12月に入り、すっかり冬になったある休日のこと。
川崎区健康増進センターのトレーニングルームで日課の筋トレに励んでいた俺に一通のメッセージが届いた。
「ん、誰だろう」
背筋力を鍛えるラットプルマシンのバーから手を離した俺は、ジャージの長袖の下に隠れている防水腕時計の【情報共有】を使ってフレンド欄を開く。
伊佐那岐のイケメンフェイスに免じてブロックを解除した伊佐那美から届いた怪文書を未読スルーしてフレンドリストをスクロールすると、2ヵ月ぶりに
[24日の夜にスウェーデンへ帰ることになりました。関西国際空港から出立する予定なので、もしよろしければその日にUSJへ遊びに行きませんか?]
なんともまあ、クリスマスイブにデートのお誘いか。
今日は帰りに事務所に寄って萌とクリスマスの予定を決めるつもりだったのだが、運の悪いことにバッティングしてしまったようだ。
「マスター、どうされるおつもりですか?」
トレーナー役として運動器械の
なお、弐号は外の運動場で元タンクのジジイ達と盾役の訓練中。
もちろん大事な装備は零号が全て預かっている。
「正直、迷ってるんだよな。九郎からの忠告もあるわけだし……」
「最後の友情を取るか、一時の愛情を取るか。私はマスターのご意向に従います」
「まだ時間はあるからゆっくり考えよう」
一通りのトレーニングメニューをこなし、無料のシャワーで身を清める。
弐号を回収していつもの鎧装備を着せ、腹の虫を抑えながら昼飯を食べに行く。
昼の食堂にはジムに通えない貧乏な探索者と、健康増進センターの隣の敷地に建っている老人ホームや近所の自宅からやってきた暇なジジババが半々。
俺がマスコミのインタビューを受けてからというもの、この風景が日常になった。
施設特有の臭気は相変わらずだが、活気が出てきたのはいいことだと思う。
遊びでスポーツの練習試合をやって、よく若者がボコられているくらいだ。
「こんにちは、ヒロシさん。最近はインフルエンザが流行っているそうですから、移されないよう注意してくださいね」
500円で腹一杯食えるワンコインの日替わり定食を受け取る列に並んでいると、顔見知りな【調理師】のおばちゃんから声を掛けられた。
「いやぁ、平気平気。耐久高いし、風邪を引かないのが取り柄みたいなもんだから」
「それならいいんですけど。はい、川崎のヒーローにはデザートの杏仁豆腐をオマケしちゃいますよ」
「いつも特別扱いでありがたいね。大事に頂くよ」
今日の日替わり定食は中華風。
老人でも食べやすい甘口の麻婆豆腐に野菜たっぷりの八宝菜、冷え込む寒い季節には大盛りの中華粥がとても嬉しい。
「今日も元気に頂きマンモス。……うまいうまい」
空腹こそ最高のスパイスの幸せなカロリー補給をしていると、俺のテーブルの周りに次々と貧乏な底辺探索者どもが集まってくる。
「おいおい、一人だけデザート2個はずりーんじゃねぇか?」
「そうだそうだ!」
「食堂の利用客が増え過ぎたせいで、お代わりさせてくれなくなっちゃったんだけど……」
そう愚痴る食欲旺盛な太っちょは、しっかり大盛りにして貰っている。
これで足りないとか、一体これまで何回お代わりをしていたのやら。
「後からきたイナゴの分際で俺に文句言うなよ。食費ケチってないで金払え」
「酷い言われようだな。まぁ、事実なんだが」
「払える金あんならこんな臭い場所こねーっての」
「服に施設の匂いが染み付いたのか最近、妹に避けられている気がしてならない」
「それ、単純にお前が嫌われてるだけだろ」
「反抗期っぽいし、そうなのかも……」
名も無きゴミとしょうもない話をしているうちにすっかり皿が空っぽになったので、俺は食器を返却して食堂を後にした。
暖房の効いた施設から一歩出ると、外は強風吹きすさぶ冬模様。
もうそろそろ雪も降りそうな寒空の下、空中に浮かべた炎精霊フレアをおへその辺りにエンチャントして懐炉代わりにする。
精霊進化をしたら結構応用が効くようになったのだ。
このようにボディに【
【
そもそも精霊召喚枠は4つしかないし、よほど厄介な魔法攻撃をしてくるボスモンスターを相手にする時でもない限りは日常生活用としてしか使うことはないだろう。
俺は壱号と弐号を連れて、腹ごなしの散歩がてら伊古田製作所へと向かう。
歩道の草刈りをするおじさん労働者と目が合ったので手を振り、買い物帰りの主婦とすれ違い、桜公園に向かう園児の群れに襲われる。
サイバーライン規制法が施行される少し前くらいから、町中で外装のないシンプルなアンドロイドの姿を見掛けることもほとんどなくなった。
安かろう悪かろう、違約金なしで返却が可能なレンタルサービスの功罪だ。
日本での仕事をクビになった彼らは今頃、輸送船にでも乗ってEUやオーストラリアなんかの新しい職場に向かっているんじゃないかな。
「この辺りにも随分と活気が戻ってきたようですね」
