あれから半年の月日が経ち、俺は――未だにニート生活を続けていた。
一つだけ言い訳をさせて欲しいのだが、別にダンジョンで命がけの戦いを行うことに恐れを成したわけではない。
ただちょっと、大事な情報収集をしていたというか……。
もういい、正直に話そう。
はい、遊んでました。
だってしょうがないじゃん。
元の世界と異なる歴史を辿ったこの世界には読んだことのない漫画や観たことのないアニメ、プレイしたことのないゲームがごまんと存在するんだもの。
逆に二度と読むことが叶わなくなった作品群に想いを馳せたところで仕方がないので、俺はそういう感じで前向きに第二の人生を楽しむことにしている。
なお、某ハンター漫画はこっちの世界でも変わらず休載してて安心した。
そんなこんなでニートらしく家事手伝いの業務をこなしつつ、新しくできた友人宅で漫画を読んで人気のアニメを消化するだけで時間は湯水のように溶けてしまった。
講義そっちのけで遊んでばかりいた大学生時代を思い出して超楽しい。
もちろん俺はこの生活を続けるリスクを重々理解している。
下手なことをして親に見捨てられたらダンジョンホームレス化待ったなしだもん。
生活保護代わりに1層で大芋虫のドロップ肉を集め続けるのは流石に無理がある。
だから俺は最初のうちに遊んでいい期限を切ったのだ。
休職手当は出ないけど、半年だけ休んだら働こう。
そういう心持ちで、この世界に慣れるまでの準備期間を置いたというわけだ。
学生じゃあるまいし、家事手伝いで得られる僅かなお小遣いではストレス発散の爆買いに慣れた大人の金銭感覚にはまったくもって不足が過ぎる。
親に催促されずとも働くこと自体に否やはない。
というわけで春先の週明け早々、朝早く起きた俺は半年ぶりに【無職】唯一の固有スキルである転職画面を開き、あらかじめ考えておいた職業をポチって転職した。
よし、これでもう後戻りはできない。
「—―今日から俺、ダンジョンに行くからそのつもりでよろしく」
押し入れの奥に眠っていた10年物の初心者装備に着替えた俺がリビングで食卓を囲んでいる家族に向かってそう宣言すると、先日誕生日を迎えたばかりの大木土春奈18歳高校3年生――水泳部所属、現在彼氏募集中――の手から滑り落ちた箸が皿の上を転がりカランと音を立てた。
「ついに兄さんが狂った!」
「俺がいつ狂ったというんだ。言っておくが、俺は正気だぞ」
「いやいやいや、【人形使い】とか普通に無理でしょ。それとも兄さんみたいなヒキニートとパーティーを組んでくれる奇特なフレンドでも見つかったの?」
漁業関係者から引っ張りだこの当たり職業【
ちょっとくらいは手加減をして貰いたいものだ。
「ヒキニートじゃねーし! それにな、最近は週2でジム通いしてるから友人もそれなりにいるんだぞ。見ろ、この力こぶをよ」
夏に着るには厳しい感じなローブの袖をまくってグッと力こぶを作って見せると、妹は感心した様子でペタペタと触ってきた。
「うわ、本当だ……」
「硬いか?」
「すごく……硬いです……」
俺は半年ほど前から川崎区健康増進センターという名の高齢者向け運動施設――日本国民なら無料――で年金生活中の暇そうな後期高齢者達と一緒にお高いトレーニング機器を用いた運動をして加齢臭に満ちた
ヨボヨボのジジババに見えても実は戦後の復興期に活躍した元探索者だったりして、割と為になる体験談が聞けるんでありがたくアドバイスを頂戴している。
情報通を自称する俺はもちろんDTubeやXDなどのSNSや、真偽定かではない噂話が飛び交う匿名掲示板を用いた情報収集を欠かしていないが、やはり生の情報に勝るものはない。
「そっかー、兄さんにもようやく一緒にダンジョン探索をしてくれるフレンドができたんだね。よかったじゃん」
「いや、ソロで行くが」
「ただの自殺志願者で草。やーいこの穀潰しー」
「草生やすな。ふん、今に見ていろ。10年の時を越えてついに【無職】を脱した俺の覚醒っぷりに恐れ
あからさまに見下してくる妹の隣に腰を下ろした俺が黙々と朝の栄養補給をしていると、ソファで食後のコーヒー片手にテレビの天気予報を見ていたスーツ姿の父が尋ねてきた。
「そんな装備で大丈夫か?」
「一応、耐久+2の指輪を二つ買ってある。弐号のレベルが上がるまではあんまり無茶しないつもりだし、多分大丈夫でしょ」
