人形しか相手にしたことがない素人童貞の分際で女をハシゴするというリア充過ぎるクリスマスイブを乗り越えた俺は、萌の自室に敷かれた布団の上で目覚めた。
「おっはよーヒロくん、愛してる愛してる愛してる。んー、ちゅっちゅ♡」
既に精根尽き果てた状態なので、遠慮という言葉が辞書に載っていない変態女に好き放題口付けをされても抵抗すらまともにできない。
「なんだここは、地獄か……」
「天国だよ! ヒロくんもお腹空いたでしょ。ほらほら起きて」
萌が自作した版権モノの人形だらけでなんだかごちゃっとした部屋の壁に掛けられた時計――大人気少女漫画ローゼンドールズのグッズ、非売品――を見ると、時刻はお昼過ぎ。
道理でお腹がペコちゃんなわけだ。
布団から這い出たパンツ一丁の俺は、枕元に置かれていた普段着に袖を通す。
寝ている間に壱号が介護してくれたようで、寝起きにシャワーを浴びる必要がないのはありがたい。
「萌、今日の予定を聞いてもいいか」
「えっと、夕方にヒロくんの家までご挨拶に行くくらいかな。今日はそのままお泊まりもしちゃっていい?」
「何もしないならな」
「やったー!」
「言っておくが、フリじゃないぞ」
「ちゃんと分かってるって、ヒロくんは淡泊な人だもんね。でも、その気になったらあんなに凄いなんて……」
「今回ばかりは鍛えていてよかったと心から思う」
三階の自室から出て二階のリビングに向かう道中、萌は嬉しそうにお腹をさするような仕草をした。
「うふふ、最高のクリスマスプレゼントを貰っちゃった。白銀のサンタさん、ありがとー♪」
「人の負い目を盾に取りやがって……」
とはいえ、影武者人形の零号を萌専用のラブドールに魔改造されるよりはいい。
「おはようございます、マスター」
普段のオーバーオールの上からエプロンを身に着ている壱号は、食卓に料理を配膳しているところだった。
キッチンには橙色の髪が美しい
「おはよう壱号。ところで、弐号と参号はどこだ」
「二人なら朝から工房の敷地で雪遊びをしていますよ」
「そういや、昨日は結構降ったもんな」
「わたしはパパを呼んでくるねー」
「行ってら」
俺は食卓の椅子に腰掛けて、ポットから注いだ冷たい無糖アイスティーを飲んだ。
この家は電気ボイラー式セントラルヒーティングによって全館暖房完備なので、窓の外が氷点下を切っていても薄着のまま快適に過ごせている。
テーブルに並びつつあるミートボール入りトマトスパゲッティとコーンスープ、生野菜サラダを眺めながら早く
「ようやくおきたのか、やりちんあるじ。はやくごはんをたべてサンのけっさくかまくらをみにくるのだ」
「誰がヤリチンだ。ああもう、こんなに床を濡らしちゃって……壱号、拭いてやれ」
「いつもながら手の掛かる子ですね」
再召喚して新品に戻った参号がソファでテレビを見始めた辺りで、脱衣所から雑巾を取ってきた壱号が溶けた雪で濡れた床を拭き始める。
階段の方に消えた壱号とすれ違うように濡れたタオルを持った弐号がやってきた。
「おはようだ、マスター!」
「弐号、いつも参号の相手をしてくれて助かってるよ」
主に家事担当の壱号が助かっている。
「この程度の子守りなど、日々の護衛任務に比べたらお安い御用というものだ!」
「ほんとうにおやすいごようすぎるぞ」
萌が汚れたツナギ姿の多々良親父を連れて戻ってきた。
4人で席に着いて食事が始まったところで多々良親父が尋ねてくる。
「挙式の日取りをいつにするか、婿殿は既に決めているか?」
「入籍だけなら別にいつでも。式自体は暗黒邪竜戦が終わってからがいいっすね」
「ふむ、そうか……」
まずはスプーンで冷たいコーンスープを一口。
おお、ミキサーで刻まれた後にしっかりと裏ごしされた滑らかな舌触りのコーンが新鮮なミルクといい感じに調和している。
「えぇ~、もっと早くしようよ~」
またしても炸裂した俺の先延ばし癖に、萌は唇を尖らせてぶー垂れた。
「国際連合パーティーの挑戦が成功するにせよ、失敗するにせよ……大きな人生の節目であることには違いないだろう」
