あの園芸用シャベル損壊事件から数時間が経過した。
安全第一の探索を続けたおかげで特にこれといったトラブルもなく、俺は3層の終点一歩手前までやってきていた。
景色は相変わらず草原だが、出現するモンスターは少しずつ強くなっている。
道中で結構な数のモンスターを倒したものの、成果は肉の在庫が増えたくらい。
序盤はレベル上げを優先するべきだと割り切ってはいるとはいえ、現状は交通費さえもロクに出ない大赤字だ。
運よくレアスキル付きの装備でも出て一攫千金できないかなーと理想を描いたところで現実は非常である。
高い草むらに隠れるように背を低くして草原を進んでいると、まだこちらに気付いていない縦縞馬の群れを見つけた。
数は5匹、この距離なら逃げられる前にやれるか。
俺は右腕に巻いた安物の腕時計をチラリと見る。
時刻は正午を少し過ぎた頃合い。
空腹は限界に近く、朝から歩き通しで疲労も結構溜まっている。
「もう終点は見えているようだし……フレア、最後に大盤振る舞いだ」
火精霊の自動攻撃設定を切って音を立てないようにゆっくり群れに接近し、十分に近付いたところで確殺するのに必要なだけの魔力を込めたフレアの火槍で狙撃する。
草地に引火した炎に巻かれて慌てふためく縦縞馬に2発、3発とぶち込む。
背を向けて駆け出した残りの2匹を首尾よく仕留めたその時、俺の隣から「テテテテーン♪」というそこはかとなく聞き覚えのある音が聞こえた。
どうやら、ようやく弐号のレベルが2に上がったようだ。
「やっと上がったか。ヌルい低層とはいえ、経験値テーブルが渋過ぎるぜ」
このレベルアップ音もメニュー画面と同じく、人によって異なるらしい。
ハカセの愛称からも分かる通り、俺はゴリゴリのポコモン世代だからな。
太鼓を連打したり、レベルアップおめでとうの歌が流れるよりはマシだろう。
同時に【精霊使い】のレベルが上がらなかったところを見るに、中学生時代の間にも弐号には多少の経験値が溜まっていたみたいだ。
早く7層の狩り場でレベルをモリモリ上げてステ振りとかしてぇなー。
「さてと、今ので魔力も尽きたし階層だけ更新して帰るか」
すぐ近くにあった石室に乗り込んで謎の魔法陣パワーで4層入口の石室にワープした俺は、人形とフレアを送還してメニュー画面からログアウトした。
ふわりと浮かぶような感覚とともに、肉体がダンジョンの外に
出てきたのは横浜海上ダンジョンにあるロビー広場の一角、当然であるが辺りは探索を中断して昼飯を食べにきた探索者で溢れかえっていた。
中にはマナーを守らず、血濡れの装備でロビーをうろつき他の探索者達から白い目で距離を取られている者もいる。
どんな傷も【治癒士】の【治癒魔法】や【薬剤師】が【薬品調合】で作った治癒ポーションですぐに治るから感覚がマヒしているんだろうけど、ああはなりたくないものだ。
案の定、彼とその仲間達は大挙してやってきたドラム缶型のお掃除ロボットに洗浄スプレーをぶっかけられていた。
更にはダンジョン庁発行のお高い請求書のおまけ付きである。
こういった違反行為を頻繁に繰り返していると探索者資格を停止されて出禁になることもあるから、いくら面倒であってもエチケットは守った方がいいだろう。
そんなことを考えながら、俺は案内板を眺めて店を探す。
「お、マツ屋あるじゃん。今日はここにしよっと」
社畜時代に散々お世話になった24時間営業の牛丼チェーン店がすぐ近くにあることに気付いたので、俺も注文待ちの行列に並ぶことにした。
昼の稼ぎ時とあって、フードコートの店はどこの厨房も大忙しに見える。
空腹を我慢しながらぼんやりと行列の先を眺めていると、隣の町中華チェーンの店舗カウンターの方でなにやらトラブルの香りがしてきた。
「さっちゃんのがコレ、タロウくんのはコレでしょ。ボクは……どうしようかな……」
「ちょっと、早くしてくんない? さっきからずっと待ってるんだけど」
「いてっ、いてっ。蹴らないでくださいぃ……」
「チンタラしてんじゃないよ。オラッ、決めらんないならさっさと退きな!」
「す、すぐに決めますからぁ……怒らないでくださいぃ……」
「キレそう……!」
おっと、これは他人事じゃないな。
注文でまごついて後ろのヤンキーっぽい強面お姉さんから尻を小突かれている中高生くらいの若い探索者の姿を目の当たりにした俺は、今のうちにさっさとスマホでモバイルオーダーをしてしまうことにした。
アプリストアからマツ屋の公式アプリをダウンロードして……っと。
うわ、牛めし並盛り一杯290円ってマジ?