伊古田製作所の近くまでやってきたところで、壱号がぽつりと
「サイバーラインの代わりに地上げをしていた会社が不動産を手放したんだろう。なんせ、年が明けたらがっつり固定資産税がのしかかってくるからな」
古い家を取り壊したり、新しい家を建てようと額に汗して働く土建屋の姿があちこちに見えるのは、来年には俺が萌と入籍してムラマサ=ニンジャが常駐警備している伊古田製作所で生活を送ることになると思われているからだ。
ここだけやたらと地価が跳ね上がっているし、なんだったら過剰に大きな派出所や高層マンション、富裕層向けのショッピングモールまで建てられつつある。
「これもマスターの人徳がなせる
「土地は買った人の物だから好きにしたらいいと思うけどさ、いくらなんでもフットワーク軽すぎじゃない?」
「それだけ期待されているということでしょう」
伊古田製作所に着いたので、事務所の扉を開く。
どうやら既に参号の新しい外装の組み込みが終わっていたようで、うちのロリロリドラ娘は一人でソファに座ってお気に入りの教育テレビを見ていた。
「あるじ、おかえりなのだ」
「ただいま。どらごんの足の使い心地はどうだ?」
参号の膝下には爬虫死人皮の足甲【自爆】【範囲縮小】が黒く染められた状態で被せられている。
心あるレプティリアンが見たら震え上がるような猟奇的生体装備だ。
「ぐりっぷがきいてすごくあるきやすいのだ。もういつでもあんこくじゃりゅうのかわにきがえられるぞ」
彼女に組み込む生体装備は【クレセントムーン】のホームページを借りて常時募集していたのだが、つい先日ようやく一つ目が手に入った。
送ってきたのはなんと【ナイツ・オブ・ラウンズ】のクランリーダー、アーサー・ウィリアムズ。
代理人から聞いたところによると、兄に渡した1億円分の魔結晶の対価らしい。
これで貸し借りはなしって同封されていた手紙にも書かれていた。
情報提供の返礼が混じっているにせよ、安い買い物には違いない。
「これで転ぶようなことが減るといいですね」
「ずっこけはサンのでんとうげいだからなんどでもくりかえすぞ」
「伝統芸なんだ……」
「サン、奥方様はどちらに?」
「いそぎのいらいがはいったとかで、はげおやじのしごとをてつだっているのだ」
鍛冶工房の伊古田製作所は中堅探索者向けの武器防具製作が本業だ。
付き合いのある地元の探索者から修繕の依頼を受けるだけで十分以上に稼げるので、萌という店番がいる現在は年の半分くらい釣りとか旅行に出掛けるような勝ち組自営業である。
「俺が第二職業バレしてからは新規の顧客を受け入れていないのに珍しいね」
「おせいぼようのはさみとかほうちょうだぞ」
「そっちかよ」
どうやら親戚から駆け込みでお願いされたようだ。
その手の行事は母が全部やっているから俺はまだ送ったことがないんだよな。
来年からは俺も親戚にお中元とか送らなきゃ駄目だろうか。
―――――
仕事の邪魔をしてはいけないので萌の代わりに店番をすることしばらく、裏口から重そうなケースを抱えた萌が戻ってきた。
「萌様、私がお持ちしますよ」
「ごめんイチゴちゃん、工房に同じものがもう一箱あるから取ってきてくれない?」
「では、そのように致します」
「ありがとう。よいしょっと」
ガシャンと金属の擦れ合うような音を立てながらケースをカウンター横の作業台の下に置いた萌は、奥の棚から贈答用の化粧箱を持ってくる。
「俺も手伝った方がいい感じ?」
「そうだね、見本用意するからこっちお願い」
「うーっす」
敏捷値据え置きの俺はあんまり器用ではないので、萌の三分の一くらいのスピードで包丁&キッチンバサミお歳暮ギフトの梱包作業を行う。
が、すぐに戻ってきた壱号に役割を奪われて指を咥えて作業を眺めるだけの存在に落ちこぼれてしまった。
「べ、別に悔しくなんかないんだからねっ!」
「私に至っては声すら掛けられないからな!」
「サンはどらごんだからあそぶのがしごとなのだ」
ダンジョン探索しかできないお荷物三人衆を横目に、萌と壱号はテキパキと手を動かしてお歳暮ギフトの山を作り上げていく。
「ヒロくん、クリスマスの予定をどうするか決めた?」
「それなぁ……実は24日にフレンドから呼ばれてんだよね」
「ふーん、誰?」
「誰かまでは言えないけど、その日は関西まで行かにゃならん。でも多分、夜には帰れると思う」
俺の煮え切らないような態度が気になったのか、萌は作業の手を止めてじっとこちらを見つめてきた。
「わたしは別に今まで通りでもいいけど。まさか伊佐那美さんじゃないよね?」
「おいおい、浮気を疑ってんのか?」
「イチゴちゃんとニコちゃんがいるんだから大丈夫だって信じてるよ。でも、もし本当に浮気したら……」
「したら?」
「うーん、どうしようか。一つだけわたしのお願いを聞いて貰おうかな」
「なんだよそれ、婚約破棄とかじゃないのか」
