メルトリリス(偽)、呪術の世界に降り立つ 作:ひのき
「おつかれー!」
めっちゃ強かった式神を倒して、余韻に浸るように少しの間そのままでいた私の頭上から、知ってる人の声が聞こえてきた。
見上げる。
そこにいたのは宙に浮いている五条さんと、その片手で荷物みたいに雑に抱えられている虎杖君。
五条さんと虎杖君が降りてくる。
「いつから見てたんですか?」
「ついさっき。補助監督から高専の方に連絡があってから来たんだけど、僕に届くまで時間がかかったみたいで残念ながら最後の方しか見れなかったよ」
連絡があったということは、補助監督の人は無事に逃げられたみたい。
その事実に安堵する。
「必要なら手を貸そうと思ってたけど必要なかったね。あ、こっちはただの見学な虎杖悠仁君です」
「あ、ども」
「勉強になったでしょ。あれが
「特級……」
「ま、そのくらいの気持ちでやってほしいってことだよ」
「押忍!」
五条さんの言葉に虎杖君が元気よく返事する。
みんなが特級に勝てるようにとは大きく出たものだけど、実際に虎杖君の持つポテンシャルならいつかはそのくらい強くなれるだろう。
五条さんは、有望株な虎杖君にわかりやすい目標となるようなゴールを見せたかったのかな。
だから連れてきたんだね。
「それで、桜。戦ってたのは式神だよね? 報告だと隕石を落とす特級呪霊って聞いてたんだけど」
「最初はその報告の呪霊と戦ってたんですけど」
疑問を浮かべる五条さんに説明する。
火山頭の特級呪霊に襲われたこと。その呪霊には明瞭な意思と知性があったこと。
目的は無差別に暴れることではなく、どうやら私を殺すためだったらしいこと。
特級呪霊が他にもいて、両者は仲間らしかったこと。
"ぜんいん"という呪詛師が協力していたこと。
乱入してきたもう一体の特級呪霊は祓って、火山頭にもトドメを刺そうとしたら、今度は"ぜんいん"が呼び出したと思われる式神が現れたこと。
その式神は特級呪霊より遥かに強くて、でも最終的には無事に勝利できたこと。
順を追って、五条さんに報告する。
「へえ、知性のある特級呪霊が徒党を組んでいて、強力な式神を操る呪詛師の協力者もいると」
「"ぜんいん"って、どうでしょう」
「ま、十中八九僕らの知る
「あの式神について知ってるんですか?」
「実物は初めて見るけどね。あれはおそらく『八握剣異戒神将魔虚羅』だ」
「や、やつかの……?」
「八握剣異戒神将魔虚羅」
やつかのつるぎいかいしんしょうまこら。
すごく長いし変な名前だ。
「どうしてその、えと…………魔虚羅? だと、禪院家だってわかるんですか?」
「魔虚羅は禪院家の相伝術式、『十種影法術』に宿る最強の式神なんだよ」
その言葉に驚く。
だけどそれと同時に納得もした。
あの式神——魔虚羅が『十種影法術』の最強の式神だとするなら、その強さも当然だ。
話に聞いたことのある五条家と禪院家の間にある確執の理由の一つ、江戸時代の御前試合。
そこで五条さんと同じ六眼に『無下限呪術』の抱き合わせが、禪院家の呪術師と相討ちになる形で死亡したという。
どうやって、という疑問。
六眼と無下限が無敵で最強なのは、五条さんを見ていれば誰でもわかる。
たとえ相討ちだろうと、それを打倒した真実。
その答えが魔虚羅。
たしかに場合によっては勝てるだろう、と実際に魔虚羅と戦った私は納得する。
無下限の無敵も、魔虚羅なら適応するだろうし。
でも、だとしたら恵君もいつかはあの最強の式神を使役することになるということ。
正真正銘、五条さんや私と肩を並べる強さになれるということ。
彼の『十種影法術』という術式がかつての御前試合で六眼の無下限を破ったこと自体は知っていた。だけど、実際に魔虚羅と戦ったことで真実味を帯びる。
恵君も、本当にとんでもない才能を持っている。
虎杖君もそうだけど、恵君も将来有望すぎて、五条さんが楽しくなってしまうのも頷けるというものだ。
でも、と引っかかる。
「…………調伏できるものなんでしょうか」
『十種影法術』で式神を調伏する条件は、呼び出した式神との一対一で戦い撃破すること。
自らの力と、それまでに調伏した式神を使ってより強力な式神に挑んでは仲間にしていく。
そういう術式だ。
十種というからには十体の式神がいるのだろう。
最後には魔虚羅。
つまりそれ以前の九体の式神で、あの最強の式神を打ち倒さなければならないのだ。
