第73話 初春の戦争
4.Malevolent Sentinel――邪悪なる番人――Game Start.
好景気に浮かれる日本の楽しい正月をぶち壊す北朝鮮の先制核攻撃より始まった日朝戦争から一夜明けた。
ロシア連邦の常軌を逸した1000発の弾道ミサイル攻撃から少しの時間を置いて避難勧告も完全に解除されたので、それぞれの自宅に帰った俺達は不安な思いをしながら正月らしからぬ
「おはよぉ~……ゲホッゴホッ……」
翌朝になってリビングへ降りてきた妹は、明らかに体調不良ですと言わんがばかりに真っ赤な顔で頭をフラフラさせながら咳をしていた。
食卓に辿り着くこともなく床に倒れ込みそうになった妹の肩を、慌てて駆け寄った母が支える。
「凄い熱……春奈、これはいつから?」
「なんかぁ~……起きたらこうなってた……」
「おいおい、まさかインフルじゃないだろうな?」
あれだけ手洗いうがいしろって
大事な友達だと思っていたレンのカミングアウトがよほど衝撃的だったのか、あるいは不特定多数の人間が避難していた川崎市役所に長時間滞在したせいか。
どちらにしても、大学受験前の大切な時期に高熱を出して寝込むのは大きなタイムロスであることには違いないだろう。
「大変、すぐに救急車を呼ばないと!」
「意識はあるみたいだし、病院へ連れて行くにしても自動運転タクシーでいいと思う。壱号、救急箱から体温計とマスクを取ってくれ」
「はい、マスター」
俺はひとまず、スマホで川崎市内の総合病院に連絡を取ることにした。
体温計で熱を測って症状を伝え救急外来の受診が可能かどうか確認すると、大丈夫だそうなので水だけ飲ませて家を出る。
今回は俺と壱号が一緒に付き添いをしたわけだが、寝不足で疲れていそうなお医者さんから【診察】を受けたところ、案の定A型インフルエンザと診断されてしまった。
「病床は空いていますが、入院されますか?」
お医者さんはそう言って、勲章持ちの上級国民である俺の顔色を
きっと一番いい個室を用意してくれるのだろうが……さて、どうしたものか。
妹は炎症で痛む喉を手で抑えながら、掠れた声で小さく答えた。
「早く、治るほう……」
そうは言っても処方される薬は一緒なわけだし、せいぜい食欲が無い時の点滴くらいしかしてくれないだろう。
それなら壱号に寝ずの番で看病させた方がまだマシだな。
「耐久装飾品は俺の持っている物が一番補正値高いんで、このまま家で休ませることにします」
「分かりました。もしも
「ええ、その際はそうさせて頂きます。春奈様、また私がお運びしますよ」
壱号は丸椅子に座る妹の前で片膝立ちになって、手のひらを上に向けた状態で両腕を前に出した。
歩くのも大変な様子だったので、ここまでお姫様抱っこで運んできたのである。
「イチゴちゃん、ありがと……ゴホッゴホッ……」
お医者さんに礼を言って診察室から退出した俺達は、薬を貰って家に戻った。
妹は薬が処方されるのを待っている間に病院内の売店で買ったおにぎりを4個も平らげるくらいには食欲があるようなので、きっと心配する必要はないだろう。
―――――
「ゲホッ、ゲホッ……そろそろ勉強しなきゃ……」
それから3日後の昼過ぎ、自室でずっと寝込んでいたパジャマ姿の妹がリビングに降りてきた。
魔法のお薬を飲んで少しは熱が引いたようで、顔色も前よりは悪くないようだ。
「いけません、春奈様。無理をして
ソファに座ってボケーっとテレビを見ている俺の近くで洗濯物を畳んでいた壱号がまだ体調が完全に戻り切っていない妹を
「でも、もう眠れないし……」
キッチンに行って冷蔵庫を漁り母が買ってきた大きなフルーツゼリーを三個も腕に抱えた妹は、俺の隣にドサッと腰を下ろす。
「おはよう春奈。随分と元気になったようじゃないか」
「兄さん、大事な指輪を貸してくれてありがとう。本当だったら昨日から探索の続きをしていたはずなのに、私のせいで……」
メンタルをやられているのか、普段では考えられないほどに落ち込んだ声色でスプーンを持ってゼリーを口に運ぶ妹の指には、俺の貸した耐久+25される指輪が二つ