めっちゃ安いじゃん。
なるほど、安さの秘訣はここ横浜海上ダンジョン産の怒角牛肉100%だからか。
一行では到底説明できない
あー、でもよく見たらオプション料金が結構高いな。
陰キャ御用達のチーズ牛めしが軽く1000円くらいする。
現状お財布に全く余裕がない俺は、泣く泣く牛めし大盛り390円に決めた。
順番が来る前から既に用意されていた番号札付きのビニール袋を爆速で受け取り、後続の為にささっと列を離れる。
「さて、どこか座れる場所はあるだろうか」
俺は武装した人で座席を埋め尽くされているフードコートの中をテイクアウトしたばかりの熱々ビニール袋片手にうろつく。
他の探索者みたいに静かなダンジョンの中で食べてもいいのだが、昼休憩中にスマホで家族とのやり取りもしたいところだ。
ショッピングモールで満車の屋内駐車場を延々と彷徨うドライバーのような気持ちで辛抱強く探し続けていると、丁度いいタイミングで近くの2人席が空いた。
「ラッキー、冷める前に見つかってよかった」
ようやっと席に腰を落ち着けた俺は、小さなテーブルに置いたビニール袋を開いて牛めしの入ったプラスチック容器を取り出す。
パチンと割り箸を割って手を合わせ、頂きマンモス。
「前より心なしか玉ねぎが少なく感じるけど、その代わりビックリするほど肉厚だ。うまいうまい」
行儀は悪いけど、箸を片手にメッセージアプリをポチポチ。
さっき撮った壱号の写真を添付して家族LINDに送信っとな。
ヒロシ>3層まで潜った収穫[大兎骨の匙を頭上に掲げた壱号の画像]
お昼時なので、すぐに既読が付いた。
ハルハル>イチゴ喜んでるw
ハルハル>兄さんにしてはやるじゃん
釣りバカ剛三>そんな装備で大丈夫か?
母>暗くなる前に帰るのよ
ヒロシ>大丈夫だ、問題ない
ヒロシ>うっす、夕方までには必ず帰るっす
ひとまずの生存報告は終わったので、これで両親も少しは安心するだろう。
なお、アメリカ在住の兄は就寝時間らしく反応がなかった。
「おっと、充電切れかけてる。ヤバいヤバい」
スマホ画面の右上をよく見たら、バッテリー代わりになっている魔結晶の魔素が切れかけていることに気が付いた。
俺はメニュー画面を開き、ストレージから午前中に稼いだMCを全額引き出す。
ひっくり返したスマホの裏側に少しだけ出っ張ってる魔結晶の底部へ凸型の黒い魔結晶の頭を押し込むと、軽い抵抗の後にスッと中に吸い込まれて合成された。
「よーし、これで5%だったのが80%まで回復したぜ。探索者様々だな」
充電用の魔結晶はそこら辺のコンビニでも乾電池みたいな形でサイズと容量別にパッケージされて売られている。
店の取り分なりなんなりで割高なのでMCを持っている人は今みたいなやり方をするか、街中のATMに備え付けの【保管庫】を使って引き出すのが一番安く済む。
ちなみに【保管庫】は【商人】がレベルアップにより覚えるスキルで、これを持っているとストレージの容量が2倍に増える。
よほどズボラでもない限りストレージからアイテム結晶が溢れることなんてそうそうないから、基本的にはゴミスキル扱いだ。
これがあるとダンジョンモノリスの範囲外でもストレージに入れてある魔結晶やアイテム結晶の出し入れができるんで、さっき言ったATMみたいな機械に組み込まれた【保管庫】スキル付きの端末に必要な時だけ触って使う感じで運用されている。
「そこのあんた、一人なら相席してもいいかい?」
「別にいいですけど――」
ハスキーな低い女性の声で呼び掛けられた俺はスマホ画面から顔を上げた。
こちらをじっと見下ろしていたのは、先ほどの行列で見た気弱そうな中高生にキレかけていたクレイジーな女性探索者だった。
「悪いね。どうしても席が見つからなかったもんでねぇ」
ボサボサの金髪を背に流し、双眸は釣り目がちで俺よりも幾分か背が高い。
服装は強化繊維主体の軽装備で、その上に黒いジャケットを羽織っている。
腰に提げた二本の刀を見るに、【侍】か何かをしているのだろうか。
「あんた名前は?
