Xデーを前日に控えたその日は特に何もない休日となった。
朝から川崎区健康増進センターで筋トレをしてシニアバスケを観戦。
昼から高野の家で適当に駄弁りながらダラダラと過ごす。
本当は萌に装備のメンテをして貰おうと思っていたのだが「忙しいから後にして」と言われていたので、夕方になってから伊古田製作所の事務所を訪ねることにする。
が、事務所前の駐車場に止まっている黒塗りの高級車を発見してしまった。
「またかよ……。【人形召喚】零号。お前ら戦闘準備をしておけ」
「了解だ、マスター」
「十分にお気をつけてくださいね」
「むー、さすがにここではじばくがつかえそうもないのだ」
「よく分かっているようじゃないか、偉いぞ参号」
俺は零号から受け取った強化繊維の胸当てを装着し、人形師の外套を羽織る。
壱号は大鎌の鞘を抜いて両手に持つ。
常に左腕に盾を持っている弐号は電鋼の剣を腰の鞘から抜き、参号はそのまま。
いつでも呼び出せるよう準備ができたところで、全員を送還する。
音を立てないようそーっと扉を開けて中を覗いてみると、なんとそこではパリッとした高級スーツに身を包んだ黒髪の優男が俺の大事な
「だーかーら、わたしは何と言われようと絶対に引き抜きは受けません! そもそも、わたしはこの伊古田製作所の跡継ぎです! 星崎さんはビジネスがお得意みたいですけど、愛に生きる人形師の腕は決してお金では買えませんからね!」
「しかしね、君。いつまでもここに住めると思ったら大間違いだ。既にサイバーラインによる周辺の用地買収は八割方進んでいる。その時、君はどうするつもりだ?」
「それは――」
俺は足音を立てないよう静かに星崎聖夜へ近付くと、彼の肩にポンと手を置いた。
振り向いた聖夜の頬に、俺の立てた人差し指が突き刺さる。
「てめぇ、俺の女に何してくれてんだよ。あ?」
「
小学生みたいなイタズラをされたというのに至って冷静な態度をしている聖夜は、異様に素早い動きで俺の腕をガシッと掴んで肩から引き剝がした。
【時空術士】の癖に筋力ステ振っているのかよ、いけ好かないイケメン野郎め。
「ヒロくん聞いて! この人、断っても断ってもしつこく勧誘してくるんだもん!」
「私は優秀な人間に
「あの会社のアンドロイドには魂がないじゃない! もし仮に就職するにしても、わたしは絶対にオリオント工業の方を選ぶもんねー!」
「……そうか、君もその泥船を選ぶというのか。まったく……この国の人形師は誰も彼も、ビジネスというものを理解できないらしい」
とりつく島もない萌の態度にようやく勧誘を続けることを諦めたのか、心底うんざりしたような表情を浮かべて肩を竦めた聖夜は振り返って俺の方を見た。
着ている装備を品定めするように、頭の上から下までジロジロと眺め回す。
「用が済んだなら帰れよ。お前は出禁だから二度とそのツラ見せんじゃねーぞ」
「
「あん? 勧誘なら昨日バッサリ断ったぜ」
その俺の言葉を聞いた聖夜はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「
「だからって望月株に全力で空売り仕掛けるこたぁねーだろう。星崎聖夜、お前は投機って言葉を知ってるか?」
聖夜はクイッとネクタイを直して、それから俺の隣を通り抜けた。
振り返ろうともせず、歩きながら返事を返す。
「私は常に数字に生きている。負けようのない戦いにベットするのは当然のことだ」
「あっそ、大損こいて泣きついてきても知らないからな」
「そのようなことは億が一にも有り得ない。望月京子は明日死ぬ、それがこの世界の選択だ」
そう言い残した聖夜が事務所を去ると、バタンと音を立てて扉が閉じた。
「さて、どうしたものかね……」
「ヒロくん、ごめんね。変なところ見せちゃって」
「いいさ。それで、近隣の用地買収が進んでるって話は本当か?」
どうやら萌は知らなかったようで、顎に指先を当てて思考を巡らせた。
「聞いたことないけど……最近、妙に空き家が増えてるってママが言ってた気がする」
「そうか……。なあ萌、お前はここから引っ越したいか?」
「愛着はあるけど、わたしはヒロくんと一緒に暮らせるならどうでもいいかな。ねえヒロくん、もし星崎さんの話が本当なら新居探し手伝ってね」