大抵の家庭は子供のレベリング用に補正値の高い装飾品をいくつか用意している。
うちにある筋力+10の指輪と耐久+11の耳飾りは現在、妹が部活や学生パーティーの課外活動に使っているので、父はそのことを心配して言っているのだろう。
基本的に武器の枠は一つから二つ、防具の枠は三つ、装飾品の枠は二つまで効果が発揮される。
だから無駄に防具の重ね着をしたり、ジャラジャラとアクセサリーを付けまくっても戦闘中にメイン装備が破損した時の保険以上の意味はない。
なお、これらの枠を増やせる固有スキルのある職業は結構な強職とされている。
【重戦士】と【貴族】は就いた時点で勝ち組が確定する究極の当たり職業だ。
お手軽に防具枠+3したり装飾品枠+3するとか、ゲームバランス壊れ過ぎだろ。
「探索用の装備は必ず
「お父さんの言う通りよ。お金なんかよりも命の方が百倍大事なんだから。分かっていると思うけど、あなた一人の身体じゃないのよ?」
ダンジョンには誰でも入れるグローバルマップと、システム的に同じパーティーを組んだ特定のメンバー以外は入ることのできないプライベートマップが存在する。
パーティーメンバーの数は8人が上限だが、5人以上になると経験値が分散してドロップ率まで落ちるクソ仕様なので基本は4人までと考えた方がいい。
フルメンバーで動くのは1パーティーしか挑めない10層ごとのボス戦くらいだな。
ダンジョン内では一部の例外――もちろん【狂戦士】のことだ――を除いて人間同士の同士討ちができない優しい仕様になっているので、グローバルマップは誰かの助けを得られる可能性があるというだけで安心感がダンチなのである。
しかしながらグローバルマップは狩り場がかち合った時に稼ぎが目に見えて減ってしまうということもあり、校則でプライベートマップの利用を原則禁止されている学生以外はほとんど使わない。
「もちろんそうするさ。俺だって大人なんだから、そう心配しなくても大丈夫だよ」
自分なら簡単に社会復帰ができるのだと思い上がっている10年もののビッグマウスニートを見て「本当に大丈夫なのかしら……」などと呟いている過保護な母を安心させる言葉を口にしながらも、心の中ではぺろりと舌を出していた。
「きちんと考えているのならいい。父さんは
「うっす、頑張るっす」
他人に隠したい
これだけは誰に何を言われようとも、絶対に譲れないことだった。
―――――
腹もくちたところでいざダンジョンに出発だ。
家から最寄りの横浜海上ダンジョンは現住所の神奈川県川崎市川崎区から海岸線を越えて南西の海上に行ったところにある人口島に存在する。
電車を乗り継いで30分くらいは掛かる距離だが、これでもまだ近い方だ。
この世界だとダンジョンに近いほど地価と家賃が上がる傾向にあるからな。
そうでもなければ商社勤めの一般サラリーマンである父の収入で庭付き一戸建てに住むことなど夢のまた夢だ。
朝早くから仕事に向かうスーツ姿の社畜達がみな一様に派手な装備や装飾品を身に着けていることに未だ慣れないワールドギャップを感じつつ、座る場所を確保した俺はスマホを弄ってソシャゲのデイリークエストを消化しながら物思いにふける。
頭の中にあるのは今日転職した職業のことについて。
そうだ、時間のあるうちにざっと現在のステータスをおさらいしておくとしよう。
大木土博士 人形使いLv10[精霊使いLv1] SP:0/0
筋力:1[+1]
魔力:10[+5]
敏捷:3[+1]
耐久:3[+1](+8)
幸運:2[+2]
スキル:人形召喚Lv2 [火精霊召喚]
装備:火精の短杖【火属性微強化】 魔法士のローブ+ 強化繊維の胸当て+ 登山靴+ 耐久の指輪Lv2*2
眷属:木人形壱号Lv10 木人形弐号Lv1
二つの職業はそれぞれ表裏に書かれていて非常に分かり辛いので、便宜上第二職業は[]、装備による補正は()で表現している。
設定はかなり細かく弄れるんで、基本は身分証明用に名前と【人形使い】の職業、レベルと魔法文字で書かれた44桁の個人識別IDだけを他人に見えるようにしている感じだ。
どんな時でも自分だけは常に全部見えるのは利便性が高くていい。
SPはスキルポイントの略。本当はステータスポイントもあるけどこっちはレベルアップのタイミングですぐに使い切るのでこの先も表記するつもりはない。
