俺達が暗黒邪竜を倒したその日は奇しくもヒンドゥー教の三大祭りの一つ、ダシェラ祭が催される日だった。
インドの叙事詩ラーマーヤナに登場するラーマ王子が妻シータを救う為に魔王ラーヴァナを退治したという逸話になぞらえたその祭りでは、ラーマ王子が退治したという三体の悪魔を模した人形を盛大に燃やして健康と繁栄を祈るそうだ。
ヒンドゥー教の現人神であるアニカオニカがその類まれなる合成魔法によって暗黒邪竜を打ち倒すその姿は、インド神話の新たな形として人々の心に刻み込まれた。
それは急場でこしらえた暗黒邪竜の巨大な像が燃やされ、夜のヴァーラナシー中で無数の花火が打ち上げられていることからも
しかし俺はそんな楽しそうなお祭りに参加することもできず、バナラス・ヒンドゥー大学の構内にあるキャンプ地の只中で壱号に膝枕されながら、【情報共有】画面越しにコリアン野郎のキムが撮影役のDTube配信で【ナイツ・オブ・ラウンズ】の連中が人混みの中で屋台巡りしている姿を眺めていた。
「あーあー、羨ましいったらありゃしない」
歩く大量破壊兵器保有者として腫れ物のように扱われている俺と違って、あいつらは【
【療法師】のアンジェロがいるから屋台飯で腹を壊すこともない万全の布陣だ。
「今回の旅は災難ばかりでしたね、マスター」
「今更だな。探索者になってから、俺はずっとロクな目に遭っちゃいねぇ」
そもそもこの現代ダンジョン世界にやってきたこと自体が災難だ。
元の世界で社畜SEやっていた方が幸福だったのかって言われたら、こっちの方がいいに決まっているけどさ。
少なくとも、女に苦労するようなことはない。
いや、日本を離れてからずっと禁欲生活中なんだけどね。
復路と船旅で10日くらい掛かるし……早く日本に帰りたい。
『ヒロシさん、いま大丈夫ですか?』
【情報共有】画面を閉じてボーっと夜空を眺めていると、不意にレンから【通信】が届いた。
実は昼間に国連パーティーを解散した時、こっそりレンだけパーティーに残しておいて欲しいと頼まれていたのだ。
『キャンプ地で暇を持て余していたところだ。そっちはどうしてる?』
『こちらはノヴォシビルスクの宿舎に着いたところです。ふふふ、お風呂は命の洗濯ですね』
ノヴォシビルスクは別名「シベリアの首都」と呼ばれているロシア連邦の代表的な都市の一つだ。
ロシアはソ連時代からネットすら外部に繋がらない完全鎖国状態だからあんまり情報は出てこないが、衛星写真だけでもかなり発展しているのは見て取れる。
『いいのか、こういうことして。ルサールカに怒られない?』
『こうしてヒロシさんとお話しできるのもこれが最後の機会になるでしょうし、その時はその時です』
『やっぱり【情報共有】はできないのか』
『そうですね。本当はヒロシさんと二人でこの夜景を眺めたかったのですが……』
きっとレンの前には100万ルーブルの夜景が広がっているのだろう。
『今の俺には日本で帰りを待つ妻がいる。悪いな、レン』
何度もダンジョンの外で命の危険に晒されている俺としては、あのUFO型ドローンでロシアに亡命してレンと暮らすのも一つの選択ではあったんだけどね。
『ふふふ、別に構いませんよ。貴方の子はもういますから』
『えっ?』
なにそれ、聞いてないんだけど。
もしかして知らないうちにクリスマスベイビーできちゃった感じ?