俺はフォークをミートボールにぶっ刺し、トマトスパゲッティをくるくる巻いて口に放り込む。
壱号がネットで拾ってきた再現レシピ、クリスマスなのに気分はカリオストロだ。
「それで、失敗した時はわたしのヒモになるの?」
「きっとな。大切な人形達を失うわけにはいかないから、例え【霊神の願い】の保険があったとしても死ぬつもりなんて毛頭ないさ」
つっても暗黒邪竜の第三形態に入った連中は蘇生不可らしいんだよな。
萌が知ったら絶対に曇るから、九郎に言われた通り黙っておくつもりだけどさ。
「確かにそうだね。ドロイドコアのインプット用データは取ってあるから人格再現くらいはできるだろうけど……戦えないみんなと一緒に暮らすのはきっと寂しいもん」
萌はそう言って、濡れた床の拭き掃除を終えて戻ってきた壱号に目を向ける。
「私はマスターの命を守る為ならどうなっても構いませんよ」
「もちろん、私もだ!」
「サンはかんちょーぼんばーとじばくができなくなるのはぜったいにごめんなのだ」
「お前ならそう言うと思ってたよ」
他愛のない話をしているうちに、食器はすっかり空っぽになってしまった。
さてと、腹もくちたところで工房の敷地に参号が作ったかまくらとやらを見に行くとしよう。
「あるじ、はやくはやく」
「分かってる、分かってるから袖を引っ張るな。お前の筋力結構高いんだから」
参号に袖を引っ張られながらリビングから出ていこうとする俺の横で、昼休憩中の多々良親父がソファに腰を下ろしてテレビのチャンネルを教育番組からニュース番組に切り替える。
『――次のニュースです。アメリカ大手IT企業サイバーライン社の情報流出から一夜明け、フランスの首都パリで大規模なデモが発生したとの情報が入りました。現地の川口アナに中継が繋がっています』
『川口です! 見てください、このとんでもない人の数! そして、デモに集まった群衆が連れているのはサイバーライン社製のアンドロイドです! 利用規約に反して彼らの見たもの、その全てが米国内のデータセンターに保存されていたという事実が発覚したことで、ユーザーの怒りはピークへと達しています!』
ただ事ではない様子に、俺は立ち止まってテレビ画面へ釘付けになった。
パリに建てられたサイバーライン社のフランス支社、そのオフィスビルの前に詰め寄せた無数の民衆はプラカードや国旗を手に大きな怒号を上げている。
『ああっ、今【魔法士】がビルに向かって【土属性魔法】を放ちました! 割れて落下したガラスで怪我をした者もいるのではないでしょうか! まだ最低限の理性は
「なんだよ、これ……」
呆気に取られている俺に、キッチンで食器を洗っていた壱号が補足する。
「昨日、マスターがUSJを満喫していた15時頃に10ペタバイトを越える大量の動画がリークサイトで公開されたそうです。サーバーの所在地は
「なんと、10ペタバイト! ハードディスクドライブだけで城が建つぞ!」
「すぱいおんながいったとおり、たしかにたのしいことなのだ。はやくびるとかばくはしないかな」
確かにあの時、レンは何か楽しいことをするって言っていたけどさ。
世界に与える影響がデカ過ぎてサプライズってレベルじゃねぇぞ。
というか、レンが
「わたしは朝のうちに一通り目を通したけど、阿鼻叫喚の地獄絵図だったね。それに……あの星崎さん、やっぱりサイバーラインの手駒だったみたい」
萌がスマホで俺に見せてきた動画には、どこかの豪邸でサイバーラインの役員と表に出せないような裏取引の話をする星崎聖夜の姿ががっつり映っていた。
「こりゃ投資会社の借金関係なく死ぬまで豚箱だな。俺は何も同情しねぇぞ」
「日本がギリギリで助かったのは全部ヒロくんのおかげだってみんな褒めてるよ」
「くっそどうでもいいし、好きに言わせとけ」
大体の事情は分かったので、ニュース番組が終わったタイミングで参号のかまくらを見に行くことにする。
萌は既に参号のかまくらを見た後らしく、事務所のマイスペースで俺が次に召喚契約する予定のサポート用アクセサリー人形に組み込む外装の加工を始めていた。
「うぅ、外は寒い。こんな時は【
