アモン・ラーとイシスの剣   作:コシャリは食べに行った

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三話目は12時に投稿する。宣言だ!!
作者の知識はネット知識なので間違いがあれば教えてください。


古都ルクソール

 「ちょっと、あなたね。まさか日焼け止め、それ一本しか持ってきてないわけ?」

 「え? うん。日本のドラッグストアで一番強いやつ買ってきたんだけど……ダメだった?」

 「ダメに決まってるでしょ、この平和ボケ! そんなのおもちゃみたいなものよ!」

 

 ルクソール空港の駐車場。ネフェルが手配したという、お世辞にも新型とは言えない年季の入った三菱のパジェロ、エアコンは案の定壊れている車の助手席に乗り込んだ直後から、俺、来井耀は、怒涛のダメ出しを浴びていた。

 

 「いい? エジプトの太陽を舐めないこと。水分補給は? 水筒はどこ?」

 「水筒は持ってないけど、さっき空港の売店で冷たいミネラルウォーターを二本買ったよ。ほら」

 「はぁ……」

 

 ネフェルは本日何度目か分からない深いため息をつくと、俺が掲げたペットボトルをひったくるように奪い取った。

 ベースは美しい褐色の肌なのだが、今は怒りで少し赤みが差している。大きな帽子の下から覗く琥珀色の瞳が、品定めするように俺をジロジロと睨みつけていた。

 

 「そうでしょ。買ってからまだ十分も経ってないのに、もう中身はお湯になってる。エジプトの熱気はね、あなたの想像している『夏』なんて生ぬるいものじゃないの。水分は秒で蒸発する。油断したら一瞬で脳ミソが沸騰して死ぬわよ」

 

 ネフェルは不機嫌そうにギヤを荒々しくバックに入れると、パジェロを急発進させた。

 車は盛大なエンジン音を響かせながら、ルクソールの街並みへと滑り出していく。

 

 窓から吹き込んでくる風は、およそ「涼」を誘うものではなかった。

 熱風。文字通り、稼働中のオーブンの扉を開けて、その熱をまともに顔面に浴びているかのような、圧倒的な乾燥を伴った熱の塊だ。息を吸い込むだけで、喉の粘膜がからからに干からびていくのがリアルに分かる。汗が出たはずなのに、次の瞬間にはもう蒸発していて、肌の表面にうっすらと白い塩の結晶が浮き上がってくるのが見えた。

 

 「……あの、ネフェルさん。とりあえず、お腹が空いたんだけど、どこか現地の美味しいものが食べられる場所に案内してくれないかな?」

 「はぁ!? あなたね、空港に着いたばかりでよくそんな呑気なことが言えるわね。……まあ、私もお腹空いたし、熱中症で倒れられるよりはマシだけど。ルクソールシティの屋台街に寄るわよ」

 

ネフェルはハンドルを握りながら、ぶっきらぼうにエジプトの「基本」を解説し始めた。

 

 「いい? 今私たちがいるのはナイル川の東側、つまり『生者の街』よ。古代エジプトでは、太陽が昇る東側は生きていく人間たちの土地、大都市や神殿がある場所。そして太陽が沈む西側はファラオたちが眠る『死者の街』って決まっているの。あなたが観光したがっている王家の谷やハトシェプスト女王葬祭殿は全部西側にあるわ。今日はまず、この東岸で現地の空気に身体を慣らしなさい」

 「へえ、生者の街と死者の街か。じいさんの書斎の本で読んだ通りだ」

 「ふん、聞きかじりの知識ね。現地のリアルはもっと泥臭いんだから」

 

 

 パジェロが停まったのは、ナイル川から少し内陸に入った、活気溢れるローカルな市場スークの一角だった。

 クラクションの音が絶え間なく鳴り響き、アラビア語の怒号のような呼び込みが飛び交う。スパイスの強烈な匂いと、家畜のロバや馬の匂い、そして何かが揚がる香ばしい油の匂いが混ざり合って、むせ返るような熱気を作っていた。

 

 観光地化された綺麗なロビーとは180度違う、現地の混沌としたエネルギー。

 道行く男たちはガラベーヤというワンピースのような民族衣装をまとい、頭にターバンを巻いて談笑している。時折、観光客を見つけては「エジプシャン・マフィア! 安いよ!」などと意味不明な日本語で声をかけてくるが、ネフェルが鋭い視線で睨みつけると、客引きたちは蜘蛛の子を散らすように引いていった。頼もしすぎる。

