ようこそ鈴蘭のいる教室へ 作:catwillow
(よしよし。ちゃんと送られてきたな)
生徒指導室を出てから、一直線に食堂に来ていた俺の端末へ、星之宮先生からファイルが添付されたメールが届いた。感謝を伝えて、ファイルを開けばそこには各部活動の概要と活動場所、部員数、部長副部長の氏名とクラスが記されていた。
(……遊戯部か。『チェスやオセロなど二人零和有限確定完全情報ゲームから、麻雀、トランプゲーム、その他運の絡むゲームなど多岐に渡るゲームを行う』ね)
それを見た俺はすぐに行動へ移すべく紙コップに注いだ水を飲み干して、壁際に設置されたゴミ箱へと捨てて食堂を後にした。
さて、俺は明日知れる部活動に関する情報をわざわざ今日、リストに纏めた上で欲した理由だが、恐らく明日以降は体験入部で時間が取れなくなるだろうと言うことが一つ。あとはポイントの譲渡ができるということはあると思ったのだ。相互の合意の上で行われ、勝ち負けが存在する賭け事が。
(でも、賭け事なんて学校側が大っぴらに合法とするわけがない。いわば黙認している状態にある)
であればあるはずだ。黙認せざるおえない建前が。そんな考えの元、星之宮先生にこの資料を送ってもらった。そして、俺はそのリストの中からそのうちの一つに目をつけた。遊戯、と名付けたのがもし意図的なものなら、含むはずだ。博戯が。
「まあ、まずは遊戯部だよな」
というわけで、早速来てみた。どうやら、部室と活動場所が同じらしい。場所は、今はもう使用されていない大教室。
「失礼します。博戯をしに来たのですが」
あえて、注目が集まるように扉の音を立て、そう告げる。室内は一瞬静まり返ったが、一番近いところにいた男子生徒が嘲笑混じりの笑みを浮かべて近づいてきた。
「君、何年生?」
「一年です」
「賭けをしにきたって言ってたけど、大丈夫なのかなぁ。ポイント尽きたら困るよ〜?」
「大丈夫です。勝ちますので」
無表情でそう告げてみる。すると、案の定空気が冷え、怒気が漏れ始める。目の前の男も嘲笑を消し、頬を引き攣らせ始めた。そりゃあそうだろう。今俺が言ったのは勝利宣言。お前はなんかには負けねぇよという年下、しかもこの学校に入学したばかりの新参者。気分は良くないだろう。それにしても思ったより人が多いな。さて、いくら稼げるかな。
「上等だ。吹っかけてきたのはお前だ。ゲームは俺らが決めるぞ」
「はい」
道理だろう。俺はその条件に頷く。すると男子生徒は近くのチェス盤を置いた机に座り俺を人差し指で呼んで来る。
「お前、チェスは当然できるよな」
「勿論」
「ならチェスで勝負だ。ルールは普通のチェスと同様。だが一手の思考時間は3秒だ」
「分かりました」
開示されていくルールに俺は頷く。そうしている間にも、周囲にはギャラリーが集まっていく。どうやら俺たちの勝負で賭事をするらしい。一人がそんなことを言い始めた。
「お前、いくら賭ける」
「オールインで」
「はぁ?!おま、頭イカれてんのか?!」
「それでそっちはいくら賭けますか。こちらは全て賭けましたが」
「チッ……!逃げてねぇよ!お前ら煽ってんのか?!……同額だ。10万賭ける」
言動は粗野だが、存外頭は冷静のようだ。目の前の男は、ギャラリーの煽りに対して反応しつつも、目には平静さが映っている。
「……じゃあ、始めるぞ」
「対戦よろしくお願いします」
「チェック、ですね?先輩」
「……降参だ。強いなお前」
15分経ったくらいだろうか。対戦相手の先輩は前かがみの体勢から一転、背もたれへとドカッともたれかかって両手を挙げた。
「対戦ありがとうございました。先輩も強かったです」
「世辞はいらねぇよ……ほら振り込んどいたぞ」
「……確認しました。楽しかったです。また対戦してください」
「やだね」
