サラサラのスノーパウダーに覆われた白い雪景色。
眼下には色とりどりのアウタージャケットを着込んで、スノボーやスキー板で楽しそうにゲレンデを滑っている人々の姿。
そう、ここは横浜国立大学水産学部に合格した妹にお願いされて家族旅行でやってきた北海道の札幌グローバルスキー場である!
「スキーだぁ!」
ゴンドラを使ってスキー場の頂上に一番乗りした妹はそう叫ぶと、スノボーに乗って最も難易度の高い急斜面のダウンヒルコースを滑り始めた。
妹の高いテンションについて行けない俺達――スノーウェア装備の壱号、弐号、参号、そして両親と萌――は凄い勢いで小さくなっていく妹の姿を眺める。
「春奈ちゃん、今日はいつも以上に元気だね」
「それだけ
「マスター、私が春奈様に同行しますね」
「よろしく頼む、壱号」
「サンもいっしょにいくのだー!」
スキー装備なのに何故か背中に大鎌を背負っている壱号はポールを両手に安定した姿勢で妹を追い、その隣をミニスノボー装備の参号が滑っていく。
「あいつ、蛇腹尻尾で空中高く飛び上がって華麗なトリックを決めてやがる」
「冬季オリンピックの金メダルは頂きだな!」
スキー装備なのに何故か左腕に盾を装着し、腰に剣を提げている弐号は後方師匠ヅラしてうんうんと頷く。
「ふふーん、実はわたしが動画を見せて教えました!」
「またいらんこと教えやがって……」
2月21日、萌の誕生日に籍を入れたので今の彼女は伊古田萌ならぬ大木土萌だ。
もう引っ越しも済ませ、今は伊古田家の三階にある一室を俺の部屋にしている。
結婚したと言っても一緒の部屋で寝起きしているわけでもない――萌の夜の相手は基本的に壱号と弐号の仕事だ――し、生活リズム自体は大して変わっていないので助かっている。
しいて言うなら夜間に人形達が空き部屋でパソコンを弄れるようになったことで、アイマスクなしでも安眠できるようになったのが違いかもしれない。
モニターの光とかファンの音とか、割と気になったりするからな。
「ほらほらヒロくん、わたし達も滑ろう? せっかくこんなに遠くまでやってきたのに、楽しまなきゃ損しちゃうよ」
「んじゃ、そうしますか」
戦闘能力のない両親から離れて万が一のことがあったら大変なので、俺達が選択したのは初心者向けのメルヘンコース――安全とは言っていない――だ。
3月の上旬、雲一つない快晴の下で木々の間を曲がりくねるように伸びている緩い斜面をのんびりと滑っていると、女性陣から少し距離が離れたタイミングで父が話し掛けてきた。
「
「萌ってより向こうの両親の方がね。正直、結構気を遣うよ」
時々晩酌に誘ってくる
とはいえ、家事担当の壱号が割と仲良しっぽいからそれでいいのかもしれない。
「父さんも今の家を建てるまでは
「へぇ、それは初耳。あっちの世界の父さんと母さんは35年ローンで家を建てるまでずっと安アパート暮らしだったはず。やっぱりダンジョンモノリスがあるせいで日本の少子化と核家族化が進んでいないからだろうか?」
「そうかもしれないな。正直な話をすると、父さんは
前方で萌と弐号と並んでおっかなびっくり緩やかなゲレンデを滑っている母を見て父は目を細めた。
「母さんは心配性だもんね」
「別の日本からやってきた
「それ、
「そうなのか?」
「子供の頃に岩手へ帰省した時、婆さんからしょっちゅう聞かされてたし。きっとそれが天命ってやつだったんだろう。父さんと母さんが結ばれて、こうして俺が生まれたのも。だからさ、心配しないでいいよ。俺は絶対に死んだりしないから――」
そう言いつつ緩やかなコーナーを曲がったその時、近くの木立がガサッと音を立てて大きく揺れた。
「まさか!?」
怪我をしているのだろう、雪を赤く染めながら逃げる褐色の毛皮を纏った若いヒグマと、それを追う金色の毛皮を纏った一回り大きい凶暴なヒグマ――ウェンカムイ。
俺は至って冷静な態度で氷精霊アクアを召喚し、細く絞った氷槍を放ってウェンカムイの脳天を串刺しにした。
音に気付いてこちらに振り返った萌と母、そして弐号に視線を向けた俺は弐号を送還して目の前に再召喚する。
「【人形召喚】弐号。こいつを治療してやれ」
少し警戒した様子で俺達を見ているヒグマの片耳は桜状にカットされていた。
これは子熊の時に人へ危害を加えないよう【酪農家】からきちんとした教育を受けたヒグマの証だ。