魔素の影響で変異したマジカルインフルエンザウィルスの治療にはスキル補正が掛かる前の基礎的な耐久ステータスを上げて自己免疫力を高めるのが最も効果的だ。
両親はともかく、素で耐久100を越えている俺が感染することはまずないだろう。
「春奈が気に病むことはない。どの道、今日から横浜海上ダンジョンは閉鎖期間に入るしな。160層周回も肆号のレベル上げが主な目的だったわけだし、久々に骨工船でレプティリアンどもと遊ぶのも悪くはないさ」
覚醒スキルを持たない50層の爬虫人骨なんて、150層の爬虫人屍と比べたら大人と子供くらいの違いがある。
これは俺達が高性能な神器で全身をガチガチに固めているから言えることであって、決して舐めプできるほど弱くもないんだけどな。
「そっか。……兄さん、戦争はどうなったの?」
「なんだ、お前スマホも触っていないのか。とっくの昔に韓国軍が
「韓国ぅ!?」
あまりの驚きに
「そう、韓国……あいつら満州国が大清帝国の警戒で満足に動けないのをいいことに、速攻で将軍様の首を取って
ちなみに在日米軍と自衛隊は飢えた北朝鮮市民の相手をするので精一杯だった。
ダンジョンモノリスのある都市部はまだマシだが、そこから少しでも離れた寒村に住んでいる村民は成人しているにも関わらずダンジョンモノリスに触れて職業を得てすらいないような有様だ。
「戦争というよりも人道支援のような感じでしたね」
「ダンジョンモノリスしかない荒廃した土地なんて手に入れてどうすんだか。どうせ日本に難癖つけて復興資金を出させるつもりなんだろうけどさ」
同盟条約を口実にがっつり侵略戦争しているにも関わらず国連が容認しているのを見るに、これも人民管理AI「ルサールカ」の描いたシナリオ通りなのかもしれない。
横槍が入らなければ確実に戦後統治で巨大な負債を抱え込む羽目になっていたし、韓国が率先して貧乏くじを引き受けてくれたことを喜ぶべきか。
今こそ
「なんか、落ち込んでたのが馬鹿みたい……」
高熱にうなされる中で見ていたであろう悪夢とはまるで異なる悲しい現実に、妹は肩透かしを食らったかのような表情を浮かべている。
「ま、それもロシアが先回りして軍事拠点を全部潰してあったからこそ言えることだ。春奈、レンには感謝しておけよ」
「レンちゃんってそんなに偉いのかな?」
「『ルサールカ』の管理者をしているデカチェンコ書記長の次くらいには偉いんじゃないか。つっても秘密警察のトップなんて汚れ仕事しかしないだろうが」
「兄さんも萌姉さんも高野さんも……レンちゃんだって凄い人なのに、私だけ一般人じゃん。なんか疎外感感じちゃうね」
アメリカトップの攻略クラン【ナイツ・オブ・ラウンズ】に所属している大木土
「それを言ったら
「彩芽ちゃんは勉強ができるし! おっぱいも大きいし!」
残念なことに妹の女子力は並みである。
いや、冬になってからめっきり水泳をしなくなったから少し太ったかも……。
俺は未だに彼氏一人作れない可哀想な妹に忠告をすることにした。
「受験終わったらちゃんと運動しろよ。脱がせた時アレだと、男は心底ガッカリするからな」
「リョウ兄さんみたいに下品な話しないでっ! ゴホッゴホッ……」
「マスター、あまり病人を興奮させるようなことはおっしゃらないでください」
「今回ばかりは俺が悪かったわ。すまんな萌……じゃなくて春奈」
「兄さん、萌姉さんにもいつもそんな態度なの? よくそんなんで嫌われないね」
「ちょっとくらいヤンチャな方が女にはモテるのさ。お前も変な男には引っかかるなよ?」
「ちゃんと分かってまーす。私はお父さんみたいなしっかりした……いや、しっかりしてたかな?」
「釣りバカ
「私、お母さん似の一般人でよかった……」
なんにせよ、妹には早く病気を治して受験勉強に専念して貰いたいものである。
―――――
どうにかギリギリのタイミングで快復して無遅刻無欠席記録を更新することに成功した妹は、彩芽の献身もあって1月中旬の大学入学共通テストで十分な実力を発揮。