『こちらでは人工子宮が実用化されています。あの晩に頂いた遺伝子サンプルさえあれば、いくらでも子供は生産できますよ』
女性探索者が妊娠してダンジョンに入れなくなる問題は日本でも議論の対象になっているが……それを強引に解決するとは流石ロシア、ディストピア極まってるな。
『兄貴の子供みたいに養育費が必要か?』
『試験管ベイビーは「ルサールカ」が育てますから、そのようなものは不要です』
『それじゃあ親子とは言えないだろう。孤児と何も変わらない』
『それがこの国の管理者になるということです。ヒロシさんが私を選ばなかった以上、職を辞する理由もありません』
人民管理AI「ルサールカ」が孤児上がりの人材を政府の中枢に据えているのもそれが理由なのかもしれない。
このまま世代が進めば、ロシア国民は人工子宮から生まれた人間だけになる。
AIを母と慕い、AIに尽くす人間だけが人権を得られる近未来SFの世界だ。
『正直、俺はそこまでして守って貰うほど上等な人間じゃないんだけどな。第二職業持ちだって、「ルサールカ」がその気になりゃ遺伝子組み換えでアニカオニカみたいなタイプのシャム双生児を量産できるんじゃないの?』
『ソ連時代にそのような計画が検討されたこともありましたけど、人類の進化の形として歓迎できるものではないですから……』
実際に第二職業持ちがマジョリティになったら、普通の人間は劣等人種として駆逐されるだろう。
過去にダンジョンモノリスを悪と断じた宗教団体の者がそうなったように。
まるでガンダモSEEDのコーディネイターみたいな話だ。
『例の古文書も俺達が生きている間には使えないとなると、やっぱり俺が【重粒子砲】を使って頑張るしかないのか』
『ダンジョンの完全踏破でダンジョンモノリスが失われないことだけは分かっていますからね。ヒロシさんも思う存分、暴れてください』
『……未来視じゃないな。どこの情報だ』
『ふふふ、それは秘密です』
俺は「ルサールカ」がユニークスキル由来の人工知能であることを疑っている。
そうでもないと、西側との技術力の差が説明できない。
『それが【通信】を使ってまで俺に伝えたかったことか』
『余計なお世話でしたか?』
『いや、助かってるよ。本当に……何も返せないのが心苦しいくらいだ』
『お互い、窮屈な人生を送ることになってしまいましたね』
『まったく、チート主人公もラクじゃないぜ』
それからしばらく他愛もない話をして、レンは【通信】を切った。
そのままパーティーからも抜けて、俺はまた気楽なソロ専探索者へと戻る。
本来の予定では、日本各地のダンジョンモノリスを巡って【募兵】で攻略クランの探索者を201層辺りに招待する運び屋の役割を担うはずだったんだけどな。
暗黒邪竜戦後のサプライズでその予定もぜーんぶキャンセルになってしまった。
「壱号」
「なんでしょうか、マスター」
膝枕の上でごろりと寝返りを打った俺の頭を、壱号が優しく撫でる。
「何か俺にして欲しいことはあるか?」
「私はこうしてマスターのお世話ができるだけで幸せです」
「たまにはワガママを言ったって罰は当たらないぞ」
壱号は少しだけ驚いたような表情をして、それから薄く微笑んで答えた。
「では、月に一度でいいので園芸店に連れて行っては貰えないでしょうか?」
「そんなものはお願いのうちに入らないと思うが……まぁいい」
特大のご褒美をあげた参号以外にも後で話を聞こう、と考えつつ謙虚な従者の太ももを撫でていると、【ナイツ・オブ・ラウンズ】の連中がキャンプ地に戻ってきた。
「見ろよ、【ドールマスター】がラブドールに甘えているぜ。恥ずかしい男だ」
俺を指差したコリアン野郎が空中に浮かんだチャット画面に話している。
「だからどうした、コリアン野郎」
「一仕事終えたからって気が抜けちゃってさぁ。――ガウディ」
「ウス」