おへそ【
「へぇ、これは傑作だな」
5mほどの大きさをしているポコモンのヒトカァゲの着ぐるみを着た参号の雪像、その股下からお腹部分がぽっかりと口を開けている。
屈めば中に入り込めそうな丁度いいサイズのかまくらだ。
「えっへん、もえもえのえっくすでぃーでもたくさんいいねをもらえたぞ」
ハイハイするようにかまくらの中に潜り込んで体育座りをすると、その両隣にも弐号と参号が同じようにハイハイして入ってきて体育座りをした。
流石に三人だとちょっと狭いな。
「暗くて狭いところにいると、なんとなく胎児だった頃を思い出して安心する」
「私は生まれた時から成人体形の木人形だからか、マスターの気持ちを理解できないのが少しばかり残念だ」
「サンはちゃんとたまごにもどったきぶんになれているのだ。しあわせしあわせ」
事務所に戻ったところでやることも特にない俺がボーっとかまくらの中から穴の外を眺めていると、【情報共有】のコールが届いたのでフレンド欄を開いた。
「なんだ、レンじゃなくて高野からか」
そもそも秘密主義の彼女が【情報共有】を使うことなど、まず有り得ないのだが。
レンの名前が偽名ではなく本名に戻っていることに少し驚きを感じつつ、右上の丸い電話マーク――スマホと似たようなUI――をタップして応答の意思を示す。
「うーっす、高野。メリクリー」
「めりくりなのだー」
かまくらの外から差し込む光を塞ぐように空中に浮かんだ乳白色のプレートには、自宅のソファに座っている濃い緑髪の頬がこけた男が映っている。
『メリークリスマス。LINDに既読がついていなかったので連絡しました。ハカセさん、サイバーライン情報流出の話は聞きましたか?』
「おう、さっきテレビでデモの生中継やってたわ。EUの連中も懲りないよな」
『どこまで被害が及ぶか見当もつきません。ハカセさんは京子さんとフレンドでしたよね、何か詳しい裏事情はご存じですか?』
「京子は仕事で忙しいから基本的に業務連絡だけだし、向こうから連絡がこない限り話したりはしないぞ。裏事情についてはまぁ、その、アレだ。レンの仕業っぽい」
『レン?
「あいつさ、実はソ連のスパイだったんだよ。ああ、これは春奈と
『そ、そうだったんですか……それは驚きですね。ハカセさん、100層の壁を壊す前に第二職業バレしていたら結構危なかったんじゃないですか?』
「めっちゃ運が良かったって言われたわ。隠していて大正解だったぜ」
俺もレンからそれほど詳しく事情を聞いていないので、それで話を終わらせて高野との【情報共有】を切った。
再びかまくらの穴から差し込んだ光に少し、目を細める。
「ずっと座ってたら雪が溶けてきたな。お前ら、そろそろ事務所に帰ろうか」
俺達は順番にのそのそと這いずってかまくらの外に出て、ぐーんと伸びをした。
「マスターのズボンが溶けた雪で濡れてしまっているようだ。一度、シャワーでも浴びてきたらどうだろうか?」
「冷たくはないんだけどね。んじゃ、そうするよ」
事務所に戻って人形達を萌に預けた俺は、二階の風呂場を借りて身を清める。
それからまた別の普段着に着替え、事務所のソファでスマホを弄ってダラダラ暇つぶしをしていたわけだが……。
3時のおやつ時になったので萌と一緒に昨晩のクリスマスケーキの残りを食べていたところ、参号の観ていた忍者のたまごなアニメの映像が急に切り替わった。
『
流れ始めたロシア語の国歌に合わせてテレビ画面に大きく映し出されたのは、赤の背景に金の鎌と槌と金の縁取りを持つ赤い五芒星――ソビエト連邦の国旗。
「むう、いいところだったのにー」
「ど、どういうこと……?」
「XDでも国内外問わず、同じ体験をした人のポストが相次いでいるみたいだ。サイバーライン情報流出に続いて大規模な電波ジャック……レン、お前は一体何を始めるつもりだ」
悠長におやつなんて食べている場合ではない。
俺達は緊張で手に汗握りながら、ソファに座って事態の推移を見守った。
3番まである長いソビエト連邦の国歌が終わり、テレビ画面の映像が切り替わる。
すると、そこに映っていたのは――。