辛辣である。まあ、負かされた直後に自分を任した相手から再戦の約束なんてされても気乗りしないか。両手を組んで天に掲げ、背中を反らして伸びをする。制限時間のあるチェスは普段のチェスとまた違った面白さがあって新鮮だった。
「つかお前。ポイントが目的じゃないな?普通それだけの大金ならもっと喜ぶだろ。本命はなんだよ」
お、鋭いな。だが残念。ニアピン賞だ。
「ポイントも、目的ですよ。他に知りたいことがあったことは否定しませんが」
「可愛げねぇぞ」
「じゃあもっとキャピキャピしましょうか?」
「……ぞっとした。絶対すんじゃねぇぞ」
酷い。この人の中で俺の印象は一体どうなっているのか。少なくとも、第一印象はよくはないだろうことは伺える。
「で、本命はなんだよ」
「まあ、話してもいいんですがもう少ししましょうよ。次は誰が来ますか。俺は変わらず全額賭けますよ」
その言葉に周囲が沸き立つ。
さあ。ゲームの時間だ。楽しもう。
「……お前、俺らからいくら搾り取ったんだ」
「ざっと100万と少しってところですかね。というか人聞きの悪いこと言わないでください」
俺の目の前にはげっそりした様子の部員たち。対してやりきったという満足感に包まれている俺。俺対遊戯部十数名。二戦目からは賭け金はどちらも最大10万ポイント。10万ポイントが賭けられる最大ということで渋々承諾した。ゲームの内容はチェスからブラックジャックなど。
「俺別に強制はしてないですからね。むしろ皆さんのギャンブル中毒っぷりに怖くなったのですが」
「分かってるよ。だが一ついいか?なんで運の絡むゲームでも無敗なんだよ!?」
「そんなこと言われましても運良かったとしか」
全くの嘘だ。使えるイカサマは使わせてもらった。この人たち、賭け自体には慣れているしゲームの腕もあるがイカサマには免疫がない。それに、ことギャンブルとイカサマにおいてはこちらに一日の長がある。一介の高校生に負けていては立つ瀬がない。
「はぁ……それで?」
「え?」
何戦目かに勝負した先輩に教えてもらった方法で賭けでの追加分を別の口座へ移していると、最初にチェスをした先輩がそんな曖昧な質問をしてきた。
「本命だよ。ポイントの他にも目的があるんだろ。一回も勝てなかったんだ。答えられる範囲で答えなきゃ俺のプライドが許せねぇ」
「ではありがたく……『毎月振り込まれるポイントの増減に関して』、『クラス変動の基準について』、『退学に関する情報』。あとは『生徒会メンバーの人物像』この四点を教えてください」
これで今の懸念事項は全部解消できるはずだ。疑問が消えないところは都度聞かせてもらおう。そんなことを考えながら、俺はブレザーの胸ポケットに挟んだボールペンに触れる。
「お前。初日の時点でそこまでもう掴んでんのかよ。もう質問じゃなくて確認なんじゃねぇのか?」
暗に「もう全部分かってんだろ?」と、そう聞いてくる先輩ににこりと笑みを返す。先輩はけっ、と悪態をつき、話し出した。
「じゃあ、『毎月振り込まれるポイントの増減に関して』から行くぞ」
先輩の話を注意深く聞くため脳内にメモを準備する。
「Sシステムについてはもう理解してるよな?」
「最初に説明されたものでしたら」
学生証を使い、ポイントを消費して敷地内にある全てのサービスを購入することができ、敷地内のものであれば買えないものはないというものだ。
「ならいい。まず、俺たちに毎月配布されるポイントは
なるほど。ここまで情報が揃うとあとはもう繋げるだけだ。何も難しいことはない。
「その
試験での赤点はプラス要素にはなるわけがない。ここは注意しなければなるまい。
「その通りだけど、お前ほんとに頭の回転が早いな。けど、補足がある。この
これが星之宮先生の言っていた『実力で測るのは勉学や部活動に限らない』という説明に繋がってくるわけだ。
