違和感は最初からあった。
【商人】の娘にしては異様に射撃が上手かったり、スウェーデン人なのに時折ボソッとロシア語でデレたり、ステータスを低下させるグラビティメタル製の指輪を左手の人差し指に
それでもまったく気付けなかったのは【催眠術士】の第二覚醒スキル【魔神の誘惑】の思考誘導によって認識をズラされていたからに他ならない。
俺も【霊神の神格】の力で喋れるようになった壱号から指摘されていなければ、ずっとそのままスルーしていたんじゃないかと思うほどに巧妙な溶け込みようである。
「レナータ・ニコラエヴナ・プレオブ……なんだって?」
「プレオブラジェンスキーです。ふふふ、覚え辛くてごめんなさい」
「どうせレン以外の名前で呼ぶことなんてないし、別にいいか」
ホテルのスイートルームでソビエト連邦のハニートラップ要員と二人きり。
ふわっふわのソファへ腰掛けて、お酒を片手に雪の降る綺麗な夜景を堪能する。
いやー、これは大変なことになりましたね。
「ヒロシさん、どうしてずっと気付かないふりをしていたんですか?」
「俺は人形師の萌と違ってムラマサ=ニンジャに守られていないんだからさ、お前らがその気ならいつでも
江戸川区の素敵な喫茶店で一緒にランチした時のことを思い出してみよう。
彼女は「高校を卒業したら
これを意訳すると「上司から指示されている日本での任期を終えたら、ソビエト連邦に戻って独裁者に仕える」と読み取れる。
要するにレンは「上の目が届かない日本での気楽なスパイ生活が終わるの嫌だな」って言いたかったわけだ。
向こうはAIで管理された完璧な
「ヒロシさん、貴方は私が怖くないのですか?」
「スパイであろうとなかろうと、友人を怖がる理由は何もない。もしも俺がレンと同じ立場だったらと思うと、余計にそう思うよ」
俺が「友人」と言った辺りでレンは不満げな表情を浮かべた。
「私に与えられた任務はヒロシさんを
「失敗した時は殺せとでも言われているのか?」
「いいえ、そのような命令は受けていません。何故なら、貴方は我が国の繁栄に必要不可欠な人材だからです。少なくとも、【隠者】を連れて安全に暗黒邪竜を倒す手段が確立されるまでは生かされるでしょう」
150層での検証の結果、判明している【隠者】の第三覚醒スキルは若返りだ。
痴呆に怯える老い先短い権力者の夢、不老不死が手の届く場所にある。
もしもそれが手に入った場合、彼らは次に何を考えるだろうか。
……核の脅しを使ってでも強引に200層の壁を敷いて、永遠に探索者の未来を閉ざすくらいのことはしかねないな。
なにしろ【占星術士】の第三覚醒スキルは未来視である可能性が高いのだから。
「それを聞いて安心したようなしないような、微妙な気持ちだ」
「ヒロシさんが拘束の難しい【人形使い】でなければ、もっと大変なことになっていました。100層の壁を壊す直前まで第二職業を隠しきれたことといい、運が良かったですね」
俺はいつでもどこでも人形爆弾を呼び出して全てを吹き飛ばせる危険人物だ。
無職のオーブでの強制転職や拷問、薬物での精神破壊をした時点で探索者としては使い物にならなくなるので、有効的に利用したいなら交渉でどうにかするしか手段は残されていない。
だからこそソ連は国際連合の召集という形で地獄への片道切符を寄越してきた。
それに応じる意思を示している以上、このハニートラップもレンが構築していたプライベートな人間関係が使えたらラッキーという行き掛けの駄賃に過ぎないのだ。
「でもさ、【天神の追想】で俺の過去は探ってあるわけだろう。第二職業持ちを量産できるのに、わざわざ引き抜く必要なんてあるのか?」
素朴な疑問を口にすると、レンは不思議そうに首を傾げた。
「次の