二次試験と高校の卒業式も終え、ついに3月上旬――合格発表の日がやってきた。
俺達もその日ばかりは探索の仕事を休み、久々にやってきた自宅のリビングでスマホを手に不安げに待機している妹を見守る。
壁の時計の針が正午12時を回ったところで、妹は横浜国立大学のホームページからアクセスできる合否照会システムに受験番号と暗証番号を入力して試験の結果に目を通した。
「……どうだ、合格していたか?」
「うん。よかったぁ~……」
心の底から安堵したようにホッと胸を撫でおろした妹へ、人形達が百均のクラッカーをパァンと鳴らす。
小さな紙吹雪が降り注ぎ、妹の頭をカラフルに彩った。
「おめでとうございます、春奈様」
「
「ごくつぶしのろうにんせいにならずにすんでよかったのだ」
『ピピピ、合格、合格~♪』
テーブルに置かれたこぶし大の金属球ストラップの肆号は、既にレベル50を越えて自由意志を持つようになっている。
ちょっとした電子端末を組み込んだことでスマホの遠隔操作とかもできるようになっているし、どことなく大手通販サイトのアシスタントAIっぽい成長をしていた。
「春奈、これまでよく折れずに頑張ったな。父さんは努力家の娘を持てて本当に嬉しく思っているぞ」
休日にも関わらず珍しく釣りに行かなかった父が優しく妹をねぎらう。
恐らく家族の中で一番心配していたであろう母はあまりの感激に涙ぐんでいる。
「今夜は春奈の大好物を沢山作りますからね。――
「母さんがそう言うと思って、もう買ってきたやつを父さんのクーラーボックスに入れて台所の下に隠してあるよ」
「そう、それならいいんだけど……」
「はるはる、だいがくにいったらなんのべんきょうをするのだ?」
妹の膝の上にポジショニングを決めた参号が尋ねると、妹はロリロリドラ娘をぎゅっと抱っこしながら答えた。
「水産学部にもいっぱい学科はあるけど、私は漁業関係を専門に勉強するつもり。覚醒持ちの【
ヒキニートの兄と遊び人の兄を反面教師にして育った妹はきちんと将来のことを考えていて偉い。
「そーなのか。つりばかとーちゃんよりもいっぱいさかなとれるといいな」
「消費先に困るから、何があっても家には魚介類を届けないでちょうだい」
「分かってるって、お母さん」
その日の晩は大木土一家――萌も一応いる――揃って祝勝会を開いた。
諸般の事情で遠征が終わって沖縄からアメリカに帰った兄も肆号が繋いだ【情報共有】画面越しにホームパーティーへ参加する。
『かーっ、美味そう。またリーダーに頼んで日本に帰省させて貰おうかな』
テキサス州オースティンのデスラ社本社近くに拠点を構える【ナイツ・オブ・ラウンズ】のクランホーム、そのメンテナンスルームで【
『沖縄滞在中に苦情の問い合わせが相次いでいましたから、リョウスケの帰省が許可されることは未来永劫ないでしょう。もちろん、クランを脱退されるというのならばその限りではありませんが。むしろ、私はそれを推奨致します』
兄のクラン追放を心の底から願っていそうなフィジカルAIが搭載されたデコ【
あ、ゴーヤーマンのシール発見。
「
黙々と手巻き寿司を作っていた母は眉を
『なにもー? ちょっと
それで子供がデキたっつって、医者の【隠者】が書いた【遺伝子検査】書類揃えて弁護士と一緒に団体で慰謝料請求してきたんだよね。
こっちも京子に手配して貰った望月グループの顧問弁護士に相談しつつ十分な金を積んで示談したけど、その途中で文夏砲を食らってネットニュースになるくらいには問題になった。
妊娠中の相手に対して堕胎を勧めるのは倫理的に問題があるからと分割で養育費を支払うようにしたわけだが、それをどこで知ったのか兄が米国に高飛びする前――つまり高校・大学時代の女と作った隠し子がわらわらと出てきてな……。
身辺調査を担当していた望月グループの社員は途中から死んだ目をしていたよ。
「ワンナイトを繰り返して知らない親戚を何十人も増やしてんじゃねぇ。父さんも母さんも優しいから見逃されているみたいだが、俺の目が黒いうちに日本に帰ってきたら今度こそ死んで貰うからな」