はっきり言って、無理難題な条件に思えるけど。
でも、仮にそれができたとしたら。
私を殺すために魔虚羅をけしかけたあの禪院と呼ばれた女の人は、魔虚羅という超戦力を抜きにしても、最強の式神よりもなお強いということ。
そんな空恐ろしい事実が浮かび上がってしまう。
「ほぼ間違いなく儀式の巻き込みだろうね。禪院家に魔虚羅を調伏できた記録はただの一度もない。件の御前試合も、そうやって相打ちに持っていったんだろうさ」
なるほど。
儀式の巻き込みなら調伏をしていなくても魔虚羅を呼び出せるし、戦力として利用することができると。
実は『十種影法術』は複数人で調伏の儀式を行うこともできるらしいのだ。
ただ、複数人での儀式で倒すことができたとしても儀式後調伏が無効になる。
そんなわけで実際は無駄にしかならない。
だけど、使い方次第というわけだ。
というか、この使い方で魔虚羅を呼べばどんなに強い相手にも死なば諸共で相打ちに持っていける『十種影法術』って、術式としての強さが別次元だね。
五条家の『無下限呪術』は六眼がないと使えたものじゃないって五条さん言ってたし。
加茂家の『赤血操術』は詳しくないけど、京都校に使ってる人いたけど普通に強い術式ってくらいだったし。
御三家の相伝術式の中で、禪院家の『十種影法術』だけが明らかに突出してる。
別に、魔虚羅を計算しなくても多様な能力を持つ九体の式神を使役できるすごく強い術式だし。
「でも、私が負けてたら自爆になっちゃいますけど」
「その禪院ってやつは、最初から桜が魔虚羅に負けるとは思ってなかったんじゃない? 実際、まんまと足止めさせられちゃったわけだし」
「…………そう思ってたなら、そもそもどうして私を襲ってきたのでしょうか?」
「さあ?」
結局、その部分が謎であった。
私を魔虚羅で殺せないと確信していたなら、その前座みたいに出てきた火山頭で勝てるなんて思うわけがないし。
何がしたかったのかな。
パッと思いつくのは威力偵察とかだろうか。
魔虚羅よりも強い本命がいて、それをぶつける前に情報を探りにきたって形。
それなら納得できるけど。
「何にせよ、お疲れ様。禪院の呪詛師については僕の方で調べておくよ。まあ、素直に禪院家が協力してくれるとも思えないけど」
「そですね。禪院家は…………アレですもん」
禪院家が友好的にしてくれる想像がつかない。
五条さんからの協力要請ならなおさら敵愾心出してきそうだし、禪院家の呪詛師なんて言っても私が見聞きした情報以外にちゃんとした証拠ないし。
多分、ダメだろうなって。
のらりくらりとかわされるだけだろうね。
それに正直、禪院家自体はクロじゃないと思うんだよ。
いくらなんでも、呪詛師になって呪霊と組むとかそんなことするわけない。
さすがに、だよ。
良くも悪くもプライドが高いんだから、あの家は。
そもそも禪院家は今、『十種影法術』持ちの術師が複雑な関係にある恵君しかいないし。
あの家がいかに男尊女卑であろうと、この状況で『十種影法術』持ちの術師が生まれたら、さすがに表舞台に上げないわけがないだろうし。
絶対、五条さんに対抗しようとするはずだもんね。
多分、たまたま禪院関係なく『十種影法術』を持って生まれたあの女の人が勝手に名乗ってるだけとか。
それか恵君みたいに、禪院家から出て行った人の子どもが『十種影法術』を持って生まれたとか。
実際はそんなところだと思う。
そんな風に五条さんと話していると、虎杖君がぽかんとした顔をしていることに気づく。
そっか虎杖君は一般から出て呪術師になったばかりだもんね。
詳しい事情とか専門用語みたいなの知らないよね。
私はぽかんとしてる虎杖君に謝る。
「ごめんなさい、虎杖君。わからない話をしてしまって」
「いや、大事な話っぽいし…………」
「悠仁は勉強中だからね〜」
「最近、術式のこととか、呪力の込め方とか教わってるよ!」
「あはは、そこからですもんね」
本当に初歩の初歩だ。
でもみんな、最初はそこからだからね。
「あ、そういえば先輩。ひとつ聞きたいことあったんだけど」
「なんですか?」
思い出したように言いだす虎杖君。
私は首をかしげた。
「先輩って、戦うとき性格変わるタイプなんだ?」
「…………」
虎杖君の言葉に、私は静かに顔を覆った。
隣で五条さんが吹き出した。
後輩に恥を見せてしまった。