おおっと、どうやら並行世界との行き来はかなり難しいものだった模様。
今更ながら「俺だけ使える第二職業」が確定したのは嬉しいが、暗黒邪竜戦の人柱を頼む相手がいなくなってしまったのは悲しむべきかもしれない。
「読まずに焼いて捨てたんだから何も知らない。それにしても、話を聞いただけでよく成功したもんだと感心するわ。実家暮らしの子供部屋お兄さんで良かったぜ」
「ふふふ、変なヒロシさんです。臆病なのか勇敢なのか、私にはよく分かりません」
グラスを傾けながらそうこう話をしている間に、ウィスキーの瓶が空っぽになってしまった。
俺は耐久が高いから全然酔わないが、レンは少し頬が紅潮しているように思える。
泥酔するのが怖いから絶対にしないけど、俺も耐久のがっつり落ちる呪いの装飾品があれば酔えるのかな。
「なぁ、レンはこれからどうするつもりだ?」
溶け残った氷だけが入ったグラスをテーブルに置いてそう尋ねると、彼女は遠く窓の向こうを眺めながらぽつりぽつりと言葉を漏らした。
「私は本国に帰ろうと思います。帰って……全てをひっくり返します。あまり悠長にしていると、私の望みを叶えられる最後の機会を失ってしまいますからね」
「望みねぇ……」
「ソビエト連邦はカール・マルクスの描いた理想の共産主義国家です。管理された人間、管理された社会。ただ一つの歪みは、その上に座す者。システムを悪用し、愉悦と快楽を目的に世界へ混乱をもたらす者。ふふふ、きっと楽しいことになりますよ」
こ、この女……まさか革命でも起こすつもりか。
どうしよう、パーフェクトコミュニケーションとか気取っている場合じゃないぞ。
「そ、それは本当に必要なことなのか……?」
「こうして言葉にした以上、引き返せる段階にはありませんよ。我々の計画は既に動いています。年が明ける頃には、世界の半分が私のものになっているでしょう」
俺は【裁判官】じゃないからレンの言っていることが本当か嘘かは分からない。
だけど、一つだけ分かることがある。
それはデート中の女が言うことを決して否定してはならないということだ。
「その計画が成功することを心の底から祈ってるよ。なにせ下手したら、世界が核の炎に包まれちまうかもしれないんだからな」
俺はレンの細く小さな手を取り、左手の人差し指に
呪いの指輪がテーブルの上に転がると、彼女の纏う雰囲気が一変する。
か弱い深窓の令嬢から本物の怪物へ。
いくら顔を隠そうとも、この状態で通りを歩くだけで誰もが振り返ることだろう。
「ヒロシさん……?」
俺はレベル199の【催眠術士】の蒼い瞳を真っ直ぐに見つめる。
困惑し、
これが全て演技であるのならば、本当に恐ろしいことだと思う。
「【魔神の誘惑】を使えよ。俺はお前の為に婚約者との逢引きを断ってきたんだぞ」
「……絶対に、後悔しますよ」
本当はいつものように話し合いだけして帰るつもりだった。
でも、こんなことを知らされてそのままにするわけにはいかない。
冗談で言っていい言葉ではないことくらい、察しの悪い俺でも分かっていた。
……この場での会話が外に漏れた時点で、彼女の死は確実なものとなる。
それなら背中を押す手助けくらいはしないと、男が
「今ここでレンの心を射止めれば、世界の半分は俺のものだ。それくらいデカい土産を持って帰れば、萌もきっと許してくれるさ」
「でしたら、念入りに証拠を隠滅しなければなりませんね。私達の
レンはスッと
視線が合った途端にドクン、と心臓の鼓動が高鳴る。
抗いようのない、絶対王者チョコレートのような甘い誘惑に心が乱れていく。
その細腕に見合わない筋力で腕を取られ、ソファに背中から押し倒される。
絹糸のように細い銀色の髪が垂れ、さらりと頬をくすぐった。
