ドールマスターヒロシ   作:我島甲太郎

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第9話 課金の日

 今日は課金の日。

 と、書くと普通はソシャゲに纏わる記念日としか読み取れない。

 正確には課筋の日、つまり筋トレをする日のことだ。

 

 現状1000万円もの借金をしている身ではソシャゲに課金する金銭的余裕などまったくもってないものの、自分の肉体に投資することはできる。

 これぞまさに課筋。

 

 プロテインも真っ青な優良たんぱく源は激安で手に入るから鍛えるだけお得だ。

 でもステータスの筋力値が2だから見せ筋に他ならないのはご愛敬。

 

 逆に下地がないと伸びしろが無いので、前衛職はみんなジム通いで鍛えている。

 俺は健康維持の為にしているだけだから別に構わない。

 

 語呂合わせは覚えやすさと思い出しやすさが命。

 火曜金曜、課金の日。

 ソシャゲのアプリを見た時にあ、課金の日だ。

 なんて風にフラッシュバックする。

 

 サボりがちな運動習慣をつけるにはそういう小手先のところから攻めていくのがいいと俺は考えているし、実際そういう形でこの半年間に渡って実践していた。

 

 残業明けで寝坊したこともあり、火曜の日課はついついサボっちゃったわけなのだが――恐らく残業してなくてもサボって探索に行っていたと思う――、謹慎中で暇だから金曜の今日は鍛えに行くとしよう。

 

「マサ爺がいなきゃいいけどな。『もう逃げ帰ったのか』とか言われて、絶対馬鹿にされるし」

 

 ぶつくさとそんな独り言を喋りながら、ジャージ姿で着替え入りのカバンを背負った俺は家から徒歩10分の距離にある川崎区健康増進センターにやってきた。

 

 ここは川崎市内に複数ある老人向け福祉運動施設のうちの一つだが、日本国籍を持つ日本国民なら誰でも無料で利用することができる。

 なんだったら激安の食堂や無料シャワーまで使える充実っぷり。

 

 なお、それでも若者のほとんどは安くない金を払って会員制のスポーツジムに通うことを選択する模様。

 その理由はこれだ。

 

「くっさ!!!」

 

 ウィーンと開いた自動ドアを潜ると、老人施設特有の加齢臭と湿布とタンスの防虫剤の匂いが入り混じった形容しがたい臭気が鼻の奥に充満する。

 流石に慣れたと思ったが、1週間も空けたせいで感覚がリセットされちゃった。

 

 清掃だけは行き届いているから学校の柔道場の畳よりは汗臭くないよ、多分。

 あの特有の酸っぱい匂いは柔道の授業を受ける学生にトラウマを植え付ける為だけに存在しているに違いない。

 

 利用目的別に複数の建物に分かれた運動施設内部は朝も早くから暇を持て余した老人達で溢れかえっており、年甲斐もなくバスケやフットサルに興じるジジババを同じくジジババが応援するという地獄絵図が広がっていた。

 

 俺の目的はトレーニング機器の利用なので遠目に眺めるだけでスルーする。

 壁の連絡ボードを見た感じ今日は川崎市の北にある(さいわい)区のチームと対外試合をやるみたいだから、後で観戦してもいいかもしれない。

 

「おお、ヒロシくん。元気だったかい」

「うっす、元気だったっす」

「ダンジョンに行ったんだってねぇ。怪我はなかったかい?」

「余裕のよっちゃんよ」

 

 美人な施設のトレーナーさん――国家公務員という名の安定職、とても羨ましい――と一緒に器械運動に励んでいた顔見知りの老人とそんな挨拶をしつつ、俺はランニングマシーンの上を悠然と走り出した。

 

―――――

 

 ダンジョンと職業のおかげでこの世界の医療は飛躍的に発展した。

 死んでさえいなければ、適した治癒ポーションをぶっかけるだけで致命傷であろうと問答無用で治るのだ。

 

 【隠者】が【植物魔法】と覚醒スキル【森神の英知】を用いた植物の品種改良によって魔素を含んだ様々な魔法植物を創り出し、それを【農夫】が育成し、収穫された魔法植物を【薬剤師】が製薬工場でポーションに【薬品調合】する。