 

 「ほら、あそこの屋台に行くわよ。エジプトに来てこれを食べないなんて、ただのモグリだからね」

 

 ネフェルが指差した先には、巨大なステンレスのボウルがいくつも並んだ、小汚いけれど繁盛している屋台があった。

 ひげ面のおじさんがリズミカルにスプーンを操り、金属の擦れる小気味いい音を立てながら、何やら不思議な料理をプラスチックの器に盛り付けている。

 

 「これ、なに?」

 「エジプトの国民食、『コシャリ』よ。炭水化物on炭水化物のモンスターフードね。ほら、二個ちょうだい!」

 

ネフェルが現地の言葉で手際よく注文し、差し出された器を俺に手渡した。

 受け取った器の中身を見て、俺は思わず目を丸くした。

 

「うわ、すごい……。これ、ライスの上にマカロニとスパゲッティが乗ってて、さらにレンズ豆とひよこ豆がトッピングされてる……?」

「それだけじゃないわよ。その上にフライドオニオンをたっぷり乗せて、特製のトマトソースをかけるの。お好みで、このダッダっていうにんにく酢とシャッタっていう唐辛子ソースを混ぜて食べるのよ。はい、スプーン」

 

手渡されたスプーンで、全体をがちゃがちゃと豪快にかき混ぜる。これがコシャリの正しい食べ方らしい。ネフェルは慣れた手つきで真っ赤な唐辛子ソースを大量に投入していた。ツンとしたニンニクとトマトの酸っぱい匂いが、熱気と混ざり合って容赦なく嗅覚を刺激してくる。

 

一口、口に運んでみる。

 

「……うまっ! 何これ、すごくジャンクだけど、めちゃくちゃ美味しい!」

「でしょ? 炭水化物の塊だから、この過酷な暑さを乗り切るためのエネルギー補給には最高なのよ。……って、ちょっと、あなた唐辛子入れすぎ! 悶絶してもしらないわよ!」

「あはは、ピリ辛で美味しいよ。ネフェル、良いお店教えてくれてありがとう」

「っ……べ、別に、私が食べたかっただけだから。勘違いしないでよね」

 

ネフェルはふいっと顔を背け、大きな口でコシャリを頬張り始めた。ツンツンしているけれど、どうにも憎めない。

 おまけに頼んだ、真っ赤なカルカデの冷たい甘酸っぱさが、コシャリの油っぽさを綺麗に洗い流してくれた。

 

 

食事を終え、少し動けるようになった俺たちは、市場の近くにある巨大な遺跡の前にやってきた。

 街のど真ん中に突如として現れる巨大な石の柱。ルクソール神殿だ。

 

「大きいなぁ……」

「そうね。ここは古代のファラオたちが、自分の権力を誇示するために増築を繰り返した神殿よ。特に有名なのはラムセス二世ね。あそこにある巨大な彼の坐像、見覚えくらいはあるでしょ?」

 

ネフェルが指差した先には、何メートルあるかも分からない、威風堂々としたファラオの石像が鎮座していた。数千年の時を経てもなお、その眼差しは鋭く、見る者を圧倒する。

 

「エジプトの神話って、本当にスケールが大きいよね。じいさんがよく話してくれたんだ」

「へえ、あなたのそのおじいさん、どんな話をしていたの?」

「うーん、例えば、このルクソールで最も崇拝されていた最高神『アモン』の話とかかな。元々は一地方の目立たない神様だったのに、政治的な理由で太陽神『ラー』と合体させられて、『アモン・ラー』っていう最強の神様に祭り上げられたんだって。神様なのに人間の都合で合体させられるなんて、ちょっと面白いよねって」

 

 俺が何気なくそう言うと、ネフェルの歩みがピタリと止まった。

 彼女は驚いたように目を見開き、それから少しだけ複雑そうな表情を浮かべて俺を見た。

 

 「……あなたのおじいさん、ただの人にしては、随分と神話に詳しいのね」

 「え? そうかな、考古学者だったからかも」

 「それでもよ。神とは、人間の祈りや都合によって形を変えるもの。……でもね、耀。人間の都合で生み出された神だからといって、その力が偽物だとは限らないわ。むしろ、何千万人、何億人という人間の信仰を集めた神は、人間の制御を離れて、本当に絶対的な理不尽として世界を支配してしまうことがあるの。アモン・ラーはその最たるものよ。すべてを焼き尽くす、容赦のない太陽そのものなんだから」