「内容が毎年変わるから詳しいことは言えないが“特別試験”と呼ばれるものや体育祭、部活の課外活動での好成績や慈善活動なんかも
「Aが最多、Dが最少ですね」
「なんで知ってんのかはもう聞きはしねぇが、その通りだ」
これも納得のいく話だ。もし勉学だけが評価されるのだとしたらよほどの事がない限りクラスの変動は起きなくなってしまう。それを防ぐために特別試験などがあるのだろう。
「質問いいですか?」
「なんだ?」
「
その言葉に先輩は、少し思案するように黙り込んだ後、周りにいる部員たちに目配せをしているが皆一様に首を横に振っている。
「悪い。
「いえ、構いませんよ」
「ただ、当たり前のことを当たり前にして最低限定期考査で赤点を取らなかったら0になることはないぞ。0になることがあるとしたらそりゃ学級崩壊とかそのレベルなんじゃねぇかなぁ。まあ、ポイントが0になったとしても衣食住には困らないよう救済措置はあるが」
それが、自動販売機での0円の水であったり食堂の0円の山菜定食だったりするわけだ。少し話が逸れたな。話を戻して次に行こうとした俺の頭に、不意に疑問が浮かんだ。
「そういえば、そもそもなんでクラスが変動するシステムを採用してるんです?」
「あ?あぁ。そりゃあ簡単なことだよ。お前もこの学校を知った時見たはずだぞ」
「…………え、もしかして『望む進学先・就職先をほぼ100%叶える』とかいう予備校もびっくりのあの胡散臭いやつ本当なんですか?」
「お前が全国の予備校に抱いてる偏見はなんだよ」
先輩のツッコミを無視して、俺は続ける。
「上澄みだけを実績として見せてるだけかと思ってたんですが」
「実際その通りだぞ」
「え……」
「望む進学先・就職先を100%叶えられるのはA組だけだ」
「……あ〜、それで“ほぼ”ってワケですか。伝えられた時荒れたんじゃないですか?」
「まあな。詐欺だろっつって騒いでたな。でも、少し考えればわかる事だろ?」
「能力不足の人材を強権振るって入れさせたところで学校の風聞が悪くなるだけですしね。そもそもこの学校のシステム上、大学や会社が求める人材はある程度完成されつつも成長の余地がある、そんな人でしょうし」
「そういうこった」
なるほど。競争心を煽るのに効果的なのは相応の報酬を用意することだ。A組で卒業したものには望む進学先・就職先を100%叶える権利を与えると言えばクラス間での競走は加速していく。
にしても、平穏な高校生活や青春を楽しめるなんて思っていなかったしそれを求めてここへ進学したわけではないが、思った以上に苦労することになりそうだな。
「次、三つ目の『退学に関する情報』だが、まずもって普通の高校より退学のラインが厳しい。犯罪行為とかは当然のことだが、ここに学力試験での赤点と特別試験での退学が含まれる。だが、お前ならもう察してるだろうが、この退学を取り消すこともできる。ただし、
情報が出ていくうちに想定していたことではあるが、その中でも想定外のペナルティの重さだ。となれば退学者は出さないに限る。
「まあ、退学者を出さないってのは理想だな。ほぼほぼ出る前提で考えておいたほうがいい」
「……それは、退学者を出させる試験がある、と?」
「いや、結果的に退学者が出るのは防げないって話だ。
「なるほど……」
思っていたより金策が重要になってきたな。定期的に賭けはするとして、安定した収入源を確立するために動くことも必要になってきた。
「ちなみに、学力試験って過去問で対策できるんですか?」
「できるぞ。なんなら「今年から試験内容変えまーす」なんて学校側が言わなきゃ問題も一緒だ」
危な。一応聞いておいて正解だったな。椚ヶ丘でなくとも定期考査含め学力試験なんて毎年どころか担当教員によっても変わるものだから役に立たないという常識を疑ってかかったことが功を奏した。