 

 無数の試行錯誤の末に人は不治の病(ガン)さえも克服し、結果として老人の多くが天寿を全うすることが可能となった。

 とても素晴らしいことだと思う。

 

 しかしながら、ことここに至ってただ一つだけ問題が残った。

 それは人間の脳機能の衰えだ。

 

 神様の決めた仕様か、あるいは天命か。

 いくらテロメアを伸ばしたところで、老人のボケだけは決して防ぐことができなかった。

 

 そうして否応なく突入したのが、高レベルの痴呆老人が無差別に職業スキルを行使する闇の社会だ。

 認知の衰えによる不注意で家は燃え、家族は強盗と間違われて殺された。

 

 かといって捕まえたところで刑務所に服役させることもできず、駆け付けた警察官の現場判断で射殺するしか手段は残されていなかった。

 

 将来を悲観した家族がダンジョンへ親を置き去りにする事件も多発する。

 抜本的な対応は急務だった。

 

 国連の会議ではその対策として無職のオーブによる高齢者のレベルリセットが提案されたが、それは即座に却下された。

 

 入手手段が限られている貴重な無職のオーブを老い先短い老人――それも年々増えつつある――に投資したところで焼け石に水。

 ならば未来ある若者の手に優先して渡るようにした方がよほど社会の利益になる。

 

 そんな経済界の思惑通りに世界中でロビー活動が行われ、結果として多くの国で安楽死法が可決されることと相成った。

 

 上級国民は無職のオーブを確保してきたるべき老後に備え、一般庶民はダンジョンという名の現代の姥捨て山に投棄されて魔素の藻屑となって消えるか、ボケる前にあらかじめ意思表明書類にサインしておいてゆくゆく安楽死を選ぶようになったのだ。

 

 日本の統計では、安楽死を選ぶ人間は既に9割を越えている。

 誰だって魔素の藻屑に溶けて消えるくらいなら、骨になってご先祖様と同じ墓に入りたいと思うのが人情というものだろう。

 

 とはいえ、長生きしたいというのは人間誰しもが望むことだ。

 我らが日本ではボケのない健康な社会づくりをスローガンに、全国各地の自治体によって公営の健康増進センターが無数に建てられている。

 

 エネルギー資源を自給できるから割と財政に余裕があるというのが一つ、もう一つは非常時の予備戦力を確保しておく為。

 

 高レベルの探索者にはそれだけの価値があるし、なんだったらボケて暴れても取り押さえるのは同じ老人なので人的被害が出ても大して困らない。

 ちょっと予算を割いて年金を払っておくだけで管理の手間も省けて一石三鳥だ。

 

 実際、ポーション一つで怪我が治るこの世界なら足の骨折で寝たきりコースはまずないわけだし、激しい運動で心臓が止まったならそれこそ寿命だと言い張れる。

 

 チューブだらけの状態でベッドに縛り付けられて延命され続けるより、よほど良い余生と言えるだろう。

 色々と命が軽いこの世界だが、こういうところだけは元の世界よりも優れていると思っている。

 

 探索者で食っていくつもりの自分が満足にその余生を過ごせるかどうかは疑問だが、若者が将来に絶望するような閉塞した社会などとは比べ物にならないね。

 

「とはいえ、他に問題がないわけではないか……」

 

 一通りのトレーニングメニューで全身の筋肉をこれでもかとイジメ抜いた俺は、シャワーで火照った身体を冷やしながら意味深な言葉を呟いた。

 

 前話に引き続きまたしてもサービスシーンだが、恐らくこちらもコミカライズ時には謎の光で下腹部が隠されていることだろう。

 

 キュッと蛇口を捻ってシャワーを止め、幾度となく洗濯されても加齢臭の落ち切っていない少し臭いバスタオルで身体を拭う。

 

 その身に蓄えたカロリーを限界まで使い切った俺の胃袋は今、【力士】もかくやというほどに栄養を求めて叫んでいた。

 

「はー、サッパリしたぜ。肉だ肉だ、肉を食えー♪」

 