「
父に注意されるが、妹は気にも留めない様子でちらし寿司を頬張っている。
「私は気にしないけどね。リョウ兄さんなんて女に刺されて死んじゃえばいいんだ」
『もう数え切れないくらい刺されてるぜ。レベル上げててよかったー!』
『私が何度、治癒ポーションでの治療を施したことか。ああ、騎士保全プログラムを削除したい……』
「クズ、バカ兄さん。ヴェスパーちゃんが可哀想だと思わないの?」
『それはただの誉め言葉だ。まったくよぉ……トランポくたばれってずっと思ってたけど、こんなに早くなるなんて想像してなかったわ』
クリスマスイブのサイバーライン情報流出事件から間もなく始まった6度目の弾劾裁判でついに敗訴したトランポ大統領は即座に
流出事件の翌日に離婚した奥さんはインサイダー取引でやりたい放題していた息子を連れて永世中立国パレスチナに高飛びしているので、誰がどう考えても終わりとしか言いようがない。
豚箱入りしたトランポの後釜として第48代アメリカ大統領の座に就いたヴェンス副大統領は、次の副大統領を指名したその日のうちに大統領を辞職。
最終的に共和党のスティーヴ・アームストロング上院議員が繰り上がりで第49代アメリカ大統領に就任することとなった。
スーツの下にはち切れんばかりの筋肉を隠したこの中年の男は、かつて一世を
職業はレベル199の【格闘家】、素手が最強の武器になる【鋼の手足】と致命回避の食いしばり覚醒スキル【武神の気合】を持つゴリゴリの物理前衛職。
こんな男がMAGAならぬMASAでメイクアメリカシーカーアゲイン! (米国を再び探索者の国に!)と叫んだら、そりゃいきり立っていた国民もスンってなるわな。
アメリカ人の理想像を体現したかのような強い大統領の登場に、大きな風船のように膨れ上がっていた内戦の機運は瞬く間に
これを受けて海外に資産を移して避難していた富裕層も安心して帰国を始め、結果としてドル安が多少はマシになってグラビティメタルショックに端を発したアメリカの大不況もようやく落ち着きを取り戻そうとしているわけだ。
「おかげさまで今年の夏に暗黒邪竜へ挑むことが決定しちまったよ。俺はまだ180層にも到達していないってのにさ」
『第二職業持ちの
俺は容易に想像できる最悪の未来を回避する為、まだ見ぬ女体に鼻の下を伸ばして浮かれている兄へ忠告することにした。
「インド人相手に隙を見せたら【
インドは人口がバカみたいに多いし、不可触民は無職のオーブで転職禁止のカースト制度があるから禁職持ちも普通にそこら辺をうろついている恐ろしい国だ。
「そもそもリョウ兄さんには出国許可出ないでしょ」
『だよなぁ~……』
これも全て身から出た
そんな感じでワイワイとホームパーティーをしていると、壱号が妹に一つの質問を投げかけた。
「ところで春奈様、大学受験が終わったらマスターが遊びに連れて行く約束をしていましたよね。行き先はもう決めてありますか?」
「せっかくの機会だし、今回はみんなで家族旅行に行きたい。お父さん、お母さん、有給取れる?」
父はズズッと鯛のあら汁を
「年度末の
「お母さんも同僚にお願いしたらパートのシフトを変わって貰えると思うわ。春奈、どこがいいかしら? やっぱり沖縄?」
「シーズン外に沖縄行ってもしょうがないでしょ。ここは北海道一択だね!」
「……それって、わたしも着いていかなきゃ駄目?」
人形やアンドロイドの魔改造依頼でスケジュールが埋まっている半分引きこもりの萌は行きたくなさそうだが、彼女も俺と結婚して大木土一家に入ったからには拒否権はない。
「もっちろん! 萌姉さんも一緒じゃなきゃ駄目に決まってるじゃん!」
「俺の名前出していいからさ、お得意様には断りの連絡を入れておいてくれ」
「もう、しょうがないなぁ……。ヒロくん、新婚旅行も込みってことでよろしくね」
「ういうい」
そういうわけで、俺達は一家揃って遥か北の試される大地まで家族旅行へ行くことになったのであった。