散々悩んだものの、第二職業は【精霊使い】にすることに決めた。
召喚士系統で被ってしまったが、ロール的には典型的な魔法アタッカーだ。
痛い思いをする前衛の仕事は魔力消費で蘇生可能な人形達に一任して、自身は安全な場所から召喚した精霊に魔法で攻撃させる感じのプレイスタイル。
将来的に【属性付与】というバフスキルを取得すれば【人形使い】とのシナジーも増すだろうし、なかなか悪くないチョイスなんじゃないかと思っている。
本当は【人形使い】を捨てて【魔法士】と【重戦士】、もしくは【巫女】と【精霊使い】辺りに変更するのが魔法職としては一番火力が出ていいんだけどな。
前者の組み合わせは希有な第二職業持ちの探索者として世界的に有名なインドの【双頭の女神】アニカ・シャルマー/オニカ・シャルマーが実際に運用しているのもあって最有力候補だったが、俺にはパーティーを組む仲間も無職のオーブもないので諦めた。
やろうと思えば日本における最前線の100層踏破を目指している探索者クランに自分を売り込むこともできたんだけど、じゃあどうしてただのニートがいきなり第二職業を手に入れたのかって話になる。
実のところ、この謎については学習机の引き出しの中から見つかったボロい冊子で判明していたりする。
江戸時代より以前に書かれたであろう古い和紙の束には異世界に渡る方法なる物が達筆な草書体で記されており、実際に試した形跡があるのはゴミ箱の中にあった燃えカスみたいな紙切れからも伺えた。
要するに、この世界の俺と現実世界の俺は中身が入れ替わっていたわけだ。
仮にこの手法の再現性が認められてしまった場合、社会は大変な混乱に見舞われるのは間違いないだろうし、もし知ったのが上級国民だけならアドバンテージの独占の為に必ず抱え込むだろう。
当然、第二職業の秘密を知る一般庶民の俺は真っ先にその存在をこの世から抹消されることになる。
だから俺は俺の安全を守る為に、この古文書を歴史の闇へと葬り去ることにした。
近所の公園で国宝級のお宝を使って焚いた焼き芋は特別な味がしてとても美味しかったことをここに記しておく。
入れ替わりで現実世界に渡った俺がどうなったかについては知らん。
今頃、俺が血の滲むような努力で稼いだ財産を使い果たして途方に暮れている頃かもしれない。
流石に記憶だけじゃ複雑な手法を再現できないだろうし――そもそも俺は目次だけをチラっと見て読むのをやめた、知らない方がいいこともある――、また同じように向こうの俺と入れ替わる可能性は低いだろう。
こっちの俺と違って、学歴も職歴も十分にあるんだから自分で頑張るがいい。
どうでもいい話は置いておいて、【精霊使い】についての解説に移ろう。
【精霊使い】は最初に職業に就いた時、火・水・風・土の四属性の精霊の中から一つを選択することになる。
選択しなかったものは10レベルごとに貰えるスキルポイントで再度選べるので、今回は昆虫モンスター相手に火力を出しやすいオーソドックスな【火精霊召喚】を取得した。
火属性魔法の威力を一割くらい上昇させるゴミスキルの付いた火精の短杖もフリマサイトで中古品を買ってあるし、しばらくの間はこれでいけるだろう。
装飾品と違って防具の防御力――ドロップした階層と強化状態に比例する――には第二職業の2倍補正が付かないみたいだから、後々基礎ステータス強化系のスキル付き装備に乗り換えてからが本番かな。
それとステータスには表示されていないが防具の下には普通に服も着ているし、緊急用に試験管サイズの高級ポーションを6本まで収納できるポーションベルトを腰に巻いて普段使いのカバンも背負っている。
廉価品に比べるとかなり高かったが緑色の治癒ポーションと青色の魔力回復ポーションを3本ずつ用意してあるので、いざという時の保険も十分と言っていいだろう。
安いポーションはペットボトル入りで自販機とかにも売っているけど、高いのは透明な魔結晶の瓶――割れたら空気に溶けて消える――に入ってて投げて使えたりして便利なんだよね。
まぁ、人形に投げるくらいなら魔力を消費して再召喚した方が早いから自分用だ。
人形達の装備についてはまた後で話そう。
何をするにしても、まずはダンジョンに潜って稼がないと。
スマホをポケットに仕舞い車窓に目を向けた俺は、海上に長く伸びた大橋の上から見える穏やかな海の眺めを堪能しながら探索者デビューへの決意を新たにした。