 ビニール袋に入れた汗臭いジャージをカバンに突っ込んで普段着に着替えた俺は、施設の食堂に行って500円を支払い日替わりのワンプレートセットを受け取った。

 食堂で働く【調理師】のおばちゃんには顔を覚えられているので俺だけ特盛りだ。

 

「おっと、もう試合が始まっているかな。急ごう」

 

 壁の時計を見てフットサルの招待試合の開始時刻が過ぎていることを確認したので、俺はワンプレートセットを持ったまま隣の体育館に向かうことにした。

 今日は観戦しながら優雅に早めの昼食と洒落込もう。

 

「おお、やってるやってる。相変わらずすげーな」

 

 地元の学生の練習や試合でも使う公共施設ということもあり、フットサル場の体育館には広い観覧席まで備え付けられている。

 なお、当然のようにその観覧席は暇を持て余した老人で埋め尽くされていた。

 

 俺は「ぶっ殺せー!」だの「もっとプレスじゃプレス!」だの「今じゃ、必殺シュートを撃て!」だのと血の気の多いことを叫んでいるジジババどもの群れの間を縫い、いい感じの場所に陣取った。

 膝に乗せたワンプレートセットに手を合わせ、頂きマンモス。

 

「うまいうまい。空きっ腹にハンバーグから溢れ出した肉汁が染み渡るぜ……」

 

 安さの秘訣はダンジョン肉。

 合計で1kgはありそうなでかい5段ハンバーグに大口でかぶり付いていると、隣に一人の老爺(ろうや)が腰を下ろした。

 

「ヒロ坊、もう逃げ帰ってきたのか。堪え性がないのぉーw」

 

 このかくしゃくとした白髪の爺さんの名前は宮本雅史(まさし)、人呼んでマサ爺。

 (よわい)100歳を越える皺だらけの老爺(ろうや)の口元はニヤニヤとした笑みで歪み、その厭味(いやみ)ったらしい性根を余さず俺に見せつけていた。

 

「ちげーし! ちょっと休憩中なだけだし!」

「その不満そうな顔を見るに、おおかた初日に夜遅くまで探索したせいで過保護な母親からダンジョン禁止令でも出されたのじゃろう。まったく、儂の忠告を聞かんからこうなる。次はよくよく注意することじゃな」

「ぐぬぬ……」

 

 何も言っていないのに全部見透かされてしまった俺は、思いっきり歯を食い縛ってぐぬぬ顔をするしかなかった。

 本当に、食えない爺さんだ。

 

「それ儂にも一つくれ。うむ、美味い」

「勝手に食うなよ……」

 

 一枚減ったくらいで困るような量ではないので問題はないのだが、文句は言う。

 そのまま俺とマサ爺は飯をシェアしながらフットサルの試合を観戦する。

 状況は3-4で、ホームの川崎区チームが(さいわい)区チームに負け越しているようだ。

 

「チャンスッ! 今こそアタイの必殺技を喰らいなッ! イナズマ・トルネェェェド!!!」

「そうはさせるかッ、ゴッドハァァンド! ウギャアアアアアアアア!!!」

 

 雷を纏ったえげつない竜巻シュートで相手のゴールキーパーが吹っ飛んだ!

 逆転へ繋がる貴重な1点に、観覧席も大いに沸き上がる。

 この時ばかりは、俺も一緒に拳を振り上げて大きく声を張り上げた。

 

『川崎最強!!! 川崎最強!!! 川崎最強!!!』

 

 ホームで応援するサポーターの一体感はクーラーのガンガンに効いた体育館の熱量を押し上げ、それと比例するように施設特有の臭気もがぜん強くなっていく。

 

 だが、そんなことはどうだっていい。

 勝つか負けるか、この一戦に神奈川老人会のヒエラルキーが懸かっているのだ!

 

 ところで死人が出てもお構いなしで続ける野蛮なシニアサッカーは見世物としては非常に面白いのに、どうして誰も観にこないんだろうね。

 もしかすると、流れ弾が飛んでくるのが怖いのかもしれない。

 

 まぁ、プロスポーツの方が規模が大きくて派手だから人気なのは当然である。

 これ本当に版権とか大丈夫なのかなと内心で思いつつ、そんな風に金曜の午前は過ぎ去っていったのだった。

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