俺をじっと見下ろすレンの瞳とその表情は、百戦錬磨の捕食者そのものだ。
「あの、その……俺は一応、初めてなんで手加減して頂けると……」
セカンドキスは、甘い蜂蜜のような香りがした。
触れ合った唇から、小さな舌が口の中に潜り込んでくる。
狂おしいほどに官能的な交わりに、次第に思考が塗り潰されていく。
「ふふふ、そう心配せずとも大丈夫ですよ。殿方の相手は大の得意ですからね」
ごめんな萌、少しの間だけ浮気をさせてくれ。
そうしなければきっと、この世界が滅んでしまうから。
―――――
それから1時間ほど後、俺はリニア新幹線で帰路についていた。
個室タイプのお高い四人掛けのボックス席で、呼び出した人形達と一緒に高速で流れる夜景を眺める。
「はぁ、やっぱりやめときゃよかったかな……」
俺は窓際に肘を置き、何度も何度も溜め息を繰り返していた。
これまで積み上げてきた男としての自信も何もかもが砕け散ったような気分だ。
ヤることヤって煙のように消えてしまったミステリアス銀髪碧眼白人美少女の代わりに残ったのは、生身の女性に対する恐怖心だけである。
「あの状況で何もせず帰すのは危険な香りがしましたから、致し方ありません」
「女スパイの手練手管はいい勉強になった。今後の奉仕活動に役立ちそうだ!」
今回も緊急時に備えていつでも召喚できるように完全武装状態で待機させていたんだけど、そのせいで人形達に情事を記憶されちゃったのがとてもつらい。
だからといって、いちいち命令して記録を消すのもなんか違うしなぁ。
「ぴんくいろのふんいきにながされてうわきしたのは、ほかならぬあるじなのだ。もえもえにつげぐちしてえんがちょするぞ」
普段は膝の上に乗っている幼女人形に避けられるのはあまりにもショック。
ショック過ぎるので性格の悪いご主人様は意地悪をする。
「いいよ別に。代わりにかんちょーぼんばー禁止するから」
「サンはくちのかたいえらいどらごんなのだ」
聞き分けのいいロリロリドラ娘の頭を普段以上に雑な感じで撫でていると、ポケットの中でスマホの通知音が鳴った。
見ると萌からのメッセージだったので、LINDを開いてポチポチ返信する。
タイコ>ヒロくん、今どうしてる?
ヒロシ>リニアで帰るとこ
タイコ>浮気は楽しかった?[USJでレンとデート中の盗撮画像]
ま、変装していようがレンみたいな目立つ外人美少女を連れ歩いていたらこういうこともあらぁな。
そもそも
ある程度の覚悟はしていたので、俺は言い訳もせずにそのまま返す。
ヒロシ>前半はね
ヒロシ>もう会うこともないだろう
タイコ>ふーん
タイコ>したの?
ヒロシ>さあな
タイコ>ゼロくん改造させてくれるなら許してあげる
ヒロシ>それは駄目
タイコ>じゃあどうするべきか分かってるよね?
「萌はこんなこと言ってるけど、お前らはどう思う?」
答えに
「ドラッグストアに寄って精力剤を買って行くといいと思いますよ」
「こんなにも早く実践の場が訪れるとは嬉しいな!」
「ついにねんぐのおさめどきなのだ」
ヒロシ>もしかしてお泊りですか?
タイコ>[YES!YES!YES!のスタンプ]
ヒロシ>[行き倒れるピースちゃんのスタンプ]
ちなみにピースちゃんとは親友の高野が描いている社会派漫画「ダンジョンのない平和な世界」の主人公の名前である。
来年の春からアニメ第一期の放送が開始されるそうなので要チェックだ。
「式場の候補、探しておかないとな……」
内緒のUSJデートから始まった俺のクリスマスイブはまだまだ続くらしい。
その先には当然、ずっと逃げ回っていた結婚という名の人生の墓場が待っている。
こんなことになるのなら調子に乗って浮気なんてしなきゃよかった。とほほ……。