起き上がった俺に大男が渡してきたのは、手のひらサイズのガネーシャ像。
象の頭に人間の身体、様々な障害を取り除いて成功に導くありがたい神様だ。
でも、その加護はここまでの道中で欲しかったな……。
「お土産か。サンキュー」
これは家のリビングにでも飾ろう。
「明日も早い。お前達、テントに戻るぞ」
「了解、リーダー」
「じゃあな、ヒロシ」
「ああ、また明日な」
他の連中もアーサーに
「さて、そろそろ俺も寝るか」
俺は夜間警備の自衛隊員達と挨拶して、それから自分に割り当てられたテントで薄っぺらい寝袋に
―――――
その翌日、ヴァーラナシーを発った俺達は同じ道を辿って帰路についた。
特にこれと言ってトラブルもなく、大魔鳥に乗って2日間空を飛んだだけだ。
ユニーク神器を頭に装着中の参号は召喚できない状態だし、配信もしなかった。
10月12日の夕方にパラディブ港まで到着したので、海兵隊の揚陸艦でアメリカに帰る【ナイツ・オブ・ラウンズ】と別れて日の丸印の護衛艦「もがみ」に乗り込む。
そして俺は割り当てられた士官用の個室で、久々に参号を召喚した。
「やっとしょうかんしてくれたのだ。あるじ、ひとりねはさびしくなかったか?」
「全然。それで参号、日本に帰るまで送還状態で過ごすか、零号にその角飾りを預けて一緒に過ごすか、どっちがいい?」
ロリロリドラ娘の頭に乗っている暗黒邪竜の角飾りを指差して尋ねる。
「むー、なやむところなのだ」
「悩むことなどないと思うぞ、サン!」
流石に一週間以上も送還状態で過ごす気はなかったらしく、参号は渋々外した角飾りを零号に預けた。
俺は零号を送還し、聞き分けのいいロリロリドラ娘の頭を撫でる。
「いい子だ、参号」
「ふふん、のこりはかえってからのおたのしみにしておくのだ」
それから俺達は護衛艦の中でひたすら暇を潰す生活を送ることになった。
今年の春頃から自衛隊員の待遇が改善されたらしく、艦内でもスマホ自由なのはありがたい。
俺は艦内にあるトレーニングルームでの筋トレの合間に家族や友人、三日月プロのスタッフとLINDや【情報共有】で連絡を取って帰国後のスケジュールを練った。
202層以降の探索計画に萌と結婚式をする会場の手配、やるべきことは多い。
―――――
パラディブ港を出発してから8日が過ぎた10月20日、俺達を乗せた護衛艦が日本の領海に入った。
現在地点は伊豆半島沿岸、目的地の横浜港までもう少しだ。
「――そうか、【いけず石】に続いて【クレセントムーン】も諦めたか……」
その日の俺は甲板の上で【情報共有】を使って望月京子と話をしていた。
『ガチガチに職業編成を固定しているロシアですら2割以下の突破率だ。第二職業持ちに比肩する強力なユニーク神器持ちを二人以上加えてようやく8割……こんな支援職お断りの環境で、
望月グループ本社の会長室にいる京子はそう言って肩を竦めた。
暗黒邪竜の第三形態の情報が出回った時点で、日本の攻略クランのほとんどが暗黒邪竜の攻略を諦めている。
一流探索者といえど、大半は生活の為にダンジョン探索をしているのだ。
ユニーク神器もなしに、得られる物が少ない無謀な挑戦をする必要性は薄い。
国連が禁職指定を解除した【魔鳥使い】の生贄要員育成を始めたのは、アメリカ・インド・大清帝国・満州国といった国家や企業紐付きの攻略クランだけだ。
【軍師】の【武神の指導】を使って効率よく育成を進めれば、半年程度の準備期間で暗黒邪竜に挑めるようになるだろう。
クランに借金のあるうちの兄が生きて暗黒邪竜を越えられるか見ものである。
「民間に頼れないからといって、無理に精鋭の自衛隊員を特攻させたら内閣が倒れるしな。結局、第三覚醒持ちの【占星術士】や【山師】の確保は村正一族頼りか」
『貴様の【重粒子砲】があれば話は変わるがな』
「馬鹿言え、どうせ数回でポカしてロシアの手に渡るのがオチさ」