 

 ネフェルの言葉は、歴史の解説というよりも、自らが肌で知っている現実を語るかのような、重みを含んでいた。

 

 

 神殿の周囲を歩き、再び市場の喧騒へと戻ってきた時のことだ。

 炎天下の中、大量のオレンジを積んだ木製の手押し車を、必死に押している現地のおじいさんがいた。だが、過酷な暑さのせいか、おじいさんはふらりと足元をよろめかせ、手押し車を傾けてしまった。

 

 ガラガラガラ! と、大量のオレンジが路面に転がり、泥の中に散らばっていく。

 

 「ああっ、大変だ!」

 

 俺の脳が考えるより先に、身体が勝手に作動した。

 損得勘定を挟む余地のない、いつもの癖だ。

 

 「ちょっと、耀!? どこ行くのよ!」

 「ネフェル、ちょっと待ってて!」

 

 俺は泥だらけのアスファルトに這いつくばり、転がっていくオレンジを大急ぎで拾い集め始めた。

 周囲の現地人たちは「あ~あ、やっちゃったな」という目で見ているだけで、誰も手を貸そうとはしない。エジプトの強い日差しの下、俺は汗だくになりながら、おじいさんの手押し車にオレンジを戻していく。

 

シュクラン、シュクラン(ありがとう ありがとう)……」

 

 おじいさんは涙ぐんだ目で、俺の泥だらけの手を握りしめ、何度も感謝の言葉を口にした。

 全部を拾い終えた頃には、俺のTシャツは泥と汗でドロドロになっていた。

 

 「……はぁ。あなた、本当にバカね。絵に描いたようなお人好し」

 

 いつの間にか隣に立っていたネフェルが、呆れ果てたような声を出した。

 彼女の手には、どこからか買ってきた冷たいウェットティッシュが握られていた。

 

 「ほら、手を出しなさい。汚いお人好しさん」

 「あはは、ごめん。でも、放っておけなくてさ。ありがとう、ネフェル」

 「お礼を言うのはこっちのセリフよ。全く……あなたのその『勝手に身体が動く』の、見ていて心臓に悪すぎるわ」

 

 ネフェルは俺の手の泥を乱暴に、けれど丁寧に拭き取りながら、ぽつりと呟いた。

 

 「誰にでもそうやって命や時間を安売りしていると、いつか本当に命がいくつあっても足りなくなるわよ。この世界にはね、あなたのその安っぽい善意じゃ、どうにもならない理不尽がいくらでもあるんだから」

 

 ネフェルの琥珀色の瞳の奥に、一瞬だけ、単なる呆れではない『真剣な眼差し』が宿った。

 彼女は、俺の首元で静かに揺れるラピスラズリのメダリオンをじっと見つめ、何かを思案するように小さな唇を噛んだ。

 

 「そのメダリオン……。さっきから気になっていたけれど、ただの骨董品じゃないわね。独特の雰囲気というか……古い魔道具の気配がする」

 「これ? じいちゃんが形見にくれたんだ。本当に困った時、お前を助けてくれるお守りだって」

 「お守り、ねぇ……。まあ、あなたみたいなトラブルメーカーには、それくらい強力な魔除けが必要かもしれないわね」

 

 ネフェルはふん、と鼻を鳴らすと、ウェットティッシュをゴミ箱に放り投げた。

 

 「さあ、今日の観光はおしまい! あなたのせいで予定外の泥落としが必要になったわ。一度ホテルにチェックインして、シャワーを浴びなさい。明日は朝が早いのよ」

 「明日はどこに行くの?」

 

 俺が問いかけると、ネフェルはニヤリと、どこか不敵な笑みを浮かべた。

 

 「いよいよ本番よ。ナイル川を渡って西側のファラオたちが眠る『死者の街』。王家の谷へ案内してあげるわ。命が惜しかったら、今度こそ私の言うことを一文字残さず聞きなさいね、平和ボケさん?」

 

 「了解。明日もよろしく、ネフェル」

 

 夕暮れ時、オレンジ色に染まり始めたルクソールの空の下、俺たちはパジェロへと向かって歩き出した。

 明日向かう『死者の街』で、自分たちの運命を根底から覆すような大事件が待ち受けているとは、この時の俺はまだ、夢にも思っていなかった。

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