「最後の生徒会の件だが、生徒会長は三年A組の堀北学。一言で表すなら質実剛健だな。三年生からの信頼が厚く、その人間性で三年生を支配してる。保守的な考えの持ち主で攻撃的な性格ではないな。で、その堀北学ぶを敬愛してるのが同じく三年A組の橘茜だ。役職は書記だったな」
コンタクトを取るなら書記の橘茜からかな。そう考えて、いつ、どうコンタクトを取り生徒会長へのアポイントメントを取るかを考え始めながら、先輩の話にも耳を傾ける。
「後は、こいつだけ抑えとけば生徒会に関しては大丈夫だ。副会長、二年A組の南雲雅。二年をそのカリスマと人心掌握力で支配したとんでもない女たらしでプライドの高い自信家だ。革新的な考えの持ち主で攻撃的な性格をしている。あとは女遊びが酷い」
とんでもない女たらしの部分がやけに強調されていたが、まあ個人の怨嗟には興味がない。
「二年生にはこいつの策略によって退学させられたやつもいる。独裁者だよ。こいつは」
知略を巡らせる頭もある、と。中々厄介な人物だという印象を抱く。話を聞く限りだと搦手を使えて盤外戦も不得手ではないだろう。しかし、革新的か。俺は、疑問に思ったことを口にした。
「先ほど革新的とおっしゃいましたが、具体的に何を革新しようとしているんです?」
「現生徒会には派閥がある。退学者を極力出したくない堀北派とそれに不満を抱いている南雲派といった具合だ。あと、B組からA組になる下剋上をした実績がある。これらから、形式上そう呼んでるだけだ。だから、あいつが何を企んでいるか、その本性は分からない」
「なるほど。ありがとうございます」
退学者をもっと出すことを目的としている、ということなのだろうか。クラス間の競争があるから他のクラスに退学者を出すよう仕向ければ、確かに他のクラスは落ちるからA組優位はより確固たるものになるが。
それから、奇しくもクラスの編成に関して実力順と断定できない要素が増えたな。真に実力順なのであればクラス変動は起こり得ないはずだからだ。ということは単なる優劣でクラスは決まっていない可能性がある。何らかの基準があり、それに則ってクラスの配属は決められていると考えられる。
(これまでの話全て、嘘をついている気配はない……か)
好奇心で情報を集めていたが、急にやる気が失せてきた。帆波への心配もあるがそれ以上に気に食わないからだ。しかも、そんなやつがいる場所に帆波を所属させたくないのだが。
帆波の思想的に南雲副会長とは合わないだろう。いくら下剋上を成功させていてもだ。何故なら、帆波の性格から考えれば退学者を出すことは良しとしないから。だが、話を聞く限りだと道徳倫理と良識があるようには到底見えない。
駄目だ。先入観は排除しておかねば。思い込みは隙に繋がってしまう。
(……どちらにせよ、一回見ておきたいな)
それはそれとして、ここまでずっと先輩とその周りを見落とし一つしないよう観察していたが、パッと見の表情、声、視線、行動には嘘をついている時特有の動きが見られなかった。若干イカサマだが波長にも揺らぎはなかった。であれば、信用に値する情報と思っていいだろう。
(プライドが許さないって言ってたけど、多分本当のことしか言わない理由はそれだけじゃないな)
流石にこんな部で活動しているだけあってポーカーフェイスなど感情、本音を隠す技術はこの部においては一番長けていた。しかし、高校生の域を出てはいないし完全ではない。マイクロエクスプレッション、意識的に制御が難しいところで表情に現れていたし、そこだけは波長も乱れていた。
(ま、害意は見えなかったし気にしないでおくか)
俺は聞きたいことは聞けたと判断し、ちらりと腕時計を見ると時刻は16時を回っていた。
「なんだ。もう帰るのか?」