「そうだそうだー」
抱っこしていた参号の頭が俺の顎をぐりぐりと押して自己主張した。
外装に角飾りを組み込んだ後に同じことされたら絶対痛いやつだ、これ。
『いずれにせよ、貴様を一人で300層に挑戦させるつもりはない。その為のサイガ、その為の星崎聖夜だ』
まぁ、ただでさえ人外じみた強さのサイガが聖夜の【時空魔法】で倍速行動したら暗黒邪竜が相手でもどうにかなりそうではある。
その場合は第三形態対策と保険に【魔鳥使い】を二人を用意するのがベストかな。
「そうかい、期待しないでおくよ。ところで、PAD秘書はどこ行った?」
『見合いで休みだ。もっとも、昨日の様子ではまた破談するだろうが』
「多様性の時代だろ。お前だって独身なんだから、好きにさせてやれよ」
『それで母親が聞く耳を持つなら、しのぶも苦労はしないさ』
こうして秘書に
どうでもいい世間話をしている間に横浜港まで着いてしまったので、俺は京子との【情報共有】を切った。
送還状態の零号を除いた人形達と一緒に甲板の端へ行くと、俺達の帰還を今か今かと待つ大勢の人々の姿が目に入る。
「俺達、なんだかんだで1ヵ月近くも日本を離れていたんだよな」
「本来の予定では1週間以内に帰国できるはずでしたが……」
「それでも、こうして私達は帰ってきた!」
「あるじあるじ、あそこにもえもえっぽいのがいるぞ」
目を細めて参号の指差した先をよーく観察してみると、確かに橙メッシュ黒髪っぽい女がムラマサ=ニンジャのSPに囲われている姿が見える。
試しに手を振ってみると、向こうも手を振り返した。
「んじゃ、メディアのご期待に
護衛艦の係留が終わるのも待ちきれず、俺達はすぐ近くにいた【魔鳥使い】のムラマサ=ニンジャに頼んで召喚して貰った大魔鳥に乗って港へと渡った。
萌のことだから駆け寄ってくるかと思ったが、彼女はゆっくり歩いてやってくる。
「ただいま、萌」
「おかえり、ヒロくん」
両腕を広げると、萌は俺の胸元にひしっと抱き着いてきた。
萌の身体はこんなに小さかっただろうか、と思いながら背中に手を回す。
「ずっとずっと、寂しかった。もう、どこにも行かないで」
「俺がこの遠征でどれだけ苦労したと思っている。二度と日本から出たりしないさ」
俺は萌と視線を合わせ、それから深い口づけを交わした。
スマホ片手に俺達の様子を見守っていた観衆から歓声が上がる。
これがハリウッド映画なら、ラストシーンで一番盛り上がる場面に違いない。
「ヒロくんが帰ったら、話そうと思っていたことがあるの」
「なんだ、改まって」
「その、ね……赤ちゃん、できたみたい」
萌は少しだけ緊張した様子で、へその辺りを撫でた。
「何週目?」
「6週目だって。ヒロくん、パパになるんだよ」
ここでレンとの間に隠し子がいることを話したら感動的な空気が壊れるな。
俺は肆号に【通信】を使わせて、何か言いたげな人形達にお口チャックさせた。
「身重の妻に無理はさせられないな。帰ろうか、俺達の家に」
「うん。……そうだ、他のみんなにもチューしてあげないと!」
「おいおい、感動的な空気が台無しになるだろ……」
「いいの! ほらほらサンちゃん、ママにただいまのチューしよ?」
「もうせくはらしないか?」
「しないしない、約束するからぁ~」
「サンはきげんがいいから、ほっぺにちゅーしてあげるのだ」
「やったー!」
こうして俺達の1ヵ月にも渡る長い海外出張は終わりを告げた。
後になって思えば、この時が一番幸せだったかもしれない。
未来は希望に満ちていると、そう信じていたこの時が。
クソったれの世界、クソったれの俺、クソったれの■■■■め。
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5.A Warning From Future――未来からの警告――To be continued.