本当は、たった一人で戦っていた今回の戦いで加虐ってるところを見せることになるわけがなかったのに。
五条さんが虎杖君を連れてきてしまったばっかりに。
五条さんのせいだ。
私は隣で吹き出し、肩を振るわせる五条さんの脛を思いっきり蹴った。
「忘れてください」
「え、なんで? 先輩すげえかっこよかったけど」
「わ、忘れてください!!!」
「忘れろって言われてもなあ。俺はいいと思うぜ!」
「〜〜〜!!」
虎杖君の邪気の一切ない笑顔を前に、私はもう何も言えずただ羞恥に悶えるのであった。
都内のとあるマンション。
黒髪の女——禪院がその一室のドアを開く。
そこに広がっていた光景は、本来のマンションの部屋のものとはまるきり違っていた。
それは南国の海岸のようだった。
ざざん、と寄せては引いていく波の音。足元は砂浜になっており、ヤシの木が生えている。
「ずいぶんと穏やかな領域だね」
禪院がつぶやく。
マンションの一室に成り変わったその空間は、とある呪霊の生得領域が具現化したものだった。
領域内の海に顔だけを浮かべている呪霊。
——陀艮。
海への畏れから生まれた特級呪霊だ。
「漏瑚はどうした」
領域へ入った禪院に声をかける者がいた。
ビーチチェアに腰かける、体のいたるところにツギハギのような跡がある人間。
否、彼は人間ではない。
——真人。
完全に人間にしか見えない姿をしたその男は、人間への畏れから生まれた特級呪霊だった。
「ここに」
そう言って、禪院は足元の影から
それは頭部だけとなった呪霊だった。
火山頭に一つ目。
本来ならすべての特級呪霊の中でも、まごうことなく最高峰の力を持っていた呪霊。
——漏瑚。
大地への畏れから生まれたその呪霊は、しかし今は見るも無惨な瀕死の状態となっていた。
「花御は?」
「死んだよ」
「……………………へえ?」
「チッ……!」
真人の疑問に対して、禪院は簡潔に答えた。
その言葉に真人は眉を上げ、首だけとなってしまった漏瑚は怒りの形相を浮かべた。
彼らにはもう一人仲間がいた。
——花御。
自然への畏れから生まれた特級呪霊だった。しかし、その仲間はすでにこの世にはいない。
先の戦いにて漏瑚が危機に瀕した際に助けに入り、しかし何もできずに祓われてしまったのだ。
「禪院、君の責任じゃない?」
「とんでもない、私は止めたけどね。漏瑚が裏月桜に勝てるわけがないって。最初から、裏月桜には宿儺を当てる予定だったんだ。むしろ、瀕死の漏瑚を助けてあげたんだから感謝してほしいくらい」
そう言って禪院は肩をすくめた。
「花御が死んだのは儂のせいだ! 儂が、あの小娘を相手に無様を晒し、花御を巻き込んだ!」
「裏月桜は強かった?」
「ッッッ!! 今の儂では、勝てん…………!」
漏瑚がぎり、と歯を食いしばる。
「禪院、俺たちには何が足りてない?」
「強さ」
真人の言葉に禪院は短く返した。
漏瑚が裏月桜に負けたのは、ただただあの特級術師と比べて遥かに弱かっただけ。
それだけだ。
今の彼らでは、呪術界を転覆し人間に成り代わるなどという目的を果たすのは難しい。
結局のところ、彼らは弱いのだ。
たしかに呪霊としては並ぶ者のいない強者ばかりがここにいるが、彼らが相手取ろうとしているのはその程度の強さではどうにもならない存在なのだ。
だから、呪いの王である宿儺を当てにしている。
身の丈を弁えず挑み。
その代償が仲間の死。ただそれだけの、至極簡単な事実がそこにあるだけだった。
「強くならないとね、漏瑚。真人もだ」
「ぶぅー。ぶぅー」
「ああ、もちろん。陀艮もね。忘れてないよ」
禪院の言葉に、漏瑚が決意を滲ませる。
「強くなる…………ああ、そうだな。儂は強くなろう。そして必ずや裏月桜を殺し花御の仇を討つ!!」
「おいおい、漏瑚。そんなになってもまだ懲りてないの? 復活させた宿儺に任せるって話でしょ」
「頭ではわかっているのだ、真人。だが、儂がこの手で殺してやらねばこの怒りはおさまらんのだ!!」
「あーあ、バカなのかな」
「そう言うな、真人。漏瑚がこれほど強さに飢え、力をつけようとしているんだ。頼もしいじゃないか」
「普通に宿儺に任せた方がいいと思うけどなあ」
漏瑚の様子に呆れる真人。
そんな彼を嗜めるように、禪院は強くなろうと強く決意する漏瑚を肯定した。
しかし。
そんな上辺の言葉とは裏腹に、禪院は内心で目の前の呪霊たちをせせら笑って見下していた。