こういった桜ヒグマは北海道では保護対象として扱われているので、助けを求められたら必ず応じなければならない。
「了解だ、マスター!」
弐号が腰に提げた不屈の闘剣の柄に手を触れて【治癒魔法】を発動すると、鮮血を流していた桜ヒグマの痛々しい傷口がゆっくりと閉じるように修復されていく。
すっかり元気になったヒグマは一声鳴くと、自分の縄張りへと帰っていった。
「本当に出たね、ウェンカムイ。ヒロくんがいなかったら危なかったかも……」
履いているスキー板を器用に操って坂道に逆らうように歩いてきた萌と母は、恐る恐るといった様子で頭に大穴が開いて絶命しているウェンカムイを覗き込んだ。
俺がさっき撃った氷槍は、既に魔素となって綺麗さっぱり消えている。
「なんにせよ、スキー場の管理者に連絡をする必要があるだろう」
父はそう言って、あらかじめ預かっていた連絡先にスマホで電話する。
他のスキー場利用客――もちろん彼らも武装している――に見られながら待機していると、上の方から電動スノーモービルに乗った二人組の男女がやってきた。
「いやあ、これは年に1度見るか見ないかくらいの大物ですね。お怪我はありませんでしたか?」
「【ドールマスター】がいてそんなことがあるわけないでしょう。こちらは謝礼の優待券になりますので、よかったらお使いください」
「そいつはどうも」
北海道内の観光施設で使える五千円分の飲食券を貰ったのでありがたく受け取る。
彼らはウェンカムイの死骸を頑丈なロープの付いた大きな布に包むと、スノーモービルの荷台に積んでいた3機の運搬ドローンにロープの先を繋いでスイッチを入れた。
「こんなに大きなモンスターが沢山出てくるのだから、北海道の人は大変ね」
母は空路で麓の処理施設に運ばれていく大きな包みを眺めてぼやく。
「まったく、人間の好奇心には困ったもんだよ」
絶滅したマンモスを現代に
それらはレプティリアンのクローンを筆頭に一度も成功することはなかった――とされている――が、その代わりに【隠者】の固有スキル【遺伝子検査】で得られたゲノム情報を基に遺伝子編集を加えた魔法生物がこの世界では何種類も誕生している。
金毛魔熊の遺伝子が組み込まれたヒグマ、ウェンカムイもその一つ。
高い繁殖力と幼体の生き物を執拗につけ狙う習性はまさに侵略的生物兵器。
きっとDシェパードを隠れ蓑にしたソ連の生物実験だったのだろうが……それで生態系を破壊された側からすると、はた迷惑にも程があるとしか言いようがない。
「ねえヒロくん、春奈ちゃんは大丈夫かな?」
後始末を管理の人に任せて楽しいスキーを再開したところで、萌が尋ねてきた。
「その為に壱号と参号を付けたんだろう。今頃、ウェンカムイの山を作っているところじゃないか?」
少し様子が気になったので、腰のポーションベルトにストラップとして提げている金属球の肆号――毛糸のミニサイズニット帽を被った雪国仕様――に【通信】を使わせて念話で聞いてみることにする。
今は家族全員、俺のパーティーに加入しているので問題なく繋がった。
『さっきウェンカムイが1匹出たから
『あ、兄さん。ちょうど連絡しようと思っていたところだったんだよね』
『先ほど春奈様がウェンカムイの巣穴を踏み抜いてしまって……大変な状況です』
『うっかりこーすからはずれて、まいごになっちゃったのだ』
壱号と参号を同行させておいて本当によかった!
『春奈、怪我はない?』
『あったり前じゃん! 兄さんに貰った装備結晶から骨槍を
まぁ、妹は大学の二次試験が終わってから友達の高卒探索者と一緒にダイエット目的で頻繁に探索者活動をしていたからな。
補正値の高い装飾品でステータスを盛ったレベル50越えの脳筋物理職なら20層の雑魚モンスターより弱いウェンカムイなんていくら群れようが屁でもないだろう。
『すぐ肆号に座標を計算させて救助を送る。動かずその場で待っていてくれ』
『早く次のコースで滑りたいから、なる早でヨロシク~』
『へいへい』
その日は午後の中頃までスキーを楽しんだが、メルヘンコースの俺達はともかく高難易度コースを滑っていた妹達は何度もウェンカムイとの戦いを繰り広げていた。
もしかすると、このスキー場の難易度はウェンカムイの遭遇率と比例するのかもしれない。
こんな危険なレジャースポーツ、もう二度と家族連れでは行かねぇぞ。