長居しすぎたな、と俺が立ち上がると先輩はそう聞いてくる。もっとしようぜ、と目線で訴えてくるのに苦笑する。今日ゲームをしていて思ったが、ここの人たちは本当に楽しそうにゲームをしていた。心の底から好きなのだろうということがよく伝わった。
「また来ます。今日はこの後日用品も買わないといけないので。あと、これ情報を頂いた対価です」
そう言って、俺は先輩に20万プライベートポイントを送金する。
「なんだ。律儀な奴だな」
「情報は正確性が重要ですから」
「疑り深い奴だな……うちは別に所属は必須じゃないからな」
「はい」
来いよ、そう口にしない先輩に俺は苦笑を漏らして部屋を後にした。
◇◆◇
日用品を入れたエコバッグを片手に提げて寮へと戻ってくると、そこには壁に背を預けて携帯に視線を落としている制服姿の帆波の姿があった。
「帆波?」
「あ、やっと帰ってきた。待ってたんだよ?」
「なんで?」
「情報引き出してくれたんでしょ?今後の方針を話し合おうよ」
これだ。帆波は人を惹きつけることに関して天性のものがあるが故にそればかりに目が行きがちだが、その実かなり頭の回転が早い。それでいて観察眼もあり洞察力も備わっている。それこそ、本来の適正は知略を練る参謀にあると思っている。
「気づいたんだね」
「ガイダンスの質問であれだけヒントくれたら私も分かるよ。多分他にも何人か違和感持った子いると思うよ。放課後それを確認してくれてたんでしょ?」
高育でなければ、見つかることすらなかったであろうその才能はここで開花するのだろう。しかし、帆波の善性は人を選ばない以上、それを完璧に発揮するというのは難しいかもしれない。何故なら、彼女の善性はここでは、いや、社会では弱点とされ食い物にされるか利用される。
もし帆波が持つ善性の形を変えることができた時、俺は要らなくなるだろう。それまでの間、帆波にできないことは俺がする。勿論、合法かつ倫理的で道徳的、そして良識の範囲内の方法で。だが、彼女に向く悪意や害意が向くことがあればその時は容赦することはない。
「……って聞いてるの?」
俺は観念したように肩を竦める。
「聞いてるよ……正解。よく分かったね」
「涼くんの事はなんでも分かるよ」
「頼もしいね。ところで夕食はもう食べた?」
「まだだけど、どうして?」
どうして、と問いかけてくる帆波に、俺はエコバッグを胸の前に持ってくる。
「今から夕飯作るんだけど、食べてく?一人で食べるのも寂しいし。どう?」
「え、でも悪いよ。ポイントとか」
「帆波を待たせたお詫びってことで一つ」
正直なところ、今日得た情報はどこで聞かれているか分からない場所では話したくない。壁に耳あり、障子に目ありなんてことわざもあるくらいだ。情報が漏れることのない部屋で話しておきたい。
「……口が上手いよね」
「ははは。ありがとう」
そんなわけで、そう言った意図がないと言えば嘘になるが、帆波を部屋へと迎え入れていた。遠慮がちにお邪魔します、と言って入った帆波は何処か落ち着かない様子で部屋を見渡していた。
「涼くんの部屋、相変わらず本いっぱいだね」
諸々の荷物を置いていると、机の横に置かれた本棚を興味深そうに見ている帆波が感心したように言ってくる。
帆波の視線の先には、左上から推理小説やSF、ファンタジーといった大衆小説や純文学から始まり、チェスを始めとするゲームの戦術本、概説書や専門書などの学術書といった様々なジャンルの本がもう余分のスペースがないほど所狭しと並んでいる。
一番多いのは本棚の半分を占める学術書だろう。大半は情報理工学系の専門書や論文雑誌だ。中でも論文関係は月刊誌だったり世界中から取り寄せたりしてるから数が多い。電子媒体のものも含めたら倍くらいにはなってるはず。
「今度涼くんの好きな本教えて欲しいな」
「いいけど、帆波の好みに合うかは分からないよ?」