人間ごっこに明け暮れる呪霊風情が、これほどに滑稽なことなんて他にない。
——と。
禪院は本心では、彼ら呪霊たちの目的のために協力しようなどという気は微塵もなかった。
彼女には彼女の目的がある。
その過程において、ちょうどいいので彼らをいいように利用してやろうと協力を装っているだけだ。
漏瑚の裏月桜への挑戦など、ハナから勝てるだなんてまったく思っていなかった。
花御の死など心底どうでもいい。
陀艮もどうでもいい。
真人は彼女の計画のために必要であるため、その成長に関しては期待している。
そういう意味では強くなろうとしている漏瑚も、いずれその身を
今、彼女の脳裏を埋め尽くしているのはたった一人の人間の存在だけであった。
——裏月桜。
千年を超える禪院の生の中でついに見つけた人間の可能性の集大成、その一つのカタチ。
今の禪院はただ、彼女にだけ極めて強い関心を向けていた。
その可能性がどこまで届くのか知りたい。
探求したい。
追い求めたい。
裏月桜に魅了されている、と言ってもいいくらいだ。
今回の戦いで、裏月桜は今までにないほどの力をこれでもかと見せてくれた。
ずっと彼女を観察していた禪院だが、不満があるとすればそれは彼女に見合う敵がいなかったことだ。裏月桜の実力のもっと深いところまで知りたかった。
だから漏瑚をけしかけた。
そして自らの姿を現してまでも、さらにその先の力を見るために
結果は禪院にとって満足のいくものだった。
漏瑚では裏月桜を測るには不足だったが、魔虚羅との戦いは素晴らしかった。
禪院は離脱しながらも式神を戦場の影に隠し、その視界を借りることで一部始終をすべて見届けていた。
完璧だった。
魔虚羅を術式もなしで完全に手玉に取るような超高水準の身体能力、基礎スペック。
何の情報も持たないながらも初見殺しの能力を持つ魔虚羅の力を正しく考察し、戦術を組み立て最適解の行動によって効率的に屠った頭脳。
そしてそれを為した強力な術式。
その、特別な
禪院は当然、裏月桜の力を理解している。
もちろんその
さて、魔虚羅は彼女にとってどれだけのご馳走になったのだろうか。
そういう意味では花御も役に立ったと言える。
裏月桜の血肉になれるなど、呪霊にとってこれほど栄誉なことなどはないのだから。
「ふふふ…………楽しみだね」
陶酔したように禪院はつぶやいた。
彼女の計画はいくつかある。
だけどそれらの計画が最終的に行き着く目的は、たった一つ。
それは、裏月桜を試すこと。
いずれ宿儺が復活する。
しかし十中八九、裏月桜に指を吸収されているだろう現状、このままでは完全な復活は叶わない。
それは良くない。
裏月桜と完全な形で復活した宿儺との戦いが、禪院は見たいのだ。
禪院が知る史上最強の呪術師である両面宿儺。
禪院が知る史上最高の可能性である裏月桜。
両者が激突し、その果てにどのような新たな可能性が生まれてくるのだろうか。
それを知りたい、見たい、確かめたい。
裏月桜が勝ち、宿儺をもその身に呑み込んで新たな呪いの王として君臨するのか。
宿儺が勝ち、裏月桜の可能性の限界を見るのか。
その果てを見届けたい。
禪院にとってはどちらでもいい。
願わくば前者であってほしいとは考えているが、後者であるなら裏月桜の体を奪い、自らがその可能性の続きを探求すればいいと思っている。
そのためにも、まずは宿儺の完全な復活を果たすことだ。
禪院はとある特級呪物が裏月桜に吸収された時点で、いずれ宿儺の指もそうなるだろうという予想はしていた。
ゆえに、その時点から手を打ち始めていた。
「もうすぐ、この体の役目も終わる…………期待しているよ。私のかわいい
そう言って禪院は、服の上から僅かにわかる程度に
「この感情は、たしか。なんと言うんだったか」
それは久しく感じることのなかった感情。
四六時中頭の中が一人の人間に埋め尽くされ。
心がふわふわと浮つき。
激しく感情が揺れ動き。
狂おしいほどの熱が全身を支配する。
禪院は少し考え、その感情に正しく名前をつけた。
「これはそう、恋だね。私はきっと恋しているんだ」
うっとりと息を吐き、禪院は愛おしそうにその名前をつぶやいた。
「ああ、裏月桜…………千年以上の旅路の果てに出会った、私の最愛の
禪院は艶かしく、笑った。
「楽しみだね。その日はもう、すぐそこだ」