「もしかして口説いてます?」
初対面の女に馴れ馴れしく話し掛けられるような
「なあに、ただの興味本位さ。アタシは藤堂ララ、
そのララっていうのは漢字で
俺の胡散臭そうなものを見るような表情を敏感に感じ取った彼女は、
「カタカナでララね。【クレセントムーン】って聞いたら少しは見当が付いたりするかい?」
心を読まれたか。
いやまあ、きっと似たようなやり取りをしょっちゅうしているのだろうけども。
それにしても、【クレセントムーン】か……。
「あー……あの100層越えを目指すとか言ってる配信者のクラメン? それにしては見たことない顔だけど」
【クレセントムーン】は東京江戸川ダンジョンをホームにしている若手攻略クランの名前だ。
顔面のいい女――何より撮影役の【踊り子】がとんでもない巨乳だ!――が秘匿されがちな深層の探索映像をリアルタイム配信で垂れ流していることもあって、日本ではここ数年でぶっちぎりの知名度を誇っている。
俺も情報収集の過程で有力な探索者の顔と名前くらいは調べていたが、【クレセントムーン】のメンバーリストに藤堂ララという名前が載っていたような記憶はない。
まさか、知らないと思ってホラでも吹いているんじゃないだろうな。
「広報担当の
「ふうん……」
彼女の言い分を全て鵜呑みにするのであれば、確かに暇そうな顔でロビーをうろついていてもおかしくはないか。
実際に対面してても結構な圧を感じるくらいにはステータス差があるようだし、少なくともレベル70は越えていそうに見える。
30が一般、50で一流、70以上が攻略勢ってのが今時の評価だ。
米国とソ連の2大強国における東西冷戦の終結より世界の公式記録が100層のボス前でストップしてから既に50余年が経っている昨今において、命懸けで記録更新を狙う人間はそう多くない。
「アタシだって自己紹介したんだから、名前くらい教えてくれてもバチは当たらないんじゃないのかい? それでもあんた、タマ付いてんの?」
「……
「ヒロシ、ヒロシねぇ……。職業は?」
「教えない」
正直に【人形使い】だと答えたら馬鹿にされるのが目に見えているので適当にごまかすと、ララはニヤニヤと不敵な笑みを浮かべた。
彼女はこれ見よがしに狭いテーブルに広げた高そうな町中華の料理から小籠包を一つ口に運んで、そして箸先で俺を指した。
「【魔法士】。それも火系統」
「分かっているなら聞くなよ」
「だってさぁ~、あんた見た感じソロでしょ。オーブで転職したばかりにしては目の色が違うし。この界隈、伸びそうなやつには早いうちからツバ付けとかないと」
「そいつはどうも、大層な評価をありがとう」
厄介なやつに目を付けられてしまったな、というのが正直な感想だ。
長く話に付き合っているとうっかり余計なことを口走ってしまうかもしれない。
危機感を覚えた俺は残りの牛めしを一気に掻き込み、席を立った。
「ごっそさん」
「あ、もう行っちゃうわけ?」
「金に困っていないお前らと違って、貧乏人は稼がにゃならんからな」
「せめてIDだけでも――」
君子危うきに近寄らず。
俺はゴミを片手にメニュー画面を開き、そのままダンジョンの4層に転移した。
薄暗い石室の隅にビニール袋ごとゴミを投棄し、あぐらをかいて座り込む。
カバンから取り出したスポドリ風味の廉価魔力回復ポーションを一気飲みして乾いた喉を潤し、人心地ついたところで大きな声で叫んだ。
「ただの初心者だって言ってんだろ!!! 変に構ってくるんじゃねえよヤンキー女!!!」
ストレスは溜め込まないのが長続きするコツだ。
社畜時代にはよく残業帰りに24時間営業のカラオケ屋に寄って思う存分心に溜まった
「あー、スッキリした。よっし、謎の女のことなんて忘れて探索に行こう。今日中に弐号のレベルを3まで上げられたらいいなぁ」
ひとしきり騒いでやる気と魔力が十分に回復したことをしっかりと確認した俺は【人形召喚】で壱号と弐号を呼び出し、【火精霊召喚】によって新たに生成した火精霊のフレアとともに次なる探索へと乗り出した。