金には一切困っていないし、立ち退きを
むしろ彼女は店を新しく建て替えるチャンスだとすら思っているのかもしれない。
相変わらず考えることはうちの妹とそっくりだ。
「随分と乗り気だな。んで、萌はどこがいいんだ?」
「宮本さんの家の隣とかどう? きっとイチゴちゃんも喜ぶと思うよ!」
「農地転用してまで最悪の事故物件の近くに住もうとするんじゃねぇ」
俺は右腕に巻いている防水腕時計の【情報共有】を使って空中に乳白色のプレートを出現させた。
ずらっと並んだフレンドIDの中から望月京子の名前をタップする。
幸いなことにブロックはされていなかったようで、数十秒のコールの後に画面が切り替わった。
死に装束とすら思えるほどに白一色なドレス姿の京子は、望月グループの運営する高級ホテルのスイートルームでワイングラスを片手に俺を見つめている。
映り込んだ料理を見る限り、どうやら一人ぼっちで寂しい夕食の最中のようだ。
「随分と浮かれてるみたいだな。最後の晩餐は楽しいか?」
京子は不愉快そうな感情を一切隠そうともせずに顔を歪めた。
『今まさに最悪な気分になったところだよ、
「相変わらず愛想のない女だなぁ~。せっかく手助けしてやろうって気になったってのにさぁ~」
『手助けだと……?』
「どうせ枠、余ってるんだろ? 貧乳【忍者】を抜いて俺を入れろよ」
『貴様、私を馬鹿にしているのか? 昨日あれだけ
「明日朝9時、出陣式の最中に顔を出す。その気があるなら拾っていけ」
言いたいだけ言った俺は【情報共有】を切ると、身に着けていた腕時計を外してポケットに突っ込んだ。
鬼電されたらムカつくからな、スマホの電源は切るに限る。
俺と京子の一連のやり取りを呆然とした様子で聞いていた萌は、一言も発せられないままカウンターから出て、つっ立っている俺の胸にひしっと抱き着いてきた。
そして、涙で潤んだ瞳で俺の顔を見上げる。
「ヒロくん、どうして……」
「どうもこうもない。俺はあの星崎聖夜とかいうクソ野郎に一泡吹かせたくなった。ただ、それだけのことさ」
「でも……」
あの日、
それなのに、何故その自殺行為に付き合おうとするのか。
いくら俺がレベル99で【ボマー】譲りの【自爆】戦術があるとしても、それだけで黄金大蛇を倒せるなんて到底思えないのだろう。
俺も本当は言いたいけどさ、第二職業のことを口に出すわけにはいかないんだ。
壁に耳あり障子に目あり、情報はどこから漏れるか分からない。
流石にスマホは大丈夫っぽいが、自動運転AIが搭載された電気自動車の内部での会話は全て録音されているってのはこの世界では常識だ。
そして彼女には匿名掲示板経由で俺の個人情報を
全幅の信頼がおける高野ですらギリギリ、現状ではそれが限界ラインだ。
「今は何も聞くな。ただここで、俺の戦いを見ていてくれないか」
萌の橙メッシュが入った黒髪を右手で掻き上げ、そっと顔を寄せて口づけをした。
ただ唇を触れ合うだけの優しいキス。
これで伝わってくれるといいのだが、どうだろう。
ゆっくりと彼女から離れると、萌はぽーっと放心したような顔をしていた。
三度瞬きをし、ようやく心を取り戻した萌は頬を真っ赤に染めて慌てふためく。
「ヒロくん、いま、いま……」
「何も心配することはない。俺には萌が作ってくれた頼れる愛玩人形がいるからな。そりゃあ最初は嫌だったけどさ、今じゃ元のマネキン人形と一緒に戦うなんて考えられないぜ」
「じゃあ、死なないんだね? 本当に大丈夫なんだね?」
「明日からお前は世界一有名な探索者の恋人だ。きっと誰もが
「それ、本当かなぁ……?」
「おいおい、俺のこと疑ってんのか?」
「だってヒロくん、よく嘘つくし……」
うーん、まるで信頼がない。
日頃の
「まあいい。明日に備えてきっちり整備を頼んだぞ」
「ほら、またそう言ってごまかそうとするし。ヒロくんの魂胆なんて最初から全部分かってるんだからね!」
「でも、不安はなくなっただろう?」
「今はそうだけど。今日は一人じゃ眠れないかも……」
萌は二階の自宅部分に続く階段の方に目を向けた。
おいおい、泊まって行けってか?