勲章持ちの上級国民かつ世紀のクズ野郎としてネットで評判の俺は、もう両親から勘当されちゃったところで何も困らないもんね。
横浜海上ダンジョン近くの高層マンションで人形達と悠々自適な独身生活を送れるし、装備のメンテや参号の改造なんかも京子が手配した【鍛冶師】とか人形師にお願いすりゃいいわけだし。
むしろ、目の前の変態女と無理して付き合う理由がないことに気付いてしまった。
「だってヒロくん、内心それを望んでるところあるでしょ」
「それも割とアリかなと。いや、あの性悪なメンヘラ女だけは頼まれたって勘弁だけども」
「なら、別の女の人?」
「それはまだ言えん。んじゃ、先方には了承の
萌が作業に戻ったので、ソファに深く背を預けた俺は【情報共有】を使って開いたフレンド欄からレンの名前の横をタップして、開いたメールフォームから承諾のメッセージを送った。
「さてと、年末のスケジュールも固まったところで俺は明日の探索の準備でもしますかね。【人形召喚】零号」
大盾を背負い、頭に偵察ドローン操作用のバイザーを着けた海パン姿の零号が召喚される。
「……」
俺と同じ声で喋られると同族嫌悪でメンタルがやられてしまうので必要な時だけ喋るように設定されている不憫な影武者人形くんは、テーブルに置かれたタブレット端末を黙々と操作し始めた。
画面に映っているのは、昨日探索を行った152層の途中までの地図だ。
専用のAIで簡易的に表示された地形情報には出現するモンスターの分布が分かりやすいアイコンで表示されている。
「明日には終点を見つけて、153層の探索に乗り出したいところだな」
「しらみつぶしにあるきまわるのはめんどーなのだ。だんじょんちょーのしょくいんをかりようよ」
「何かあったら責任問題じゃん。やだよ、他人の命を背負うなんてさ」
現状、自衛隊を中心とする日本の探索部隊は150層の手前で止まっている。
市場に出回っている装飾品だと完全な状態異常耐性を得るのは難しいので、村正一族に頼れない防衛省はどうにか米国からLv25の呪い装飾品を手に入れられないか交渉中らしい。
ダンジョン庁公式アプリで150層以降のマップが公開されるまで待ってもいいんだけど、俺的には余裕のある今のうちにマッピングの練習をしておかないと後々困るから、こうしてちまちまと日数を掛けてダンジョンの調査をしているというわけだ。
「ダンジョン庁の人からもお願いされてるみたいだけど、ヒロくんはダンジョン配信しないの?」
「そっちは200層を越えてからって話になってる。それまでに【情報共有】専用のサポート人形も用意するつもりだ」
「へぇ、どんな子にするつもり?」
萌は期待しているようだが、これ以上ヒロインを増やしても管理できないと思う。
8体も自由意志を持った人形を抱えているのにも関わらず多頭飼育崩壊を起こさないローゼン閣下って凄い。
「いや、今回は核だけでアクセとして使いたい」
その気になれば低レベルでも運用可能な【逆境】ビルドの前衛人形を増やすことも可能っちゃ可能だけど、そいつに【属性付与】を割く精霊召喚枠が足りない。
暗黒邪竜戦に備えて【人形使い】のスキルポイントを残しておく
ステータス平均振りで職業を持たない人形は深層のモンスター相手だと火力が圧倒的に不足しているので、第二職業持ちの俺のバカ高い魔力を参照した【
「えぇ~、そんなの可哀想だよぉ〜」
「零号も似たようなもんだろう。【情報共有】【通信】【通訳】【保管庫】【募兵】……余裕があれば【魔力強化】を盛るとして、基本はこの辺りかな」
「【募兵】いる?」
【募兵】は階層未踏破のフレンドをプライベートマップに招待する【軍師】の初期スキル。
これを使えば暗黒邪竜を越えていない者も201層以降の探索ができるってことだ。
まぁ、終点の石室に侵入できないという致命的な欠点があるから普通は骨工船でのパワーレベリングくらいでしか使われないかな。
「少しでも荷物を減らせるなら減らしたいだけ」
「我々のような人形は送還されると持ち物をその場に落としてしまうからな!」
特に偵察ドローンみたいな精密機器は慎重な扱いが必要だ。
最近は登山用のデカいカバンを背負ってダンジョンを探索する大変な日々である。
「いい加減、筋力にステータスを振ろうか悩むぜ」
装飾品で筋力を大きく上げると外した時に感覚が変わるから良くない。
順応性が高い人形とかバフのステータス変動に慣れている前衛職なら【逆境】も余裕で使いこなせるんだけど……俺みたいな後衛職はこういう時に困る。
「ヒロくんは魔力も有り余っているし、ちょっとくらいならいいんじゃない?」
「ここまで魔力と耐久に極振りしてきたのに、本当にいいのかなぁ……」
「うん、いいと思う!」
ということで、今後は【精霊使い】のステータスポイントを50まで筋力に振り分けることに決めた。
これで少しは探索が楽になってくれるといいんだけどね。