「いいのいいの。好きになっちゃえば問題なし!」
にぱっと笑顔をこちらに向ける帆波に俺は苦笑を浮かべていると、好奇心が尽きないらしい帆波は部屋を散策していた。特に見られて困るものは……無くはないがそれらはまだスーツケースの中だ。暗証番号もあるし開けられはしまい。
「……あれ?涼くんって香水とか使うんだっけ?」
「中三の時に強くおすすめされてさ。あまり使う機会はないんだけどね」
そんなことを考えながら安心しきってエプロンを身につけいざ調理開始、といこうと思いきや、帆波からそんな問いかけがあった。はて、香水やらアクセサリー類を仕舞ったケースはクローゼットに入れてるはず。そして、振り向くと。
「……って、帆波さん……?なに人のクローゼット開けてんですかね」
「やー、だって本以外何もないんだもん。気になっちゃって」
てへ、と舌をちろりと出す帆波に俺は小さく溜息を吐く。そこそこの頻度でお互いの部屋にお邪魔したことがあるからなのかは分からないが、その辺の境界が曖昧になっているような気がする。勿論、俺は帆波の部屋に行ったとしても物色はしないが。
「まあいいんだけどさ……お?」
「どうしたの?」
「いや、星之宮先生にちょっとした要望をしといたんだけど、ちゃんと通ったらしい」
通知が届いた携帯を操作して口座を見れば、そこには『振込 ニュウガクシケン』という文言とその右に『150,000pr』という数字があった。そして、それに付随する形で届いたメールには、星之宮先生からのメッセージが届いていた。
曰く、50,000プライベートポイントは入学試験首席という結果に対するボーナス、そして100,000プライベートポイントは初日にシステムにある程度考察を立ててそれを検証するための行動を取ったことに対する評価と期待らしい。
(……なんというか、偉く査定が甘いような気もするけどそんなものなのかな?)
「何要望したの?」
「ん〜。ボーナス、かな」
「…………??」
何を言っているのか分からなかったのだろうキョトンとしている帆波に小さく笑みを浮かべる。種明かしは後ほどでいいだろう。そう考えて、俺は本来の目的へと移るため口を開いた。
「じゃあ、俺が集めた情報を共有しようか。作りながらで悪いけど」
「そうだね」
先程のフランクな感じとは一転して、帆波が真面目な表情を浮かべたのを見て、俺は情報を口にした。
「……なるほどね〜。これは想像以上だったなぁ」
帆波は、自身の学生鞄の中から取り出したルーズリーフに書き出した情報を見て難しい顔を浮かべていたが、今度は何処か縋るような、それでいて決意を固めたような目で俺と目を合わせる。
「ねぇ。涼くん」
「いいよ」
「まだ何も言ってないよ」
そんな目で見られたら、拒否なんて選択肢は真っ先に消失するだろう。喜んで欲しいのだ。笑顔でいて欲しいのだ。その為ならなんだってしよう。
「犠牲者を出したくない。まだまだ関係値は浅いけど、これから何事もなければ三年間一緒のクラスで授業を受ける仲間は勿論、他のクラスでも仲良くなるかもしれない子達からも退学者は出したくないな」
願望も乗ったようなその決意に、俺は帆波ならそう言うと思った、と内心で思いつつ笑みを浮かべた。俺は帆波のような根っからの善良な人間ではない。むしろ、非道だとか冷酷だとか、そんな言葉をかけられる類の人間だ。
だが、俺も学び、手入れされ、成長したのだ。昔の自分と今の自分は違うのだという成長した姿を恩師に見せたい。
「あとは、今言ったのと並行してA組での卒業を目指したい。だから、これらを踏まえて涼くんにもこれからどうするか一緒に考えて欲しいな」
「OK。じゃあそれを最終目標としてこれからの行動方針を決めていこう」
「ありがとう……自分で言っておいてなんだけど、理想論だとは思わないの?」