旅立ち前の子作りは死亡フラグだから絶対にNGだぞ。
「眠れない時は睡眠薬を飲むといいぞ!」
「ヒロくん、やっぱり根に持ってるでしょ!」
「そりゃ根に持つよ。あの日の屈辱は一生忘れないからな……!」
俺がそう言って拳を握り込むと、許嫁の人形を勝手に魔改造したいという自分の欲望を満たしたが為に恋人と結ばれる千載一遇のチャンスを逃したことを悟った萌は、がっくりと肩を落として
―――――
2026年8月29日土曜日、午前9時00分。
望月京子が日本政府と交渉してもぎ取った貸し切り状態の江戸川ダンジョンロビー広場は、まるで総理大臣でも守っているかのように厳重な警備態勢が敷かれている。
「おーおー、とんでもない人の数だ。テンション上がるなぁー」
約束した時間に一人で会場までやってきた俺は静かに観衆の間を縫い、一般人の立ち入りを防ぐ帯状の仕切りを乗り越えてレッドカーペットの上に飛び出した。
「君、待ちなさい!」
「本当にやってきたというのか、
京子の上げた大きな声が、制止に動こうとする警察官の動きをピタリと止める。
そんな中で俺は悠々とレッドカーペットを歩き、漆黒のダンジョンモノリスの前で待つ8人の探索者の前に立った。
「真打ち登場だ。昨日約束した通り、拾っていきなよ」
俺の差し出したDカードを前に京子は一瞬だけ
「お前らの自己紹介はいらない。【ドールマスター】
俺と京子が握手をすると、他のメンバーはそれで納得したのか黙って頷いた。
そんな話の分かる彼らとは異なり、十中八九負けて死ぬだろうという考えのもと物見遊山でロビー会場までやってきた野次馬どもは突然の乱入者にざわめきの声を上げている。
「おい、あいつヒロシだぞ……」
「今更何をしにきたんだ」
「アンタがナギくんを殺した男!?」
「よくナミちゃんの前に顔を出せたな!」
「このクソ野郎、今すぐ腹を切って詫びやがれ!」
「「「しーね! しーね! しーね!」」」
聞こえてくるのは【いけず石】厄介ファンからの罵倒の声援だ。
マジで空気読めないな、こいつら。
この場に【いけず石】のメンバーがいることを忘れているんじゃなかろうか。
「
俺がビシッと指を差してそう叫ぶと、会場はシーン……とした静寂に包まれた。
だって今ここで俺がヘソを曲げたら黒川しのぶとかいう何の役にも立たない貧乳をレイドメンバーに入れなきゃならなくなるもんね。
本当に猫の手も借りたい状態なんだから、黙り込むのも当たり前のことである。
「ヒロシはん、なんできてくれはったんどすか? あんさんウチのこと、未だにブロックしてはりますやん……」
伊佐那美は望外の助けを得られたことに感激しているのか目を潤ませている。
このメンヘラ女め、お前の為じゃないんだから絶対に惚れるんじゃないぞ。
「そりゃ、星崎聖夜に一泡吹かせてやりたかったからに決まってるじゃん。俺は最強の【人形使い】なんだからよ、無敵の第三形態だろうと楽勝で突破できるもんね」
「白々しい嘘を吐くなヒロシ、貴様のレベルは未だに99のままだろう」
Dカードのパーティー欄を見た京子は、不愉快そうなツラで文句を言った。
一度高野と試したから知っているけど、俺をパーティーに誘った彼女のDカードには現在「大木土博士 人形使いLv99」とだけ表示されているに違いない。
「俺がソロで100層に到達しているのは変えようのない事実だ。違うか?」
「……まあいい、道中で貴様の腕前は見せて貰うとしよう」
それでひとまず納得してくれたのでよしとする。
俺達は自己紹介もそこそこに、パーティーリーダーの京子がメニュー画面から選択したプライベートマップの100層にある石室へと転移した。