早く艦内の休める場所に案内しては頂けませんか?」
「あるじはてつやあけでくたくたなのだ」
「確かに、死ぬほど疲れているように見える。いいとも、君達を我らが海兵隊のミストラル級揚陸艦『ライデン』に案内しようじゃないか!」
俺達はすぐさま黒いラバーボートに乗り込んで海の旅人となった。
しかし海上を半分も進まないうちに、強い
「マスター、顔色が……」
すっかり忘れていたけど、そういえば俺は船舶恐怖症だった……。
「だ、大丈夫……大丈夫だから……やっぱり無理かも……」
「マスター!? お気を確かに、マスター!」
壱号の膝に頭を預けて我慢していたが、どうにも厳しい。
精神的疲労が限界に達した俺は、揚陸艦に辿り着く前に意識を手放してしまった。