誰がそんなことを思うものか。勿論、この話に乗るのは俺個人の打算もある。しかし、俺の中であの教室で学んで以降一貫していることは、もう二度と犠牲を出すことを選択肢に含めないということだ。これに一度でも悩んでしまえば、この先必ず楽をしようとするだろう。だから、見捨てるという選択肢は元から準備しない。
まあ、それ以外にも俺の中で「こんなに面白くなりそうな話に乗らない手はない」と囁く悪魔と「他の奴なんてどうでも良くね?好きにしようぜ」と囁く悪魔がいる。そして、今回俺は前者を取ったということも関係はしている。ちなみに、天使さんはとっくに俺の中から出ていってしまった。過去の業を考えれば妥当なのだが。
「しないよ。元から断るつもりはなかったし。俺にできないことは帆波ができるし、その逆も然り。なら、できないことの方が少ないよ」
「涼くんって実はかなり自信家だよね」
「そうかな……そうかもね」
自信家かどうかは知らないが、自己評価を間違えたことは一度もない。恐らくそれが自信家のように見えるのだろう。だが、死に繋がりかねない場所で半生以上を過ごしたのだ。できるできないだったり引き際だったりは間違えない。
「よし。そうと決まればまずは腹ごしらえだね。お腹が減ってはなんとやらだ。そのあとで具体的な方針を決めていこう」
「だね〜。もうお腹減っちゃった。ずっといい香りしてるんだもん。待ちきれないよ!」
目をきらきらとさせて期待を口にする帆波が、こちらに歩み寄ってきて右手後ろから覗き込んでくる。
「ホントに簡単なご飯だからあまり期待されるとプレッシャーだなぁ」
「そんなこと言って〜。いつもとっても美味しいご飯作るじゃん、涼くん。女の子としては結構自尊心が削られるのですよ〜」
帆波、というより一之瀬の家庭に行くとそれなりの頻度で俺がご飯を作ることがある。主に彼女の妹の要望でだが。帆波の母親が倒れた時に作ったのがきっかけだったっけ。一年くらいしか経ってないのにやけに懐かしく感じるのはこの一年の思い出が濃すぎたからだろう。
「今日の献立は?蒸籠二段で使ってるみたいだけど」
「はい。じゃあ帆波、開けてみていいよ」
俺は興味津々の様子の帆波に俺は厚手のミトンを差し出す。そして、俺と場所を入れ替えるようにしてキッチンに立った帆波は蒸籠の蓋を開けた。立ち上る湯気が落ち着き始め、俺の目にも蒸籠の中が見え始めた。俺は、今日の献立を口にしていく。
「まず上段には、ブロッコリー、キャベツ、ミニトマト、舞茸、かぼちゃの野菜類」
「お〜。下は……これ、ロールキャベツ?」
「正解。久しぶりに食べたくてさ」
「カロリーの気になる女の子には大好評な献立だぁ」
「そんな帆波さんの採点は?」
「100点!満点だよ!」
即答だった。こうも高評価を貰えると作った甲斐があるというものだ。今日の献立に関しては久しぶりに蒸籠蒸しが食べたかった気分なのもあるが、ポン酢に合って作り置きもできる簡単な料理がテーマだ。しかも、ここに女子と一緒に食べるとなればこれ以上の献立はないと自画自賛しても良いのではなかろうか。
「じゃあ、配膳していくよ」
「あっ!手伝うよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
その後、俺たちは料理に舌鼓を打ちながら、歓談を楽しむのだった。久々に人と食べる時間と味は至福だったとここに記しておく。
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〈プライベートポイント〉
・明細
+100,000pr
+1,200,000pr
-200,000pr
+150,000pr
・残高
1,250,000pr
蒸籠蒸しにハマってます。簡単で美味しい。何よりポン酢に合う。